■■■稲森いずみ(会津藩主の姉・照姫役
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■■■稲森いずみ(会津藩主の姉・照姫役)
大河では、以前は常盤御前役だった。
照姫は、民放では他の女優も演じている
稲森性は、三重県の伊賀に多いことから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲森いずみさんの先祖も、大昔までさかのぼれば、伊賀にまでさかのぼるかも?
いい役じゃないの
篤姫の時も大奥総取締役で所作は慣れてるだろうから
楽にできるだろう 照姫は美しいだけじゃなく和歌も堪能なんだよね。
で、城に籠城した女たちの精神的支柱でもある。
他の女性配役には「はぁ?」な部分もあるけど
稲森だけは本当に期待だ。 稲森さんは、時代劇では薄幸の女性を演じる事が多いね
●またも辞めたか亭主殿〜幕末の名奉行・小栗上野介〜(NHK) - 小栗道子 役
●義経(NHK) - 常盤 役
●河井継之助 駆け抜けた蒼龍(日本テレビ)すが 役
●忠臣蔵 瑤泉院の陰謀 (テレビ東京) - 主演・瑤泉院 役
稲森いずみさんの本名は、稲森いずみなんで、出身は鹿児島でも、
先祖は、三重県からだと思うよ。
戦国時代や江戸時代に、稲森姓の人間は薩摩にはいなかったと思うので・・・・
●稲守氏の発祥は、清和天皇の流れ、源有綱の流れ、
伊賀国の武将 上島茂覚の六男重信が独立した時、居住した土地名より付けられた姓である。稲守に住む故に『稲守』と称す。
稲守氏と名乗りしは、稲田が有り、稲の豊穣を祈る鎮守の森が在りし土地に重信は居住したので稲守と名乗ったのが始まりである。
その後、守が森に通じ用いられるようになった。
鎮守の森にちなんで稲森氏とも名乗り、使用された。これ稲守姓の開祖なり。
伊賀国に居住した稲守勘解由重信は稲田を領有した武将であった。
時勢、応仁の乱起こる、応仁元年(重信16歳の頃)足利将軍家、畠山家、斯波家などの守護大名の家督相続争いである。
>>7 9
会津をせめた主力の、出身なのに・・・・・ 【鈴木新吾】すずき-しんご
・照姫付会津藩士。城が破れたら照姫の自害を介錯せよ、という密命を帯びて姫の近侍を勤める。
9月14日の西軍総攻撃の際、雨の如く降り注ぐ砲弾と、自らの役目の重さから来るプレッシャーに耐えられず、遂に乱心。
刀を抜いて照姫に自害を迫ったところを取り押さえられた。
しかし、照姫は一言も新吾を責めなかったという。 3回以上大河に出た40代女優
床嶋佳子(八代将軍吉宗、葵徳川三代、義経)
沢口靖子(独眼竜政宗、太平記、秀吉、新選組!)
森口瑤子(太平記、八代将軍吉宗、葵徳川三代、利家とまつ、義経)
若村麻由美(春日局、信長、篤姫)
鈴木京香(翔ぶが如く、炎立つ、葵徳川三代、新選組!)
和久井映見(武蔵、功名が辻、平清盛)
鶴田真由(花の乱、徳川慶喜、篤姫)
稲森いずみ(義経、篤姫、八重の桜) >>10
福島県出身の西田敏行が、会津を攻めた薩摩藩士の役をやったこともあるから。 >>14
俺が好きな女優はみんな「篤姫」に出てる。 板垣退助も出るんだろうな。会津をコテンパンに打ちのめしたから。 どうせまた出演するなら
今度こそ 坂口憲二 とセットで 右肩の種痘に萌える〜♪
自分はその世代じゃないから無いけどな 稲森さんて、義経以降コンスタントに大河出演してるよね。
今回も楽しみ。
「義経」の時の常磐は、女として母として完成された美しさだった。 それに比べれば、今回の「清盛」の常磐は話しにならん。 稲森さん、今夜もオナニーしてもいいですか。 >>24
クレディット順は内田有紀がトップ、でも糊化目当てで見た人多い
原作は瞳が主役なので内容的には稲盛さんが中心 常盤はびっくりするくらい綺麗。
いまって前田敦子とか香里奈とか宮崎あおいとか武井咲とか美人女優って
言われるが、メイクでごまかした美人達を吹っ飛ばす
本物の美女だったな。
清盛に、面を上げよ、と言われて上げたお顔の何と
美しかった事か
。
稲森いずみには、クイズダービ−に出てほしかった。。 薄幸な美人も気丈な役も出来るからなぁ。
お市やガラシャもやって欲しいが、個人的には真田モノで小松姫とかやってほしい。 稲森の常盤ならそりゃ救済するよ。
あの美しい姿と、子供を思う気持ちを見たら権力者ならたまらんでしょう。
美女役というのは、問答無用で視聴者を納得させるだけのオーラが必要。
それに引き換え、清盛のシゲ子と常盤ときたら。
風林火山の由布姫のがっかり度ときたら、もう語るに尽くせないがっかり度。 稲盛いずみには、まんまミミ萩原として活躍して欲しかった。 >40
時代劇で綺麗に見えるってのは、顔のパーツだけじゃなく、所作、雰囲気とかが大きいから。
男優もそう。
山本耕史とか時代劇イケメンの典型。 来年って会津観光史学なんだっけ?うえ〜会公が視聴率上げに貢献しそうでキムチ悪いな。 稲森常盤のはかなげ美人ぶりときたら
同性からみても、自分が守るから!という気持ちになる >>45
あれじゃ渡清盛一目ぼれ当然 松坂時子からどんな抗議来ても
絶対に別れないという気になるよ
それに母としての凛とした強さ 18の武井じゃ絶対無理だろ
義経と同い年じゃ(^^;)十年後とかのほうが良かったんじゃないの 照姫は、登場人物の紹介写真では、綺麗なカンザシを、使ってるな 皮肉にも薩摩出身のお方か。
長州出身で会津サイド演じる方はいるのかな。。。 離縁した、照姫の元夫は、会津に出兵しているな
奥平 昌服(おくだいら まさもと)は、豊前中津藩の第8代藩主。
中津藩奥平家12代。
血筋は島津氏であったが(昌高は薩摩藩島津家出身)、奥平氏は譜代の名門であったことから、昌服は佐幕派として長州征伐にも参加している。
しかし慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が新政府軍に敗れると、新政府軍に味方することを表明して会津藩まで出兵した。
4ヵ月後の5月6日に病気を理由として、家督を養子の昌邁に譲って隠居した。
明治4年(1871年)に東京に移った。明治18年(1885年)4月20日に正四位に叙され、
その後も明治23年(1890年)6月18日に従三位、明治29年(1896年)6月20日に正三位に叙された。明治34年(1901年)2月27日に死去した。享年72。 常盤は大河史に残ると言っても差し支えない綺麗さだったが、瀧山はお化けだった
今回の役はその中間くらいかね >瀧山はお化けだった
幕末の江戸城内で4代の将軍に仕え権勢を誇った御年寄の滝山が
美女である必要は無いし、そんな記録も残っていないので美貌でなくてOK。
あの眉つぶしは貫録と雰囲気があって良かったと思う 常盤の幸薄なたたずまいの中にも『必ずや子供を守って見せる』って芯の強さ。
滝山として、江戸城本丸大奥を冷静に見ながらも徳川将軍家の為に沢山の部下の為に粉骨砕身する強さ。
今度の照姫も楽しみだ。 稲森もいい女優になったが、
先日の水野真紀が超絶に美しく格好よかったから、ちょっとキツイぞ。 いや、ジェームス好みの作中設定と展開だったのだろうけど
あの水野真紀の照姫は容保に対して色気過剰気味過ぎて、少しひいた。
水野の悪いクセの「もごもご喋り」も相変わらずで・・・
照姫というのは会津城内にはいった女性たちの拠り所でもあったのだから
も少し凛としていないと 背が高くてシュッとした美人なんで
照姫は期待大。この人の大河のオーラは異常。
常盤の目の保養もよかったが、今回は強く美しい才色兼備で
合ってるよね。
綾野容保と稲森照姫はさすがNHKのキャスティング。イメージそのまま。 やっぱり着物姿、美しいな。
画面で、そこだけ色鮮やかだった。 滝山役であの稲森がもうこんな役なのかと思っていたが、今回はまたきれいに
若返って、出戻りとはいえ才色兼備の姫様役。ご本人も嬉しかろう。 常磐御前を見て…
999のメーテルのコスプレ、やってくれねえかな。
風林火山の謙信の姉さんを見て…
ミスキャスト!!稲盛にしろよ!
今日の八重を見て…
これよ、これ! 照姫はなんで離婚されたんですか?
大名家に離婚なんてないと思っていた
戦国時代ならともかく、敵対とかないし、ウマズメでも側室とるから関係ないし >>64
「会津藩の女たち 武家社会を生きた十人の女性像」柴桂子著
を、読めばわかる。 >>64
弟のところで暮らしたくて夫に頼んで離縁してもらった。 義理の弟のことがスキスキスー?
「徳川慶喜」みたい。 故中村勘三郎演じた北越戦争を起こした河井継之助の妻の役も演じてい時も綺麗だったなあ はかなげな印象と言っても木村多江よりずっと気品があっていい >>64
江戸時代の大名の離婚率は12%。 女性側の再婚率は60% 弟のところで暮らしたいと自分から進んで離縁してもらった?
なんという我儘女よ。
普通なら出戻りというだけで白い目で見られる時代だろうに。 子供が出来なくて離縁されたのでは?
容保とはほとんど話したこともない、会ったこともない
ただの義理の親戚で興味もないかと。 側室制度がきちんとある時代だから子無しは理由にならないのでは。 大名家なんて、将軍家と同じで、別に気に入らなければ正室と同衾しなくても
(さらに言えば顔見なくても)構わないし、子が産めなくても側室に産ませればいいから
かまわんだろう
そもそも政略結婚だから、わざわざ離婚して事を荒立てるのは得策と思えないし
他にどういう大名家で離婚が起きたのかよく知らんから、史実として出戻ったのはそうだとして
なんとなくふに落ちないわ
気狂いとか病気もちとかならともかく、照姫はそういう感じに見えないし 大名の正室は生まれも育ちも嫁ぎ先も江戸だから出戻りが簡単だし
実家が裕福だから気軽に戻れた
見合いもデートもしない結婚だったから単に相手が気に入らないでの離婚も
多かったとか
さらに言えば江戸時代の庶民の離婚率も5%程度で現代アメリカより高い
明治以降離婚率は減少して第二次大戦前後が日本史上最低らしい やっぱ大河に稲森いずみは欠かせませんな〜。この方が出ただけでこの大河は
成功!! 義弟はゆくゆくは家付き娘の婿になるために養子に入ったんでそ?
その家付き娘は19で死んじゃって結局他家から後添えを貰う羽目に
なるけどね。
出戻りのねえちゃんの元旦那は途中で義弟の敵方にまわるわけだから、
人物のからみをどんな風に持って行くのか楽しみ。
どちらにせよ、第2話にして既に主要人物をさっさと出しているから
史実に割と忠実な脚本になりそうなのでほっとしてる。
歴史を無視した突拍子も無い筋だと途中で付いていけなくなるからね。 >>74
そもそも「離縁を求めた理由」を明確に記した史料なんて無いのだから、
研究者は周辺の史料から色々と推測するものだけどね、
マトモな研究者なら「実家に戻って家のために尽くしたい意向」と書くだろう。
>>75
「子ができなかったから離婚説」も弱い。
子を産まなかった正室なんて掃いて捨てるほど居るから。
側室の産んだ子を正嫡にして系図的に嫡母になれば済むことだ。
照姫が去った後の奥平家では側室が何人か子を産むけれどほとんど早世し
結局は養子を迎えることになるけどね。
>>78
>出戻りは簡単だし
もともと幕府へ届け出を出して婚姻をする大名家同志なので、
「出戻り」は可能だけど、それも何等かの理由や書面を整えての離縁になる。
そうそう簡単なことでは無い。 >>70
親スレで照姫が、ババア呼ばわりされとりました。
620 :日曜8時の名無しさん:2013/01/13(日) 21:52:55.16 ID:ls8qEJqR
容保とババア姉とお嬢様妹の3人のドロドロが見たい
【2013年大河ドラマ】八重の桜 Part18
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1358057227/620 離婚率が12%もあるんだから現実問題
大名の娘の離婚は簡単だと言わざるを得ないだろう
しかるべき贈り物をそえて幕府の役人に書類出すだけ 離婚して出戻った女が綺麗な着物を纏って美しい髪飾りをつけて堂々としている
姿に違和感。
普通はもっとこそこそしているものではないかと・・?
あの時代にああいう女は本当にいたの? 出戻りイコール追い出されたわけでしょ。
あの時代、女性の意思なんてないも同然だし。かなり欠陥があった女性なのか とりあえず
照子自ら離縁を望んで申し出たというのが定説。
追い出されたという説は見かけない >>89
家格が上の家から下の家に嫁いだ正室は威張っていたそうだよ
付いて行った女中たちの給料も実家が払うのが通例
気に入らないことがあればすぐに戻った
だから離婚率が高かった 出戻り女でも家柄が良ければ着飾って堂々としていられた時代だったんだね。
働かなくても食べていかれる幸せ・・。 義経の常盤もよかったけど
瑤泉院のときのほうが好きだ
たまらん
綱吉になって瑤泉院を抱きたい
暗殺されてしまうか… >>93
でも照姫は養女だからな・・・
貧乏な1万石の会津の支藩生まれなのに、離婚までして戻ってくるって図々しい。
その場合戻るのは、1万石の会津支藩に戻ればいいのに。 家康の許可を得て藩主の養子になった藩主の異母弟の保科正貞が問題なく家を継げるはずが
側室持つ根性すらない秀忠が外で作った保科正之を養子に迎えてそれが原因で正貞は廃嫡されてるし
幕末、飯野藩(保科本家)から養女に迎えた照姫に婿を取らせて後を継がせるはずが実子が生まれて白紙に戻る
会津の都合で振り回して散々迷惑かけっ放しの保科家出身の照姫をそれ以上無下には扱えなかったんだろうなあ 大名の出費の中では交際費が大きかったようだし
嫁に出してもお付きの女中たちの給与は実家持ちらしいので
実は姻戚を一つ減らして出戻ってもらった方がかかる費用は少ないかも 先日の会津江戸藩邸の三人の年齢が気になって調べてみました。
照姫が離縁したのは1954年、照姫23歳、容保19歳、敏姫12歳。
この二年後に容保らは結婚、敏姫亡き後照姫が奥向きを担い、容保との再婚の話も出たけど結局しなかった。
ここらへんも物語として描かれるのかしら。
・照姫1832生〜87
42養子入(11)、50婚姻(19)、54離縁(23)、87没(55)
・容保1836生〜1893
46養子入(11)、52元服(17)、57婚姻(22)、62上洛(27)、93没(59)
・敏姫1843生〜1861
56婚姻(14)、61没(19) 4つ年上でしっとりと美しい雅びな女性か。
惚れても不思議ないな 惚れてるというか、大事な宝物って感じに見えた。子どもの頃も今も
生まれて初めての会津入りで砲撃浴びながら地獄絵図の中で自分の着物を負傷者に着せ、
帯をほどいて包帯を作り。
会津女性の結束とがんばりの拠りどころとなる照姫の動機付けとして大事なシーンだたと思う 照姫に難クセつけてる人って、演じてる人のアンチなのか
単に会津嫌いとかなのか、何なんだろ >>101
元々は(妹が生まれるまでは)二人を夫婦養子にしようとしていた?としたら
本人たちも子供の頃から意識し合っていた可能性はある 跡取りをとらせるために照姫を養子
→実子の敏姫が生まれる
→敏姫の婿にするために、容保を養子
が実際の流れかな
なので、照姫は嫁に出ることになった。 現代ものではなんてことないのに
時代劇の稲森いずみは美し過ぎる
滝山は除く >>107
自分のもっている会津女性史の著者もその経過の推測を載せてるよ。 >>106
容保が養子になったのが敏姫誕生後(敏姫4歳の時)だから
照姫と容保を夫婦に〜って話は最初から出てないと思われ 容保公と好一対の淑やかさだ
相変わらず美しいな稲森 >>108
>滝山は除く
?? 同じくらいに見えるけど。 美人義姉と殿が目と目で通じあっている・・・
あれは何もなくても疑ってしまふ 義妹と結婚するんだから、義姉と結婚したっていいじゃん。 照姫さま、年を重ねてもお美しい。
おんなの花のときの常盤御前も
美しかった。
今は落ち着いた品格ある美しさ。 大丈夫。まだ子供を産める年です。(稲森いずみさんなら)
照姫様はおいくつの設定か分りませんが、結構晩年のようですから
無理かもしれませんね。 >>125
照姫は先週が22歳、今週が24歳。
当時なら確かに十分年増(中年増)だけどね。 敏姫が死去したあとは、
照姫と容保の婚姻の話も浮上したらしいが、
なぜか実現せず。
この二人って、実際は会ったことはあまりないのでは?
殿様って直近の家臣以外とはほとんど会わないんでしょ。
妻でさえめったに会えないんじゃないの?ましては他人の義姉なんて
生涯1〜2度対面したことがある程度かと。 滅多に会わないということと、だから恋愛感情には陥らないというのは、別 容保に照姫が和歌の手解ややりとりをしていたとのことだから、実際にもそれなりに面識も交流はあったんだろうけど、
とりあえず今回のドラマでもなんらかの思いが双方にあるという風にされるんだよね
どう描かれるのか? >>128 >>131
江戸の会津藩邸、上屋敷、中屋敷、下屋敷と
状況によって住まいも変わるし、女性が暮らすのは奥向き御殿
藩侯が暮らすのは中の御殿とだいたい決まっており
一緒の御殿内に暮らすようなことも、
同じ時期の同じ屋敷内に居住することは無かったかと思われる。
が、照子は敏子と同じ屋敷内に居たようでもあり
容保が江戸在府でかつ諸事多難な時期に至らぬまでは
年に何度も逢う機会があったと思うが。 おはようございます
>>132
ってことは、和歌などの指南はどうやって実現していたのでしょうか
単に御文のやりとりレベル? (高齢出産は危険だけど)戦国時代の久保姫は、すごい高齢出産をしていると思うよ
久保姫(くぼひめ、大永元年(1521年) - 文禄3年6月9日(1594年7月26日))は、伊達晴宗の正室。岩城重隆の長女。
通称は杉目御前、笑窪御前。同母妹に佐竹義昭室がいる。
奥州一の美少女と評判だった久保姫の嫁ぎ先をめぐって父・重隆は伊達氏や相馬氏と対立し、
軍事的な争いにまで発展した。
その結果、久保姫は天文10年(1541年)頃に伊達晴宗の正室となった。
その際に晴宗と久保姫の子を岩城氏の養子に迎えることが約束されたという。
晴宗との仲は良く、六男五女に恵まれた。
晴宗没後は出家し、宝積寺を建立して亡き夫を供養した。その後は、孫の政宗を頼って宮城郡根白石に移住し、
同地で文禄3年(1594年)に74歳で没した。法名は裁松院殿月盛妙秋禅尼大姉。
●子女
岩城親隆(岩城重隆養子) 阿南姫(二階堂盛義室。大寿院)
伊達輝宗
女子(伊達実元室。鏡清院) 益穂姫(小梁川盛宗室。天光院)
留守政景(留守顕宗養子) 石川昭光(石川晴光養子)
彦姫(蘆名盛興室→蘆名盛隆室) 女子(佐竹義重室。宝寿院)
国分盛重 杉目直宗 50歳で、美熟女だったと言われている女性がいた。
50過ぎで出産したと言われている。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:H5jXEcCyHMQJ:blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/50540041.html+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-a
名前・小少将 (朝倉氏の同名の小少将とは別人)
彼女は細川真之の母で
小少将は、美女であったといわれる。
細川持隆の死後、持隆を滅ぼした三好義賢の妻となり三好長治・十河存保を産み、
義賢の死後は三好氏の重臣である篠原自遁(篠原長房の弟)の妻となり、
さらにその死後は長宗我部元親の側室(子に長宗我部右近大夫)となったという。
それも政略結婚ではなく、自身の判断で世を渡り歩いた烈女であったといわれている。
●長宗我部右近大夫
長宗我部 右近大夫(ちょうそかべ うこんだいふ、天正11年(1583年) - 元和元年(1615年))は、
安土桃山時代から江戸時代の武将。
土佐の戦国大名長宗我部元親の五男。母は側室の小少将。名は不詳。官位は右近大夫。細川真之、三好長治、十河存保は異父兄にあたる。
生涯
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、肥後の加藤清正に仕えた。また長宗我部盛親の孫長宗我部盛胤の養育に当たった。
元和元年(1615年)大坂夏の陣で兄・長宗我部盛親が捕らえられたことに連座して切腹を言い渡された。家来の小宮崎久兵衛も共に主君に殉じている。墓所は不明。 ●会津藩の記述もある <安政江戸大地震>大被害示す写し発見
2011.10.18 Tuesday | category:過去の大地震
幕末の1855(安政2)年に起きた「安政江戸大地震」を伝える仙台藩文書の写しが見つかった。
軒並みつぶれた家屋から人馬が首だけ出して助けを求める所へ火と煙が迫る様などを描写し、
被害の大きさをうかがわせる。
東京直下型地震の危険性などが指摘される中、関係者は、地震への備えを改めて促す史料価値があると話している。
写しは墨字で、宮城県栗原市の「栗原平成美術友の会」(川村敏昭会長)のメンバー(62)が岩手県奥州市の旧家から入手。
同会の「古文書勉強会」(佐藤清一講師)が今月11日に読み下しをした。
「安政二年十月二日(旧暦)の江戸大地震」の題で、書き出しは、江戸城の丸の内の7カ所で出火し
仙台藩上屋敷まで火の手が吹きかかった。屋敷の火の見やぐら下の長屋14、15軒が倒れ重なった−−という内容。
出火は浅草から日本橋の各所で起き類焼したと加えた。荒川の千住大橋が折れ崩れ、栗橋(埼玉県)まで通行止めと記した。
千住辺りについては倒壊家屋から人が首だけ出して「助けてくれ」と叫ぶが、火の手と煙が迫ってどうしようもないと書かれている。
●大名家の被害もひどく、会津藩は藩邸が焼失し「死者莫大(ばくだい)との由」とある。
江戸城については「御本丸、西御丸とも崩落したが、出火はなかった」としている。
仙台藩上屋敷に関しては足軽ら4人が即死、40〜50人がけがをしたと伝える。「屋形様」(十三代藩主の慶邦)は
居間の壁やかもいが落ちたが無事だったと記している。
元の文書は不明だが、写しの内容が重複していることから、元の文書は複数あるとみられる。文書はいずれも早飛脚で江戸から仙台の留守家老らに送られたと推測される。
奥州市江刺には伊達藩の要人がおり、写しとの関連性が指摘される。
安政江戸大地震は現在の暦で11月11日夜に発生した関東直下型地震。被害は死者4300人、家屋倒壊1万戸。
http://blog.kantou-jishin.com/?eid=141 >>137
スレ違いのうえに無駄な長文だって、自覚ないの? >>146
ありがとうございます
先ほど見ました
容保は出ていたけれど、照&敏姫の出番はありませんでしたね
次はいつ出るかな 今は容保が参勤交代で地元だけど
来来週あたりは江戸に出るだろうからお姫様も出て来るかも 先週の江戸屋敷の場面、敏姫は何か感じた様に描かれたみたいだけれど、
照姫と容保当人同士はあまり意識していなかったように思われるのがまた、余計に敏姫が気の毒になってしまったかな
出番の件、ネタバレスレ読んできたら鶴ヶ城入りする10話前後は結構登場しそう
物々しいだろう会津での場面と対照をなすのが今の穏やかで雅やかな場面なんだろうが、戊辰戦争の後は登場ないんだろうな 「照姫和歌集」のある「敏姫のものや」の添え書きとともにある敏姫の歌は
みな哀しい歌ばかりだよ。 落城は三十話あたり?結構引っ張るんだ!!じゃあ、稲森さまの出番も増やしてね!! 常磐御前>滝山>>>>>>照姫
明らかに経年劣化してる
笹子トンネルだな 劣化しているというより、
人らしく、人間らしく、素敵な時間を経過して年を重ねておられた結果、
今も美しいのです。
若い者には理解できないのだろうけど、
20代、30代、40代と女性は変わります。それは、若さ、成熟、更年期へ
という女性特有の身体の変化なので、自然に受け止めて、
それで尚、美しいというのは、素敵な女性と思います。
ま、理屈はともかく、
照姫様、綺麗です! 明日は照姫、敏姫の出番はあるのかしら?
容保はかなり辛い立場になりそうだけど。 常磐に向かって
清盛「今夜、渡りたい」
(=今夜、やらせろ)
チンコたちまくり!! 常盤の美貌と評判で大河常連になったんだよね。
スタイルも変わらないし、エロいし、良い女優人生だな。
まさか稲森がこういう風になるとは思わなかったが。 もっと美人はたくさんいると思うが、
時代劇で美しいと思う女優は、限られるんだよな
雰囲気、佇まい、所作とか?
位取り?
ま、男にも同じことが言えるけど 井伊直幸は、井伊直弼の祖父
>>167 井伊直弼の彦根藩と会津藩が親しかったのは、姻戚関係もあるみたいだよ。
6代藩主 松平容住(1779〜1806)
正室: 寿鳳院 謙姫(井伊直幸の娘)(1784〜1832)
長男 大炊(幻光院)(1801)
側室: 白岩氏
側室: 戒心院 石川美衛(1783〜1853)
次男 容衆(金之助)(七代藩主)(1803〜1822) (U^ω^)わんわんお!はもう出ないの?照姫から敏姫にレンタルされてた。
頼長のナイミツニ鸚鵡くらい人気出るといいね。あの犬もきっと舶来のものだよね。
和親条約を締結した時にペリーからミニ機関車と一緒にプレゼントされたんだ。 >>171
狆はこの頃はすっかり国産になってるお。
ペリーは狆を日本から米国へ持ち帰ったそうだお。 偶然チャンネルをつけたら美しい照姫さまがいた。
正直、常盤御前の時みたいに女の美しさ満開ではなく、
それなりに年はとっている稲森さんですが、
やっぱり、美しい。
この方って元々の顔骨格が整っておられるのですね。 容保は京都にいきっぱなしだから、結局出番は会津戦争までないよね。
容保との間も単なる義理の身内で淡泊っぽい。
もう来週から京都だし、会うこともないわけで。
主役は八重だから、八重と容保が思い合う方が盛り上がるかも。 >>178
何度も出てきますよ。
照姫が会津城を預かるという形になってるし、文のやりとりがある。 >>178
もうすぐ大名の妻子人質制が廃止されるから会津に行くんじゃないの 「花がたみ」は松園の傑作のひとつだし
幽遠かつ鮮やかな美女に描かれてるけど
でも狂女の絵じゃん・・・ あら知ってる人イタ
あの風情が似てるよ
娘深雪ちゃんも >あら知っている人イタ
はぁ? 松園の超有名な絵じゃん。
それにまたのたとえの深雪だって、目が・・・
わざと薄幸な題材の絵をあげてて嫌な感じ >>168
>もっと美人はたくさんいる・・・・・・・・
えっ、誰々のことを言っているの?武井笑や長澤まさみのことなの? 去年でいえば、以仁王を猶子として抱えていた
八条院ワ子内親王みたいな役回りですか?
やはり、以仁王は戦死しちゃいましたが、容保公はサバイバルしますから違いますね。 八条院は天皇の准母、女院宣下もうけた一国の高貴な身分で
莫大な荘園収入から政局への影響力もあった。
以仁王は猶子…名義上ではあるけど「自分の子」
ともに会津松平家に養子、養女としてはいった容保と照子とはまるで違う。
照姫は容保の支えにもなり、籠城戦時の女性陣の象徴として敬われたけど
資産は自分の化粧料ほどのものだし、公けな行動はできるもんじゃない。
役回り的にもまるで異なる やっぱり綺麗。長身、細面、色白の美人。
目を引かれた。 なんか現代劇ではぱっとしないが、時代劇では栄えるよな 一時期は、反町に振られたり
幸薄いイメージになってたけど
ここ数年、じわーっと勝ち組になって来てるよね 八重がチラ見で心ときめかせ憧れる描写にも説得力があったな。
やはり美人なイメージの役はそれなりに視聴者を納得させる
役者を配するべきだよね、、 本日の照姫さまは
白系の着物をお召しだったが、それが稲森いずみさんの白い肌、端正な顔に
ぴったりだった。
稲森さんは、桃色、桜色など薄めの明るい色の着物が映える。
春の風情で何とも美しい。 久しぶりの登場でしたね
今後は幸せな場面は余り出てこなそうなのがちょっと辛いな 美人なんだけど、屋外の光が明るいシーンだとさすがに年齢を感じるな
でも姫の気品がある女優 もっと登場してほしい。
殿と2人でスペシャルエピソードみたいのやってくれないかな〜
NHKさん、お願いします! なんでクレジットの役名表記が「照 姫」から「松平 照」に変わったの? 今、ローカルサンテレビに稲森いずみさんのドラマの再放送がやっております。
綺麗で可愛い女性っていうだけ。
今の方が女性らしさ、深みがあって素敵な女優さんになった稲森いずみさん。
年をとりつつ、より美しくなるって素敵ですね。 「ブルーもしくはブルー」っていう変な設定の
難しいドラマやったのが転機なのかな。
影側の役の狂気、本体側を乗っ取るところが
憑依しているような演技だった。
なんか変な役をやれるんだなと納得。 >>206
「怪物くん」のデモリーナを見た時は衝撃だった。 >>206 その前年の大河ドラマ「義経」の常盤御前から
変化があったけど、「ブルーもしくはブルー」の性悪女に変身したのは
驚いた。
あれ、稲森いずみさんが性悪女で、
その夫がDV変態夫。夫役は、「義経」の平重衡役だった細川茂樹さん。
大河ドラマでステップアップする役者さんがいると、
大河ドラマも嬉しい。
昨年は全然だめだったので、今年はどうだろうか。 ブルーもしくはブルー、二人の稲森さんのEDが可愛かったなあ
>>205
天気予報の恋人か
初めて見たけど、こういう感じのも好き 初めて清盛の前に登場して、対面したシーン。
面を上げよ、と言われて上げた顔の美しさで、清盛とともに撃沈した。
いまも綺麗だわ。照姫シーン少ないのが残念。 >>207
「仮面ライダーBLACK RX」のマリバロンって、いまでは有名女優さんだよ。 12回の、膝を打って使者に問いかける所作が凛々しかった どうも怪物くんの悪役のイメージが取れないまま…美人で品があって好きな女優さんなんだけど ささっと近づき片膝ついて太腿をポンッ
「殿はご無事か?」
かっけえーw ずっと昔稲森さんがまだ 地元の自動車教習所のCMとかの地味な仕事してたころ とある店で出会った
楚々とした感じなのにあたりをはらうようなオーラがあって 思わず見とれてしまった
歳を重ねても さらに魅力的になっていくね その後なかなか登場しませんな
民放では尚之助氏と共演してるみたいだけどwやはり照姫様がみたい 2年ほど前に、稲盛さんが、バラエティーに出ていた。
お笑いコンビの ブラックマヨネーズに、エッチな質問をされていた。
質問内容は、お風呂で、どこから体を洗いますか?だった
稲森さんは、手とか、足とか、お腹とかで、かわしてしまい。
お尻とか、おっぱいとか、大事なところとは・・言わなかった。。。
ブラマヨは、チャンスだと思っていたが、うまく言葉で逃げられてしまった。
それにしても・・・なんでゲスト出演したんだろ? 自分でドライブするらしい・・・・・・運転がすきなのかもね
電子雑誌の表紙に登場していた
トラベル ウェブ マガジン「旅色 Seasonal Style」Vol.11を公開 表紙・巻頭インタビューは
稲森いずみさん
http://pressrelease-zero.jp/archives/30379 稲森さんのほうが松嶋菜々子より美人だしかわいらしいし品もあって好き。
主役やって大河サヨナラの人より、こうして脇役でもしっかり光って
大河に何度もピリっと華をそえてくれる超美人、いいよね。
ブルーもしくはブルーの頃からなんかひきつけられる人。
篤姫の大奥総取締役・滝山もすごくよかった。
3〜4年おきに大河に脇で出て欲しい。 >>224
ブルーもしくはブルーで演技の覚醒のようなものがあったよね
ブルーの統括の内藤さんが今回の八重の統括なんだよね
こういう縁を大切にいい作品にたくさん出てほしいね 「義経」の常盤御前の稲森 さんは神だったな。
あまりにも綺麗で、はかなげで、不覚にも、
この人のおっぱいはどうなってるんだろう、
なんて思ったよ。まさに目の保養だった。 東が舞台になるといよいよ出番が多くなるんだろうけど=泥沼展開だからなあ ついに「トメ」(〆でも正しいらしい)でした!
