大河での■会津藩士の死亡及び殉職場面
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大河での■会津藩士の死亡及び殉職場面
(今後の、予定場面含む)
(大河での無名藩士含む) 武士がぁ
武士がぁ
そったなごどでなじょするぅ〜っ!! 加藤嘉ちぢうえもCGで鶴ヶ城籠城戦の一兵卒として出して欲しい。
出来ればアームストロング砲の炸裂する城内で。 佐藤慶さんは幕府瓦解後は盗人となって「國語元年」にご登場します エピローグで佐藤慶さんの最期はどうなってたっけ?>元年 武田鉄矢が言っていた薩長の愚行は映像化できなさそうです。 >>10
いや、もし、映像化したらグロすぎて視聴者が引いちゃうんじゃないかと
思いまして。 土佐も会津に対してかなりキツいことやってたじゃん。
しかもその原因が坂本竜馬は会津に暗殺されたと考えてたから。 脱藩した郷士が1人暗殺されたとして、なんの恨みがあるんだか。 世羅修三はだれがやるのかな?
蛍雪次郎?島田新助復帰? 会津観光史学洗脳者の皆さん、あんま元気ないっすねwwwwwwwwwwwww
薩長の蛮行なんて会津贔屓で歴史家気取りの新聞記者や商工会のおっさんの
創作にしか出てきませんのでね。会津の蛮行は公的史料なかりか外国にもありますよ〜wwwwww 縛られて出てきた時
微妙に着物が崩れてる
くらいの感じがいいな 会津の武士って会津人じゃなくて信濃人って皆知ってました? 知識www自慢?
高遠以降に仕官した藩士とて居るんじゃないの 会津藩家老高橋外記その時代
(この本で、会津藩の誕生から滅亡までが描かれている)
http://secure.frontea.com/~rekishun/catalog/product_info.php?products_id=532&osCsid=zwhbgueaycefob
1万円近いから、リクエストで図書館に入れて欲しい本だ。
第三章 保科正之公に仕える
保科正之公の入封
藩祖保科正之公
家光との出会い
家臣の大量採用
高橋数馬・保科家に士官
会津の地
会津藩保科家の誕生
会津保科家臣団
初期の藩政
加判の者
家綱の烏帽子親
家光の遺命
将軍後見役
家綱公と正之公 昭和17年まで生存していた 会津藩士が、ネットで紹介されていたな。
野出蕉雨
ので−しょうう 弘化4年(1847)〜昭和17年(1942)
画家。会津藩士・野出八左衛門の次男。若松城下に生まれる。通称、平八。本名、善次。
少年の頃、大内流槍術指南上遠野保の養子となり、免許を得たが、何故か野出姓に復している。
馬術は18歳で酒井与一郎より免許を受け、剣術は上洛中に安光流を許された。
藩主容保の京都守護職在任中は小森砲兵隊に所属し、そのかたわら牛渚塾に通った。このころ、松本良順の知遇を得ている。
戊辰戦争では、白河口や三の丸で武勲を立て、西郷頼母から感状を受けた。
戦後、本郷で陶画の指導に当たっていたりしたが、明治17年(1884)ころ日本画で身を立てようと決意して上京、松本良順の世話になりつつ活動するも、
画壇の変貌について行けず失意のうちに帰郷する。
しかし諸国遊歴中にたまたま会津を訪れた滝和亭(たき−かてい。南画の大家)の指導を受け、ついに代表作となる艶麗な牡丹画を完成させた。
いっぽう謡曲も宝生流の名手であり、生田虎之助門下の秀才であったという。
七日町地蔵堂境内に蕉雨の頌徳碑がある。 >>30
飯沼貞吉も昭和の御世まで生きた。
【飯沼貞吉】
飯沼 貞吉(いいぬま さだきち、嘉永7年3月25日(1854年4月22日) - 昭和6年(1931年)2月12日)は白虎隊士(士中二番隊所属)。
維新後は逓信省通信技師、陸軍大尉。孤舟、孤虎と号した。 年齢を偽って白虎隊に参加したが、
戦い利あらず、飯盛山にて他の十九士と共に自刃に及んだが、死に切れず命を救われた。
維新後は貞雄と改名し、逓信省の通信技師として各地に勤務し、日清戦争にも従軍した。
1931年(昭和6年)2月12日、77歳で生涯を終えた。戒名は、白巖院殿孤虎貞雄居士。正五位勲四等
“ラスト・白虎隊”の飯沼貞吉と長州藩士楢崎頼三との友情も描いて欲しい、、、orz
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/gary/narasaki.htm ラスト白虎隊?おいおい、白虎隊は飯沼の他にもたくさん生き残ってるんだが?
