【2022年大河】鎌倉殿と13人part3
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13人の御家人
大江広元(政所別当)
三善康信(問注所執事)
中原親義(幕府外交官)
北条時政(頼家の外祖父)
北条義時(時政の次男)
三浦義澄(頼朝挙兵以来の忠臣)
和田義盛(侍所の別当)
比企能員(頼家の妻・若狭局の父)
梶原景時(侍所の所司)
八田知家(下野の豪族)
安達盛長(頼朝時代からの忠臣)
足立遠元(武蔵の豪族)
二階堂行政(頼朝時代の側近) 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
【放送予定】
2022年1〜12月
【脚本】
三谷幸喜
【制作統括】
清水拓哉(「真田丸」「いだてん」「腐女子、うっかりゲイに告る。」)
尾崎裕和(「軍師官兵衛」「あさが来た」「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」)
【演出】
吉田照幸(「あまちゃん」「エール」『探偵はBARにいる3』)
【プロデューサー】
大越大士、吉岡和彦、川口俊介
速報&会見 2020.01.08
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=21781 >>3
乙だけど中原親能じゃね
あと生没年もあるとありがたい 鎌倉殿(鎌倉幕府の将軍)
初代 源頼朝(武門の棟梁)
二代 源頼家(頼朝の長男)
三代 源実朝(頼朝の次男)
四代 九条頼経(摂家将軍) ◎巣ごもりせざるをえないこの時期に、北条義時について勉強したい人のための読書案内
安田元久『北条義時』(1961年、吉川弘文館人物叢書)
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33386.html
岡田清一『北条義時 これ運命の縮まるべき端か』(2019年、ミネルヴァ書房ミネルヴァ評伝選)
https://www.minervashobo.co.jp/book/b439551.html
ウィキによると、岡田先生は国学院大学卒業後、学習院大学大学院ということで、
安田先生の弟子、陛下の兄弟子にあたる。陛下の恩師と兄弟子のご著書だよ。 女官に恋文渡してた義時には結婚を世話してやるのに
女官に恋文投げ入れたなつって安田息子を殺すって
頼朝の身びいきが酷すぎる件 >>19
姫の前はもともと頼朝に仕えていた頼朝のお気に入り女房
主君のお手付きを義時に下げ渡したってだけじゃないかな
頼朝が姫の前に入れあげたら政子の怒り甚だしく
いや、あの女は俺の女じゃない
義時の女だよということにして政子の弟に下賜
義時が恋文送ってたは蛇足で頼朝がそういうことにしただけかもしれんし 安田義定
富士川の戦いで武田信義らと共に平氏を撃退
その後遠江を占拠
義仲上洛に同行し平氏を都に追い出すのに協力
その功で遠江守に任官
その後義仲から離れ、ーノ谷の際は鎌倉勢に合流
一説によると生田口の範頼、ーノ谷口の義経と並ぶ、山手口の大将だったとも。
治承寿永の乱終結後頼朝に従う。
遠江守の任務が充分でないと朝廷から文句を言われ解任の危機にさらされる。
曽我兄弟事件の後、息子のラブレタ一事件がもとで失脚
その後討ち取られる。 ちなみに義平未亡人ラブレター事件や亀の前事件でも頼朝の代筆係だった伏見広綱は
安田義定が頼朝に送りつけた人物。
政子や北条にとっては面白くない人
安田義定が失脚した後、北条時政が遠江に勢力を伸ばしたとも推測され
(後に時政が遠江守に任官)
北条と安田の間に何かがあったかも知れないと思われる。 >>23
政子の怒り甚だしくても亀の前にずっと通ってた頼朝なのに?
有力者比企の娘にそういうことするとは考えられないなw >>19>>29
頼朝は安田義定をつぶしたかっただけでしょ。
女房への艶文は単なる口実。
そういえば後に義時自分のこと棚に上げて同じコトした朝時にキレてた。 >>29
亀の前の件での政子の暴れっぷりに怖くなった頼朝は
以降、他に側室を持たなかっただろう?
比企は頼朝の乳母の家
一族嫡流の若狭局は頼家の寵愛を受けたが側室にしかなれなかった
姫の前は比企傍流の娘でただの女房として出仕しているのだから
それほどの家ではない 保存食の買いだめして引き篭りましょう
1月後に日本の流通が今と同じようにあると思わない事、 スーパーや運送業者に感染広まったら武漢のように 日本で封死が始まります >>33
頼朝にしてみりゃあっちこっちについて信用できんやつってのはあったと思う。
でももう少し要因もある気もするんだ。
・永井路子説のように曽我兄弟事件の背後に幕府が内部分裂や崩壊しかねない
動きがあって、その策動グループの有力者とみなされたかも。
・頼家を後継者するのに障害になる存在となっていた?
・駿河、遠江に力を伸ばしたい北条の障害になっていた?
なんて考えられる。 曽我兄弟事件の直後範頼も失脚してるけど
範頼は治承寿永の乱初期は安田義定と一緒に行動していたって説もあるから
範頼との関係にからめて考察することもできるかもしれない。 一条忠頼も加賀美の長男も殺してる頼朝
足利義兼はさっさと隠居するし
安田は討伐の口実が酷すぎて悪目立ちしたというか >>30
同じことじゃないだろw
義時は山本耕史みたいにラブレター攻撃しただけ
朝時のはぶっちゃけレイプ
そら実朝切れるし義時も義絶するわ >>31
なんか頼朝をやたら意気地無しに見る向きがあるけど
自分はそう思わないというかさ
浮気なんていくらでもするから覚悟しとけ!つった頼朝@石坂浩二
が自分のイメージに近い
オレの女じゃない義時のだってオタオタするってw しかも政子の弟でやるってw そういえばコソコソぽいっけど大進局との間に子供つくったし、
政子のお産のたびに繰り返される浮気癖(by草燃えるナレ)と言われてるし
こと女性関係に関しては学習能力がない(by細川重男)
などなど 武田信玄もそうだけど、甲斐源氏は天下人に
なれない器な感じ。ローカル止まり。 天下のイメージわかないんとちゃうか
承久の乱がなければ鎌倉幕府もローカルやった 姫の前と言えば母親の越後局は政子の女官
頼朝が美貌の姫の前に手を出さなかったのはそういうのもある 甲斐源氏の加賀美氏も一家で京で平家に使えてたんだろ
なのに頼朝に大事にされてる
だが長男の秋山光朝は頼朝に殺された
頼朝の甲斐源氏のいじめ具合の基準が?
だいたい長男殺して弟に継がせるパターンか 源義光流は、鎌倉幕府でも、室町幕府でも、基本外様です。 義光が義忠殺さなかったら清和源氏頼信流が以後苦労することもなかったろうに お気に入りの検事長の定年を延長することが違法、
国の将来の禍根となることがわかっていても、
子無しの安倍や、法政夜間卒の秋田のカッペ・菅義偉は、
今が大事、自分が大事だから突っ走るしかないわけ
特に菅義偉は、成り上がりの一代身上だから、
ダメで元々、無理が通る限界までギリギリまで攻める、怖いものなしさ 言うまでもなく、橋下徹も同類
【ミンスサポ憤死】検事長の定年延長問題で橋下徹「最終決定権は内閣にある。不満なら選挙で安倍政権を倒せばいい」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1583101437/ 北条のことも頼朝は適当にあしらって江間を大事にしてる 東国に幕府を開いたまではよかったが関東御家人を処遇する指針というか法律を作っておけばな。頼朝が生きてるうちはなんとかなったが亡くなってからは血で血を洗う争いに >>70
御成敗式目には「右大将家(頼朝)以来の慣例」をまとめたって書かれてるから
慣例法みたいなものはできつつあったと思われる。 >>71
大豪族の庶流・分家を厚遇して、分裂策を用いているということだよ
和田(本家は三浦氏)、畠山(本家は秩父氏)、
結城(本家は小山氏)、小笠原(本家は武田氏)、
山名・里見(本家は新田氏)など 上と言ってる事が違うじゃないか。河越優遇も比企絡みで義経伝説じゃ正妻が不当に矮小化されてはいるが。 どこが違うの? すべて事実じゃん、何も矛盾もない
・畠山氏の本家は秩父氏
・頼朝旗揚げ時の秩父氏の惣領家は河越氏
・頼朝は畠山氏を厚遇
私が「畠山氏の本家は河越氏」とか書いてたら間違いだがね 粛清のやり方がなあ
いきなりドスっときたり言いがかりつけて殺したり
時政も同じようなやり方でさ
義時はやっぱうまいよ…だから治世が安定した
反面教師にしたのかな 粛清は頼朝自身がやってたのかどうか
そこまでの絶対権力があったんだろうか
むしろ逆な気が ブスッドスッという力の時代 頼朝〜頼家(時政)
慣例と道理の時代 義時
式目と道理の時代 泰時
撫民と専制の時代 時頼 御内人が普通な気がする
得宗は異常
あんなんないで >>80
義経追い込んだの政子の差し金だったりして
政子が頼朝に吹き込んでそう 政子が頼朝に殺させたのは
木曽義高を殺した御家人
あれはかわいそうだよ >>81
義時泰時父子が武家政治の理想言われるゆえん 足利幕府の規範たる建武式目には義時泰時親子に倣うべしとある 尊氏も直義も義時泰時の子孫だね
足利宗家は律儀に義時の血筋を補充してる 義時ってほーんと泰時大事にしてるよな
だいたい自分の側に置いとくしそうでない時は時房をつけてる
三浦の嫁つけたり足利の婿取らせたり
まあ泰時は出来はいいがほっとくと二日酔いで戦場でたり
河に飛び込もうとしたりかなーりやんちゃだから心配もあったのか
執権になっても弟守りに飛び出していって家人に叱られるしw ヌー「得宗専制政治は一所懸命が前提というゆうこっちゃ〜。」 泰時を大事にしたのは頼朝と政子
義時が大事にしたのは政村
泰時は執権就任直前に鎌倉に居なかった(在京していた)唯一の執権
政子と義時の死ぬ順番が逆だったら、義時が死ぬのが5年遅かったら、
義時が急死せずに遺言書を残していたら、どうなっていたかわからない 結局、承久の乱で終わる予定(らしい)のは、
わかりやすいヒーローもの、きれいな義時で終わらせたいから
(本当にそれでいいのか?とは思うがな、三谷の作風的に考えて)
それ以上やると政村に触れざるを得ないし、
政子と義時の路線の違いも表面化することになるから
(皇族将軍vs摂家将軍、反三浦vs親三浦など) 義時の晩年と急死、その後の顛末を描くか描かないかは、
漫画版「風の谷のナウシカ」の第7巻の終わらせ方はどうなの?必要だったの?
という問題と似てるところがあるね 義時が主人公ということになっているが、
政子の死で終わらせるのが歴史の理解という意味ではキリがいい
承久の乱後に政子と義時の路線の違いが表面化、揉め始めて
義時が3年で急死、政子が義時の路線に
いくつか修正を加えて鎌倉幕府・北条氏の大方針が確定され、
その後は概ねその通りに進行する、そのまま滅亡までほぼ変わらないからね
(唯一の例外である霜月騒動は、平禅門の乱後に安達氏が完全復活を果たすので、
北条氏から見てもイレギュラーな出来事だったことがわかる) まだ無位無官で三浦烏帽子親の政村大事厨が来てるのかw
どうみても烏帽子親官位嫁取り婿取り屋敷から
義時が泰時大事にしたのは事実なのに 泰時はかなり熱血漢で朝時も相当頑固者で世渡り下手
この兄二人を抱えて三郎重時は結構苦労してそう
で義時に一番似てるのが重時みたいな印象も受ける
慎重で気配り屋でかなり激しい気質もあるし厳格さもある 泰時を大事にしていたのは政子であって、義時ではない
烏帽子親、官位、姻戚関係その他も
ただちに義時が泰時を大事にした根拠になるわけではない
(政子が大事にしていた根拠にもなる)
最大の同盟者、三浦との姻戚関係は、権力闘争において政村に大いに力となる
逆に泰時は、(三浦氏の本拠地である)相模守に一度も任官していないし、
三浦氏の娘と離縁している(させられている) 侍所別当を泰時に継がせた時に鎌倉の義時の屋敷を泰時に譲ってる
義時は泰時を大事にしてたよ
だから義時子飼いの家人も泰時私事で固まってたわけで 泰時を侍所別当にしたのは実朝(政子)であって義時ではない
屋敷云々も、朝時は時政の名越邸を継承していることを見れば
別に決め手にはならない
御内人云々も、金窪行親は義時に近く、泰時とは疎遠で
泰時死後には摂家将軍に接近するし、
義時期に重用された平姓安東氏も、幕末まで内管領を1人も輩出しておらず
義時期と泰時期では明確に異なる 自分は逆に義時はかなりミエミエで泰時継承を出してたんだと思うな
妻の実家の顔を立てて宣言してなかっただけで
だから泰時継承でわりと北条はまとまり安定してる
母親の縁戚も嫁の縁戚も頼りにならず子供には先立たれてるのに なんで安東だすんだよ
義時の怒りをかって蟄居させられてたろw
泰時が仕方なしについてくるの許しただけ 義時は急死で、後継者は三浦の動き次第でどうなるか分からんような
不安定さで、最終的に政子が仕切って当人の遺志もクソもないのに、
義時がどの息子大切にしてた〜なんてただの妄想はどうでもいいから。
三谷がどう描くかってだけの話。三谷の義時は、たぶん草燃える
みたいなんじゃなくて、真田丸の空気主人公みたいになると思うけどね。
ブラック系では義村、正統派ヒーローでは重忠がおいしいだろ。 結局、政子が仕切る
子供の頃からいつも姉の後を追い掛け続ける健気な弟として描かれる訳か のらりくらりとかわしていたら13人で1人だけ生き残っていた感じか。大江や三善の官僚を除く 麒麟見てたら那古野城が解説で出てきたね
那古野と名越て関係あるん?
なごえともなごやとも読むと聞いた 義時はのらりくらりかわすというより情報戦に強い
裏で仕切る系かな
仁田から襲撃→館にいませんでした
和田から襲撃→御所に逃げました
公暁から襲撃→いませんでした
後鳥羽院から追討→鎌倉封鎖で院宣没収しました >>110
姉の孫を皆殺しにしていく健気で可愛い弟やで >>115
姉政子の息子と孫を皆殺しで姉の政子が権力者になる
確かにこれほど健気な弟は居ないな 政子と義時が一心同体だと考えるからそうなるのであって、
政子と義時の路線は最初から違う、水面下で蹴りあってるんだよ
結局、政子(実朝)が勝つ、政子(実朝)の路線が採られるんだけどな >>117
政子は弟に甘いからなんでも許しちゃうのだ
義時だけでなく時房にも甘い 北条義時 小栗旬
前妻 長澤まさみ
後妻 広瀬アリス
北条政子 中谷美紀
北条時政 吉田鋼太郎
源頼朝 渡部篤郎
源頼家 青木崇高
源実朝 志尊淳
北条泰時 神木隆之介
大江広元 山本耕史
梶原景時 古田新太
比企能員 尾美としのり
畠山重忠 山田孝之
和田義盛 阿部寛
後鳥羽上皇 藤原竜也
ざっとこんな感じかな >>122
そんな旬が過ぎた年寄りばかりになるとは思えない 政子(実朝)の路線とは?
・後継の執権は泰時(義時は政村推し)
・泰時に官位を与えたのも、昇進させたのも実朝、泰時を侍所別当にしたのも実朝であって、義時ではない
・逆に承久の乱後、泰時は義時の死までずっと六波羅探題として在京し続けることになる
・さらに官位の昇進も義時存命中は一切なかった
(海千山千の権力闘争の覇者・義時が、泰時の官位昇進を止めて、かつずっと京都に置いている意味はお察し)
・三浦は盟友にあらず、いずれ滅ぼす(義時は死ぬまで三浦と蜜月、一蓮托生)
・北条氏の同盟者は足利(門葉、政子の同母妹の子孫でもある)と安達(北条未満の虫けら出身)の2氏でよい
・鎌倉殿はいずれ皇族将軍にする
(義時は三浦氏とともに摂家将軍派、承久の乱後も摂家将軍はあえて維持された)
義時に武蔵守の経験がないこと(武蔵国は足利・安達の縄張り)、
逆に泰時に相模守の経験がないこと(相模国は鎌倉の所在地、三浦の本拠地)は重要な事実である
また、泰時にダメ出しされたエピソードを持つ経時が
摂家将軍(藤原頼嗣)に妹(檜皮姫)を嫁がせていることが注目される
時頼以降は皇族将軍となり、北条氏が一族の娘を鎌倉殿に嫁がせることもなくなった
(将軍外戚の地位を喪失した) さすがに親王将軍に北条娘を嫁がせるのは家格的に無理があるのか 近衛の娘を猶子にして嫁がせてるな
普通は家格が下のが上の猶子になるんだが逆なのがさすがw この時代は家長の権限が強くて鎌倉殿でさえ家長には口出せない
北条家の子息の任官は家長の義時の意向が反映してるのは間違いない >>126
実朝が義時の反感を買ってまで泰時を昇進させられんだろう
そもそも実朝自体が12歳で将軍になった幼将軍であり泰時よりも年下
政子や義時の後見なしには存在しえなかったのだし 次男の後見人の北条は頼家の代になったらかなり危うい立場だ
義時が比企の姫にアプローチしたのは政略ということも考えられる >>129
息を吐くように嘘を付く、何言ってんだこいつ?(´・ω・`)
頼朝が分家や庶流を厚遇する大豪族の分裂策を多用した実績があるのに
具体的には、山名や里見に対する新田本家の惣領権を否定して、
山名の官位は「門葉」として新田本家を超越したのだよ
よくこんなデタラメ、大嘘を書けるものだ┐(゚〜゚)┌ とにかく政子と義時が一心同体だという幻想、
思い込みを捨てるところから始めることだよ┐(゚〜゚)┌
義時がタヒぬまで一心同体だったのは三浦 義時の分身が泰時だよ
朝時がぐれたのは父と兄が結託して比企を討ったのがあると思う
でも最後まで兄と決裂しないあたりが朝時のキャラだな
源氏なら喧嘩おっ始めてそうだw >>134
父と子の相続権の話だよ
鎌倉殿は口出せない
鎌倉殿への奉公に熱心で父と疎遠になると相続で冷遇されてしまう
実際は泰時は義時から館を相続しており優遇されてる
役職でも侍所別当につけて着実に経験積ませてる
政所で修行させたりもしたんだろうな大江あたりにも習ったりさ
そんで御成敗式目の制定につながる >>137
>>129で
> 北条家の子息の任官は
て書いたのお前自身やんけ 他にも思いつくだけでも、小笠原氏に対する武田氏の惣領権、
千葉氏に対する上総氏の惣領権が否定されている
(後者は微妙なケースで、もともと実態として別家扱いだったというのもある)
和田氏が三浦氏から何かを安堵されているということもない 頼朝がどれだけ義時を可愛がろうが(実際は吾妻鏡の記述はかなり怪しい)、
時政が政範を嫡子にするは自由、
実朝(政子)がどれだけ泰時に肩入れしようが、
義時が政村を嫡子にするのは自由だよ。 頼家がどの程度頼朝のそばで修行したかがわからない
いきなり訴訟さばけたって無理だよ誰にもさ
義時が実力あるのは頼朝のそばで20年間も勉強したからだし
泰時も同じく執権の父の側に20年いた
まあ得宗は若くてついても能力高いから才能もあるだろがw 得宗・執権職の激務と、北条一族内や安達氏との近親婚の繰り返しが原因とされてますね もともと短命なんじゃ
時政の両親もきょうだいも姿見えないし時定も同じ
時政の父親が複数名なのも親は早世したんだろう
宗時が三郎なのもあやしい >>144
時政は享年78歳、義時は享年62歳なのだから、それは通らないよ そら全員は短命じゃないだろw
政範は短命だし
得宗家で長生きしてるのもいる
時頼の弟や息子や 天下の名執権と名高い泰時は唯一?の出演作の草燃えるで
30すぎても童貞役で松坂慶子に振られる役どころだった
今度こそ!もちょっと見栄えする役で! 2022年に五輪延期になれば3回程短縮に(´・ω・`) 泰時も長命だし、時氏から短命だな。母は誰だよ、三浦やんけ 権力もって金できて、乳母も水銀白粉使い始めたんじゃないの? 伊豆の新鮮な空気を吸ってのんびり育った時政と政子は長寿
結局執権はストレスなんよ。権力闘争、嫌ねえ。 義時息子太郎から六郎まであとプラスα
時政息子三郎から六郎まで
太郎くん次郎くんは早世したか 承久の乱終わりまで義時生きてるってことは視聴率MAXは政子の演説になるのかな・・・。天海さんこの役
取れたらいいけどねえ・・・。 五輪が2年後延期が濃厚だから
夏場休止で話数減ってしまうのは残念。 NHKの時代劇で主役やってたし本当は主役ジャニタレの松潤だったんじゃない?
