【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part4
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2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
【放送予定】
2022年1〜12月
【脚本】
三谷幸喜
【制作統括】
清水拓哉(「真田丸」「いだてん」「腐女子、うっかりゲイに告る。」)
尾崎裕和(「軍師官兵衛」「あさが来た」「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」)
【演出】
吉田照幸(「あまちゃん」「エール」『探偵はBARにいる3』)
【プロデューサー】
大越大士、吉岡和彦、川口俊介
2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=21781
前スレ
【2022年大河】鎌倉殿と13人part3
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1582931628/ 鎌倉殿(鎌倉幕府の将軍)
初代 源頼朝(武門の棟梁)
二代 源頼家(頼朝の長男)
三代 源実朝(頼朝の次男)
四代 九条頼経(摂家将軍)
13人の御家人
大江広元(政所別当)
三善康信(問注所執事)
中原親能(幕府外交官)
北条時政(頼家の外祖父)
北条義時(時政の次男)
三浦義澄(頼朝挙兵以来の忠臣)
和田義盛(侍所の別当)
比企能員(頼家の妻・若狭局の父)
梶原景時(侍所の所司)
八田知家(下野の豪族)
安達盛長(頼朝時代からの忠臣)
足立遠元(武蔵の豪族)
二階堂行政(頼朝時代の側近) 自民の情報操作「Truth Team」(T2)の元請けは電通だった。
2013年の総選挙で自民党はネット対策の特別チーム「Truth Team」(T2)を
立ち上げ、専門の業者に委託するかたちでTwitterやブログの書き込みなどを
24間監視。自民党に不利な情報があれば管理人に削除要請したり、
スキャンダルなどネガティブな情報が検索エンジンに引っかかり
にくくさせるための「逆SEO」(検索エンジン最適化)までおこなったが、
当時、自民党のデータ分析を担当していた小口日出彦氏は
著書『情報参謀』(講談社)のなかで〈T2の元請けは電通だった〉
と明かしている。 草燃える再視聴中
富士川のあと平家軍追討しようとした頼朝に佐竹討てよ
と迫るときの御家人怖い
ずらーと雁首揃えてじろーと頼朝見る姿が
よくあんな連中をたばねられたな頼朝
北条たてとく気持ちもわかるw 上総介広忠だなw
奴は東国武士の中でも態度でかかったらしいからな
頼朝も後々きちんと粛清するくらいだから >>7
実際に束ねてたと言えるかどうかはわからんけどな
上手く乗っかってたって辺りが近そう 結局のところ治承3年の政変の地方の負け組たちが
都合の良い大義名分に乗っかって一発逆転を狙ったってのが実情だからなあ 上総介と千葉が佐竹討伐主張して三浦も賛成するてシーンだったが
それ以外の御家人がおぅどーすんだよ、てな空気でじろーと見てて
なんか全然親愛の情がないとこが怖かった
戦国大河だと殿ぉぅてな空気が家人にあるんだがw そりゃ当時の武士にとっては所領安堵が絶対命題だし忠誠心なんてのはそれが出来てからの話 今日は義時と明智光秀の命日
ての初めて知ったこれも大河効果 やっぱ御家人て鎌倉殿の家の家人というのとはちょと違うおもたな
契約色がずっと強いというか
頼家があっさり売られるのも当然か
頼朝が弱小北条と政子を大事にした気持ちがやっと分かったw 政子は実子よりも実家をとったね
現代とは価値観が違いすぎる 現代は親が子供のために身体をはって守るが
昔は子供が親のために身体張って守ったからな
親子の立場逆転しとる >>23
一瞬、さねこさねいえと読んでそんなんいたっけ?と思った >>24
いや、政子と義時は親父の時政を追放隠居させている >>27
義時が江間として独立してたのが大きいと思うよ >>28
義時は時政を追い出した後
北条家の家長となり執権をはじめとする時政の権限をすべて相続しているから
俺は江間で北条じゃないんだという立場ではないだろ 20年以上別家としてやってたからさ
別家別家臣別家産
もし北条の息子だったら父親追放は無理だったと思うな 草燃える見てると
お前政子に惚れてたこと忘れてないか
と十郎に突っ込みたくなる 政子はお花畑脳で公暁呼び戻したかもしれないけど
義時は警戒してたから暗殺回避できたのかしらね
薬師堂を願掛けで建てたのガチっぽく見えてくる
頼家殺したこと姉君に責められたら遺児の扱いで強硬に反対もできないわね 清盛は盛盛攻撃が凄かった
あれは平貞盛由来?
今度の時時攻撃は軽そう
あれは平維時由来? どうだろう、三谷だから真田丸のときみたいに仮名呼びにこだわるかもしれないし 上総介広常は介の八郎と草燃えるで呼んでてその呼び方で記憶したな 上総を実質的に支配する上総介(官職)の八郎(実名)ってこと? 北条三郎小四郎五郎
三浦平六平九郎和田小太郎
介八郎、梶原平三、畠山次郎、仁田四郎、安達藤九郎弥九郎
これぐらい?
あとは諱呼びが多いというか…比企能員とか
草燃えるは苗字のあとにのを入れてよんでたな
北条の四郎、畠山の次郎てな >>12
流人時代からの家人ならそうだろうけど、
そんなの安達(当時は安達と名乗ってないが)とか佐々木兄弟くらいなものだろう。 将軍は、御所の中や目の前に居るなら上様だろうし
御所の外からなら御所だろうし、鎌倉の外からなら鎌倉殿だろうけど
さすがにテレビドラマでそんな呼び分けはやってられんだろうな >>30
武田信玄だって親父追放やってるし可能だろ
伊達政宗は親父が敵の人質になっているのに見殺しにして
もろとも殺してるし すまん
草燃えるで上総介がひとりでぶえーぶえー言ってたもんでつい… すけ殿すけ殿って呼ぶけど、平治の乱で解官されたんじゃ?
前の右兵衛佐ってこと? >>60
東国だと、一生かかっても兵衛尉どまりだからな。
別格だったんだろう。 頼朝が死んでgdgdな状況から義時執権で事態がおさまるわけだから
北条は相当実力があったんだろな誰にでも分かるような 義時と三浦と結城の強力タッグで軍事
プラス義時と大江の強力タッグで政治
つよひ 良文の子忠頼は将門の娘春姫を娶ったと主張。子孫が上総介、千葉などの房総の平氏。 国香流だの秀郷流だのいるのによく坂東に喰い込めたな河内源氏は 国香流の婿になって鎌倉もらった
頼朝が本拠地にしたが気がついたらまた国香流に戻った >>74
夷を以て夷を制すというか、ヤクザものにはヤクザものって感じだったんだろう。
完全に制圧するより、地元ヤクザの抑えに摂関家の家人のヤクザものを使って共存って感じかも。
地元ヤクザの平忠常の子孫が平忠常の乱後、かえって栄えるってのがその辺の事情を反映してるかと。 >>63
そら頼朝の後家の北条政子がいたからじゃね
平清盛没後も実権は後家の平徳子が握ってたし
政子などいなくても義時のところへ御家人たちが集まってきたというのは
義時過大評価
それなら義時が征夷大将軍になれてしまうわ 権威なんてどうでもいいのが御家人
怖い連中だよ
権威てのは後からくっつける言い訳でしかない
それで頼家も捨てられたし皇室も飛ばされた 幕府の体裁としては、三寅は幼少でまだ三位以上ではなく政所を開けない
代わりに従二位の政子が政所を開いた
これで一応は鎌倉殿としての威儀は整った 実朝が渡宋計画立ててるの見るともう将軍いなくても鎌倉回る
て状況だったんだろな
子供の時に将軍になったからそのままの体制ともいえるが >>85
象徴将軍制だな。
しかし、いなくなられたら、祭祀とかができなくて困っちゃうってことかな。 鎌倉殿(征夷大将軍)が名目上でもいないとまた追討されてまうw >>83
執権に大した権力はないよ
鎌倉幕府はずっと合議制で執権の好き勝手は許されなかった
三浦や安達を粛清して得宗独走態勢になるのはもっとずっと後だし
やっと得宗独走態勢にしたら今度は内管領が得宗を操ってた 合議制と言ってもほとんど公家じゃん
武家はめんどくさいからお仕事するの嫌がってさw HIV(エイズ)は、感染後数年して発症し、一生抗ウィルス薬を飲み続けなければならない。
Covid-19は、そのHIVに特徴的な遺伝子が4箇所も組み込まれている。
だから、エイズ(免疫不全症候群)と同じように、免疫機能が破壊されて重症化する。
つまり、完治したかどうかは数年はわからないのかもしれない。 >>91
身代わり用意しないと無理
鎌倉将軍は御家人たちが摂関家や宮家から人を迎えてでも存続させた地位なんだから 御家人のマウント合戦を互いのメンツ潰さずに治めるに都合がいいから将軍置いとく
なまじ頼家みたいに権力振りかざされるとうざいし面倒
だから子供でいいや、という鎌倉武士のたくましさを
このドラマで見れるわけですね
実朝も結構御家人と衝突してるよね 結城と足利がどっちが上かでケンカしたり三浦と小山が
市中で喧嘩おっ始めたりする連中だからな御家人てのは
和田義盛は侍所別当なのにケンカに加わるし 判決気にいらねー!やっつけてやる!
と武田が泰時にやってたもんね
裁くのも命がけだよ 政権の本拠地で何度も配下同士が戦ってるしな
それでいて戦い終わったら日常の風景に戻るしどんだけ喧嘩慣れしてんだよと 北条有能だよな
内乱も鎌倉内で収めてるし
全国規模の大乱に広げた無能足利とはレベルが違う しかし親疎によらず道理に照らして公平に裁くとやって御家人と本所が争った時に
御家人に不利な判決も出してそれでよく武士が大人しくしてたな
やっぱ義時が文句ある奴コロスとかやったせい? >>106
公平に裁く事は理不尽に道理を曲げられない保証だからね >>102
椀飯だな、大宴会で騒ぎながら
闘いになると殺し合う 幕府の沙汰に不満な和田が一族総出で乗り込んできたら
顔面張り飛ばして戦仕掛けられたら返り討ちにしてたからね
最強の武力の和田でそれだから武田だって大人しくなるよ ヤンジャンで義時主人公の漫画載ってたけど俺が知ってる義時じゃなかった 普段は穏やかなのに敵には容赦ないとこは義時ぽいぞ
ちょい不思議入ってるあたりも
暴れるのは泰時でまちふらつくのは時頼で着流しは貞時ぽいw 時宗もやる時はとことん殺ってる気が
和泉元彌の時宗は少々物足りなさすぎた 大河のは時輔が父親譲りの有能マンで時宗は普通の若者
という設定だったから 時宗は史実じゃ武士に必要な要素が全部欠けていたようなのが国難で確変だったはず 赤橋が反得宗で西園寺が一条と組んで倒幕に走る
という設定だったな大河時宗
よくそんな作品書けたな 佐志房さんは破天荒なりに面白かったけど赤マフさんは本気で立ち位置が行方不明な人だった 木村佳乃が意味ありげに足利の姫という設定作ってたのに
あっという間にそのネタ終わったのがワラタw あれは途中で路線変更したとしか思えない
事実脚本の井上由美子が後日時宗のスタッフと意思疎通出来なくて揉めたような感じのことを
シナリオ雑誌のコラムに書いてた
三谷なら意地でも当初の構想通りにしそうだが 三谷は完全なオリキャラはほとんど出さないからそれはないんじゃね
「太平記」の花夜叉が楠木正成の妹とか
「時宗」の桐子が足利泰氏の娘とか
「天地人」の初音が真田幸村の姉とか(妹から姉へ放送中に変更)
オリキャラの設定が苦しくなってくるとそういうのを出してくる >>99
でも泰時さん、朝時の館が囲まれたと聞いて飛び出していって
執権なのに、と執事からお叱り受けてたお茶目さんだよね
で自分のことは棚に上げて三浦の加勢に飛び出した経時に説教してましたね この鎌倉殿が将軍を指すのか、幕府を指すのか詳しく知りたい
広義ではどちらも指すけど、このドラマではどちらを指しているのか? こないだ時宗全話見直したが
蒙古撃退するのはいいが時宗が若くして死んでしまうのが悲しくて
赤マフだけでも生きてるのが心の慰めになったよ
宗政も死んじゃうんだもん その点このドラマは義時が仕事成し遂げて
もう思い残すことはないと言うわけだから悲しくなくていいや
でもお前後継ぐらいしっかり決めろよと >>133
NHKの公式で三谷幸喜が「鎌倉殿は鎌倉幕府の将軍のことです」と言ってるぞ
頼家の暴走を止めるために合議制にしようと集まった御家人13人をタイトルにした 公式には頼朝が政子と結婚する辺りから書いてあるけど
頼家だけでずっと引っ張るのは無理でしょ >>106
マフィアと武士の違いね
メキシコでマフィアに殺されるのが怖くて政治家も警察もマフィアのいいなり
てニュース聞くと強い軍事力持ってる人がそいつらを正せばいいのにて思っちゃう
日本は北条がきっちり道理による武家政治打ち立ててよかったわ
やっぱ国を守るポジにいたのが武士だからかしら
義時は守護だからって勝手なことしたら罷免するからなて御家人とやり合ってたわね
なんも悪いことしてないのに地頭の罷免はしません、て後鳥羽ともやりあってたけど >>143
頼朝が身内含めて勝手な事やる奴らを〆た流れを上手く引き継いだってのもあるよね
お前らなんで勝手に官位貰うの馬鹿なの?死ぬの?このピー!と手紙書きまくったあれも無駄じゃ無かったw 北条は権威がないから公平な裁判で御家人の支持を獲得するしかなかった なお公平に裁いても負けて引き下がる人間はほとんどいない模様 三浦や比企が北条みたいな善政できるかと想像はできないしな
義時と泰時は偉大だよ
時政は知らん 三浦義村はわかってた気はするがな
オレには無理!てな 北条は強いものに容赦なくて弱いものに優しいから好き 政所別当だの侍所別当だのいるけど、結局は執権の権力のほうが上回るってこと? 本来は政所別当が執権で義時は和田合戦後侍所別当も兼ねた 中世だと職権と権力は別だからその時の情勢で変わるよ
室町だけど元管領と元侍所頭人で殴り合ったのが応仁の乱だし すぐ侍所別当は泰時や他の連中に譲る
政所別当もほかに何人もいる
まあー忙しいからな執権さんは
義時は幕政だけでなく家政もやってただろうし
家人も伊豆以来の郎党もいれば御家人もいるというごっちゃ煮でさ 多分
ただ執事を置くのは泰時の代で義時時代は執事がいないのだ 竜馬におまかせで維新回天の英霊の墓前で土下座しろとか言われた奴がまた本書くとはな >>161
公卿になったら誰でも持てたものだね。
武家の機構って、独創性はないね。
さらに徳川幕府は、庄屋仕立てって農村の組織が元になってるし。 だからあくまで朝廷と距離を置いた家人の統率機関と言う体裁を取った 義時は天下人になったけど本人その気はさらさらなかった
あー御家人の世話もめんどーだなーって関東の田舎で仕事してたら
何故か天下を取ってしまった しょせんは在庁官人、つまり地方公務員初級かつ伊豆の海の家のおっさん(時政)の次男坊
その程度よ、下痢もらし義時風情は
その子孫も最期は後醍醐帝による天罰で惨めで哀れなハラキリ焼死
悪行の報いだよ、ざまあだね >>165
主君の頼家実朝、その子供たち含めて皆殺しにしたくせによく言うわ
まあ北条時政なんて伊豆の海の家のおっさん(伊豆の国市の商店街の顔役程度)がマンコパワーで頼朝公に取り入っただけだからな
だから最期は高時坊主も日本中のヘイトを受けて生きながら焼かれて死ぬんだよ 泰時もうちは御家人関連しか扱いませんので関係ない奴は
こっちにこないで、つってるのにみんな無視して鎌倉鎌倉
てやってくるから忙しすぎてうぎゃああてなった >>164
やっぱり私的なもんでしょう
実朝が幼くて公卿でない時も政所呼んでたならただの呼び名化したんかな
実朝の後継に皇族望んだのは私的な幕府にちょこっと正統性を与えよう
という気持ちもあったかも
そんで皇子遣わすと国が二分されるという後鳥羽の発言に だからよく北条はなぜ将軍にならないのか言われるが
なってもしょうがないという感じだったと思うんだよね
源氏ですら公的な支配者としては足りないのにさ
頼朝が大姫3幡入内政策進めて皇室の外戚になることで権威あげよう
としたの義時も政子も知ってる
頼朝死後に三幡入内をそのまま幕府首脳部が進めたのも納得
そうやって武家政権が田舎の武士の私的な集合体から公的な支配者に脱皮するのに
四苦八苦してたら承久の乱であっさり武力で正統性を得てしまったのは歴史の皮肉
後鳥羽がもう少し辛抱してたらな 征夷大将軍になったことで東国の公的な支配者になったでしょ名実ともに 征夷大将軍って、室町幕府や江戸幕府を知ってる現代の人間から見ると
武家政権のトップとして確立した地位の称号ってイメージだけど
果たして実朝死亡直後くらいの時期においてもそう認識されていたものなのかどうか
東国ではそうであっても京都ではどうだろう 頼朝の場合は惣官や征東大将軍でない官職を後白河の逝去のどさくさで得ただけだし頼家実朝の征夷大将軍任官も後世の後付権威付臭い >>171
当時の征夷大将軍はそういう職責じゃない >>169
頼朝が、右近衛大将になって、すぐに辞任しているわけだが、
それを機に、(前の)右大将家ということで、「政所の吉書始」を行う。
これ以降は、当主が従五位下であっても、いずれ公卿になるってことで、
政所も継続するんだろうな。と考えると、征夷大将軍より、右大将のほうが重要だったのかもしれん。 >>178
右大将であることよりも、右大将になったってことが重要だったんだろうな。
だから、さっさと辞任すると。
征夷大将軍では、普通、政所すら開けないしな。
坂東武者にとっては、右大将は目がくらむような地位だが、征夷大将軍だと、
鎮守府将軍と対して川奈らい感覚だったかもしれん。 鎮守(府)将軍に取って代わる称号だがそれは摂家将軍以降に権威付けされた物だと思う >>172
そもそも武家政権という発想がないんでは
幕府なんて言葉がなかったのも当然というか
清盛は朝廷のトップだったし そう言うのって全部後から見た人が捉えた事の話だからなあ
もし仮に承久の乱で後鳥羽上皇方が勝ったのなら平将門の発展した形ぐらいの扱いになってるだろうし
その後、室町→江戸と後に幕府と呼ばれる形が出来上がったから鎌倉にあった政権もまた幕府と呼ばれるようになったわけで フジで東北は京都の鬼門の方向だから蝦夷は鬼だとかムチャクチャ言ってるw 将門以来の関東の反乱の歴史は影響あるだろな
新しい国づくり的な志向もあってどうしても承久でぶつからざるをえない流れ
それを将門鎮圧した貞盛の子孫がやるというのが皮肉
俵藤太の子孫もいるが 関東は常に反乱起こしてるからな室町時代の鎌倉府然り
江戸幕府や明治以降東京を中心にしてるから黙ってるだけで
明治政府が京都を首都のままにしてたら戦後に共産主義者が独立運動しかけてそれに関東人が乗ったりしてそうだわ 武家政権という自分たちの築き上げたものが崩れた代わりに今まで望んでいた新皇だの皇族将軍だのの代わりにホンモノが来るって皮肉な結末だな 久々にHIV(Covid-19)の症状の推移貼っとくよ〜↓
感染初期の急性期(感染2〜4週間)はHIVの体内増殖に伴い発熱や喉の痛み、だるさなど風邪やインフルエンザに似た症状が現れるが、通常は数日から数週間で症状は消える。
急性期を過ぎると、何も症状のない無症候期と呼ばれる期間が数年〜10数年続く。
自覚症状はなくても体内ではHIVが増殖を続けていて、免疫力は少しずつ低下していき、急激な体重減少や長く続く下痢、寝汗、帯状疱疹、口腔カンジダなどの症状が出てくる。
さらに免疫力が低くなると、病原性の弱い真菌(カビ)や細菌、ウイルス、原虫などの日和見感染を起こして
呼吸困難や肺炎、腸炎、意識障害、けいれん、リンパ腫などの症状や1ヵ月以上にわたる発熱・下痢による衰弱、HIV脳症による運動障害や認知症症状など多彩な症状が現れる。
https://doctorsfile.jp/medication/115/ 将門の夢は藤原秀衡、そして源頼朝がほぼほぼ具現化したから 大姫を入内させてその皇子を鎌倉に迎える気だった
という人も昔いたな
東国王権というか新皇かね >>177
皇族将軍はともかくなんで摂関家の子供?
というのがイマイチピンとこなかった
頼朝の姉の孫なんて弱すぎる
でも右大将より上だしというなら分からんでもないな
実朝も必死こいて官位あげてたしな 清盛路線でもなく将門路線でもなく
その間を取ってる鎌倉 姉じゃなくて妹な頼朝にとっては希義とならぶ同母兄弟 草燃えるで準主役級だった義時が主役で扱う時代はまったく同じ
多分いろいろ解釈変えてくるだろうな 実朝暗殺は三浦義村黒幕説は確実に変えてくるだろうね >>202
草燃えるの評価を見るともう義時が主役みたいな扱いだったとよく見るが、ホント? >>204
扱いはそうだけどあれはやっぱり政子主役で源家の再興と破滅のお話
義時がほんとに描かれてるかというと微妙
白い青年が黒い政治家になりましたという構図の犠牲になってるし
御家人もただ考えなしで義時に滅ぼされますみたいなノリ
三谷が御家人サバイバルに焦点当てたい気持ち分かる 実朝は源仲章、源頼兼、大内惟義を政所の別当にして義時をけん制してる 実朝は義時牽制する前に子作りに励むべきだと思うの
私で源氏は絶えるからとかあっさり言わないで
自分の息子がいないなら義時と張り合う必要ないよね 暗殺の時、中門に止まれと実朝が義時を止めたんだから
義時を助けたことになる
子供作らない、宋に行きたい、鶴ヶ丘に一人で突入する
何気に破滅型だな 本当かどうかわからないけど昨日のごごナマで三谷さんが3話まで書いた。って言ってたよ 自分の子供も頼家と同じように粛清されかねないと考えたから?
殺されるくらいなら最初からつくらない 自分の子を朝敵にしたくなかったってのはあったかもしれんね
実朝の頃には承久の乱への道筋も、見えてる人には見えてたろうし
だからこそ両者とも融和を模索してたんだけど >>216
>>218
でも、何ヶ月か前に脚本書き始めたってエッセイに書いてたような
それなら、3話もありえるのか? 三谷は遅筆だから早めに執筆始めさせたのかもしれない
確か真田丸のときは放映開始前年の年末頃にまだ台本10話分しかもらってないってキャストが心配してたくらいだし 原作なし大河は俳優が役作り出来る程度に脚本が仕上がってないと麒麟みたいに悲惨になる 戦国時代ばかりだと飽きるし草燃える以来だから楽しみ
真田丸は中盤までよかったのに最後にコケタ印象 >>222
本人が言ってたけど、九度山のあたりでかなり脚本ヤバかったんだよな
大河初の総集編回か?くらいなカンジだったが、名前を決めるエピで回想多く入れて凌いだとか
三谷は大河だとペース配分が微妙になりがち
組!は山本耕史が「早く鴨殺らないと、オレたちの時代が来ない」って撮影しながら言ってたらしいし
丸も大坂編が当初予定より長くなって関ヶ原が予定より遅れた 21年度のBK朝ドラのスケジュールはこんな感じ
https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/1000/432979.html
【制作スケジュール】
2020年夏頃 出演者オーディション
2020年冬頃 出演者発表
2021年春頃 クランクイン予定 >>225
今回は合議制をメインにしたいだろうから遅くても中盤では頼朝退場がくると思うが
気に入った役者やキャラがいた場合大体その人に時間割いちゃうパターンが多いから
どうなるかわからんね
逆に合議制に時間割きすぎてあっという間に和田合戦と実朝暗殺が来たりして なんかコロナでこもってる話で舞台と並行して自分は大河執筆に取り掛かった
というのあったな
3話は早いなw 舞台の仕事がコロナ禍で順調じゃないとかあるんかな 謎の渡宋計画をどう説明するか大変そう
草だと御所は頭どうかしたんか、て片付けられてたような
御台所も置き去りで実朝が一人でルンルン >>203
最近の研究では公暁の単独犯行で黒幕なんかいないというのが有力 >>236
実朝殺れば、血統的に、次の源氏の棟梁は俺だし、
源氏の棟梁ってことは当然鎌倉殿だよなとか思っちゃったかな。
成功したときの輝かしい未来と、このまま一生坊主続けるのとどっちがいいかとなると、
選択の余地がなかったのかもしれん。 実朝が自分で源氏の流れが途絶えるのを見越して
親王将軍を立てる方向に舵切っちゃったのも
大きかったかもな
実現しちゃう前にやっちまえと思ってしまった感じ >>236
もし黒幕がいたとしても資料に残ったか疑問だし
なんでいなかったと言えるのか謎だな
事件を明確に利用した形跡がある人物はいないくらいは言えるだろうけど しかし頼家の息子の公暁なんて義時から一番遠いのに
なんで義時黒幕説なんてでたんだろ
当時もそんなこと言ってるやつ一人もいないのに 一番得したのが義時だからでは?
正直結果論でしかないと思うけど 三浦黒幕説が出るのは分かるんだ
乳母やってたし公暁は三浦館に行ってるし駒若もいるし
途中で帰ったと吾妻鏡が書くから妄想した奴が出たってとこか?
でも慈円は違うこと書いてるしな 一緒に殺されたのが源仲章というのが気になる
実朝の側近で後鳥羽上皇にも近い関係 義時と思って殺したって慈円が書いてるってことは
そう言ったのを誰か聞いたんだろう
実朝暗殺は現場の目撃者の公家が大勢いてそいつらが泡食って
帰京したからあちこちで体験話しまくったろうし 実体験者の話でも事実と憶測が入り混じっている可能性もあるな 実朝と時政を暗殺して公暁将軍にを立てようとした三浦義村でしょ
しかし、土壇場で裏切り公暁を殺害 実朝殺した後で義時一人倒せても政子や泰時ら北条一族を殲滅しなきゃいけない訳で
比企の乱の時みたいにすぐさま兵を起こして皆殺しにしたように
義村がそこまで用意周到にしてたかと思うと疑問が浮かぶ
それにこの時点で仮に鎌倉政権のトップに立ったとしてもメリットもない気がする 義村って行動だけ見たら佐々木道誉みたいなやつだよね
和田と結託するように見せて義時にすぐ報告したり
裏切りそうで最後まで義時を裏切らなかったとことか
しれっと生き残ってる 義時
「結果的に得?確かに実朝公暗殺のせいで朝敵扱いされ討伐されるとこで
公暁といい後鳥羽院といい…もう帰っていいですか」 まあ義時時房泰時を一気にかたづけるのは至難の業な気もするしな
離間の計もきかない感じだし 義村は義時死後も仏事を行ったり政村を守ったりしてる一途さだよ 義時は公暁も実朝もあんな手段取らなくてもいつでも始末できる
三浦義村はとにかく慎重な奴であんな無謀なやり方はしない
実朝や義時をあの場でないと襲えなかった奴が怪しい
つまり公暁の単独犯で曾我兄弟みたいなもん
一周回って元に戻ったと >>204
義時の成長物語だよ
義時が悪い方に成長することを際立たせるのが滝田栄の伊東十郎の役割
そして終盤は義時と義村の黒い対決が凄まじい
松平健も藤岡弘もこの演技が生涯最高の演技だと思う。
驚くのはまだ30代の2人が40年後の今より老けて見えること 三浦義村は慎重だよね
唯一野心を見せかけたのが義時が死んだ時
あの時も政子が乗り込んできたらあっさり引いた
息子たちは義村に比べて数段落ちるから滅ぼされちゃった 鎌倉の至近に所領を持つ大豪族だからなあ
義時の頃ならともかく経時の頃になると立ち回りも難しくなってたろうし仕方ないとこはある >>256
始末できると言ってもやったらとてもタダじゃ済まないだろ
慎重ならばこそ自分の存在が明るみに出ないように遠回しに焚き付けるだけで
決行計画自体は自由意志に任せる可能性が高い
除外できるほどの根拠ではない 三浦義村はどっちかというと公暁の動きを義時に伝えてた方かも
鎌倉で上総介や一条や比企が突き殺されるテロの歴史を義時体験してるし
大倉薬師堂建てて神頼みもするってな
事件がおきると義村すぐ義時に通報してるしね
大江が実朝止めたという話もマジあり得る >>267
得宗家の外戚を巡る三浦家と安達家の戦いが軸 8月5日 (水) 20:00〜NHKBSプレミアム
英雄たちの選択「源頼朝 武家の都“鎌倉”をひらく」
頼朝が築いた武家の都「鎌倉」。それは、「頼朝の権威の小宇宙、頼朝ワールドだ」と磯田道史さんはいう。かつて、鎌倉にあった幻の大寺院を徹底分析し、その思いを探る。 >>211
男性だったら持てるのに…とか?
この時代のお偉いさんには同性愛は珍しくもないが、女性とも関係が持てる人が大半だけどな。 >>265
頼家は草の郷ひろみが凄すぎて…。
あれを越える頼家が出てくるかどうか…。 重時の連署就任同意してれば安達の暴走抑えて三浦も無事だったかも
あれ拒否って時頼の不信を招いた
その辺りが義村とは違うね泰村 >>212
なぜ実朝が義時を中門に止めたのか
まともに説明してる人見たことない
義時を貶めるためという人は見たが実朝がそんなことするとは思えん 狙われてるのは義時の方って認識だったんじゃねーの
あるいは普通に具合悪そうにしてたとか >>272
思い込みの激しさが合っていた。
実朝の篠田三郎も良かったし、配役が良かったよね。
許嫁と政治的に離され、精神を病んだ大姫の悲劇もドラマで意外に扱われてなかったし、見どころが多かった。
岩下さんが良かったのはもちろんだが。 >>273
ほんとそれ
義村は一か八かの賭けは絶対にしない
というかそういう賭けをしなきゃならないような状況には絶対追い込まれない
まあ義村が凄すぎるんだよ
頼朝死後の殺し合いで涼しい顔して余裕で生き延びたんだから
最初から最後まで義時と一貫して通じてたのならそれも凄い
同時代の人はそうは思ってなかったからな ほどほどに権威も持ってなきゃ幕府の中枢にはいられてないのでは? >>279
三浦義村は北条義時と母親同士が姉妹の従兄弟同士で
子供の頃からずっとベタベタの関係だろ
義村の妻が公暁の乳母になったというのも
義時や政子の命令で公暁の見張り役をさせられていたんだろう
娘は北条泰時の先室、息子は泰時の娘を正室として娶るで
幾重にも北条と姻戚関係を結んでいた >>283
当時関東の豪族同士とか婚姻で繋がりあっていていとこの関係なんてそこいら中吐いて捨てるほどあるからそれだけじゃ組んで当たり前とは言えない 義村は義時無視して将軍に接近したり義時の人事を妨害したりしない
泰村はやっぱ奢りがあったんかね
経時時頼は安達息子だけど三浦に好意的だったのに >>284
義時の姉が頼朝の正室でなければ義時の大出世はありえなかったし
血縁が無関係だとは思えないな
三浦泰村は義時と敵対していると誰もが思っていたなんてないだろ
>>286
そらお家騒動はあるだろ
源頼朝だって血縁の弟たちを殺しているし >>287
和田一族は義村が裏切るなんて夢にも思ってなかったと思うよ
承久の乱でも義村は当然上皇に味方するもんだと期待されて早々に使者が飛んでるよ 【山崎康彦】
注意喚起、福島県の山積みになったフレコンバッグが続々と搬出中。
凄いですね、要するに放射能汚染された土壌を全国にばら撒くとういうことで。
意図的にやってるんですよねこれ、これは完全に国家権力犯罪ですね。
://youtu.be/dEV6yiHePVM?t=1380
和田合戦のときの御所の西門に近い所に三浦義村邸、東門近くに和田胤長邸がある
西の北条義時邸は少し遠い(和田邸も同じようなところにあるけど)
南には大江広元邸があるけど真っ先に和田勢に攻め潰されてる
義時は実朝を連れて北門から脱出してるけど
もし胤長邸を義盛に引き渡したり、三浦が和田方についてたら包囲されてた
胤長の屋敷跡の引き渡しを妨害したのは、義時側にも理由があった 胤長館を実朝の決定覆して取り上げたのは軍事的理由だろうが
あの当時の義時亭て御所の東隣の大倉亭じゃなかったっけ
小町亭が自分は好きだけど
宝戒寺好きだからw 大島の為朝を伊豆の武士が討伐してたがその中に時政もいたよな? 和田は義村が味方になるの前提で挙兵してるからね
和田は戦のプロだからそこは抜かりない
ただ和田は政治のプロではなかった
義村が和田を邪魔に思う気持ちを理解出来なかったんだな >>302
それは貴方の解釈でしょ。史実ではそんな話は一切ありませんから。 坂東武者は保元や平治の乱の時は京の義朝についたり鎌倉の義平についたりしてんのかな? ゆうてきた坂東は義国流始め独自の動きが多かったんじゃないな? 義国はじめそもそも都でやらかして坂東へ左遷されたヤツが多い >>304
相模、安房、両総、武蔵は義朝の勢力圏だからそいつらは義朝義平についた
南関東だな 義平が保元の乱の前に叔父義賢を秩父氏もろとも殺してる >>302
理解してたかも知れないけど止まらなかったんじゃない?
義盛ですら実朝の使者に「若い者が興奮してて諫めてもきかない」
って返事してる 義盛の挙兵の時間がちょっとおかしいんじゃなかったっけ
自分もほんとは翌日に挙兵の予定だったと思ったりする
もしかして三浦が北条についたと和田が知って先に先制攻撃急いだのかも
北条方は泰時は二日酔いだし義時は囲碁して遊んでるし散々だったw
まあ三谷がどういう風に話作るか楽しみだね 治承寿永の時に悪源太が生きてたら関東は頼朝派と割れてたかもね >>315
平賀一族
義朝に最後まで付き従ったから頼朝時代は門葉の筆頭になり足利より上席だった >>318
位階では大江広元、源仲章、北条義時、大内惟義の順 >>298
普段は穏便で大抵のことでは実朝を立てる義時が胤長の館の件では
実朝に逆らってむき出しに奪って行くの結構好きw
平賀を問答無用で打ち取るとこもむき出しだったね 義時は実朝が成人するとだんだんおとなしくなっていくけど
政子はおとなしくなったんだろうか?年取るから少しはおとなしくなるよね 政子は権限なく出しゃばったりしてない
政子は両将軍の母親だから頼家を廃位したり実朝を後継にしたりという親としての権限は行使した。
実朝死後は頼経を後継にする権限行使すると同時に幼児の頼経の後見としてここではじめて政務をみて尼将軍と言われたんよ 三位未満の頼経が政所開けないから従二位の政子が代わりに政所を開いたんでしょ 政子は権限なく出しゃばりまくった。それが史実。悪いけど >>325
当時は母親(後家)って凄い権限あるんだよ >>327
今の(昭和の?)感覚に合わないのか好ましくないこととして描写されがちだよね 政子は後家超えて出しゃばりすぎ
北条家のことに口出せないはず
伊賀の方に強引に罪きせてさ >>328
江戸時代の封建主義社会では
女は奥に閉じ込めて表(政治)に口出ししてはいけないで
北条政子、日野富子、淀殿は三悪女だったんだよ
まあこの板でも政子はただの恋愛脳女で何の権限もなかった
義時は頼朝から個人的に溺愛されて実子を差し置いて後継者に指名されていたから
政子などいなくても執権になれたといってるのもいるからな 義時は面倒臭くなると政子を飛ばす
公暁の処刑命令とか 確かに自分が義時の立場だったら政子邪魔だよな。時政はもっと邪魔だけど https://news.yahoo.co.jp/articles/961706e655dcb986f44ad379c37adac3599e4280
NHKが2ちゃんねるになる
BS1、BSプレミアム、BS4Kの3つを2つに集約
つまり、朝ドラや大河ドラマは4Kチューナーを買ってきてBS4Kで見てね!ということなんでしょう
青天を衝けはBSプレミアムで見られるけど
鎌倉殿の13人は4Kチューナーを買って見てね!ということに >>332
義時は政子のおかげで生き残れたんじゃないかw
時政を吹っ飛ばす権限持ってるの政子だけだぜ。
実朝とか時政の屋敷に居たんだぞ
政子が実朝を時政の屋敷から連れ出せと言ったから時政の失脚が確定した。実朝は母親の命に従う他なく、この場合の政子は頼朝の後家としての権限行使だから家来筋の時政がこの権限行使に口挟む余地はないからね。 政子は義時の都合の良い時に顔出してそれ以外は引っ込んでる
邪魔じゃないよ >>306
そもそもやらかしてない河内源氏義家流が居ない気がするw 暗殺されたのは義忠本人だけ子孫は存続して名字を持たず源と名乗ったままの系譜も居る 子供達は源氏の薫陶をあまり受けずに平氏の文化を身に付けた結果かも 伊勢平家だよ
義忠の妻が平正盛の娘だし教育って大事と言うのがよく分かる
義朝が健在で頼朝にきっちり教育したらどうなった事やらw 2023年は、屋代 景頼が主役で、「景頼が参る」らしい。脚本は岡田 惠和で主演は沢村一樹 頼義と義家の間に誰か居たんじゃないか疑惑なら聞いたこと有るな
あの時代に嫡男が50過ぎまで生まれてないのは不自然という話 義家の母ちゃんは平直方の娘という
直方の血が入ってから河内源氏が身内で殺し合うようになったのは気のせいだろうか? 身内で殺し合うなら将門の乱があるし伊勢平氏も同族間の争いに勝利して伊勢に覇権を得た
直方は忠常の乱では穏健派だったからその血のせいではないと思われる >>347
生まれても育たないことは多いからねあの時代 維時が名残はひたすらに民になりて平時政というもののみが北条郡にある
と増鏡に書かれてたな
穏健派の血筋だから民になったかw 北条も義時の流れが賢いんだな
もしや伊東氏が賢いんか?
阿波局とか三浦義村とかだろ
あ、胤義もいたw 頼義が直方の娘を正室に貰う時に邪魔な子供達を処理した可能性が・・・
それを知ってる孫以降は都合悪けりゃ親戚を殺りゃいいのかとなったのかも 跡取りのスペアにもなるのに、そんな理由で殺すか?
義家の後に義綱義光と続くのが凄い 源義国はやらかしがなけりゃ義家の跡を継げたんじゃないの? まあ複数回やらかしは処置なしだろう
やらかさないというifが存在しない 気が付いたら家に居て多分自分の子だけど母親分からないとかw >>362
身分の低い、どこの馬の骨かわからん女
てことじゃない?
そういえば泰時の生母も正体不明なんだよな 義家 わしの子と言うことにしといてやる理由は聞くな
母がどこの馬の骨かわからないのを跡継ぎにしなきゃいけないほど切羽詰まっていたのか八幡太郎は… 還暦過ぎてから長男が西で狼藉して配流、四男が東国で親戚と戦って捕縛命令出されればそりゃね・・・
死後、長男が追悼されて都で首晒されて三男が従兄弟に殺されるのを見なくて済んだのは不幸中の幸いだけどさ >>368
皇室でさえ近世以降は母の母・・って辿っていくと平民がごまんと出てくる。 >>374
父親がわからなくても、母親がわからないってのは、事実レベルでは稀だよな。
大人の事情で、不明ってことにしてあるんだろう。 清盛のご落胤説みたいなものではないよな
自分の血をひいてないのをおしつけられて後に据えるとかはまあありえないか 天皇の女御に入れた養女と密通説が出る土御門通親はツワモノだな
白河院が帝の女御に手を出すのはわかる 講談社の漫画日本の歴史はやたら義時が泣くんでうん?と思うが
それ以上に頼朝が三つ鱗直垂を着ているのが違和感ありすぎる >>371
佐々木秀綱の子の信実の女じゃなかったの?
それだと頼朝が目をかけたというのも分かるんだけどさ 不詳で姫の前伊賀の方腹の息子がいても義時存命中ずっと太郎として扱われてたわけだから
義時にとっては相当意味のある立場だったはずなんだけどな泰時母 そういう噂はかけらもないな
島津や結城や安達にはネタでもあるが
伊佐氏の有時とは明らかに待遇違うから庶子ではない
姫の前が来るのが遅いから最初の妻だろうが伊豆で嫁取るか
鎌倉で取るか三谷の好み次第w
自分は伊豆時代がいいと思う 「草燃える」では頼朝が義時の妻に手を付けて
頼朝は泰時が我が子だと思って重用する流れだったなw
泰時母は「阿波局」と呼ばれる御所女房とあるから
頼朝に仕える侍女だったことは確かなんだろう
泰時が元服するときまだ朝時は生まれておらず泰時は長らく義時の唯一の子だった
泰時が元服時点で太郎を名乗ったのは他に兄弟がいなかったから
一度太郎を名乗らせた長男を不祥事もないのに廃嫡もできんし
姫の前の子は元服するよりも前に比企氏の乱姫の前離縁で
どのみち嫡子にはなれないし 泰時元服時には姫の前が既に朝時を生んでるよ
比企の姫が息子産んでも泰時があんな派手な元服やったわけでさ
この辺り面白いよね
義時は比企の婿だが全然比企を気にかけてない
後の比企合戦や姫の前との離婚の道が既に現れてるような
ドラマになりそうだがどう描かれるか楽しみ 頼朝を烏帽子親にして太郎頼時を名乗らせ三浦との縁組まで決める
義時は家人にも御家人にも長男を蔑ろにしないようにて示して
守ってるんだな
母方の親戚がいないから父親の自分が守らないと
義時は自分が母方親族滅亡でポツンとしてて頼朝に守られてるから
同じ立場の長男も気にかかったか 阿波局は頼朝じゃなくて政子に仕えてたんじゃね
だから泰時が政子に贔屓されてるんだよ
頼朝に可愛がられてた女官の子供が政子に可愛がられると思えない
姫の前の母親の越後局が政子に仕えてたなそういえば
比企の息子の朝時重時も大事にされてる 姫の前の父比企朝宗は系図不詳で比企滅亡の時にも比企朝宗の名はない
いうほど権力者の娘ではなかったんじゃ
頼朝が気に入っていた女房を義時に下賜した事情はあるにせよ
義時がそこまで気を遣う相手ではなかったというか >>396
そうかも知んないね
ただ、比企の遺領の多くが朝時に与えられたのは事実 草燃えるでは最初から泰時で登場してて時連の改名だけやってた
今回は泰時のもやるんじゃないかな
頼家がらみで創作しそう 頼家時代に名前変えててその事情は分かんないんだから
創作しないといきなり変わってることになるで 時連→時房の改名理由はわかっているのに頼時→泰時への改名理由が分からないのがね。
多分泰時や得宗家に都合よくない改名理由があるんだろうな。 >>396
比企尼は男子を出生せず、夫掃部允の死後の比企氏の惣領は掃部允弟朝宗に継承され、
朝宗は『吾妻鏡』最終所見が建久5年であり、その後まもなく死去したと考えられます。
源頼朝が木曽義仲を滅亡させて、義仲勢力圏であった北陸道を手中にすると、
朝宗を北陸道勧農使としており、朝宗は頼朝側近・重臣として活躍しています。
なお、泰時元服の座にも甥能員と共に参席しています。 時房の改名理由もクソみたいなもんだったな
烏帽子親の三浦に失礼すぎるだろという
頼家の命令だったわけだから泰時の改名もそうなんじゃね
ちょうど蹴鞠云々で泰時が頼家の怒りかったあたりだし >>397
比企が滅んだ後その所領を平和的に北条が搾取するためにそういう方便は使うだろうね
もともと姫の前が相続した土地ではなくとも
>>403
寿永元年の頼家誕生時に比企能員が乳父に選ばれ平家追討にも名が残り
ほとんど史料に登場せず系譜も不詳の朝宗が比企氏の家督相続者だったとは考え難い
義時が姫の前と結婚した時義時は30歳であり頼朝はすでに幕府を開いていた
義時が頼朝の義弟として特別な地位にあったのならば
都にいる頼朝妹の娘(頼朝の姪)などもっといいところから正室がきてしかるべき
姫の前が朝宗娘で嫁いでまもなく父死亡ではそれほどの権力はなかっただろう >>329
政子はほんと時政によく似てる
やり方がよく言えばパワフルで悪く言えば乱暴
泰時が弟たちに気兼ねもするわな >>406
高時はそうは思わんって
書くやつ絶対出てくる 要らん拘りをだすだろうな
砂ぼこり、海賊王、あんただれ、 >>403
比企藤内能宗は『山槐記』に「藤朝宗」として内舎人補任記事があり、「藤内」の名乗りの裏付けがあり、
内乱以前に任官していたことが分かります。
また、『吾妻鏡』にも22回所見があり、範頼従軍関係記事に於いて、
常に能員に上位して表記されています。
北陸道勧農使は後の守護につながる職務であり、単に一国ではなく、
道に渡る広域権限を与えられたことは、頼朝の信頼を証拠付け、
かつそれだけの実力を有した御家人であることを示しています。
ですから、中世史の故石井進氏は比企掃除允の弟説を唱えたのです。 頼朝が征夷大将軍除書受取り儀式を鶴岡八幡宮で行った時、
比企能員は三浦義澄の家子として、受取り役義澄に随行しています。
もう一人は和田宗実(侍所別当義盛弟)です。(『吾妻鏡』・『延慶本平家物語』) まあドラマになった時点で重厚さはなくなるだろうねえ そこがいいんだよ
北条ファミリーで漫才やってこそ関東武士のたくましさがでるというかw 三谷がやる時点でなあ。
生きる死ぬの時代なのに、殺伐さのかけらもないから見る気になれない。 「草燃える」は永井路子の北条政子単独主役の原作があった
政子は勿論、妹や娘といった女性たちの描写に時間がかけられてあり
娘の婚約者が夫に殺され娘が壊れていく様子や
頼家を泣きながら見捨てるシーンなど女性から見た源平が描かれた
「草燃える」は大河58作中歴代大河視聴率11位で
源平大河としては最も視聴率をとった大河
概ね成功作といえるだろ
三谷は喜劇で新選組!も次々隊士が死んで行くのに悲壮感がなかったし
テイストは相当違うだろ >>413
結局、朝宗の系図は不明
妻が政子に仕える侍女だったので娘の姫の前も頼朝に侍女として仕えた
ってことしか分からないってことだね
比企氏の権力の源は何と言っても頼朝が終生重んじた乳母・比企尼の存在あってのこと
比企尼の猶子になっている比企能員に比べ朝宗と比企尼の関係は不明 草燃えるの再放送の時
こんなラブコメアフォらしくてみてられんj
と普通に切ったやつ結構いたからな
言葉遣いも凄かったし
重厚好みの人にはまず無理な作品 オレらから見たら殺伐に見えても彼らにとってはそれが日常
知性も教養もない腕っ節自慢の連中が初めて集まって
わやわやするんだからむしろ三谷向き
明るく楽しくやってください >>422
永井路子は謀略大好きな人なんで謀略がたっぷり書かれている
永井路子原作に忠実ならばどうファミリー風にアレンジしてもエゲツない大河になる
三谷脚本は三谷が原作だからそこが期待できない >>424
見る目ないやつがいるもんだ
表面しか見ないんだな
数回目くらいで藤岡弘が爽やかな現代青年風の演技で凄まじくエゲツないことしてたろw
仮面ライダーみたいな演技であの所業する方が面白いわw 香取慎吾「テレビ出れない」苦境に、盟友・三谷幸喜の大河内定で地上波ドラマ復帰
8/20(木) 11:01配信
「こんなにテレビに出られないんだなって……」
2022年放送の『鎌倉殿の13人』に香取さんが出演することがほぼ決まっているそうです。脚本を担当する三谷幸喜さんと香取さんは、2004年放送の大河ドラマ『新選組!』でタッグを組んで以来、公私にわたっての仲。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df78fc9ba9af44609e2066cf5a5b3207b926c045 新選組!も終盤にかけて隊士が死んでく悲壮感はあったぞ どんどん仲間だったヤツが死んでいくからギャグ風にして暗さを消したとか言ってた 三谷は死に様をギャグにしてたわけじゃないぞ
それまでの会話に軽妙な部分もあったから逆に死が引き立っていたと俺は思う
むしろ真田丸の方が直接死を描かなかったりナレ死なんかで軽かった印象だわ 三谷自身は直接的にはみなもと太郎さんの漫画からだが栗塚旭さん主演の血風録をリスペクトしている世代だからな 義時自体もギャグみたいな男だからさ
落雷に怯えて帝に弓引くのは恐れ多いのだ!とやってる一方で
息子たちに20万ほど兵をつけて送りますが何か?足りないなら私も行きますが?
とか手紙送りつけてほんとマンガかよ
三谷喜んでネタにするぞ 伊豆の国市 大河ドラマ館設置へ2候補
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/1075c4e004002bd0cd3217720b2a730cc9532747
伊豆の国市江間地区出身の北条義時が主人公となる2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の世界観を伝える大河ドラマ館の設置について、市は24日、市内2カ所の候補施設を明らかにした。
候補施設は韮山文化センターと長岡総合会館で設置費用を考慮して既存の施設を活用する。周辺道路の渋滞や駐車場確保、最寄り駅との距離などの条件を踏まえ、同センターがより望ましいとの方向性を示した。 香取慎吾で番組はお仕舞い
いだてん、風林火山の様な歌舞伎の部隊の箔付けよりヒドいよ
ジャニタレの知名度維持は! 北条館跡のすぐ近くだね
狭い範囲に長崎という地名があったりする 狩野川の流れが当時はどうだったんだろ
今は北条と江間の境を流れてるが
蛭ヶ小島のあたりだったん?
蛭ヶ小島と北条館が近すぎてビビる 時政の従兄弟か甥かの時定も北条で弟の時房も北条なのに
義時だけ江間てのはご褒美で江間の地を貰ったみたいに見える >>448
当時はどんどん分家して拡大して行く時代なんだ
分家の方が本家より威勢がいいとかよくある話
三浦一族の中の和田一族とか、小山一族の中の結城とか 大河ドラマ館にたなびく香取ののぼり旗
だめそうだね地域振興… >>449
以前から江間の地が北条のものだったら時定で分家してると思うんだ
だから江間が北条のものになったのは最近ぽいというか >>442
香取慎吾は新撰組だけだが
中村勘九郎は新撰組、いだてんと2作、台無しにしてる 麒麟がくるのミスキャスト徳川家康見てジャニタレに
反省ないのか >>454
政子が義時を指名してくれなかったら義時は執権になれなかったけどな
時政の家父長権で後妻の牧の方腹の北条政範が後継者だろ 松平健の義時、岩下志麻の政子
比企能員の佐藤慶、大江広元の岸田森、
滝田栄の伊東十郎
役者が揃ってたな>草燃える
頼家郷ひろみもジャニーズ出身だが合唱団のバラ売り商法ではなかった
後白河法皇の尾上松緑と歌舞伎も迷惑かけてなかった エマ義時
Ζガンダムのエマ中尉と関連性はあるのでしょうか。 >>446
御内人の長崎の出身地かな。
九州の長崎ってこの長崎と関係ある? 香取や草薙、相葉、三宅健、岡田准一
滑舌が悪いオカマ声のジャニタレを有り難がるのはオバさん
FNS歌謡祭司会に相葉というフジテレビとかジャニーズ忖度
の局で独自で大河ドラマやってろよ >>459
東京の長崎は、長崎家の領地だったからついた珍しい地名 九州の長崎の地名由来の一つに御内人長崎の分流土着説あり 出身地というよりこの地を任されるようになったから長崎言うように
それ以前は名乗ってないから 地名が先にあって名前はそこから取ってる、ってことだよね
名前が地名に付く現象は明治以降の方が多そう 福島の相馬地方など明治の遥か前から移動してきた人名由来の地名は存在する 郡上踊りに行った際、青山の地名は郡上藩主青山家の江戸屋敷があった事に由来すると聞いた 日本の地名と名字は地名から名字となるのが大半です。
名字から地名がつくこともありますが、数からいうと少数派です。 だから長崎県の長崎は地形由来説と御内人長崎氏からの人名由来説があると言う事だ 九州に得宗領があったというのは聞くな
港を結構おさえてたとか
麻生太郎の麻生家は元は得宗被官だった説聞いたことあるがほんとかねw >>474
信長の野望で出てくる麻生家と関係があるのか?
ちなみに麻生家でプレイを楽しんだことはない。 >>474
鎌倉末期には有力な国人クラスの多くが得宗被官になってたからあり得る話 >>475
それは信長の野望スレで詳しく教えてくれるよ。 長崎って江戸から発展したんでしょ?
やはり九州の要は博多。
最後の執権赤橋守時の弟英時は九州探題で博多で滅んだとか。 鎌倉の御家人の名前見てると土地名から苗字もらってるんだなーってのがよく分かるよな
戦国でよく見る名前も元々は関東からの出身だったのかと 九州千葉氏の一族が、九州長崎氏を
名乗ったことを起源とする説と、
代々伊豆国田方郡長崎村を領し、その
地名を苗字として、鎌倉の執権である
北條氏の筆頭御内人である桓武平氏
長崎氏の一人が九州に流れ(九州
長崎氏)、長崎湾の奥を領して地侍
になったと長崎甚左衛門純景がその
系図で主張している説がある。 どっかのスレで子孫集合やってて得宗被官の子孫もいたな
家に三鱗がどーんと飾ってある言ってた 横井が時行子孫てなぜか有名だよな
尾張徳川藩の扱いもそんな感じだし
後北条氏の改名も
やっぱ今川那古野のとこにきて公然の秘密だった? 時行は子孫残すために子供のうちから諏訪大社の巫女さんに手を付けまくったという羨ましい言い伝えも有るしw 静かに暮らしてたのに決起促す連中が連れ去ったんで
母親が自害したんじゃなかったっけ 嫡男に挙兵を焚き付ける叔父さん
うっあたまが・・・ ヤツとつるむようになった途端に義仲も義経もそれまでこの事がウソのように負け出す 諏訪氏て承久の乱の時に北條に仕えるようになった?
いくらドラマで承久の乱扱ってもさすがに諏訪氏は出ないだろうな
安東忠家が義時に追い出される話もカットかもしれんし 番宣として平安末期〜南北朝大河の名場面特集やってほしいな
鎌倉殿の前と後 時行て子供なのになんか大人みたいな伝説があるある不思議
時行と分からないように顔剥いで自害したとかさ
いや子供だからおじさんは違うって思うだろ 中先代の乱の時は満13歳ぐらいだね
同年代の身代わりが居たんだろうな
子供は状況的に出るようになったらすぐ側室あてがわれてたんじゃないか? 兄とされる邦時が元弘3年時点数え9歳で死んでるから
同い年だとしても中先代の乱のときには11歳 麒麟がくるで光秀が読んでたのが吾妻鏡だったな
ちょうど承久の乱あたり 諏訪も尾藤も金窪も安東も
この辺りの有名被官はみんな義時に直に仕える系か
後の長崎氏になる平盛綱なんかもそうだろな
時政とバトルできたのは家人団が親と違うてのもあったんじゃ >>503
元々義時は旗揚げ時点で江間家当主だから時政とは別個の独自の家臣団持ってたんだよ。
小山一族の結城、三浦一族の和田みたいなもん。
頼朝の浮気に激怒して時政が鎌倉から出て行った時に義時だけ残っていたのも義時は時政と違う系統の家臣団持っていて時政と一緒に行動していなかったことも理由のひとつだろうね。 旗揚げ以前からだったら時政の下にいたやつになる
悔い返しでいつでも没収されるようなさ
鎌倉に行ってからついた家人なら時政とは無関係
頼朝から直に恩賞もらったら悔い返しの対象にはならんだろう >>505
旗揚げの時の家臣なんて多くて10人、多分10人居ないし所領もそれに比例した小さいもんだ。
鎌倉開府以後の所領や家臣が大半だから時政から悔い返しされても全く影響ないわな 伊豆以来の郎党を準御家人にと義時が言い出してたがそいつらが
時政のとこにいた奴じゃないかな
時政追放後、義時のとこに来たがそこには御家人やその子息やらがいた
古さvs家柄で家内対立で義時も困ってそうだw >>508
いや、兄の宗時が死んだことによる偶然
頼朝旗揚げ時に挙兵した妻政子の北条一家は時政、宗時、義時
義時がこのとき18歳でそれより下の弟は幼く参戦していない
宗時がしょっぱなに戦死したため頼朝挙兵に参加した時政の息子は義時のみ >>509
でも時政は義時を嫡男にした形跡はないからな
なんかしなけりゃトップになれる立場の男ではない 頼朝が江間を贔屓したからそれが義時の力の源泉か
時政の人脈は娘婿で畠山、稲毛、足利、平賀、宇都宮あたり
畠山は自分で始末して足利は当主が幼い平賀宇都宮は遠方
稲毛を討たれたらもう頼りになる兵力無くなって孤立した
追放されたのはただ政子の命があったからーではないと思う
義時は娘婿とは別に人脈築いてて兵を動かせる
その辺りドラマで描かれそう >>510
後妻の牧の方の子は年齢が離れていたから
時政も生まれてもいない子に期待しても仕方ないわけで
時政も宗時死後は普通に義時や時房を取り立ててただろ
年の離れた牧の方の子が生まれた後でこっちを跡取りにと画策して
義時に逆にやられたというだけで 頼家も時政と同じパターン
敵の多い梶原をまず葬って安達は自ら離反
比企を討てば頼家孤立でもうどうしようもなく追放
頼家側近の一人だった小笠原が動かなかったのは何か手を打ったんだろう
妹の大弐局がその後も実朝に仕えてたからな 頼朝家子
江間義時 北条時政次男 家子筆頭
和田義茂 和田義盛弟
榛谷重朝 畠山重忠従兄弟 稲毛重成弟
千葉胤正 千葉常胤嫡男
下川辺行平
宇佐美実政
佐原義連 三浦義澄弟
結城朝光 小山朝政弟 13人が一人減り二人減りして最後は義時一人になるんだな
もし十三人合議制が常設機関になって欠員補充が行われていたら承久の乱直前ではこうなるか?
北条義時
大江広元
三善康信
北条時房
北条泰時
北条朝時
三浦義村
足利義氏
安達景盛
結城朝光
武田信光
二階堂行村
二階堂行盛 古任や振り奴がピーク
真田丸大坂編以降を観れば良くわかる >>516
「13人」という人数が正しいかはおいといて
承久の乱後、北条泰時が正式に合議制を発展させた「評定衆」を置く
北条はもちろん二階堂や三浦も初期の評定衆メンバーだが
足利や武田は評定衆に入ったことが一度もないな
鎌倉幕府は基本評定衆による合議制で執権独裁ではないからな
鎌倉時代を通じて北条がどんどん他氏排斥を行って
幕末に近くなればなるほどこの評定衆が北条だらけになっていくわけだ 減るのは数名で大勢残ってる13人
大江中原足立三浦安達は北条と縁組するし三善二階堂は官僚で中立
多数派工作で勝利していくのでいわば自民党の派閥争いみたいなw >>519
全部合わせても最大13人だから数人減れば半分だぞ
13人の御家人が残っている数
頼家が将軍になった翌年→10人
実朝が将軍になった時点→6人
源氏将軍滅亡・承久の乱時点→3人
義時死亡時点でそれよりも長生き→1人
大江広元 嘉禄元年(1225年)病死
三善康信 承久3年(1221年)病死
中原親能 正治元年(1199年)出家→承元2年(1209年)病死
二階堂行政 没年不明、頼家時代に死去か
梶原景時 正治元年(1199年)失脚(梶原景時の変)
足立遠元 不詳、頼家時代に死去か
安達盛長 正治2年(1200年)病死
八田知家 健保6年(1218年)病死
比企能員 建仁3年(1203年)謀殺(比企能員の変)
北条時政 元久2年(1205年)追放(牧氏事件)
北条義時 元仁元年(1224年)病死
三浦義澄 正治2年(1200年)病死
和田義盛 建暦3年(1213年)滅亡(和田合戦 義時の守護力は異常だからちゃんと大江と政子が義時より長生きする
三善なんで承久の乱直後に死ぬし 八幡神がしばらく時政の子になって世を治めよ言うぐらいだから 腹違いでも仲のいい弟が有能かつ長生きなのも持ってる
親族に恵まれないことで跡継ぎの代で家が終わったり没落したケースよくあるから いつの時代も異母兄弟のほうが仲良くね?
同母のほうが憎しみがより増すのかな? 母方の親族がいないんだよな義時
そんで江間がポツンとしてる
でもそれが逆に北条家の力を強める結果になってる強運
泰時も母方親族いない >>530
義時の母方親族は同母の阿波局と三浦
かなり強力だよこれ 息子たちが曾孫、玄孫の代を一線でサポートしてくれるとかも恵まれてたと思う >>531
それは母方親族といっていいのかw
母方親族がいると三浦vs安達みたいなことが生じる
北条家勃興期にそういうのがいないというのがつよい
父権だよね得宗家 母の姉妹の嫁ぎ先の家、って仮に母方親族だとしても遠目な気はする
義時→三浦とか政村→結城とかこれだけど 青天を衝けのロケを埼玉県比企郡嵐山町でやってるらしいな
鎌倉殿のリサーチも兼ねてるな 10月、三谷幸喜さん講演会 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」脚本担当―三島青年会議所
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/84d97859bfb52490384388c86fdbc3e05e44a06a 右大臣実朝でも「滅びの前がいちばん明るい」って言ってもんね 3密はよしとき
もはや親父ギャグになってる得宗殿… >>532
唯一恵まれないのが奥さんだけどさ
3人正室がいるんで息子の年齢が離れてるんだよな
承久の乱から蒙古襲来までカバーすることになり結局強運マターに >>522
清和源氏(平賀・足利・武田・小笠原・山名等)や千葉・小山は入ってないんだな
平賀なんか頼朝時代は御家人筆頭なのに >>542
平賀足利武田あたりは朝廷に独自の人脈もあるし血筋と相まって忌避されたのかね 小山畠山は義時と同年代
つまり若くて宿老ではないから >>527
義時はやっぱえげつないとこあるよね
京との関係が緊張してるときには息子や弟を京都守護にせずに
身内といっても娘婿や義兄を派遣してる
案の定二人は破滅
で京に勝利した時には占領官として息子と弟を派遣する
家族は徹底して守るてとこが露骨で
ほとんど親族ゼロだった北条家が大きくなるのも分かる 録画してた「12人の優しい日本人」見た
3回目だが何度見ても面白い
次回の三谷大河もこんな感じでお願い
御家人どもがあっちについたり裏切ったり
梶原善出るのかな? >>541
この当時は金持ってる連中は普通に離婚しちゃうんだよね
嫁自身がかなりの金持ってるから離婚してもこまらないから。
だから武家の上のクラスは離婚は珍しくない。
この傾向は戦国時代まで続く。
離婚が殆どなくなるのは江戸時代以降
だもんで義時、泰時親子して離婚経験することになる。
義時の比企嫁なんて離婚したら京都の公家と再婚して幸せそうな生涯送ってるもんなあ >>542
門葉は将軍の一族だからこういう番頭の集まりには参加しない。
徳川御三家が老中にならんのと同じ。
メンツ見ると
文官 中原兄弟、三善、二階堂
頼朝乳母筋 比企、八田
家臣筆頭 梶原
旗揚げ以来の重鎮一族 北条親子、三浦、和田、安達、足立
となっている。
やはり旗揚げ以来のってのは大きいんだよ。 >>549
姫の前は父親死んでるし比企氏の乱で一族滅亡しているため金ないぞ
義時と離婚した姫の前は都へ行き公家と再婚している
江戸時代は儒教の影響で武家では女は二夫にまみえずという考えが浸透したため
武家階級では離婚が減り夫と死別しても妻は出家して婚家にとどまることが一般化した
ただし武家以外では離婚再婚普通にあった
安土桃山以前では武家においても離婚再婚非常に多い
婚家と実家が仲悪くなれば離縁 >>551
嫁は嫁入りの時にたっぷり財産(所領)持って嫁入りするんだよ
結婚後も旦那に食わせてもらうわけじゃない
それが当時の支配階級の婚姻のあり方だよ
こういうのが戦国時代まで続くから結構簡単に離婚する 姫の前は再婚して早く死ぬんであんま幸せな生涯思わないが
牧の方は時政死後も都でぶいぶい生きてるんでタフな人だなと思うw
まあ年老いて隠居の時政の面倒ずっと見てたんだからそれぐらいいいか
六波羅に赴任した泰時や時房大丈夫だったかなw >>550
こう見ると最初から味方だったわけでも親の代からの縁があるわけでも京都の文官でもない元敵方の景時は異質だな
それだけ個人的に頼朝の信が厚かったことも、他のメンツが即排除にかかるのも分かる 同じく元敵方の畠山重忠を排除しようと何度も動いてたな梶原
頼朝がそれにのらなかったが
北条の婿には手出ししないのが頼朝 >>549
矢部禅尼は宝治合戦で自身の三浦一族より孫の時頼を取ったから完全に縁が切れる訳じゃないのが人間の心の難しいところだよね >>557
政子と真逆だね
まあ普通は自分の息子の側に立つねw >>554
分析したら景時はホント異質
吾妻鏡は北條が作ったから景時はだいぶ薄められてるはず
頼朝の子分随一と書いてるのは当時の貴族の日記だもんな >>552
平安時代は土地と家は娘が相続(夫は入り婿)だけど
武士の世になってからは土地と家は嫡男単独相続で
次男以下は嫡男の家臣になるし女は嫁ぐ
姫の前は親から相続した家と土地があったので地頭として食べていけたと?
ならなんで都へ行って公家と再婚なんだろうね
自分の所領に戻れば独身でも安泰だったんだろ >>560
鎌倉は嫡男単独相続じゃないよ
親父の差配次第だが娘にも財産なるのが普通
嫡男単独相続になったのは室町以後
それでも嫁に化粧料持たせるのが普通だよ。
その辺は戦国時代に日本に来た宣教師の記録にも書いてある。
日本では嫁が財産持ってるので旦那の前を歩いたり離婚も自由だとね。当時の欧州は離婚許されてなかったから印象に残ったんだろ
京都に嫁に行ったのが食えないからと決めつける方がおかしいわな >>560
鎌倉時代は女子でも相続出来たし兄弟で分割相続もされてた、だからたわけ者って言葉が出来た訳で
子供が荒れれば悔い返しで取り戻せたり鎌倉時代は結構柔軟性有ったよ
新田氏の初期を見てみると分割相続と女子相続の駄目なところが吹き出してて分かりやすいと思う 矢部禅尼とは経時も時頼も親しく交流してたぽいよね
あそこは父親がいなくて父の兄弟もほぼいなくて父方の縁者が薄いから
じーちゃんばーちゃんを大事にするのわかるけど
じーちゃんが泰時でばーちゃんが矢部禅尼 >>559
だからあっさり景時を見捨てた頼家が京の公家からも批判されてるわけだ
自分が頼家なら署名のない北条か政子使って御家人抑えさせたな 千幡の後見人の北条は梶原から真っ先に標的にされるもんな
義経範頼らを葬ってきた梶原見てるから
頼朝のそばにいて見てた義時が動いておかしくない >>565
広元も一度は連判状差し止めてたのを義盛にせっつかれて景時を失うのは惜しいからと言っているあたり、京下り文官勢からは評価高かったのかな
ただ単に御家人同士のいざこざは侍所でどうにかしとけと鎌倉殿まで通す必要も無いと思ってただけかもしれんが >>562
原則男子による嫡子相続だよ
兄弟分割の場合も嫡子に配分が大きく均等ではない
弟に分割する領地がないときは嫡子しかもらえない
男子がなく跡取りが女子という場合のみ女の地頭職もありえたが基本女子による相続はない
守護職の女子相続はありえなかった、戦に出なければならないからな >>570
それは鎌倉時代後期の話だね
もし鎌倉時代ずっとそうなら御成敗式目第18条辺りからの内容はどうして決められたのか?って話になる
道理大好きな泰時が決めたんだから当時決めなければならない背景が有ったんでしょう 頼朝は梶原を利用してたような感もある
広常殺害とかさ
自分からは手を下さず梶原に悪役をやらせたような
そんで梶原が憎まれる >>574
時宗の頼綱
尊氏の師直
あまりいい死に方はしないね 金窪は義時の命で動くてのを内外にはっきりさせてる感じあるね
だから長生きしてるw
梶原は讒言してる云々と見られてる
安田やらの処刑人もやってるし畠山の讒言も和田の押し除けもやってる
と思われてさ
義時は実朝時代見ても困ってる御家人を結構助けてる
梶原にはそういうとこがなかったのでは 八方美人なら幅広く好かれるし、親しい仲にだけ優しいのも敵は作れど味方はいるけども、
景時みたいな公平な人間は全方面から嫌われるよね
石田三成しかり 三成も文官と武官の対立て感じだな
事務屋の問題は手続きしか見ないノリがあるとこか
政治や軍事は人を動かす仕事だから相手が人間で
人の心や感情を扱うのも仕事のうちとなる
今でいう感情労働てやつだなw いつものBSの過去大河の再放送枠、この大河の時は脚本繋がりで新選組か真田丸かって思ってたけど両方とも無理なんだな... >>579
組!は山本太郎がいると、選挙の度に放送が微妙になる
丸は新井浩文がネック 9月21日放送、NHKラジオ第1『大竹しのぶの“スピーカーズコーナー”』三谷幸喜のゲスト出演が決定
ttps://www.oricon.co.jp/news/2172194/full/
実は、2人が対談するのは今回が初めて。番組では、女優大竹しのぶの実像を、長年の盟友三谷が自身の体験や数々の都市伝説をベースに検証していくほか、日本の芝居・演劇界の現状と今後について語りあう。また、三谷が現在脚本執筆中の2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にかける思いなどを聞く。 桜田淳子が女優続けてたら三谷組の常連になってたかな?コメディ上手かったし。 2022年の大河ドラマ 知事が広域プロモーションの考え
ttps://www.kanaloco.jp/news/government/article-237802.html 非戦国大河は見てるので来年からは2年視聴決定
もし見なくなったとしたら自分に合わなくて離脱の場合。花燃ゆとかね >>567
梶原がオーベルシュタインでナンバーツー不要論を唱えたのですな
義経、範頼を除外して鎌倉殿の権威を強固なものにしようする
ところが主君の妻の実家にはめられて滅亡
事実は小説よりなんとかとはよく言ったもの
オーベルシュタイン以上の陰謀家がいたという 気に入らん奴は家族でも殺してしまえという時代だな
特に頼朝亡き後の凄まじさ 西のほうの問題を幕府に持ってくんなってキレたんだっけ? >>590
静岡の方は恐らく伊豆箱根鉄道韮山駅の目の前の施設に造られる。 >>597
そして売られるパン祖のパンまでは見えた 県ごとに気合い入ってるから、どちらも豪華なんじゃない?
今回の麒麟も岐阜県と京都府の丹波に出来てる >>219
頼家が粛清されたのは外戚争いに巻き込まれたからよ
実朝が子供を守りたいなら北条家と縁組すればいいのよ
でも義時一家て実朝の周囲にいないのよね
自分が頼朝の側近だったのに息子を実朝の側近にしなかったのはなぜ?
朝時重時は比企の血筋だから?泰時は自分の側に置くから?
時房がいないのはわかるわ頼家と親しかったから
義時はしまいには大江通して実朝に諫言したりなんか距離感じるわ 熱田神宮要素が一番出てたの清盛かな
源氏の嫡男頼朝を強調するために スマホ使いこなせなくてパソコンで長文ばっかり書いてるアイツか >>605 >>606
呼んだ?
と父が・・・
なお、スマホ歴半年。長文はPCではなくこちらは長い付き合いのiPadからw 林修がプレバトで鎌倉と言えば源実朝ですね!てやってたな
実朝が子ども作らなかったのは知ってたんだよ
北条や御家人が望んでたのは武家の棟梁でなくて王だって
アイツは足利嫁断ったり異常に勘がいい 全50話
石橋山が6話らしい
初回は真田丸の4倍面白く義経も後白河も清盛も出てくるという
まあそりゃそうか 貨幣経済が浸透していない時代で
「一番獲物をとった人物に賞金」というシーンを作ろうとしたら
考証の先生からNGが出た。@三谷講演 義時は旗揚げ以来の全ての戦に関わってる
て三谷は言ってたようだが木曾義仲と一ノ谷には関わってないだろ
それ以外は確かに全部に関わってる 範頼軍だからな。平家物語は北条による改竄がある説は義時が美化されてない点をとっても的を得てない 吾妻鑑の義時はたまに「この時期こんな重鎮じゃなかったろう」てとこに適当に名前を放りこまれてる以外はそんなに美化されてないよな
むしろ他の人の引き立て役になってることすらある
あれは北条というか政子→泰時路線を讃えるために改竄したかんじ 北条だってそんな美化されてないと思うが
政子や泰時は吾妻鏡以外の文献でも持ち上げられてる この時期そんな重鎮云々てそれほど疑問かね
義時は小山朝政や畠山重忠と同世代
北条の息子ならともかく江間で独立してるなら普通に重鎮おかしくないと思う
三谷の話だと江間で義時が住んでた館言ってるから伊豆時代に分家する? 歴史に「因果」あり 大河「鎌倉殿の13人」脚本・三谷さん講演
ttps://www.at-s.com/amp/news/article/culture/shizuoka/816705.html 韮山時代劇場に「大河館」 22年ドラマ「鎌倉殿の13人」
ttps://www.at-s.com/amp/news/article/culture/shizuoka/817143.html 北条は文に強いのは在庁官人やってたからわかるが
政治力や外交力が強いのは関東武士では異質な感じあるな
元を辿れば鎮守府将軍てのはやっぱあるのではないか
田舎の土豪には無理だぜアレ
せいぜい梶原景時レベルだろ 来年の再放送は義経らしいね
梶原景季演じる小栗旬で予習ができるね 天下取ったら 鎌倉殿は不要になってしまった御家人たちの話 GWに描き始めて夏に3話で今6話
毎月1話のペースじゃんこれじゃ間に合わんぜ 小栗「1年4カ月、大河があるからそこのスケジュールはどうにもならないので」
撮影5月くらいから? 523 名無しさん@恐縮です[] 2020/10/21(水) 19:14:16 ID:TvNtkyPe0
>>516
再来年は冬季五輪とサッカーWカップがあるから捨て枠だよ 東日本大震災の後で五輪もあった2012は産廃処理場枠だな >>646
来年はなくなりそう、延期濃厚らしいから 北条義時主人公の歴史小説ってあまりないね。姉夫婦主役のは多いけど。
でも来年にかけて、色々出てくるだろう。
司馬遼太郎先生唯一の源平物、義経の雑誌連載は昭和40年から41年。
モロに現尾上菊五郎夫妻出演の大河ドラマの便乗企画だった。
のちの国民的作家も、当時は出版社の要請で題材をごり押しされたんだろうか。 三谷は義時の目から見た鎌倉幕府描く言ってるのも楽しみ
そういうのはこれまでないからな
永井路子も及び腰だったしマンガも時房目線はあったが義時目線はない 人から見た義時の話はいくつかあるけど確かに義時主観の話ってぱっと出てこないな 承久の乱、解説板一新 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」22年放送
ttps://www.gifu-np.co.jp/news/20201026/20201026-285846.html >「承久の乱」描いた絵巻 80年ぶりに京都で見つかる
これ偶然というより大河になるんで所蔵主が公表したとかじゃないんかな 肖像画のない義時の絵が描かれてる
と言われても江戸時代の作品だろ
でも政子の演説シーンが絵巻物では描かれてないてのは面白い いきなり主役に向いてないから始まった
「法学者」北条泰時が生んだ御成敗式目の先進性
ttps://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62611 草燃えるで松平健の演じた義時はゴッドファーザーのマイケルみたいだった 実朝を育てたの北条だけど時政も義時も娘が公家に嫁いでるし
都と距離が近いのは不思議ではないか 京の文化や有職故実は誰が教えてたんだろ?やっぱ京下りの大江や二階堂あたり? 我が子も孫も、使い終われば抹殺! 最強最悪の北条氏の毒親たち
ttps://www.dailyshincho.jp/article/2020/10161140/?all=1 比企が育てた頼家とは毛色が違うよね実朝
思ってる以上に文の家かも北条
さすが役人w >>666
でも頼朝も比企が育てたんだよw
比企の系譜は不詳だけどもともとは都の出でしょう
都で生まれた頼朝の乳母に付けられたんだから 確か義時の最初の正室も比企の出身なんだよな
その子供である朝時と共に草燃えるでは存在を無視されていたが 北条上げが続いているが
実朝が都の文化に興味を持ち出したのは12歳で迎えた正室が公家出身だからでしょ
実朝正室の姉が後鳥羽上皇の寵妃だったから
その縁で後鳥羽上皇の和歌の師であった藤原定家に師事して
都に和歌を送って勅撰和歌集に入れて貰ったりした
義時の和歌が勅撰和歌集に入ったとかないからw 頼家も蹴鞠にめちゃくちゃ熱心な時点で公家文化に力入れてるよね 頼朝も朝廷に接近しだしたのは将軍になった後だろ。やはり権威が足りなかったのかな? 実朝正室の兄が時政の娘婿なわけで後鳥羽院の従兄弟でああややこしい 承久の乱は倒幕目的ではなく義時個人の追討目的だ!政子らはすり替えた!
とかいう人いるけどさ
追討の理由がないじゃん
権をほしいままにしててけしからん言うが単に幕府のお仕事してるだけで
それで追討言われたら誰だって倒幕目的思うわけですり替えも何もない すり替えてんのは研究者の方だよね
倒幕なのを嫌そんなことないとすり替えてる 後鳥羽は幕府が言うことを聞きさえすれば良かったわけだから倒幕までやる気はない 後鳥羽は事実上幕府トップの義時を除きたい
歴史学者、それは倒幕とイコールだ
解釈次第じゃね? なんの罪も犯してなくむしろ人望に背かず言われてる人を
いきなり討て言われてもね
倒幕言われて当たり前
上皇こそ御謀反あそばしたのだ!てのはあの時代だと言い過ぎだったけどw 言う事聞く幕府が存在してれば良かった訳だから後鳥羽の意図は倒幕ではない 後鳥羽としては義時を排除した後に親王将軍を鎌倉に送るつもりだった? 後鳥羽がどう考えてたかは分からんが、現代から見ると
二位尼は?泰時はじめ息子たちは?弟時房は?
義時だけすげ替えるとかそんなうまくいくもんかな?って思っちゃう 年内に動きがあるとは
公式ツイッター
ttps://twitter.com/nhk_kamakura13
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 幕府執権を討つんだから倒幕だよ
この頃は幕府て言葉なかったが
地頭職変えなかったら討たれるとかもはやそれ幕府じゃない 後鳥羽はなぜあんなに愛妾の地頭職交代にこだわったんだ?
