>>541
そもそも後藤が大政奉還に動いていたのが史実だが

実際は後藤も建白があっさり受け入れられるとは考えておらず、建白が武力倒幕の大義名分を得るための方途となることを認識していた

また長州の木戸孝允も坂本龍馬に宛てた複数の書簡の中で、後藤・西郷・乾の役割を「西吉座元」「乾頭取」などと芝居にたとえており
土佐側当事者の一人である佐々木高行も日記の中で同様に、後藤の「建白芝居」に続いて乾・西郷の「兵力芝居」「砲撃芝居」が行われることで芝居が完結するとの表現を用いるなど
大政奉還建白が相当程度において茶番劇であることを関係者たちは自覚していた