大人の事情で小栗に代わったんだろうな
小栗もジャニタレみたいなものだしね
それより小栗漢字読めるかどうか心配だわ
滝沢は全く読めなくて全部フリガナつけてもらったらしいけど >>160
小栗は三谷作品の「わが家の歴史」に出たことがあって
三谷が「小栗くんはどうかな」とNHKのスタッフに言ったところ
その通りの配役になったと三谷が言ってる 草燃えるでは政子が
私はどうしたらいいの?何でもしますから言って!
てやってたよ承久の乱 肝心な部分をコント仕立てにしちゃうだろうなぁ…三谷ならね 関ヶ原みたいな感じで承久の乱の合戦は描かなそうだ
泰時が河に飛び込もうとして馬隠されてしまうのとか 承久の乱はナレ解説一瞬で済ましそうだな
おそらくドラマの大半は、鎌倉殿の1室で13人の御家人が延々と会議したり陰謀したり出し抜き合戦したり…
そういう箱庭シーンの連続だろう
三谷の十八番芸w 泰時「よし!オレも宇治川に突撃するぞ!馬ひけー!馬ひけー!馬!馬?
あれ?オレの馬どこー?」 時宗の元寇の合戦自分は好きだったけどな
川野太郎がビュンと敵将うつとことか
防塁乗り越えて鎌倉武士が一斉に突進するのとか感動
赤マフと欣也がウザかったが許す 北条時宗は女共がしゃしゃり出てきてうざかったな
女脚本だから仕方ないけど 三谷だから、大江広元をキーマンにするんじゃないか?
さて、役者は誰だろう?
時宗は、竹崎季長関係が面白かったな。
柳葉の安達泰盛も含めて。
陰謀ルームは喋っているだけで、動きが少ないから、退屈だった。 >>179
>時宗は女共が
時宗の母と妻と祖母じゃないか。
閨閥で動いている社会だから、
女が出るのは当たり前。
女が嫌なら、
修道院か禅寺の権力闘争ドラマでも
期待するしかない。 >>181
バカ違うって。木村佳乃や神田うのだぞw 女優が下手くそでウザかったんだよ
ともさかりえも恨み言だけ言うしさ
見れたのは松下禅尼と寺島しのぶ
原田美枝子も役柄が良くなかった
この大河も女の出番が多いだろうから上手いの持ってきてや こんな短期間で禊は済ませたとか言われたらまた炎上するわ 鎌倉時代なんてつまらんけど三谷脚本ならコメディタッチで面白いんかな? 平民からしたらね
でも武門の生まれの人は当然腹据えてかかってると思うな 鎌倉の御家人の権力争いはあれほど殺伐としてるのに、足利幕府の管領・守護大名のはなんであんなにちゃらんぽらんなんだろ?
ヤッパリ頼朝と尊氏のパーソナリティーの違いか? >>141
頼朝がもう少し長生きして、頼家が一人立ちできるまで監督指導してくれていたら…。
「葵徳川三代」で、家康が秀忠を将軍としてきっちり教育してから亡くなったのを見ると余計にそう思うな。 頼朝家康と違って本人の才覚というより
流れと人材で天下とった劉邦とかの系統なイメージ >>193
斯波・畠山・細川も身内だから
逆に鎌倉幕府に近い権力構造、室町将軍・鎌倉公方外戚の上杉氏が
関東管領を世襲する鎌倉府は、殺伐としてるだろ 頼朝は流人で男子もうけるのが遅かったからな
普通は50過ぎまで生きてれば息子はもう大きくなってるのだが
因果はあざなえる縄のごとし
そういう意味では頼朝血統が絶えたのは平家の呪いというのは
あながち間違ってもいない >>199
北条家が殺したと思う頼朝血統を残さないように >>200
中宮徳子が入内して平家全盛の時に頼朝を婿にしてたからな
本来ならあそこで頼朝殺されてもおかしくなかった
数十年遅れたわけだ 吾妻鏡には、不自然な点があるんだよな。
頼朝の死の部分は、亡くなってからずっとたって書かれた。
しかも、その前後が削除されている。
まずい事を書いてしまい、後で消した、と識者は見ている。
ズバリ、暗殺されたからか?
頼朝は橋供養に行き、病気で落馬。それが元で亡くなった。
しかし橋の管理人は、その後消されているんだよな。
病ならば、落ち度があったとは言えぬのだが。
口封じか? 頼朝…山本耕史
政子…松たか子
久々に時代劇の松たか子がみたい 日本の水道に4/1からフッ素・残留農薬入るよ。
://twitter.com/Rustiron727Bow/status/1235217569688117249?s=20
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>199
源家将軍が絶えたのは頼家は将軍になった時点での年齢のせいというより
政変、粛清のせいだしなあ
頼朝には平家追討に功績のあったそこそこの年齢の弟たちが大勢いたのに
次々粛清されてるからね
義朝が戦に負けて死んだたため嫡男の頼朝は親父が死んだとき14歳だった
頼家は頼朝が死んだときにすでに18歳になっており
そのぐらいの年齢で家督を継いで問題ないケースのほうが普通 頼朝はそこから20年流人生活でしょ
晴耕雨読の生活
頼家とは違う 板東の豪族たちは、貴族に搾取されていた。
それが不満で、源頼朝を担ぎ出し、自分達の代表者として、
朝廷にものが言えるようにした。
だが頼朝は、大姫を京に嫁がせようとしたり、朝廷に傾斜してゆく。
そのへんで北条らからすると不要になり、暗殺されたのでは?と見る識者もいるな。
頼朝は自前の兵隊を持たなかったのが痛いな。 なんでそれで北条の血を引いてる頼朝や全成の子孫を根絶やしにする必要があるんだよw >>209
父を失ったのに殺されることもなく晴耕雨読できたことが奇跡だろ
平家が北条みたいだったらとっくに殺されてた そもそも自前の兵力を持たない頼朝が名実ともに
武士を束ねることができてたかどうか
弟たちの粛清も頼朝というか源家の勢力を大きくしないためだったのかも >>210
搾取とはちょっと違うな
平家から既得権益を奪われたのが直の原因なので、その奪回と安定的な維持が主な目的では
頼朝が朝廷への窓口ってのはあってると思うけど
義経がやりすぎたせいで頼朝含めて全員欲目出してごたつきだしたんだろうなあ >>212
こらこら
北条の元で呑気な流人生活して
娘に手を出しても許してくれた北条になんてことを
頼朝は清盛の血筋を絶ったよな
寺に入れた六代も結局殺したし
貞暁を放置した北条にむしろ感謝しなさいw 六代の件は身元引き受け人が死んじゃったから仕方ない 盛り上がっているところに悪いけど、
「13人」がポイントだから、
頼朝の若いころなんて出てこないんじゃない?
「鎌倉殿」であって、「頼朝」では無いから、
下手したら、『真田丸』の信玄みたいに、
頼朝は、回想シーンで出るだけだったりして。 NHKの発表を見てくるのだ
政子結婚あたりからとなってるから流人時代は出ると思われる たぶん源平合戦で1クール
頼朝が死ぬまでが2クール目と予想 義時主役だから頼家との関係がどう描かれるか楽しみだ
草燃えるでは両者の絡みが一回だけで頼家がどう思ってるのか
見てる側にはよく分からんかった
吾妻鏡読んでもなんかよく分からんのだよね 呼び捨てにされて義時が不愉快に思ってるってあったけど
頼朝生きてる時は違ったのか?とか
側室が息子産んだら頼家から贈り物届くとか実は仲良し?とか
時房が仲良くて泰時が仲悪いのはわかるが >>220
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
三谷以前にNHKだぞ?平家滅亡まで最低でも半年はかけるぜ! 清盛は出さないと思うな。関東がメインになると思うから。逆に池頼盛は出すと思う >>218
「真田丸」がインスパイアを受けた「真田太平記」と同じく武田滅亡から始まっていたので、「13人」も「草燃える」と同じく政子頼朝の駆け落ちからと予想。 >>227
政子、義時の姉弟の運命は正に頼朝が伊豆に来たことで変わった、というか狂ったわけだから
伊豆にいたところ辺りもしかと描かないとね〜。 13人のほとんどが流人時代の頼朝とかかわりのあった人たちだから、
彼らのキャラを描くためにも、政子駆け落ちepは大事な掴み。
だいたい、政子の色気は駆け落ちにしか無いから。
1〜3月:旗揚げまで。駆け落ちepと周囲の反応。以仁王令旨。
4〜6月:源平合戦と平泉滅亡まで。頼朝死。
7〜9月:頼家・実朝殺害と梶原・畠山・和田などの粛清。時政隠居。
10〜12月:承久の変、義時死、泰時擁立、政子死。
こんな感じか。『草燃える』と似た構成になるが、
義時視点で、13人のうち、草には登場しなかった面子にも焦点を当てると。 1クール目で源平合戦
2クールで頼朝の死まで
3クール頼家時代
4クール実朝時代
てとこかな
2クール目があんまネタないな
義時嫁とりと富士の巻狩りぐらいで草燃えるもこの時代が一番数字低かった 三寅がまだ幼くして公卿じゃないから政子が代わりに政所を開くところをやらないとな 一番問題は泰時母をどうするか
ここは完全に創作になるから不安がある
あとはだいたい吾妻鏡があるからベースはできてるが >>230
今ぐらいの時期には頼朝死ぬんじゃないの?
タイトルの伏線回収するなら源平とかで無駄な時間取れないだろ 組!で江戸編に1クール
芹沢鴨とのバトルを2クール目まで
新選組が出てきたのは後半から
丸で天正壬午の乱に1クール
秀吉が死ぬまで30話かけた三谷だぞ
源平に時間かけない訳ない >>234
源平に無駄に時間はかけないだろうがそこそこはかけるだろう
源平合戦終わると頼朝死ぬまでネタあんまない
頼朝の粛清を毎回描くのもなw
で頼朝死ぬと13人のメンツもすぐ死ぬ
だから頼朝時代はそこそこ取るだろう 三谷だからむしろ源平合戦の辺りはさらっと流しそうな気も >>238
範頼軍目線になるんじゃね?
また義経軍が勝手に動きやがった、的な 義経はミステリーで最初に死ぬ役みたいな感じになりそう
これからみんなこんな感じで死ぬんだよってチュートリアル 義経より全成のほうが実質出番多いかもな
北条の姻戚だし 頼家の全成殺しがターニングポイントだしな
北条の挙兵に正当性与えてしまった >>237
真田丸もあんまりネタない豊臣家臣時代がやたら長かったからなー
茶々とのイチャイチャやら秀吉家臣団のいざこざやらで終わったが
頼朝に仕えながら御家人同士が駄洒落言ったり
泰時母とイチャイチャやったりで尺取りそう
三谷はあまり主人公が目にしていないものは描かないし
源平は義時が範頼配下で出陣した部分だけチョロっとという感じになりそう 主人公現場主義なら
武田と一緒に駿河に行ったそのついでに富士川
義仲スルー一ノ谷スルー屋島スルー葦屋浦壇ノ浦ばっちり
てとこかな >>243
草燃えるは頼朝挙兵8話ぐらいじゃなかったっけ
それまで政子のラブラブと義時のイチャイチャと
伊東十郎の政子どのぉーーーをやってた >>245
現場視点で源平合戦の中国地方・四国西部・鎮西での戦いを重点的にやれば、三谷流で蒲冠者さん等とのコミカルな掛け合いをやってくれる事を期待したい 三谷は自分にギャグの才能がないことをいい加減気づいてほしい >>244
なろう主人公みたいな感じで俺なんかやっちゃいましたか?w的な周囲をイラッとさせるけどアホみたいに強いみたいなことなってそう >>250
義経が突然暴走して屋島落として壇ノ浦で平家滅亡させて三種の神器が海中に亡失したという連絡を受けた鎌倉の頼朝が憤死しそうになるシーンが目に浮かぶw 【ファイナルファンタジーVII リメイク版 全世界発売直前特集】
都市伝説「水中呼吸のマテリア」はいかにして生まれ、広がっていったか。
エアリスを巡るデマ事件の真相を調査 23年後の真実
https://youtu.be/hrahIB7IecI
こういう才能溢れる人らに、吾妻鏡の嘘を暴いてほしいね トミー義経はあのイラっとさせるKYぶりが最高だったな
天才あるある >>251
そして、後白河に言われるがままホイホイと任官の話を受けるんだなw
んで、頼朝に
「任官しましたがなにか?」
的なことを言って寄越して頼朝の血管が切れそうになるw >>258
さらには
義経「一門の誉れやん」
頼朝さんの血管耐久テストかな? 父上に褒められたくてやらかしまくる今年の信長見て、
頼朝に濡れたわんこのように鼻づらを俺に押し付けてくる、
と石坂頼朝にキレられる草燃えるのトミー義経思い出したわ。
まさしく頼朝と義経はそれ。 >>248
範頼軍には13人のうち
義時、三浦、和田、比企、八田、中原とキャラ揃ってるからな
コメディやってくれると思います
で義経軍は梶原と義経が向かい合って座ってると思います 頼朝が平家滅亡後勝手に任官した御家人達に罵倒する文書出したのって誰かさんのせいで相当ストレス溜まってたんだろうなw 義経は西国の水軍を勢力下において独自行動取ってたらしい 後の範頼とかのことを考えても問題の根っこはそいういうとこじゃないと思う 義時と直接は何の関係もないからな
身内の清和源氏を粛清しまくったという意味では関係あるけど 吾妻鏡の記述が、頼朝時代の義時に関して怪しい根拠の一つがこれね
頼朝は「2人1組」を好むのに、「13人の合議制」ふくめて
「義時が入っているところは、ことごとく奇数になる」問題
「13人の合議制」の場合は変則的で、交代制・輪番で3人1組で合議して
頼家に答申していた、その合議体が4つあって3×4=12人だったのではないか、ということだけど
義時の肩書きだけ浮いている、異様なのも説明が付く
13人が一堂に会して合議したことは一度もないんだよね(それは歴史の捏造)
「吾妻鏡」が徳川家康に与えた影響とは?
吾妻鏡(3)徳川家康への影響と効果
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=135
●鎌倉幕府の組織を支えた「二人制」
それから、鎌倉幕府と江戸幕府に共通しているのは、
「二人制」という官職における複数の制度です。
例えば、頼朝は平家を滅ぼしていくために、
範頼と義経の二人の大将軍を司令官として派遣しますが、
これも二人制をとっています。それから、奥州の藤原家を滅ぼした後は、
後の陸奥、奥州の政局運営にあたって、
「奥州総奉行」と「陸奥国留守職」という二つの職を設けて牽制させています。 梶原の弾劾状の中に義経を讒言したってのもなかったっけ 草燃えるは頼朝主役だから源氏の粛清のことは一切カットしてた
義経の排除も任官問題をことさら協調して頼朝は悪くないよ
という形を取ってたな
まあ当時は義経ヒーロー頼朝悪役風潮だったからそういう描き方もありだが ローマやアメリカと同じ重要ポスト複数制を鎌倉時代・江戸時代に採用した日本は
やはり特異な国と言えるでしょう
まあ明治以降は採用されてないけどね 頼朝の肖像足利直義じゃなくやっぱり頼朝説がでてきたな 「マイト┗ーヤの星」と呼ばれ、正体はUFOです。
義時主役だから、当然、山は、
承久の変
廃帝、3上皇配流、
これを確り描いたら、神大河 >>277
「しっかり」って読むの初めて知った。
ありがとう。 承久の乱の合戦はやるだろうが戦後処理はナレでさらっと流すくらいだろうな 後鳥羽上皇をラスボスに据えるならサカイマサトぐらい起用してらくれよな >>277
義時がそれやって実権奪ったから天皇制がその後今に至るまで続いたとも言える
平家は天皇殺したが北条は天皇の命には手を出さなかったし
滅亡する時でさえ 足利を敵とする皇国史観だと北条は正義になるんだな
北条時宗にもそういうところあったけど >>280
そう。堺雅人の後鳥羽上皇なら見たい。
史実だと義時より16歳年下ですから、浅利陽介や中村七之助(小栗旬とは同年代)の後鳥羽上皇も見たいところ。 実は生き残るためにわざと馬鹿をやっていた土御門上皇という解釈も面白いかも >>286
実朝が死ぬ8年以上も前に(後鳥羽的に見て)「ダメな子」ということで
順徳と交代させられているので、それはないんだよ >>287
そう、それがわざとだったという解釈が面白いかなと >>281
>>282
足利だって天皇殺してはいないし、
北条と違って配流にさえしていない。
後醍醐天皇は勝手に吉野へ行った。 >>294
>理屈
平家だって理屈で殺したわけではない。
祖母子の無理心中。
>>293は、
北条○、足利×の、水戸学が変、という話 北条に比べたら足利の治世は荒れがちで暗君も多いってのはあるんだろうな
後世の歴史家の忖度があったとしても 暗君というか根本的にまともに権力掌握した将軍がほとんど居ない まともに権力掌握しようとしてそれなりに成功したの、義満と義教の2人だけだからね
その2人も半ばで暗殺死亡
権力集中を許さない何かがあったのかね?
足利一統には >>293と>>295は、
皇国史観の話をしているつもりで、
水戸学は「理屈」重視なので、
「変」という話なのだが、… 闕所処分等を守護に一任した結果幕府そのものの存在意義は減少したもののゼロにはなってなかったのが足利政権 南北朝時代に東北から九州まで何十年も争いを続けたことで
大概の武士が戦乱に慣れてしまった
その後の享徳の乱と応仁の乱も経て
俺らだけでもやれるじゃん?幕府いらなくね?みたいな心理になっていったんだろ 戦に勝つことと処領を得ることは元々はイコールじゃなかった >>295
平家が天皇殺したのは身内だったからという話あるね
でも六波羅滅亡の時には平家の前例持ち出して天皇と上皇殺して
自害しようという案も出てたからそれを採用してたら
それが定着する可能性はあった 勝海舟だっけ?政治は北条手本で評価してて足利は経済の方で
評価してた気がする
細川頼之を褒めてた様な…あんま覚えてないが 鎌倉は一族郎党皆殺しにしてたら最後は北条氏が族滅してしまった
室町は有力守護がそれぞれ足利一門や縁戚同士だったのでそこまで出来ずグダグダになった間に守護代層などの下克上を招いた とはいっても討伐されるのも外様(山名、大内、土岐)なら、
室町将軍を暗殺するのも外様(赤松)よな 山名は外様じゃない
新田の支族だけど実態は足利の一門化してる 頼朝の旗揚げ当初から足並み揃えてたしね
というか物理的にも近い 足並み揃える(笑)とか物理的に近い(笑)とか、一門・譜代か外様かには一切関係ないよw
北条から見て足利が縁戚ではあっても、一門や譜代ではないのと同じ
ただし、足利家氏(斯波氏初代)に関しては、
北条一門「格」として遇されていたとみられている
あとは時代が下がって、織田氏と佐治氏の関係で、
佐治氏が織田一門格として扱われることがある >>309
山名義範は同じ義国流源氏で足利義兼の従兄弟、姪の婿だし外様と言うには近すぎるかな
頼朝にとって足利は外様か?って感じが分かりやすいと思う
あと家氏を粗末に扱ったら名越氏がこの時点で得宗家に反乱起こしてもおかしくないレベルで激怒したと思うから気を使ったんだろう >>299
皇国史観的には、
後醍醐天皇に逃げられた尊氏より、
廃帝と3上皇配流を行った義時の方が、
罪は重い。
こういう意見か? 斯波氏みると原田美枝子の顔が思い浮かぶw
わらわの子家氏は!といつも言ってたな 皇統分裂を招いたか招かないかの差?
まあ後鳥羽系と後醍醐のしつこさの違いな気もするが >>315
細川は庶流の中でも家臣筋からの成り上がりであるが、
将軍外戚であったことは一度もない 承久の乱てあんだけの大戦なのにサクっと終わって上皇配流やら
前代未聞なのやってるのにその後特に荒れることなく静かに治ったもんな
新補地頭で所領での揉め事はあったけどさ
海東記とかみると鎌倉の権威すげーて伝わるは >>318
要するに後鳥羽上皇だから義時を討てって命令を出したのであって、
その後鳥羽上皇が処分されたら義時をどうこうしようなんて思う人は
いなかったって事なんだろうな。 義時長く権をとりて人望にそむかずで臣下として傷はない
て北畠親房が言ってるし
後鳥羽てやっぱホント帝王なんだと思うな
朝廷が君臨すべしというだけで義時追討企てた
三種の神器の剣なしで即位したというコンプも影響したか 陰陽師に頼朝の先祖と小山の先祖が出てるな
比企も秀郷の子孫なんだっけ そうだぜ。幕府まで従わせて完璧で正統な皇位継承者になる予定だった。 >>327
当時は後鳥羽の皇統だけで朝廷は固められてたじゃん
承久の乱のせいで鎌倉幕府に皇統変えられてしまったけど
後鳥羽の兄の系統が2代で絶えたのでしれっと後鳥羽皇統復活
現在の天皇家も勿論後鳥羽の末裔 >>320
親房は尊氏も高く評価している。
義時を上げて後鳥羽を下げているようで、
実は尊氏を上げて後醍醐を非難してるんだろうな。 >>313
廃帝も天皇殺しも、
上代にはちょくちょく有ったから、
大江の広元も気軽の義時に勧めたんだろう。
それを考えると、
廃帝も天皇殺しも配流もやっていない
足利は、不当に非難されている。 持明院統と大覚寺統のもつれが分かれる原因だから足利はタイミングが悪かったな
そういう提案したのが鎌倉幕府だし けど後醍醐帝のカリスマ性がなきゃ足利の北条からの自立はなかった カリスマというか後醍醐帝って天皇なのに陳勝呉広、みたいなとこあるから 北条で一番有名なのって時頼じゃね
名前は知られてなくても障子の切り貼りや夜中の味噌舐めは
大抵の日本人なら知ってるんじゃ
廻国説話もあるし >>307
そもそも新田と足利が同じ源氏の幹から分かれた枝だからね。 斯波や細川も分家だし新田もまた足利の分家と言えないこともないか >>337
「夜中の味噌舐め」って妖怪じゃんw
味噌を肴に御家人と酒を飲んだでしょ
>>340
新田からすれば足利が新田の分家 けど鎌倉末期には足利一門化してたよ新田
小山と結城みたいな感じかな >>337
昭和ならともかくいまの日本人は誰も知らんと思うぞw さすがに旗揚げ当初の状況で頼朝につけってのは無茶な話では
仮に頼朝についてても上野国のほぼ半ばを占める大豪族をそのまま放置しておくはずもなし
上総広常みたいなことになりそう 日本史の基礎知識からいったら元寇の時宗が一番有名では? >>340
斯波は(分家とも呼べない)別家
庶流の中では唯一、足利姓を名乗り続けた家
そもそも当人たちは斯波を名乗ったことがほとんどない
鎌倉時代は足利のまま→室町中期以降は武衛が一般的
細川は一門とはいえ鎌倉時代はイメージとしては国人クラスの家臣筋 頼朝と一緒に登場する時政
元寇の時宗
滅亡時の高時
この3つのどれかでしょうよ 鎌倉の大仏だって時頼の時にできたのに
あじさい寺だって時頼の墓所なのに 最明寺入道さんは大河の時宗でも存在感あったなあ
最期にいきなり赤マフ殺せとか言い出したけど >>346
旗揚げ時は場所的に動けないのも分かるし福原に通報したぐらいで積極的敵対行動取ってた訳じゃないから頼朝も理解はしてたと思うけど、その後の側室拒否の件で頼朝の怒り買ったのがまずかったと思う >>350
時宗は和泉元彌がやった時にプチ話題になったじゃん。 そもそも頼朝の親父からして直接間接問わず弟10人と親父殺してるし、残った三男と十男も頼朝に消されてるしな
源氏の内ゲバは最早御家芸 武士だったら血族同士争うのは一般的だしだから儒教とは似て非なる武士の情けが生まれ武士道に発展した 源氏でひとまとめにするのはやめて差し上げろ
河内源氏と一緒にされたら他の源氏さんが可哀想やろ >>354
あれで新田の目は完全に無くなった
側室とはいえ男子生まれたら血筋的に次の将軍の可能性、女子でも摂関家に輿入れになってもおかしく無かったのになぁ >>318
承久の乱があったからって別に朝廷が廃止されたわけでもなく
後鳥羽上皇からその兄の系統に皇統を移しただけだからな
守貞親王は後鳥羽上皇の同母兄であるにもかかわらず
平家都落ちに伴われたために即位できずに同情されていた
>>319
承久の乱後に即位した後堀河は出家する予定で寺に入っていた
即位させてくれた北条義時には感謝しかなかった
後堀河の母親は源頼朝の妹婿一条能保のいとこ
その意味でも鎌倉幕府に近い存在 非常に面白い視点だね、新田氏でも、奥州藤原氏でも、
とりあえず側室で輿入れしても、その後の展開は分からなかった、
(家格的に)逆に北条氏が頼朝に粛清された可能性もあった
頼朝自身が新田氏や奥州藤原氏にマウントとるために
「側室でー」と言っていたから、
政子や時政すら気付いていなかっただろうね やっぱり頼朝晩年の“消された3年間”が気になるねぇw >>352
ナベケンの時頼は病になりそうにないたくましい身体してた >>340
新田は源義国の長男義重の家系。
足利は義国の次男義康の家系。
新田が宗家だよ。
しかし建武政権の頃には、新田と足利はアカの他人。 >>367
ノンノン、鎌倉末期には新田氏は足利氏に従属していた。
新田義貞の「義貞」のうち、「義」が足利高義の偏諱とみられている。
(個人的には「貞」が足利貞氏の偏諱である可能性も高いと思うのだが)
また初代の足利義康と新田義重の比較でも、
官職は義康の方が高く(蔵人として昇殿、河内源氏棟梁ゆかりの陸奥守就任)、
新田が宗家とは言いがたい。 >>368
あーそうか、足利貞氏の「貞」がそもそも北条貞時からの偏諱だから、
その「貞」をさらに新田義貞に与えることは考えづらいということか 義康が若死したお陰で義国流の序列が曖昧になった感
しかもそこから義兼が盛り返すし >>368
実際の力関係と宗家かそうでないかとは別の話
新田が嫡男の流れであることは事実だし、少なくとも新田からみたら自分達が足利の分家とい見解は受け入れられないはず
義貞が最後まで足利に敵対したのも自分こそ嫡流であるとのプライドからだろ >>371
宗家が分家、庶流から偏諱受けるのかよ?w
官位、官職(蔵人、陸奥守)についてはコメントなし? 太平記史観から脱却しないと
義貞は高氏の命令で鎌倉攻めの挙兵をしたと思うぞ
足利高氏は北条高時から偏諱を受ける有力御家人
一方の義貞は… でも京の公家も頼朝の死についてなんもいってないんしょ
平家の亡霊をみた、とか? だから頼朝死については草燃える説が妥当だと思うな
誰も何も言ってないのを妄想するのも
畠山重忠に斬られたというのはあるかw >>372
だから言ってるじゃん
それは実際の実力差を表すもので、嫡流と庶流の話とは別だって
徳川氏も得川・岩松氏の後裔と称してるけど、江戸時代彼らは徳川氏の家臣になってるし、山内氏も備後家が宗家に当たるけど、庶流の土佐山内家の方が偉そうにしてた >>377
母の違う兄弟で官職が弟の方が上なのに、兄の方が嫡流なのか?(笑) >>375
玉葉に記述がないのが不審とされているが、明月記や猪隈関白記にはある。 >>377
当時の嫡男と庶子は母親の実家で決まるから長男次男とかはあまり関係ないでしょ
長男重視なら足利義康だと三男足利義兼じゃなくて長男矢田義清が足利の嫡流になるけどそんなこと無いしね
で、義国と義康どっちの母親の方が格上なんだろ? >>380
生母の家格は義重(新田)より義康(足利)の方が上みたいだね 源氏の個人的戦闘力は
為朝>義平>義朝>頼朝>義経>義仲? >>383
義重母…正四位下上野介・藤原敦基女
義康母…正五位下斎院別当・源有房女
義重母のほうがちょい上
義国の本領は新田荘で義国はここに住んでおり
義重は父と一緒に本領地にいたし >>385
だから>>383は「家格」と書いているんだよ
村上源氏、義康の母方の祖父の祖父は従一位、右大臣だから
義重の母の実家は藤原式家、学者、文章博士の家 >>386
5代前の先祖が大臣だっただけでそれ以降はずっと受領だろw
清和源氏など天皇の曾孫でも受領としての扱いしか受けておらず
先祖遡っても臣下にすぎない摂関家に家司として仕えてたぞ >>387
何言ってんの?w 村上源氏と清和源氏の家格が月とスッポン、まったく違いますやんw
母親が村上源氏の息子と、母親が藤原式家、文章博士の家の息子、
どっちに将来性があるか、どっちが出世に有利かなんて明らかじゃん
現に義康は若くして昇殿、(河内源氏棟梁ゆかりの)陸奥守に就任してるわけで >>388
そのままお前に返すわw
義康のほうが出自が上だという結論先にありきで
無理に母方が良いとこじつけているだろ
村上源氏の嫡流は源通親に移っていて
義康母が村上源氏嫡流の名門の大臣家だなんて誤認はなはだしい
そもそも義国は義康母を特別待遇していない 誰が村上源氏嫡流だと書きましたの?
人の書き込みを勝手に捏造されては困るよ┐(゚〜゚)┌ ケンカすな!
要は、義重、義康の母の出自に明確な差はないわけだ
なら、兄である分、新田が僅かに嫡流に近い
もちろん足利からしたら自分たちの方が嫡流と言う意識だろうけど(世間も同じ)、少なくとも新田からしたら「自分達こそ嫡流」と信じてたのに無理はない どっちにしろ足利義康が早世したので義重が義国流を守りながら頑張った事には変わりないよ
最終的には義国流の長老扱いで死去後すぐに頼家が蹴鞠しようとして政子に咎められるぐらいの存在感はあった
新田氏の没落はその後代々下手打ったから別問題w >>395
「カンショク、カンショク、カンショク〜」w
アホと会話しても無駄って得心した 預かり罪人を逃亡させる
娘が新田惣領家の所領を自分が生んだ子へ分配
も追加で
>>402の理由で新田惣領家から没収された所領を管理してた世良田頼氏が反乱に関わってたのでなんとか返して貰えたとかもうね・・・ >>386
加えると義重生母には足利(藤姓)成綱の娘説もあるね >>406
NHKは新しい地図の草なぎ剛を青天の目玉として重要役で起用する報道が出た
吾郎は朝ドラに出たし香取だけこのままというはずもない
香取は最近も三谷作品に出ている三谷組でこっちへぶち込みそうなんだよなあ 源頼朝=山本耕史
和田義盛=香取慎吾
こんな感じなんだろうな 和田義盛「鎌倉殿と13人の時間だああああああほげえええええええ」 義時は頼朝のすぐ近くに眠ってるのに
政子は離れてるな >>411
「吾妻鏡」によれば源実朝は高野山の金剛三昧院
北条政子は鎌倉の勝長寿院(現在は廃寺)に葬られた
鎌倉の寿福寺に並んであるのは実朝と政子の供養塔
横穴式石室の玄室の中にそれぞれ供養塔が置かれてある 政子と実朝並べて供養したい気持ちがあったんかな
義時は伊豆では奥さんと並んで一緒のお墓 >>413
北條寺にあるやつね。
佐伯氏の娘って書いてあるんだけど誰の事かよくわからん。
恐らく生まれた地に供養したいと息子の泰時が建てたものだろうから、
その母親なんだろうなと思うんだけど。 >>408
なんか嘗ての「新撰組!」を彷彿とさせるイメージあるな
頼朝を中心とした御家人衆が朝廷を相手に大喧嘩をすると言うノリがソレっぽい 旗揚げ前に結婚してたのかも
それで泰時が両親の墓を江間に立てた
所帯持ちなんで江間に義時が分家したのもありそうだ
嫡男安千代が蛇に飲まれて死んだという謎エピもある >>417
頼朝は平家追討はやったけど朝廷と喧嘩する気はさらさらなかった
晩年は娘を後鳥羽天皇に入内させるために政子と娘を連れて上洛して
あれこれ朝廷に口利きの申し入れをしてたし 実際は10人で、吾妻鏡編集者が北条をつけくわえまくったのは内緒 >>420
頼朝は所詮、朝廷的価値観の人だからな
結局、鎌倉御家人を裏切り御家人に暗殺されたち考えるのが逆転の人の説
曽我兄弟の仇討ちも、実は頼朝暗殺計画だったとか 曾我兄弟の事件の時に八田知家がなんかやってたんだっけ
三谷楽しんでネタ作りそうだ >>422
暗殺かどうかはともかく元々頼朝に実権力はなかったかもって思ってる 頼朝も血統から大義名分をくれる役割に過ぎなくて現実は有力氏族の武力を借りて平氏に勝てただけなんだよな
室町は有力氏族が守護に変わっただけだし武士団を完全に押さえきるのは秀吉の惣無事令まで待たないと実現しなかった でも今度のドラマで描かれるといいけ鎌倉軍はるばる西海まで遠征してさ
何ヶ月も旅の途上で腹空かせてろくな手柄もなくて
あれ銀英伝だとラインハルトがわざと自陣奥深くに敵軍引き込んで
補給たって現地で略奪やら衝突させてそこで一気に反撃して叩いたてのと同じ
でも鎌倉軍はブーブー言いながら粘り強くやってたよな
頼朝はそこにいないのに手紙だけで鎌倉殿の威光すげーて感心する
木曾義仲軍は略奪して評判落としてた 行き着いた先ふぁ「相撲」や「お茶会」なんやね
しかし相撲やお茶会では同情しないけど「機織り」だけは不憫に思う 手弁当だから坂東へ引き返すと大赤字、略奪すると西国の非御家人層から袋叩きに合うので引っ込み付かずに平家倒して恩賞貰うしかなくて我慢してたんじゃないか?
範頼が相当泣き言を鎌倉へ送ってたから雰囲気は推して知るべしだがw 我慢して道が開けるならいいけど見通しきつかった
鎌倉からの補給を待ってたがそれ叩かれたら終わり
平家は鎌倉軍と戦わずずーっと奥に引き込んでくあたりの作戦面白い
一番奥の赤間関までいったら平家は彦島にいて船がないとどうしようもないお手上げ
オレが平家軍ならゲラゲラ笑ったと思うw >>431
範頼殺された(おそらく)理由は曽我事件は頼朝に対するクーデターで(首謀者は時政?)、頼朝に代わる御輿が範頼だった
永井説 北条の血をひいてる頼家の後継の立場を確実にするために
頼朝と北条が組んで弟たちが粛清されたという説は現代語訳吾妻鏡にも載ってたな >>431
逆に、源氏が力を持ちすぎるからこそ排除されたんでは 西征の目的は安徳天皇と三種の神器の奪還で一ノ谷の戦いもその和平交渉が決裂した結果。闕所処分が武士だけで勝手にやれなかったのだから、朝廷の意を酌むのは当然。 >>432
宗盛「屋島引き払ってこっち来ちゃった」
全てはこれに尽きる >>439
義経に追い落とされたからな
屋島と彦島抑えて鎌倉軍を山陽道に封じ込め締め上げてたのが
範頼軍が封じ込め突破して九州に上陸、同時に義経が屋島攻略
気がついたら逆に彦島の両岸を鎌倉軍が抑えて逃げ場なくなった平家軍
なかなか面白い展開
頼朝が義経をカードとして置いておいたのが意図的だったのかどうか >>435
永井路子は頼朝と時政を暗殺して範頼を立てるクーデター説だったな
敵討ちにしては死傷者が多すぎて多くの兵が動いたんだろうというのと
死傷者をみると時政の周辺を警護してたらしいのが多いというのが理由 >>442
屋島を全滅覚悟で死守しないといけないのに宗盛がさっさと逃げたから・・・
そもそも子供好きの優しいおじさんに総大将なんて無理やったんや 学者でも普通にその説とってない?
範頼無実説と範頼も不満持ってた説がいる
後者の理由は頼家への権力継承とか >>444
範頼軍は船がないから彦島を攻撃できなかっただけで、
迂回して九州に渡り陸戦でも原田種直ら平家与党を制圧している
屋島の平氏は長門・九州との連絡を断ち切られてる
四国の阿波民部大夫成良ら在地の勢力しか頼みにするものがない
桜間能遠の城を攻め落とされた時点で四国でも陸の拠点がなくなった >>446
後出しだけどだからこそ小勢の義経を叩いて海からの梶原景時と一戦して勝つしか無かったと思う
屋島放棄してすぐ滅ぶよりかはマシってだけなんだけどね 頼朝が襲撃を受けるほど不満が高まっていたにしては、
梶原景時と比企と頼家の排斥が遅すぎるのよね ただ頼朝クーデターにしてはぬるい気がする
曾我兄弟の仇討ち事件にして表向きしゃんしゃん岡崎らを出家させて終了
てのは違和感覚える
頼朝がそこまで妥協しなければならないほど反頼朝が強いとは思えんのだ >>435
利用されたというか
そもそも兄弟の片方が頼朝の寝所に突入して抑えられてるのが
クーデター説の根拠の一つで
頼朝両刀づかい説の根拠にもw >>447
阿波の近藤親家と、屋島の平氏を実質的に支えてた田口成良は対立関係で、
義経は前者と通じて上陸直後に桜庭介能遠を攻撃してる
伊予の河野氏も反平氏勢力で、田口氏はそっちにも出陣する二正面状態
屋島の陸上戦力で阿波の反平氏勢力への劣勢は否めないので、
伊予討伐軍を呼び戻して合流するしかなかったんじゃない ここ一番で毎度源氏の遠征軍に負ける肥後菊池氏は何故なのか 当時は親子兄弟で苗字がバラバラだよね
ドラマどうすんだろ
加賀美の長男が秋山で次男が小笠原で
とかやったら視聴者が死にそうな
武田信光は最初から武田で通すかもしれんが一条忠頼は?
結城朝光は小山で行くんかな わかりにくいから所領を苗字にしたのにそのことによってわかりにくくなるジレンマ
まあ鎌倉さんが鎌倉にいたり江戸さんが江戸にいるだけわかりやすい 織田信長の時代、細川といえば細川昭元(本家の京兆家)のことで、
藤孝(幽斎)とか忠興とかは庶流もいいとこだったので長岡姓だったんやで?
それよりはずっとマシ
ゆえに昭元は大河や時代劇ではまず完全スルーされる 北条は平氏!我らは源氏!ゆめゆめ忘れるでないぞ!
はいいけど赤旗に三鱗という奇怪なものを出してたな<太平記 坂東武者は平氏が多いね
源平合戦は平平合戦ともいわれる 坂東平氏だから
源氏は関東の周辺にいる
藤原氏もちょっとその傾向 >>469
そもそも平忠常が源頼信の家人だったのだから、
強調してもあんま意味ないんだよねぇ>坂東平氏
源頼義が平直方から鎌倉の屋敷その他を譲られた時点で、
坂東は河内源氏のナワバリ、勢力圏
坂東平氏はただの在地の家来ってこと さらに言えば、出自がはっきりしている大掾氏とその一族、城氏や海道平氏などとも異なり、
平良文流は古代からの在地豪族による仮冒の可能性も指摘されている。
坂東平氏は、河内源氏からも、明らかに下にみられているのだ
(正室の)縁組の対象としては見なされず、家人扱い、というか事実、家人である 源頼義に鎌倉の屋敷その他を与えた平直方も、出自のはっきりした平国香、貞盛流
平良文流を称する坂東平氏には当事者能力がない
自力で領地を支配、要求を通すことはできず、
上の方で決められたことを押し付けられる存在でしかない
上総権介を世襲する平広常も例外ではなく、
上総介に就任した藤原忠清に干されて、散々痛めつけられたわけだ
身一つで坂東へ下った源義朝ですら、
坂東平氏と通婚せず、波多野氏から側室を迎えたにとどまるのは特筆に価する
(坂東を掌握しつつ、どうしたらこんなことが可能なのかと不思議に思う) 良文流は仮託であったとしても忠常や将門の末裔を自称し朝廷に反抗する意思を顕にしてる存在 475
義朝の坂東進出については
初期は摂関家の荘園支配機構、後期は鳥羽院の知行国荘園支配機構にのっかったもの
という説が割と通ってる。
あと坂東在地勢力との関係を見ると初期は上総氏の後だて、後期は相模の在庁系三浦との結びつきが大きいと言われてる。
波多野は在地領主の面と都の下級役人の両面をもつ(一族で都担当と在地担当を分担)
どっちかっていうと都系の方から側室もらったかも。 為義は義朝を関東の抑え、義賢を自分の後釜に据えようとしたのかな? 義朝は勘当同然とされてますね
河内源氏は「摂関家の犬」なのに、
義朝は院に接近して、自力で従五位下下野守任官、
受領となって父の為義を超越しました 大倉合戦は当時の源氏の扱いがわかる象徴的な出来事で好き >>483
義朝や為朝みたいな暴れん坊は子供の頃から勘当同然のように関東や鎮西に送っちゃう為義パパの中では義賢が後継者候補で、その後は頼賢に変わったんだと思う
自分含め間接的にみんな義朝にやられたけど
ところで為義パパは何人子供がいたんだろ
十郎行家以降の惟義やら亀若なんて史料に乏しいよね 国香流はなんであんなに政治力があるんだ
片方が清盛で片方が北条て異常だろ 河内源氏嫡流の5男あたりに生まれて寿命を全うするという達成困難なミッション課せられたらどうしたら良いんだろ?
兄弟全員皆殺しか出家して自分で目玉抜くぐらいしか思い付かないわ >>493
陸奥六郎殿(源義隆)のような例もあります、落武者狩りに遭って討死しちゃったけどね
子孫も残った(源姓毛利氏、森氏) 戦で大暴れした為朝が流罪で済み、
無関係の元服前四人の幼子が処刑される理不尽 悪源太義平も生き延びたところで頼朝には義経同様に戦のために使い捨てられたあげく殺される未来しか見えない
その前に頼朝の旗揚げにも応じず義仲のように独自路線を貫いて敵対しそうだけど 義平は大蔵合戦はじめ実績があった、坂東平氏の諸豪族とも面識があったので、
坂東の武士が一枚岩になるのに時間がかかった筈
義平に一本化されるにせよ、頼朝に一本化されるにせよね
とても史実の頼朝のようなスピードではコトが進まなかっただろう 積極的挙兵ではなく以仁王一派の平家による残党狩からの防衛戦 行家と義平
頼朝と亀若
伯父甥だけどタメくらいだよね 鎌倉時代や室町時代は子供に困っている感じがしないのに
江戸時代になると急に子供に困るイメージがあるのはなんでなんだろうか 江戸時代の大名ってそんなに男子の死亡多かったんか?
だとしたら水銀中毒だろうな 武家諸法度で婚姻が許可制になったのが大きいでしょ
それまでは自由にあちこちとくっついて子供増やすことが可能だった
鎌倉期なら家の前通った女は自分のものだしなw >>511
大名同士の婚姻は江戸幕府の許可制になったため正室は幕府が決めたが
側室や妾は御殿勤めの女中で好みなのをお手付きにしていたからそうでもない
徳川吉宗の生母は一説に百姓の娘とも言われているし
島津久光の生母は大工の娘だの八百屋の娘だの言われている
江戸時代以前から正室は政略結婚で本人同士が決められなかっただろう >>500
足利の平島や喜連川がまだ現存するはず
もちろん徳川も >>513
阿波の平島は明治維新で庶民になったはず
喜連川が血統的にはトップだが力がなあ…
嫡流云々より大きな力を持って生き残った点からしたら、肥後藩主、華族、熊本県知事の庶流細川が実はゲンダイ源氏のトップじゃあるまいか? 得宗家は子供結構危うかったけど
泰時の息子は全滅だし時宗も危ない >>518
そこはすでに同族内や安達氏との近親婚の影響が指摘されてるわけで >>488
為義は、天下60ヶ国に合わせて、60人の子を持とうと頑張っていた 得宗正室が男児うまない可能性もかなり高いはずだが
きっちり残すあたりがしぶとい
義時に至っては正室3人いてみんな男児残すから一門繁栄するし >>520
そう言ったらしいね
ただ保元物語にしか出てこない、鶴若、亀若、乙若、天王なんかは本当に実在したのかな?って思う 金権腐敗売国土下座利権世襲自民、安倍政権を見てもわかるが、
日本の権門・官僚機構は記録を残さない上に、改ざん、隠滅、廃棄上等
漢籍だけはやたらと保存するがな┐(゚〜゚)┌
新井白石、伊藤博文(憲法義解)、陸奥宗光(蹇蹇録)、
原敬(原敬日記、「当分世間に出すべからず」と遺書で厳命)
宇垣一成(宇垣一成日記)とかは例外的 日露戦争、ロシア革命への日本の工作、資金援助とかは
伝聞では残っているものの、ほぼ歴史の闇に葬られてる >>526
女とみれば見境なしに手を付けているからな
遊女から庶民の女まで何でもあり 頼家は女好きなとこも義朝に似てる
実朝は誰に似たんだか 蒲冠者は母が遊女だったな
遊女と白拍子はどちらが上なのか? 義平:遊女の子
朝長:官位持ちの地方豪族の娘の子
頼朝:院近臣の娘(由良御前)の子、嫡男
義円:よしかど、由良御前の子?
希義:由良御前の子
範頼:遊女の子
阿野全成:白拍子(常磐御前)の子
義円:ぎえん、常磐御前の子
義経:常磐御前の子 義平は長男(庶長子)で実績(大蔵合戦)も十分なのに無官だから、
その異説とやらはまともに取り合う必要ないですよ、よほどの出自の低さが容易に推定できます >>534
常盤御前は白拍子ではない
庶民で中宮藤原呈子の雑仕女(水仕事などの下働きをした下女)
>>531
白拍子は芸だけで生計を立てるわけでなく宴席に侍った後は売春もしたから
遊女の一面もある >>539
あんたに根拠もなく勝手にダメ出しされるいわれはないよw
もし長兄(庶長子)義平の母親が本当に三浦氏(三浦介)なら、
波多野氏の娘を母に持つ次兄朝長との官位の差はなぜ生まれるのか説明してみw >>528
実朝は正妻の坊門氏とは仮面夫婦だったのかな
坊門氏の姉は後鳥羽上皇の寵愛する女官で何人かの子供を産んでいるのに妹にはいないのは・・ 義経不細工説とかあるけど母親が千人に一人の美人なんだし、やっぱしイケメンな部類だったと思う
というか顔で選ばれた遊女の息子は義仲みたいにイケメン多そう
為朝、為仲、義平、範頼あたり Wikipedia 鵜呑みなら義平は無官だが左衛門少尉任官説がある。 義平、朝長、頼朝は平治の乱で敗北した後は一緒に東走したんでしょ 緊急事態、改憲論議も必要 安倍首相―野党は「便乗」批判 2020年04月07日
://www.jiji.com/jc/article?k=2020040700750&g=pol
スマホ個人情報収集も コロナ対応 政府想定、本人同意なく 4月3日 赤旗
://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-04-03/2020040302_02_1.html
【東海アマ】
独裁志向の政治家は、強権を濫用できる「緊急・非常……宣言」が死ぬほど好きだ。
だから、さっそく、こんな個人的権利の独裁管理、蹂躙問題が浮上している。
自民党政府は、すでに、携帯各社に、位置情報や個人情報の提供まで求め始めていると赤旗が指摘している。
もちろん、最初は恐る恐る、国民からの反感がないとみるや、
今度は、国民のプライバシーや、個人的自由の思想に直接介入してくるのだろう。
案の定、安倍は、緊急事態宣言とセットで、憲法改定が必要だと言い出した。
実朝は疱瘡わずらってアバタ面なんだっけ
気にして奥方にはあまり近づかないとか女性を避けるとか?
まだ若いのに周囲が子作り諦めてるから女がダメだった可能性あり >>548
同母弟だから可愛がってたらしいしね
逆に言えば正室から見た異母弟なんて後継者争いのライバルでしかない 同母兄弟は粛清の優先度低い、最後まで頼れる身内であるケースが圧倒的に多い
足利尊氏直義兄弟だって、直冬がいなければあのようにはならなかった
戦国時代になると、織田信長-信行、伊達政宗-小次郎のように
同母兄弟で殺し合うケースも見られるようになる 範頼と義経は将として西国に送り義円は側近くに置いておいた頼朝 >>552
全成でしょ
ところで頼朝と対立した叔父を我が子を人質に出してまで庇ったりした義仲は河内源氏の中ではかなり身内贔屓なほうだよね
都に入るまでは周りの人望もめっちゃあったらしいし 都で一緒にいた奴らって別に義仲の配下じゃなかったし(行家とか甲斐源氏とか)人望ない扱いはかわいそうなような >>553
単にメンツの問題でしょ、志田義広を引き渡したら、
リーダー失格、源氏の棟梁失格になる、
もちろん最初から受け入れを拒否するという選択肢もあったが、
一旦、受け入れた以上は拒否するしかない
義高を人質に出したのは鎌倉との力関係の問題、
人質に出さないと義仲は進撃できない
頼朝としても、義仲が平氏と和睦し、
奥州藤原氏と組んで包囲網を敷かれても困る
義仲にせよ、義経にせよ、急ぎすぎというのはあるよね
結果として頼朝のお手伝いをしただけなのだから 対平家だと
義経 全戦全勝
義仲 京に入るまで全戦全勝
行家 全勝全敗 義経もなぁ。行家と組まなければ…
行家の母は熊野の女だよね。平治の乱後に行家を匿ってたり義経が一時期身を寄せてたりと良く出来た話だよね平家物語 本人も源氏はオレで絶えるとか子作りする気ゼロだし
インポ説をおす<実朝
子種があるかないかはあの若さならわからんだろし
正室に子供ができないなら普通は側室を置く そういえば草燃えるでは義時が実朝に
男としてわからないどうして女を求めないのだ言って
なんか年増ブスを押し付けてた
美人を持ってこいよw >>564
藤原道長が(息子の頼通に男子ができないので)
源師房(両親ともに皇族)に摂関家を継がせようとした先例もある 五摂家のうち三家(近衛・一条・鷹司)は一族からではなく、皇室から養子を当主に迎えている。 頼朝の場合は流罪になった囚人の身だから気軽に種をばらまけなかったんじゃないの >>568
これ真剣に説を唱えてる人も結構いるんだってね
10歳頃の多感な時期に後白河に掘られまくったせいで恋愛対象は女性でも欲情するのに時間がかかったとか 政子が大騒ぎするんで頼朝女好きイメージあるが全然少ないよな 政子が正妻としては身分がアレだったので騒ぎまくっただけだよなあ 尻に敷かれてたよな頼朝
政子の言いなりで御家人斬ったり
そら御家人は御台様のご機嫌損ねるの恐れるて >>575
頼朝「義仲ぶっ殺したし後々今の自分みたいに仇討ちにこられても困るから息子の義高ぶっ殺すでー!娘大姫の婿?もう知らんわ!」
政子「大姫が嘆いてるで?誰のせいでこうなったんや?」
頼朝「ファッ⁈ しゃーない!義高討ち取った奴ぶっ殺すでー!」 頼朝は正二位前右大将だから摂関家から正室をもらうのが妥当 清水冠者が逃げたから丁寧に探して捕まえて首取って来い、繰り返し言うが丁寧に探すんだぞ?みたいな腹芸が鎌倉武士に効くわけないからな・・・ >>579
父親の木曽義仲は、敵方の畠山重能・斎藤実盛に逃がされたんだけどな 実朝が畠山重忠の遺児を捕まえてこいと命令したのにそれを無視して
はあ?捕縛なんて甘いわ!って勝手にとっとと殺害した小山氏
てのが鎌倉武士だからな >>575
「草燃える」で政子が亀の前の襲撃命令を義母牧の方の兄に命令した時はワロタわ
頼朝は政子を怒るわけにはいかず、牧の方の兄を処罰することで鬱憤晴らし 牧の方が告げ口して政子がぶち切れたんだよな
で義時がご褒美もらうという風が吹けば桶屋が儲かるみたいな展開だが
全部吾妻鏡の通りというのが面白い >>585
あのシーンはコミカルで笑える
総集編では割愛されてるかもしれんが 頼朝がずっと独り身だったのは流人だったからか?
伊東は引き裂いたし世話してた比企も娘を嫁に出したりしてない
でも北条は結局婿として引き受けた
それが可能だったのはなぜ? 怒られたりしなかったんか そっち方面はある程度それ目的の乳母が処理してたのもあるでしょ 比企尼はさすがに無理でしょ
寒河尼って頼朝とそんなに年離れてないんじゃなかったっけ
と思ったが小山党の初期の動き見るに流人時代にそんなに親密にしてた印象はないな それは本当の意味でおっぱい担当乳母w
当時子供産んでなくて年が近い乳母が付く場合は色んな教育係りも兼ねててそれには男女のことも含まれてたはず
10代中頃の若殿と20代中頃で赤子の頃から世話してくれた乳母とかメイド物の薄い本が何冊も書けるでしょw >>574
今思うと他にたくさん子供を作られると邪魔だったのかも
北条家が乗っ取りはずっと計画してたろ 比企尼も寒河尼も仕送りだけで側に来て世話はしてないんじゃね 北条フリークとしては楽しみな大河だよお!
最近、すごく得宗やら執権政治やら御内人やらに興味があります!
やっぱり不思議な一族なんですよねぇ、この北条得宗というのはねぇ
氏素性の知れない一族が100年間日本のトップだったんですからね
本当に謎の一族ですよ! 会津は被害者ビジネスでリベラルのヒーローになってるんだよなあ 北条氏は(もちろん北条義時も)
コンプレックスと恐怖心の塊だということを理解する必要がある
後代では、長州閥と(世界の)共産党が北条氏と非常によく似ている
13世紀に現れた、その先駆性は世界的にも稀有で、恐ろしく早い
長州閥と反日左翼による合作の反皇室プロパガンダ、共産主義者の破綻した陰謀論、
明治天皇替え玉説(笑)や田布施システム(笑)なるものがある
反日左翼は実は「似た者同士」の長州閥が大好き、
長州を過大評価、長州の虚像を広めることで、長州のお手伝いをしている
私は最初、追い込まれている、しょぼい長州閥が
自分たちを大きく見せるために、この手の捏造プロパガンダを流してると思ったら、
どうやら本当にアカが流しているようで、アカのあまりの頭の悪さに大爆笑したものだ
もちろん、長州閥と(既存の組織に寄生して乗っ取りを得意とする)共産党が
地下でしっかりつながっている可能性もあるがね┐(゚〜゚)┌ 【長州閥の実像】
幕末に、尊皇攘夷のカルトテロリスト集団が手の平返しをして、長州征討で滅亡寸前だったところを、
外国の力まで借りて九回裏2アウトから逆転サヨナラホームランを打っただけ。
当時、明治天皇以外にもフツーに男性皇族はいた、江戸幕府はそれ以外に輪王寺宮というカードも持っており、
すり替え()など政治的に自殺行為。 また明治天皇の生母の実家の中山家で
明治天皇の幼少期の養育に関与していたのは、長州ではなく、むしろ薩摩である。
もちろんすり替え()・替え玉()などしたら、薩摩が黙っていない。
マイノリティが一瞬の差し脚、ただのクーデターで権力を手に入れただけだから、
明治維新後も、(薩摩と比較しても)異様に権力に執着して、
山県有朋という足軽未満の中間(ちゅうげん)上がりの小心者が、
ハリネズミのように陸軍や内務省(警察)をピンポイントで抑えにかかった。
このあたりは、ソ連共産党始め世界の共産党の権力奪取パターンと非常によく似ている。
歴史的には、共産党よりも長州閥の方が早く、さらに言えば鎌倉幕府の執権北条氏の二番煎じ、再来とも言える。
北条氏が真っ先に抑えたのも鎌倉幕府の軍事・警察を司る侍所であった。
(長官の別当(執権)だけではなく、初期の頃から次官の所司も
「御内人の嚆矢(こうし)」とされる金窪行親が就任、その後も御内人トップの
内管領が侍所所司を兼ねることが多かった)
薩摩は徳川将軍とも皇室とも縁戚であり、どっしり構えて、そのようなことをする必要はないのである。
それでも長州閥というのはショボくて、戦前も、昭和の段階で、すでに押されまくっていた。
ちなみに長州閥は実に4回も歴史的な国民暴動(※)が発生している嫌われ者の無能集団なのである。
(※)日比谷焼打事件(×第1次桂内閣)、第一次憲政擁護運動(×第3次桂内閣)、
米騒動(×寺内内閣)、60年安保(×第2次岸内閣)
ただし、ここでは、嫌われ者の無能集団であることよりも、
長州閥には自分たちが嫌われている自覚(被害妄想)がある、
恐怖心・コンプレックスを理解することの方が重要である。
ちなみに、逆に日本人に暗殺された長州閥の総理というのは1人も居ないのである(お察し)。
(伊藤博文は、朝鮮人の安重根に暗殺された) (>>606の続き)
大正の頃から、すでに薩長史観批判があったのは(内藤湖南など)、
薩長や公家が弱すぎて、佐幕勢力を一掃できなかったから、
華族・士族の支配階層として、そっくりそのまま温存せざるをえなかったからである。
長州閥の田中義一が、張作霖爆殺事件で若い昭和天皇に一喝されて内閣総辞職したのは、
それくらい長州閥の立場が弱いから、皇室に頭が上がらないからである。
(憲法上は、総辞職の必要はまったくなかった)
宮中某重大事件で(薩摩その他に)完敗して、失意のうちに死んだ山県有朋も同じ。
安倍晋三と不仲であることが周知の上皇陛下も、退位問題で安倍を振り回す一方で、
政府主催の明治150年記念式典
(長州閥の歴史的正統性をアピールする、とっても大切な式典)は欠席した。
安倍晋三が即位の礼はじめ皇室関連行事を最大限に利用するのは、
鎌倉幕府の執権が「鎌倉殿の命により」と言う(言わざるを得ない)のと同じであるが、
目的が勤皇ではなく、あくまでも自分の権威付けなので、1年に3回も世界覇権国・宗主国の
トランプ大統領を日本に呼びつけようとしてトランプを激怒させ、
序列13位の末席の女性閣僚を派遣されるような大失態を犯すわけだ。
今上陛下のために、たった1回の来日に絞れば、
トランプを即位の礼に呼ぶことも十分に可能だった。 やる夫が鎌倉幕府を成立させるそうです 第六幕 「次郎実朝」 後篇
(一部抜粋)
吾妻鏡が北条氏の歴史本で、北条氏にとって都合のいい本だと知っているだろう。
それは正しい、ただ……、北条一族の重要人物の中で、
どうも一人、“妙に吾妻鏡が厳しい目を向ける人物”
……そういう人物がいるのをご存知だろうか。
北条義時、である (中略)
このように、義時は何かやるにしろ必ず実朝なり家族なりに諌められている。
はっきり言って書く必要はないのに、だ。
ただ、義時が諌められている事項を抜き出すとあることが分かる。
★★被官にえこ贔屓すること、大御家人に便宜をはかるため道理をねじ曲げること。
権威のために寺社に資材を大量に浪費すること……。★★
それらで義時と共通する存在、それは―
吾妻鏡は義時に、―鎌倉時代末期の北条氏を重ねているんだよ!
義時の状態は、権威も格もない新興氏族が陥りやすい状況であり、
彼自身の意識よりも、そうせざるをえない部分がある。
油断するとこうなる、そう言った見本のような部分があった。
後に陥る状況を、予言のようにはっきりと言う実朝は、義時の状況を見た上で論理的に出した結論なのだろう。 義時は日本のフィリップ4世という人もいる
でインノケンティウス3世が白河上皇w >>513
喜連川は細川だけど
細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) >>226
関東とかくだらないドラマになる
メインはやはり三河で、頼朝と三河で繋がる人々の人間模様にしろ
例えばだ、東三河出身の藤九郎盛長が、同じく東三河に縁のある伴氏繋がりで政子を頼朝を紹介した
こう言う新しい視点だよ
鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) >>412
三河にもあったらしいぞ
政子の13回忌に、足利義氏が三河県岡崎市の滝山寺に実朝と政子の骨を分骨した
滝山寺は源頼朝と足利義兼の母方の菩提寺
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁
■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)
木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。 >>412
高野山も、関係者は全員三河
高野山金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、三河守護の足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・公暁
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源頼家→公暁(母親は足助重長(三河国加茂郡足助)の娘)
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) 日本人における北条流知名度ランキング
1位 高倉健
2位 川端康成
3位 北条政子
4位 横井小楠
(超えられない壁)
5位 北条時政
6位 将門の従兄弟
7位 北条時宗
(超えられない壁)
義時「あのーオレは?」 >>616
横井小楠好きだけど
大した壁じゃないw
時政との壁は 8位 北条早雲 「ワシは違うぞ」
9位 御成敗式目の人 「式目の名前のインパクトに負けます」
10位 北条氏康 「だから違うって」
11位 承久の乱の人 「姉上は遠いな…」
12位 鉢の木の人 「こんな若かったん?!といつも言われます」
13位 北条時行 「こんなに長生きしてたの?とよく言われます」
14位以下うにゃうにゃ 「北条と時がついてる」 貞時は得宗家を体現したような人なので是非有名になってほしい >>616
川端康成って北条の何流なん?
高倉健は名越流らしいけど 身分、家格が低すぎて皇室に輿入れできないのも北条氏と長州閥は共通してるね
会津藩主、会津藩士の家系からすら輿入れできているのとあまりに対照的
(秩父宮妃勢津子、秋篠宮妃紀子)
だいたい皇室に輿入れどころか貴族院議長、副議長にもなれない
長州閥の場合、関が原以来の長い経緯もあって
長州藩主家と旧藩士の長州閥の関係がそもそもよくない、ギクシャクしてるという事情もある
旧藩主家と旧藩士の結び付きが強かった薩摩藩や尾張藩とも対照的 >>599
上皇島流し天皇廃位に
フビライハンと対決してこれを退け
子孫はノーベル賞
確かにこういう一族あんまないなw
そんな家の近くに頼朝がいたという歴史の不思議 >>626
時頼以降は実務は北条氏云々ではなく、御内人、得宗家という組織で動いてるからね
寄合衆に御内人が進出するようになるのが時頼期
御内人含めた北条氏一族が共産党で、幕府(政所・問注所・侍所)が中華人民共和国政府だよ
太子党が北条氏庶家、共青団が御内人 成人する前に滅亡、死んでしまったが、太郎邦時が執権・得宗になっていたら、
御内人の中で五大院氏の家格もかなり上がったと思われる 義時の長男泰時が得宗家
義時の次男朝時が名越家
歴代頭のいい奴揃いの得宗流の子孫が横井小楠や川端康成
ちょい派手個性派の名越流の子孫が名古屋山三郎や高倉健
個性が出てるなw
人がよいイメージの重時流の有名子孫も欲しいところ 極楽寺流が一番栄えてないか?
赤橋に普恩寺、塩田などなど。 板部岡江雪斎も時行子孫だから得宗流だな
時政以来、外交系は北条の強いところ 板部岡って前北条氏の出で後北条氏に支えたのか!
面白い 真田丸なら平野長泰も時行子孫だぜw
なんかスルメかじってたっけ 前北条氏の地盤がまるっと後北条氏の地盤だもんな
氏綱の嫁が横井氏説があったっけな 時行の孫の時任が尾張(横江村→横井村)に住み始めたのは確認できますね
写真を見るに川の中州のような場所に逃げ込んだのでは?
https://ameblo.jp/kanezane2/entry-12555867418.html
安達氏も尾張に移って熱田神宮社領を押領してる記録がありますね(こちらは歴史の表舞台から消えた)
北条時行―時満―時任(尾張移住、愛知郡横江村→横井村)―時利
―横井時永(海西郡赤目村へ移住)―時勝―時延―時泰(以降、尾張藩士)
この辺りを支配する斯波氏(初代家氏は北条一門格)と今川氏(霜月騒動で得宗・平頼綱側に加担)が
ともに北条の残党に甘いのには理由がありますしね
(今川那古野家は母方の今川姓を名乗った名越流の末裔) >>642
横井て中村区にあるんだ
秀吉も中村区だよな加藤清正も
秀吉の木下家は今川那古野氏の領民だった言われてた
そんで寧々との仲人が那古野氏だの家族と那古野氏を結婚させただのさ
得宗家と名越家て仲がいいんだか悪いんだかて不思議な関係がここにもw >(今川那古野家は母方の今川姓を名乗った名越流の末裔)
だから尾張に同族の今川氏豊がいたのか 今川氏豊が尾張の今川那古野家の養子に入って当主になったんだよね
で織田信秀に追い出されたけど那古野家自身は残って織田と縁組した
那古野高久が信長やお市の方の従兄弟言われてる
那古野家は江戸期には元の名越家に戻したとか
愛知県は名古屋市になってるね へー、名越→那古野→名古屋と続くのか
勉強になった >>647
那古野高久の外祖父が信長の叔父の孫と言われているだけで
信長やお市の従兄弟じゃないぞw 桶狭間の戦いが斯波氏のお家騒動と考えると違った見方が出来そう 【金銭寄付】
坂上忍 緊急事態宣言が解除されるまで個人収入を全て寄付へ
天皇陛下 2団体に1億円
コンサドーレ 選手年俸から1億円を球団に返還
田中将大 3700万円(日米総額)
YOSHIKI250万円
YOSHIKI1080万円(音楽業界を支援する「COVID−19救済基金」)
YOSHIKI1000万円(国立国際医療研究センター)
GLAY 1000万円に加えマスク5000枚医療機関に寄付
日本競走馬協会 1000万円
長友 500万
西川貴教 300万円(滋賀県に新型コロナ対策で)
【募金主催、物資寄付】
NPB クラウドファンディングで寄付を募ることを発表
イニエスタ マスク寄付 故郷スペインに2000枚
【無寄付、国に金銭補償を要求】
椎名林檎 ライブ強行
坂本龍一、倖田來未 七尾旅人 綾小路翔 ホリプロ社長 「国に補償を!」 >>645
こないだ名古屋行った時に豊国神社行ったんだけど
周囲に秀吉グッズ売ってる店が全然なかった
生誕地じゃ人気ないんだろうか >>648
なごや荘自体は平安の昔からあるみたいだよ
今川に庇護された名越がそこにきたのは偶然か?
那古野や名古屋はなごやと読むのはわかるけど
名越は読み方はいろいろで
なごえ、なごや、なごし、とかあれこれ
鎌倉北条はなごえで一致してるみたい >>655
秀吉を売りにしてるのは、両口屋是清の一番人気商品「千なり」(どら焼き)くらいだろうね
※秀吉の馬印である千なり瓢箪の焼印が入っている
基本、愛知人・名古屋人が秀吉を語るときは、
○歳の頃はどこで奉公してたとか、そういう話になるから
矢作川での蜂須賀小六との遭遇とか、
松下嘉兵衛に奉公してかわいがられたけど、他の家来にいじめられた話とか、
そういうのはみんな知ってるけど
大阪の方がはるかに人気あるじゃないかな
尾張出身者が多数排斥された秀次事件(淀君や石田三成などの近江閥の勝利)や
260年に及ぶ尾張徳川家による支配も影響してるかもしれない 太平記に出てくる名越高家が尾張守だったし
守護も北条がつとめたりして尾張に北条の地盤があるのはわかる
>>631の尾藤氏は尾張と関係あるの? ○藤は藤原氏じゃない?
伊勢の藤原氏で伊藤、加賀の藤原氏で加藤
尾張の藤原氏で尾藤?
尾藤イサオ 板部岡江さん号は雪斎
>>645
豊臣秀長が息子と那古野高久の娘を結婚させたり
兄貴の秀吉は信長の姪に執着したり
木下家の男は主筋の女性との婚姻が好きなようだ そりゃあ婚姻・政略結婚による大義名分、正統性は大事だからね
豊臣家の正統後継者は(秀次を中継ぎとして挟むかどうかは別の問題として)
秀吉と信長の姪の淀君との間に生まれてしまった(ことになってる)秀頼しかあり得なかった
室町幕府に関して言えば、最後の執権の妹の子で、
甥にあたる義詮・基氏以外の後継者はありえなかった
事実、御内人は分裂して、北条時行に味方せず、鎌倉府に出仕するものも大勢いたのである
尊氏のミスは直冬を直義の養子として認めてしまったこと、足利姓を与えてしまったことにある
基氏を直義の養子にする方がよほどスジがよかった(実際、そのような時期もあったようである)
頼朝は晩年に摂関家や村上源氏から正室を迎えることもできたし、、
あるいは新田氏や奥州藤原氏が「側室」を差し出すことを承諾して子供が生まれていれば、
頼家を廃嫡して、政子を側室に格下げ、北条氏が粛清することもできたので、
やはり失敗した観はありますね 後北条氏も横井の姫を妻にして北条姓に改姓あるあるだな
勝手に名乗って周囲もそれを認めてたてのはちょっと変だ 頼朝は北条を敵に回す怖さを知ってたのかもな
義経範頼は殺してるのに北条婿の全成は無事
新田も武田も冷遇してるのに北条婿の足利平賀は無事
全成殺して北条に反撃された頼家とはさすがに違う苦労人頼朝 例えば側室おいたり政子を側室に格下げしたりする
政子が激怒して頼朝と離縁、範頼と再婚したりする
そうすると北条の縁戚の畠山や稲毛や足利や平賀や三浦やらが
範頼の側の動員兵力になる
頼家の乳母の比企や梶原も頼朝側だがちょい微妙なポジ
まあやめといた方がいいなw
範頼が政子に私がいるのでご安心を言ったというのはなんか意味深で >>642
全部間違い
横井村は知多郡の横井村、今の桶狭間
三河の藤姓熱田大宮司家は実質武士だったから、出自の三河に近い桶狭間に屋敷を構えた
鎌倉期、尾張に斯波氏の拠点はない
出自の三河に拠点があった
空華集「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
斯波氏の祖である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義持の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
これ以降の史料がなく近世の伝承地もないので、15・16世紀頃に廃絶したとみるしかない。 >>648
違うぞ
名古屋は三河のコテコテ植民地だったわけだが
よくこんなダセー町に愛着があるよなw
■那古野荘(名古屋)
・開発者:小野法印顕恵(東大寺別当)
藤原顕隆→顕頼→小野法印別当
藤原顕隆→顕頼→女→平滋子(建春門院)
■平安時代
・小野法印顕恵が開発
・小野法印顕恵は姪の平滋子に領家職を譲る
■鎌倉時代初期〜中期
・領家職は、小野法印顕恵の兄、惟方の孫である経長に移り、女系が伝領する
■鎌倉時代末期〜南北朝
・足助氏(三河国賀茂郡足助、三河県豊田市)が領家職となる
■室町時代
・今川那古野氏が領家職となる
初代は、名越高家と今川国氏(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)の娘の子である名越高範か?
・1522年頃、今川氏親(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)が那古野城築城
■江戸時代
・徳川家康(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)が那古野の呼び名を名古屋に固定、名古屋城築城
■現代
・豊田佐吉(三河吉田藩山口村)がトヨタグループを発祥させる >>659
尾張に北条の地盤など無いぞ
鎌倉末期に守護になったくらいだ
那古野は三河の足助氏、西尾張の海東郡も三河の中条氏
足助氏と中条氏は、皇室御領、高橋荘、高橋新荘の地頭だった
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる >>434
底浅いな
範頼の生母は、実は三河の藤姓熱田大宮司家出身の話がある
頼朝と範頼は男系女系で丸かぶりであり、範頼の養父が範季の点で頼朝以上の家格を有する可能性があった
内情を知っていれば、範頼は非常に危険な存在
史実、範季は天皇の外祖父になり、範季の孫は、承久の乱の首謀者の一人でもあった
生かせておいたら、範頼の子が担ぎ上げられていたに間違いない
頼朝の見通す力の凄さだわな >>667
間違ってんな
義経と範頼が何故殺されたのかを理解した足利義兼は、気が狂ったフリをして出家しただろ
義経の生母は、三河の藤姓熱田大宮司家出身ではないが、ケツ持ちが範頼の養父の範季と熱田大宮司の範忠、範忠は足利義兼の祖父だ
そりゃ義兼も、次は俺だになるわな
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女、実父は範忠)→足利義兼(初代源姓足利氏) 清盛健在で安徳天皇即位の全盛期の平家相手に立ち向かった北条家だよ
頼朝を殺したり平泉に逃したりもできたのにさ
鎌倉殿がおのれに敵対するなら平気で立ち向かうよ
頼家がそーなったけど >>668
>政子が激怒して頼朝と離縁、範頼と再婚したりする
さすがにそれは頼朝が許さないだろw >>673
足利義兼が出家したのは妻である北条氏が自害した事に関連するのでは? 奥さんが死んで北条婿の立場弱くなるから頼朝から疑われて
びびって出家したってとこかもな足利義兼
ほんの幼い息子にあと譲ってるし
当主が北条妻の子なら頼朝も手を出さんだろうってな
なんせ政子が妹時子の遺児に力入れてたから その長文のヤツは三河屋ってガイジだからスルー推奨w 梶原景時の通称が平三なのは平氏の三男なんだろうけど、息子の景季の通称は源太だよね
なんで突然源氏になってるの? >>683
そうなんだ
普通に平太でいいだろうにね >>676
いやいやw
いくら妻が嫉妬深くても側室もおけない庶子も妾も鎌倉から追い出す
ってハードル高いぜ
政子が泣き寝入りはしないわよ!いざとなったら実家に帰るから!
てな勢いだから頼朝が恐れ慄いた感
そも北条家は義時離婚、泰時離婚、竹殿離婚というド派手一家だし >>686
ちょっと考えたけどそれにしても他の東国武士も平氏系ばかりなのになんで景季だけなのかな?と疑問 ID:FXHr9iPN は捏造デマ撒き散らす有名な5ちゃんねる荒らしの
三河基地外(の関西人)なので徹底スルーでお願いします >>687
結構恋愛脳な一族
政子が特別なわけでもないという 景季は義時と同年代で頼朝挙兵前にすでに元服してたろう
平太から源太に変わったんでない限り頼朝無関係では >>691
なんで平氏なのに源太なの?ってそもそもの疑問 真先に血祭りにあげられるが梶原追放劇が一番面白そう
頼家の面前で御家人が対決して議論するから三谷の腕の見せ所 源義経が粛清第一号になるのかなとか思ってたけどどうなるのかな 【国際】金正恩氏、後継者は兄の金正哲か [ソメチメスッスッス★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1587833274/
> 仮に金正恩氏が死亡したとして、金ファミリーの家族会、労働党と軍の幹部、
> 合わせて10人くらいで後継者を決めるはずです」(同・重村氏)
まさに「深秘御沙汰」、鎌倉幕府の寄合衆そのもの
北条氏は13世紀に出現した共産党・長州閥の先駆けなのだよ
世界的に見てもすこぶる早い 頼朝生前の粛清第1号は上総介広常、
頼朝死後の粛清第1号は梶原景時
梶原に関しては、本当は安達景盛や結城朝光が粛清される予定だったんだけどね(;・∀・) 源太景季は色男ポジだから小栗に合ってる
義時は性穏便でクールな感じだから小栗に合ってる
あとはえげつなく容赦ない部分を出せるかどうか 長崎円喜@太平記
幕府がこれまで150年、曲がりなりにも世を平らかに治めてきたのは何故でござりましょうか?
大きな敵を作らぬよう公平に人を遇したこと、それでも敵ができるようなら大きくなる前に早めに潰してきたこと。
連署殿(=金沢貞顕)は足利が万を超す兵を持つに至った訳をご存知か?
噂によれば我々の親たちが戦い滅ぼした三浦氏、安達氏、その他もろもろの残党ばらを
所領各地にひそかにかくまい養うてきたからじゃと申しております。 【鎌倉幕府滅亡の原因】
・両党迭立(端的に言えばこれ)
長州閥(宮中某重大事件、第1次憲政擁護運動、張作霖爆殺事件)と同じく皇室が鬼門
身分・家格が低いので皇室の扱い方を知らない、下手である、娘を入内もさせない
端的に言えば、後醍醐帝さえ出現しなければ、後醍醐帝さえ黙らせておけば、
あるいは後醍醐帝さえ始末しておけば、幕府はもう少し長続きしていた
・“徳政”の放棄
内管領・長崎高資が安藤季久と安藤季長の双方から賄賂を受け取って、安藤氏の乱を起こす
・東夷成敗権の動揺
北条一門・御内人が安藤氏の鎮圧に失敗し幕府軍の出動となった
その後、足利直義の路線が一定の支持を集めているところから、悪党の出現とか、
中小御家人の窮乏(≒御内人の人材供給源)はあまり関係が無いとみられる 義時主役だとまともに参加した戦が少ないのがなぁ…
石橋山の敗北と和田義盛リンチくらいじゃないか? え
全部参加してるやん義時
壇ノ浦も奥州合戦も比企合戦も畠山合戦も
和田合戦と承久の乱は指揮する側
ついでに仁田に襲われた時も迎え撃ってるし公暁にも狙われて逃げたw
ある意味鎌倉で起きた事件に全部関わってて都合がいいので三谷が選んだ
も一人全部に関わってるのが三浦義村 >>677
北条とか無視しろ
源頼朝、足利義兼、源義経、源範頼の繋がりをこの一覧を眺めていりゃ、いかに危険視されたか分かる
三河の藤姓熱田大宮司家
・家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))
☆源頼朝、★足利義兼
藤原実範
・藤原成季
・藤原季綱(三河守)→@へ
・藤原季重
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→Cへ
・藤原行綱
・興義
・実慶
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄(八条院領目録にあり)領主)
@藤原季綱
・藤原友実→Aへ
★藤原実兼→藤原通憲(信西)
・藤原悦子(鳥羽天皇乳母)→葉室顕頼(三河守)→藤原俊成(養子、三河守)
・他多数
A藤原友実
・藤原能兼→藤原範季(後白河院近臣、順徳天皇の外祖父、源範頼養父)→Bへ
・女子→源頼政(上西門院に出仕、伊豆守、源三位)→C
・他多数 >>677
B藤原範季
・源範頼(養子、三河守)→源範円(正法寺(三河国宝飯郡)僧)→吉見為頼(初代吉見氏)
・藤原範時(八条院蔵人)
・藤原範茂(子孫は高倉家(羽林家))
・藤原重子(修明門院、順徳天皇母)→順徳天皇
・藤原範光(養子(実父は藤原範兼)、後鳥羽院近臣)
:藤原範子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母、土御門天皇外祖母)→源在子→土御門天皇
・藤原兼子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母)
・他多数
C源頼政
・源仲綱(大内守護)→有綱(伊豆守)→女子(源義経室)
・源国政(初代山県氏)
・源兼綱(実父は頼政兄の頼行)→大河内顕綱(初代大河内氏(三河国額田郡大河内)か?)
・源頼兼(大内守護)
・源広綱(実兄の仲綱に養子入り、駿河守)
・二条院讃岐
D藤原季兼
・藤原季範(蔵人所雑色、初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→Eへ
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(九条院蔵人、玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女子→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当、初代二階堂氏) >>677
E藤原季範
・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)→Fへ
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))→Gへ
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)→Hへ
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)→任憲(三河国滝山寺)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
・女子→源師経(三河権守)室→女子(崇徳院妾)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
F藤原範忠
・藤原忠季(大宮司、刑部丞、蔵人所雑色)→藤原忠兼(備中守、大宮司)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏、大宮司)
・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→鷹司朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘)
・藤原能季(相模守)
・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺)
・任暁(仁和寺)
★女子→足利義兼(八条院蔵人)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
G藤原範信
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫、頼朝右大将拝賀先駆)
・藤原憲朝(八条院判官代、駿河守、初代千秋氏(三河国設楽郡千秋))→藤原範俊(左馬助、大学助、源実朝近習)
・藤原信綱(駿河守、尾張国海東郡地頭)
・藤原信雅(高松院蔵人)
・藤原憲行
・藤原実豪(延暦寺権僧正) 源範頼のケツ持ちは藤原範季
源義経のケツ持ちは藤原範季、中関白家一条長成(息子一条能成は義経と同母兄弟)、熱田大宮司藤原範忠
足利義兼のケツ持ちは、熱田大宮司藤原範忠(祖父)、中関白家藤原親信(息子の嫁は足利義兼の娘)
そして一条長成、藤原親信、坊門信隆は従兄弟同士
頼朝とポジションが被りすぎ 何で三河に来住してきたかと言うと、三河と首藤山内氏には、このような所縁がある
首藤氏(山内首藤氏)まとめ(乳母父、乳母について)
■源為義乳母父:首藤資道
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))
■源義朝乳母:鎌田通清(初代鎌田氏)の嫁
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→鎌田通清(初代鎌田氏)→政清(源義朝乳母兄弟)
■源頼朝乳母:山内首藤俊通(初代山内首藤氏)の嫁(山内尼)
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→親清→義通→山内首藤俊通(初代山内首藤氏)→経俊(源頼朝乳母兄弟)
鎌田氏補足説明
■真福寺(三河県岡崎市)僧(鎌田政清の兄弟):政清を含む遺体3体を引き取り、真福寺東谷に埋葬する
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→鎌田通清(初代鎌田氏)→真福寺(三河県岡崎市)僧(鎌田政清の兄弟)
・真福寺(三河県最古の寺)
伝、法華堂は足利義兼、証菩提院は頼氏、持地院は尊氏の建立
真福寺町字薬師山6にある天台宗寺院。霊鷲山降剱院と号し、本尊は水体薬師如来。鎌倉前期成立の『聖徳太子伝古今目録抄』によれば、推古天皇のころ物部守屋の子息の真福が父のために建立、聖徳太子が敷地・田地を賜与したという。
所伝はそのままでは信じ難いが、物部氏の建立という伝承は重要で、物部氏の本宗家ないしその近縁の三河国造の系譜に連なる氏寺と考えることができる。室町後期成立の「真福寺元起」ではいっそう物部真福の創建を潤色している。
白鳳期の塑像仏頭が伝わり、東谷の発掘調査で白鳳期の軒丸瓦が出土しているから7世紀後半の創建は確実。碧海郡北野にあって火災に遭い(遺跡は北野廃寺)、寺基をここに移転したという説は成り立たない。
平安時代に天台宗寺院として再生したが、仁平元年(1151)2月24日に焼失したという。
鎌倉時代に守護・地頭の足利氏などの庇護のもとに盛期を迎えた。法華堂は足利義兼、証菩提院は頼氏、持地院は尊氏の建立という。寺外史料も比較的多く、滝山寺本堂三重塔・惣門などの落成供養に請僧として当寺の僧が招待されている(『滝山寺縁起』)。
山内首藤氏補足説明
■額田山内氏
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→親清→義通→山内首藤俊通(初代山内首藤氏)→経俊(源頼朝乳母兄弟)→山内国俊(初代額田山内氏(三河国額田郡桜形))
・山内国俊の実父は経俊の兄である俊綱か?実母が山内尼であるのなら源頼朝乳母兄弟になる >>701
三浦と言えば、足利が三河で匿ったらしい佐久間家村が代表格かな
杉浦つーのは三河の大姓で、旗本も輩出した
鎌倉期、初代佐久間氏、佐久間家村は三河に逃げて来た
三浦義明→多々良義春→佐久間家村(初代佐久間氏、三河重原に逃げてくる)→三浦義行→→→→→→三浦正次(下総矢作藩主→下野壬生藩主)
三浦義明→多々良義春→佐久間家村(初代佐久間氏、三河重原に逃げてくる)→佐久間朝盛(養子、和田義盛の孫、パゴヤの御器所に移住)→→→→→佐久間象山?
三浦義明→杉本義宗→和田義盛→和田常盛→和田朝盛(佐久間家村に養子入り)
三浦義明→杉本義宗→和田義盛→杉浦義国(初代杉浦氏) >>709
訂正
信隆と親信は兄弟、長成は従兄弟
藤原経忠→信輔→信隆→坊門信清→信子(源実朝室)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国主)
藤原経忠→信輔→親信→水無瀬親兼(室は足利義兼の娘)
藤原経忠→忠能→一条長成→源義経(養子) 両統迭立は北条時宗が始めたんだが、まさかこれが幕府を滅亡させることになるとはなぁ 壬申の乱、薬子の変、保元の乱などの先例が頭に入っていたら普通はやらない罠>両党迭立
後深草天皇または亀山天皇一代のみ皇位を認めるあたりが落とし所か
鎌倉幕府の方針がブレブレなのがいけない
亀山天皇の親政が後嵯峨天皇の遺志だと大宮院(兄弟の実母)に確認して
亀山天皇の子を立太子したなら、そのまま大覚寺統で一本化しないといけない
その後、持明院統が巻き返すが、幕府と持明院統が親密、
持明院統が皇位を継承していくことが幕府にとって望ましいと思うなら、
最初から遺志の確認など不要であった
足利兄弟も火に油を注いだから他人の事は言えないんだけどさ
尊氏の孫の義満の登場を待たなければならない つーかこっちに話もってくんなってのが正直なところでは 幕府に決めてもらうために後嵯峨が後継者を決めなかった説 なんか請願運動がウザそうだよな
しきりに都から人がきそうだ
で思い通りにいかないとむくれてストライキじゃないが抗議活動始めるし 大宮院にお伺いを立てたのが余計、間違いだった
足利義満以降、信長、秀吉、家康と、この手のミスはしなくなる
頼朝も大姫入内工作でやらかすまではノーミスだった
江戸幕府も、幕末に黒船への対応で朝廷にお伺いを立てたことが致命的なミスとなった >>721
歴史に興味ないのなら、キャスト予想スレにいくか放送始まってから来ればよい 朝廷的には亀山の皇統が続く予定だったけど、関東申し次ぎ西園寺某が横槍入れて時の執権北条時宗と利害が一致したのよ 今年の麒麟はスタッフキャストももちろん大変だけど、観光地もかわいそうだよな。
大河の舞台に来てくださいってのが全くできないし。
来年の青天も影響残るだろうしな・・・・。
鎌倉はいろいろと運がいいんだろうか。
果たして。 今日はゴッドファーザーが放送される
ソニー宗時とマイケル義時が出る
時政は… 両統に分かれてからは鎌倉への早馬で競ってたんだっけ? 江戸幕府の幕末もそうだが、将軍が形骸化すると、
陪臣の幕閣たち(北条氏と同じ四位クラス)ではどうしても朝廷に対して及び腰になる
(水戸学、尊皇思想の影響もあるにせよ)
紫衣事件とあまりに対照的、同じ幕府の決定とは思えないようなことをするようになる 白河院といい後醍醐帝といい、中継ぎで立った帝はろくなことしないな 背に腹は変えられないからこそ本来スポットライトに当てられない人間が天皇になるんだろうな
あと、そう言う天皇だから余裕がなくて皇統の確保に必死なんだろう 義時をタブらかす、謎の女(山田優)
その名も、
千房(ちぶさ)…。 承久以降は京は自分からモロモロ鎌倉に依存してくるのが特徴
京の治安から裁判から
挙げ句の果てに皇位継承も鎌倉に投げてくる
鎌倉はいい迷惑 江戸幕府も猪隈事件の調停させられて禁中並びに公家諸法度を制定することに 皇室、公家のテクニックではあるけど、
足利義満や織田信長はうまく利用してた、逆にどんどん朝廷に介入・浸透していった 北条氏や三好政権(松永久秀含む)、江戸幕末の幕閣と対照的 信長が誠仁親王を囲ったり、
(秀吉に当時子がなかったので豊臣家の相続含みであるにせよ)秀吉が
誠仁親王第6皇子の八条宮智仁親王を猶子にしたり、
外戚とはまったく違った関係の結び方よの
これに加えて、八条宮智仁親王の三男、忠幸王が徳川義直の婿であり猶子として
名古屋へ下向して名古屋城に住んでいたことがある(後の広幡忠幸)
義直死後に居心地が悪くなったか、尾張藩相続のアテが外れたか、京都へ戻ってくる
源実朝の皇族将軍の路線の変化球とでもいうか
外戚でも、ノータッチでもない、第3の関係の結び方だ 島津忠恒(家久)も子ができず、徳川忠長を養子に迎えようとして
こちらは構想・陳情段階で頓挫している
(忠長の末路や幕末の展開を見れば実現しなかったことが惜しまれる)
忠幸王は実際に名古屋へ下向して義直死後10年粘ってるから
(義直の息子は光友1人だけだったため)
尾張徳川家を相続する気マンマンだったとみられる 頼朝生前は義時どころか時政すらほとんど歴史の表舞台に出てこないんだから、
「葵徳川三代」みたく頼朝死亡からドラマをスタートしたらいい 源平合戦は華があるしみんな知ってるからやっぱやりたいじゃん それはそうだけど、葵徳川三代は
その「華がある」信長秀吉絡みのエピソードをすべてカットしたわけで
特に「小牧・長久手の戦い」は江戸時代を通じて盛んに顕彰された
徳川家にとっての超重要イベント(なぜなら徳川本隊は関が原に遅参したため)
・姉川の戦い(「将軍の外祖父」浅井長政も含めて、曲筆の疑いが指摘されている)
・長篠の戦い
・小牧・長久手の戦い
が(遅参した関が原をのぞいた)徳川家三大勝利 いやいや
北条の権力基盤は伊豆旗揚げと石橋山だし
義時の権力基盤は源平合戦だよ
だからそこから描くのさ
義時が時政に勝つのは義時は西海遠征したが時政は鎌倉にいた
てのが大きいと思う
勝ち残るのが頼朝とともに最初に旗揚げした北条と三浦、安達なのが象徴的
後から来た奴はあかんかった > 義時の権力基盤は源平合戦だよ
(ヾノ・∀・`)ナイナイw そんなドラマがあったら、それはただの捏造ドラマっていうw >>744
そりゃ徳川三代だからな
家康一代記なら当然カットしないさ >>744
姉川、長篠は織田配下時代でほぼほぼ信長の功績だし
小牧長久手も織田信雄が家督を狙うための戦い
信雄が秀吉と和睦したら戦う理由なくして兵を収めてるし
別に家康勝利でもなくね 政子と義時が姉弟で大河主役になったと話題になってるが
30年ほどしたら泰時大河も作られそうだ 三谷が鎌倉初期が好きというのはわかっていたが
勝ち組は書きたくないと言ってたんで北条家は描かないかと思ってた。
なのに題材にするんだからよっぽど好きなんだな
これはもしや松下村塾もくる?花燃ゆでやったからないか
信長は…今やってるなw >>760
三谷がやりたいって昔言ってたのは適塾だな。大村益二郎好きだし、群像劇だしな 三谷は自分が昔見てた大河が記憶に残ってるんだろうね
丸で黄金の日日の助左出したり13人は草燃える
次あるとしたら幕末期で花神をなぞりそう
その時は大村役は中村梅雀だろう 高杉晋作も好きじゃなかったか
新撰組には好きだからキャスティングせずに声だけにした
高杉の大河ドラマてないよな
ただまともに描くとヤバイ奴だから取り上げないのは分かる
義時はその点常識人だなw >>756
長篠はともかく、姉川の戦いの描写に曲筆があり(徳川age&「将軍の外祖父」浅井age)、
徳川一門が小牧・長久手の戦いを露骨に顕彰してきたのは有名な事実ですよ。 かなり有能な豊臣秀次に対するマイナスイメージを定着させるのに
(秀次唯一の失点である)小牧・長久手の戦いは重要な役割を果たしている
いわゆる徳川史観の一環だね 盛時の大河知ってても真田丸みたいなの書かれちゃなぁ 風雲虹ー海音寺潮五郎
草燃えるー永井路子
花神ー司馬遼太郎
三谷が劣ってても許す 将門はそろそろリメイクしてもいいんじゃないかな
ただ昔みたいなあんな過激な描写はダメだが 【大河ドラマ】「麒麟がくる」放送回数減らし年内終了へ 撮影休止中、21話でストック切れ★3 [ひかり★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1588909389/
大恩人を殺した謀反人のドラマは短縮だそうな 渋沢と合わせて1年ずつ後ろへズラすか、渋沢を全カットするかだわね
今年の冬に武漢肺炎の第2波が来る可能性が高いと言われてるし ずらすのはない
舞台俳優が三谷作品には多いし舞台が一番先までスケガ埋まってる つうか舞台も全部白紙だろうからね
劇場がいつ開くかもわからんのに >>764
花神では
中村雅俊が高杉晋作を演じていた
生麦事件の真似をして
異人を斬り殺すか大使館に放火すれば戦争じゃあ〜と
過激な奴だったなあ >>764
高杉晋作は大政奉還の1年半前に病死で
幕末のメインイベントまで生きてないからだろ
「花燃ゆ」で大きな扱いしたのが限界 砲弾の中三味線引きながら歩いててドーン!という有名なAA生み出したのは
龍馬伝? 義時18歳の時に姉政子の夫である源頼朝が挙兵
義時も父頼政や兄宗時とともに出陣するが
宗時は挙兵したての伊豆でしょっぱなに戦死
あまり出番はなさそうだが 嫡長子である兄が戦死したせいで武士に向いてないような義時にお鉢がと言うのが草燃えるだった 三谷も会見で言ってたな
宗時がソニーで義時がマイケル
ソニー結構出番あったから宗時も最初の2ー3回出てきそうな でも時政がいない時の上洛とかは北条になるんだよ義時
本家の息子だからね
その子の頼時は北条名乗ったりしないが 過去大河に思い入れの深い三谷だから「草燃える」でデビューした中田譲治を語りに起用しそうだな。 前に出てた、梶原景時が「平三」なのに息子の景季が「源太」なの気になってた不思議
平氏からなんで源氏になってるねん 宗時も政子も母親は分からない
義時と阿波局は同母
政子と足利義兼妻の時子は同母
政範と平賀朝雅妻は同母
政子と義時と時房はみんな異母
てのが分かってるぐらいか 実朝妻に足利義兼の娘を
てのは政子が言い出したんだろな
義時は嫌だったんじゃねーの
妹婿をあちこち殺したばっかだし比企との外戚争いで妻と離縁したばっか
実朝は空気読んだか
政子は鎌倉に公暁を呼び戻してるしどーも空気読めないとこある 足利義兼は源氏一門で頼朝挙兵のあと早い時期に駆けつけてる部分も大きいと思う
山名義範も同じで新田一門から独立して重用されたしね >>800
将軍家の次男坊ってだけなら妻は足利義廉女でも良かったけど
将軍御台所となるともっといいところが良かったんじゃねえの
(頼朝が将軍になる前に妻になった政子はおいといて)
若狭局も頼家の正室ではなく側室だったらしいし
鎌倉幕府は比企氏の乱後、朝廷に源頼家が病死したと嘘をついて将軍職を取り消させ
新たに源実朝に将軍宣下してもらった
しかしこの時実は頼家はまだ生きていて幽閉中(その後殺害)
朝廷にいきさつを知られると実朝の将軍就任を咎められるかもしれなかった
そこで後鳥羽上皇の従兄妹で姉が後鳥羽の寵姫だった坊門信子を
実朝の正室に迎えることで実朝の将軍就任を認可してもらおうとした
吾妻鏡では実朝本人が嫁探しの使者を都に派遣したことになっているが
当時実朝は12歳の少年に過ぎない
北条政子が実朝の名前で使者を派遣し坊門信子の嫁取りを計画したのだろう 義時は自分の娘も公家や文官に嫁がせてるし
ぶっちゃけもう武家との縁組懲り懲り!て感じが漂ってるんだよなw 政子があんなに若い実朝に嫁取らせたのも
頼家でもう懲り懲り!てのあったんだろうよw
ほっといて本人に選ばせるとどんな変な女にいかれるか分からんから
自分が嫁選ぶわ!とやって息のかかった足利娘に白羽の矢を立てた 比企氏は北条の敵だから吾妻鏡では悪く書かれるが
若狭局は頼朝存命中に頼家の妻になっているし
もともと頼家の乳母や乳父は比企一族なのだから
若狭局も頼朝が認めた相手の可能性が高い
頼家に好き勝手選ばせたから悪女だったってことではなくてね
義時と比企氏の姫の前の結婚も頼朝が決めた けど早めに女の味を覚えさせないと実朝みたいになっちまうぜ 頼朝=両刀
頼家=女好き
実朝=女ダメ
なぜこうもバラバラなのかこの一家は >>800
空気が読めないとか、何処が?
俺が政子ちゃんでも、足利氏から正室を迎える
承久の乱の時に政子の檄文を読み上げたのは三河武士の安達景盛 
三河縁故の武士が、裏でガッチリタッグを組んでいたわけだ
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)  であり
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ  
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった 
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成) 
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する 
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する 
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する 
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める 
・源実朝 
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝 
葛山景倫(願性) 
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性) 
・安達景盛 
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?) 
・足利義氏 
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)  >>806
若狭局は正室じゃないぞ
正室は三河武士の娘
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁
■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)
木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。 信子がどういった経緯で推薦されたか不明だが
やはり、これも三河国が鍵とみる
・源実朝(3 代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →実朝
藤原経忠→信輔→信隆→坊門信清→信子(源実朝室)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国主)→後鳥羽天皇(中宮は九条兼実(三河国知行国主)の娘)
藤原経忠→信輔→親信→水無瀬親兼(室は足利義兼の娘) >>798
北条などお呼びじゃない
高野山に大塔の鐘と言う大鐘があるが、三河で作られた
計画立案は三河の源頼朝、製作は三河の寛伝、高野山で受け入れたのは三河の足利義兼らしい
三河で源頼朝と繋がる足利氏を乗り越えられなったのは、北条だけでなく他の鎌倉御家人も同じなのである
源頼朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫→伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡)→娘(由良御前)→源頼朝(初代鎌倉将軍)
寛伝(三河国滝山寺僧)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→藤原範忠→寛伝
足利義兼
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
その縁故は日光東照宮にもつながる話なのさ
三河の源頼朝(征夷大将軍)=三河の徳川家康(征夷大将軍)
寛伝(三河の藤姓熱田大宮司家)=明智光秀(進士氏(三河の藤姓熱田大宮司家))
三河の源頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ
■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝
寛伝(母方従兄弟、三河国滝山寺僧)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝 >>808
「吾妻鏡」では頼家が乳母一門の比企を重用し専横政治を行ったために
御家人たちの人望を失ったとしている
比企氏の乱は比企能員が源頼家が病になったときに北条時政が
比企氏を外戚とする頼家の嫡男一幡を頼家の後継とするのではなく
一幡と弟実朝に分割したことに激怒し自ら北条打倒の兵を上げる計画をした
しかしなぜかこれを政子が盗み聞きしており時政に伝え
時政は先手を打って比企を討ったとなっている
しかしこれ普通に北条が実朝を後継にするために
邪魔な一幡とその外戚を滅ぼしただけだろ それを悪く書いたと取るならそうだな
ただの闘争とも見えるが
千幡と一幡の争いがあったのは事実だし
もし北条が動かなかったら頼家と比企が北条を討ったのも確率高いからな
頼家の全成への仕打ち見ればわかる
頼朝の弟達への態度も側で見てたし千幡が子供のうちは見逃されても
成長したらヤバイ思ってたんだろう
なんで元服と同時に一気にかたつけたあたりはなかなかw >>818
頼朝が兄弟相続を推奨し自分の後は我が子ではなく自分の弟
頼家の後は実朝という将軍相続を意図していたのならともかく
頼朝は弟たちを粛清してまで我が子頼家への相続を優先したのであり
普通に考えれば頼家の後の将軍はその子
北条が実朝を担ぎ出すのが混乱のもと
それを「北条が正しい」と正当化しても 正しいも何もやられる前にやるってとこだろうという
義時が比企の婿になり時房が頼家の側にいたから
頼家路線を前提に北条も動いてたと思うよ
でそっちをやめて千幡路線にしたってとこ
縁戚の三浦と畠山以外に和田や小山が一緒に比企合戦に出てるから
その辺りとコソコソやってたんだろう >>820
頼朝は乳母一族である比企一族を高く買っていた
だから頼家の妻に選んだし義時とも縁組させた
頼朝は頼家への直系継承を望んでいたから丸く収めたつもりだった
頼家の血統が続く限り実朝は傍系にすぎなかったからね
比企を殺さなければ北条と実朝が殺されるんだ
北条が比企と一幡を滅ぼしたのは正当防衛だというのは
北条が編纂に携わった「吾妻鏡」の見解であって
比企が意図的に悪く書かれている可能性が高いって話なんだが
だいたい「吾妻鏡」は頼家の死を一切描いてないからね
公家の日記から頼家の「ふぐり(金玉)取りて」という
惨殺状況が把握できるが >>820
頼家の外戚は北条だが一幡の外戚は比企
北条は頼朝存命中には大きな声が出せなかっただけで
不満は大きかったと思うよ
頼朝が死んだら比企を滅ぼして一幡と若狭局を殺し姫の前を離縁し
頼家も殺して生き残った頼家の息子たちは出家させ
政子に引き取られた鞠子を除いて根絶やしにしているから
頼家を応援するつもりが実朝に路線変更ってもんじゃない 頼朝が征夷大将軍になった祝いに摂関家から正室を迎えてたらよかったのにね >>821
いやいや
君も頼朝は弟粛清して子供に継がせた言ってるやん
頼家がそうしない理由はないと普通に思うぞ
現在から見てもそう思うから当事者はビビってたろうなw
ただ北条は大人しく従うキャラじゃなかった
梶原追放の背景にも千幡派の動きがあったというから
頼朝死後から蠢いてたとは自分も思うかな
ただ一応保険はかけてた特に義時が
千幡が無事に成長するとも限らんし
比企合戦から頼家追放に実朝元服に将軍就任ていう一連の動き
ガチにスムーズで惚れ惚れするなw 強引さもある
草燃えるじゃ義村が感心してたがあいつも大概つるんでるだろ やっぱり小山の動きが面白い
和田は梶原と激突してたから頼家を気に食わないのはわからんでもない
三浦が江間と縁組したのは比企合戦の前年だがもともと許嫁だったから
北条と組むのもまあわからんでもない
まったく関係ない小山が梶原事件にも比企事件にも関わってるのがw
草燃えるではスルーしてたし今回も13人から外れてるからスルーかもしれんが
義時人脈だよね間違いなく
姫の前と離婚後に再婚した伊賀の方は結城朝光の嫁と姉妹だし 政子がいなかったら頼家の子どもたちを御輿に御家人たちが殺し合っていただろうな 三浦は善哉担ぐ気なら頼家支持した方がいいだろにな
実朝に系統が移ると遠ざかるぞ
義村ってほんと何考えてんだかわかんねー 13人は意外と多いぞ
単純にひと月ひとりとしたって13ヶ月になっちゃうから今の牛歩大河に合うか心配 新選組!も大人数だったが描き切ってるから大丈夫だろ
そもそも三谷の作品は群像劇が多い >>831
中原、足立、二階堂の方が空気になるでしょ 初回にキャラ紹介とかやってたら視聴率やばそうやな
順番に紹介していく形にするから 初回というかイントロに13人全員集合で解説して
本編入ったら政子のラブコメだろ 大江広元なんかは鎌倉へ下ってくるのが平家滅亡後だし最初からいるわけではない
合議制御家人たちは一人一話メイン回ぐらいだろうな
主人公の義時と親父の頼政はずっといるので別格
13人には含まれない頼朝政子頼家実朝後白河後鳥羽も出番は多いだろうし 視聴率なんかもうそんな気にしなくていいやろ、元々源平・鎌倉大河って人気無いし
まだ大河ブランドが落ちてない時期の、超有名人物主人公でジャニ主演だった義経でも全平均20%切ってたんだし
しかも北条義時とか、北条政子なら知ってるけど義時って何した人?みたいな知名度でしょ世間的には 13人も三浦義澄がメンツに入ってるがどー見ても活躍するのは
三浦義村だよな 和田義盛は体育会系で暑苦しいオヤジに描かれてるんだろうな さあいよいよ13人の合議制が始まりました!