もう嬉しくて、ステラの表紙写真にチューしたい! ミュージカルで見たかった八重の桜
照姫「長刀の稽古で遅れたことに嘘偽りがないのなら今の気持ちを歌に詠めばいいじゃない」
竹子「もののふの猛き心にくらぶれば、数には入らぬ我が身ながらも」 こないだ小栗上野介のドラマやってたけど、やっぱり若くて綺麗だったわ。
リアルタイムで見た時はさほどに思わなかった。 殿様の苦労は分けてもらいたくないが、姫様の苦労ならいくらでも背負います!! 照姫って維新後の晩年(と、言っても享年53才だそうだけど)は
肥満のために歩行が困難になって
病気もあって侍女二人に支えられてやっと歩いていたという・・・
頑張って背負ってください >>232
「その鉄砲に会津武士の魂こめよ」いいなー(^o^) 容保を見送る照姫、良かったですね〜
綺麗かったなぁ
稲森は、若い頃は、さしていいとも思わなかったが、時代劇の姫さまは、本当に綺麗だ
所作、と言うか、位取り? 降参と、大筆で大書したときの、勇ましく美しい筆さばきが良かった。
照姫さまの涙ながらの筆さばき美しかった
照姫様が、トメモ飾ったね。(出演者の順番)
第二十九回 7月21日 鶴ヶ城開城
照姫様が、トメモ飾ったね。 でも、稲森さんって鹿児島県出身でしょ?
なんで照姫役引き受けたんだろう?
まあ、福島県出身の西田敏行が大河で西郷隆盛役演じた事あるから
不自然ではないが。 >>240
稲森姓は、三重県の伊賀の周辺に多いです。
なので、稲盛さんの遠い先祖は、鹿児島に関係ないと思うよ。
稲森さんの先祖も、鹿児島には、明治以降に来たんだと思う 稲森さん、こうしたキリッとした役似合うね。
篤姫でも大奥勤務の最高位の人の役だったね。 >>241 稲森って 古くから鹿児島にある姓だよ 京セラの 稲森さんも 鹿児島市の北部の出身 照姫は本当は容保と夫婦養子になって会津藩主正室になる予定だったのに。
先代(容敬)に姫が産まれたばかりに「お前はいらん娘や」状態に。
先代(容敬)に息子がいれば、二人は会津藩の養子(養女)なる事はなかった訳で。
容保は実家の美濃高須藩(3万石。容保は側室腹の六男。)の部屋住み(ニート)として。
照姫は実家の上総飯野藩(2万石。照姫も側室腹)と同格の小大名正室に。
平凡だが無難な人生を送れたかも知れない。 会津若松が太平洋戦争中に、一度も空襲を受けなかったのは皮肉だな
会津若松はあまり空襲に遭わなかったせいか、昔の町並みが残っている。 照姫って容保の嫁さんなんだっけと思う時があるけど、
義理の姉なんだよな。
容保の妻は敏姫だっけ?で照姫に借りた狆と戯れたり
してたけど、容保が京都守護職を拝命する前に
痘瘡にかかって亡くなったんだよな。 敏姫の病没シーンはちゃんとあったし
容保と照姫の仲に微妙な感情を覚えていたようなシーンも
ちゃんとあったし。 照姫って何で飯野藩に帰らなかったのかな?
明治以降は飯野藩(保科子爵家)を相続した弟の世話になって人生を終えているよね。
弟から容保へ「姉上を返せや。お前は姉上を巻き添えにして殺す気か?
それと、飯野藩主の姉が鶴が城に籠城していたのが薩長にばれるとウチが新政府に
睨まれるんだよ。」と言う内容の返還請求が届いてもおかしくないよね? 照姫は明治13年会津を再訪した際に東山温泉の「向滝」に泊まった。
よほど、会津がすきだったんだろう
http://pub.ne.jp/yosh/?entry_id=1527966 敏姫のせいで、照姫って会津藩では中途半端な立ち位置だね。
容保の正室でもなければ実姉妹でもない。かと言って先代の実子でもない。
「先代の養女で当代の義姉」と言う中途半端な存在だね。
敏姫を照姫が毒殺した設定とかあってもおかしくないよね。
悪人の照姫とかはだめなの?
本当に先代の実子である敏姫がいなければこの人の運命は随分変わっただろうね。 >>237
私も若い頃は稲森さんをバカにしてたけど、義経の常盤御前を見て
手の平を返して崇拝するようになりました。
あんなに美しくて、たおやかだけど芯がしっかりした常盤、他に見たことない。
所作がきれいなのって、子どもの頃から長く剣道やってたせいもあるのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています