太平記part.52
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・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう 1こそ主とするならこのお方と己に言い聞かせて参りました! DVDで最終回を見た
サブタイトルは「尊氏の死」だが、尊氏が死ぬシーンはない
「直義の死」の方が良かったな スレ主ですが、たまたま980を踏んだ通りすがりです ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう ぶっちゃけ歴史談義を嫌っているのは約1名だけだろう 武田鉄矢が金八先生をやっていた時期にソープランドに行ったら
たまたまお相手したソープ嬢が金八先生の熱心なファンでショックを受けて
「金八先生がこんなお店に来たらいかん!」と
泣き出してサービスを拒否してお帰りいただこうとしたが
武田鉄矢は
「俺は金払ってんだ、あんたもプロならサービスしろ!」
と言い張って最後までしっかりプレイして帰ったとか
(実話) >>16
だからこそ、そんなものにムキになって過剰反応して規制しようとする奴はアホ
>>17
三位の局きぼんぬ このドラマはヘアヌードになってる人が多いな
モックンもふくめて ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう >>13
違うよ。
俺も基本的に嫌いで、ドラマについて「今回の尊氏は○○だったなあ」という俺のレスに
「いや史実ではああでこうで」とかレスしてくる奴、馬鹿かと思ってるが
噛みつかずにスルーしてるだけ
多分DVDとかで何回も見てる奴も多いのか、BSの放映も気にせずネタバレも気にしないんで
居心地の良いスレではないが、このスレはそういう熱心なファンが守ってきたんだろうからスレの空気に逆らわない。 >>26 ううん どれも素晴らしいではないか 旦那さんたちが羨ましい 南北朝は三国志のキャラとかぶる。これを元にシナリオを作ってほしい
足利尊氏→劉備 将の器はあるが凡庸な面あり
足利直義→孔明 政治家としては1流ながら几帳面、直義派が存在するのでカリスマ性はある
高師直→ホウ統 天才軍師ながら女や欲に溺れる面あり
高師泰→ホウ徳
佐々木道誉→関羽 風流を愛するバサラ関羽
土岐頼遠→張飛 大酒飲みの猛将
赤松則祐→趙雲 品行方正な優等生
後醍醐→曹操 軍事的才覚は曹操に劣るが教養人としては互角。カリスマ性もあり
護良親王→曹彰 父に疎まれる野蛮な面あり。古今無双の猛将
新田義貞→袁紹
楠木正成→孫堅 一方の勢力。
楠木正行→孫策
楠木正儀→孫権
北畠親房→馬騰
北畠顕家→馬超 一夜にして人間の評価が変るのが乱世の慣い。尊氏が“筑紫隠れ”の朝、新田義貞は、凱旋将軍として、堂上の歓呼をあびていた。左近衛ノ中将の栄誉、それのみでなく、後醍醐の寵姫・勾当の内侍を賜ったのだ。それにひきかえ、貴顕に生命乞いする佐々木道誉の鵺(ぬえ)ぶり。また、朝敵たる汚名は逃れたものの、尾羽打ち枯らした尊氏。しかし彼は、北九州に勢力を養い、反攻を意図する。 今日のプロファイラー北条政子で太平記の映像使いまくりだった
再放送で見てたから記憶鮮明 まんが日本史で「南北朝の統一」の回をみたけど なかなか面白かった
南朝が弱体化して山岳ゲリラ程度の弱小勢力になったときに北朝が大幅に南朝の条件をのんで南朝を吸収合併したと
統一できるタイミングというのがあるんだなと 今の日本政府も見習ってほしい >>20
ちっぽけな知識自慢でマウント取り始める、違う時代に脱線する、ただ相手を否定するから本当に要らないと思うよ
それでもムキになって知識自慢するなら日本史板へ行けばいい そんなにマウント取ったり否定してるかな。
喋り出したら止まらないのはわかるけど。
私情混ざってる気が…。 他の番組で鎌倉・室町時代の合戦の話やると太平記の角を曲がって走ってくる武者のシーンや鎌倉市街の合戦シーンが使われるの多いよね
市街の合戦シーンで寄ってたかって刺されて殺される人は今まで何回ぐらい殺されてるんだろうw ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう 毎回新スレでは、大河のセリフが続くのが楽しみだったのに↑のせいで残念だ ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう 35回の時点ですでにモックンも退場してたんだな
宮中の場面で坊門や名和と一緒にいるべきところにいなかった 千種は戦に駆り出されていたのか
下級公家の宿命だわな 史実だと千種は尊氏が九州から京都に攻め上る時に戦死してるな
wikiのエビだと新政の失敗の詰腹要員として出家もさせられてるし、新政の最中ではやりたい放題してたみたい 大逆転で京都攻防戦が総カットにされたけど、
・御所が炎上して号泣する名和長年
・単騎で突撃して「尊氏はどこだ!」と探す新田義貞
・天才戦術家楠木正成最大の秘策「新田に似た首大作戦」
これはやって欲しかったな。 それにしてもこの時代ってほんとに大将が単騎で果たし合いなんかしてたの? >>58
wikiより
戦闘(合戦)時には、敵の指揮官である武士を討ち取ることで、敵の士気を喪失、命令系統を混乱させ、統制の取れた戦闘活動を不可能にすることができた。
また、戦闘の決着がついた最終段階において敵の指揮官を討ち取ることで勝利を決定づけることができるため、合戦手法として一騎討ちが誕生したと言われている。
つまり、軍記物語みたいな一騎打ちというより、大勢が決した後に名のある武将が相手の大将を追い詰めて首を落とした行為が一騎打ちとなってるケースが多いのやろ
だから、新田義貞の最後なんて名のある武将に打たれたわけではないから、あまりエピとしてはよろしくないわけで ウチの婆さんも新田義貞の死に方は良くない死に様で、犬死だと言ってたな
戦前の教育を受けた人間でもそう思うんだから雑兵の矢に当たって即死なんてダメなんだろうね そこらあたりが大楠公と尊氏のライバルで終わった男の差になってるのかもしれないな後世談として
武将としての格も家柄も地位も実績も楠木正成よりも上なんやけどな新田義貞は でも貧乏御家人だし、挙兵のきっかけが幕府の徴税史の斬殺というのもいまいちカッコよくない 勾当内侍に夢中になって追撃を怠ったという濡れ衣まで着せられてるしね 新田が貧乏やったのは、鎌倉時代常に北条に目の敵にされてたからなんやけどな
足利みたいに北条に尻尾振って一族に準じてた世渡りのうまさはなかった 26
宮崎萬純が抜けてるがな。
ついでに、澤たまき。 この放送時は、まだ蓬髪の武将が、足利尊氏像だとされてたんだよな。
摂津の合戦で落ち武者になった姿が、それに似せてるのは、やはり意図ある演出だったのかな。 太平記の評価が高いのは
弟との対立を一応は短いながらも描いたからですか? そちにはまだ武器が残されているではないか、戦うための武器が。
命じゃよ。
そちにはまだ命が残っておるではないか。
のう河内。
人の命だけが、邪悪な足利に立ち向かえる最後の武器なのじゃ。
素手でどうして勝てる?死んでしもうて何になる?誰もがそう考えるじゃろう。
わしもそう思う。
なぁ河内。男はそういう時でも立ち向こうていかねばならぬ時もある。そうしてこそ初めて不可能が可能になってくるのじゃよ。
河内。そちはまだ生きておる。生きているではないか。
我らの命を生かすのは、そちの使命なのじゃ。
命ある限り戦え!わかるな、河内。
──従二位行参議藤原朝臣坊門清忠 >>72
そんなポイントじゃなく、石がらみのシーン以外
全体的に悪いところがほとんど無いよ >>73
坊門さんは言うかなあ
「寝言は寝て言いたまえ」くらいは言いそうな気もするけど >>73
あまり続けると嫌がられるけど
御親政に下品な男は不要だ・・・・
名和が「わー」って落ちるなんてのもイメージわくけど 原田美枝子と藤真利子って
田口浩正と松尾諭くらい似てるよね。 >>60
白羽の矢が当たっているのだから雑兵の矢ではない。
少なくとも打った側は相手が大将格であると承知して射ている。 >>65
最近の研究だと新田氏=足利氏庶流ってのが定説になってるみたいだし >>73
これ、さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たちで、死んでいる沖田艦長が古代進に語りかけた台詞だよね。
この後、古代進は死んだ恋人森雪の遺体を抱きヤマトを敵白色彗星帝国に特攻させた。 ここはもう既に見てることを前提にネタバレOKなんですか?
だったら再放送見てるからここ見るの止めようかな。 >>81
実は沖田艦長、死んでいないのだが、生霊となって語りかけている。 ジャッキーとのセックスを生々しく暴露する位はまだニヤニヤしながら読めたが
一戦終えたあとのベッドでの会話でジャッキーが
「惚れた女は大事にしたいから、撮影中に怪我をさせないよう絶対出演させない」
と言った事まで暴露しててガックリ来た
じゃシティーハンターでのあのゴクミの扱いは… >>87
約30年前だよ
時間って流れるの早いよな・・・ そんなバカな…
10年後が時宗で、その10年後がシエでその9年後が…
ほんまや… >>82 大河ドラマでのネタバレっていったいなんなんだろうと思う 鎌倉幕府が滅亡することも 後醍醐天皇が政権をとることも 足利尊氏が幕府をつくることも 学校ですでに学んでいることだし
ショーケンが退場しても新田義貞が消えるわけではないし むしろネタバレするほうが難しい その歴史上の出来事を「点」とするなら
点を結ぶ「線」のことを言わないでってことでは。
個人的にはどっちでもいいけど。 実際、新田が足利を追って九州まで征伐してれば、足利尊氏よりも幕府なんてなかったんやけどな
九州の菊池と新田で尊氏を挟み撃ちにして終わっとる 新田義貞の無能さがよくわかる回だった
>>95で終わってたからな >>94
いや、群馬県人てあんな感じだよ
あまり頭良くない
うちのひい祖父さんも角栄の父親に牛を騙し取られたって怒っていたらしいけど、簡単に騙されるのもな >>97
その割に総理はたくさん出してるんだよなグンマー 智力と謀略で建武の新政まで辿り着いた楠木正成から見たら、新田の戦い方はあまりにも無駄なものに見えたのやろうね
ただでさえ数で劣る新田と楠木が分断されて勝ち目があるはずがない
そして分断されれば少数の側で西に位置した楠木勢が全滅することなんで兵法を知るものならば誰でもわかること
だが、新田にはわからなかったんやろうなあ >>99
新潟の詐欺商人に騙されるような間抜けな百姓どもを票田としていた福田中曽根小渕 しかし見応えがあったわ
さすが大河ドラマの最高峰だ 義貞のフォローをはじめますw
・尊氏が西に逃げた時に何故そのまま追わなかったのかと正成が怒っているが、宮方のシステムとして勅命がないと兵が動かせない
それに勝った新田の方が少数で負けた足利が最後まで大軍だった。追撃は不可能。
・北畠顕家は途中で都に戻っているし、正成は戦のたびに遅れて登場。批判する資格はない
・白幡城に手間取っているが古典『太平記』以外で義貞本人が白旗城を攻めた記録なし。
古文書の類は山陽道方面にいるようだが、そちらの方が自然か。
・先発隊は福山まで行っているし、石見の豪族まで調略にかけている。割と西まで進んでいる。 そして湊川関係
・敗戦の原因のひとつは宮方に水軍がないことだがこれを義貞のせいにするのは酷
どっちかといえば正成の範疇だろう。
・いうまでもないが「錦の御旗に惑わされて〜」は完全なフィクション。生田森の敵を先に討つのは兵力差からして他に手がない
・そして最大の問題w
義貞は生田の森の細川を撃破後、戻ってきて足利軍と戦う。規模的にはこちらの方が湊川の合戦の本戦で、
「新田、足利国(取り)の戦い、今日を限りと見えたりける」との激しさだった。
明治、大正、昭和初期までは義貞の名場面だったが、戦時中にカットされてそのまま
まあ、今日は正成退場祭りの最大の犠牲者だったな。 その間に尊氏は九州を平定して西中国を制して備後に八万の大軍を揃えてるからな
やはり、楠木正成の語ったように新田と足利では貫目が違いすぎるわな
新田義貞としては頑張ってるが、これが限界だろうし、そんな新田では足利尊氏には勝てないと楠木正成は見切ってしまってと仕方はない 結局、朝廷のシステムに取り込まれているわけだよ
鎌倉攻めの義貞の強さは身分の軽さが生んだ強さ
尊氏は独立独歩武家の棟梁になると決めてから、自由に兵も動かされば御教書も出し放題
ただ、それが出来るのも尊氏、義貞個人の能力以前に最初の勢力が「100万石対1万石」ほどにも違う。
これが対等だったら話はまた違っていた。 >>108
新田軍は足利軍を挟撃できる余地があったのに京都に撤退した時点で終わってるだろうw 備後に8万って実際8000ぐらいだよねたぶん。
8万も動員できるんかな?
史記の項羽本紀の影響で盛ってるだけ?? >>111
だから、撤退していない。
生田の森から反転して戦っている。撤退したのはこのドラマのフィクション
というよりも、戦時中の正成揚げの影響がここまで残っているというべきか >>112
数は双方盛ってると考えるべきだろうけど、戦術は流石にそれほど歪められないんじゃないかと思う >>113
それならなおさら新田義貞が弱かっただけで終わる話だろw >>115
君は戻ってこないで京都に撤退したと思ってたんだろう? 今回の初めに直義軍25000が進撃とナレが言ったのを聞いて
不安感を覚えたこのスレの住民w >>116
そりゃドラマの描写がそうだからなw
史実がそうではなく、足利軍が楠木・新田軍の挟撃にもかかわらず勝利したのなら、なおさら新田軍の弱さが際立つだけのことだw 金八の熱弁を聞かなかったことにしようと言った後醍醐w
金八はあの場で坊門を切り捨てるべきだったな >>116
>>113の撤退は尊氏が九州に逃げている時の話でしょ >>119
自分に都合の悪いことは「聞かなかったことにする」帝は、これで何回目だろうか?w そしてもう1回書くが生田の森から反転した後の、新田と足利の合戦が湊川の合戦の本戦
「新田、足利国(取り)の戦い、今日を限りと見えたりける」と古典『太平記』が書いている。
太平記は兵数を盛るので現実の数が分からんが(5万対50万はないにしろ)
10倍の兵力でまず細川軍の後方遮断と京都への侵攻を防ぎ(ここは重要だと思うが)
尊氏・直義本軍を一度ここで防いでいるんだから、可能な限りの善戦ではある。
この状況で勝てる人間がいれば、むしろ誰かと問いたいw >>105
>・尊氏が西に逃げた時に何故そのまま追わなかったのかと正成が怒っているが、宮方のシステムとして勅命がないと兵が動かせない
> それに勝った新田の方が少数で負けた足利が最後まで大軍だった。追撃は不可能。
これは史実なのかな?
ほんとは、まぁこれくらいでいいだろう、と思って
追わなかっただけとかじゃないのかな? >>118
だから兵力差とそれを生み出した状況も考えてw
しかしみんな書くの早いね >>122
要するに、新田軍は戦力で負けたと言いたいわけだなw
戦力だけではなく戦術で負けたと思うけどなw >>124
帝の命令がなければ自由に戦力を動かせないのならば、新田軍は最初から負けていたも同然ということになるだけだがなw 足利軍80000、新田軍25000、楠木軍1000とかも、どうせ嘘だろうな
ほんとは、足利軍10000、新田軍20000、楠木軍1000くらいだろう 結論から言えば、戦力も戦術も負けてたのだよ新田は
だから正成から義貞てまは尊氏に勝てないと見切られてる >>128
そうだと思う
正成はそれが見えていたから、正行を河内に返したのだろう なんか船の上の尊氏が
パイレーツオブカリビアンのジョニー・デップっぽかったw >>123
尊氏が兵庫から西に逃走時で宮方は10万(北畠を含む)
対して足利は置き去り分だけで20万(太平記15巻)
宮方はそもそも鎌倉に向かった時点で征東将軍が尊良親王、次が二条為冬、義貞はその下の大将軍
京都の合戦では顕家が義貞の上なのか、下なの?命令系統は混乱していた様子
征西命令が出ていなかれば追撃はできない。
そしてあの段階ではもう新田にその余力がない。
顕家は先に都に戻っているし、正成は役に立っていないしw >>126
まあそうはそうだよ。
でもそれは新田の負けではなく、組織としての宮方の負け。
新田義貞だったからここまで粘れたという見方もできる。 >>135
軍事は指揮系統が定まっていない段階で負けが確定的になる
これは古今東西どこでも例がある >>137
それは新田義貞の政治力の欠如とも言えるがな >>131
最近ジョニデと共演してるね
兵庫が見えたー!の時尊氏寝てなかった? >>136
いや・・・・残念ながらその勝利はドラマだけの話
実際には正季の700騎に蹴散らされ、馬の脚に矢が当たってびっこひいて逃げ遅れ、
あわや討たれるところを、薬師寺次郎なる武士に助けられてなんとか逃げる
・・・というとても御舎弟殿らし戦ぶり
後に薬師寺は師直塩谷風呂場覗き見事件の際、恋文を代筆して歴史に名を刻むという余談 武田鉄矢の大河ドラマ出演歴で最高の演技が今日の回だったと思うわ >>138
この例としてはナチス・ドイツの国防軍と武装親衛隊の指揮命令系統がその典型だ
横の連携が最後までできなかった >>143
そりゃ全ては後醍醐帝が責を負うべきことだが、それ以前に後醍醐帝の判断を巻き込む政治的存在感のことを指してるんだけどな 白幡城での赤松円心の見せ場が一瞬で終わってしまった(´・ω・`) まあ、当時の渡辺哲さんはそんな立場の俳優さんです
今もかなあ そういやモックンがいつの間にか消えてんだけど
死んだっけ? 結局後醍醐も馬鹿だったな
軍事の事なのにプロである楠の言を採用せずにど素人の坊門殿の言を採用するとは 義貞も正成も寝返る事が出来る立場でも無い。
義貞も出来うる限りの事はしただろうけど最初から無理筋の戦い >>154
帝の脳内では常に公家>武家なので
ここで楠木の諫言を聞き入れられるようなら
そもそも建武の新政あんなことになってない 櫻井の別れを、皇恩継承の場として描かなかったのは、例によってNHKの事なかれ主義ではなくて、原作がそうだったから。
太平記の楠といい、新平家の義経といい、史実の戦バカをカマトトの平和主義者として描いて、英雄の現代化を図ったと思う。
でも、結果として魅力のない人物像になってるんだよな。
清盛、時忠、義仲や尊氏、道誉、師直みたいな、毀誉褒貶ある人物のが魅力ある。 ゴタイゴって賢帝でも何でもないな。
君側の奸も含めて。 >>142
個人的には見解が違う
武田鉄矢が正成を造形したのは斬新的で見事だったが、今回の演技自体は大袈裟でクサいものとなっているから絶賛はできん とくに桜井の別れね >>141
本当かいなと調べたら本当だった。
逃げ込んできたときの尊氏の虚無感がしのばれる。 >>147
それはもうどうしようもない部分w
まずドラマだけみれば、この義貞は武者所の頭人で朝廷の軍事筆頭者になった時点で「心地よい」と満足しているし、
「武士の棟梁」とはそうあるべきだと思っている。頼朝の父、義朝あたりの時代の考えだが「古風な武者」といわれたのはこのため
実際にはどうだったかというと、やっぱりこれに近いものはあった。政治的な動きは鈍いというか、感覚が薄い。
それは鎌倉時代を通じて新田が不遇だったので政治的感覚も磨かれず、ヴィジョンも持ち得なかった。
義貞はずっと国宣の形態をとっており、御教書を出し始めたのは越前へ逃れたころから。さすがに遅い。
武士の権益を認めない後醍醐の下で、武士の義貞が戦わなければならない。最大の敗北原因は他ならない、
「義貞が後醍醐天皇に忠誠を誓った」からである。 でもこのドラマ的に一点描いて欲しかったと思うのは、
尊氏が西に逃げた時の宮方内部の様子。
義貞、正成、顕家の三者にどんなやり取りがあったのかを描かないと、今日の正成の様子も、
北畠軍の青野原後の南転も説得力がない気がする。
正成がいろいろ言っていたが、そもそもこの2人は「新田義貞殿とはどんなお方であろうか」と伏線を引きながら、
尊氏主宰の武士会議でしか会ってないし、1対1でしゃべる場面も、互いが互いをどう思っているかのシーンもない。 逃亡者って太平記当時は ちょい役のトヨエツと既に大河主役済みのナベケン 30年 共にハリウッドスターになって... >>162
少なくてもドラマでは
鎌倉幕府の下ではうかばれなかったから
新田家に政治家タイプの人間は出なかった
上は天皇しかいない
朝廷の武臣としての立場が大出世、心地よい
朝廷と対立しても自家が天下を狙う
なんて思想にはなりそうにない 楠木ってゲリラ戦には強そうだけど
正面きっての殴りあいみたいな戦には弱そう
昔の学習漫画から
楠木「それは、私に死にに行けということ」
坊門「天皇の軍は、戦えば必ず勝つのよ!」
なんてイメージだったけど
ドラマみた印象は、そうでもなかったな 今回ウルトラセブンが初登場
もうすぐ高橋悦史=おしんの仁が登場する
足利の家来衆はおしんの辰則から仁に入れ替わりか 細川顕氏は初登場だったな
あとは直義派の武将では桃井直常待ちだな 桃井も絶妙に憎たらしかった記憶があるな
あれだけ大きかった足利一族も戦国をサバイブして近世大名になれたのはごく僅かなんだよね
なかなか大変な時代だ 勝った方の味方に付いていたからといって
次代に生き残れるわけでもないから難しいんだよな
むしろ敵側に回ったけれど、尊氏が死んだ後に帰参したほうが得だったり。
とはいえ、敵側に回ったときに滅ぼされてしまったら元も子もないし
なんかムリゲーに近いきがするw 宗家が一門に食われ、一門が被官に食われ、被官が家人に食われる
この時代は何が正解かなんて分からないよな 赤松円心の見せ場か一瞬で終わった
寂しい
NetflixとかHuluやらで悪党の末裔を映像化してくれ >>168
初登場だったので(視聴者向けに)自己紹介してから
本題に入ったね。 >>165
義貞は、命をかけて、帝のために戦いましょう。
されどその義貞も、時を得れば、一大将ではおりますまい!
仮にこの尊氏を破り、義貞が次代の覇者ともなれば、必ずや、幕府を創ることとあいなりましょう。
武士とは左様なものにござりまする!!! >>95
どうだかなあ
尊氏だからねえ、さらに逃げ回って何処かで再起してたような
九州の果てまで逃げても再起可能な状況自体に問題があるのよ
公家一統の世に不満を持つ武家が日本中にいて
さらに尊氏には日本中に恩を売ったツテがある あと、尊氏VS義貞の「いくらなんでもそんなアホな!一騎打ち」 鎮西にいる北条の残党が味方に付いた可能性も考えられないかな? >>153
先週も祝宴とか出るべき場面にいなかった
なんとなく今年の大河にも共通するな
名前だけ出て本人が出てこない >>164
トヨエツは真田、柳葉の1年下だから
意外と遅咲きだったな
この2年後の大河「ぶっ殺す」でブレイク このドラマ見てると後醍醐取り巻きの公家はほんとに悪質だな
お前らが死ね 真田はもちろん他の役者も馬上で刀振って片手乗りしてるのに
武田は刀持った手でしっかり手綱握ってる 坊門、いい死に方はしないな、と当時は思っていたけど
まさか30年後に中の人が・・・ 後醍醐天皇=鳩山由紀夫首相
あまりにもアホっぽい天然だったので
あっというまに新政権崩壊 こんなに出演者が鎧兜着て騎乗で刀振り回す大河がこれまであっただろうか(撮り溜め、使い廻しかも知れないけど)
ところで今更だけど、オープニング冒頭の騎馬団の中央で「かかれー」だか「進めー」だかやっているのは真田広之本人?
全然違う役者さんかも知れないけど、尊氏が髭生やしたら真田広之に見えて来た >>190
はっきりいえば中途半端なスタントマンにさせるより真田広之の方が上手いからな
たぶん、本人やろ
下手くそならば別人やね >>153
次回の「正成自刃」に、千種殿は露と消えた、というセリフが出てくる
討ち死にシーンはないが、本木はもう出てこない >>141
本当、冗談みたく戦に弱いな御舎弟殿ww >>192
エエエエエエ
どおりで最近見てないはずだ
モッくん的なポジションの別人がいるなぁと気にしてはいたのだが・・ よくこの回まで合戦ロケができる程の予算が残っていたね。 調べてみたら、本木の最後の出演は31回「尊氏叛く」 ダメや…桜井の別れでもソープの話がちらついて泣けない… >>179
鎮西探題だった赤橋秀時の義弟だから味方になった・・・・との主張が結構むかしからあるけど
実際どうなんだろう?
>>178
逆説の井沢「新田義貞と足利尊氏は一騎打ちをしたといわれている」 >>179
博多や北九州市周辺は金沢氏の領地が多くて少弐に皆殺しにされたんやぞ 夏桀王は南巣に逃げて、殷紂王は牧野で敗れるって太平記冒頭にあるけど
後醍醐って当時から無能欠徳扱い?
どっかしらでは評価されてんのかな? 同時代で後醍醐を一番高く評価して後醍醐が好きな人ってたぶん尊氏だろうな 尊氏…美しい帝に20歳の時から一目ぼれ状態
義貞…帝は武士として忠誠を誓うべき存在
正成…恩義があるから仕方ない。「大事なもの」とは言ってない
簾子…中流公家の娘が一発逆転人生を賭けた
各々こんな感じかね >>196
確か、次回の「尊氏、義貞まさかの一騎打ち」で足利市のオープンセットは使い納め・・・だったと思う。
もっとも、その後は使いまわしオンパレードなので、大中黒の旗が亡霊のように日本中の合戦に登場するが。 >>180
もっくんは「四股踏んじゃった」の撮影のため、ここは抜けるという契約 >>178
フィクションだとは思うけど、一騎討ちへの流れ自体は割と説得力あったと思うがなあ
京都市街戦の膠着に焦れて時代錯誤な一騎討ちを申し込む義貞も、周囲がスルー当然な空気の中でもこれぞ坂東武者の習いとノリノリな尊氏も、実にらしいと思ったよ
乱戦の中で突如として大将同士の一騎討ちが始まり周囲に誰もいない決闘空間に2人だけでワープするという、謎展開じゃなかっらし >>216
週刊ジャンプで、連載が終了するときのハーデス対星矢みたいな終わり方。
その後、別誌に移ってやりなおしたので、単行本からは省かれていると思う。 >>204
>>207
まだあちこちで北条方の反乱が多発してるしその中で生き残った赤橋や旧名越の被官達が、このまま南朝方に粛正されるぐらいならと千寿王や斯波氏の縁に縋りつくパターンが有ってもおかしくないかなと 比叡山に逃げたくないという公家や帝の気持ちもわからぬではない なんたって今は朝廷は日本政府ですから 都から逃れたら中央政府であるという証がなくなってしまう
政府の威信をたもつためにはなんとしてでも尊氏を上陸させないように食い止めないと >>196
最終回の直前で予算が尽きたらしい
仕方なく、翌年の信長キングオブジパングのために録った合戦シーンを
使わせてもらったとか >>220
武田信玄や織田信長にも寵童はいたし
武士のたしなみ(?)
完全に女好みなのは豊臣秀吉くらい
って書いてた本があったな >>220
中の人は、千葉真一の寵愛を受けていました wiki見ると
平幹二朗と緒方直人がこのドラマに出演予定だったのに
翌年のキンジバに出演することになったので
急遽、別の俳優さんに変更になったとか
どの役だ? 今回も傑作回だった。失笑したのは船の映像だけ
武田鉄矢は基本的に金八のみで、近年の悪役も寒いと思ってるが
楠木正成は金八の次ぐらいにええわ 始めから感じていた。心のどこかで…
強い憎しみの裏にある渇きを、激しい闘志の底に潜む悲しみを。
似た者同士。自分が自分であるために、捨ててきた物の数を数える。声にならない声が聞こえてくる。
次回、「正成自刃」
一足先に自由になった武士(もののふ)のために。 >>190
191も言ってるけど真田広之の所属していたJACが「スタントマンを必要としない俳優」を世に出す為に作られたからね
実際真田広之の動きを再現出来るスタントマンが居ないから映画でもどんな短いカットでも本人が演じてる
自分は太平記は再放送&DVDだから当時の撮影秘話とか余り知らないが
このスレでは本人説が多いね >>223
ネーヨあのエロ親父が男色とかw
子役デビューから世話してて真田の親父さんが亡くなった後は卒業式なんかにも行ってたらしい
まあ真田が役者として大きくなり過ぎてからはギクシャクしてたらしいけど
サニーがJACを潰す前に30でさっさと辞めた真田は賢い 放映当日ぐらいあえてドラマから外れんなや、と思ったが
よく見たらほぼ二人が対話してるだけだな ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう 日本の南北朝時代は三国志のキャラとかぶる。誰かこれを元にシナリオを作ってほしい
足利尊氏→劉備 将の器あり。戦上手の劉備
足利直義→孔明 几帳面な孔明、直義派が存在するのでカリスマ性はある
高師直→?統 天才軍師ながら女や欲に溺れる面あり
高師泰→?徳
佐々木道誉→関羽 風流を愛するバサラ関羽
土岐頼遠→張飛 大酒飲みの猛将
赤松則祐→趙雲 品行方正な優等生
吉良貞義→黄忠 元寇と南北朝を経験した老将
後醍醐→曹操 軍事的才覚は曹操に劣るが教養人としては互角。カリスマ性もあり
護良親王→曹彰 父に疎まれる野蛮な面あり。
新田義貞→袁紹
楠木正成→孫堅 一方の勢力。
楠木正行→孫策
楠木正儀→孫権
北畠親房→馬騰 策士家の馬騰
北畠顕家→馬超 義に厚い馬超。東北の騎馬と涼州の騎馬 >>232
そのコピペ気に入っているみたいだけど
さしてキャラかぶりしてないよな
足利尊氏→劉備
高師直→?統
吉良貞義→黄忠
後醍醐→曹操
護良親王→曹彰
新田義貞→袁紹
かぶってるのは、せいぜいこれくらい >>228
ラストサムライの最後の騎馬突撃シーンでも豪快な落馬を真田本人が演じてたね 次回は正成の最後と伝説の一騎打ちか
正成のワープを華麗にスルーすればネ申回である
これにて建武の新政は終わり第二部は終了
南北朝時代になる 太平記でやや残念に思うのは、実際に後醍醐が坊門たち公家衆との政のシーンが殆どないところ
これでは新政が失敗したから武家や庶民の不満が高まって尊氏が挙兵したという背景が描き切れていないと感じる 庶民の不満云々については、石の回で出してるからな
あれだけ武士になって土地持ちになることを夢見て頑張った石があの結末やし そういえばすでに一座に石がいないな
楠木家のみなさんも石についてはすっかりさっぱり忘れている。 石は頑固だからな。
「石頭」の語源もここから来ている。 それでいて慎重でもあって
「石、橋を叩いて渡る」の語源もここから来ています。 そのうち藤夜叉絡みで「いしの上にも三年」も出てくるな。
興味のない男に、連れ子を育ててもらうために寄りかかるのも三年が限度。 >>224 >>225
もしこのキャストになっていたら、翌年のKING OF ZIPANGUの主役は高嶋政伸に? ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう >>214
柳葉敏郎とか岡村隆史とか
途中で消えちゃうことがありますよねえ
萩原健一も、実はクスリ… 太平記見てからだと麒麟のセットでも安っぽさがまだましだ
太平記放映当時のテレビだと安っぽくみえなかったのかな あの頃
NHKはビデオ収録で、民放時代劇はフィルム撮影だったかな?
映り(奥行きの感じ方?)か画面の明るさの問題か
NHKは、画面からセット臭さがただようなあと思ってた 足利直義の戦績
● 女影原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 小手指原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 武蔵府中の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 井出の沢の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 鶴見の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 手越河原の戦い(名越式部大輔)
● 矢矧の戦い(新田義貞)
● 鷺坂の戦い(新田義貞)
● 手越河原の戦い(新田義貞)
△ 箱根竹之下の戦い(新田義貞 ※直義敗北寸前も尊氏勝利で回避)
△ 豊島河原の戦い(北畠顕家)
△ 豊島河原の戦い(脇屋義助)
● 豊島河原の戦い(楠木正成 ※正成は別動隊)
● 打出の戦い(新田義貞)
◯ 多々良浜の戦い(菊池武敏)←初勝利!
◯ 福山城の戦い(大井田氏経)←初連勝!
● 湊川の戦い(楠木正季)
△ 湊川(生田の森)の戦い(脇屋義助) 御舎弟殿ついに覚醒か!?全面カットの多々良浜にて菊池武敏相手に念願の初勝利
死の西国ロードで2勝1敗1分けの好成績
なお、楠木正季との「弟対決」に勝利したのは本ドラマのフィクションです >>190
使い回しと言えば合戦はopと同時撮影のシーンが多いけど、ショーケンで撮った分は没になったってことだろうか?
根津さんで撮り直した部分があるはずだよね
導誉の寝返りのシーンは後撮りっぽいから、その時に根津さんの合戦シーンを撮ったのかな 今回義貞散々だな。自分のいない御前会議で正成に器量なしと断言され、
尊氏軍の軍議において尊氏は難敵は楠木軍と言い、3万の新田軍には興味なし。
戦場では尊氏軍に翻弄されて、それを見た正成から愚かなり!と憤激される。
モブキャラになっちゃったね。 武田鉄矢良かったよ
一世一代の名芝居じゃないか。
金八以外でもいけると外部に知らせた上でとてもいいアピールになったのは
これじゃないのか。 >>251
スタジオの中のセットだからだろう
空がスクリーンぽい場面、太平記でもよくある
時代劇の方は太秦など、屋外のセットが作らなくてもあるもんね >>246
緒形直人は翔ぶが如くで主人公の弟役やってたから
これが決まってれば秀長も緒形だったかも >>255
『梅松論』だと、その御前会議で、正成は義貞を無能呼ばわりするどころか、義貞を討って、
その首を手土産に尊氏と和睦するように後醍醐帝に提案しているから、もっと散々な扱い。 「幸福の黄色いハンカチ」も「刑事物語」も評価されてただろ。 >>261
早口なしゃべりがいかにも秀吉だった
今年の秀吉はあれを見習って欲しい 特撮戦隊物みたいな独眼竜政宗、古風な時代劇してる大塔宮周辺見ると
太平記・キンジパ等のトレンディー大河から現代的なお芝居するようになったんかなと >>250
今はカメラも高性能だから、セットの技術が上がっても相対的に嘘っぽさはなくならないと思うんだが
むしろ、紀行番組みたいな画質なのにセットの背景や俳優の顔が繊細に写り過ぎて、ドラマの感じがしなく、自分は太平記より麒麟の画面の方が違和感がある なんというか、時代劇と高画質は親和性低い気がするな いまBS-TBSで再放送やってる里見浩太朗の水戸黄門
フィルムではなくビデオ撮影
画面が安っぽい 尊氏が上陸した「和田岬」を検索すると いまでも岬のままなんだね 神戸市の海岸だから埋め立てられている可能性もあったのに >>255
いろいろよく分からない場面ではあるけど。
正成自身が建武になって軍事的な功績もないし、そもそも義貞とまともに接触した場面がない。
尊氏は義貞の軍事能力は評価していたはずだし、そもそも「新田殿と戦いとうないと数話前にいったばかり」
実際にもフィクションだが、このドラマの義貞の性格で錦の御旗の誤導に引っかかるとは考えにくい。
だいたい船団の数でどっちの兵が多いか分かるw
尊氏が義貞の能力を見切ったならそれ相応の場面が必要だが、もっとも直近の兵庫は義貞の方が勝っているし、正成は遅刻連発だったし。 >>225
そうなの?顕家だったとかでなくて
でも尊氏が真田で直義が緒方って見た目的に迫力不足にならない? 悪い言い方をすれば、正成は後醍醐からの厚遇を受けて護良を見捨てた。
後醍醐が隠岐に流されてた頃、一緒に護良や正成と共に戦っていた畿内の武士から
の支持を、湊川の頃の正成は失っていたんじゃなかろうか。 京都は本当に防御に向かない土地だよね
この後も何度も奪ったり奪われたりが続く >>276
それは鎮定に失敗して斯波高経と交替させられたはず >>275
その後の歴史的に中で戦った方がマシ!
になるんだよなあ
そんな所に都を作るなってw 江戸も防御に向かない土地なのでは。
海からも攻めることができるしな。 >>269
今はどうか知らないけど
一時期、時代劇撮影でビデオ収録だと
高画質になってセットがまるわかりだから
わざと画質をおとしてフィルム感だしてる
ってきいたな
ビデオ収録で屋内セット撮影だと
画面が明るすぎて舞台劇っぽくみえて
(カツラつけてる感、セットが張りぼて感まるだしなど)
民放時代劇見なくなったなあ BSの放送で
足利の船団内で、尊氏は疲れたように寝てたけど
あれって何か意味(元ネタ)あるのかな? >>281
鎌倉は防御に向いてそうだったけど、直義はすぐ逃げちゃったね。 鬼滅のように上に立つ強いものが弱いものを守るために戦う
と言う作品が大ヒットしてるの見ると
上の人を守るために戦うという楠木忠義モノはもうダメかもしれないね 尊氏は少人数で行動するなよ上陸する時に。下手すりゃ義貞みたいな最後になってたぞw >>286
そこ俺も気になった。船酔いしてるのかとオモタ。 >>290
同じく
それまで武田正成が熱演で出突っ張りっでだったので、尊氏気が緩んでるぞと思った笑 「しばらく!」 は使ってみたい言葉だね ちょっと待ってという意味か >>286
九州に落ち延びて大軍率いて戻って来たから疲れたわーという描写では?
でも、尊氏は帝大好きだから
「あー帝に逆らいたくない〜でも戦うからには手を抜かねーよ」
という本音と建て前の分離している心情を表してるともいえるw >>287
御舎弟殿は相手に勝ち星を与える才能の持ち主で
鎌倉はかつて突破された弱点ありの要塞なのでという組み合わせ 白幡城での義貞vs円心バトルから船で西上シーン辺りまでのBGM
めっちゃテンションあがるな。
真田もかっこええし 101回目のプロポーズと楠木正成が同じ年って凄いな
武田鉄矢の役者人生におけるキャリアハイだな >>292
「アイヤしばらく」という用法で使いたい 御舎弟殿から軍勢催促状が届きました
参加しますか
→ むり
いやだ
足利の殿から軍勢催促状が届きました
参加しますか
→ いますぐ
かならず
戦績と恩賞の実績でこれぐらいの差は有りそう >>271
平氏政権が作った大輪田泊もあの辺りだろ
というか岬があるからこそ神戸(兵庫)が良港になり得るのに埋め立ててどうするんだ? >>286
重たい大鎧を着て不安定な船のなかで立っているのが大変なだけでは? >>298
コントローラーは道誉が代表して動かしそうだ >>202
太平記は平成に入ってからだが、
真田太平記は昭和のドラマやでw >>225
緒形直人は前年の「翔ぶが如く」で西郷従道やってるから、
2年連続になってしまうよ。主要キャスト連続出演は避ける不文律は
この頃は定着してたと思ったけど・・・ >>277
「乱序」も同義語みたいね。字幕で「乱声」で出たのなら、そっちでいいけどw >>287
鎌倉は多勢に無勢のときに籠城すると退路を絶たれて滅ぶしかなくなる
だからこそ鎌倉を舞台にした籠城戦は歴史上一回しかなかったわけで >>303
あの頃の大河での勝野洋の無双の大活躍とか知らないの?
独眼竜政宗(87年)→武田信玄(88年)
太平記(91年)→信長(92年)
ちなみに
翔ぶが如く(90年)→太平記(91年)
の連続出演なら西岡徳馬が有名だな 勝野さんはアクの強くないイメージだから
連投してもOKって感じだろうか >>302
昭和天皇は大河ドラマをご覧になっていたため
天皇を扱う作品はやりづらかった
平成になってようやく
後醍醐天皇を扱えるようになった
いまの天皇は北朝の子孫なので
南朝のほうが正統であるとは描きづらい >>269
とても良くわかる
ざらつき感が時代劇には欲しい >>309
天皇の正統性の問題よりも戦前に大逆賊とされた足利尊氏を主人公にすることが問題だった
南朝が当時正統だったとしても後に一統されて北朝も正統になったという解釈 正成ま帝を動座させようという進言は「お前はもう落選したんだよ さっさと逃げろ」という意味だと解釈している >>312
そんな政治的な意図は無いと思うよ
それしか勝つ方法が無いという純粋に軍事的な意見だと思う >>314
的外れとは思わんな
基本的に正成を信用してる後醍醐が「何ぬかす!」みたいな反応したのは
そこんとこでしょ >>309
実際、明治維新まではずっと北朝が正統って扱いだったらしいしね >>313
金沢殿、太守が逃げぬと仰せられておるのじゃ >>316
正成の軍事的な意見を後醍醐や公家は政治的にしか受け取れなかったということでしょう
そこが武家と公家が相容れない部分でもあるんだろうけど
親房卿ならもっと上手いこと言いくるめそうだけど正成にそんな腹芸は無理でしょ >>319
いや、政治と軍事はそこまで完全には切り離して考えられない。
正成自身が動座のことを言う前に言ってるわけですよ。
「前は味方した河内摂津の土豪が今回は味方しない」「時勢の後押しが無い」と。
こりゃ世論調査で不支持が多いようなもんで、後醍醐自身「ちんの不徳」つって認めた
だが政権を手放す決定打となる京都脱出は拒んだ、とこういうことではないか >>321
それは自分も思った。
どうせ歴史学やるなら、南北朝時代とか昭和史など、いろいろと訳ありな時代を専攻すればよかったのに。
あるいは考古学者になって、陛下自ら天皇陵の発掘調査に乗り出すとかw >>321
今上の母上たる上皇后陛下は新田一族のご出身
義貞の騎馬像が皇居前に建ったかも知れない >>274
正成は河内の民の支持を得て千早城で勝った。
だが、自身が栄達するにつれ新政に不満を持つ河内の民との間に徐々に距離が開いた
湊川に出陣するころにはその支持を完全に失い、わずかな兵で死を覚悟の戦いを余儀なくされた。
そして正成は死に、彼がもっとも愛した河内の民の懐へと還って行った。
と、佐藤和彦先生がその時歴史は動いたで、若干カミながら語っていた。 でも正成が主張した作戦は理想論すぎるよねw 机上の作戦というか
公家が反対したのわかるよ
絶対切り崩しに合うわ フルコーラスをバックに九州から攻め上る序盤のシーンは全話の中でも屈指のかっこ良さだな
三枝成彰が良い仕事をした
>>325
それにしても正面決戦は無策すぎる
ゲリラ戦術を生かせる戦いをさせてやらないと死にに行かせるようなものだ 来週は金八先生の首実検、放送かな。
飫冨兵部のときを真似てたような感じだが。 正成には大兵を動かす能力はない。
新田には及ばない。 後醍醐も後で正成の献策を実行したけどね
光厳院を足利側に確保したのはさすがの尊氏
置いてきぼりにしたアイツとは違うねw >>215
その一騎打ちシーンで終わって、次の週が一騎打ちのことなど何事もなかったかのようにしれっと話が続いたのが何だかなあという しかしたった数ヶ月でここまで状況が目まぐるしく変わるなんて恐ろしいな
自分は足利を九州に追い落としたことに浮かれて都で宴会やってる側の人間だ
ナポレオンが言うように場所は取り戻せても時間は取り戻せないんだな しかし、同じ回で
足利が攻め上ってくる!しかも西からも攻めてきて挟み撃ちだ!
足利、北畠に後ろから攻められて大敗!
さらに追われて大敗!九州に落ち延びた、わずか数十騎で!
足利復活、大船団を率いて攻め上ってきた!
をやるのはナンボなんでも酷すぎるw 楠木は判官殿みたいに裏切るって選択肢は無かったのかな。
それにしても京に招き入れて兵糧攻めって…住民を盾にした酷い戦術だな。 補給の概念なんて無い現地調達が基本の時代の軍人だからね >>334
そうなのよ、楠木も武士だからね
そんな事をしたらどうなるかは、ドラマ中でも千早城戦で描いてるわけ
アレが何百、何千倍の規模で起こると
だから、後醍醐はドン引きしたってシーンでもあるのよ 必勝法を尋ねられたからそう答えたまでで、要はそこまで追い詰められる前に打つ手はあっただろう、と言いたかったんだろうね。 同じころ お隣の明では洪武帝が中国史上最大の恐怖政治をおこなっていたが それでも国民の支持は高かったと思う 皇帝の独裁がちゃんと国民の利益となってかえってきたからだ
後醍醐天皇は同じ独裁でも洪武帝ほどのビジョンがなかったように思う 後醍醐の建武の新政が民のためというより、取り巻きの公家や寺社の自分に尻尾振ってきた武士にだけ手厚くて、それ以外は阻害したからな
だからこそ河内摂津に根付いてて強固な地盤のあった楠木ですら、尊氏が関東から京に攻め上るときには五千位上の武士を集めれたのに、その後たいした合戦もしてなかったはずだが、湊川のときには数百騎で戦う結末まで追い込まれた >>252
なぜだろう?ご舎弟殿の戦績をみるとドキドキするというか何というか
俺はもしかしたらご舎弟殿のことが好きなのかも知れない >>338
洪武帝は後醍醐に置き換えたら楠木新田北畠名和千種結城坊門四条の粛清マンやで
重臣で生き残ったのは引退した湯和・早くに病死した常遇春・なぜか生き残った耿炳文ぐらい >>341
粛清やりすぎて
孫の建文帝
息子の永楽帝にやられちゃうし >>325
後に尊氏がvs直冬で似たような作戦やって成功したような >>338
洪武帝は官吏や知識人や商人を弾圧し、農民を重視する政策だっけ。「一身において聖賢、豪傑、盗賊を兼ねた才物」か >>322
今上の大学の後輩だがあの大学は考古学専攻ない
あと古代オリエント史の三笠宮さまもだが
皇族は訳アリの時代や地域は避ける暗黙の了解があったはず 洪武帝といえば懐良親王が日本国王に封じられたんだっけ 後醍醐天皇が政権をとったときに最初にやるべきことは『功臣の粛正』だったな >>331
それはね
一騎討ちシーンは追撮影だったから繋がりがおかしくなったのじゃよ 考えてみれば尊氏軍に瀬戸内海の制海権を握られている以上、後醍醐軍は圧倒的に不利だよね
山陽道を進めば必ず挟み撃ちにあう危険があるわけで >>351
もうこうなってる時点でどうしようもない感じだね 北条だって粛清独裁でも明君として神格化されてるよ
後で新井白石がなんでみんな明君て言うのだ!
てキレてたがw >>348
それは公家がみな生き残るという結末になるだろw 京を開けてゲリラ戦は大村も後に言ってるな
軍事的には京は守れんのだろう
攻め口が多いからね
蛤門でも京には浸入できた。
しかし鳥羽伏見のように攻め口一つという負け戦があるw >>348
やりすぎると公家が離反して影が薄い北朝の天皇を担ぐ時期が早くなるよ
後醍醐天皇は打倒北條氏で団結していた烏合の衆が担ぐ神輿に乗っていた感がある >>355
鳥羽伏見は目的がはっきりしなければ負ける例だな
圧力をかけるためなのか戦闘して相手を倒すのかはっきりしないまま行軍してた
尊氏を迎えうった新田と楠木の間にも微妙に意図のズレがあった感じだな 一騎討ち一騎討ちって文字を見ると清盛の清盛VS義朝を思い出してしょっぱい気分になる(´・ω・`) 真田丸の採石場みたいな場所で信繁と家康が2人きりになったのを思い出して悲しい気分になる >>338
エネルギー=食うには困らん内はええんだよ。エネルギー供給ラインを超えて虐殺・新政と言うのを何度も繰り返すのがその地域の特徴。 ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう >>351
私本のように岩松水軍が本当にいればねw反則級の無敵具合だし 尊氏が船で帰ってくるときに源氏の白旗をイメージしたマフラー巻いてて欲しかったな キンジパで今川義元倒したらザコ敵もみんな消えたのはゲームみたいで面白かった 正成、今の儀、朕は聞かざりしこととするぞ
これが結局、正成を死に追いやったんだな >>366
あの瞬間正成は絶望と共に死を覚悟したな しかし、後醍醐天皇は結果的に楠木正成を死地に追いやることを覚悟してあのような決断を下したのかなあ
だとしたら、名君ではないな
楠木正成がいだからこそ北条を倒せて建武の新政ができてたのにな ぶっちゃけ、正成の策を使っても多分ダメなのよ
一旦、引けば済む話だから
京都は攻めやすいかわりに逃げやすい
だから、応仁の乱とか延々続いたらわけで
でも引いたらいくらでも立て直し可能
公家一統が根本的に失敗してる以上、どうにもならん 神戸生まれで なんこうさんに 七五三にも行って 福原に行く時も湊川公園の銅像見ても太平記観るまで知らなかった俺
http://www.minatogawajinja.or.jp/history/ >>369
主君が暗君だからこそ家臣の忠義が際立つ
劉禅と孔明、浅野内匠頭と大石内蔵助、そして後醍醐と楠木正成もしかり
古典太平記でも後醍醐には暗に否定的な記述が多い 片岡孝夫の天皇見ちゃうと坂東玉三郎なんて弛んだ醜いおっさんだよな でもドラマだと後醍醐そんなに悪く書かれてないよな
尊氏と決裂したのも全部直義のせいだし >>374
美しい美しい言いすぎてあれだと本人も気の毒だな… ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう >>375
後醍醐天皇は
実際は、もっと生臭い方だったと思うけど
大河ドラマでは
そこまでは描けないんじゃない? あんな死に方した人間の銅像をドカーンと皇居前に置いちゃったら、
そりゃあこの前の戦争の時も特攻隊から逃げられなかっただろうに。
罪は重いな。 >>374
当時40代の仁左衛門と
今年古希の玉三郎を比較するのは気の毒
それに麒麟の正親町帝って
おおかた医者と囲碁打ってるだけだし >>383
靖国の大村益次郎みて
奇兵隊での鶴太郎を思い出す >>308
いずれも主要キャラじゃん
オープニングの配役紹介もピンだし
>>314
楠木正成は源義経や真田幸村なんかと同じタイプだからな
個々の戦闘での戦術立案能力はあっても大きな組織を動かすのは不得手
>>321
>>322
今上陛下は南北朝の政治史が専門というわけではないけど
指導教官は中世史の人で中世史ゼミにいたわけだから
南北朝に関しても普通に造詣は深いと思うけどね >>338
後醍醐が崩じた段階でも洪武帝はまだ世に出ていないわけだが
>>355
その京都を物流面で締め上げる作戦を後に室町幕府は徳政一揆に何度もやられるわけだなw
>>370
「公家方は帝の独り歩きに辟易している」という右馬介の発言があったけど
公家のほとんども後醍醐のやり方では無理と思っている現実があるからな
公家一統にしたくても手足となる公家たちに後醍醐のために動く気が最早ないわけでw >>372
親房の『神皇正統記』ですら建武政権は全く評価してないからな
>>382
こはいかに!
帝とは、もそっと美しいものと思うておったのに・・・。 北畠親房は建武の新政で処罰された護良親王派であったことを前提で語らないといけないけどな
ドラマでも京にいた尊氏らを東北の地から攻めのぼって打ち負かしたあとの内裏での祝勝会で三位の局やその取り巻きに毒づいてたし 親房は『神皇正統記』で正成の死について触れてさえいない、実は 尊氏の鎌倉奪回、都へ進撃、北畠の奥州からの追撃、尊氏九州落ちして多々良での大逆転からの湊川の戦い、入京
尊氏の激動の人生の中でもダイナミックすぎる展開だな
フィクションだったら嘘臭く感じるような話 >>370
兵糧攻めにしても、近江に佐々木一族居るからなんとでもなるし。 >>389
建武政権期の北畠が中央政界から排除されていたのは事実だが
それを差し引いても朝廷・公家社会が先例や家格秩序に基づいて運営されるのを理想とする
北畠の思考から見て建武政権は全く誉められたものじゃないでしょう
まあこれは北畠に限らず公家の大勢がそういう認識だと思うけどさ
北畠にとって建武政権は評価できる政権 >>392
判官殿は尊氏と一緒に九州には行ってないんでしょうか? >>391
それらに加えて多々良浜の突風大逆転とかもう異世界転生物のラノベ軍記だよな ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう しばらく、しばらくは45回「政変」で佐々木判官が言っていたな 播磨=赤松
近江=婆娑羅道誉こと佐々木京極
やからな
このニ氏が足利一門でもなく、その系列ですらないのに四職になったのには尊氏への忠誠心と足利将軍家への功績が他家の追随を許さないくらいのものやったとも言える 大御所は近江へ、若殿は播磨へ、まるで都を挟み撃ちにするかのような別れようじゃ・・・。 桃井は尊氏に肉親でも殺されたのかってくらいの尊氏アンチだな
あんなうっとーしい奴は将軍の権限で殺したらいいのに オンタイムで観た時、桃井の中の人にまで嫌な人だなって子供心に思ってたけど、大人になって作品を見ると本当に良い役者さんだったんだなあ。 >>409
偉そうだけどあくまで足利の臣下、直義派だとしても尊氏蔑ろにするような言動は問題でしょ?いかに義詮が脆弱だとしても。 >>412
桃井は一門衆だから尊氏より直義を本宗家惣領にしたかったんだろう しかしいくら実力があろうとも直冬では足利一門は絶対にまとまらないだろう
応仁の乱後も義尚ではそれなりにまとまったけど義材では駄目だったんだから 義材と聞くと大沢たかおなのに、義植となると田口トモロヲの流れ公方感が浮かんできた 朝は室町幕府の草創を見て夜は幕府の終焉を見ることになるとはな >>409
でも桃井は実務能力という点ではそれなりに優秀だったと思うよ
あの直義がただの筋肉バカを重用するとは思えないわけで
>>414
直冬の場合と義材の場合は少々状況は異なるけどね
義材の場合は応仁の乱で結果的にみんなで義視を捨てた後ろめたさが幕臣たちにあって
それが義材を主君に仰ぐことへの気まずさに繋がっているような雰囲気かな
>>422
その小松方正氏なら既にかなり前に鬼籍に入られていたような・・・? 大御所義政が義尚の後継として義澄のほうを推していたことも影響しているな
まあそれも義視・義材父子を今さら幕府に受け入れることへの気まずさから来る部分はあるだろうけど 乱声ォ〜!もいいけどその少し前のかかれ〜い!もめっちゃかっこいい >>426
逆に言えば、「日本の文化」のかなりの部分の創生に関わってる
物凄い人物なんだけどな 北宋の道君皇帝徽宗と似てるよなあ
そういや義政も徽宗も8代目か
妙な偶然があったものだ 義政徽宗ワーグナー大好きルートヴィヒ2世
領民に生まれたくない風流な君主 最初は親政の意欲があったって聞くけどね。
政権も8代目まで来るとなかなか難しいのかな。
9代執権の貞時もやる気なくなったみたいだし。 >>430
親父がああいう死に方したからってのもあるかなと
初代は人生で軽く4、5回は死んでもおかしくないのに死なずに天下人になったが
こいつは4、5回は死にそうな目にあってもおかしくないのに全くそういう目にあわずに天下人であり続けた
初代とは別種の怪物だとは思う
引き換えに将軍家の権威とか色んなもんを放り出してるが 多々良浜を最大の見せ場とした九州編
薩?山の戦い以後、直義毒殺をはさんで、京は義詮に任せて鎌倉で奮闘
義詮のピンチに関東での新たな仲間たちと満を持して鎌倉から上洛するまでの2年間
みたいなスピンオフも見てみたかった 義詮と直冬、もっと他に役者居なかったのって感じる位。義詮の片岡息子は親父出演してるからバーターだろうけどね? 直冬に関しては子役の頃から一貫して感情移入しにくい役者を使ってると思う
あれが可愛い子役で元服後も棒役者じゃなかったら尊氏が悪人にしか見えなくなってしまう >>436
義詮いいわあ
闘鶏にうつつを抜かして
政務も超テキトーなところ
親の苦労が全く報われず
いつまでも悩みは続き
歴史は繰り返すだろうという諦念感 二代目は親兄弟と比べられてコンプレックスを持ちやすそう >>438
闘鶏は高時の再来ってことで意味深だよな 2代目は内政がなかなか巧みで後世で評価される説
3代目は武断政治やりたい説 >>443
でも伝記本は出ているよ
吉川弘文館 人物叢書「足利義持」
ミネルヴァ書房「足利義持」
>>438
最終回では戦でもかなり頑張ってて、武将たちから「若殿も中々やるようになった」みたいな評価になったのを覚えてる >>446
力不足でも否応なく戦わされている内に
だんだんレベルアップしたってことかな 尊氏と赤橋の血筋やから、やる気になればそれなりの結果を出したのが義詮やろな
若殿ということで周囲がちやほやしすぎてスポイル仕掛けたが、南北朝の動乱が続いていたのでそんなゆとりもなくなって戦場で戦って生き残るために必死に戦えば周りも認めたということやろ 2代目って新政権打ち立てた先代の功臣の影響が強くてやりにくいよな
漢の二代皇帝恵帝と曹参の様に先代に実績で勝てないから先代のやり方をそのまま続ければいいと開き直れるのは珍しいし 義持は肖像画のもみあげが印象的で、ドラマにしたらキャラ立ちやすそう
大河のもみあげキャラだと、青木崇高の後藤象二郎を思い出してしまうが(´・ω・`) 歴代優秀な北条にはコンプレックスという概念は存在しないのか
と思ったが高時がコンプの塊だった 尊氏が一門から舐められるのはやっぱ庶子だったのがあるのかね >>453
2代目の方が初代超えは
兵隊王とフリードリヒ大王
フィリッポス2世とアレクサンドロス大王とか
北条時政と義時は三谷大河だとどう描くか知らんが >>455
時政と義時は、草燃えるの時政失脚シーンが良かったなあ
何という薄気味悪い男になったものよ、其方ほどの悪党はおらんぞ
って、陰謀で義時に自分がしてやられた時の嬉しそうな時政 >>454
嫡子ならアタックチャンスも死なんですんだかね >>455
兵隊王やフィリッポス2世は別に2代目じゃないような?
世界史でその例出すなら唐の高祖と太宗あたりかと思ったら、
あれは実質的には2代目が創業してたか 時政と義時はいまの風潮だと鎌倉入り当初から北条と江間で独立してた
てやるんじゃないかな >>430
8代目までいくと
先例を守ることが最善の政策で、新しい事をしにくい
体制か固まっているから変えることは悪いこと
王とか皇帝とかより、実務をになう大臣のほうが権威権力もってる
で挫折しちゃうんじゃない? >>430
フィリップ2世(カペー朝)
宣帝(前漢)
弘治帝(明)
スレイマン1世(オスマン帝国)
俺たち7・9.・10代目だけど頑張ったで! >>463
スレイマンより
先代セリム1世もおかしいレベルだからな
オスマン ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう >>457
大谷直子が原因だったな
大谷直子は「日本の首領 完結篇」で桃井刑部の愛人役 昨年からだっけ?大河の再放送が日曜日の早朝に移動したの
また日曜日の昼に戻して貰いたいよ
葵もそうだけど、こんな名作を早朝に放送するなんて自社コンテンツの扱いがなってないよ
大河の再放送と新日本紀行で結構視聴率取れるだろ いま早朝ってお年寄り向けの時代劇とか放送するには適切な時間帯なんじゃないか。 >>467
BSの、しかもNHKで視聴率なんて大して問われん
レコーダーもハードディスクも買えないのかよ 96代目で先例をぶち壊すのが好きな御方もおられましたし・・・ 日本海側だから、天気が悪い。
明朝の電波状況が心配だ。 34〜36話は最高だった(一人断髪式〜湊川の戦い) あそこまでチャンチャンバラバラしておいて
決着はつかなかったって
どうやって収拾つけたんかいな?
どっちかが
「今日はこのへんにしておいてやるわ」
って言い出さないかぎり。。。 まじレスすると馬の方の体力が限界やったとも言える
三国志なんかでも馬をどんどん変えて一騎打ちとかしてたらしいし >>476
ちゃうわ
吉本新喜劇の池乃めだか師匠の名言や >>479
有名なのはそこらあたりやろね
当時の日本の小型馬で何時間も重装備の騎馬武者を乗せたままの騎馬戦なんて、馬が過労死するやろ
実際に騎馬戦しても最初の数十分程度であとは馬から降りての斬り合いや取っ組み合いになると思うが >>480
師直「はいカット!OKです」
義助「お疲れ〜」
尊氏「お疲れです。飯行くでしょう?」
義貞「叡山帰っても嫌味言われるだけだしな」
尊氏「だからこっち来たらって前からいってるじゃないですか」
義貞「今更もうしょうがねーだろ」
こんな感じじゃないか? 真面目な話、この一騎討ちは新田町にロケに来た根津さんが郷土史家の書いた本から、
古典の一騎討ち(未遂)の話を見つける。
代役で自分なりの役作りに迷っていた時期なので、このエピで義貞像を掴む
撮影が進んだ後でスタッフに「本当にやったらどうか」と提案したところ、
「是非やりましょう」で実現した。
なお、足利市につくられたオープンセットを大々的に使った撮影はこれでラスト。 坊門達がワサワサしてると
衣装からしてゴキブリみたいな慌てふためきかただなw
ほんに公家はゴキブリみたいなしぶとさ 湊川の戦いに尊氏を九州へと追い落とした北畠顕家がいなかったのは >>484
中村繁之だね
あっという間に死んじゃうけど
政宗にも出演してたけど佐野量子と恋仲だったね
相手役はいまや玉の輿・・・ このドラマの中では義貞は一騎打ちを申し込みそうだし尊氏はそれを受けて立ちそうなリアリティはある
名和長年は坊門達と叡山に引きこもらずにちゃんと戦をやってたんだなw >>488
尊氏が西国に落ちるまでに追撃軍から離れて先に京都に戻った
3月に新田軍が西国に向かったのと同じ日に奥州へ出発。鎌倉を足利方に奪い返されていたので苦戦しながら奥州へ
一騎討ち(6月30日)あたりに多賀城についたんじゃないかな >>490
名和長年
最期がギャグという記憶あったが
思いのほかカッコよい死に方だったな 馬上の一騎打ちは太刀より槍の方が見栄えいいし、迫力ある。ただ演者に技量ないと相当苦労しそう。基本すたんとぎ演ずるにしても真田はOKでも根津には無理でしょうが。 >>495
根津さんこのときアバラ折れてるそうだぞ
それと槍の日本初使用記録が箱根・竹之下だから半年後に両軍総大将が使うのには無理が・・・・ >>490 >>493
劇中では公家の仲間みたいな描写されてたけど
実際の長年の立場って正成と同じような感じ? 九州に堕ちた時に、新田はなぜ登子と千寿王をなぜ捕らえて殺さなかったのか >>498
三河の山中に隠れ潜んでいたのだが捕らえられて義貞の前に引き出されたが、
義貞「足利の御台殿と千寿王殿を解き放て」
義助「兄者!」
登子「新田殿・・・」
義貞「のう千寿王殿。前に申した通りこの義貞とそなたの父上は真は仲の良い友。
そこもとを質に取るのは坂東武者の行いではない。いずれ正々堂々、戦場でまみえようぞ」
そう言って義貞はいつかのようにお菓子を千寿王に差し出して笑った。
こういう場面が挿入されていても良かった。 九州に堕ちたときに、中国地方や四国地方の大名は何をしとったんや。
途中で追撃とかせーへんかったのか? 良い大河には必ず、今の日本人の心を打つ良い説教がある
先週の太平記では
河内のこの辺は烏が多くて種を蒔いてもすぐ食べられてしまうと皆がこぼしております
正成
この大根の種も今朝方随分食われてしもうた
蒔いても蒔いても掘り返される
困った奴らじゃ
正行も手伝え
正行
烏に食べられるのに撒くだけ損に御座います
正成
烏に食われても十に一つは残るやも知れん
残った一つが花を咲かせ種を作る
種さえあればまた次の年、撒くことができる
烏に食われた種も決して無駄にはならん
烏の糞に混じってどこぞの山の中に落ち、人知れず大根の花を咲かせまた種を作るやも知れん
こは、生きとし生けるものの知恵じゃ
それ故、種は撒かねばならん
と、なるほどと思わせてくれて大変為になった
まさに金八な講釈なわけだが、心がほんのりし日本人であって良かったと先祖を思うことに繋がる
駒や摂津に時間掛けても何も得るものはない 今朝の放送の後、二度寝したらゴミ出しの準備をゴダイゴ片岡に監視されるという変な夢を見た 後醍醐
身体が優れぬようじゃが大事ないか
正成
さして病と申すほどの病では御座いません
世情騒がしさに心休まる間もなく、もうさば世情病みとも申しましょうか気の病に御座いますれば
後醍醐
気の病ならば朕も同じぞ
正成
此度の戦は勝ち目は御座いません
側近
戦う前から勝ち目がないとは、なんとした弱気か
正成
君の御前だからこそ歯に絹を着せた虚言は申せませぬ
戦うて見なければ勝ち負けが分からぬようでは兵法とは申せませぬ
後世の大本営幹部のバカどもに聞かせてやりたいものじゃ >>502
金八はソープに行くような生臭いおっさんだけど
声の良さ滑舌の良さで大河常連俳優のなかでも抜きん出て講釈上手だよね >>489
出陣前、親房に呼ばれて露骨に顕家と比較され、一発で討ち死に追い込まれた印象が強い。
ドラマでは省かれていたが、それまでの局地戦では連戦連勝だったのに、惜しいことだ。 正成
新田ごときでは足利軍を食い止めることは出来ませぬ
無論この正成の乏しき知略でも勝つことは出来ませぬ
後醍醐
朕の不徳の致すところじゃ
されど今はその論議をしている場でもあるまい
勝ち目なき戦をいかに勝つのかそれを聞かせよう
正成
足利軍は兵庫を通し、この京に誘い入れて戦えば或いは…
内裏は都の他へ移し、帝は叡山に移動願う
足利軍は大量の食糧が必要でござる
この都から一切の食糧を焼き払い、周囲の山を我が軍で固める
淀の水路を断ち、夜討ち朝駆け撹乱し大軍を眠らせませぬ
しからば足利軍は自ら瓦解致しましょう
まさにゲリラ戦の真骨頂
これならば足利に勝てたかものう 戦う前に勝ち負けが分からぬようではダメっすよ云々はGOTOコロナの今でも通用するな
楠木正成が称えられて銅像になったのも納得する良いセリフだよな
金八ヲタのねーちゃんがソープ好きの中の人にガッカリしていようとも でもなあ、古来から京都は守りにくい街とはいわれてはいるが
京都に軍を入れて、兵糧攻めにあって崩壊した軍そのものはないからなあ。
机上の空論のような。 正成
敵は足利尊氏ただ一人!
命を惜しむな、名こそ惜しめ
者ども続けーー!
名台詞よのう
天と地とでも謙信が言っていたが 出入口が多いだけ完全に補給を断つのも難しい
しかも播磨には赤松、近江には佐々木がいる >>514
兵庫で迎え撃つよりも僅かながら勝ち目はあろうて 三位内侍や坊門に
奇襲でもしかけて来いと言われた時の
義貞の虚無な表情がなんとも良かった。
こんな奴らのために命掛けで戦ってんのかオレは?
って感じが出てた。 >>496
そうなのか、そりゃ真田広之と同じ事やれって言っても無理だわな
ある時、殺陣師とスタントマンがあるアクションをどうしても出来なくて
ああでもないこうでもないやってる所を
たまたまだ通りかかった真田が横から声をかけて
それなら、こうすれば出来るだろと簡単にやって見せたと言う、
俺がスタントやろか?ってw 木曾義仲が平家を駆逐して入京したら食べ物が無くて掠奪しまくってあっという間に人心が離れたことならあるな 真田の同僚だった同じJACの志穂美悦子が旦那と喧嘩して延髄切り一発で気絶させてるからな
旦那と口論した時も、あなた5階から飛び降りれる?私たちならできるわ
と豪語してるエピもある
JACのメンバーなんて今のエセマッスル達と比較にもならんよ >>523
相手より身体能力が優れてて腕っ節が強いからって、人間として相手より上等って訳じゃないと思うんだがなあ >>523
一発KOされた旦那は自分より弱い立場の女性などにすぐに暴力をふるったりするクズ男の長渕剛だから当然の報い。
それまで夫婦喧嘩で長渕の罵詈雑言や暴力にじっと耐えてきた志穂美悦子が
また長渕に殴られそうになったとき、ついに堪忍袋の緒が切れて、とっさに身をかわして放ったキックが
首筋にきまって長渕は一発で失神。JACの師匠の千葉に「夫を殺してしまったかもしれない」と
泣きながら電話したというのは有名なエピソード。 >>525
ちがう
志保美悦子はJAC時代に
新宿の小田急デパートの屋上から飛び降りるとか
むちゃくちゃな見せ物ショーをやらされている
もちろん、地面には大量のマットや布団を敷き詰めていたが
そういうのに嫌気がさしてJACを辞めて
欽ちゃんの番組でコメディアンみたいなことをやり始めた そういや
武田鉄矢の首実検
まさに武田鉄矢そのものだったけど
当時の美術スタッフの力作か
ちとビビった >>516
しかも史実もそんな感じなのが恐ろしい
当初は叡山の宮方が優勢だったのでこの状況でも新田、名和の頭ごなしに命令を下す。
当時攻撃の日も後醍醐周辺は6月26日、義貞たちは30日と意思の統一がない。
堀川光継など公家が勝手に動いたり、義貞の後に鞍馬寺に後醍醐の綸旨を出したりしたので、
結局、6月30日の攻撃は奇襲にならず。
足利軍はここで大打撃を受けたが、叡山側もこの日を境にジリ貧になって行く。 京都近郊で天皇方の軍に正々堂々と戦を挑んでも、何の不利益にもならないというか、
かえって味方の武士が増えるとか、凄い時代だな。
幕末の鳥羽伏見とか錦の旗が揚がっただけで、諸藩もろもろみな裏切ったのにw すでに北朝が誕生してたからな
他の武家や庶民にとっては自分の取り巻きや内裏の造営なんかに重税を課す後醍醐天皇よりも、比較的ファジーな政策しかしない北朝に靡いていくわな >>535
江戸幕府末期だと
朱子学、儒教の影響で武士層が知識人層化してるからな >>536
北朝って尊氏が京都に凱旋してからだと思ってた。
それまでは有名無実というか。 >>531
ちなみに電話された千葉は志穂美に
「でかした」
と激励したという 連投バカ、自分がうざがられてるのもわからないほどアレなの? >>537
慶喜も江戸に帰らず、大坂で新しい天皇を向かい入れればワンチャンあったのかな。 >>539
九州から尊氏が西上した時点で上皇の綸旨は貰ってるからな
光明天皇の即位はまだだったが、すでに綸旨をもらってる時点で北朝は実質始まってるわ >>26
二枚目の口ヒゲがまさにお前らっぽい感じでワロタ >>542
慶喜に尊氏ほどの人心掌握力がないのと、尊王攘夷運動の流れですでに足利尊氏の所業は朝敵的行為で武家にとっては不名誉なことと慶喜の実家の水戸学で結論出してるから、まずしないやろな 名和長年の見事な屍っぷり、小松さん最後に名芝居見せてくれたね 新田義貞を追討するよう院宣が下った
様々な文書にこの一文が書けるかどうかで運命が変わる時代の気持ちは現代人には理解できないよ >>507
なんかの映画で、フランスで女買ったら留学中の日本人のねーちゃんだった
ってシーンがあったな
ローマの休日のパクり.....じゃなくてオーマジュみたいなストーリだったけど >>467
放送してくれるのは嬉しいけど、やっぱり昼間がいいねぇ
>>518
なんでこれを選ぶのよw >>535
>幕末の鳥羽伏見とか錦の旗が揚がっただけで、諸藩もろもろみな裏切ったのにw
信じているのですか? 先週の放送見たけど
モロボシダンがどこに出ていたのか
分からなかった
モックンと入れ替わりで
後醍醐天皇のそばにいたのか
金八先生が京都御所をいったん捨てて
比叡山に避難しましょう〜って進言したときに
愚かな!バカな!ってけなしていたのが
モロボシダンなのか コロナで暇だから過去の大河ドラマ見る様になったけど
初回から凄いハマったわ
身内も敵も演技力ある役者ばかりだから見ていて面白い
リアルでは見てないけど当時は視聴率獲れてたのかな >>553
細川って名字だから、足利方の人物と分かりそうなもんだけど
どうして公家なんて思ったかなあ 三木一草、新田義貞、北畠顕家、楠木正行という主だった武将はみんな戦死して
南朝は風前の灯火だったのにな
息を吹き返させて混乱を長引かせた観応の擾乱は本当に罪深い
内輪揉めなら南朝を完全に滅ぼしてからやればよかったのに >>556
平均26.0%
次の年、超有名人信長に勝ってるから
善戦だけど 「これは”御動座”ではなく”行幸”。」
正成が切ない・・・。 良い大河には必ず、今の日本人の心を打つ良い説教がある
先週の太平記では
河内のこの辺は烏が多くて種を蒔いてもすぐ食べられてしまうと皆がこぼしております
正成
この大根の種も今朝方随分食われてしもうた
蒔いても蒔いても掘り返される
困った奴らじゃ
正行も手伝え
正行
烏に食べられるのに撒くだけ損に御座います
正成
烏に食われても十に一つは残るやも知れん
残った一つが花を咲かせ種を作る
種さえあればまた次の年、撒くことができる
烏に食われた種も決して無駄にはならん
烏の糞に混じってどこぞの山の中に落ち、人知れず大根の花を咲かせまた種を作るやも知れん
こは、生きとし生けるものの知恵じゃ
それ故、種は撒かねばならん
と、なるほどと思わせてくれて大変為になった
まさに金八な講釈なわけだが、心がほんのりし日本人であって良かったと先祖を思うことに繋がる
駒や摂津に時間掛けても何も得るものはない 観応の擾乱て正行除けばそいつら死んでから10年後ぐらいだろ
それまでに決着付けとけよ 凄い時代やね、この時代。支配していた鎌倉北条政権が倒れるだけで一つの大きな歴史なのに、それが序章にしか過ぎない。
新たに権力とった内部で次々と争いを始めていく…足利兄弟の内紛はなんとかできなかったのか… まあ人口は1,000万人程度やからね
武士は100万人にも満たない >>565
時代の変革期というのはそういうもの
モンゴルが世界規模で起こした経済バブルが落ち着くまでには
世界中で数百年を要してる
問題の根本が経済であり利権だから簡単にはいかんわな >>561
確か・・・鎌倉炎上くらいまでの視聴率は当時の大河歴代4位とか言われていたはずだ。
ラスト10話くらいで視聴率16パーセントくらいまで落として平均で26
当時はまだ50代以上は新田義貞、楠木正成、後醍醐天皇は知名度高い時代。
それらがごそっと消えた観応の擾乱で数字を取れというのも無理な話。
中先代の乱以降も1話のペースを押さえて、後醍醐天皇の死で最終回にしたら単に数字はもっと取ったかも知れない ちなみに根津さんは義貞の最期翌週に太田市、新田町を訪問して大歓迎されたが、
市長から「義貞に最終回まで出て欲しかったのに残念です」と言われて苦笑いしていた。 >>554
あ、船の上で神戸の上陸する地点を説明してた人か? 武田鉄矢が上皇陛下・今上陛下の朝敵みたいなことばっか言ってるの面白いと思う 姫路のワイは赤松やら加古川が出てきて嬉しかった
よもや、加古川みたいなマイナーな土地が大河に出てきてたとは >>573
福本豊
「加古川より向こうの人帰られへんね。」 >>563
何回同じこと書いてんだよ
うざいやつだな まだ数話残っているけれど、当方40代
、小学生で何故か新選組にハマり、中学当時は歴史は割と好きでそこそこ成績も良かったが(高校では遊んだので殆ど勉強していない、大学も受験していない…)、足利尊氏、後醍醐天皇、建武の新政、新田義貞、楠木正成といったキーワードは知っていたけど、鎌倉幕府滅亡から室町幕府成立の流れは殆ど知らなかったから、実に良い勉強になっている
明治維新と違って学校で詳しく教わらなかったのかな? ところでクレジットに三宝院賢俊って出てたけどどこに出てた?
二度見たけど分からなかった… >>530
これはテンプレにしてはどうかと朕は思うが、どうか? 当時の週刊テレビジョンに
正成の最期を撮影したみたいな記事が載ってた気がする
切り抜きして保存してたらよかったかな 尊氏から義昭まで男系男子で繋がってるって結構凄くね? 尊氏の奥歯のDNA解析して平島・喜連川(宮原)と照合しよう
細川護煕とも合致すれば清和源氏のY染色体確定 頼朝直系が滅んで困った歴史があるからみんな気をつけたんだろう
執権北条氏だって男系男子は守ったしな 今の足利は基氏系だけど養子がかなりはさまっているでしょ ひとまず決着するのさえ観応の擾乱から40年掛かるから大河の範囲でさえ前編に過ぎないんだよなあ
そして完全決着は応仁の乱辺りだしさ・・・ 室町幕府で全国治まってたのって50年くらいのイメージ 蝉がミンミン鳴いてたし
鉄也の首って完全に真っ黒に腐ってウンコの臭いさせてるよね
そんなもん開けなきゃいけないなんて息子も大変だな 頼朝んとこは女系で繋ごうとしたな
男児死産で母親も死んだからそこで絶えた
ちなみにその頃寺にはまだ頼朝の息子が生存してた
誰もかつがなかったがそいつが死んでほんとに直系死滅 みんな正装して生首の受け渡しをするシーンがなんか良かったな いたずらにさらし首にするのではなく ちゃんと箱にいれて礼節をもって引き渡す
死んだのはあくまでも業務上のこととして納得すると さすが、NHKの再放送。
正成の首、ノーカットで出したね。
ファミ劇は知らんが、時専はカットした映像です。
改めて、録り直した甲斐があったというもの。
「七生報国」を赤井正季だけに負わせたのは、これまたさすがだがw 何故か正季に語りかけるときだけ、口調が金八になる正成。 軍同士の戦いでは勝てないから一騎打ちをしかけるとは、義貞にしては上出来の策。
それを受ける尊氏は軽率もいいところだが、後醍醐と対立するのがイヤんなって投げやりになってると解釈したい。
それにしても蓮子などに義貞が挑発される場面はムカついた。
「兵糧攻めはお上の定めたもうた方針。文句があるならまずお上に奏上されよ!」ぐらいのタンカを切ってもいいぐらい。
ヘーコラして戦略を変えるようじゃ、やっぱ義貞ではダメだな 尊氏と判官殿の2人きりの場面は名シーンばかりだ
東寺で後醍醐を待つ場面が今回につながるんだね
直義にまかせて遁世したい気分だと聞いて「嫌じゃ、嫌じゃ」と駄々をこねる判官殿がかわいかったなw 義貞自身も、兵糧攻めには限界を感じていたのかもな
ゲリラ戦は苦手っぽいから、いくら兵糧攻めしていても播磨の赤松や近江佐々木京極から兵糧はいくらでも運ばれてくるやろうから効果はなさげやし 楠木にも新田にも北畠にも後醍醐にも師直と道誉がいないんだよね >>598
道誉のミスがあるとすれば、尊氏と藤夜叉を出合せて後年に繋がる火種を作った事。まぁ史実にもある事だから仕方ないけどね(T . T) >>597
劇中に尊氏軍が兵糧に困る描写が全くないので兵糧攻めが出来ているのかどうかさえわからない
近江を佐々木が抑えてるなら逆に叡山が兵糧攻めされそうな気もするが
吉野と同じで抜け道がいくらでもあって包囲は困難なのかな >>600
出来てないんだろう
湊川以前とは官軍の数が違う >>595
尊氏らしいなーと感じたわ
ああいうの普通のドラマだったら勇気や大胆さ・無鉄砲さの表現になるが
太平記の尊氏だと厭世観・情緒不安定からくる投げやり行動と解釈されちゃうw 楠木正成よ
>>18の話、朕は聞かなかったことにするぞよ >>593
ファミリー劇場でもカットだったよ>正成の生首
オレはDVD買って初めて見た >>597
セリフがよく聞きとれなかったが、義貞は山崎あたりで敵を防ごうとしたのか?
このドラマの宮方6万が健在だったら、その一戦に賭けた方がいいだろう。
平場の野戦になれば義貞に正気もある。
古典太平記のように、正成戦死後の生田の森で死力を尽くして戦ったあとなら無理だろうけど
ただこの段階でも宇都宮、菊池、仁科、千葉、小田、河野というあたりが義貞指揮下なのだから、
義貞もそれなりに統率力はあったのだろう。 >>598
船田入道が一瞬だけ登場してすぐに消えた
新田氏義がいたが稲村ケ崎以降、なぜだか姿をみないw
でも、結果的に義貞にとっては岩松を失ったのが一番大きい。
なんだかんだと言って、このドラマの岩松経家は義貞に忠実だったし。 >>597
山崎、宇治、山科、丹波と大きいのでこれだけあるからね
なかなか大軍でないと完全包囲はむずかしい
まして山科は佐々木、丹波は赤松と最有力な足利方が向こう側にいるしね 師直の言った通りあの時円心を冷遇したのは後醍醐にとっては痛かったな 一騎討ちの前に馬が鳴いたのSEかと思ったけど本当に鳴いてんのか
そういう訓練されてるのかな 赤松さんは田舎もんだから冷遇されたの?
でも名和さんも大差ないよな >>613
そうなると正成が大局が見えていなかったことになる。
古典でも淀川の河口を塞ぐことしか提案していない。これだって楠木の兵が平地で戦い、
防げたか?と言われれば、戦前から疑問符はついていた。
古典にある湊川前夜の義貞正成会談をドラマでやればどんな会話になっていたんだろう? てか、
足利の大将の本陣にまでやってきて、
尊氏に「おいこら!」が聞こえるくらいで、
矢がビョーンと刺さるくらいの近距離に
敵軍の大将がパカランパカランと数騎で近ずいていけるって、
どんな戦況なの?
そこにくるまでにいた足利の兵たちは何をしてたの?
新田を捕らえられるチャンスなのに。 >>619
応仁の乱の東軍と西軍の本陣跡は徒歩ですぐに行ける距離だったりする
こんな近くで何を延々と戦うのかと不思議に思うくらい
この時代の戦争はそんなものなのかもしれない 義貞が
パカランパカラン「ヤァヤァ我こそはー!」
のタイミングで
砦から弓矢を一斉掃射したら
ヤマアラシ状態にできたのに >>614
護良親王派の赤松たちを弱体化させようと、廉子があることないこと後醍醐帝に吹き込んだんだろう 楠木ファンは尊氏の孫が楠木系の一休さんにボコボコにされるからええやん 尊氏が甘ちゃんなこと言うと即座に諌めて
それでも可能な限り意に添うようにする
執事師直かっけーよ 楠木も護良派だったんでしょ
なら尊氏につけばよかったのにな >>626
護良親王は三位の局一派にやられたんだろ >>618
正成が大局を見えていたとしたら京からあれは後醍醐を出すための方便で結局は京にゲリラ戦を仕掛けるのは無理と考えていたのでは。
以前のように山に籠って負けないようにして後醍醐と尊氏との和議しか手がないと考えるってが妥当だと思いますが…
古典は無知なのでどうなんでしょう
正成は死ぬつもりなんでしょうから、新田殿後は頼むくらいしかやりようがないような… >>619
https://manareki.com/minatogawanotatakai
新田義貞?は京へ進軍し、東寺に陣を構えていた足利尊氏と衝突。東寺付近で両者の激しい戦いが繰り広げられます。
湊川での汚名を返上しようとし、鬨の声を上げて押し寄せる新田義貞軍に足利尊氏は敗走。東寺へ戻るとすぐに門を閉じ、間一髪のところで
新田義貞の侵入を防ぎました。
新田義貞
クソっ、間に合わなかった。何としてでも尊氏をここで討ち取りたい。ここは挑発して、尊氏を誘き出してやろう。
新田義貞は、東寺の門に向かって大きく叫びます。
皇統が2つに分かれ争っているが、これは私と尊氏の問題でもあるのだ。ただ自分の名誉のためだけにこれ以上多くの人々を巻き込むぐらいなら、
私は尊氏と一対一での決着を望む。この言葉に偽りがあるかどうか、これから放つ矢をもって確かめよ!!
こう言って放った新田義貞の矢は、尊氏の座る陣幕の中へと飛んでいきます。
足利尊氏
私とて、そもそも後醍醐天皇に牙を剥くつもりなどなかった。ただ、私を朝敵とする陰謀に加担した義貞のことが許せんのだ。一対一の決着は
むしろ私も望むところ。門を開いて出向いてやろう。
新田義貞
フフ、計画通り・・・!!!
ところが、足利尊氏の側近がこれを諌め、両者のタイマン勝負はお預けとなってしまいます。尊氏には優秀な部下が付いていたのです。
結局、門は開かれることなく、今ではその舞台となった東寺の門のことを「不開門(あかずのもん)」と呼ばれています。
実際には、一騎打ちはなかったんですねえ >>619
近ずく→近づく
よく漢字変換できたねw >>631
史実はそうかもしれないが、ドラマ的には一騎討ちがあった方が華がある
まして、騎馬無双の真田尊氏と肋骨折っても熱演した根津義貞やから名シーンになった
あんな一騎打ちの騎馬戦とかもうみられないんやろなあ あの一騎打ちはどのようにして終了したのか
二人が戦っている最中に突然ええじゃないかの群衆が割り込んできて「勝負はおあづけじゃ」と尊氏が言い残して終了 状況を理解していない雑兵が集まってきて一騎打ちどころでは無くなったとか ドラマ的にだと
1対1の乱戦が続いてるから
又は足利尊氏が圧されて苦境にたったから
「大将を討たすな」
「あれが敵将ぞ、討って功をたてよ」とか
乱戦になって引き離されたとか
かな >>633
戦前の教科書では、天皇のために戦った楠木正成は英雄
勝てる見込みもないのにわずかな兵で湊川の戦いとかやって
軍人もこれを見習えと教育された
忠犬ハチ公とか、宮沢賢治の雨ニモマケズとかも同様
天皇陛下のため、お国のために死にましょうという教育 一騎討ちも暗黙の了解があったような
それを無視したのが義経と元軍 >>635
何合もチャンチャンやってるうちに
日が暮れはじめる
馬も疲れて、ぐったり倒れる
刀も折れる
馬や刀を捨て、最後は素手で殴り合い
最後は2人ともぶっ倒れ
自然にふっふっふーと笑いあい、
お互いを認めあい
最後は酒を飲み交わす。 >>639
義経は那須与一の弓に
敵ながらアッパレと舞を踊りだした平家の武者を撃ち殺したしね。 >>639
そもそも今で言うと自分の渾名を自分で付けて名乗る痛い中二病だしなw
そして兄は担ぎ出された引きこもりニート軍師様というね >>635
ドラマは演者が真田だから尊氏強そうなのだが、古典だと義貞が無双過ぎて尊氏瞬殺されるからな……
甲高い金属音を残して尊氏の太刀が宙へ飛ばされる。
落馬した尊氏に義貞が太刀の切っ先を突きつける。固唾を飲んで見守る両軍。飛び出して行きそうな直義を羽交い絞めにする師直。
尊氏は観念したように言った。
「新田殿、我が首を跳ねよ」
「跳ねてもこの義貞では戦は終わらせられぬ。口惜しくはあるがな」
義貞は太刀を引いた。
「新政は腐り果てた。帝も今となっては同じじゃ。この義貞は近々、叡山より兵を引く。もう会うこともあるまい」
「なんと…」
「この都は義貞にとって一睡の夢の都であった。なれどいささか疲れ申した」
義貞は自嘲したように笑う。
「我らが引けば叡山の公家どもは立ち行かぬ。後はこの都に尊氏殿が見事な武士の世を作られよ。それが源氏の棟梁ぞ」
義貞は手にした源氏の正統の証・鬼切の太刀を尊氏の前に放った。
「来世にまた渡良瀬川の河原で見えようぞ。今度は武家の棟梁を競って戦わん」
そう言い残し馬腹を蹴る。馬は嘶き、義貞は駆け去った。
尊氏は鬼切を拾うと、戦友との永遠の別れを惜しむように去り行く義貞の背を見送った。 >>645
真相はしらんが、ドラマよりよっぽどフィクション色つええな >>644
現代の例えでそう言われてもw
烏帽子親無しの諱を自称したと言えばOK?
義は父親から取ったんだろうけど経はどっから来たんだろうね 北条時宗で元軍相手に○○天皇の何世孫の何とか王のうんたらかんたらと名乗ってたらテツハウが爆発したなw ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう >>647
姓名、身分、家系、功績を言うわけだから結構フォーマルな事なんだよ
現代なら名刺交換の方が近いかもしれない >>651
全部自称だけどね
公式なら義行か義顕だしさ 名和さんってキが入ってないのに三木一草に数えるんだ >>654 検索したら そうだねホウキの「キ」が使われてんだね ドラマには出てこないけど結城親光というキャラも本来はいたんだね
北畠さんは関係ないのか >>656
本木よりマシじゃない?本木はましらの石と同じようにフェイドアウトした 結城は護良追放の会合に出てただろw
楠木に同意を求められていた >>651
プリキュアだって変身したら見栄を切って名乗りを上げるだろう
日本の伝統芸能なんだよ ましらの石ってイザヤ丸を寺に入れるみたいな場面が最後なの?
尻切れトンボすぎるな >>662
麒麟での斎藤義龍もいつの間にか死んでたしこの脚本家の特長なのか 仏門か…だっけか
花夜叉はまだ今後も出番あるから同席させてもよかったよね >>659
結城親光出てたっけ? HPの「太平記大全」見たけど載ってないみたい
結城宗広なら「顕家散る」に出てるけど >>660
まあ、あちらも一年間通して放送する大河ドラマには違いないが >>662
脚本家は出すつもりだったらしいが、柳葉が追加収録を断ったらしいよ
「早く殺してくれって言ってるんですよね」みたいな記事が当時あったとか。
生存してたら直冬の周辺に現れたと思われる
あと、結局「富永保の武士」問題が未解決になった。 >>672
昔から自分勝手なろくでなしだったんだな
踊る大捜査線でも、自分勝手で評判悪かったとか >>663
光秀のおっ母さんも
あんなに有名な死に様逸話があるのに、このまま登場しなさそう
帰蝶ですら、もう出てこないのでは、という噂も >>673
バブル期に安くて拘束される大河に長々と出たくなかったんだろうか いろんなエピソードが詰め込まれていて 鎌倉編が遠いむかしのことのように思える この大河ドラマにはたしかフランキー堺も出てたんだよなと ギバちゃんファミヒスの資料映像北条時宗の安達だけで太平記はスルーだった
ドラマ的には太平記のが格上だと思うけど安達と石じゃ衣装が段違いだからかな >>499
この話を登子から聞いたから義貞の孫(義顕の子)を保護して、新田荘を与えたんだろうか。
ただ、与えたのは義詮でなくて鎌倉公方の基氏だけど 張本勲 サントリーモルツ
前田日明 缶コーヒー「サントリーウエスト」
野村将希 サントリー
松坂慶子 BOSS
伊集院静 サントリー新成人新社会人広告
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矢沢永吉 ザ・プレミアム・モルツ、BOSS
和田アキ子 MDゴールデンドライ、新ジョッキ生
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新井浩文 ウーロン茶
椎名桔平 リザーブ
玉山鉄二 黒烏龍茶、健康茶統合
松田翔太 プロテインウォーター、BOSS、なっちゃん!、ザ・プレミアム・モルツ
伊藤沙莉 健康茶統合
豊川悦司 BOSS
ダメだコリア 大杉漣さん、徳島ヴォルティスJ1ですよ!J2優勝もほぼ確定です。
大杉漣さんが着ていたヴォルティスのサポユニフォーム、息子さんがポカリスエットスタジアムに持ってきてくれましたよ… 申し上げまーす!
阿波の蹴球団、一部に昇格いたしました! 太平記に大杉漣さんのクレジット出てたけど
どこで出てたか分からなかったな。 >>686
注意して見ていたらスグ分かったよ
新田義貞の陣で戦況を伝える役 >>688
官僚的に決められたマニュアルや定石どうりにことを運ぶのは得意だけれど、
戦のようにその場その場の状況に合わせて臨機応変に対応するのが苦手だったのでは。 尊氏が得意ではなさそうな行政的な分野は御舎弟殿や高師直などが補っていけたけれども
あまり戦場に向いてい無さそうな御舎弟殿には、戦が得意な部下がどれ程いたのかなと思った >>688
初陣で手痛い負けを喫した者は一生戦下手に終わる・・・を体現した感じかねぇ?
足利の御舎弟殿の戦績
● 女影原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 小手指原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 武蔵府中の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 井出の沢の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 鶴見の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 手越河原の戦い(名越式部大輔)
● 矢矧の戦い(新田義貞)
● 鷺坂の戦い(新田義貞)
● 手越河原の戦い(新田義貞)
△ 箱根竹之下の戦い(新田義貞 ※直義敗北寸前も尊氏勝利で回避)
△ 豊島河原の戦い(北畠顕家)
△ 豊島河原の戦い(脇屋義助)
● 豊島河原の戦い(楠木正成 ※正成は別動隊)
● 打出の戦い(新田義貞)
◯ 多々良浜の戦い(菊池武敏)←初勝利!
◯ 福山城の戦い(大井田氏経)←初連勝!
● 湊川の戦い(楠木正季)
△ 湊川(生田の森)の戦い(脇屋義助) そういえば脇屋さんって人が大雪のニュースに出ていた。 単に直義のために命がけになる武者が少なかっただけじゃないかなあ。
論功行賞の最終決定者が兄の尊氏であることは周知の事実だし、直義の尊氏への影響力が疑問視されてたのかもね。 尊氏に勝った後の子分達への処遇を見ても人心掌握が得意なタイプでは無い気がする 尊氏、直義、師直と、どれが欠けてもダメなのよ
本来なら将軍の尊氏が両人の手綱
を上手く捌かないといけないけど、結果はご覧の通りw 足利尊氏の一生
父親の時代から北条にイジメられる
楠木、新田と仲良くなる
美しい後醍醐天皇に一目惚れ
陣内孝則に紹介された宮沢りえと一夜を共にしてうっかり子供をつくってしまう
がんばって北条、フランキー堺に見事にリベンジ
後醍醐天皇にほめられるけど恩賞は薄く
鎌倉に北条の残党が攻めてきたので勝手に向かって勝手に恩賞
後醍醐天皇、激おこ
不本意ながら京に攻め上るもボロ負けして九州まで落ち延びる
そこから再起して再び京へ進軍
楠木正成、新田を破り、後醍醐天皇を京から追放
ケンカした弟が後醍醐天皇側に寝返ってしまう
師直にも離反されてしまうがこれを成敗
息子の千寿王はあまり役立たず
宮沢りえに産ませてしまった子供が筒井道隆になって敵対するがこれはなんとか撃退
何をとち狂ったか、自分も弟を追って後醍醐天皇側に降伏
後醍醐天皇とまたケンカ別れ
弟とは和解したと思いきや、過去のことを根にもって毒を飲んで死ねと強要
最後はなぜか陣内孝則がそばにいる
どんな人生なんだよ 直義は足利一門と旧有力御家人だけで幕政を行うと宣言してるからね。尊氏は悪党などの新興武士にも広く門戸を開かないと北条の二の舞になると説いたけど >>697
源氏の系統は親族で殺しあいしないと気がすまないのだろうか そういや現時点(37話)で大将は直義なんだよな
軍議で直義を「殿」、尊氏を「大殿」と呼んでた >>688
御舎弟殿が出陣する時は
まだ、余力もあるし、殿様も守らなきゃいけないけど、
尊氏が立つ時は負けたら終わりだから、そりゃもう必死っす。 >>430
若き日の義政は自ら政治を執る意欲はそれなりにあったのだが
幼くして将軍になったことが祟って周囲があれこれ口を出す状態を絶ちきれなかった
そしてそのうち政治が自分の思い通りにならないなかで現実逃避に走る
>>442
主従制的支配権と統治権的支配権を将軍のもとに一元化したことが最大の功績
義満が大きな権力を握れた理由もここにある
>>445
義量の存在感のなさに比べれば全然マシ >>700
ごく稀に新田義重の様なみんな仲良く系の突然変異が生まれることもあるから・・・ 身内争いは河内源氏の場合だけがよくネタにされるが
現代だって親兄弟や親族同士で揉めてるとこはいくらでもあるわけで
中世の武士の時代はそれが大勢での殺し合いになりがちだったというだけのこと
鎌倉幕府だって親族縁戚同士で殺し合いしてたし
戦国時代も一族同士争ってるとこは普通にあった >>697
とてもよくわかりました
ねこねこ日本史で
敵が誰だか分からずに戦ってはパニクりまくる尊氏の訳が >>696
そうなると新田は義貞、義助、船田善昌のうちで善昌が早期に戦死したのが致命的か
よく考えれば船田入道戦死まではまだ足利と五分だった。 >>522
あれは養和の大飢饉の最中に態々大軍を率いて食糧事情の悪い京都へ飛び込んだのがアホ
>>537
江戸幕府が武家社会の秩序維持のために持ち出した朱子学の大義名分論が
結果的に尊皇論を生み出すのも皮肉だよな >>701
あれは直義の部下の細川顕氏だから直義が「殿」なのでは?
>>702
ドラマ終盤での尊氏の「大殿(大御所)」呼びは義詮が「若殿(若御所)」であるのに対応していると思われる
現代の旧家・老舗などにおける大旦那⇔若旦那や大女将⇔若女将みたいなものと同じはず
>>704
将軍を「上様」と呼ぶ用法は太平記の時代にはないよ
確か戦国期くらいにならないと実例は出てこないはず >>697
それ、後ろのほうは後醍醐の死よりかなり後の話じゃないか・・・?
確かに直義も尊氏も南朝に偽装降伏しているけど、そのとき降伏した相手は既に後醍醐じゃないぞw >>712
実は古典太平記で師直が尊氏を「上様」と初めて呼ぶ
師直が尊氏に九州遠征を進めるところ。 マンダロリアンって評価高いな
Disney plus入ろうかな 場所によって呼び名が変わるらしいな
館の内だと殿や上様、外だと御所様 >>714
それの読みはおそらく「うえさま」じゃなくて「かみさま」だろう
>>715
室町期だと「鎌倉殿」は鎌倉公方だよ
将軍は「室町殿」
>>717
花の乱では普通に屋内で「御所様」と言ってたぞ >>718
俺の持ってる太平記(新潮)のルビは「うへさま」 花の乱に藤木悠って人がいて二条なんとかって役でまーた坊門さんが公卿役で出てるのかよと思ったら別人だったわw >>720
こっちの藤木さんは
上杉憲房のひと
尊氏が長話ウザそうに聞いてたおじさん >>721
あのおっちゃん、四条河原の戦いで尊氏を逃すために死んでるんだよな
例の超高速大逆転にまぎれてしまった 上杉は尊氏の母の実家だから栄えるのはわかるけど、細川は凄いよな。足利一門というよりは家臣同然だし強力な縁故もなく実力だけでナンバー2になるんだから 忠臣蔵の吉良義央が吉良のじいだったら赤穂浪士を返り討ちにした気がする >>720
花の乱では、飛鉢法の回に出ていたね。
公家ではほとんど頂点にいる人物なんだが、軽い扱いだった。 >>720
藤木孝は炎立つに
藤原教通ででてる
様子見様子見の名言がw >>724
斯波家の凋落も逆にすごい。
高経&義将で使い切っちゃったんだろな 他の足利一門が不甲斐ないだけでしょ
斯波、吉良、今川、仁木、石塔、一色、渋川とか 三木一草壊滅したというセリフがあったが、視聴者に通じたのかね。
戦前の楠公物語に親しんだ世代じゃあるまいし。
原作でも、周囲に押しとどめられてやめたとしてある新田との一騎討ち演るのはどういう了見の演出だろう。
迫力ある映像ならともかく、史実考証無視のトホホ感しかなかったな。 >>734
急遽代役を務めてくれた根津甚八の見せ場作り ていうか、太平記の合戦シーンの最大の見どころやったけどな一騎打ちは
時代考証とか非現実的とかいう議論を抜きにすれば、スタントマン抜きで俳優2人がリアル乗馬であれだけの一騎打ちシーンをするのは映画でもほとんどないし、今後の映画やドラマでこんな撮影ができる作品や俳優2人が出てくることもないやろな >>737
根津甚八のアップアップ感を微笑ましく見守るシーンかと思ってた 根津義貞は初めの激突で肋骨折れてるからな
その後も撮影止めずに最後までやり遂げてるところがまたリアリティがあると思うわ >>738
あの頃へ歌ってる玉置もかっこいいけど
秀吉で足利義昭って
つながりもw >>737
今後のことが何で分かるんや?
占い師か? すでに一騎打ちの撮影が可能な馬すら日本ではほとんど調教されてない
時代劇などの需要がないから
今後はCG撮影に頼るほうがコスパ面で当たり前になる
まして、真田広之レベルの乗馬術を持ってる俳優がいないわ >>744
あらゆる技術は継承しないと失われる
時代劇は失われつつ有り、
もっというと実写映画やドラマの制作技術も失われてきてる
未だちゃんとしたプロも存在してるけど一部の監督が独占しつつあり
大半のドラマは部屋の中で役者が喋るだけに移行中
もう日本はアニメとかに特化した方がいいと思うんだけどね マンダロリアン見てると日本のドラマレベルは幼稚過ぎる スポンサーと地上波視聴者のレベルに合わせたらああなったんやろな
それを後押ししてた電通も今年は大赤字
いろんな意味でコロナが芸能界を変えつつある つまり
アニメ アメリカで誕生、今は日本が最高水準
時代劇 日本で誕生、今はアメリカが最高水準
ということ? アニメもDisneyが世界最高峰
鬼滅なんぞは国内限定 >>745
失われつつある実写映画やドラマの制作技術て何スか?
んなこた思ったこともないスけど >>732
斯波氏の場合は幼い当主が続いた末の宗家断絶とその後の養子2人によるお家騒動という悪条件が重なってしまったのは痛い
ただ戦国初期に元祖下剋上をやった大名と戦国末期に統一への道筋を作った大名を育てたのがいずれも斯波なのは重要ポイント 先生と言われる時代劇スターといえば、北大路欣也、杉良太郎、高橋英樹、里見浩太朗、松平健までか。
70代くらいの人ばかり、その次の世代が居ない。金のかかる時代劇が、バブル終焉から作られなくなったから。
そうでなければ、真田広之、中井貴一、東山あたりは時代劇の大御所になれただろう。 >>752
斯波が守護代にしなきゃその後の発展はなかった 斯波は義政によってつぶされた感じやね
狙ってやったというよりは結果的にそうなった感じだけど(´・ω・`) 斯波は将軍義持の頃から衰退し始めて代わりに畠山が大きく勢力を伸ばしたな
満家や持国の頃は細川を凌いでた ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう やらなくなって久しくて最近の子供には時代劇のお約束が通用しないって話だしね >>734
三木一草って推測難しすぎじゃない?
二木が結城と伯耆なんて予想もつかんわ 義助「兄者、三木一草、ことごとく滅びましたなあ」
アバンでは説明なかったと思う 三木一草は新政で羽振りが良く、我が世を謳歌した4人を差したものだから
戦前は「大楠公がそんなことしない!」であまり広がらない言い方だったようだけども >>761
江戸幕府の末期だと
旗本の子弟が「かもんのかみ」を読めなくて
「ほうきのかみ」とか「はたきのかみ」とか読んで嘆かれたんだっけ?
下地がないと、庶民文化でもあっという間に廃れそう 楠木氏に関しては正成は湊川の戦いで戦死してるが、その子たちはその後も南朝の重臣として畿内に一定の勢力を有して圧倒的な戦力の北朝と戦えたことを考察すると民心の支持はあったのやと推察できる この大河の湊川無理があった。
まず正成を忠臣大楠公ではなく、「河内の民と家族のために戦う」という男に設定した。
それは悪いわけはないが、なので湊川の死地に赴く理由が「帝に恩義がある」しかなくなった。
そして尊氏が妙に正成を警戒しているが、このドラマの正成は特別に軍事能力に秀でた描写はない。
そして義貞と正成の交流も描かれなかったのもマイナス。湊川前夜に何があったのが描くべき
それ以前に新田、楠木、北畠の宮方で軍事的衝突の描写もない。
尊氏が「新田殿と戦うとうない」と言っていたのが、急にモブキャラ扱いしたのもよく分からない
このドラマの新田義貞なら錦の御旗に惑わされるよなキャラでもない。
公家に取り込まれたならその様子を描くべき。
そして新田対細川水軍、正季隊直義は勝敗が真逆に描かれたが、
いくらドラマでも現実の合戦の勝敗を逆転させるべきではない、と思うのだが。 >>766
第一位:
おれたちの最明寺殿
時頼公ほど庶民の暮らしを考えた政治家は日本歴史上いないよ
鉢の木の話は感動したぞ
第二位:
徳崇大権現様
高時公は優しい方で芸術を保護
動物愛護に溢れた方で現代にも通用する方だよ
第三位:
日本民法の元祖である北条泰時公
聖人君子でもう言うことなし!
最下位:
極悪時政
自分の孫を殺し殺し殺し
もう殺人者だよ 伊豆で惚けて死んだけど、まあ報いだろうね >>772
楠木に関してはドラマがっていうより原作がそうだからとしか
原作では湊川前夜の楠木の新田の会談シーンあるけど >>774
それが無かったのが意外だったけど、出陣前に帝の前で新田の悪口言ってたから、神妙に会談しても白々しくなるんで止めたのかな。 >>766
義時、泰時親子は
鎌倉幕府というより親子セットなら日本史上最強の為政者
武家政権時代が700年も続いたのは
こいつらのおかげと言っても過言じゃない >>720
藤木孝も好きだけど藤木悠の方が有名でしょう Gメン75とか
ウルトラマンレオの主人公はスポーツセンターと防衛隊のダブルワーカーwだったんだけど、
スポーツセンターでの上司がこの人で防衛隊での上司はこのドラマでいう細川顕氏、セブンの人 最近、近代史にハマっているんだが
殉国七士廟について色々調べていたら、今迄知らなかった事が判明した
平賀義信と三川乃国の所縁である
三ヶ根観音
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本堂前に源平咲き分けの椿というものがあり、源氏の武者が源氏の再興を占って植えたとの伝説が残っている
この源氏とは、源義朝と東国に逃れてきた平賀義信らしい
義朝は野間でで暗殺されたが、平賀義信は信濃に逃げたのではなく、三川乃国に逃げてきたわけだな
保護したのは、蒲郡にいた由良御前の実の父親だろうか
ちなみに、現在の住職は霜月騒動で三川乃国に逃げてきた伴野氏流の幡豆小笠原氏の出らしい
藤原実範(三河守)→藤原季兼(参川四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季頼(参川五郎季頼、八剱神社(三川県蒲郡市)神官)→由良御前→源頼朝
八劔神社 (蒲郡市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8A%94%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%92%B2%E9%83%A1%E5%B8%82)
まとめ(8騎)
源義平
源朝長
源頼朝
源義隆
平賀義信:三川乃国三ヶ根に逃避する
源重成:兄弟の孫が足助重長(三川乃国加茂郡足助)、重長の娘が源頼家の正室
鎌田政清:兄弟が三川乃国真福寺(三川県岡崎市)の住職、遺体を引き取り真福寺の東谷に埋葬する
渋谷金王丸:鳳来寺小学校(三川県新城市)の裏の山に渋谷金王丸の祠あり(伝承) 今日もスピード展開でしたな 一回でも見逃したらついていけなくなるな ゴクミは台詞は棒だけど表情の作り方は上手いな
カメラが引きになる時の遠くを見やる鋭い眼光
ああいう目つきはよく近藤さんがするけど意識して似せているのかな?
ともあれ昨今の駄作ドラマで見られる顔芸とかいうダサい表情作りとは全くレベルが違うね >>781
終盤は観ててもついていけないジェットコースター 昨今のドラマの顔芸多用は
表情で説明してあげないと、視聴者には伝わらない
とでも考えてるんじゃないかと思えるときがあるな
バラエティーとかでの字幕の多用と似たようなうるささを感じるな >>784
昔の俳優が「明治の男は泣かない」と言って泣く演技を拒否したというエピソードがあるけど
中世の身分の高い人間が人前で泣き喚いたりしないと思うんだよね
麒麟がくるなんて義昭なんて情緒がおかしい >>775
単なる義貞の悪口になっていたので、あれでは説得に応じる人もいない。
特に義貞と対立する場面(というかドラマ内では1度しか会ってない?)もないのに 尊氏の息子を前面に立てないと鎌倉攻めの戦力集められなかった義貞では対抗できないと言うのは当然の意見だと思う
本当はあんたのやり方に武士が失望してるんだと天皇に言いたかっただろうけど 政は直義一任されると聞き不安気な顔の母清子、実母だからこそ感じる表情が後を予見させる風でしたね。 阿野廉子の変わり身ワロタ
尊氏が望んだら抱けるレベルだな。 >>790
むしろ抱かれに行ってる w
創業者の性格で会社の社風も決まるというが尊氏の性格が
そのまま室町幕府のアバウトで緩い感じにつながってる感じだね 直義の最期は大河名場面となってるが師直の最期があっけない誰の仕業か分からないとされてるが…
変わり身の早い廉子・一途な内侍とで対照的だがどちらも男(後醍醐・義貞)を滅ぼした遠因として描かれる
息子が頼りなく育ち身内争いからの判官殿も巻き込む謀叛も起こり登子がこれから怖くなっていくが
何かと楽な方へ逃げがちの尊氏が要所ではしっかりしてて義満が誕生し足利が残るのが分かって納得エンド 顕家「何としても公家一統の火を絶やしてはならぬ!」
紀行「顕家は京都に攻め上り、21年の短い生涯を終えるのです」
次回「顕家死す」
だから本編で期待させといて紀行と次回で速攻ネタバレするのやめろって言ってるだろ!
いい加減にしろ!w >>792
いや結構最初から
師直が直義認めてない描写は結構あったぞ 尊氏「放っておけば収まるべき所に収まるものじゃ」←収まりませんでした
収まるわけないだろっていうw 肖像画の顕家美しかった
ゴクミの顕家もほんと見た目は完璧 >>797
さすがの道誉もフォローしきれてなくて途中から釘を刺す側に
しかし完全に親友ポジだな、登場したときは食わせ者にしか見えなかったのに 尊氏突然策士になる
幕府開いて早々政を直義に丸投げって前触れあった?
足利と義貞への仕打ちを実体験しても後醍醐に尽くすのが理解不能 >>800
前回、写経しながら遁世したいと語ってた 後醍醐が「そなたが叛いても義貞は朕のために命を賭けて戦った」と言ったとき、
ほんの一瞬だけ、尊氏の目に嫉妬の感情が見えた。
それを消すように「義貞とてこの尊氏を破れば〜」に話を持って行ったが、少なくともこのドラマの義貞は
その野心を一度も見せたことはない。 >>785
人前はないだろうな。
北条仲時が妻との別れに涙を流して立ち去ろうとした、というのがあった気もするが、
おそらく仲時妻子だけだっただろうし。 >>802
でもいずれ武家の棟梁となれば同じ行く末、尊氏が征夷大将軍を望んだ時にそうしていれば展開変わってたかもね、後醍醐さん。 後醍醐にとっては武士は番犬だった頃のイメージでしか考えられないんだから
結局は破綻しか待っていない気がする 朝廷が武士を養い、武権を統御されるはもはや、無理というものでござりまする
おい、聞いてるか白河 北条の子孫って、いつまで残ってたの?(真偽怪しい人を除いて) 後醍醐天皇が判官殿に「今度は公家に生まれて来い」みたいなこと言ってたのが彼をよく表してる
尊氏もまだ帝を美しいと思いたい気持ちが捨てきれてないそれに直義と師直がイライラ
義満は天才だったけどその後室町幕府も時代に合わなくなり麒麟が来る >>803
鎌倉初期に牧宗親が亀の前の家を打ち壊した後に頼朝に烏帽子取られ髷切られて屈辱で泣きながら去っていったとか逸話無かったっけ? あれだけ美しいものに憧れながら裏切られ、仲間や肉親と殺し合って疲れ果てて、最後まで寄り添ってたのが陣内孝則だけなんて、尊氏の人生ってさあって思うわ。 顕家と話してたのは結城宗広?
こないだのアゴヒゲの結城の人とは違うみたいだけど。 >>811
正室や嫡男とは良好な関係なんだから幸せな人生でしょう
親を追放し子供を自害に追い込んだ武田信玄なんかと比べれば 史実だとどうだっけ
比叡山に逃げた後醍醐天皇が足利尊氏に勝てないとあきらめ、和睦を申し入れる
足利尊氏はそれを受け入れる
ところが新田義貞は、「オレに一言の相談もなく勝手に和睦するなんてふざけんな」とキレる
そして後醍醐天皇の息子のひとりを拉致して、越前のほうにいったん逃亡して立て直しを図るが
なんと家臣にあっさり殺されちゃう 尊氏も一皮むけて後醍醐にストレートに言えるようになったな 師泰さん登場で悪人面兄弟そろったね。
師泰の横に座ってたひと、桃井かと思ったけど
単なる似てる人だった。 なお、追放された信玄の親は息子が死ぬほど行きたがった京で悠々自適の生活を送り息子より長生きしたという 義貞は後醍醐に文句言えなくて配下の堀口貞満が代わりにブチ切れたんじゃなかったっけ? 実況のアナウンサーよ、それは亡き大杉漣さんが着ていたユニフォームなんやぞ!!
…徳島ヴォルティスのJ2優勝シャーレ贈呈の場面より… これから師泰や桃井やらが出てくるのか
幕府内の内紛を見せられると思うとなんだかなぁ
それより今回の尊氏は後醍醐に甘すぎたわ >>822
別にわざと逃したなら甘くも無いと思うが… >>820
一報を義貞は信じなかったが堀口貞満が様子を見に山上に上がると、まさに天皇の輿が出発するところ
貞満は輿に取り付いて「官軍が負けているのは我らの戦が拙いばかりではない。それは帝の徳が欠けているからである。
どうしても尊氏と和睦するなら、新田一族すべての首をこの場で刎ねていけ」と涙ながらに訴える。
そうしているうちに、義貞と義助が兵を率いて到着。
ちなみに貞満の父の貞義は義貞の重臣だったが、湊川〜比叡山の間の戦いで戦死したよう 新田義貞が逃げたのが金ヶ崎城というのは 麒麟が来るでも出てた城だなと 近江と敦賀は近いように思えて結構難所なんだなと 金ヶ崎までくればひとあんしんと 内侍の中の人は自分はタイプではないが(失礼)、あんなに求められて腕なんかも優しく撫でられたら即押し倒してしまうわ 佐々木道誉にチクリ言われてたけど、尊氏の優柔不断さは罪だ。
考え方に軸が無いんだよね。
いきなり出家したり、後醍醐を逃がしたり、直義に政権を丸投げしたり、etc.
家臣は堪らんぞ。 >>829
あなたはもしや、軸の大好きな、清盛スレの長文さんですか? おいおい
1話で提起された確固たる〈心身の軸〉が築けたのか、せっかく築いた軸がブレてしまったのか、
これを終生問題としたのが清盛だ。
対する尊氏は、いつまで経ってもふらふら軸を持てなかったことが状況の混沌、そしてダラダラ続く
南北朝時時代を生んだ。
これもまた尊氏の歴史的個性だろう。
軸を欠いて優柔不断の尊氏は、でありながら大所高所から状況を俯瞰して、有能な行政官直義を従える
カリスマ性を有した。
新田と内侍との「純愛」を挟むあたり、いかにも昔は良かったー回であり、歴史描写面でも
駆け足描写だらけになってしまったといえども、
武士の棟梁尊氏&枢密顧問官師直vs内閣総理大臣直義の対立構図が、ここで明瞭に現れてきた重要回。 >>830
人違いです。
他の方も触れてますが、尊氏の優柔不断さが後の観応の擾乱に繋がるんですよね。
高師直も直義も、どちらも有能な人材なだけに残念ですよ。
なんだかな・・・ 尊氏が後醍醐天皇に生涯逆らえないのは仕方ない
だが、後醍醐天皇が死んだ時点で
南朝を否定してそっちはもう天皇とか名乗るなと
滅ぼしに行くことは出来なかったか? 尊氏の後醍醐と新田を切り離すという策は間違いではない
直義の言うように徹底的に叩くのが理想だけど現実的ではないだろう
まあその後に後醍醐にあっさり逃げられるのがいかにも室町幕府的ではあるがw
中世史の今谷明が「足利義教のように徹底的にやったら、それはもはや室町幕府では無い」と言ってたのが面白かった 尊氏はイライラするとこはあるけど時代の風雲児ってやつだろうな
判官殿が足利殿が分からん!みたいなことを言いだしてるがあの寝返り男ですら
ご舎弟殿じゃダメ!付いていくなら尊氏!となるんだし
冷遇されて恨んでる直冬も直義に良くしてもらったけど本当は尊氏に認めてもらいたい!となる
それも天下人になるには必要な能力だよ 後醍醐みたいな人間に異常な程の行動力と生命力が備わっていたのが世の不幸だった
この人は死ぬまで反省というものを知らない
良くも悪くも帝王なんだな
古典太平記でも後醍醐に対しては結構厳しいんだよね 仮にショーケン義貞のままだったなら、千寿王を巧みに利用して鎌倉を陥落させ、
その後は後醍醐天皇に取り入って暗躍の限りを尽くし、
最後は比叡山でクーデターを起こして、皇太子と三種の神器を強奪する義貞・・・とかになったんだろうか。
ここ数話(一騎打ちは別にして)の尊氏の義貞に対する対応は、なんか初期構想の名残りのような気がしないでもない。 義貞に少年時代ボコられた思い出はバトンタッチしても尊氏がしつこく言ってるから
根津さんに変わって義貞は暗い顔の人となったことでもなくキャラはそのままなんじゃないか
とはいえ
ショーケン義貞と尊氏父の緒形拳が二人きりで話す場面は腹の探り合いって感じだったが
根津さんだと誠実で裏表なさそうにしか見えないだろうな 麒麟に歴代の足利将軍がナレで出てたなw
義満は蘭奢待を切り取ってたんだな 今日の麒麟で朝倉義景が、尊氏に越前をもらったみたいなこと言ってたけどそうなの? >>843
実際は斯波かな
でも尊氏の名前でて嬉しかったー >>829
本気になれば無敵なのに、中々本気になってくれないのが足利尊氏という御仁なので wikiによると信長の前、土岐の殿様も切り取りしてるな。
頼芸(尾美としのり)の兄貴が。 尊氏だけに戦場で適当に恩賞として越前を与えてても不思議じゃないんだよな
後で直義が頭抱える所までがワンセットだけどw 毎回素晴らしいのう・・・・
石がいなくなり、「画竜点睛を欠く」の心配もなくなった
コロナ禍でドラマ作りが厳しいこともあり、今年放送のドラマ中でいちばん見てて充実してるかもしれん
蓮子の尊氏誘惑のフェロモンはすごかったが、さすがに帝のオンナが武家を・・・?という気もする よくわからんが尊氏のあのやり方だと直義が執権じゃん
執権が最高権力者でずっときたわけじゃん
二人の間で争いが起きるなんて当然分かりそうなのに尊氏てバカなん? >>798
あれほど武者姿の似合う女優もなかなかいないな
もっと見たかったけど、毛唐に降ってしまうとはなww >>855
鎌倉幕府以外に武家政権のモデルが無いから、あれはあれで自然な発想だったのかもしれない
ただ鎌倉の宮将軍と違って尊氏には実力も人望もあるから絶対に揉める原因にはなるだろうけど 尊氏が時代に合った国家ビジョンを持ってなかったからだろ。麒麟でも触れてた、政を行うには時の流れに身をまかせないといけないって。テレサ・テンかよw >>854
石がいなくなって
かわりに筒井道隆が登場
あっちのドラマのほうは
堺正章と駒はいらないんだけど
いつ消えてくれるのかな
将軍義昭についていってくれればいいんだけど
まさか本能寺の変にガッツリからんだり
しないだろうなあ 朝倉は斯波高経の失脚の時に活躍したみたいだけど、いかんせん義詮の代の時だから大河も漫画でもほとんど扱われないんだなあ…。 >>859
直冬が出るシーンが邪魔だと思ったことは一度もない。
キリンは見る気もないが、どっちにしてもここに書いてどうする。
>>855
前から思ってたが、このドラマでは「まつりごと」という言葉が「政治」「事務的行政」両方の意味で使われていて、
それが混乱を招いている。
尊氏は直義に官房長官をやらせるつもりだし、師直とか道誉もそのつもり、というか
「そうでなくては困る」とはっきり示している。
ところが直義は総理をまかされたつもり……てな感じ。
政治の方を移譲するつもりだったら、実権が簡単に移るわけがないんで、尊氏のやり方がおかしいということになる。 >>855
鎌倉幕府や尊氏・直義の二頭体制はよく
将軍=主従制的支配権と執権= >>855
鎌倉幕府や尊氏・直義の二頭体制はよく
将軍=主従制的支配権と執権=統治権的支配権の分割といわれるけど
この体制なら平時においては実際に将軍は名目上の最高支配者で
実質的な政治の中心は執権という形になるのは鎌倉幕府で実証済み
ただ不幸だったのは尊氏には自前の武力もカリスマ性もあることに加えて
南北朝の動乱の長期化によって本来的に将軍の側の権限である主従制的支配権に属する
軍事や恩賞給付の権限が常にクローズアップされる状況が続いてしまったこと >>861
本来的に執権が持っていた統治権的支配権というのは
行政・立法・司法のすべてを内包する一般政務全般だよ
それに対して主従制的支配権というのは武家政権などができる以前から
武家の棟梁が配下の武士たちに対して行使し得た権限
初期の室町幕府の政権構想が基本的に尊氏=将軍、直義=執権で始まっているのは
当時の人たちも分かってはいるでしょ
むしろ師直の執事こそ幕府(政権)における地位というより尊氏の私的な執事の雰囲気 >>864
小難しげに物を言いたい奴にあまり興味はないが、北条氏がトップに立ったのは戦いによって勝ち取っていったんで
別に役職そのものが内包も何もしてないと思うわ 別に他の武士も尊氏の臣下になったつもりはないんでねーの >>857
直義なら上手くやるって信じてたんだろうな
まさか弟があそこまで自分と考え方がちがうとは
あれだけ北条憎ししか言わなかったのに
自分が政権取ったら理想は鎌倉幕府だもん
恥ずかしげもなく >>868
臣下がどうとかより
自分の正当性(官位や役職、領地)を保証してくれるのは誰か?
って事だけなのよ
尊氏がなんであれだけ建武政権で武家の頭領として持ち上げられたかっていうと
六波羅をとっとと抑えてその辺を代行してたから
そういう武士を全国に配置してたから
のちに九州まで落ち延びても支援する奴が無限に湧いてきてたわけ
鎌倉幕府の末期になんで騒乱が起こったかというと
恩賞(利権)の絶対的不足が原因だから、そこをなんとかしないと解決しない
建武政権も直義派もそれに失敗した >>862
実際に色仕掛けにきてただろう。尊氏もよくがまんした。
藤夜叉のときと同じ過ちを繰り返さなかった。大人になったなw 鎌倉幕府だってそうだよ
将軍の家臣になったつもりはないってのが御家人でさ
だから将軍が追い出されても知らん顔して平気なわけで 尊氏が得宗で直義が執権、師直が内管領に加えて道誉が得宗のお友達って状態か
これって鎌倉幕府の最後と同じだな >>871
あそこは、勘違いするなクソババア
って言い出さなかった所何感心すべきところやろ >>867
北条は別に武家の棟梁じゃないしw
>>869
直義の思想の根本は得宗専制となった後半期の鎌倉幕府のあり方を否定して
それ以前の義時・泰時期の評定衆中心の有力御家人の合議体制に戻すこと
政治を私物化した北条憎しでも幕府の本来的な仕組みまで否定する気はさらさらないだろ >>871
建武3年(1336年)当時の年齢
尊氏32歳
廉子36歳 朝の尊氏と夜の義昭、さすがに差がつきすぎてないか?一応血の繋がった子孫なんだがw 廉子と義貞が同い年なのは正直意外だ
後醍醐帝とは10歳以上離れているのね 尊氏が藤夜叉と関係を持ったのは
ドラマの筋書き通り正中の変の年(1324年)とすれば20歳(満19歳)のとき
通説での直冬の生年の前年(1326年)とすれば22歳(満21歳)のとき
流石にそれから10年も経っていて
しかも帝の子供を5人(3男2女)も産んでいる廉子に欲情はしないだろうw >>862
当時の朝廷はそういうのメチャクチャだからね。 せっかく廉子のボディタッチに尊氏が立太子で応えてやったのに、後醍醐の脱走で無効にw 廉子とは大塔宮潰しで協力関係だったので相性は悪くないはず
やはり尊氏追討したのは後醍醐天皇の変心だったのかな? >>885
いや、幕府を認めるわけにはいかんってだけでしょ
実質、鎌倉幕府再興しちゃってたわけで
でも追悼令を出さなければ、
案外、東国はそのまま落ち着いたかとしれんな
西国も争乱続きにはなったろうけど
足利さえ東国から動かなければ、なんとかなったかもしれん >>854
尊氏は廉子以上に腹黒いよ
ああ言って成良親王を持ち上げていたけど、後醍醐天皇が出ていったらあっさり処刑した(ドラマでは割愛) そうじゃないと分かっているのについ正成をまさなり、正行をまさゆきと読んでしまいます
どうしたら間違えなくなりますか? 尊氏の提案通りに廉子の子を皇太子にしておけば、後醍醐天皇が南朝の正当性を説いても、我が子が北朝の天皇になれば、説得力はなくなってたかもな
後醍醐は単なる上皇で終わる >>888
楠木正成をひらがなから変換するときに
くすのきまさしげ
楠木正行をひらがなから変換するときも
くすのきまさつら
これでないとフルネームにならないと思うが >>890
尊氏の孫の足利義満が
南北朝を統一するために、大幅に譲歩しちゃった
後醍醐天皇のほうがホンモノと認めましょう
三種の神器もそっちが持ってるわけですし
うちのおじいちゃんの尊氏の立てた天皇はニセモノです
そのうえで、三種の神器をこっちに寄越して
次の天皇はこちらの北朝から立てて
南朝は廃止しましょうねと交渉して
それが認められちゃった >>878
尊氏の息子(義詮)も尊氏に輪を掛けてグダグダなんよね。
その義詮の息子が、超やり手の義満という不思議。 近年に刊行された南北朝時代に関するおすすめ本。どれも一般向けに書かれているので読みやすいです。
この大河ドラマを見て南北朝時代に興味をもったらぜひどうぞ。
「観応の擾乱」(中公新書)
「北朝の天皇」(中公新書)
「室町の覇者 足利義満」(ちくま新書)
「足利将軍と室町幕府」(戎光祥選書ソレイユ1)
「乱世の天皇」
「奪われた三種の神器」(草思社文庫)
「皇位継承の中世史」(歴史文化ライブラリー)
「南朝の真実」(歴史文化ライブラリー)
「南朝全史」(講談社学術文庫) >>895
南北朝時代というより室町幕府前期と言ったほうがいいですね。
義持、義教、応仁の乱あたりまでカバーしているものもいくつかあります。 後醍醐はなんで院政を嫌がるんだろ?
上皇になったほうが色々なしがらみから開放されて楽なのにね >>897
院政ってのは、今の天皇の「父親」が権力を持つ仕組み
つまり、持明院統に天皇が移ったら
後醍醐院にはなんの権力も残らない
これが両統迭立で揉めまくった最大の原因なんだよね >>591
> みんな正装して生首の受け渡しをするシーンがなんか良かったな いたずらにさらし首にするのではなく ちゃんと箱にいれて礼節をもって引き渡す
> 死んだのはあくまでも業務上のこととして納得すると
粗暴な信長も桶狭間では義元の首、駿河に返還してやったんだな…
義元の場合は桶狭間合戦の後も鳴海城に立てこもってた岡部元信が
開城と引き換えに義元の首を要求したから >>876
俺が32歳の時に
36歳の原田美枝子似があんな感じで来たら
速攻で着物の中に手を入れて
押し倒して、あんなことやら、こんなことやら >>907
黒澤の「乱」だと
新田が首筋に脇差突きつけられて
乗っかられてたが >>876
36でさもクソババァって表現だけど
普通においしく頂けるやん
脱法込みで言えば中学生はセックスの態度とか対人がしょんべんくせえ
高校生は個人差がありすぎる、ってことを考えると
まぁ20代が飯食ったり遊んだりセックスの肉体含めて総合的に一番いい
セックスだけを考えるかどうかだよなぁ。 ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう >>892
もっとも朝廷自体はそんなもの認めず、明治維新までは北朝が正統で、後醍醐以降の南朝天皇は偽帝扱い
合一時の後亀山天皇は正式な上皇として扱われず、冷遇に憤って京都から逃げ出したりしてる
気の毒な >>887
成良のその後については異説もあって真相は不明
>>892
義満が南朝のほうを正統と認めたなんて話は聞いたことないぞw
>>894
義詮はそれなりに有能だぞ!
>>903
信長って別に粗暴ではないだろ
人並みの常識人ではあると思うけど? 尊氏は細川顕氏の系統を特別視している描写があるけど、何か大功でもたてたの? >>917
このタイミングで登場してくるのは終盤で観応の擾乱に大きく絡むからだろ?
桃井や師泰も同様 >>916
二代目は父親のやってることをリアルタイムで見てるわけだから
いきなり大きな変更は出来ず、細かい修正しか出来ない
三代目になると、自分のやりたいようにやる
徳川家光もそうだった >>916
この太平記の義詮はなあ
闘鶏にうつつを抜かし、政務はテキトー
親の苦労が報われない象徴だが >>920
片岡鶴太郎の息子が演じてたんだっけ?
そりゃアホでブサイクなクズでしょう
父親に似てしまったんだ >>921
わざと間違えてるだろw
片岡孝夫の息子孝太郎だぞ >>922
孝太郎の息子はイケメンだよね
妹も綺麗 麒麟で帰蝶の母親役してた 尊氏は直義死後も旧直義派とは感情的になってずっと遺恨を残してたけど
その辺義詮はそういうのが薄いから斯波を重用したりして柔軟に旧直義派を許して恭順させていったな 義詮は、貞治の変で斯波高経を大人しく都から追い出した功績があるな。
これで細川頼之が管領となり太平記は終わり。 >>919
義詮って、尊氏・直義二頭体制の時期の幕府の仕組みを相当劇的に変えていると思うが?
まず将軍・執権の権力分立体制を改めて将軍への権力一元化(将軍親裁の強化)をしたし
その上で将軍家の執事を幕府職制上の「管領」に位置付けた
ある意味義満がワンマン的に権力を振るうベースを作ったのは義詮 >>919
あと江戸幕府の場合は家康・秀忠・家光の政治路線は基本的に大きな変化はないと思う
むしろの幕府政治の根本や日本社会全体の雰囲気が根本から大きく変わるのは綱吉の時期 >>920
最終話だと自ら手勢を率いて最前線で踏ん張ってて、周囲の武将からも見直されてたな >>924
直義派って足利一族が多かったんだろ
実は親戚から嫌われてたのか尊氏 尊氏は外様や南朝からの寝返り組も功績があれば足利一族と分け隔てすることなく優遇した
佐々木京極とか赤松とかなんかがわかりやすい例やな
逆に足利一族にとっては、本来自分たち一族が優遇されるのが当然と思ってたのでそれを直義に求めた結果になる 尊氏直義師直何やってんだって感じだが
義満になってモヤモヤがなくなるな
細川のじいのファンになっちゃう ついに一天両帝、南北京か。
無能が天下の権を握るとこういう大事件が起こるのね。 観阿弥のママが楠木正成の姉妹って説はほんとにあるんだな ドラマは基本的にはフィクションやけと、素材として伝承されている例をつかうとリアリティがあるからな
楠木正成が畿内の旅芸人などと合流があったことは史実としてもありえる
ちょいとした余興の踊りくらいお茶の子さいさいでやれたかもな >>937
「南北御合体、一天平安」までの道のりはまだ遠い 遠いというか、南北朝統一実現を見れるのは登場人物にはほとんどいない
長命の道誉の死後の1392年になるからなあ ググったら伊賀の服部家が父方ってなってるなと登場人物確認したら服部元成、服部清次(のちの観阿弥)
最後の方に花夜叉が尊氏に見せに連れてきたのでスルーしてたなぁ
楠木が伊賀の忍者を使ってたということか
>>941
細川頼之(ほそかわ よりゆき) >>923
旦那が永谷園の重役で
自分も永谷園のCMに出てた >>944
爺というほどの年齢か?
義満から見たら普通に親世代くらいだろう
尊氏から見た吉良の爺とかは本当に爺世代だが >>946
「細川のじい」でググったら「細川 頼之(ほそかわ よりゆき)」出てくる 細川頼之と義満乳母の妻描かれてるのは
平岩弓枝の獅子の座かな 細川三兄弟のうちの2人は尊氏直義と同世代だし
頼之は義詮と同世代 一族というか家臣だな。細川顕氏の系統が力を持ってたっぽかったけど、従兄弟の頼春―頼之の系統が実力でのし上がってきた 最下位だったのがいつの間にやら東軍の大将になってたり、将軍の最側近になってたり、肥後の殿様になってたり、首相になってたり、だもんな 細川護煕首相が
「うちにはいろんなお宝があったんだけぢ、こないだの戦争でみんな焼けちゃって。」
それを聞いた人が
「熊本にも空襲があったんですか?」って聞いたら
「いや、応仁の乱で。」というエピソードがある それは近衛文麿のエピソードじゃなかったっけ?
管領とはいえ細川家にそんなお宝が大量にあるとは思えない 細川は大内と勘合貿易で競り合いながら交易してるから、莫大な富を築いてるぞ
南北朝期も瀬戸内の水軍と関連あるし裕福なのは間違いない 細川は総大将なんだから大事なものは避難させとくだろ
この前の戦云々は京都のネタ的なエピソードでしょ そもそも京兆家の家宝が長岡ごときに伝わってるものだろうか? >>955
それは「家が焼けまして・・・」と細川の言葉に
「それはそれは・・・お見舞いも致しませんで」と鳩山由紀夫が詫びると
「いや応仁の乱の頃の話ですが」と細川が返した。
本当の名門とは鳩山家なんかじゃないですよという鳩山の話。 元首相の細川護煕は母親が近衛文麿の娘だから、母系で近衛家の血も入っているというなかなかすごい血統。 >>798
後ろ姿がなあ〜愛姫の時はまだ子供子供してたけど1年で体つきが女らしくなってケツがデカい 当時の細川の本流は和氏-清氏の系統だった
清氏が将軍の意に逆らうことが多く最後は道誉に嵌められて没落 政治は難しいね 建武の親政にかわる政治体制がついにみつからなかった ということか 義清が義仲と組まず討ち死にしなければ細川の立場も違ったかもなあ
でもよくあそこまで細川氏を盛り上げることが出来たと思う 帝は、延喜・天暦の御世を理想に掲げられ、全て帝の御親政にて、公家一統の政を始められました。
されど、あえなく政を誤られ、武家は申すに及ばず、庶民の多くも喜ばぬ政にごさいましたことを、この尊氏、この目でしかと見てまいりました。
だ ま れ !
草 後醍醐が言うところの延喜天暦の治って実際の醍醐村上治世とは関係のない単なる「ぼくのかんがえたりそうのよのなか」を伝統で権威づけようとしただけだからね
今だと日本会議なんかが「日本の伝統」って色々デタラメ主張してるようなもん
それらと違う点は、彼らと違って後醍醐には圧倒的な教養があったこと 細川ガラシャの旦那も
明智光秀が本能寺の変で織田信長をぶっ殺して
天下のために俺に協力してくれと言われても
「どうしようかな」とさんざん迷ったまま動かず
そうこうしてるうちに
羽柴秀吉が中国大返しで帰って来ちゃったからなあ 陣内は宇喜多直家役も良かったな。
そういえば陣内って大河ドラマけっこう出演してる。
バラエティだとウザいけどw大河だとなぜか良いんだよな 判官殿は最後まで見事生き延びたからな
みんな死んだのに何故かこいつは残ってるって >>971
「延喜・天暦の御代に戻れ」はあくまで先例主義の公家たちを黙らせるための方便
「朕が新儀は未来の先例たるべし」のほうが後醍醐帝の本音だろうね >>981
公家からは「後醍醐院の措置は物狂の沙汰が多く、先例にならない」と批判されていたけれどな >>981
ローマ皇帝クラウディウスを思い出す
「元老院議員諸君、今の諸君がたいそう古いと思っているものは、かつてはみな新しかったのだ。そしてこの改革もいずれは、先例の一つとして挙げられるようになるだろう」 千寿王が年を取っていないように見えたのだが
別の子役を用意できなかったのだろうか
宮沢りえに産ませたほうの子供は筒井道隆になるのに >>987 もっと寄付金をだせば高い官位がもらえたらしい >>985
千寿王殿は馬になった尊氏の背中に乗ったとき以外(そのときも?)、全く喋っていないよね >>991
自分はむしろ明朗活発でたくましいイザヤ丸と過保護に育てられた人形の置物のような千寿王、というの対比で見ていた 判官殿、検非違使は朝廷の官職だろ。
幕府からは守護職だの引付頭人だのたっぷり役職もらってるわ。 お上は持明院統の光厳院と和睦なされるのじゃ
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