NHKスペシャル 戦国〜激動の世界と日本〜(2)▽ジャパン・シルバーを獲得せよ ★6

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0001公共放送名無しさん2020/07/05(日) 21:46:23.65ID:5aSAg7/P
地球規模の歴史から、新たな日本の戦国時代を描くシリーズ。第2集は徳川家康の天下取りの時代。新発見の文書に記されていたのは、オランダ商人と家康の深い繋がり。オランダは、当時最重要の国際通貨だった「銀」を求めていた。世界の産出量の3分の1を占めた日本銀をめぐり、オランダと超大国スペインの間に激しい攻防が始まる。覇権をかけた両国の争いの最前線となった戦国日本、その実像に迫る。ナビゲーターは西島秀俊さん。

【司会】西島秀俊,【出演】金田明夫,【語り】礒野佑子

NHKスペシャル 戦国〜激動の世界と日本〜(2)▽ジャパン・シルバーを獲得せよ ★5
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1593952754/

0952公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:34:44.41ID:vMYXI8BN
話を別にして、朝鮮では現代に至っても祈祷が盛んで、その影響があってか、日本でも戦後しばらく祈祷が盛んであった。
小さな田舎の村には決まったように祈祷をする老婆がいた。40〜50年前ごろまで、日本でも霊媒師なる者がおり、困ったことがあると霊媒師を尋ねる者がいた。
また、現在でも、神社、お寺での祈祷によって合格祈願、結婚祈願をし、災難、病などを逃れようとする人の数は恐るべき量に達する。
このような祈祷による暮らしが生活に密着している国(先進国)は、恐らく韓国・日本において最も顕著だろう。※山口県田布施 天照皇大神宮教北村サヨ(病身舞教)等

シャーマニズムをもつ北方種族(騎馬民族)によって形成された朝鮮文化を、渡来人が倭国へ持ち込んだのは自然な流れだろう。
「卑弥呼」は邪馬台国に居住し、鬼道で民衆をまどわしていたという話もあるが、彼女を見た者は少なく、一人の男が飲食を給仕、彼女のもとに出入りしていたという話もある。
医者がいず、薬もなかった時代、病を恐れて祈祷にたよる生活が続けられていた時代、祈祷師は医者の役割を担っていたに違いない。
特に、上層階級の人は高名な祈祷師を重く崇め、丁重に処遇したと思われる。そのような社会風潮の中で「祈祷師<占い師>」の地位は高く、
「卑弥呼」のような女性(祈祷師は常に女性)が「国の預言者」として政治にかかわり、表に出ずとも聡明なる知的存在者として囲われ、
名目を王と称しながら有力な男性政治家と共にあったと推測される。残念ながら、「卑弥呼」が記した文献はなく、「邪馬台国」で「卑弥呼」の傘下にいた高位政治家の文献もない。

0953公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:35:33.46ID:vMYXI8BN
要するに、弥生時代 「邪馬台国」なる「国?」を作り、「卑弥呼」なる女王をもうけたのは、朝鮮からの渡来人たちであったと推測される。
縄文時代以前から存在した倭人は、弥生時代でもって消滅に等しくなり、奈良時代に、新天地として倭国へ渡来した人々は、倭国を「日本」として独立・建国させたのである。
好むと好まずとにかかわらず、現日本人の祖先のほとんどが朝鮮半島からの渡来人である。
「魏志倭人伝」に記録されている「邪馬台国」「卑弥呼」なるものの軌跡は、日本の歴史の流れが朝鮮半島を泉源としていることを明らかにする証明書のようなものであろう。

倭国の「原住民」から「卑弥呼」なる「預言者(祈祷師)」が生まれたとすれば説明がつかない。
「彼女を取り巻き支える倭人は全て「渡来人(朝鮮人)」であった」ということを信じられない人は、縄文がなぜ弥生にかわったのか、
「須恵器」がなぜ弥生時代に生産され始めたのか、水稲がなぜ弥生時代に盛んになったのか、古墳時代の古墳はなぜ朝鮮の古墳と「うり二つ」であるかを知るべきである。

0954公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:35:37.20ID:VhroP0w6
>>942>>943
というサヨク妄想をするのは自由だが

そもそも同時に「弥生人」という民族意識の集団なんか基本いない

当の中国地域等から「 倭人 」と区別されてきたのよ(´・ω・`)

0955公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:35:44.71ID:vMYXI8BN
また、「高松塚古墳」の彩色壁画の婦人像の着衣が古代朝鮮の服装そのままであり、高句麗に「高松塚古墳」とそっくりな古墳があるのはなぜか、
「荒神谷の銅剣」はなぜ出雲で発掘されたのか、出雲弁はなぜ韓国語に似ているのか・・あげれば数え切れないほどの古代朝鮮の文化の流れを見ることができる。

縷々申しあげた歴史を認識しなければ、「邪馬台国」があったのは「九州」だ「近畿」だといつまでも論争し、「邪馬台国」がどのような国であったかの解明をおろそかにするだろう。
まして、「卑弥呼」なる女王について、古代のわけのわからぬ人物として朦朧たる想像の世界に追いやり、結局、日本の古代史はわけのわからぬ神々の斟酌にとらわれることで終わる。
そして、「卑弥呼とは何者?」などと問う人が多いのである。

0956公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:36:52.34ID:ELs0gxZ0
日本にはないものがあって
それを工夫で補っているうち
民族の特性を獲得したってかっこいい話だよw
その特性がiPhoneやスペースシャトルに生かされるとか
ぶっ飛ぶことだよw

0957公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:38:08.10ID:VhroP0w6
>>953
というサヨク妄想

 まず当時が朝鮮じゃなかったのだが

  「  好む云々   」以前にそこをやり直せよサヨクは


そもそも同時に「弥生人」という民族意識の集団なんか基本いない

当の中国地域等から「 倭人 」と区別されてきたのよ(´・ω・`)

0958公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:40:03.03ID:fFfH4f+/
まあ卑弥呼がどうの邪馬台国がどうのなんて、まともな学者はどうでもいいと思ってるんだけどな

根拠も書き飛ばした半ペラで、どうせ適当だしww

0959公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:40:39.09ID:SVOd8dh2
>>934
今川に折れろって道三に言われた信長が
犬畜生に成り下がることできませぬって話て
道三がわしは犬以下のマムシの生まれじゃ
信長がそれがしうつけの生まれ
道三が似たもの同士じゃあの場面すき

0960公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:41:18.98ID:VhroP0w6
>>955
ようはいつものサヨクコピペくんは

 「 朝鮮と同化させたい 」

のだろうけど別物だからね(´・ω・`)

古代なんか特に

まあ先住民クローン政策でもいいがなwww

朝鮮と同化したいサヨクは発狂しそうだが(´・ω・`)

0961公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:43:59.17ID:VhroP0w6
>>955
> 出雲弁は韓国語

サヨクは韓国の年代を知らないのか

なぜ漢字を捨てたと言われるのか

それとも日本軍がまたハングル教育をしてやらねばならないのか?(´・ω・`)

0962公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:44:41.22ID:vMYXI8BN
福井県の新羅神社(1)若狭地方の森羅神社
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。
湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。

当地方も新羅・加耶系氏族に係る伝承や伝説が多く、神社の祭祀氏族としては、
秦(はた)氏(朝鮮語のパタは海の意で、渡来海人であろう)が圧倒的に多い。
秦氏については古代中国の秦氏の移民説や加羅氏族説など、異説が多い。
当地の神社で新羅神社と標記される神社は現存しないが、 標記の方法を変えて新羅(しらぎ)信仰を
今に伝えている神社がいくつか残っている。

0963公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:44:53.18ID:vMYXI8BN
敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、 「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、
小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。
これらに 加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども 新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。
当地方は応神天皇や継体天皇とのつながりが強い地方であり、 いわゆる古代三王朝の内、二王朝、
即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、 越前・若狭地方と関係している。両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かったであろう。

継体天皇は近江で生まれたが、越前で育っており、越前・若狭・近江などを含んだ地域は一つの文化圏といえる。
この時代、敦賀と大和の間を結ぶ重要な交通路である琵琶湖西岸には三尾氏、東岸には息長氏が勢力をもっていた。


http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm
http://miidera1200.jp/

0964公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:45:22.01ID:9almiQBI
好太王碑文や任那日本府を調べれば古来より日本は朝鮮半島を侵略していたのが分かるからな
日本式の古墳が朝鮮にあるのもそういう流れからだろう

0965公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:46:00.27ID:x/dcqaix
>>953
日本の左巻きのかなり数が日本人のふりをしたただの在日や
だから正確には「在日の根拠のない願望的妄想」

0966公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:46:06.51ID:vMYXI8BN
三井寺 新羅神社考「新羅神社」への旅
福井県の新羅神社(2)若狭地方の新羅神社
社伝によれば、朝鮮新羅城の新良貴氏の祖神「稲飯命」或いは「白城宿禰」を祭るといわれているが、
『神社誌』及び『遠敷郡誌』は「天日矛命の後裔が此国に留まり、其の遠祖である鵜茅葺不合尊、又は稲飯命を祀りしもの。
地名のシラキは日倉族の新羅人の住みしことあるにより起り、その祖神を祀りしとの説がありこれに従う」としている。
『新撰姓氏録』は新良貴氏を瀲武鵜葺草葺不合尊の男稲飯命の子孫とし、稲飯命を新羅国王の祖と伝えている。
『記紀』によれば、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえず)は神武天皇の父とされており、 稲飯命は神武天皇の兄に当る。
従って、神武も新羅(加耶)国と係わりがあることになる。
『福井県神社誌』には、「創立年代不詳。境内より縄文式土器の破片が発見されているから、 弥生後期(一、二世期頃)には祭祀が行われていたであろう」とある。
当社は式内社に比定され、 『越前国内神名帳』には「従五位白城神」と記載されている。
更に、橋本昭三『白木の星』によれば「白城神社は延喜式にその名を記しており、 昔、朝鮮半島に栄えた新羅の人達が、
はるばる日本海を渡ってこの白木の浜に上陸して住んだといわれる」と述べている。 この伝説は、一種の天孫降臨を示すものであろう。

0967公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:46:30.88ID:GE7oa0NZ

0968公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:46:39.24ID:vMYXI8BN
『南条郡誌』によれば「古名考」に「或云白木浦の社乎、案南条郡今庄町に新羅明神あり是なるべし。 今庄も古く今城と書けり。
此白城の誤転する乎。此町の東に川あり日野川と云。 此即古の叔羅(しらき)川なり。叔羅は即ちしらきなるべし」。
また『神明帳考証』には「吉従按白城宿禰を祭るなるべし。武内宿禰の孫也」と記載されている。

白城神社前の白城神社橋を渡ると大きな石の稲荷鳥居があり、白城神社の額が掲げてある。 鳥居の柱には「文政十三年庚寅歳四月上旬」と刻んである。
その左手には樹高33mの黒松の巨木がある。 境内の広さはおよそ一千坪。鳥居の下を過ぎ、二十段程石段を登った台地状の場所の西側に拝殿があり、
たくさんの扁額が掲げられている。台地状の場所の右手奥に二の鳥居(石の稲荷鳥居)があり、 鳥居の下から十段程石段を登ると本殿がある。
本殿は大社造のりっぱな建物。南向きである。 本殿の西側に末社等が祭られている。境内は白砂が敷かれ、清潔な感じがする。

0969公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:46:52.92ID:vMYXI8BN
神紋は菊。境内社は岩清水神社・春日神社・稲荷神社・蛭子神社・龍神社・日吉神社・伏見神社。

例祭は七月十五日。白木祭(新羅祭であろう)という。

新年祭・新嘗祭。

特殊神事として陰暦十一月上ノ卯日の前宵から餅を搗き、 これを薄い楕円形の小判形のものにして(古代神餅牛舌餅か)祭の当日暁方に神社へ参拝して撒く。
現今の新嘗祭に相当する。更には、能楽は白木祭の御能と称し有名である。能師は小浜方面より来る。

「当区において祭礼情景を観る時、往昔の自己の氏神祭礼に 官人・傭人等が賜暇を得て郷土に気休する時の事を想像される」(『敦賀郡神社誌』)

0970公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:48:16.75ID:x/dcqaix
間違えた
>>953じゃなくて>>957

0971公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:48:55.20ID:VhroP0w6
>>964

 × 侵略

 ○ 朝鮮は新参 もとの持ち主は古代中国系箕子www

+ >>883等参照

0972公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:48:57.84ID:vMYXI8BN
三井寺 新羅神社考「新羅神社」への旅
福井県の新羅神社 (3) 信露貴彦(しろきひこ)神社(敦賀市沓見(くつみ)に鎮座)
沓見には久豆弥(くつみ)神社がある。地名の沓見は古くは久豆弥であったのであろう。
沓見は敦賀半島の付根の中心部にある集落である。円塚古墳・横穴式墳墓が数個所発見されている。
敦賀駅からは車で二十分位の場所にある。沓見のバス停の前を左折し100m程進む。
道路の突き当たりが信露貴彦神社である。神社のある場所は山裾で標高が高くなっている。
東北部には農耕地が続き、そのはるか遠くに山並が連なっているのが見える。
神社の左隣(南側)には前宮司の龍頭(りゅうとう)家の屋敷があり、 「龍頭一夫」なる標札が掲げてあった。
夫人に話を聞いたが、大変親切に説明をいただき、帰る時には柿などを土産に頂戴した。
龍頭家の座敷には信露貴彦大神・久豆禰大神・八幡大神の三神の掛軸と供物や狛犬などが飾られていた。
今の宮司は前宮司の弟さんとのことであった。宮司の龍頭家は新羅系の家系であることから、 信露貴彦神社は新羅系の神社である証拠とされている。
「宮司の龍頭家は系譜に新羅国王族の末裔ということになっておる」(『今庄町誌』)

0973公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:50:27.59ID:x/dcqaix
ID:vMYXI8BN

大量にコピペしとる半頭人、お前完全に発達障害やろ?

0974公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:52:43.71ID:VhroP0w6
>>965>>970

ID:vMYXI8BN

 ↑↑ツッコミスルーしまくりで妄想コピペだらけのキチガイだからなコイツ(´・ω・`)

会話をする気がない病気の人かあるいは五毛党シナチョン的なやつか

0975公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:53:19.97ID:+JYqN8eG
>>959
そうそう。道三と信長が周りから認められない者同士としての親近感を抱くんだけど、道三が信長の若さに少し嫉妬する感じを演じられる役者さんがすごいなと感じたよ。

0976公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:54:25.46ID:VhroP0w6
>>972
いつものマイノリティネタなんだよなバカサヨの
なら

  新羅王の祖は稲飯命(日本人)

とか日本人瓠公が古代朝鮮を見付けまくったとかもやらないとなwww

0977公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:56:48.50ID:ogKgQPCR
神社は三百坪位の境内であるが、境内地の境を区切る玉垣などはないので、 林の中に鳥居や神殿が立っているような印象を受ける。
神社の入口には信露貴彦神社と刻まれた背丈の高い石柱や二基の石灯籠・石の台輪のある大きな明神鳥居が立っている。

祭神は瓊瓊杵(ににぎ)尊と日本武尊。 社伝によれば推古天皇十年(602)の創建とされる。古代の新羅系渡来人とのつながりが深く、
敦賀半島の北端にある白城神社とも同系の氏族が祭ったものである。

「当神社は、同村の久豆弥(くつみ)神社の姫宮に対し男の宮と呼ばれ、 共に『白木大明神』といわれた」(『敦賀神社考』)

『敦賀神社誌』によれば、「按ずるに当社は往昔より白木大明神と尊称し、 推古天皇十年に創立し延喜式神名帳には越前国敦賀郡信露貴彦神社とあり。
元は当区南方字神所(かんどころ)・下の森地籍に鎮座したというが、 現地に奉遷の年代は不詳」という。

0978公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:57:04.31ID:ogKgQPCR
『福井県神社誌・遠敷郡誌・南条郡誌』には、「或いは今庄堺村荒井の新羅神社ならん乎」。
『古名考』「一説日野川の源である夜叉ケ池に古へ新露貴神社あり。
故に此河の渡所を白鬼女村と云は信露貴彦の訛なりと云へ共然らじ」。
『古名考書入』「合波堺村山上の社なり按に合波のは白鬚神社なるに 荒井は地名も古文書に見え社名も同じなれば寧ろ之を採る可き乎」としている。

『今庄町誌』では「敦賀郡松原村沓見にある信露貴彦(しろきひこ)神社は、 南条郡今庄町今庄の新羅神社・白鬚神社、堺村荒井に鎮座する新羅神社と同じである」と記載している。
従って、祭神も新羅明神(素盞鳴尊)であったであろう。神社は拝殿と本殿からなる。 拝殿及び弊殿は妻入り神殿、木造瓦葺、白壁造りで庇がつけられているが、建物は相当古い。
拝殿の奥に七.八段の石段があり、その上の台地状の場所に本殿がある。 本殿のある台地は、石垣が積まれている。
石段を登った所に四脚門(これも妻入り、左右に木造の透塀がある)があり、 その数メートル奥に本殿がある。
簡素ではあるが千鳥破風造の屋根をもつ木造建築である。 瓦屋根。境内社に神明社・猿田彦神社・金比羅神社・山神社がある。

0979公共放送名無しさん2020/07/05(日) 23:57:34.73ID:ogKgQPCR
例祭は五月四日。祈年祭三月二十一日。新嘗祭十一月二十三日。 五月六日の例祭日に行われる「王の舞」は天孫降臨の様子を表現したものともいわれている。
沓見祭といわれ、古代そのままの神事が行われるという。

金達寿は『日本の中の朝鮮文化』の中で「信露貴とはもちろん新羅(しらぎ)ということで、 彦とはその男ということであろう。
新羅を白木(しらき) ・白城(しらぎ)としたのはいゝほうで、 信露貴とはずいぶんめんどうな字をあてたものである」と記述している。

当神社も、明らかに渡来系の新羅神社であるにもかかわらず、祭神が天孫邇々芸命(高天原に天降った神)である。
邇々芸命は大山津見神の娘・木花開耶姫(神吾田津姫)と出会い、 海幸彦・山幸彦(天津日高日子穂手見命)など三柱の子神を産むのであるが、山幸彦の子が鵜茅葺不合尊であり、
孫が稲飯命である。天日槍の後裔が新羅国王の祖として祭ったということを示したものであろうか。

0980公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:03:23.01ID:DStsPZu0
日本の八百万の神々の大部分は、朝鮮半島から渡来した人々の氏族的な先祖信仰の象徴であり、石器時代から日本列島に存在したものではない。
例えば、スサノオ(素戔鳴尊)、オオクニヌシ(大国主命)、ハチマン(八幡)なども大陸からの渡来神である。
朝鮮半島からの渡来者が増加した4世紀以後(日本の古墳時代)に、朝鮮半島から来た人々は、
家と個人の信仰である仏教と、先祖・氏族の信仰である神と、二つを抱いて日本列島に渡ってきたのであった。
そして日本の居住地域に、寺と神社を建てたのである。

0981公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:03:30.49ID:DStsPZu0
新羅人は、太陽神を祭った。太陽神と同時に祖先神を祭った。そこから神社が発生することになるという。
例えば伊勢神宮、これは皇祖神になっている。
伊勢神宮に行くと韓神山という山がある。その中に韓神社があります。伊勢には韓鋏という地名があります。
韓の発祥の地は丹後で、そこには天の橋立、一宮の籠神社があります。籠神社は元伊勢と知られています。
この籠神社を祭ったのが、天日槍の人たち。
「天日槍」については、新羅の王子という個人ではなく、新羅、加耶系渡来集団の象徴、新羅から渡来した矛や剣で神を祭る集団の象徴のようなもの、
新羅人は太陽神あるいは祖先神を祭り、いわば天日槍(矛)とはその為の道具だといいます。
日本書紀や風土記で記されてある「赤留比売」は天日槍の嫡妻ではなく、神を祭る巫女だといいます。
この巫女が後に大阪市東成区にある比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)に祭られる。
祭っていたものが後に神様として祭られる例は、天照大神があり、天照大神は大日?貴(おおひるめのむち)というシャーマンだったものという。

0982公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:06:15.24ID:1FK5/zIg
>>930
売れないからじゃなくてちゃんとやらないとあまりにも不公平だわな

日本ガーやりまくりだしNHKは

当時のインドネシア等はまさに世界的な列強奴隷の排出国だし(´・ω・`)

0983公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:06:41.42ID:DStsPZu0
神社の起源と古代朝鮮〜岡谷公二によると

神社信仰の成り立ちについて、近江の渡来人が祀った神社、渡来人とかかわりのある神社について、新羅=伽耶系が圧倒的に多い。
近江では、式内社142社 その約2割が渡来系で、そのうちの8割が新羅系だという。

では、琵琶湖に住んだ渡来人は、新羅人だったのか?
むしろ反対の見方が多く先日訪れた湖東三山の百済寺をはじめ石塔寺など百済系のものの方が多い。
近江のみならず日本のほぼ全土についても、弥生時代から古墳時代にかけて朝鮮半島から渡来してきた人々の多くは、
後に百済が立国する半島の西部より、新羅・伽耶の国々が立国した東南部、現在の慶尚南・北道の人々であった事は間違いないため、
百済より新羅・伽耶と倭の関係がより古いという。

0984公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:08:53.86ID:szOfUtjP
なんで朝鮮人が発狂してんだよ

0985公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:09:39.91ID:1FK5/zIg
>>979-981
現実

史料「 新羅王の祖は稲飯命(日本人) 」

瓠公(日本人)「朝鮮王はワシが見付けた」

逆に日本人が朝鮮に行きまくってたという

そもそも朝鮮は後から誕生したしなwww

0986公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:27:38.58ID:1FK5/zIg
>>983

現実「  ガチの昔々の朝鮮に神社なんかありません  」


www

0987公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:28:54.63ID:1FK5/zIg
現実


古代中国「朝鮮半島最古の国は古代中国系の箕子国」

0988公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:30:08.38ID:1FK5/zIg
>>2

0989公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:30:45.21ID:1FK5/zIg
>>2

植民地国や列強が日本に争いを持ち込んだんだよ

ふっかけたのも列強

日本に要求してきたのも騙したのもオランダ等

0990公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:36:26.51ID:ePPY05PQ
近江系の神社は、どこの例外もなく古く。年代は多くは不明で確認する方法もないが、
ほとんどの神社の社域に一基以上の古墳がある事が証拠立てる理由だと言う。
この古さは、神社の成り立ちに朝鮮半島、特に新羅・伽耶が戒る役割を果たしていることを暗示する。
弥生時代から古墳時代にかけて朝鮮半島から渡来してきた人々が、稲作をはじめとする様々な文化技術を現地の人に教える一方で、
祭祀だけを現地のものに倣うとは考えられない。
日本で最も数の多い神社である八幡神社、稲荷神社が元来は新羅系の秦氏が祀った神社である。

このように新羅は、日本の神社信仰に大きな影響を与えているのである。
また、「天日槍」について、神社と古代朝鮮との関係を考える場合極めて重要だと述べている。

0991公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:38:06.71ID:ePPY05PQ
秦氏に混じって穢族(わいぞく)が伝えた

前田速夫は「狛犬の狛(高麗=高句麗)は貊族の「貊」が起源で、鳥居も「鳥竿」「ソッテ」の変形である。
新羅神社 百済神社 高麗神社など国名がそのまま名称に移行した神社は言うまでもない。
神社や社殿に付属する鳥居、狛犬が備わる以前は、対馬の卒土のような、あるいは沖縄の御嶽(うたき)のような、
聖なる森だったに違いない。」と、穢族(わいぞく)が秦氏と混ざり、南下して日本に伝わったと述べている。
魔除けの役割を担う狛犬は、平安時代末期、それまでは天皇の御座の左右におかれていた獅子、狛犬が神社の境内に進出したものであるという。
仁和寺の仁王門裏には、立派な角のある一角獣がいる

鳥居の原型
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/500/17/01/91/500_17019166.jpg
http://stat.ameba.jp/user_images/20100207/09/2626150/d0/00/j/t02200293_0240032010404207233.jpg

0992公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:39:41.10ID:ePPY05PQ
「ソシモリというのは、地名ではない「ソシ」は「高い柱」、
「モリ」は「頂上・てっぺん」の意味 したがって、「ソシモリ」は「高い柱の頂上」という意味だ」
「牛頭天王の「牛」は「ソ(シ)」という音にあたる漢字の牛を当てはめただけ」という
韓国慶尚北道高霊にはその昔「ソシモリ山」と呼ばれていた山が実在していたという
その山は高霊の現加耶山である
加耶山とは、仏教が伝わって以降の呼び名で、古代には「牛の頭の山」と呼んでいたそうだ
「牛の頭」は韓国語のよみで「ソシモリ」
その山が「牛の頭の山」と呼ばれたのは、加耶山麓の白雲里という村の方から見た時、
山全体が大きな牛が座っているように見えるからだという さらに白雲里には「高天原」という地名まである
鳥トーテム(ソッテ)
http://inoues.net/korea/zenra0031.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/201108/20/75/c0139575_1516539.jpg

0993公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:40:58.36ID:ePPY05PQ
韓神

『古事記』や『延喜式』神名帳などにみえる神。「韓」は朝鮮の意。よって,神名は朝鮮国の神の意。
朝鮮半島からの渡来人およびその系統の人々によって祭られた神。
『古事記』には,須佐之男の子である大年神と伊怒比売との間に生まれた第2子としてその名が挙げられており,
新羅国の都である徐伐(現在のソウル)をそのまま名とした第3子の曾富理神と共に,古代朝鮮との密接な関係を反映する。
『延喜式』神名帳には,宮内省にいます神として園神社,韓神社の名が挙げられているが,韓神が宮内省に祭られるように
なった由来は大江匡房の『江家次第』にみえる。それによれば,この神は延喜(901〜923)以前から宮内省に鎮座していたが,
遷都の際に他所へ遷そうとしたところ,自分はずっとここで帝王を護りたいというこの神の託宣があったので,宮内省に祭ることになったという。

朝日日本歴史人物事典

0994公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:41:41.59ID:ePPY05PQ
韓神

「古事記」にみえる神。
大歳神(おおとしのかみ)と伊怒比売(いのひめ)との間に生まれた5神のうち,第2神とされる。
朝鮮から渡来した人々にまつられた。「延喜(えんぎ)式」神名帳には,韓神社が,宮内省にまつられる神としてあげられている。

講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus

0995公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:42:29.39ID:YLyAHj0R
まさかのまんこ

0996公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:42:57.23ID:KuQ+Ffu1
埋め

0997公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:45:04.78ID:YLyAHj0R
ホルホルホル

0998公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:46:08.90ID:1FK5/zIg
>>990-994

 という妄想で裏付けスカスカなネタだらけ

 いわゆるウリナラ起源説だね(´・ω・`)

現実
史料「 新羅王の祖は稲飯命(日本人) 」
瓠公(日本人)「朝鮮王はワシが見付けた」

逆に日本人が朝鮮に行きまくってたという
そもそも朝鮮は後から誕生した新参なw

0999公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:46:26.87ID:1FK5/zIg
>>990-994
という妄想で裏付けスカスカなネタだらけ

 いわゆるウリナラ起源説だね(´・ω・`)

現実
史料「 新羅王の祖は稲飯命(日本人) 」
瓠公(日本人)「朝鮮王はワシが見付けた」

逆に日本人が朝鮮に行きまくってたという
そもそも朝鮮は後から誕生した新参なw

1000公共放送名無しさん2020/07/06(月) 00:46:39.26ID:1FK5/zIg
>>990-994
という妄想で裏付けスカスカなネタだらけ

 いわゆるウリナラ起源説だねwww(´・ω・`)

現実
史料「 新羅王の祖は稲飯命(日本人) 」
瓠公(日本人)「朝鮮王はワシが見付けた」

逆に日本人が朝鮮に行きまくってたという
そもそも朝鮮は後から誕生した新参なw

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