【1991年 大河ドラマ】太平記part.56
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・現在BSプレミアム毎週日曜6時より再放送中
https://www.nhk.jp/p/ts/DNY5MGP1V4/
・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう
・次スレは>>980を踏んだものが立てること
前スレ
【1991年 大河ドラマ】太平記part.55
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1612022870/ >>946
警戒してる割には、初めから道誉の家にお泊まりして修学旅行の夜を楽しんでるけどな朝まで >>946
北畠邸に初めて招かれたときにいきなり奥からどーよの高笑いが聞こえてきて、一瞬立ち止まっていたし 病に伏す尊氏、顔は老けメイクでも背中で隆起する筋肉だけは隠せなかったのは御愛嬌。 なかなかの傑作大河ドラマだった
北条高時、楠木正成、足利直義の最期はいつ見ても泣ける 義満は51で頓死。
得宗とは言わないが、みな早めに死ぬな。 しかし、干菓子じゃなく、カステイラだったら直義もあっさり帰る気になったかも知れんと思うと残念。 >>957
判官殿は78まで元気w
トリックスターというか
キングメーカーぶりを存分に 初回から最終回までが速く感じられた
終わるのが寂しい
初めて会った時から生涯の友と思ってたというのはウソだろwと思ったけど
あれは口説き文句として判官殿も納得したんだろうな 尊氏の死因はよう分からんと言う事か?傷による感染症という説があるようだけど、このドラマではこの説は採用してないな。 真田太平記は確かに再放送してほしい
草刈パパも好きだけどやっぱ丹波哲郎の昌幸が大好き過ぎる
去年まだ太平記が再放送されるのを知らずに鎌倉に行ったなー 当初もゴッドファーザーっぽいって話題があったかもしれないけど
兄弟殺しや
本来あった理想と裏腹に昔からの仲間とも戦う孤独感
なんかはゴッドファーザーっぽい スレ立てできなかった
誰かできる人いたら一行目は
・2020年BSプレミアムにて再放送
に文言を変更してほしい 自分一昨日別板でスレ立てしちゃったからなー
すまん ど派手な金閣みたら「わしの目指した美しい世ではない!」と怒りそうだけどw
「ようやく登子のもとへと帰って参りました」と言っていても、肝心の登子がなにやら黒いままの気も
とにかく1年ありがとう。
来週は昼まで寝てるわ。 >>943
お菓子持ってきたとこまではいつもの懐柔策で、昔ばなし始めたとこで気づいたんだと思う。汁を飲むときに尊氏がアップになるんで毒はこちらでお菓子は名産品てことで >>962
こんな不良に惑わされてはいかん、ってお坊っちゃまぶりだったもんな
そのわりにはちゃっかり藤夜叉としっぽり 笑 初対面のとき、道誉の立花論にぶったまげた顔しかしてないな、若き高氏w >>962
まあ息子と孫を頼んだという事なんだろうな
秀吉みたいに泣きながら家康に懇願するよりスマートだ ラストの尊氏の思い浮かべた人物で日野俊基が入ってないのはなんでだろう?
義貞、正成と並んで人生の転換点になったと思うのだが。 >>965
草燃えるの義時もだが純情青年が状況に揉まれて非情な策謀家になっていくというのも 「もう争わぬ」と尊氏が言った時点での、直義の悟った表情が素晴らしかった。 >>973
あれは武田鉄矢のアドリブのようだ。
しかし、幼子を託して死ななければならない無念と悲哀が溢れる名シーンには違いない。 放送当時は幕府滅ぼすまでがメインだと思って
後半はあまり見てなかったけど、こうやって全話
通して見たら、幕府滅ぼしてからが本番なんだよなあ 結局、敵対した人間の中で桃井だけが尊氏から、屑カス認定されたまま終わった。
基本的に善人か、信念ある悪役しかいないこのドラマとしては唯一か。 このドラマに出てた鎌倉南北朝時代の武士の名族で、幕末に近世大名で生き残ってたのって、
喜連川になった足利と山名が小大名になって、細川、上杉が支族のそれも実質、家系が入れ替わった家だけかな。
前北条、畠山、北畠、今川、斯波、新田、楠、赤松、名和、長崎、吉良、佐々木。
高家や旗本で残った家はあるだろうけど。 岩松が120石→男爵かな。大名じゃないが。
当代で断絶するようなんだが。
秀吉の小田原征伐、もしくは家康の関東入封で判断を誤った家が多い。 ドラマだと右馬介の命懸けの説得で直冬が撤退したようにみえるけど実際はどうだったの >>980
次スレよろしく
当時存在感ゼロだった本木が30年後大トメを張る俳優に成長するとはな >>980
次スレ立てる時>>966のように一部変更してほしい >>986
正確には不明。
古典では直冬は一月ほど戦うが戦況は膠着し、石清水八幡宮で占ったところ「親である将軍を敵にしているので願いは聞けない」
と神託があり、集まった兵は離反してしまう。これで直冬は撤退。
現実にこうだったとも思えないので、補給が続かなくなったとも見られる。
当時の人々からみても、「不思議な撤退」だったらしく、それでこういう創作になったらしい。なお、本来はましらの石が説得するはずだったようだが。
この戦で都は荒れ果てる。ドラマの余韻をぶっとばせば、そこで佐々木道誉が師直兄弟ばりに横暴に振る舞い、
諸国の珍味をあつめ、財宝を集め、茶の湯に明け暮れる。
そんな中で尊氏は、九州征伐を考えていたが叶わずに死ぬ。 >>989
不思議な撤退かなるほどねー
色々と想像を掻き立てられるね
教えてくれてありがとう >>986
(突然で失礼します。初めて書き込みます)
史実でも父への未練が断ち切れず、迷いを断つ為に、合戦継続の吉凶を八幡の神に尋ねたりしてたら、
味方の武将が「こんな覚悟では尊氏は撃てない」
と、国に兵を引き上げてしまい、直冬も合戦継続を諦め、戦場を離れた
と、戦国武将列伝というサイトにのってました。 歴代大河をあつかった新書(だったかな?)
尊氏は、女性的な気質がある
陰では、自分の決断が正しかったか悩んでそう
そのイメージでは真田さんがあってる
みたいな記述あったな
武田さんの正成は苦情がきたとも >>992
古典太平記によると、
(ドラマと同じで)義詮、仁木の軍勢に敗れるが直冬軍はまだ五万。
ただ、膠着状態にもう一戦するか意見が割れており、石清水八幡宮の神託を仰ぐことにした。
ところが「石清水は「親守りの神」なので、親(尊氏)に敵対している直冬の願いは聞けない」との神託が下る。
つまり、相談さえ受け入れてもらえなかった。
これを聞いて「佐殿を大将としている限り将軍には勝てない」と諸国の兵は帰国してしまった。
多分、そのサイトは古典太平記(巻33)のこのあたりを参照にしてるんでしょう。
実際、直冬も諸大名も「将軍」(直冬には父)を敵にするに躊躇があったのは確かなようだし。 >>994
プライベート文書でなぜだかひらがな多様する尊氏w
苦情というとショーケンの義貞も…… >>983
喜連川も山名も小大名でなく旗本ですよ。赤松は分家有馬が大名家をふたつ出してます。あとは別の人も触れてたが京極。 太平記を見ると、その後のドラマも見たくなる。足利義満による南北統一、足利義教VS足利持氏。 このスレッドは1000を超えました。
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