連続テレビ小説「スカーレット」73
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カーネーションで娘より盛り上がってるお母ちゃんが可愛かった ∧_∧
⊂(#・ω・) お見合い大作戦に来ていく服がない
/ ノ∪
し―-J |l| |
人ペシッ!!
__
\ \
 ̄ ̄ 糸子の母ちゃんならニヤニヤが止まらなかったんやろな >>25
それな、かーちゃんがそれ言うか?って思った キタ━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━ !!! 恋愛パートが長すぎるよ。
いつまでもやってないで結婚せぇや。 3月までだから
ここで半分くらいか
ゴールインしちゃうのかな 惚れてまうがな〜って展開が足りないから共感できないや >>53
織田さんは
カンチをしんどい思いで演じてたのにw >>101
まあ実際、あんな女がいたら
鈴木保奈美でも怖いわ 女ってさ
好きな男くるとすぐ分かるよね
今までつまらなそうにしてたのに
パッと明るい顔して、弾んだ声になって
俺の好きな子が、俺の親友が来たらそんな顔してた >>143
何が言いたいかわからないという演出なんだよ セクロスクル━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!! でも喜美子の弟子と不倫するんでしょ?(´・ω・`) >>142
あまり有名じゃないと思う
脚本家が「本当にこの人でいいんですか?」って何度もスタッフに念押ししたらしいから
演技力はあるんだけどさあ 唐突すぎて草
こいつらが好き同士になる描写なんかあったか? 親父:おうおうおう!真っ昼間から道のど真ん中で何しとんねん! >>168
ホントそれ
信作とくっつくのかと思ってたわ お見合い大作戦の参加者が2人減って信作が(´・ω・`) wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>232
女をギュッとするとおっぱい当たるのにな >>151
男は更に判り易いリアクション
彼方此方同じ反応だから 女に言わせんなよ
父ちゃんキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! 半分、青い。って面白かったんだなぁ(なつぞらに続き二回目 これで八郎が好きじゃなかったらどうなるの?
とりあえずセクースして捨てられる? 乙女寮キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!! ひよっこキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!! 寮長キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!! 常治に見られたのはヤバい
でもお前らがこき下ろしてた割に良かったぞ 面白いんだかつまらないんだかよく分からんドラマやな めちゃめちゃおもろいやないかw BGMも「恋の季節」やった >>337
はじめての時は俺もびしゃびしゃやったわ >>366
半分青いはほとんどトヨエツで持ってた
話はたいしたことなかった これは昨日まで叩きまくってた奴が謝罪しないといけない出来 今日はちょっと面白かったけどクソ親父出てくるとどうしても萎える 親父、よかったじゃん
喜美子を結婚させたがってたもんな…
ってわけにはいかない? >>401
もう遠い昔のことよ
布団かぶって泣いた >>388
寮の舎監は愛子さんキボン! 和久井映見みたい >>414
話はスカーレットの方がちゃんとしてるんだけど、見た目がいい役者が少なくて画面映えがしない…
なつぞらのイケメンを1人くらい回してくれ >>421
モデルの人生を知ってしまったので素直に喜べない >>320
最近テレビ買い替えて良かったヽ(・∀・)ノ >>432
ドラマだけ楽しむわ
知らなくていいこともあるなあ >>413
ガイドブックのあらすじが来週分まで
ノベライズはどこまでか知らないけど、
あと、録画設定の確認してるとうっすらネタバレ見えちゃう
完全に避けるの難度高い >>422
秋風先生のキャラだけは歴代朝ドラでも高く評価してる >>432
知ってても何ら変わらんけど
感化されやすい女だな >>449
そうか?
この後助手の女と不倫して離婚しますって分かってて
しかもその助手は1月上旬から出演すんだよ >>451
でも唯の助だからな
そっちになびくっちうねん >>431
そうなんよね
すごい自然に聞こえる
シンガーソングライターやってたみたいやから音感に強いのかな >>452
黒島結菜がそんな視聴者のヘイトを集めるような役をやるかなあ?というのはあるので、
そこは史実と変えてくる可能性がないわけでもないとは思う >>456
若君様の伊藤健太郎も出演するんだけど、こっちは喜美子の息子役だから共演シーンはなさそうで残念だ >>457
若君も好き 楽しみだな〜
ってきみこの息子ってw 黒島結菜はSPECサーガみたいな小悪魔系の役なのかな 最近この二人しか画面に映ってない気がする(´・ω・`) >>472
フカ先生絡みでも印象最悪だし視聴者に好かれないようにしてるのかも >>473
今週の半分以上は、商品開発室での2人の会話な気がする(´・ω・`) これが喜美ちゃんの夫になるの嫌だな
なんか気持ち悪い >>474
乙羽編なら田中好子と美佐子いれてるから
2人いなくなってからが悲惨だけど 恋愛過程の描写は必要だよ
いつおたがい好きになったか視聴者がわからんまま
プロポーズになると混乱する >>478
開発室で愛を深める二人 のナレーション一行で済ましてもいい週かな(´・ω・`) >>483
この部屋で会話してるだけやん…(´・ω・`) なつぞらとか半青みたいなのなら、突っ込みどころいっぱいでスレにも少しは人くるのに(´・ω・`) キミコって、近くにいて雑談してたら楽しいイケメンなら、すぐ好きになっちゃうんだな(´・ω・`) >>505
木元みたいなレベルではないじゃない(´・ω・`) >>510
年齢は若いけど木本レベルじゃないか
雰囲気は八郎がスカしててナイーブな感じだけど こんなに今週ロングバージョンばっかりって、本編が薄いっちゅうことやないか?(´・ω・`) >>515
4/5はいちゃいちゃしてるだけだったし >>513
えええー(´・ω・`)
さすがにそれは…w 2人が好きになるエピソードに、雑談だけでなくなんか事件みたいの絡めてたら見られたのに(´・ω・`) なんかもっと普通にイケメン使ったらよかったのに(´・ω・`) まだ1/3ほどしか進んでないんだな
この先どうすんだ お見合い大作戦のシーンあると思ってたんだが(´・ω・`) HKの朝ドラ「スカーレット」の川原喜美子(戸田恵梨香)のモデルとなる陶芸
家・神山清子の立志伝です。
神山清子の画像神山清子(こうやま・きよこ/本名は金場清子)は、昭和11年
(1936年)8月2日に長崎県佐世保市で、金場繁の長女として生まれた。「神山」
というのは夫の姓で、旧姓は金場である。
父・金場繁は香川県の出身で、炭鉱で働いていた。父・金場繁は情に厚い人だっ
たが、酒と博打が好きで、神山清子と母・金場トミは借金のカタに取られて、店
に売り飛ばされそうになったこともあった。
母親の金場トミは、良家のお嬢様で、何もせず、家事や家計は神山清子がやって
いた。
さて、この頃は日韓併合中で、日本の炭鉱で大勢の朝鮮人が働いており、「金
場」という名字が朝鮮人の名乗る名前に似ていたせいか、神山清子は学校で「朝
鮮人」と言われて虐められていた。
あるとき、厳しい労働に耐えられなくなった朝鮮人たちが炭鉱を脱走した。
そのとき、父親は朝鮮人の脱走を手助けしたため、父親は警察に追われ、一家を
連れて炭鉱町を逃げ出した。
その後、神山清子らは、行く先々で朝鮮人に匿われながら逃走し、戦争末期の昭
和19年(1944年)9月に滋賀県の日野へとたどり着いた。
神山清子は、母・金場トミが作る服が朝鮮服(チマチョゴリ)に似ていたため、
滋賀県でも「朝鮮人」と言われて虐められ、泣いて帰ったが、母・金場トミから
理由を聞かれても、服が原因で虐められたとは言えず、何も答えなかった。
しかし。神山清子は、子供の頃から負けん気が強く、「朝鮮人」と言われて虐め
られても、泣き寝入りはせず、相手の親のところに行って文句を言ったり、校長
室に駆け込んで、対策を訴えたりしていた。
やがて、日野町で終戦を迎えると、昭和22年(1947年)2月に滋賀県甲賀郡雲井
村字勅旨(滋賀県信楽町勅旨)へと移った。神山清子が小学3年生の時だった。 >>538
もう少し知られた俳優だとよかったかもね 戦時中に金属が不足していた関係で、陶器が金属の代用品となり、信楽では火鉢
が飛ぶように売れ、「火鉢景気」に沸いていた。
父親は有り金をはたいて信楽で山を買い、亜炭の採掘を始めたが、亜炭の採掘は
上手くいかず、木を切って薪にして、陶芸家に売るようになった。
進路
さて、佐世保時代から虐められていた神山清子は、1人で地面に絵を描いて遊ん
でおり、絵を描くことが好きになっていたので、将来は絵描きになりたいと考え
ていた。
その次に成りたいと思ったのは婦人警官だったので、派出所のおまわりさんから
柔道を習った。そのおかげで丈夫な体を手に入れた。長距離走が得意で、滋賀県
ではちょっとしたものだった。
その一方で、虐められていた神山清子は、みんなに認めて貰うため、勉強を頑
張っており、いつもテストは100点で成績は1番だった。先生からの信頼も厚く、
毎年、学級長にも選ばれていた。
神山清子は中学1年生の秋に稲穂のスケッチした絵が、美術教師に認められ、月
に1度、美術教師から絵を習うようになり、滋賀県の絵画コンクールで金賞を
取った。
すると、美術教師は神山清子に美術大学への進学を勧め、高校の学費は信楽町が
出してくれることになった。
しかし、封建的な父・金場繁は「女は裁縫と料理が出来ないとダメだ。勉強など
必要ない」と言い、神山清子は信楽中学を卒業すると、和裁・洋裁学校へ入れら
るのだった。
弟子入り
神山清子は独立したいという気持ちを持っていたが、ひとまず父親の言うことを
聞いて和裁・洋裁学校へと入った。
朝5時に起きて花を病院へ持って行き、花を売りって学費を稼ぎながら、和裁・
洋裁学校へと通った。
このころ、神山清子は、京都へ行って本格的な絵の勉強をしたいと思っていた
が、家庭の経済事情で京都へ行くことはできないため、絵の勉強をしながら、信
楽で絵の師匠を探していた。
地元の信楽で絵の仕事と言えば、信楽焼の絵付けしの仕事があったので、信楽で
一番良い絵付け師を探して、京都から来た日本画家の絵付け師(吉竹栄二郎?)
に、弟子にして欲しいと頼んだ。 >>549
うん、誰やねんこの脇役って感情移入出来ん(´・ω・`) 絵付け師は「女の弟子は取らない」と言って拒否したが、神山清子は諦めずに朝
6時に起きて絵付け師の職場に押しかけた。
10日ほどすると、絵付け師は話を聞いてくれたが、やはり、弟子にはしてくれな
かった。
絵付け師の娘が弟子と男女の問題を起こして失敗していたので、女の弟子は取ら
ない主義なのだという。
その代わり、熱意を認めてくれ、北村という絵付け師を紹介してくれた。
こうして、神山清子は北村の弟子になれたが、子供の面倒や雑用ばかり、絵付け
の仕事など教えてくれなかった。
しかし、神山清子は雑用の合間に、見よう見まねで絵付けの仕事を覚えていき、
やがて、下書きから上絵まで任されるようになった。神山清子は嬉しかったが、
北村は怒ると直ぐに物を投げつけるため、嫌になって1年で辞めた。
近江化学陶器に就職
昭和29年(1954年)、神山清子は18歳の時に日本画家の絵付け師(吉竹栄二
郎?)の紹介で、陶器製造会社「近江化学陶器」に就職した。
神山清子はデザイン部に配属され、吉竹栄二郎に絵付けを学び、日根野作三から
クラフトデザインを学んだ。
弟子ではなく、正社員だったので、給料は出たが、「お前なんかは教えてやって
いるんだから、本当なら授業料もってこなきゃいかん、それなのに出しているん
だから」と言われる程で、給料は少なかった。
神山清子は仕事が始まる2時間前に職場に行って売り物にならない火鉢で絵付け
の練習をして、昼休みは自宅に戻って家事をし、仕事が終わると、自宅に戻って
新聞紙で筆運の練習をした。 しかも、給料が安かったので、夜の12時や1時までアルバイトをしたが、父親は
「ただめし食わせて大きくさせてやったんだから、その分返すのが親に対する務
めだ」と言い、神山清子の給料を全て取っていた。
神山清子は「この頃は娘十八番茶も出花という頃でしたが、お化粧などしたこと
がありません。現代の子供には、こんな話とうてい理解できないでしょう」と苦
労を語る。
神山清子の結婚
神山清子が「近江化学陶器」に入って1年が過ぎ、デザイン部が拡大され、神山
清子は主任的な立場になった。正式な役職ではないが、近江化学陶器では女性初
で、ようやく給料も人並みになった。
このとき、型押し部に居た神山易久がデザイン部へと移ってきた。神山易久は、
中学時代の1年先輩だった。
神山易久は中学時代の美術コンクールで、いつも2位で、1位が神山清子だった。
このため、神山易久はライバル視していたが、神山清子は自分の絵に必死で神山
易久のことを知らなかったという。
さて、神山易久が神山清子のデザイン画を褒めたので、神山清子は神山易久に好
意を持つようになった。若い2人が恋に落ちるのには、それほど時間はかからな
かった。
しかし、父親が結婚に反対した。父親は苦労して土地を手にしていたので、結婚
するなら養子が欲しかったし、神山家の金銭的な事情も気に入らなかったようで
ある。
神山易久は養子に入る事を承諾したが、神山清子が養子に反対し、最終的に神山
清子が神山易久の籍に入り、2人は金場家で同居するということで、結婚した。
神山清子が21歳のことだった。
結婚しても仕事を続けたが、それでも生活が苦しいので、和服や反物を売りなが
ら生活をしていた。
やがて、神山清子は、長女・神山久美子と長男・神山賢一
<http://nobunaga-oda.com/kouyama-keniti/>を儲けたが、仕事を辞めることは
出来ず、子供を負ぶって出勤し、工場にむしろをしいて子供を寝かせ、仕事に励
んだ。
それでも、1度も休んだことがなく、度々皆勤賞をもらい、残業代を目当てに、
遅くまで仕事をさせてもらったので、「働き者の清ちゃん」と呼ばれていた。 陶芸家への道
神山清子が「近江化学陶器」に就職してから10年が過ぎたころ、家電の発達によ
り、電気式の暖房器具が普及してくると、火鉢の需要が激減し、「近江化学陶
器」は経営が傾き始めた。
このころ、「近江化学陶器」では、火鉢からタイル製品や植木鉢に転換してお
り、絵付け師の需要も減っていた。
このため、神山清子はアッサリと会社を辞め、信楽焼の伝統的な狸や灯籠の型押
しの下請けを始めたが、初めは狸の置物を10個作っても、8個は潰れて前にお辞
儀してしまうという有様だった。
時間が経つと手慣れてきたが、下請けなので、大したお金にもならず、他に仕事
はないものかと考えるようになっていた。
そのようななか、台所で考え事をしていた神山清子は、「台所用品を一番知って
いるのは私たち女だ。信楽焼には食器は無いけれど、信楽の土で食器を焼けない
だろうか」と思った。女性ならではの発想だった。
そこで、皿を作って知り合いの窯で焼かせてもらうと、味のある皿が焼けた。
皿は毎日、料理を盛り付けるのに使うので、神山清子は日々研究して、次々に新
しい皿を焼いていたとき、子供たちが泥遊びをしているのを見て、「編み込み」
という手法を思いつき、「編み込み皿」を焼いた。
すると、知り合いから公募展に出品することを勧められたので、公募展に出品し
てみると、日本クラフト展や朝日陶芸展に入選して、神山清子は信楽の女流陶芸
家として一気に注目を集め、陶芸家として華々しいスタートを切ったのである。
神山清子は、絵の世界を目指していたが、陶芸の道に進むことには何の抵抗もな
かったという。
女流陶芸家
神山清子は自分の窯を持っておらず、酒やお金を持っていき、知り合いの電気釜
で焼かせてもらっていた。
しかし、作品がコンクールに入選したとき、審査員が窯を見たいというので、慌
てて15キロの小さな電気釜を30万円で購入することにした。
展覧会に出品した作品を1つ5万円で売って購入費用に充てようとしたが、全く売
れないので3万円まで値下げして10万円を用意し、残りは月賦にしてようやく、
電気釜を購入した。 この脚本家夏子の酒やビギナーやホタルノヒカリ書いた人なのか
この辺は面白くはないけど腹立つほどつまらなくもないのはやっぱ実力なのか 応援してくれる人も居たが、女性が窯に入ると「汚れる」と言われていたので、
女性で窯まで持つ人は居らず、「植木鉢を焼くような汚い土で食器を作っても売
れない」「女なのに生意気だ」という批判も起こった。
夫・神山易久が会社を辞める
夫・神山易久は、「近江化学陶器」に残っていたが、神山清子が辞めた8年後に
ライバル会社「日本陶飾」の社長に引き抜かれ、ライバル会社「日本陶飾」に
移った。
夫・神山易久は自分のデザインを持って「日本陶飾」に移ったので、「近江化学
陶器」の社長が激怒したという。
夫・神山易久は「日本陶飾」の社長から、重役の次にぐらいの待遇をだと言われ
ていたので、自由気ままに重役出勤をしていた。
しかし、社長以外は誰も夫・神山易久を偉いと思っていなかったので、人間関係
が上手くいかず、「日本陶飾」も4年ほどで辞めた。
そして、神山清子が堅実に仕事を増やしていたので、夫・神山易久も神山清子の
工房で食器を作るようになった。
食器類は値段が安いので、数をこなさなければならず、2人は懸命に働いた。
寸越窯(ずんごえがま)
やがて、神山清子は、電気釜ではなく、古代穴窯で信楽焼を作りたいと思うよう
になるが、穴窯を作る資金が無かった。
幸い、父親の山を買ってくれるという人があったので、父親が山を売り、資金と
して提供してくれた。
神山清子は、そのお金で、夫・神山易久と共に、レンガを重ねて土を被せた半地
上式の穴窯を作り、「寸越窯(ずんごえがま)」と名付けた。
この「寸越窯」が神山清子の運命を大きく変えることになる。 幸運
「寸越窯」が完成してしばらくすると、高山という陶芸家が、自分の作品を古式
穴窯で焼いて欲しいと頼んできたので、「寸越窯」で焼いてあげた。
すると、高山が、京都に信楽焼の好きな美術商が居ると言い、美術商のK氏を紹
介してくれたので、神山清子らは夫・神山易久の作品を持っていった。
すると、K氏が夫・神山易久の作品を気に入り、支援を約束して、芸術家がお金
の心配なんかしてはいけないと言い、無条件で大金を貸してくれた。売る方は引
き受けるので、どんどん焼けというのである。
K氏が無条件で次々にお金を貸してくれるので、夫・神山易久はK氏をいつでもお
金を引き出せる銀行と勘違いして、一躍スター気取りとなった。
夫婦で個展を開いて「おしどり展」などと呼ばれていたのだが・・・。
離婚
K氏から支援を受けるようになった頃から、夫・神山易久は弟子の女性と不倫関
係になった。
神山清子が弟子の女性に「陶器の勉強をやるのか、恋愛をやるのか。主人との関
係は知っているけど、いまさら何も言わない。陶芸をやるのなら、ここへ来てい
る間は恋愛関係をストップしなさい」と注意すると、弟子の女性は「陶芸をやり
ます」と答えた。
しかし、女性が夫・神山易久に言いつけたらしく、神山清子は夫・神山易久から
激しく叱責された。弟子の女性は甘えるように夫・神山易久に寄り添った。
そうした一方で、夫婦で展覧会に出品するが、入選するのはいつも神山清子の方
だった。
夫・神山易久は、神山清子が展覧会で入選する度に不機嫌になっていき、終いに
は、窯に縄を張って「生理のある女は入るな」と言い、神山清子を閉め出して、
窯への立ち入りを禁じた。 神山清子は、真冬に水をかけられたり、鉄の棒を振り回された事もあったという。
弟子は上手く立ち回り、神山清子だけが孤立し、妻の座も陶芸活動も奪われてし
まった。
神山清子は自分の作品を作るために、みんなが寝静まるのを待って、土置き場の
隅っこで隠れて展覧会に出品する作品を作った。
さて、夫・神山易久が交通事故に巻き込まれたことから、弟子との不倫が明るみ
になった。信楽町は小さい町だったので、直ぐに噂は広まった。
離婚問題で2年間、苦しみ抜いた神山清子は、ある冬の日、何時間も裸足で森を
さまよったが、死のうとした瞬間に足が動かなくなったという。
そんな神山清子を救ったのが、長男・神山賢一だった。
長男・神山賢一が「お母さん、お父さんのことは忘れて、良い仕事をして欲し
い」と言ってくれたので、離婚を決心し、夫・神山易久と離婚した。38歳のこと
である。
かみやま・せいし先生
神山清子は陶芸の師匠がいなかったが、離婚後は色々な陶芸家が尋ねてきて助言
をしてくれるようになった。中には、言い寄ってくる男もいた。
このころ、陶芸家は男性ばかりだったので、神山清子の事を男性だと思い、「か
みやま・せいし」と読み、「かみやま・せいし先生は居られますか」と尋ねてきた。
応対に出た神山清子は、「かみやま・せいし先生」の弟子と間違われたので、気
まずくなって適当に誤魔化して帰ってもらった。
その人は何度、会いに来ても「かみやま・せいし先生」が会ってくれないため、
終いに怒りだしてしまった。
そこで、神山清子が仕方なく、「かみやま・せいし」ではなく、「こうやま・き
よこ」と読むことを教え、自分が「こうやま・きよこ」だと明かすと、その人は
絶句した。 >>573
うん、ゲゲゲのアシスタント5号くらいが似合いそう(´・ω・`) 信楽自然釉(しがらきしぜんゆう)
神山清子が夫と離婚して間もなく、長男・神山賢一が古い寸越窯跡で陶器の破片
を見つけた。
それは、釉薬(うわぐすり)などを使わない古代の自然釉(しぜんゆう)で、な
んとも綺麗な色をしていた。
すると、神山清子は、自然釉(しぜんゆう)に魅入られ、自然釉の研究に没頭した。
離婚の後でお金が無く、弟子から借金をして、子供のお年玉を使い込み、パンの
耳を食べ、農家にキャベツをもらいに行き、全てを自然釉につぎ込んだ。
しかし、失敗の連続で、まったく色が出なかった。
そこで、今度、色が出なかったら、しばらく休業して出稼ぎに出ようと思い、最
後は全財産をはたいて薪を買い、通常なら3日から6日間のところを、ヤケクソで
16日間も炊き続けた。
すると、16日間も炊き続けたことが功を奏し、釉薬(うわぐすり)を使わずに色
を出すことに成功した。土の中の石が溶け出して、焼き物にかかった灰と反応
し、宝石のような色に変化したのだ。
こうして、神山清子は自然釉(しぜんゆう)による古代の信楽焼きの再現に成功
し、「信楽自然釉」と名付けた。
そして、古代の信楽焼きを再現したことがNHKなどで取り上げられ、神山清子の
名前は全国へと広まっていくのだった。
神山清子の壺
神山清子と韓国
神山清子は44歳の時に、韓国の窯場から陶芸の指導して欲しいという依頼を受けた。
神山清子は、韓国の陶芸に憧れており、韓国の土や職人の仕事を見たいと思って
いた。
また、戦時中に父親が警察に追われて逃げ出したとき、行く先々で朝鮮人に匿っ
てもらっていたので、韓国人(朝鮮人)を尊敬しており、韓国人への恩返しとし
て、陶芸の指導を引き受けた。
神山清子は、韓国で半月ほど滞在して窯場で陶芸を教え、韓国人と交流を深め
て、帰国後も韓国人との文通を始め、次回の交流を楽しみにしていたのだが、朴
大統領暗殺事件などの影響もあり、文通も途絶えてしまった。 >>553
新しいたまり場となる喫茶店を作ります(´・ω・`) 白血病を発症
神山清子の長男・神山賢一は、小さい頃から信楽焼を手伝っていたこともあり、
自然と信楽焼の道を目指し、信楽工業高校(信楽高校)の窯業科を卒業して、滋
賀県立信楽窯業試験場でロクロや釉薬などを学んだ。
そして、長男・神山賢一は滋賀県立信楽窯業試験場で3年の修行を経て、神山清
子の元に戻り、天目茶碗の制作に励み、陶芸家として歩み始めた。
平成2年(1990年)2月16日、長男・神山賢一は29歳の誕生日を迎えたが、その4
日後の2月20日に作品を作っている最終に倒れ、病院に運ばれた。
そして、検査の結果、長男・神山賢一は慢性骨髄性白血病と診断された。神山清
子が54歳のことである。
2日後、長男・神山賢一は大津市の赤十字病院に転院し、神山清子は改めて、医
師から、白血病は血液のガンだと教えられた。
赤血球の形(HLA)が合ったドナーから骨髄を移植するしか治療方法は無く、ド
ナーが見つからなければ、長男・神山賢一は死ぬと言い、2年半の余命宣告を受
けた。
神山清子は医師からの説明を聞いて激しく動揺するが、長男・神山賢一は、自分
が白血病だと気づいていたのだった。
神山賢一君を救う会
兄弟間でHLAが適合する確率は約25%と言われるが、長男・神山賢一と長女・神山
久美子のHLAは適合しなかった。
このとき、公的な骨髄バンクは存在しておらず、民間の「東海骨髄バンク」が存
在するのみだったが、ドナー数も少なく、時間もかかった。
そこで、長男・神山賢一の知人らが平成2年(1990年)7月に「神山賢一君を救う
会」を設立し、ドナー探しと募金活動を開始した。
さらに、市民団体などの協力により、「神山賢一君支援団体連絡協議会」が発足
した。
そのようななか、神山賢一の名前を公表したことにより、「私たちも救って欲し
い」「募金を使う権利は私たちにもある」として、全国の白血病患者からHALの
データが送られてきた。 そこで、長男・神山賢一は、他の白血病患者も救うことに決め、活動の範囲を拡
大し、骨髄バンク運動を開始する。
神山清子と神山賢一は、親子展を開いて骨髄バンクの必要性を訴え、ドナー提供
を呼びかけ、4ヶ月で約3000人のドナー希望者が集まった。
しかし、非血縁者でHLAが適合する確率は数万分の1とも言われており、長男・神
山賢一の適合者は見つからなかった。
血液検査の費用は1人につき1万3500円。現在は血液検査の費用は国が負担してく
れるが、当時は保険も適用されず、全額が個人負担だったため、「神山賢一君を
救う会」は総額7000万円という借金を抱えて解散した。
神山清子は、全国各地の白血病患者に借金返済を強力して欲しかったが、自分で
借金を被ることにして、「神山賢一君を救う会」の解散後も、作品を売りながら
借金を返済し続けた。
その一方で、骨髄バンク設立を期待する声は大きくなっており、神山賢一は、全
国各地の白血病患者を「救う会」の拠点となる「骨髄バンクと患者を結ぶ会」を
設立し、会長に就任して、骨髄バンク設立運動を本格的に開始するのだった。
急性白血病に転化
神山賢一は骨髄バンク運動を続ける一方で、陶芸にも励み、「滋賀県立陶芸の
森」で開催された「世界陶芸祭」に天目茶碗、神山清は壺を出展した。
神山賢一は世界の陶芸を間近で見られる事を楽しみにしていたが、信楽高原鉄道
が脱線事故を起こして大騒ぎになったため、翌日、世界陶芸祭は途中で中止と
なった。
さらに、それから数日後に、神山賢一と交流していた白血病患者と母親が、無理
心中するという悲劇が起きた。
その後、神山賢一は急性白血病へ転化したため、赤十字病院に再入院。民間の
「東海骨髄バンク」でも適合者が見つからなかったため、叔母・静子の骨髄を移
植することになった。
このころ、神山清子は牛尼瑞香を弟子を取り、牛尼瑞香の協力を得て、陶芸を続
けなら病院に通う一方で、骨髄バンクの必要性を訴える活動を続けた。 長男・神山賢一の死
神山清子の妹・静子は二座不一致でHLAが完全に一致はしなかったが、完全に一
致していなくても骨髄移植すれば、白血病が治るケースがあった。
そこで、神山清子が妹・静子に相談すると、妹・静子が協力を約束してくれたの
で、長男・神山賢一は名古屋の赤十字病院へ移って骨髄移植を受け、容体は回復
に向かった。
さらに、その年(1991年)の12月に、骨髄バンク運動が実を結び、念願の「骨髄
移植推進財団(骨髄バンク)」が設立された。
しかし、平成4年(1992年)2月に長男・神山賢一は白血病が再発してしまう。
そこで、神山清子は献体登録すると言い、長男・神山賢一にも献体登録を勧め、
2人で献体登録をした。
医学に貢献したいという気持ちもあったが、献体すれば、遺体は死後2年間はそ
のままの状態で安置されるので、病院へ行けば、いつでも長男・神山賢一に会え
ると言う理由が大きかった。
さて、神山清子は、神山賢一の生き様を信楽自然釉で残しておこうと思い、入院
前に神山賢一が作った壺を信楽自然釉で焼き、病院へ持って行った。
既に神山賢一は信楽自然釉の壺を見て嬉しそうだったが、もう壺を持つ力もなく
なっており、目から出血していたので、血の涙を流しているように見えた。
ある日、長男・神山賢一が国宝級の「天目茶碗」が展示されている徳川美術館に
行ってみたいと言うので、神山清子は長男・神山賢一を車椅子に乗せて、徳川美
術館へ連れて行ったが、休館日だったため、入る事が出来ず、名古屋城を観に
行った。
その後、神山賢一は衰退していき、神山清子の子守歌を聴きながら、平成4年
(1992年)4月21日に死去した。神山賢一は31歳、神山清子は56歳だった。
長男・神山賢一は献体登録していたので、死後、献体に出された。
さて、長男・神山賢一は生前に「僕で終わっていい。あとは自分の仕事をして」
と言っていた。
しかし、神山清子は白血病患者から電話を受けたり、関係者が尋ねてきたりする
ので、平成6年(1994年)に「滋賀骨髄献血の和を広げる会」が発足すると、会
長に就任し、陶芸の制作活動を行いながら、骨髄バンクの普及のために活動を続
けた。 >>584
そもそもこの二人が結婚するのか知らんけどw >>575
じゃあマコプロで制作しよう(´・ω・`) とんねるずのANNの電報対決は下ネタだらけで
オペレーターに文面を伝えたら爆笑されたことを思い出した。 こういうかまってちゃんLIFE送ってくるやついる(´・ω・`) >>612
因みに電報代は両親持ちだった。
明細の見方をよくわからんので文句言われたことない。 草間さん仕事してないの?ヒマなの?実況民なの?(´・ω・`) ごちの倉田さん
なつぞらのノブ
スカーレット草間さん 蒲田と言えば、時期的に医者になりたい女の子がいるな…(´・ω・`) 喜美子は草間さんにお礼をちゃんと伝えるけど奥原なつは・・・。 >>633
上から、財布、パシり、草間さんはなんだろう >>635
私もこれ終わったらこころ旅のジジイ実況だしなぁ(´・ω・`) >>636
マツのヘソクリから少しずついただいてました…(´・ω・`) >>648
なってんのか(´・ω・`)
梅子、終戦のときに大人だったもんな >>645
なつはよくハァ?( ゚Д゚)を連呼してたね。
不快だから「お前は少林寺か!」ってTVに突っ込んだわ! >>648
開業して銀粉蝶さんにシボラれてる頃かな なんかはよ話進めろよってずーっと思ってる
テンポ悪いんかね >>657
なつ様は、他人が自分のために何かするのを当然のことと思ってたな(´・ω・`) 朝ドラヒロイン“モデル”陶芸家・神山清子さんの壮絶半生
「ここに展示してるんは、ぜ?んぶ穴窯で焼いたもの。でも、同じ土、窯で焼い
てても、それぞれたき方が違うから……、ほら、見て。色も光沢もみな、全然違う
やろ」
記者に向かって解説を続けるうちに、口調はどんどん熱を帯びていった。粛然と
した会場に、まくし立てるように話す神山清子さん(83)の関西弁が、響き渡っ
ていたーー。
8月末。滋賀県草津市の「草津クレアホール」では陶芸家の神山清子さんと長
男・賢一さんによる親子展が開催されていた。
御年83歳の神山さんは、女性陶芸家の草分け。日本六古窯に数えられる“焼き物
の郷”信楽で本格的に作陶を始めたのは、もう半世紀以上も前のことだ。自宅に
「穴窯」と呼ばれる半地上式の窯を築き、釉薬を使うことなく光沢ある陶器を焼
き上げる古の製法『信楽自然釉』を復活させた。
現在放送中のNHK連続テレビ小説『スカーレット』も、信楽を舞台に、男性中心
の焼き物の世界で、女性陶芸家が自らの道を切り開いていく物語。戸田恵梨香演
じる主人公・川原喜美子の人物像、そのヒントになったといわれているのが、神
山さんだ。 神山さんは’36年、長崎県佐世保市に生まれた。3人きょうだいの長姉だった。小
学校に通うようになってすぐ、大きな転機が訪れた。
「父親は炭鉱の現場監督やった。一方では、あの時代に戦争反対っていう人。
常々、一緒に働いてた朝鮮の人たちをかばってた。しまいには重労働に耐えかね
て脱走を図った朝鮮の人を助けようとして、警察に目をつけられてしまって。父
は、私らを連れて逃げ出した」
同胞をかばってくれた恩人を、朝鮮の人たちは大切に扱った。逃亡先の村々で、
彼らに助けられながら、神山さんたち家族は、遠く滋賀県にまでたどり着いた。
それは終戦の前年、’44年9月だった。
「最初は県内の日野、次いで信楽に住むようになったんやけど。どこでも朝鮮の
人たちにはようしてもらった。私らが生き延びてこられたんは、あの人らがご飯
に呼んでくれて、布団やら何やら、みんなそろえてくれたおかげや」
幼いころから絵を描くのが好きだった。そして、信楽には焼き物に絵を描く「絵
付け」という仕事があった。神山さんは中学卒業後、ある絵付け師のもとで、基
礎を学び、’54年、陶器製造会社に「絵付け工」として就職した。
「当時の焼き物業界は、完全な男社会。絵付け工にも女なんていてへん。就職は
したものの、はなから『あかん、できるわけない』と決めつけられ、いじめられ
もした」
1年ほどが過ぎ、社内でもやっと腕前が正当に評価されるようになったころ、絵
を褒めてくれる男性が現れた。1つ上の先輩だった。2人は交際を始め、やがて結
婚。神山さん21歳のときだ。ほどなく1男1女の子宝にも恵まれる。貧乏暇なしの
暮らしぶり、それでも十分幸せだった。 神山さんが就職した当時、信楽の陶器産業は隆盛を極めていた。戦争で鉄や金物
が不足した影響もあって、陶器はさまざまな場面で重宝された。とくに暖房器具
の火鉢は飛ぶように売れ、最盛期、信楽は全国シェア8割を占めた。
「ところがや、石油ストーブや、家電製品が普及し始めると、火鉢の売れ行きは
急にストップや」
火鉢の絵付けが主な仕事だった神山さんは、およそ10年勤めた会社をあっさりと
辞めた。そして、次に自分が何をすべきか、必死になって考えた。いま、信楽焼
にないものは何かを。
「食器やと思った。焼き物の町なのに皆、九谷焼の食器を使ったりしてた。それ
であるとき、子どもが泥だんご作って遊んでるのを見てて『これや!』と思いつ
いてん」
土のだんごをいくつも並べるようにして、大皿に仕立てた。できあがったのは素
朴な味わいの「小紋様皿」。陶芸家・神山清子のオリジナル作品、第1号だ。
その後も神山さんは、子どもの泥遊びのように、心の赴くまま、手の動くまま、
従前の信楽焼の枠におさまることのないユニークな作品を生み続けた。知人に勧
められ、公募展に出品すると、思いがけず入選を果たす。当時、まだ珍しかった
女性陶芸家として、彼女の名は全国に知れ渡った。仕事ぶりを見てみたいと、た
くさんの人が訪ねてくるようにもなった。神山さん、ちょうど30歳。 あの人形に、ジョージの髪の毛を入れるとな、人形の腕をもいだらジョージの腕がケガしたりするんや…(´・ω・`) これもしブサイクで好きでもない子だったらとんでもなく迷惑な話だな 華々しく陶芸家の道を歩み始めた神山さんを、疎ましい思いで眺めている人たち
もいた。
「“女性が窯に入ると汚れる”って、よく言われててん。火に近づくことさえ、許
されへんって。信楽で自分の窯を持った女性はそれまでいてへんと思う。だから
私のこと、女のくせに生意気や、そう思ってた人も少なくないでしょ」
男たちの“アレルギー反応”をよそに、神山さんは陶芸家として大きな夢を抱いて
いた。それは、効率重視の「登り窯」ではなく、古代の陶工のように、山の斜面
をくりぬいた「穴窯」で、本物の信楽を作ってみたいーー。
神山さんは自宅の庭に、夫とともにレンガを重ね、その上に土をかぶせた半地上
式の穴窯を築いた。
夢に向かって邁進するが、夫とはすれ違いの日々が増えていく。少し前に会社を
辞め、陶芸家として独り立ちした夫は、芸の肥やしとばかりに、女遊びにうつつ
を抜かすようになった。
「急にな、旦那が穴窯の周りに結界みたいな縄を張って、『生理のある女は入る
な』やて。ほんで、私が展覧会に出そう思うて作ってたもの、みんな外に放り出
されてた」
真冬にバケツで冷水を頭からかけられたことや、鉄の棒を振り回し「殺す!」と
脅されたことも。思うに、夫に巣食っていたのは嫉妬心だったのかもしれない。
間もなく2人は離婚。神山さんは38歳になっていた。 「結婚は失敗に終わってしまったけど、私にはまだ穴窯がある、そう思って、改
めて焼き物に向き合うことにした」
ある日、長男・賢一さんが古代の窯跡で陶器の破片を拾ってきた。美しい深い緑
色の光沢を放つそのかけらに、釉薬は使われていなかった。
「これこそが、私が作りたかった本物の信楽焼、自然釉やーー」
確信した神山さんは、自然釉の研究に没頭。離婚後でお金がなくて弟子からお金
を借り、子どものお年玉を使い込み、パンの耳を食べ、すべてを研究と実験につ
ぎ込んだ。しかし、失敗続きで、何度焼いても、思うような色は出ない。
「次、あかんかったら、しばらく休業して出稼ぎに行くしかない」
残った全財産をはたいて薪を買い、通常なら3?4日のところを、16日間もたき続
けた。やけっぱちな気持ちもあった。一方で、重ねた失敗から、一定の温度で長
期間、たき続けることが必要なのでは、そんな仮説を立ててもいた。
そして迎えた窯出しの日。神山さんが目を凝らして見ると、窯の奥にキラッと光
るものが見えた。
「花入れに水差し、つぼ、どれもが緋色の肌に、深い光沢のある彩りが重なり宝
石のように輝いてた。やっと思い描いた色、古代の信楽の色が出せた、そう思った」
こうして神山さんは、誰もが認める陶芸家になったーー。
朝ドラの放送開始目前ということもあってか、展覧会には多くのファンや来場者
が詰めかけていた。
「信楽の焼き物の代表的な色はこの緋色、炎の色や。ほんでな、この光沢のと
こ、この色を出すんが、なかなか難しいねん。この色、見て。この四角いの、何
色に見える? そう、光ってるやろ。それも、ただ光ってるだけ違うでしょ。い
ろんな色に見えるでしょ」
スカーレット=緋色、炎の色。神山さんの魂の炎で、陶器は焼き上がるのだ。 丸熊の社員みんなで「キミコと八郎あっちっちー」って囃し立てるように(´・ω・`) 「夢は、本当に焼き物が好きな人に私の技を芯から教えてあげたい。あとは……そ
うやね、静かに、ゆっくりしたいわ」 >>671
なつぞらのよっちゃんとか(´・ω・`) 女を女としか見れない男は側に他の女いたらそれも女と見るわけで >>672
見事なパイスラが…あれ?(´・ω・`) >>684
わしもや・・・どないせいっちゅうねん(´・ω・`) 抱いてない人を気軽に名前では呼べません
ほなしたらええやん >>683
番長ならそんなん言われた途端に好きになってそうだけどねw 喜美子は肉食系の資質はあるけど無知なので活かされてないな。
これが中卒で女中やら男社会に放り込まれた故の性なのだろう。 >>704
あいつ、身近な女なら誰でもいいやつやったやん(´・ω・`)w この男は、なんかハッキリしないなぁ(´・ω・`)
言ったことに答えろや 一輝親父とか言いたいことが遠回しすぎてなんだかわからんというのはこのドラマのデフォなのか きみこは距離感ちょっと変だな
恋愛したことないとこんなもんか >>722
セリフは覚えてるけど水口が何でそれ言ったか、全然覚えてない(´・ω・`)w >>727
大阪でもう恋なんてしない、って思いながらおはぎ食べてたやん >>736
なんかこの男相手のシーンだけ子供っぽいな >>728
序盤の毒親ぶりの酷さにトラウマ組が脱落して信楽戻ってきてからまた脱落ってレス見たし、これでさらに増えてそう >>739
ナレで細かいこと説明入れてくれないから、ながら観に向いてない気がする(´・ω・`) >>736
その時も自分ではよくわかってなかったし完全に片思いで速攻終わったじゃん >>754
それはあるな
見てると演技から読み取れるが音声だけではわからない >>752
自分のいないところで自分の話してんだろうなって警戒する…(´・ω・`) コロンビアに潜入した特殊部隊を回収しに行くエピソードくらい追加して欲しい(´・ω・`) >>750
その時だけ毎朝そこそこ楽しみに見てた
最近は見逃してもあまり気にならくて何となく見てる >>767
大久保さんとチヤ子さんの再登場に期待して見てる >>760
そう、画面観てないとわからないシーンがある(´・ω・`)
家事や出勤の支度がてらに観るのに、ちょっと向いてない 黙って家帰って来て堂々と2階上がるなんて寅さんみたい 草間が嫁に逢いに行った時がピークだったな(´・ω・`) ひよっこの青天目たんたちは、歯を食いしばって頑張ってたぞ、直子め(´・ω・`) 直子は親父を毛嫌いしてる反面将来親父みたいな親になりはしないか心配 >>771
親父のひねくれセリフなんてその最たるもの 呑んでないで、ちゃんと寝て仕事しろ親父(´・ω・`) >>762
そういう集団ってやたらつるむんだよ。
何か話しだすとさーっと集まる。
会議じゃなくて口コミで仕事してるから、全くはかどらない。嫌になって辞めた あかまつの主人「これが琵琶湖に沈めたるって言ってた人か」 >>734
アキが上京&GMTに加入して間もない頃に潜水士辞めて寿司屋で働いてる
ズブン先輩と付き合っているのがミズタクにバレて問い詰めた時の台詞だよ。
「一般人のくせに何やってんの?ルパ〜ン三〜世♪いっぱ〜ん男〜性♪」 >>788
人に話されたくないから、噂好きには自分の話はしないようにしてるわ(´・ω・`) 妊婦さん見ると、ああこの人も生中出汁しとのかって思うよな 上二人のほうが顔は可愛いけど男ウケは百合子が良さそうだな ♪ 彡⌒ ミ ♪
(´・ω・彡⌒ ミ
彡⌒ ミつ(´・ω・`) ))
(( (´・ω・`) ( つ )
( つ ヽ とノ
〉 とノ )^(_) ♪
(__ノ⌒(_) ローリングうんちの最初の三人は三姉妹や
大きくなった4人は誰なんや ♪
♪ ヽ ∧_∧ ⊂⊃ ♪
∧_,,∧ ⊂´⊃(´・ω・`) / , .| ♪ ∧_∧
(´・ω・`) | !⌒!!⌒!つ ,-=- (´・ω・`) ♪
(mYm_) ||,─、(⌒)─、 | | ┌( ┴--っ
<二ニニニ二ア ( ○ )( ○ )||.| | [|U≡(=m□ ♪
].[~UJ~].[ / `ー ´ `ー- /へ `(_)(_) >>810
水玉の作品たくさん作ってんのか(´・ω・`) もう中條セイコさんでいいのでセブンイレブン行ってクイニーアマン買ってきて欲しい(´・ω・`) かわええええええええええええええええええええええええ >>813
最後に赤くなって縮んで爆発するんだっけ 直子は東京で友達できないってことだよなこれ
信楽にわざわざ吐き出しに来るんだから ♪ 彡⌒ ミ ♪
(´・ω・彡⌒ ミ
彡⌒ ミつ(´・ω・`) ))
(( (´・ω・`) ( つ )
( つ ヽ とノ
〉 とノ )^(_) ♪
(__ノ⌒(_) 痴情のもつれと言うからには、妊娠させられたくらいのエピソードが聞けるのかな?(´・ω・`) 口開けたまま目玉だけ動かす今の芝居、ムロから盗んだなw このカーチャンも役に立ちそうないから、向こういっとき(´・ω・`) 牛田さんに出番はあるかな
直子パートでジャニが出てくるらしいけど たけしが昔やってた牛田モーミンのことかな?
あれは幸田シャーミンのパクリでミル姉さんみたいに牛のコスプレだったな。 彼女がいるのに映画に誘ってくるような男は苦労するぜ この時代に彼女って言ってたかな(´・ω・`)
恋人とかじゃ 副音声「ここってドコーって、ジェスチャーで指し会う喜美子と百合子」 >>813
あるある。太陽とか(通常の)炎を真っ赤、とかいう風潮はやめたほうがいいよな 喜美子の大阪と全く同じやなぁ・・・ここら辺は上手いわ(´・ω・`) >>881
寝起きの「おはよう」だけで落ちた女に言われたくないわいね >>881
友達のライブ中に男とキッスしてたヤツは向こういっとき(´・ω・`) >>884
真紅と濃緑は補色の関係にあるから境目がギラギラする このシーンだけ切り取るとお母ちゃん悪くないんだけどな 好きなら 好きと言えないこころに
人はいつも苦しむの〜 >>904
このドラマで始めて母親らしいことしたわな(´・ω・`) 上京したての頃、部屋探しの不動産屋に食事に誘われキスされました >>894
なるほど、ありがとう
唇の端とかかなーうーむ けど思春期の女の子かこの手の事で実家に電報送って心配されるとかないだろ 牛田さん本人に言われたの?ませたガキって(´・ω・`) >>910
どっかに吸収されて企画なくなったんかな… >>908
いちいち帰ってくる必要ないな…(´・ω・`) ジョージのこういうとこがあるから憎みきれないんだよな >>921
直子だから、で済む程度にはキャラ付けされてる >>920
あと、今週はキミコと八郎の会話しかないから、無理やりエピソード入れた感じ…(´・ω・`) スピンオフは草間の元嫁の食堂の苦労話やって欲しい(´・ω・`) 絵付け係の部屋も喜美子だけになったら外部の人も出入り自由になったな 何だかんだで人生の師匠に恵まれてる喜美子
草間さん、大久保さん、フカ師匠
これで家族も優しいとなつぞらになるけど、そこは糞親父がバランス取ってる >>928
ちや子みたいな存在が蒲田にいたら(´・ω・`)
素直じゃないからそういう人できなそうだけど >>937
というか草間さんの話があるからこのあとの展開につながるやろ 草間さんは本当に先生みたいな人だな
ルーキーズ思い出す >>948
それがいいあんなショボい男と結婚して欲しくない(´・ω・`) >>937
お見合いも結局やらんのかな
やっぱセット代が足りてなさそう大阪編の影響で 自分の心に正直に、と心から好きな人 の二つのセリフで
隣の十代田さんをガン見w >>943
朝ドラにぜったい一人はおる
なんかもう出てくると問題起こして話ぐちゃぐちゃに引っ掻き回すやつ >>935
きみこならあり得たかもと思うけど、なおこは「そんなん親になんか言えるか」って考えてそうな印象だったよ DV変質者やってたのにイメージ払拭してるね
役者としての根本ができてるんだろう >>949
真面目に観てなかった…(´・ω・`)w
確かにね >>959
お見合い大作戦っての、面白そうって思った俺の気持ち返して欲しい(´・ω・`)w >>965
そんな直子が親に頼るんだから
つまり東京での寮生活はうまく行ってないとわかる 会社内じゃとっくに噂立ってるだろうし、そろそろ両親の耳に入ってもよさそうだが このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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