ただの幕府への挑発か? 幕府倒しちゃっても武家を統率するプランも能力もない。将軍の家司風情が生意気と言う認識しか後鳥羽にはない。 御家人にとって幕府というのは都に対抗して自分らの権利を
守ってくれる組織で下部組織じゃない
だから頼朝が最初に鎌倉に館構えた時は罪人の反乱者ポジだった
都の言いなりになる組織はもはや頼朝の開いた幕府ではない
政子は後鳥羽院の論理をすり替えたんでなくて正しく表現した
ほんと頭いいと感心するよく出来たスピーチ >>685
16〜20日かけて1日ずつキャスト発表があるお? あくまでも義時追討令であって倒幕ではない、倒幕というのは北条史観、得宗史観もいいとこw 後鳥羽の意図としては義時個人への追討のつもりでも
当時の幕府上層部が義時をスケープゴートというかトカゲの尻尾にせずに
正面から対峙する道を選んだのは中々面白い
京方は少々見通しが甘かったね 京方も認識してたよ
義時はトカゲの尻尾じゃなくて頭だから関東がただですまさないて
院宣書いた葉室光親は上皇を何度も諌める手紙書き
慈円も上皇を止めようとした
関東で義時に味方する武士は万を下らないと上皇に進言した武士も遠ざけられた
何であんなに突っ走ったのか
そのあたりの心理をドラマで描くと良い >>695
当たり前じゃん、京下りの下級公家が鎌倉で好き放題やってたのに、
また摂関家や公卿に顎で使われる生活に逆戻りなのだからな だから京下りの地下の公家ども、政所や問註所の官僚集団が
承久の乱において強硬派であったというのは、何ら驚くに値しない、ごくごく自然なことだ
逆に由緒ある有力御家人は鎌倉幕府いわんや北条氏に特別こだわる理由がない
(足利、三浦、千葉、小山(結城含む)あたり)
宝治合戦で三浦光村が「九条頼経が将軍だった頃、
九条道家が北条を倒したら泰村を執権にすると約束していたのに、
泰村が躊躇したから、滅ぶ羽目になった」と恨み言を残した通り、
足利氏が後醍醐天皇と結んで北条氏を滅ぼした通りだ。 >>701
一族集団自決というバッドエンド以上のエンディングはないと思うが?(笑) 泰村は北条と仲良くしてたもん
弟に引きずられたのが間違い
義村は弟切り捨てたからな >>700
太平記の坊門様思い出すな
足利に反乱おさめさせてその後新田に足利うたせればよい
あまたの武家はそのためにこうてあるw
後白河の頃からのお公家の発想だがそれに引っかからないのが御家人 関東御家人も幕府が出来て京と折衝しだしてから賢くなったよね >>704
承久の乱で宮方となった大内惟信、小野盛綱、佐々木広綱、三浦胤義は、
関東の御家人なのに何言ってんだこいつ(´・ω・`)
政子や大江・三善らが即時出撃を唱えるのは、関東で迎撃なんかしたら、
必ず裏切り者が出るからなんだよ
御家人の多数派は本質的には日和見で、別にどっちでもいいんだ┐(゚〜゚)┌ >>705
京と接触を持った御家人は、大内も、三浦も、滅ぼされましたやんwwwww
足利は例外で、義康以来、最初から京とコネクションがあるし >>705
まだまだなとこはあるなこの時代
北条は賢いが >>706
そういうノリで義時のクビ持ってくるぞ
と待ってたんだろなw
多くの公家はやめとけ思ってたのに呑気なことだ >>707
>>708
後の時代ね。鎌倉末期あたり 天皇自らうって出てきたら降参しろって言い含められてたんだっけ? 北条義時は頼朝と一緒に伊豆で旗揚げし40年幕府に関わった最古参だが
三浦義村もそうだよな
思うに三浦胤義は若くて旗揚げに関わってないんじゃねーの
そのあたりで志が違った感がある 後鳥羽上皇も、豊臣秀頼も、自ら出陣すれば大逆転まであるのに、
出陣できない、決断できんのよ 梅松論だかに北条は滅びても定め置いた条々が残ったのはめでたい
てな記載があるが鎌倉幕府の意義は武士には理解されてるんじゃないか 承久の乱当時、御成敗式目は無かったし、「徳政ドクトリン」も無かった。 式目は泰時だが道理の発想は義時だろとは山崎正和も言ってた
建武式目でも義時泰時が武家政治の理想言われてる 「後世」の評価はアテにならない、
たとえば江戸後期・幕末には「鎖国は権現様(家康)以来の祖法」とか信じられてたわけよ
それが北条氏と親密だった足利氏によるものであれば特にな
北条の残党、御内人、官僚機構を吸収しようとする意図とも無関係ではないだろう
建武式目の起草者の出自も争いがある(二階堂氏か、京都の中原氏か)
そもそも吾妻鏡ですら北条義時に対しては手厳しいわけだから 花押は語る
時政型を使用…泰時、時房、経時、重時、政村、時村等
義時型を使用…時宗、貞時、煕時、高時等
北条氏内部でも「ダメ執権」義時の伝承が絶え、
得宗ファーストの御内人の台頭もあり、
対外的に作った得宗史観に自ら毒されていったのであろう
この点でも、あの吾妻鏡が得宗専制期に義時にダメ出ししていることは注目される
警鐘を鳴らしていたのであろう 増鏡でも次郎は心もたけく魂まされると言われてる
同時代人だと日蓮が義時は身は大王と頼朝と並べて賞賛してる
武内宿禰の生まれ変わりと古今著聞集で言われてる
むしろ時代が近いほど賞賛されるのが義時
この評判なら承久の乱で勝っても不思議でない
だからあれだけの大乱後すぐ世間はおさまり塵一つなく静まってると言われる
海道記の鎌倉描写って義時時代だろあれ 足利といえば義時は自分の娘でなく泰時の娘を足利義氏に嫁がせてるな
年齢から言えば自分の娘のが似合うだろうに
三浦と離縁した泰時のこと案じてのことか >>721
逆、逆w 3上皇を流罪にした人間が「ダメ執権」では困るんだよ┐(゚〜゚)┌
公式史観、得宗史観がそうなるのは当然のこと
しかも義時は承久の乱の3年後に急死したから(ちなみに当時から毒殺の噂があった)
全盛期に引退したバースのようなもの、阪神ファンに神格化されるのも無理はない
政子の方針との齟齬、泰時vs政村が表面化する前に、遺言状も残さずに死んだからな
一橋慶喜だって、19歳で死んでたら、「夭折の神童」扱いだろうさ
「一橋慶喜が生きていたら…」とか今でも言われてた可能性はあるし、
逆に幕末の展開はまったく違っていて、忘れられた存在になっていたかもしれない 義時は3000カ所の没収地も針の立てるほどの土地も自分は取らなかった
と賞賛された
官位も望めばいくらでも得られたが逆に返上してしまう
こういう人物だから理想化されても別におかしくはない
不思議な人物だよな
強権なとこと静かなとこと合わせ持ってる
小栗には似合う役どころだと思うので期待して見たい そういう人が姫の前には恋文送りまくったというのも面白いな >>722
義時にとって
義氏は妹の孫で孫の婿
泰氏は自分の曾孫で妹の曾孫で曾孫が正室で姪が側室
ややこしいがとにかく嫁の実家に逆らうのは事実上不可能w >>725
和田合戦でいの一番に山内荘をゲットしたくせによー言うわwwwww
※山内荘はその後、得宗家の本拠地となる 関東、鎌倉で迎撃とか自殺行為もいいとこwwwww
> もっとも、鎌倉の武士はもっと打算的であった。『承久記』慈光寺本には、
> 政子の演説に心動かされた甲斐国の武田信光が出陣後に隣国の小笠原長清に対して
> 「鎌倉が勝てば鎌倉につき、京方が勝てば京方につく」のが武士の習わしであると公言し、
> 北条時房から恩賞の約束をする書状が届けられると積極的に進軍を始める姿が描かれている。
> 鎌倉の武士はどちらに味方をすれば勝てるかという状況分析や、
> 一族内の利害関係(勝利すれば、敵方についた一族の所領を奪うことが出来る)
> なども検討した上で、その多くが損得勘定に基づいて鎌倉への支持を決めたのであった[5]。 >>726
そのくせやっと手に入れた美女に骨抜きにされずに泰時を大事にしてる
時政はわりと単純でわかりやすいが義時はとにかく一筋縄でいかない
どうやったらあんな人物できるんだと思うが北条の頭脳胆力プラス頼朝の仕込みか
頼朝も難しい男だからな >>731
泰時を大事にしたのは政子であって、義時ではない
母親が出自不詳、外戚を無視できるというのは、
政子にとって好都合だったのだろう
政村の母親とその実家に対する仕打ちとの対比 鎌倉殿のTwitterこれ一時間ごとに1人ずつ配役発表していくのかな 人物相関図出た
伊藤祐親が義時の祖父キタ
三浦義村は義時の盟友 >>732
義時が死んだ後に後室の子が家督相続を求めて伊賀の乱をおこし
そのときにようやく政子が出てきて泰時を後継だと宣言したんだろ
それより前に政子が義時の妻子に口出ししたことはないよ
義時が嫡子は泰時だと決めたから後室の子は厄介な義時が死ぬのを待って
反乱を起こして後継につこうとした
義時が何も言っていないなら義時死ぬまで待つこともない 22年大河「鎌倉殿の13人」異例の出演者発表へ!16日から5日連続 総勢24人 三谷氏「小出しに」
ttps://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/11/13/kiji/20201113s00041000220000c.html 第一次出演者発表 ★が「鎌倉殿の13人」☆が「鎌倉殿」
★北条義時:(伊豆の若武者)小栗旬
北条政子:(義時の姉・頼朝の妻)
★北条時政:(義時の父)
牧の方 :(義時の継母)
北条宗時:(義時の兄)
阿波局 :(義時の妹)
源頼朝 :(鎌倉幕府初代将軍)
☆源頼家:(頼朝の嫡男)
大姫 :(頼朝の愛娘)
源義経 :(天才軍略家)
源行家 :(頼朝の叔父)
阿野全成:(頼朝の異母弟)
源範頼 :(頼朝の異母帝)
​ 三浦義村:(義時の盟友)
★比企能員:(頼朝の側近)
畠山重忠:(若手御家人筆頭)
★梶原景時:(御家人筆頭)
★安逹盛長:(頼朝の従者)
★和田義盛:(鎌倉幕府軍事長官)
土肥実平:(相模の豪族)
伊東祐親:(義時の祖父)
★三善康信:(鎌倉幕府司法長官)
★大江広元:(鎌倉幕府の行政長官)
平清盛 :(平家の総帥)
平宗盛 :(清盛の後継者)
ttps://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/image/kamakura1113_soukanzu0.jpg 大江広元 1148年生まれ
三善康信 1140年生まれ
中原親能 1143年生まれ
二階堂行政 不明 1135年から1141年の間
梶原景時 1140年生まれ
足立遠元 1130年生まれ
安達盛長 1135年生まれ
八田知家 1142年生まれ
比企能員 不明
北条時政 1138年生まれ
北条義時 1163年生まれ 小栗旬
三浦義澄 1127年生まれ
和田義盛 1147年生まれ >>728
足利義氏は義時の兄弟の時子が産んだ子供だよ
だから甥にあたる >>736
何言ってんだこいつ(´・ω・`)
義時は泰時を京都に飛ばしてたじゃねーか
前執権の死去時に京都に居た次期執権は泰時だけだ
(別に時房が六波羅探題北方でもよかったのだ) 源平合戦は知ってるけど関東御家人事情はよく知らないや
開始は頼朝と政子が会う前からスタートなのかな >>744
知らない方が楽しめるよ
自分が草燃える初めて見た時とか楽しかった
三谷も予習はするなと言ってる >>736
順番逆じゃなかったか
泰時が戻ってきて政子が三寅抱えて泰時に執権命じたが
鎌倉の物騒はおさまらずそんで三浦に政子が乗り込んで伊賀氏事件に発展した
政子は執権の指名できても北条の当主の指名はできない
そんで伊賀の方が邪魔で陰謀企んだと因縁つけて伊賀の方を追放したんだろう
そも政村執権を企てたなら当の政村がそれを知らないなんてあり得ない
泰時に政村を処分すべきという人が出てくるのも当然だ
伊賀の方は抗議の自殺でもしたんじゃねーの
あるいは口封じか 三浦とも縁が深いのに宝治合戦でも逃げ切って
執権まで上り詰めてるから政村の人生もなかなかすごいな
バックボーンわかると伊東四朗の喜びの舞の見方が変わる >>743
>源範頼 :(頼朝の異母帝)
何かと思ったら帝になってるんかい >>747
北条義時が死んだと聞いた泰時は都から戻ってきたが
鎌倉に到着すると同時に兵を集めている
勿論、自分が執権になるのに邪魔な異母弟を討つためだ
すると都合よく伊賀氏の反乱計画が政子に報告される
泰時は政子と九条頼経を自邸に抱え込むことに成功
政子の命令で伊賀氏の配流処分が決まる
政子が出てきたことで御家人同士の軍事衝突は避けられた
その後で政子が泰時を頼経の後見人に指名した
当時はまだ執権という役職では呼ばれない
後の時代には得宗と執権は別物になったが
このときは執権=北条家家長なのだから
双方が分離していることはない 政子に北条家長を指名する権利なんてないんだよ
北条に限らずどの家にもだが
だから謀反なんて適当な罪おっかぶせるしかなかった
三浦が言ってるーて偽証言だなあれw それ以外の証拠皆無
流石に政村を巻き込むのはしのびなかった
実義はショックでメンタルやられたが >>756
泰時にもなかったじゃんw
泰時は政子を抱え込んで邪魔な異母弟を失脚させてもらったんだよ
そうじゃないと家長になれなかった
実質、政子が指名した
政子の力無しではなれなかったのだから 伊賀局にあったよ家長指名権
政子が頼家に出家命じたような後家力w
だから政子が伊賀局邪魔で三浦抱きこんで陰謀ではめたんだよ
北条家には手を出さず伊賀一族と一条だけ罪人にするんで手を打ったんだろ
そうじゃないなら政村が処分されてるよ 後嵯峨院が治天定めずに崩御した時幕府は奥さんの
大宮院に伺い立てたよな
当時はそんな感じなんだよ
義時が後継定めずに死んだなら奥さんに聞くという
政子はそれが癪にさわったんだなw ほんと乱暴なことする女だよ もはやNHKも893芸能事務所の毒が回りすぎて、お笑い学芸会だな >>766
頼朝の首を俺の墓の前に持ってこい!はドラマとしては欲しい。 まだ麒麟もやってるし青天も第二次キャスト発表してないのになんで急いで発表するんだろう
なんかやりたい放題で感じ悪い >>771
女が脚本ってだけでスイーツ大河になるのは目に見えてるだろ?視聴率も一桁だろうしNHKも眼中にはないんじゃないwww 泰時の嫡男の時氏はちょい役で出るかな
一応承久の乱で見せ場があるけど 有るとすれば義時が死ぬ間際に生まれたばかりの経時を抱き上げるシーンが有るかもってぐらいかな 合議制の歴史をやるならダイジェストでも評定衆設置までやるかな 大河「鎌倉殿の13人」追い風に地域活性化 静岡・伊豆の国市など協議会発足
ttps://www.sankei.com/life/news/201118/lif2011180044-n1.html さて今日は頼家か義経の発表がきて明日が大トリで頼朝かな
フワちゃん爆弾くるか >>781
頼朝なんてとっくの昔に発表されてる 赤井秀和
頼朝が赤井秀和で、政子が小池栄子
だからこのスレの人間は沈黙してる、
両方とも上で発表後に誰も触れてない こっち使っていいの?
彌十郎さんおめでとう!
三谷かぶきで気に入られたかな 時政絶対予想できんかったw
でも実力者がきて見るの楽しみ
思ったより年配じゃね >>784
英語もフランス語もペラペラのオジサマよ
そしてデカい >>788
183cm
かなりの美脚だけど本人は細いのを気にしてるから言わないであげて >>789
鎌倉モノは衣装代が高い
当時の報道で義経は1話8000万と言われていた(新選組!は1話3500万で当時でも安い)
平清盛もかなり予算使ったらしい(主に船) >>787
フランス語でピンときた
フランス国歌を歌うあの学校か
歌舞伎役者多いね >>794
麒麟の義輝の鎧は太平記の尊氏の鎧の使い回しなので
正真正銘足利家伝来の鎧 近年のNHKは大規模予算を組むと碌なものにならないので節約路線でお願いしたい >>796
「太平記」で足利尊氏役の真田広之が着用した鎧は
栃木県足利市の「太平記館」に寄贈
使いまわされてないってよ >>789
三谷幸喜と吉田照幸じゃ半分お笑い大河でしょ 時政は意外だったけど、あまりにも分かりやすすぎるなぁ…。
大泉洋の頼朝は頼り無さそう…。 頼朝を悪く描けない作品での義経を菅田将暉が引き受ける条件は
静役を小松菜奈にすることだな >>799
>>804-806
IDコロコロでどの俳優ババアか丸わかりw
若手俳優スレで暴れてろよ足の裏顔松×婆 キャスティングも何もかも三谷のやりたい放題か
見る気失せるな 時政の子は分かってるだけで男4人、女11人
政子の妹たちで夫、子供が殺害、流罪もしくは失脚しなかったのは2人だけ >>798
亀岡の大河ドラマ館のTwitterで
太平記で尊氏役の真田広之さんが着用した鎧って流してたの見たんだけど
スタッフの勘違いなの? >>812
主要キャストの甲冑は2セット作ったりするそうなので、そのうちの1つかも
(確か、真田丸の信繁の具足も2セットあって、大河ドラマ館で展示した後、上田市に寄贈されてたハズ)
甲冑は新規もあるが、結構使い回すみたい
信長で緒形直人が着用した南蛮胴は利まつで唐沢寿明、風林火山でGACKT、アシガールで伊藤健太郎が着用したし
麒麟もモックンの甲冑が過去作のリメイクだとカネオ君でやってた >>814
そら脇役の甲冑は使い回すだろ
麒麟の本木も風林のガクトも脇役であって鎧は寄贈されていない
戦国大河でも甲冑姿で撮る回なんてわずかだし基本は一着を使い回す
馬も一番相性の良かった馬一頭と一年間付き合うし 呉座勇一って専門は南北朝時代だが、話題性で連れてきたって感じか
坂井孝一は専門ど真ん中だから安心感大だな コロナで放送がずれ込んで筆が遅い三谷でも脚本を仕上げる時間が十分取れそう
考証も坂井孝一 木下竜馬 呉座と鎌倉 中世史の最前線が並んで期待出来る 坂東彌十郎さん坂東吉弥さんの弟さんなんだ
吉弥さんは脇役だったけど名優だった 22年大河「鎌倉殿の13人」時代考証も異例の発表!坂井氏&呉座氏&木下氏 歴史ファン「信頼の布陣」
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/b3f65af96f8477f89574053aaebbb086521e9f78
【歴史考証】 ■坂井孝一氏 <プロフィル>創価大学文学部教授。1958年、東京都出身。博士(文学)。専門は平安末・鎌倉時代の政治史・文化史、室町時代の能・狂言を中心とした芸能史。著書に「源実朝『東国の王権』を夢見た将軍」「曽我物語の史的研究」「源頼朝と鎌倉」「承久の乱―真の『武者の世』を告げる大乱』などがある。
■呉座勇一氏 <プロフィル>国際日本文化研究センター助教。1980年、東京都出身。博士(文学)。専門は日本中世史。「戦争の日本中世史」で角川財団学芸賞を受賞。他の著書に「一揆の原理」「応仁の乱―戦国時代を生んだ大乱」「陰謀の日本中世史」「日本中世への招待」などがある。
■木下竜馬氏 <プロフィル>東京大学史料編纂所助教。1987年生まれ。修士(文学)。専門は鎌倉幕府、中世法制史。主な論文に「武家への挙状、武家の挙状」「鎌倉幕府による裁許の本所申入」などがある。
【風俗考証】 ■佐多芳彦氏 <プロフィル>立正大学文学部教授。1963年、神奈川県鎌倉生まれ。専門は有職故実・風俗史、日本古代・中世史、絵画史料論。著書に「服制と儀式の有職故実」、共著に「歴史をよむ」などがある。NHK大河ドラマ「平清盛」「真田丸」「おんな城主 直虎」「麒麟がくる」で風俗考証、NHKドラマ「アシガール」「風雲児たち〜蘭学革命篇〜」「家康、江戸を建てる」で時代考証を担当。 【公式】よみがえる承久の乱@JoQ1221
13分
木下竜馬さんは、共同研究員として「よみがえる承久の乱」展にもご協力を
いただいております。 今から「鎌倉殿の13人」のスタートが待ち遠しいですね!
その前に、「よみがえる承久の乱」展をお見逃しなく!
#よみがえる承久の乱 #木下竜馬 #鎌倉殿の13人
https://mobile.twitter.com/JoQ1221/status/1330105710248603648
特別展『よみがえる承久の乱 後鳥羽上皇VS鎌倉北条氏』
会期:2021年4月6日(火)〜5月23日(日)
会場:京都文化博物館
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 都城市立美術館 @mcma1981
2022年大河ドラマ #鎌倉殿の13人 の登場人物の1人である #和田義盛
実は、彼が北条氏を討とうとした戦いである和田合戦の模様を描いた作品が
当館にあります。 和田合戦を題材とする屏風は、室町〜江戸時代に
多く制作されたようですが、現在では本作が現存する唯一のものと言われています。
https://mobile.twitter.com/mcma1981/status/1329035369707290624
https://i.imgur.com/sMndeLB.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) お金かからなくてそれなりに視聴率が取れるからコストパフォーマンス的にはいいのかな >>818
昔大学で南北朝専門にやったけど鎌倉時代の知識が前提になるからこの時代も知識豊富にあるよ >>822
考証この面子なら実朝暗殺は公暁単独犯行説でいくのか 実朝暗殺は三谷が一幕の劇みたいに作るかも
犯人は誰だ?みたいな
時宗で頼綱とリンコがヤッタのかやらんかったのかって作りに
したのあったな
みんなで考察したの覚えてるw >>827
そういう専門家は呉座以外でも居るけど敢えて呉座に依頼したのは話題性も狙ってると見て良いでしょう
西郷どんで磯田が考証に入ったのと同様 533 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2020/11/21(土) 13:32:30 ID:jB3MaawT0
呉座勇一、ツイッター鍵かけてるけど、中身はネトウヨかつミソジニストだよ
最近は大人しくしてるのかもしれないが、再来年アンチにスクショ晒しされまくって炎上しないといいけどね まぁ晒されても画像加工された捏造スクショだって言っときゃええやろ
鍵垢だからフォロー許可されなければほとんどの人はソース確認できないしね
過去に女叩きのツイートで一時凍結されたくらいミソジニーなのは本当だけどな 現代人の発想を持ち込まない言ってるね
北条は権威ないんで公平な政治で御家人の支持獲得した
とかいうちょこちょこみる声も現代的な発想だよね
利益誘導で支持得るのが普通のやり方しょ
頼朝もそうだし
それが公平な政治に支持が集まる経緯を知りたいんでドラマで描いてよ 実朝暗殺は公暁を始末した三浦が北条に対してどういうスタンスでいくのかにもよるな 真田丸と同じ考証3人体制で、三谷からの質問受け付ける人と放送後にツイッターで補足解説する人とに役割分担するのかな 公平と言う表現が現代的なのであって当時なら道理に拠ってだ 親疎によらず好悪によらずてのが公平という意味で表していいとは思う
周りを気にせず権門を恐れず発言しろてのは今の人にこそ必要w >>831-832
それでなんか問題あるの?
ポリコレ棒ふりまわしたいだけか?w 「鎌倉殿の13人」伊豆周辺盛り上げへ 県と20市町が協議会
ttps://www.at-s.com/sp/news/article/politics/shizuoka/834170.html 歴史資源の調査に乗り出す
てすでに発見されてるもの?新しい発見あったらいいな 神奈川県が押しているのは伊勢宗瑞(北条早雲)とかだから大丈夫じゃないかな。乗っかる可能性はあるけどw 伊豆が思ったよりはしゃいでてびっくりするというか微笑ましいというか
別に誘致とかしてなかったような? どうせなら平安時代末期から続く江川家が北条氏の支配下でどうやって伊豆で生き残ってきたかなど違う視点でやって欲しいけど無理だよなぁ
そしてパン売ろうぜw まあ辺境は割りと生き残りやすいってのはあるけど
(伊達・佐竹・南部・津軽・相馬、島津・宗・伊東・相良など)
中央政界の権力闘争を生き残った
細川(ただし家系上も血統上も分家筋)と京極は大したもんだよ 恥で大名家が明治維新時に3家も残れば立派なもの
(京極氏は宗家が途中で改易されてるね)
織田氏も大名家が4つ残った
鎌倉北条氏や足利氏(将軍家、鎌倉公方家)、
豊臣氏や没落・滅亡した多くの諸豪族・諸大名に比べたら、圧倒的に大成功だ >>844伊豆は観光地だからじゃないかな。
ただし神奈川も静岡も経済効果を期待してるのなら読み違うと思うよ。
今は行かなくてもネト記事拾ってツイにあげて、いいねもらって満足みたいだから。 >>693
承久の乱のその説(坂井氏主張の「承久の乱は討幕ではない説」)だけは、論理的に無理有る
「義時個人の排除」か「幕府組織の排除」は、本質ではない
本質は、後鳥羽の戦争目的(戦略目標)とは、
「独立軍事政権=鎌倉幕府」を後鳥羽にとって都合のよい組織にする事。
それが後鳥羽の挙兵目的であり、戦略目標であることに異論する研究者は居ない
仮定の話で後鳥羽が承久の乱に勝利して、仮に「義時だけしか排除」されなかったとしても、
その時点で「鎌倉幕府という組織は独立性を失い、後鳥羽や朝廷のパシリ組織」になる事を意味するので、
もはや、それは鎌倉幕府と後世呼ばれるような組織ではないわけだ
つまり、承久の乱とは討幕戦争という事 それはない後鳥羽には後醍醐と違い武家を含む全ての所領を管理する意思はない。幕府が滅亡して困るのは後鳥羽。 因みに、時代考証の坂井氏は立派な研究者だと思うし、研究も素晴らしいが、
彼の主張する「後鳥羽の挙兵は討幕ではない説」だけは、これ一点だけは、論理的整合性が無いし、無理有ると思います
それ以外は信頼してる >>854
そういう意味じゃない
後鳥羽の戦争目的と戦略目的は、
鎌倉幕府という組織は残しつつ、
その組織を、後鳥羽にとって都合のよい組織にするという事
だから、後鳥羽も、東国の軍事組織の解体までは願ってない
むしろ、存続してもらって、「後鳥羽にとって都合のよい軍事機関が東国にある状態」を、願ってるわけだ
そして、「後鳥羽にとって都合のよい軍事機関」の事を、
当時としても、歴史としても、後世としても、
どのように解釈しても、その組織を「鎌倉幕府」と解釈することは出来ない
どう解釈しても、承久の乱は討幕だよ 倒幕とは政権交代でなくとも幕府の権限を無効化しなければその語は使用されない。坂井の見解通りでいい。 時房とか三浦とか幕府の実質のリーダーを自分が義時より扱いやすいと思ってる奴にすげ替える計画だったりしたかな 「承久の乱は討幕ではない論」の根拠として「義時個人の討伐」を論拠とするのが、無理なのは普通に考えれば分かる
@後鳥羽の戦術目標は義時の排除
A後鳥羽の戦略目標は、東国軍事組織(鎌倉幕府)を、自分の理想とする組織に変える事
後鳥羽の戦略目標が達成された時点で、
その組織はもはや鎌倉幕府ではない(厳密には鎌倉幕府と呼べる組織ではない)ので、
どのように解釈しようと、後鳥羽の挙兵が討幕であることは間違いない 鎌倉に征夷大将軍が居ればそれは鎌倉幕府。朝廷はそれを任命する権限を離してない。 >>858
鎌倉幕府とは、後鳥羽にとって不都合な「東国に存在する独立性を持った組織」なわけだ
後鳥羽は自分にとって不都合な独立性のある組織(鎌倉幕府)を、
自分に都合のよい組織へと変えるべく、戦争しかけたわけ
後鳥羽による、このような戦略目的を伴った軍事行動の事を討幕を解釈するのが普通
仮に、後鳥羽が承久の乱に勝利して、後鳥羽の戦略目標が達成された後の組織は、
もはや鎌倉幕府(軍事独立組織)ではないという事が重要
その組織は、単なる後鳥羽直属の東国軍事組織であって、鎌倉幕府(軍事独立組織)ではない
坂井氏の主張する承久の乱は討幕ではない説は、後鳥羽贔屓の言葉遊びでしかないし、論理的に無理がある
言葉遊びは必要ない
後鳥羽の挙兵は普通に討幕 それは幕府と言う語に勝手な定義を与えてるだけ。後鳥羽が討伐対象にしてるのは義時であって三寅ではない。 >>855
同意
幕府の仕事してたら討伐対象ってw
つまり幕府を倒すってことだよ
それわかってるからみんな弓引いたわけで
幕府執権でない義時を御家人が守る理由ないもんな 幕府てのは京から関東に将軍派遣して治めさせたてんじゃないんだよ
それなら京が気に入らないって改廃していい
でも鎌倉幕府てのは関東が担ぎ上げたのを京が後から追認しただけ
それに手を出したら倒幕言われて当たり前だわなあ
だから当時の公家も後世の公家も後鳥羽批判してるわけ
もっとうまくやれば良かっただけだ 追認した理由は後白河の意に反した義仲宗盛を討ったから。主導権の取合いがあるにしても自然に認められたわけじゃない。 しかし何で坂井は意味不明な倒幕じゃないもん!論を言い始めた?
そっちの動機のが興味あるわw 流刑先で厚遇された上、血筋を今に残すことが出来た土御門上皇こそ真の勝ち組 >>866
別に追認しなくたっていいんだよ
後で頼朝討伐の院宣出してたな
京の都合でしかない
関東は一貫してる 鎌倉幕府を廃して鎌倉府を置きたいんだろ
倒幕じゃんw ま坂井は早く引っ込めた方がいいよ
主張する価値がない
義時がなんか討伐される理由があるならわかるよ
でもただ執権というだけで討伐されるんなら鎌倉幕府が気に入らないんだろ
思われて当然だし当時もそうだったろうよ >>863
「義時のみ排除」は、言葉遊びで、枝葉末節
「幕府論と征夷大将軍論」は、「承久の乱が討幕か否か問題」では「本質部分ではない」
こう書けば分かり易い
〜ある日、突然、東国に独立性のある巨大軍事組織ができました
この組織を「鎌倉組織」と言います
後鳥羽は「鎌倉組織」を自分の理想的な組織に変えたいと考えました
「鎌倉組織」は、昔のように朝廷に顎で使われるのは嫌だと考えています
後鳥羽は「鎌倉組織」を自分の理想的な組織に変えるために、戦争(討鎌倉組織)を仕掛けました〜
史実はこういう流れなわけで、普通に承久の乱は後鳥羽の討幕という解釈が普通だよ
後鳥羽への思い入れが強すぎて、言葉遊びや枝葉末節で、結果として、その説に論理的整合性が無くなるのは本末転倒 ある日突然じゃない。頼朝の挙兵自体が以仁王方への残党狩りに対する防衛戦 時代考証の坂井さんは研究者として信頼してる
でも、個人的に、坂井さんの主張する「後鳥羽は討幕目的ではない説」だけは、どうしても違和感ある
さらに、その説を補強する為の論が、さらに論理性が無く、強引な解釈と感じる 言葉遊びというか言葉の定義で言い争ってるだけで内容は両者とも同じこと言ってる気がするな 後鳥羽への思い入れが強いとなんで倒幕じゃないになるんだろ
幕府倒して武家を自分の支配下におきたかった
でも十分だと思うが何が不満なん? >>876
義時のみ排除いう人に限って
鎌倉の支配者で動かしてたのは政子
説を唱える人が多い気がするw それは義時がいるから
所領安堵は鎌倉殿が口出して良いから義時いなけりゃ政子が言うよ かたや鎌倉の支配者は政子といい
かたや義時さえいなけりゃだから倒幕ではない
というのは矛盾してて単に義時認めたくないだけだろう
義時長く権を取りて傷なしこれをいわれなく討つのは上の咎です
言う北畠親房とは真逆だなw >>880
同じと言うか区別がつかない
だから言う価値がない
ほとんどの人は何をこだわってるのか理解できない 自分も後鳥羽は倒幕ではなく義時排除をまず実現したかったのだと思う。
義時の出家引退あたりで手打ち、主導権を握ってのち、どう対処するかと。
なのに、泰時に続けと大挙として19万?も京に押し寄せてきたw
その後の後鳥羽の「乱」当事者ではないという態度を卑怯なものとして
評されるが、後鳥羽の本心は「なに鎌倉武士全体で本気になってんだよ。
義時を処すればいいだけなのに・・・・」と事態が思いのままにいかない
イコール当事者ではないという境地、要はスネたのではないか。
あと、ドラマにするにもその辺の齟齬を描いた方が三谷ドラマ的 >>894
>後鳥羽は倒幕ではなく義時排除をまず実現したかったのだと思う。
後鳥羽が義時排除する目的は、鎌倉幕府を自分に都合のよい組織にしたいという我欲なわけで、
自らの我欲達成の為に戦争吹っかけるという行為は、普通に討幕と解釈していいと思う
どうしても「討幕」という言葉に抵抗があるなら「討組織」でもいい
後鳥羽が鎌倉幕府という組織を、自分の都合のよい組織にする為に戦争吹っかけたのが承久の乱 幕府の上層部が義時切らずに守ったんなら、少なくとも彼らは自分たち=幕府をとり回している面々への後鳥羽からの宣戦布告って受け取ったんじゃないの
政子の演説、別に論点すり替えたとかではないと思うよ、幕府上層部からしてみれば。
義時の追討がイコール現在の体制への宣戦布告という認識だったか、後鳥羽が思うより義時に人徳があったかのどちらかだろ
政子や大江ら官僚や三浦小山とかの有力御家人ら、極論別に義時切っても困らないだろ多分 後鳥羽に気に入られてる時房いるし >>894
なぜ義時排除したいんで?
その理由がまともに書かれてないだろ院宣
あんなの持たされる使者カワイソス
朝時は一応使者追い返したが東山道の大将たちには切り捨てられてさ
後鳥羽院には大義が欠けてたのさそれだけ
後世もずっと非難されてるのには理由がある >>896
義時きったら困るんだよ
次に代わりをすえたらそいつが上皇の言うこと聞かなかったら
討伐されて仕方ないという先例を作ることになる
よっぽど目の前しか見えないバカならともかくそういうバカは
とっくに滅亡してるよあの御家人サバイバルw
三浦義村が乗らなかったのも当然 >>898
結局後鳥羽は院宣パワー過信してその辺全然読めてなかったと?まあそうかもな
でも鎌倉方も院相手に勝てなかったら義時もろともに破滅のリスク負うわけだろ
よくやるわ日和る奴いくらでもいただろうに 上皇?が鎌倉を討とうとしてるからこれこれを大将に京に軍を派遣する
各自馳せ参じるように、て手紙を義時が関東の御家人に出してるが
そういう動員がかかったら従うように組織化されてんだよ鎌倉は
中には諏訪氏みたいにこれを機会に関東に味方したものもいるが
朝時には先を急がず山狩りしてでも京方を逃すなて指令出してるし
関東の勢力が弱い北陸には慎重になってるな
あと各家の半分は鎌倉の守護に残してるんじゃなかったっけ?
反乱には気をつけてただろうよ
まー戦に関しては抜け目ないよ鎌倉は後鳥羽なんて一捻り 政子のご高説聞いた後でも恩賞次第でどっちでもつくと言った武士が居たくらいだから鎌倉方は固まってたわけじゃない。後鳥羽方が勝てる見込みが十分あったのを大江の意見を採用したりして何とか凌いだのが実情。倒幕に拘ってるヤツは歴史が年表通り自動的に動く物と錯覚している。 小栗旬、『日本沈没』で11年ぶりに日曜劇場主演 松山ケンイチ、杏、仲村トオル、香川照之と共演
https://news.yahoo.co.jp/articles/39ed909c8dde548b2643d55019545d41b931ed0a
小栗旬が11年ぶりにTBS日曜劇場で主演を務めるドラマ『日本沈没―希望のひと―』が、2021年10月より放送されることが決定した。
小松左京の代表作『日本沈没』を原作とした本作は、刊行から48年の時を経て、主人公を含めオリジナルキャラクターで、2023年の東京を舞台に、沈没という目に見えない危機が迫る中で「見出していく希望」をテーマに描く。
主人公・天海啓示を演じるの小栗は、2010年の日曜劇場『獣医ドリトル』以来11年ぶりの日曜劇場主演となる。小栗が本作で演じる天海は、目的のためには手段を選ばず、時には強引な手法で政策を推し進めてきた野心家の環境省官僚。
各省庁の次代を担う精鋭達を招集した“日本未来推進会議”に環境省代表として参加している中、日本地球物理学界の異端児・田所博士の“ある暴論”を通し、日本が未曾有の事態へと追い込まれていく運命に巻き込まれる。
そして天海と同じく“日本未来推進会議”に経産省代表として参加している常盤紘一役に松山ケンイチ、週刊誌の女性記者・椎名実梨役に杏、
総理大臣・東山栄一役に仲村トオル、原作でも重要な鍵を握る屈指の人気キャラクター・田所雄介役に香川照之が決定。
松山が演じる常盤は、大手財閥の父を持つことから産業界にも顔が利く有力な若手官僚で、“日本未来推進会議”では議長も務めている有能な人物。
天海とは大学の同期で互いを認め合っている。松山と小栗の共演は『リターンマッチ 〜敗者復活戦〜』(東海テレビ)以来17年ぶりとなる。
杏が演じる椎名は、正義感が強く、かつては政治部の記者だったが、攻撃的な姿勢が理由で週刊誌に異動させられた。新聞記者に戻るために大きなスクープをあげるべく、環境省の腐敗を暴こうと必死に取材を続けている中で天海と出会う。
天海の大義に気付いていく中で、次第にお互いを仕事人として、また一人の人間として認め合っていくことになる。杏は、小栗とは本作が初共演となる。 戦場に帝自ら出てくれば一方的にやられることはなかったかもな
あるいは錦の御旗みたいな官軍を意味するシンボル用意するとか? 勝てる見込みないと思ったから葉室光親は何度も諫めたんだろ
多くの公家が関わろうとしなかった
幕府できて40年だからなもう組織が出来上がってる
むしろ反北条の在京御家人にいいように利用されたんじゃねーの後鳥羽
だから胤義や秀康が後鳥羽に門閉じられて追討令出されてもあんま同情しないw 北条が勝つのは必然ではない。だから義時の指導力は称賛される。 日本沈没やって即大河主演とか小栗もごくせんや花より男子の頃から出世したな >>908
政子の演説は政子と大江が仕組んだことで
義時関係なかったかも >>910
「吾妻鏡」で政子を御簾内に座らせてその了解の許
代読しているのは大江だろ
義時は自分の追討令が出ているのに全く前面に出てきていない その通り。政子の「演説」(代読:安達景盛)のとき、
義時がその場に同席したか、居合わせたかどうかすら明らかではない。 義時は指導力もあるが情報戦に強いよな
何度も危険な目に遭いながら生き延びてきたのはそれが大きい いやいやいやw 承久の乱からわずか3年で遺言書も残さずに急死したけど、
毒殺説が当時からありましたやんw 否定するのは勝手だが、史料的に十分に根拠のあることだからねぇ
自称歴史学者どもは、史料ガー言ってるかと思えば、
都合が悪い事実が書かれてると、急に今度は史料を否定しだすから困ったものだよ
一番有名なのは、天武天皇の没年の「書き間違い」説かwwwww(笑)
(65→56)
あとは源頼朝の出生地について、史料が豊富に残っており、
江戸幕府のお墨付きもある名古屋ではなく、
頑なに京都だと主張してみたりとかな 自説開示は日本史板でやれ。この大河の監修はあくまで坂井と呉座。 史料に基づいて否定してるんだからしゃーないだろ
オレらは妄想で語るがw >>919
じゃあ言ってみろw どのように史料に基づいて否定できるのか 反義時陣営の情報手に入れやすい義村や時房と一貫して協力体制とれたのはでかい >>920
オレが言ってるんじゃないんだよ
論文読めばいい >>913
当事者だから表に出る訳にいかなかった、というのもあるかも
そもそも御家人の主君は鎌倉殿であって執権は同輩中の第一人者に過ぎず、義時が「お前ら俺を守るために戦え!」と命令しても
聞く奴なんか一人もいない
右大将後家で鎌倉殿代行である政子の命令が絶対に必要だった 三浦義村(60代)の上座に座る千葉胤綱(10歳)
三浦義村(山本耕史・44歳)「下総の犬は寝場所を知らぬようだな」
千葉胤綱(寺田心・12歳)「三浦の犬は友達を喰らうらしいな」
実際の千葉胤綱役は誰だろうな 後家って言っても挙兵前から一緒に苦労してきた正室だしな
それがあの苦難を潜り抜け勝ち取りようやく掴み取ったこの鎌倉を明け渡すのかと訴えたらそりゃ惣領クラスや重鎮クラスに刺さる訳だよ >>929
再来年だと寺田心でも14才だから
また新たな人気子役がでてきそうだ 政子は日頃あんま政治に口出してなかったんだろ
日頃から御家人にあれこれ指図してたら演説も効果薄いが
ここぞと言う時に出てきて話すから効果抜群
頼朝の妻として話してた >>927
でも諸国には義時の名で動員かけてるからな
微妙なとこだ 政子が口出すのは側室の館を焼き討ちするとか清水冠者の首取った武者を処刑させたりとか鎌倉殿への直接攻撃だなw 官位求めると源氏みたいに身内で争うか
平家みたいに一門仲良くすると一門で独占して公家の恨みを買う
北条が公卿になるの抑えたのも先例見ての一つの知恵だな
ただ守護地頭を独占することになり今度は武家の恨みを >>923-924
具体的に根拠を挙げて反論できない奴は論外、話にならんのよ┐(゚〜゚)┌ >>938
まったく逆でワロタw 北条氏の官位が低かったことがまさに滅亡の原因の一つ
後世の武家政権は、鎌倉北条氏の教訓として、高い官位を求めるようになった
なにしろ公家にまともに相手にされないからね
例外は三好政権くらいだろう
官位・爵位は高かったものの、差別されていた、皇室に頭が上がらなかったのが長州閥
(毛利公爵家は貴族院の副議長にすらなれない、宮中某重大事件や張作霖爆殺事件でフルボッコ) 島津みたいに皇族と姻戚関係になることもできなかったんだっけ? >>940以前ふるぼっこにされたバカがほとぼり冷めたと思って再登場w >>942
ろくに反論もできず、根拠も示せず、自称フルボッコとな?w(笑) >>941
そゆこと 島津の場合は、江戸時代から将軍家と姻戚だったしな 官位が低いと、結局、支配の正統性は「徳政」だけになってしまうからな
「武家の棟梁(征夷大将軍)だから」とか、「摂関家だから」とか、
「天皇の外戚(祖父)だから」とか、そういう正統化が一切ないわけだ >>945
支配の正統性なんて官位でも無理だよ
もっと上がいるじゃん言われて終わりだ 山本太郎や蓮舫があーだこーだ言ってても麻生安倍菅からしてみればアホだなぁあいつですむようなアレか >>947
だから日本史上だと征夷大将軍か、摂政・関白のいずれかということになるね
平清盛が太政大臣+外戚のレアパターン
織田政権は未完成のまま終わったが、三職推任問題で提示されたのも、
征夷大将軍・関白・太政大臣の3つのポストのうちいずれを望むか?というものであった そんなことはないね、「上は天皇だけ」という状態にしておくことは重要だからね いずれも偶発的に得た職を後で実体化している
中でも直接の世襲じゃない関白に拘ったせいで豊臣は見るも無惨 いやいやいや、だって摂関政治も、平氏政権も、源氏将軍も、
鎌倉北条氏の滅亡よりも前の出来事だからね┐(゚〜゚)┌
すでに先例があり、その先例から外れた存在であった
「徳政」一本槍だった鎌倉北条氏はやっぱりダメだったねって話よ
鎌倉北条氏に近かった三好政権も、長州閥も、脆かった 豊臣氏が滅んだ端的な原因は秀次事件(お家騒動)だしね┐(゚〜゚)┌ じゃあ秀次が生きて後継者になったとして、どのような豊臣政権の構造的欠陥で、
家康存命中に滅亡したと考えられるのかね?(笑)
ちなみに家康が死ねば、豊臣はそれで勝ち、秀忠とか雑魚だからなw
しかも秀忠は高台院と非常に親しい関係にある そりゃあ秀頼でしょ、何?応仁の乱みたいなのを心配してるわけ?
そんなの家康が死んだ後ならどうとでもなるよ┐(゚〜゚)┌
しかもそれ「構造的欠陥」じゃないよね?(笑) ちなみに足利家氏のように秀次的ポジションでも、
当主代行に徹して宗家の跡取りが育ったら身をキレイに引いた人物というのも
歴史上、ちゃんと存在するからね >>960
家氏は得宗家の圧力で庶子に落とされて御家人として別に足利家を立ててる上に家督相続に北条家の睨みが効いてたから秀次とはまた立場が違うと思う
頼氏死後に惣領代行して後を引き継がせた家時も北条への謀叛の疑いを掛けられて若くして自害してる時代だからね >>963
家時は母親が上杉氏で、北条と血が近くないから、
北条氏としては別に家氏が足利宗家を継承しても構わなかったんだよ。 >>964
二月騒動終わった後ならまだ分かるけど、あの時点で得宗家から名越流に足利家を譲り渡すのは有り得ないでしょ 尊氏も母が上杉氏で家時の二の舞になるところだったな >>965
どのみち家時が幼すぎて、その当時は家氏が実質当主、当主代行だったけどな 源氏も平家も北条より政権もたなかったわけだし
官位とまったく正統性の関係ないのわかるな 官位官職は支配の必要条件でもないし十分条件でもないってことだな
皇位も承久の乱以降そうなった 北条氏に関しては官位の低さが明らかに足を引っ張ったけどね
足利義稙(越中公方)・足利義昭(鞆幕府)の粘り腰、二枚腰・三枚腰との違いよ
北条と安達と御内人しか残らなかった 後鳥羽は皇位が支配の必要条件だと考えたから倒幕を企画し
十分条件だと思ったから勝てる思ってた
どっちもガラガラ崩れた承久の乱 倒幕じゃないな。武家の所領そのものを管理統制する気持ちはさらさらなかったのが後鳥羽。 じゃ義時にお願いしとけばよかった
旗揚げのレジェンドなんだから一番武士が従いやすい >>959
土佐に下向
河内に下向
関東を流浪したり勅勘くらって薩摩に逃げたり
足利将軍から代々一字書出を受けたり
江戸初期に天皇家に乗っ取られたり 弱体とかは無関係。実子の居なかった秀吉が一時的措置に見せかけて近衛二条の争いに介入したのが関白位奪取の発端、 秀吉は、将軍・幕府にこだわって、喜連川氏や斯波氏などの猶子になって、
清和源氏になってもよかったんだけどな
「征夷大将軍=清和源氏」というのは最近は否定されてるけど、
それなりに説得力があったのは、秀吉(足利義昭の猶子になることに失敗)や
家康(世良田氏または得川氏、清和源氏を仮冒)の先例があったからだからな 喜連川等じゃ将軍になった実績がないから貫目不足。徳川は新田氏流を名乗る事で足利全否定でその辺をクリア。ついでに五摂家に恩を売っただけでなく北朝の後裔の帝をも統制可能に。 みな坊さんで嫡流は途絶えた
ただ庶子が居て発見されたあとはそこそこの扱い 松坂慶子を侍女その1でもいいから起用してほしい
壇ノ浦ダイビング3回の大記録がかかっている 松坂慶子は義時の家を切り回す女房か御所女房でいいよ
今度こそ幸せに暮らせ茜 頼朝生存中の義時吾妻鏡ネタ
政子焼き討ち事件で家にいて恩賞もらう
穏便の存念ある
範頼軍で先登つとめる
姫の前に恋文スルーされるが頼朝のお陰で嫁にできた
息子が頼朝にめっちゃ大事にされる
行列で小山朝政にお揃いの鎧兜で並んで行進しようよ
と謎の誘いをかける
どう見ても前半はギャグ展開だろこれ >>982
秀吉の無理が通るのは摂関家ひいては天皇・公家社会が弱体化してるからでしょ
将軍家の家格が上昇(元服と共に近衛少将に叙任)し摂関家が将軍から偏諱を受ける立場に落ちてる
義昭は秀吉を猶子にすることを拒否できたが公家社会は新たな氏姓(豊臣朝臣)まで言うがまま いや無関係。五摂家は秀吉が偶発的に奪い豊臣一族で関白を使い回ししようとしてたのを手を拱いてた訳じゃない。 秀吉も晩年は聚楽第や伏見城で京に擦り寄っていってたな このスレッドは1000を超えました。
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