すぐに梶原に三浦に安達が消えるってコントかよ 梶原滅亡からの怒涛の粛清の連続を三谷がどう描くか楽しみでもあり不安でもある 関東vs東北
神奈川の相模武士・和田義盛「東北一の勇将と呼ばれた国衡を騎射で倒したけどアイツ弱かったな(笑)」
埼玉の武蔵武士・畠山重忠「いやアイツを組み伏せて首を取ったのは俺の部下だから(笑)」 NHKつけたら清盛のBGMが
コロナ待機中に清盛一気に見たがやっぱ感動した
その続編の今作はまったく違う色彩の作品だろうが楽しみw 放送前に草燃えるの全話再放送をまた時専でもいいからやってくれんかな
再放送当時きちんと全部見てないのが悔やまれるから
真田丸の時は同じ日に真田太平記を再放送するという荒技はしてくれてたが 三谷は予習しないで見てくれ言ってる
ネタバレしてもつまらんだろ 一番作家の創作が入るのが泰時母だな
抹殺するとも思えんしどうするか
草燃えるみたいな派手な創作はしないと思うが 頼朝が亡くなった途端に御家人の統制がきかなくなった 実朝の制止振り切って幕府トップの北条と和田が合戦始めるんだからな
ある意味すごい
頼家は病で寝てたからまだわかる 武士とはそんな物だ一族仲良しとか言ってる清盛とかの方がおかしい >>861
そうなんだよねぇ、最後は全滅だよ
北条義時もたくさんの敵を陥れて族滅して側室をたくさん作ってセックスもしてやりたい放題やったけど、
その報いは子孫にくるんだよね
子孫は赤橋も金沢も名越も、そして得宗家も炎の中で集団自殺だから
そして悲惨なのは高時の息子の邦時少年
家臣に裏切られて粗末なゴザで恐怖の斬首 惨めすぎるよ
まるで得宗家150年の罪を一身に背負わされたようで哀れだよ >>863
そう、それは武士とはそういうものなんだけどねえ
権力の絶頂にあって姫の前はじめセックスしまくった成り上がり義時も脚気で苦しんで亡くなって、
その子孫たちは族滅斬首自殺するという悲惨な末路
こう考えると人生は虚しいよ やはり人のために生き行くのが一番だよねえ 北条は現代まで子孫がいるからましだろ
頼朝の直系は跡形も無く地上から消え去ったぞ 邦時はまだありだよ
時行が反逆しながら20年というのが凄い
潜伏先いくつあるのか知りたいw >>865
でもさ
北条は滅びても式目は残ってずっと受け継がれていくんだぜ
歴史のロマンだよな
制定者が滅ぼされたのになぜか法は生き続ける >>829
三浦義村の態度は一貫してる
義時支持だ
草燃えるで政子に惚れてたのは伊東十郎でなくて義村
てやってもおかしくないレベル コロナ対応で脚本変わってくるのかな
ロケ少な目とか
まあ三谷だし屋内の群像劇でもいけるだろうけど 「時行は捕まらずに行き長らえた」説もあるね
時行の子孫がそのまま伊豆に残って、後の戦国期に伊勢宗瑞が養子に入り後北条氏になったかとか
すごい生命力じゃないか! 膨大にあった得宗領に匿われていたんだろう時行は
時行はトキツラじゃなくてトキユキなんだな 200年後にまさかまた三つ鱗が翻るとは高時もびっくりだよ
北条は滅びぬ何度でも蘇るさ(一度だけだけど) トキツラは北条にもいたな
この大河でも出てくるぞ時連 >>872
時行の子孫の横井氏は一貫して尾張在住ですよ 時行が最後鎌倉から逃げずに捕まったのはもう動くのに疲れて最後は父祖伝来の鎌倉でって事だったんだろうな 子供の時に家を失って周りには自分の存在を頼りにしてる人に囲まれて
立たざる得ない状況だったんだろうね時行
なんかシャアに復讐をーていつも説教してたジンバラルがいたみたいなw
子供にはそういう思いさせたくないてあったんかもな 南朝は戦った相手
で戦うのももっともで別に恨む相手ではない
新田と組んだのも同じ
新田が北条を倒そうとするのも理由がある
北条に冷遇されてきたから
足利は敵
武士はそういう理屈だよ 南朝は戦った相手
で戦うのももっともで別に恨む相手ではない
新田と組んだのも同じ
新田が北条を倒そうとするのも理由がある
北条に冷遇されてきたから
足利は敵
武士はそういう理屈だよ 戦う時は敵、じゃなかったら手を組むいずれにしろ南朝はかつて高時を死に追いやった勢力。 >>888
尊氏だって南朝を担いで鎌倉幕府を滅ぼしたのに
後になって鎌倉幕府と仲良しだった北朝を担いで
北朝から征夷大将軍を貰っている 恩を受けたのに戦ってくる奴が敵
別に恩を施してない奴が戦う分には構わない
そもそも戦闘のプロだからな
時行が後醍醐や新田と手を組んで足利を敵としたのは当然 今日はその高時一族が滅亡した日だな
毎年仏寺やってる宝戒寺は義時の小町亭ということでよいんか?
小栗義時のお住まい 当然じゃねえよwご都合主義のスットコドッコイだから因縁が解消されず、最終的に戦国時代になるんだよw やれやれだぜ
義時ってそう言いながら
オラオラオラオラオラオラオラー!
てキャラだな >>880
>>子供の時に家を失って周りには自分の存在を頼りにしてる人に囲まれて
>>立たざる得ない状況だったんだろうね時行
よくわかるよ
得宗家100年のブランドを象徴、御内人残党にとってはこのうえない若様だよ >>895
中先代の乱で鎌倉から落ちるときに郎党が顔の皮剥いでから自決して自分達を身元不詳にして時行の死を誤魔化したんでしょ
もう引っ込み付かないよな 時行よりも悲惨なのは嫡男であり最後の得宗である北条邦時少年(9歳)だと思うよ
最後は一番信頼できる親族に裏切られて恐怖と絶望の中で罪人として首ちょんぱされるんだから
北条義時と得宗家に殺された以下の人々の怨念のなせるわざだよ
和田義盛・頼家・畠山重忠・頼家の幼い息子・後鳥羽院・比企能員・名越一族・平頼綱などなど
まさに因果応報 先祖の罪を一身に背負って死ぬんだよ ときゆきはさらに過酷
高時滅亡後も二十年間殺し合いをするんだからね
世が世ならば得宗として側室とやりまくりの日々だったのに >>900
その後の足利との20年戦争が怨念のなせるわざだろう
おそらくは頼家の息子一幡の怨霊じゃないかな 幼くして殺された恨みが一番強そう >>902
わかるけどわかるけどね〜
徳川将軍は最後をはじめ腑抜けすぎるけど
となると得宗もいずれは滅ぼされるのは上等ってことで他の一族を族滅しまくっていたんだね
悲惨な一族だよ まあ竹御所が死んで頼朝の血統が絶えたときには
平家一門殺した報いだと世間は言ったが
頼朝からしたら知るかよてとこだろ さっき神保町行ったら徳川十五代将軍の現代風イケメン化みたいな
ネタのポスター見て頭を抱えたくなった 北条義時も邪魔者を主君の子供含めて殺しまくって側室をたくさん作って中だしセックスしまくって権力握って、
この世の栄華を極めたのに最後は刺殺or脚気で苦しんで死ぬ
そして子孫は族滅で最後の男の子は先祖の罪を背負って恐怖の斬首だよ
安達泰盛や後鳥羽院といった人々もあの世でニッコリしているだろうね
本当に悲惨な一族だよ おれは北条ファンだけど、そこは世の無常を感じるよ なんかここ読んでたら、鎌倉殿の13人より北条時行の一生を大河で見たくなってきた
高時、泰家、義貞、顕家、後醍醐、大塔宮、尊氏、直義、諏訪一族…
こっちの方が登場人物も豪華な気がする >>910
父達を討った新田義貞の息子達と共闘したり、短いがドラマチックな一生だわな シャアは子供をつくれーとは言われてなかったな
時行は言われてたと想像
そこはやっぱ100数十年天下支配した歴史を背負う男と
父が偉大だったという男との違いか 義朝の子供をみんな助命した清盛も息子の代で滅び
清盛の直系を根絶やしにした頼朝も息子の代で滅び
義時は息子の代で栄えるのだから発狂しちゃう人が出てもおかしくないのな
ほんと強運だから義時は >>913
息子の執権政治と時宗以降の得宗専制の違いも理解できてないヴァカおつかれ
小学生からやり直そうね、無知な底辺おっさん
>>義朝の子供をみんな助命した清盛も息子の代で滅び
wikiも検索できないアホがとち狂ってて笑える >>914
得宗専制もわからないマヌケ↓に教えてあげよう
ID:rGE/1VUu 知識あっても他者を中傷するしか脳のない奴にはなりたくないねえ
木村花を自殺に追い込んだアホと変わらん >>912
気持ち悪いガンオタか
プラモごっこするアホな非正規ジジイ
いますぐ串刺しになって死ね 殺処分してやろうかゴミ >>918
何喧嘩腰になってるのかわからん
カルシウム取れ ガンオタジジイは生きる価値のない汚物
しかも頭も悪い 来年もしや承久の乱800周年?
その翌年が義時大河だしここは出版物に期待したい
でも承久の乱はもう本もムックもいろいろ出てるか 俺も遊泳禁止の場所で遊んでるDQNに向かって危ないぞ、沖に流されたらどうするんだ!って注意したら
DQN「おきに流されるって、後鳥羽上皇かよwww」
DQN女「マジ受けるんだけど、超承久の乱〜」
とか言って聞き入れなかったわ 竹御所って若狭局の娘なのに政子に可愛がられてるな
公暁も普通に可愛がられてるし
一幡ってよっぽど可愛げのない子供だったのかな 公暁は早めに実朝の猶子になったけど竹御所はずっと放置
公暁にだけ甘かったて感じ 政子は頼家の子だって孫だから可愛かったのだろ
一幡殺したのは時政か義時の内意を受けた北条郎党であって
政子は積極的に関与してなかったかもしれん
政子は生き残った頼家の子を見捨てておけず実朝の猶子にしたし
子や孫が家督相続争いに巻き込まれて殺されるならいっそ源家将軍を辞めて
都から親王を貰って来ればよいと切り替え早かった 公暁からしたら先代将軍の遺児で実朝の猶子であるオレが
当然次期将軍であるべきでなんで源氏に関係ない京の親王を?
と思ってるだろうにその公暁を鎌倉に呼び戻して八幡宮の別当にして
満足してる政子のこのセンスのなさはどうしたものか
女には男の気持ちは理解できないということか >>940
政子は孫には愛情を注いでいたという話であって
政子には男の気持ちがわからないから
公暁が将軍の座を希望していることを知らなかったというのは違うだろ
頼家の遺児が将軍になることに反対していたのは北条義時であり
公暁も鶴岡八幡宮で実朝と同時に北条義時の命を狙っている
政子がネックなら政子の命を狙うはずなのに公暁が命を狙ったのは義時で
義時が死ねば自分が将軍になれるという認識なわけだ
実際に、公暁が実朝殺すよりも前に公暁の異母弟栄実が信濃で北条義時征討を試みて
義時に殺されている
公暁が一時期都にいたのは園城寺の高僧に弟子入りするためで
もともと鎌倉で八幡宮別当になる道が用意されていたのであり
政子が公暁に将軍の道を開くために鎌倉へ呼び戻したものでも何でもない おばあちゃんに甘やかされてたから
ぶっ殺しても許してくれると思ったんだろうな 政子はわかってないと思う
北条家のこと考えずに駆け落ちしたり
木曽義高のことで御家人殺させたりしてる
基本自分の感情第一
公暁が可愛いから鎌倉に呼び戻しただけだろう 三谷にかかると政子は悪気はないが余計なことをするキャラになりそうだ
それで義時が尻拭いに奔走するみたいな 男は家を背負う
その気持ちが女の政子にはわからない
簡単にハイ源氏将軍終わり次は皇族将軍ねー
で納得するかよ
義時はわかってるから頼家の息子も全成の息子も殺しに行った >>941
>義時が死ねば自分が将軍になれるという認識なわけだ
これはそうだったろうと思うな
頼家が将軍から引きずり下ろされて殺されて実朝が将軍になっても
御家人は黙ってたから認められた
頼家の正嫡のオレが実朝殺して将軍になっても
御家人が黙ってたらみとめられるよな
文句言いそうな義時がいなければ、てとこ
後で後鳥羽院も義時がいなければ鎌倉は思いのままって戦起こすし 政子が池禅尼化する恐れもあったわけだ
義時は息子じゃなく弟だから強気に出られたけど 頼家がいるのに死んだからと嘘ついて将軍になった実朝
安徳天皇がいるのに三種の神器なしで即位した後鳥羽天皇
立場似てる 後鳥羽に実朝がもし謁見していたら気が合っただろうね 実朝はなんで上洛しなかったんだ?
本人も京文化に傾倒してただろ >>944
草燃えるでは真野響子の保子がそんなキャラだった >>945
義時は姉の子や妹の子は何のためらいもなく殺しているが
自分の実子や実孫は殺してはいない
義時が実子や実孫皆殺しにしていたのならば
女の政子は情があって子や孫を殺せなかった
義時は男だから子や孫を皆殺しして大きなことをやり遂げたという
お前の主張に沿うだろうが
義時は自分の実子や実孫に権力を集中させるために
姉や妹の子や孫を犠牲にしたに過ぎない
ただの手前味噌 >>948
頼朝時代は御家人が御台所を憚って云々て記述が出てくるが実朝時代はない
息子の実朝だと母親に逆らいづらいところを間に執権の義時がはさまって
うまく調整してたんだろう 義時が摂家将軍を推したから後鳥羽が親王将軍の件を硬化させたんだっけ? そら宮将軍は院の権力強化につながるけど
摂家将軍は下手したら摂関政治の悪夢再び、となる可能性もあるし >>956
実朝は将軍になったときにまだ12歳で
義時の執権独走態勢確立まで自分の意見を言うこともなかったが
実朝が大きくなってくるとたびたび義時との意見の相違で口論することが
「吾妻鏡」にでてくる
義時はそのうちに実朝のことも見捨てるつもりだったかもしれん 九条道家は姻戚と実子で絶大な権勢を持てるはずだったのに政権運営が下手すぎた 鶴岡八幡宮で不穏な動きがあるの義時も大江も実朝も知ってたような感じ
大江は実朝を止め
実朝は義時に中門に止まれと言い
義時だけ館に戻った 京の影響は極力遮断しないと平家みたいに骨抜きにされそうな気がする
足利が鎌倉江戸の幕府にくらべて不安定なのも京にいたのも関係ありそうだし 地方政権が全国区にまで肥大化したのが鎌倉幕府
室町幕府はモロ中央政権 室町幕府の形骸化は京都に居て朝廷と機能が重複したため 北朝を守るために京都を離れるわけにはいかなかった
鎌倉を放置できなかったのも東国の南朝勢力牽制のためだし 江戸幕府は関東政権だったが、幕末は将軍が京に行かざるを得なくなったな。
明治以降は朝廷そのものを東京に持ってきて二重政権はなくなったが 西に政権あっても全国おさまらんけど
関東に政権あると全国おさまるからな
特に関東がさ 学者か誰かが言ってたけど、天皇が東下りしてようやく日本が1つになったと 神護寺の風通しの時に見に行ったな
重盛像も一緒だったっけ
頼朝像イケメンだよね 伝源頼朝像って直義だと思うけどな
不倫とかしそうにない糞真面目顔じゃん
頼朝の木像見てたらもうちょっとスケベそうな顔だわ >>960
義時が実朝に対しほとんど政子カード使ってないのが面白い
お陰で政子が出てくるのは和田任官と皇族将軍ぐらいで
実朝説得も大江広元とやってるし御家人の取りなしは自分でやってる
昇進の速さ諫める時は源家という家の問題だし政子が出てきても
おかしくないんだがな
草燃えるで実朝時代があっさり終わるのも頼家時代に比べて
政子の出番がないからで >>970
元寇の時に万一元軍に上陸されて攻め込まれたら
朝廷を鎌倉に移して防衛するという案もあった
幕府軍が出てって京を守るという発想になってないのがいかにも関東政権
本拠は鎌倉なわけだ
まあ京は守りには恐ろしく不適な土地だって軍人ならわかるだろけど >>979
実朝の場合は正室の坊門信子がいたからじゃね
後鳥羽上皇の従妹で実姉は後鳥羽上皇の寵愛を受けていた
実朝が後鳥羽上皇から可愛がられて昇進早かったり
藤原定家と交流して勅撰和歌集にたくさん採用されたりしているのは
正室経由のほうが早い
北条方編纂の吾妻鏡にはあまり信子のことは出てこないが
実朝は義時にも厳しいことを言うことがありあまり手出しできなかった可能性が高い
政子は義時のカードとしての操り人形などではなく
実朝が死んだあとは政子が尼将軍と呼ばれて独走態勢になる
けして政子の力が衰えていたわけではない 頼朝は中井貴一みたいなのじゃなくて石坂頼朝みたいなのがいいな
口説き文句を暗記してる助平なスケ殿がいい 「義経」のときの中井貴一の頼朝は
馬に乗ろうとしている坂東の田舎娘の政子相手に
片膝たてて自分の膝を踏み台にするように言ってお姫様扱いして
政子の心を射抜いていたぞ
ただ頼朝政子の駆け落ちからやるなら今回はもっと若いのが来るかな 政子結婚ネタだと大抵伊東の八重姫ネタもくる
清盛の時とかさ
草の時は義時が伊東の血筋て出さなかったが今回は出してよいと思うな
曽我兄弟の烏帽子親が時政というのが唐突な感じあった 三谷が頼朝政子の出会いか頼朝挙兵からと言ってるんだろう
頼朝政子の駆け落ちの時に義時15歳
新選組や真田丸でも第一話初登場時の主人公はこれくらいだったし
三谷は子役使わないからこれより前の時期から始めないのでは 伊東父子の赦免とか処刑とか義時にやらせてたが実の祖父の話
となるとまた違ったと思うんだな<草燃える
あの時は三浦に嫁いだ長女と義村の反応描いたのと
あとで胤義とかがオレたちは伊東の血筋云々やって設定を生かしてた
頼朝の伊東への態度ってなんか複雑だよな 伊東が頼朝と繋がったままなら
政子は頼朝に嫁がないんじゃね 草燃えるでは伊東十郎と義時が分裂してたけどそれが合わさった感じでいいんじゃ
変化していく義時を照らす存在が十郎だったけど義時自身が伊東の血筋で
優しい顔と苛烈な権力者の二面性が特徴
泰時時頼と北条得宗はずっとそんな感じ 伊東十郎はだんだん視聴者の良心の代弁者に
なるんだよね。謀略だらけでのし上がる
北条一族誰にも共感出来なくなるから。
主役の勝利成功なのに胸糞悪くなるばかりだし。 徳川家康方式で本人は誠実に行動しようとするんだけど
周囲や部下が言うこと聞かず粛清する展開 承久の乱は実朝暗殺で討幕のチャンスと考えた後鳥羽上皇が・・・
というのが主流だけど
実朝経由で武家政権に影響を及ぼす計画がとん挫したからじゃない? こんなもんより、後北条5代をうやった方が、どれだけ面白いかな?wwwwwwwwwwwwwwwwwww
小田原城は、上杉謙信、武田信玄、そして豊臣秀吉に包囲されたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww このスレッドは1000を超えました。
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