そもそも白虎隊は篭城兵だぞ。部隊約300人中約280人が城の中に篭ってました。 >>29 狙ってなのかも知れないが「拝領妻始末」の敵役と同じ名前だな。 飯沼貞吉は何しろ西郷頼母の妻方の甥という分かり易い位置にあり、
また生き延び方も劇的で悲哀に満ちてるし、まず有名人物だからなぁ。、
まあそもそも白虎隊は士中、寄合、足軽と身分別に分かれてて
その隊にもそれぞれ二中隊あったということを
あまりに周知していないからw
「白虎隊の悲劇」を取り上げるために、
このことを喧伝しないのかと勘繰ってしまいそうなほどだ 早合点した一部の子供達
と言ってしまうと身も蓋もないからね >>34 拝領妻を 徳川家康じたいが行なっていたから、それが影響しているのかもね。
●徳川家康は老齢になっても遊び人で、60歳すぎで性病にも感染している。
家康が手をつけた女は数知れず、側室になれなかった女性には、縁談世話して、他人の妻にしてあげていたみたいだな。
拝領妻始末の話は、基があって、主人公は藩に抵抗するけど、本当は最期は死なないみたいだよね。
ネットに以下の話が
●「後藤庄三郎・二代】
慶長十一年〜延宝八年 (1606-1680)
初代庄三郎は京都の金工家・後藤家の弟子で、のち養子となり家康に仕え幕府金座銀座整備に功績を残す。
妻・大橋局(青山氏)は家康の寵愛を受け身ごもったまま庄三郎に嫁(拝領妻)し、二代目を出産とある。(本後藤庄三郎由緒書) >>28藩士って造語です。実際に使われてない言葉です。藩主もそうです。はい、残念。
>>38飯盛山からは見えないからwwww >>39
白虎隊士中二番隊の悲劇は、城下が燃えているのを
城が燃えている! と勘違いしてしまったことくらい知ってますので
おせっかいありがとう。 >>40それ何も証拠ないから。裏づけできてませんので。
会津プロパガンダ乙ですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 白虎隊の自刃の理由は何の証拠もないし自刃したのかさえ不明ですYO!!
つまり説止まりなのにもかかわらず、あたかも史実のように発信してるんですね〜www
まるでチョンですね〜wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww この手の講談話が史実として語られている例は多いからなあ
忠孝を奨励する話は特に喧伝されたから 某ブログで、会津藩が、足軽二人に特攻隊並の特別任務を与えていたと紹介されていたよ。
http://plaza.rakuten.co.jp/wawanko/diary/201206090000/
慶応4年8月25日_会津戦争_小田山火薬庫爆破と埋もれた英雄_No.2
慶応4年、8月25日、会津の小田山砲台が、新政府軍に占拠されてしまった。
会津はダメージ絶大。砲台だけならずや、小田山の麓には、「火薬庫」がある。
これを敵が、これ幸いと使ってくれたら、たまったもんじゃない。貯蔵の火薬は、約500貫。
▼
即時、「火薬庫爆破作戦」が決行される。
そこで、『決死の足軽二人が派遣されて、彼らは見事潜入の上、爆破大成功。』
【注】火薬倉庫爆破は、最低でも全部で3回位ある。今回のスポットは、8/25の件だが、
8月から9月の間、小田山に限らず、青木倉庫など、他にも発生している。
「小田山火薬庫爆破」による二次災害犠牲者
◆8/25:この強烈な爆発音は、人々に落城の音と勘違いに繋がる。 会津の歴史
◆第六十八話:小田山の火薬庫爆破◆
(新政府軍の無差別砲撃を、これによって、一時的に機能低下させている)
(大砲も、火薬が無ければ効力が衰える)
http://aizu.sub.jp/honmon_2/068.html
◆第七十八話:小田山からの砲撃◆
http://aizu.sub.jp/honmon_2/078.html そろそろ、会津藩士の戦死・殉職者が、大量に出てくる回になるな。 最初の大物死亡は神保修理だけど、アレは会津自身が殺したわけだからどう描くつもりなんだろう
そういや会津の人にとって神保修理や秋月ってどういう扱いなの?
やっぱり裏切り者呼ばわりされてる? 蛤御門の変で、会津藩の足軽が、大砲で吹き飛ばされて死亡する場面は、
足軽役はエキストラさんなんだろうな・・・・・・・・
大砲で吹き飛ばされる役は、大変そうだな 直撃にあわせて体を四分五裂させるのがなかなか難しい 斗南藩士のつぶやき: 会津藩士参集・・・・・・子孫の人が、ブログを解説していた
http://tonamihan.blogspot.jp/2011/02/blog-post_28.html
会津藩士の末裔の人々は、まあいろいろ・・蕎麦好きみたいだな >>49
エキストラさんでわ無く、スタントさんな。 しかし、、あれだけの死人が出たのに最前線にいたはずの八重が
生き残ったというのも妙な変な話だわなw 修理の切腹シーンは無しらしい
イケメンの切腹という楽しみが減った
残酷なシーンはすべてパスという方針かもしれない
竹子首ちょんぱもないな >>56
八重は出撃したとはいえ、城内に居たわけだし
城にはいらず(城に入れずか?)に戦った娘子隊や
敵兵に踏み込まれて右往左往で逃げまわったり
覚悟の自害をした女らとは状況が異なる。 少し前、某所で八重で萱野権兵衛やる柳沢慎吾が
切腹シーンで「あばよ!」と言うか、切腹の効果音を自前でこなすか議論されてて笑ったw 介錯にはぜひあの世から若山富三郎をお招きしたいところだなw 修理を切腹に追い込んだのは管兵衛だけどその辺は多分ソフトに描くんだろうな ☆ チン マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 討幕東征マダ〜?
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| 薩長土肥 |/ >>59
福島県の幕末史観光で会津白虎隊は有名だけど二本松少年隊を知らない人は多いようだ。
大河ドラマで一話使って二本松少年隊の話を放送するようなので嬉しい。
リンク先を見たらドラマ内で福島事件も放送してほしいと思った。
薩摩出身で福島県政最大の暗君 三島通庸 と戦う姿を再現してほしい。 >>27
知ってました。母方の祖母の先祖は会津に来る前は信玄公の家臣でした。
その前の南北朝時代は西郷頼母さんの先祖と同じく太宰府にいたよ〜。 明治維新グッジョブ
ゴミ砂漠が負けるとスッとする
負惜しみ信者大嫌い
今年は会津藩ざまあ大河 散々スレを意味不明のコピペで荒しまくっておいて
他人に「落ち着け」「大暴れだな」「荒すなよ」 (キリッ
だってよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
これが会津ラブ野郎の正体wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
こいつ人間か?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています