【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part98
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>>1
【放送予定】2022年1月9日~
【脚本】三谷幸喜
【音楽】エバン・コール
【語り】長澤まさみ
【3DCG地図】シブサワ・コウ
【ロゴ】佐藤亜沙美
【制作統括】清水拓哉、尾崎裕和
【演出】吉田照幸
【プロデューサー】大越大士、吉岡和彦、川口俊介
【公式HP】http://www.nhk.or.jp/kamakura13/
※本スレはガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品に関するものは可)
【2022年大河】『鎌倉殿の13人』ネタバレスレ http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1645598605/
※時代劇板のワッチョイ有スレはこちら。 【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part1 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/kin/1649203054/ 時政パパンの誕生日お祝い寄せ書きに畠山がコメント書いてるが、「生きたいです」って書いてある (´・ω・`)
二朗もボチボチ死ぬみたいだし、畠山もそろそろなのかな? >>7
義経も頼朝も死んでないのにそろそろなわけねぇだろ スレ立て宣言
↓
スレ立て(目立つようにsageない)
↓
次スレ誘導
これがスレ立ての作法だぞ >>9
収録が、って事だろ
今は比企能員の変を収録中 >>11
ありがとうございます。
今後は、そうしたいと思います。 >>14
そんなに殊勝な態度したら>>11の器の小ささが協調されちゃう >>7
収録については、比企が終われば、畠山重忠の死も近づいてくるな。 頼朝クライマックスが楽しみ、頼朝を暗殺するのは誰か?
政子か八重か大姫か、まさかの巴か静か郷御前の線も・・(いっそ全員が共謀して・・)
まあ、どっちにしろ女絡みの遺恨じゃないとあいつは死なん罠
ただ善児だけは勘弁な >>1
スレ立て乙です
みんなの寄せ書き可愛い〜!!愛を感じる
父上もしかして泣かれてました?w 再来年の大河は
紫式部の生涯とか誰が見るんだよカス
殺すぞ 坂口健太郎と瀬戸康史は中川大志の甥っ子なんだもんな
この先一緒に画面に映るだろうが
中川の方がずっと年上に見せるために特殊メイクでもするんかね? 寄せ書きに八重がいないな
やっぱり比奈と入れ替わりに退場か >>27
新垣結衣は2月中にはクランクアップしてる >>28
スレ立てて貰ってる場合はあれこれ注文したら駄目だわな >>7
義時と政子以外の主要キャラはみんなそう思ってる(´;ω;`) >>27
退場は間違いないけど
どういう退場になるのかが気になる
比奈と出番は少しかぶるのかそれとも入れ違いか >>19
えっ、八重って頼朝より長生きするの?
勘弁してよ〜 >>35
いやそれまでに姫の前が出てくるから八重はその前に死ぬか失踪がだろう
姫の前と出番被るならば若く来た新しい嫁の若い肉体に溺れる義時を見て
自分の老いに絶望して失踪だろうか
姫の前と出番被らないなら養育してるあの子供達を庇って死ぬような気がするが >>29
それ週刊誌記事だし小栗がコロナ陽性で大河撮影欠席の記事と一緒に出てたから
小栗がコロナで休みと公に発表はないし八重の退場時期も公表はしてないからね >>27
であればありがたい
ひな役の堀田真由はガッキーよりよっぽど上手い >>39
でもガッキー髪はバッサリ切ってる
まあヅラ被れば出来るけどさ >>1乙...何故だ、何故だぁー!!(突然のタヒ) 畠山「生きたいです」
頼家を見捨てなかったらどうだろう? >>41
これに通年で出ている宮沢りえは今地毛をショートカットにしてるけど
普通に問題なさそう >>35
もうオリキャラ化しているので何歳まででも生きるだろう。
原作がある作品でも・・・
太平記で北条滅亡を見届けて世を捨てる一色右馬助が最終回まで
逆に室町幕府成立で退場する藤夜叉は、中先代の乱の最中に代官に斬られて死んだ。
毛利元就の小三太は月山富田城撤退で死なず、こっちも最終回近くまで。
炎立つの結有(経清の妻)も戦乱終結まで生きていた。
ただ、小三太以外は原作のタイミングで退場した方が良かったのは間違いない。 >>43
経時「長生き……」
時頼「せやな」
長時「暗殺は某ドラマの創作なら……」
時宗「鎌倉は混乱していると兄マフラーが」 >>28
立てようとして確認したら立っててあやうく重複仕掛けたんだよ このドラマによって現代の人にどういうメッセージを伝えたいのか、その主題みたいなものが良く分からん
頼朝のように猜疑心強く冷酷に生きろ、というのか、北条みたいに汚い手でライバルを蹴落として這い上がれ、というのか 「光る君へ」は柴式部だから大河ドラマ史上最古の時代を扱った作品になるのかと思ったら違った
「風と雲と虹と」という1976年の大河ドラマが平将門が主役だからこれが一番古い
同じ平安中期が舞台だけど平将門の方が50年以上古い
知ってた? >>33
うん自分はスレ立てできないからありがたいな >>49
権力は残酷で
その中を生き残った者が最後の勝者になる
それが歴史
現代人にマネをしろとは言っていない >>46
小三太のラストは泣いたわ
そして最終回で涙返せ!w >>49
物語にテーマがないといけないと思ってる人もいるが、別にない場合も多いと思う 宗時の「平家も源氏もどっちでもいい、北条が頂点に立つ」というセリフが全て
ただそれだけのドラマ >>49
テーマは隠してると思うよ。最後まで見たらわかる…そんな作りにしてるはず。ですので途中で死んじゃう人はテーマと無関係ですw >>58
宗時主役の大河作ろう
初回「決戦!石橋山」 >>42
藤内、命令に従っただけなのに殺されるって、理不尽だよなと。 >>65
すでに上総広常殺害が相当理不尽だったしなぁ
他に行くところがあるなら一刻も早く出ていくことをお勧めします 藤内、元から印象のいい感じではなかったけれど
重忠や義盛がジェントルマンなだけで、平均的な鎌倉人は大体あんな感じだよな... >>65
上総介は組織として排除されても仕方ない感じはあった。
藤内は主君にしたがって必死に頑張っただけ。 >>64
麒麟も青天も見てたけど
むしろテーマを初回で暴露しちゃったことが
裏目になってたような気がw >>66
>>67
広常の件で鎌倉殿の力を見せつけられ、更には手柄次第で所領や出世も望めるとなれば、例え子どもでも容赦なく殺せるって事かな。鎌倉殿の命令だから正当性のある行為でもあるし。 >>7
畠山さんと和田っちには長生きしてほしい
言い伝えによると我が一族は2人から運慶作の仁王像を賜ったらしい
壇ノ浦でも平家に対して手を合わせてたし心優しい武士なんだろうな >>68
藤内殺すにも理由は取ってつけただろうな
義高を死姦したとか 義経の首届けた時に奥州に向かって言ったのと同じ理由じゃね? >>49
地方の支社の新入社員北条君がひょんな事から権力闘争に敗れて左遷されてきた上司の源さんに出会い
同期の三浦君と切磋琢磨しながら数々の困難を乗り越え
やがて取締役まで昇り詰めるまでのサクセスストーリー
特に源さんから受け継いだ北条君の実務能力と三浦君の処世術はサラリーマン必見 >>68
> 上総介は組織として排除されても仕方ない感じはあった。
このドラマだと全然そうは見えなかったけどな 藤内をただ殺すのは無理あるだろ
一応理由くらいでっち上げる筈
義高を殺す前に犯したとか死姦したとかなら処刑の理由にはなる >>49
テーマ?
大河ドラマのテーマなんてほとんどが
諸行無常
だろ? >>75
頼朝に対しても対等に話してたから組織としては良くないのでは
「おめえはおめえの道を行け」とか >>76
草燃えるでも
御台所がご機嫌を損ねたから >>75
っていうか
上総介暗殺は上総介にその意識がないだけで、鎌倉勢力内の派閥争いの結果。
こりゃいくさで死ぬのと同じで「理不尽」とは言わないだろう。
木曽の息子を殺したあいつ、あれが処刑されたのは上層部の右往左往のしわよせ
なんでこりゃ理不尽もはなはだしかった >>79
だからなんか理由はでっちあげたんじゃないの
そこまではドラマでは描かないだろうけど
義高を犯したとか言い掛かりつければいいだけの話 >>81
いや草では理由はない
藤内の母親が
御台さまが、姫さまが泣いておられるから殺せと言われて殺された
と言っていた >>57
頂点に立つはいらなかったな
義時が自ら覚醒していく方が面白かった 実際は大姫がうつ病になったので
その義高の霊を鎮魂するために政子が打ち取った奴を殺した
史実的にはこの解釈でいいのかな?
草燃えるでは藤内の主君堀籐次が政子の不興を恐れて殺したはず 占いより亀に会う!とか義高は殺す殺さないとか頼朝は一生女性関係で右往左往するのだろうか >>76
史実でも主命とはいえ自分や大姫に事前に相談するなどの機転を効かさなかったという無茶苦茶な理由で獄門になっている。 大城の聞こえるとこで討ち取ったりーとかやったんじゃない
このドラマもニアミスだし >>75
能員が頼家の乳母夫に指名された時に
露骨に不機嫌になって「俺がやる」とまで言ってたからな。 やっぱ鎌倉って陰惨でイヤなところだなと再確認したわ
なんであんな所が観光地になんかなってるの? >>79
草燃えるは政子が義高を逃したので処刑された事に対する怒りも納得できたし、政子に怒られた
家人が直接手を下した人を勝手に処刑したから
何年も経ってから政子が御台所と知らないその
老いた母親に「息子は犬死にしましたんじゃー」と言われた時(大姫も一緒だった)の衝撃は
かなりなものだった 前スレで吉見氏が三河と密接に関わっていたと寝言を言っていたヤツがいたから行っておく。
三河と吉見氏は何の関係もねえ!
頼忠の息子の頼行が三河の設楽に領地があったなんて史料は存在しないし、第一その頃の三河は完全に足利のテリトリーで幕府がそんな足利に喧嘩を売るような決定をするわけがない。範頼の子孫が三河守に任じられていたのは範頼の正統な嫡流の証明以外の意味はない。
三河に吉見氏が土着したのは能登吉見氏没落後であり、それ以前には何の関係もないんだよ! 藤内は義高を犯したから死罪にしたって事でいい
勿論犯してないだろうけど >>71
この脚本の中では心優しいかもしれんが史実はどうだか分からんがな >>90
比企以外にも梶原や河越、安達、平賀なと頼家よ乳母は何人もいたしね(ドラマでは言ってない)
乳母になることは若君が鎌倉殿になったら権力握るチャンスだもんね
そりゃ警戒されるw You TubeのNHK公式ダイジェスト
これだと上総介が本当に謀反を企んだ仲間で順当な罪で処刑されたみたいになってしまうな
https://youtu.be/xwbjJ60U8Lk 何かキモい奴がいるな。多分、同一人物だろうけど。犯したとか、死姦とか書いてる奴。 >>91
京の都も武力こそ使わないがもっと陰惨でイヤな
所だぞ
登れば嫌味言いながら群がる癖に
落ち目になれば冷たく無視するからな
その中で辛抱強く生きて行かなければならない
地獄だぞーw >>100
あの時代は結構当たり前
義高が美少年だったから可能性は十分あると思う と言うか義高とかご馳走だろ
実際は11歳だし史実でも藤内がそういう行為をして逆鱗に触れた可能性は十分あるだろ でもあの時代は義時とか宗時とかでも戦に負ければ犯されて殺されるなんてざらだろ
義高は11歳の美少年、言わば少年時代の神木みたいなもんなのだから藤内がその趣味があれば犯すのは当たり前
勿論その趣味がなければそういう行為はないだろうが 当時は戦場での相手兵士への強姦率も結構高かったのでは
ましてやまだすね毛も生えてない美少年なら興味のない男でも手を付けてしまう可能性は否定できないかと このスピード感だと義経は来週には平泉で討ち取られるのかな。 「今日は無礼講だ、思ったことを何でも言ってくれ」と酒の席で上司に言われた社員が、
素直に思った意見を言った結果、翌月左遷される事などざらにあるし。 >>99
誘われたけど態度保留の広常を誅殺くらいで良かった
無駄にややこしくしてた >>111
合戦の話は一気に進むのが麒麟以降の定番だな >>66
あれほどの大勢力が無条件で臣従したのが間違い
最低限人質ぐらい取らないと >>109
それは本気にしちゃいけないテンプレのような話
上司の無礼講はあくまで俺今日機嫌がいいんだぐらいでしかない ワシを諌めてくれとか大河ではよく出てくる台詞ではあるが
風林の晴信と板垣とか青天の慶喜と円四郎みたいな関係は中々難しいな
頼朝と広常は持ってる力からああいう関係は難しかったのだろう
頼朝を美化しまくった大河なら広常の死で泣き嘆く頼朝が見られるかも知れんが 風林の板垣の扱いに比べ、甘利の扱いはあまりにも酷かった。 両雄死すのサブタイトルにもなってるし見せ場はしっかりあった
晴信母は甘利の死を不覚悲しんでいた
ただ晴信目線だと板垣は傅役だし其方こそ父と思ってるとの発言もあるので
やはり板垣は他の家臣と比べても格別の存在なのでは
それこそ青天の慶喜にとっての円四郎のような存在
慶喜も暗殺されたのが円四郎以外ならあんなに取り乱す事はなかっただろう >>121
見せ場あったっけ?
裏切ったとこ?
逃げるときに矢を射られて死んだとこ? >>120
あの時代はそういう趣味を持つ人間はかなり多かった
現代でも戦場に11歳の女がいれば強姦されるのが基本
ウクライナでは1歳が強姦殺人されたりしている
当時は11歳の少年が戦場にいたらやはり犯される可能性はかなり高い >>122
上田原合戦の前にも勘助に守る物あれば何としても勝たねばならぬと説く場面もそうだし
間者になって村上側に行ったりと見せ場は結構あっだと思う
村上を斬ろうとしたところを平蔵の矢で失敗とかは悪演出だと思ったが
晴信の悲しみに関してはほぼ甘利はスルーだったのは傅役としての存在感を考えれば仕方ないかと
そもそも討死シーンの板垣は流石にクドすぎたからな >>124
あの時代を分かってないな
父の前で息子を輪姦して殺すとかあの時代は普通にあったからな >>125
やっぱ扱い酷いな。
両雄とか言っときながら。 >>127
板垣は扱い的にも別格だからな
青天の円四郎のようなもん
風林火山板垣、青天円四郎、としまつ勝家は何となく立ち位置が似てる 菅田義経は、泥臭い役だな
タッキー義経は、上品だった >>49
人の世は理不尽な事で溢れている
言ってはいけない事を軽はずみにクチにしてはならない
言わなければならない事は相手が理解するように伝える
基本他人は助けてくれないぞ自分の身の振り方は深く考える癖を付けよ >>110
何で21話の内容知ってんの?
ガイド本にも出てないし、NHKスタッフと俳優くらいしか知らないと思うけど。 >>132
結構頼朝も美化されてたからな
その代わり政子が結構悪女路線だった
今までの政子でも一番黒かったのでは >>121
甘利虎泰は家系的には一条忠頼の流れだね
板垣信方も板垣兼信の子孫だな
何だかんだ武田信義の系統が戦国期まで残る
鎌倉で調子に乗ってた小笠原長清の子孫は信濃で戦国大名(小笠原義清)になるが、信玄にボコられて謙信に庇護されるまでに没落 信濃の戦国大名はなんであんな弱いのばかりなのか。
信濃の国は交通の要所で重要な土地なのに。 去年の大河を見てないから話しについていけない 円志郎というキャラがすごいのか >>138
去年見てなかったのか
平岡円四郎が凄い存在感あった
堤真一の集大成のような演技だった でも小笠原は大名として復活するからな
武田は高家までだし >>139 反省します また幕末か と思って見ずにいた 小笠原(加賀美氏系)って名門には名門なんだけどね
古典武術を伝える文化人としてしか生き残れなかった ふと「平安時代」ってどれくらいの長さなのかなと考えてみた
794うぐいす平安京
1192つくろう鎌倉幕府 約400年 これだけつづいていれば政府も腐ってくるよなと >>143
小倉藩15万石や唐津藩6万石とか大名複数残ったけどね 明応の政変(流れ公方誕生)以降を戦国時代として切ってしまうと、本当に150年足らずの足利の天下よ
まぁ一応、事務屋としての室町幕府は義昭追放まで続くわけだが... 青天に老中の小笠原長行あたり出てくるかと思ったが出てこなかったな >>137
だからこそ有事には甲斐がソッコーで押さえに行く
甲斐にとっての信濃は、日本にとっての朝鮮半島とか満州みたいなもんだな
さしずめ駿河遠江は南洋といったところか
地政学的な宿命というか、やってることが全く同じ >>151
むしろ信濃が甲斐を抑えに行くくらいじゃないと。
経済的には信濃の方が有利なのに。 寄せ書きに載ってたから一応畠山重忠も北条家の括りなんだ >>142
平岡円四郎は過去の幕末大河で数回出てるけどそんなに目立つ役ではなかった
青天では栄一喜作を一橋に仕官させる役割があるので重要人物として描かれて堤真一が配役された
従来の官僚的と言われる円四郎像とは真逆に人懐っこく温もりのある懐の深い人物として描かれた
暗殺された16話とその次の17話に関しては歴代大河の名作にも勝るが如く内容だった
一橋編に関しては全体的にも内容が濃く評価は高い
やはり何といっても堤真一の演技が見事だったのが言わずもがな >>153
まあ日清戦争や日露戦争も日本が勝つとは思われてなかったのと同じだわ 今年の広常も良かったが去年の円四郎と比べると物足りないな
まあ立ち位置が違うから何とも
暗殺に関しても円四郎暗殺の方がクオリティは高いが亡骸シーンに関しては佐藤浩市は素晴らしかった
今後の討死する人間はあのレベルの亡骸演技を期待したい
しかしあれは暫く放置されてた亡骸だろうな
あの一瞬であそこまで生気が抜けたら違和感ありすぎる
過去に事故死直後の亡骸を見た事はあるがあそこまで生気が抜けた感じではなかった >155>139>136>135>131>126>125>123>121>118>119
スレチだ、クズ野郎! あの広常の死体メイクはかなり気合入ってたな
佐藤浩市の演技もさることながらメイクもかなり頑張ったと思う
毎回あれくらいのクオリティは欲しい
重忠の討死シーンとか特に楽しみだわ >>128
ありそう。
毎回義経が出るたびに今日は何をやらかすんだとハラハラして目が離せなかったし楽しかった。
メチャクチャなキャラで義経だと思うと抵抗感もあったけどなんか癖になるキャラだった。 >>159
若さが若さがって女優叩きもウザい
じゃ若さってなんだ? >>51
将門って、桓武天皇5世の子孫だからな。
平安時代始まって、100年ぐらい経って生まれたんだろうなぐらいの見当がつくな。 >>163
これだと同じ設定らしいけどね
坂東武者も普通に側室や妾がいたのに、それを否定しているから >>165
そんな設定あった?
牧の方を嫁にするって言ってた時「またですか?」
みたいな話してたから異母兄弟多いのかと思ってた >>162
今年の大河なら堀田真由とか南沙良みたいなのだろ
麒麟なら川口春奈とか天野菜月 戦の天才でもこのいかれた義経についていく御家人とか
才能を認める梶原景時とかの心情が理解できない。
壇ノ浦の後、あの冷めた目で義経をみている義時、
芋を民に配る時、あの温かい目で義経をみている義時、が1番義経を理解している。 >>49
北条くんがのし上がれた理由が汚い手で蹴落としたから!
と思ったら相当お花畑だよw
それで100年以上も天下人できませんて普通 >>170
ピチピチした若い娘を見たいのが大河ファンだろ
30代なんて見たいとは思わんだろうに
溢れ出るような若さを堪能したいって事だ >>167
ふたりとも伊東祐親の外孫って設定じゃなかったか? どうも鎌倉幕府に三河が関係していると勘違いしている人間がいるようなのでハッキリ言ってやる。
いいか!鎌倉幕府に三河は一ミリも関係ねえ!
鎌倉幕府にとって心臓と言える場所、それは武蔵だ!
頼朝はそれを理解していた。だから一条忠頼を排除して平賀義信を武蔵守につけ武蔵守の平賀義信、現地武士団児玉党の畠山重忠、そして武蔵の調整役として武蔵全体に影響力を持つ比企一族の比企能員、彼らと自分を縁戚関係でガッチリ固めて武蔵を安定させた。
武蔵が安定していたから鎌倉も安定し頼朝は幕府を円滑に運営出来た。
時政は北条が御家人のトップに立つには武蔵を手に入れる必要があると理解していた。
だから比企一族を排除して自分が武蔵を統治しようとした。
だが、武蔵全体に影響力を持った比企一族に比べ元が伊豆の小豪族の北条では利権が絡まる武蔵の調停役は務まらなかった。
その結果、武蔵守の平賀朝雅と在地御家人の畠山重忠と調停役であるはずの北条時政の間で衝突が起き武蔵が不安定になり幕府も影響が及んだ。
時政は畠山重忠を排除して自分言うことを聞く人間を児玉党のトップにする事で武蔵を安定化させ自分の支配下に置こうとした。
それに待ったをかけたのが政子だった。
彼女はそれでは武蔵の混乱は収まらないと判断した。
だから彼女は争いの元である北条時政、平賀朝雅、児玉党を全て排除して代わりに自分の派閥の足利義純と安達景盛を武蔵に配置して強引に安定化させた。
そして、ある程度安定化したタイミングで弟の時房を武蔵守としてトップに置き、足利義氏と安達景盛に補佐させて武蔵を北条の支配下にした。
これ以後元寇までこの武蔵のグループが鎌倉を支えていたのだが、霜月騒動でそれが崩れた。
内管領グループが武蔵を自分達のモノにしようと武蔵から足利と安達を排除しようとした。
その結果、安達は排除されたが足利は残った。
だが、安達という要の一つを失った武蔵は不安定になった。結局それが新田義貞の蜂起の成功に結びついた。
分かるか?
鎌倉にとって武蔵守のいう土地は心臓なんだ
武蔵の安定化なくして鎌倉の発展はない。
だから鎌倉幕府の成立と発展に三河は何の関係もない。
二度と三河が鎌倉にとって重要などと勘違いしないように!! 若い女なんて周りにいくらでもいるだろ
わざわざテレビで眺めんでも >>167
たぶん今作では同時に妻を何人も持ってるって描写はしないようにしてる
亀の前事件で賴朝が浮気してるのが気に食わない政子に正当性を持たせるために
坂東ではそういう風習がないって設定にしてる
だからもう足立の娘と婚姻してる時期のはずの畠山が「嫁探ししようかな」とまだ婚姻してないことになってたり
和田の新しい奥さん欲しい発言が白い目で見られたりしてる >>182
義村の発言で側室を持つのが都の流儀みたいになっているけど普通に日本全国どこでも一夫多妻、或いは多夫多妻だったのにね >>178
政子は伊東祐親と絡んでた記憶がなかったから
伊東祐親と繋がりないんかと思ってたわ
>>182
ただでさえ登場人物多くてややこしいのに側室とか妾まで出したら人件費的にも
大変だから敢えてオミットしてるだけかと思ってたが設定自体なくしてたのか >>185
玉は岸とのルックス差が目立ってたような >>181
ここの人間は眺めたら変質者になるからな 三谷の「ありふれた生活」によると、壇ノ浦のVFXは水の表現に定評のある
ウクライナの会社で作る予定だったが、戦争で完成せず国内外の他のチームが
加わって完成させたんだそうな。ショボかったもんね。
朝日新聞取っている人がいたら確認して見て。
国内ではVFXはまだ発展途上なんだな。 >>93
不思議か?物を知らない田舎猿
吉見系図に書いてあるが
吉見系図を否定すれば、範頼の嫁が比丘尼の娘を否定する事になるが、いいのか?
安達氏から、安達氏の所領の一部を安堵されたんだろ
恐らく、安堵されたのは範円で、安堵したのは安達盛長
霜月騒動で滅ぼされた甲斐源氏嫡流だった伴野氏、三河の安達氏の旧領に逃げてきた、そいつは幡豆小笠原氏
そして当時、安達泰盛の所領が三河国小松原荘
安達氏は、足利氏に三河を譲り、上野に拠点を移したが、移した後も三河に所領を一定の影響力を保持していた
安達泰盛が金銅馬頭観音御正体(国重文)を奉納した東観音寺(豊橋市)
https://www.aichitabi.com/toyohasi/higakan.html
物知らない田舎者は恥ばかりかくよな >>93
吉見系図だと
三河→吉見→三河→能登(能登吉見氏の成立)→三河(徳川幕臣)
三河→吉見→三河→能登(能登吉見氏の成立)→石見(石見吉見氏の成立)
お前は、吉見氏と言えば石見吉見氏ダッペと主張したが、またまた恥をかいたわな
残念ながら三河でした >>93
補足説明だ
三河→吉見→三河→能登(能登吉見氏の成立)→石見(石見吉見氏の成立)→三河
吉見系図だと石見に移住した、本国三河の吉見頼行の息子が、また三河に戻ってきた
下瀬頼右
頼行の次男で、三河国下瀬庄を領し下瀬と称した
1350年足利直冬の使者として九州の相良孫次郎を味方に誘った吉見四郎頼甫に当たる人物と思われる。 >>93
またまた補足説明だが
石見から三河に舞い戻り、足利直冬に仕えたと伝える下瀬頼右
その足利直冬が本拠にしていたと伝えるのが設楽の比丘尼城だ
https://www.city.shinshiro.lg.jp/kanko/meisyo/bikunijyoato.html >>194
問題は水の表現とかじゃないんだよ・・・ >>190
初回で「伊東の爺様が京へ行く前日の宴」
に小四郎や兄の三郎、三浦善村なんかと一緒に
政子も宴席についてる
つまり佑親の娘が政子の母なんだろうと >>190
あと政子と伊東祐親の関係描写なら
伊東祐親が捕まったときに政子は小四郎と一緒に助命嘆願してたよ
竹馬とか双六を一緒にやってくれたって言ってたし政子も孫扱いで良いはず 義経は義円をそそのかしたり、手紙捨てたりとか行中の弓矢比べで相手撃ち殺したりとか
今はなかったほうが良かった気がするんだよな。激情家で戦場ではあれな手は使うので誤解されやすい
という感じにすんなり入ったろうに 確かに義円の件も行中の弓矢もオリジナルストーリーだもんね
里芋や蝉の抜け殻のプレゼントもオリジナルストーリーだからそれでバランスがとれていると言えばそうだけど
義経についてはドラマで多面性が描かれているのにこのスレでやたらとサイコパス一色で解釈したり
「死ぬ直前にいい人になった」と的外れなことを言っている人がいて
安直な二次元コンテンツに影響されすぎた厨房か?
って思ったらキジョ板の大河スレでそういう書き込みがあって意外だった キジョならそこそこ人生経験は踏んでいるとイメージしていたので
このドラマの義経をサイコパス一色で解釈する書き込みがなされそれに対してこのスレであったような反論もないのは意外だったということで 各板の関連スレを巡回して
とにかく自分の意見を投下してくタイプも多いから
鬼女スレで書いてるだけ鬼女って断定できるかというと微妙 まあ、ただ大河ドラマは通俗ドラマなんだし、それを見る方が割りと単純な見方ばっか
だったりでもそんなもんだろとしか思わないけどな。 >>202
>>203
結構描写あったんやな
勘違いやった 申し訳ない
ご指摘サンクスです。 天狗党の虐殺やさらにそれに対する報復など、「水戸の幕末史」は日本史上でも稀なレベルのジェノサイドとテロリズムが行われたのに、むしろ水戸はオカルトや心霊話にしなかったあたりが、「ネタに出来ないレベルの悲惨さ」だったのだとわかる。「洒落にならない歴史」ってのは水戸なんだね。 >>210
その話はスレチ
荒らしはさっさと巣にお帰り 鎌倉殿では最初の妻との子が宗時から実衣までで時房と妹2人は2番目の妻(鶴)との子って事だろうな 心を閉ざした大姫に対して政子&ミィが「八重さんの所に預けよう」と提案して
それでも駄目だった八重が鼻に墨を付けながら「気長に参りましょう」と政子&ミィに返答する姿は
正に八重が名実共に北条家の一員となった表れでもあるよな >>169
そうか?戦とはああいうものだろう
実際負ければ死ぬんだから「射たなければ死ぬ」んだし
逆に義時のいつまでも中途半端な感じに何だかなぁと思う 政子にしてみれば旦那の元嫁が
弟の嫁って相当気持ち悪いな
小四郎は初恋の幼馴染が上司の女に
なっててその経産婦のお古を充てがわれた…
三谷さんは寝取られ属性があるんじゃね たまに目を凝らして見ると新納慎也のカツラの線がピーっと見えることについてはどう思う? 主の女を下げ渡されるのは、臣下にとっては誉れだったと聞いたぞ 拝領妻だよな、映画によっては始末されてるそうだが()
現代的な感覚だとどう思われるか、というのを見るのも掲示板の楽しみだったりする >>215
叔母が甥の子を産む創作する時点で
その手の作品を好んでる気がする >>215
拝領妻は珍しくないし
八尾は北条家の縁続きで実家滅んで行く先なし
悪い話じゃないよな
八重が意固地になってただけで >>200
それ信憑性のある史料なの?
足利直冬って初陣に後すぐに長門探題に命じられて西国に飛ばされて西国を拠点に尊氏と戦ってなかったか?京より東で戦った記録は無かったと思うが?
後、確か吉見頼行って尊氏の祖父世代の人間で1309年に59歳で亡くなっている。その息子が1350年に直冬の使者って無理じゃないの?下瀬頼右と直冬の使者は別人で石見吉見氏とは全く無関係の人間では? >>222
生殺与奪を完全に義時に握られてたからな
あれ以上意固地になれば義時が開き直って八重は慰み者で終わる可能性あるから
一番高く売れるタイミングで義時の妻になる道を選んだのだろう >>221
北条だって足利だって近親婚
まったく縁もゆかりもないところから嫁がくるほうが珍しい
(それこそ親の反対押し切って駆け落ちした頼朝政子レベル)
再来年の紫式部の時代なんてそこらじゅう叔母甥婚だらけだよ 貞操観念は今とは全然違う
側女がいてあたり前、夫が死ねばすぐ再婚
昭和20年代でも戦死した兄嫁と弟が結婚は多数あった
誰も咎めない、、むしろ正しかった >>226
ここの人間は創作してまでやる事ではないと言ってるのだろ
紫式部の時代とこの坂東武者はまた違うからな
親近なら遺伝子が劣化するわけだしこの時代では従兄妹婚は普通でも叔母甥は異常に思えてならぬ
だからそこ現代でも遺伝子の劣化などを考慮して結婚出来ない訳でな
史実なら何も言わないしただ気持ち悪いで終わるだろうが創作してまでやる事ではないと言ってる
三谷がその手のAV作品を気に入って取り入れたのではとか疑ってしまう
そもそも善児の存在だって漫画に出てくる暗殺者にそっくりな役柄なので漫画やAVを大河に持ち込んでる感は否めん >>229
八重が寺子屋学校の概念の先駆者的な存在になったりして
女教師的な感じになった八重が震災に巻き込まれて子供を助けて・・ >>227
家康最後の側室も若年だったので嫁いだしね
ただ家康の嫉妬で呪い死にしたとか言われるけど >>228
そもそもこの時代に遺伝子劣化という概念はないよ
貴人ほど近親婚だしそれで日本が回っている
現代だっていとこ婚は可能だしたいして弊害はない 家康スレで岡田准一の義経の話が出てたけど
岡田なら年齢バランスは悪くはなかったかも
ただ今回の義経像は菅田への当て書きの部分が強そうなのでこれを岡田が演じると違和感ありすぎ
アクションは岡田の方が安心感抜群だろうけど >>232
従兄妹はいいけど叔母甥叔父芽育を創作してまで描く脚本家に引くわ
まあ昔は兄妹とかたまにあるけどやはり健全ではないな 連投済まないが義時が大姫に子を産ませた創作しても受け入れられるかって話
大姫を言い伝え通りに死なせずに重時の母とかに創作しても視聴者は引かないのか聞きたい >>227
妻は夫が死んだら尼になり夫の家が一生養う
ということになったのは江戸時代の3代家光以降の武家社会
3代将軍以降、武家の妻は正室も側室も夫が死んだら一律に出家させられて
夫の家が一生養った
でもそれ以外の時代はそうでもない
江戸時代でも武家以外は再婚自由で
女性が少なかった江戸の庶民では後家は引く手あまただった 家康は結構御家好きだったな
産んだ経験ある女を側室に
最愛の人と言われる西郷局(来年広瀬アリスの役)も出産経験あった 兄弟や肉親の感覚は同じ家に住んでいるかどうかで違うんじゃないかね
古代の異母弟妹婚が当たり前だったのはそれぞれ母親のもとで育てられて
兄弟感覚が薄かったことから来たとかの文どこかで見たし
だから木梨軽王子と衣通姫のようなのはもってのほかだった >>235
義時と八重は同世代の幼馴染、そういう結婚はあっても普通
義時と大姫は年齢差ありすぎでロリコンなのが問題あり
爺と少女の恋愛大歓迎の江守爺の妄想がおかしい >>239
その江森何とかは誰か知らんが私も叔父姪の義時と大姫は引く
龍馬と春猪なんかも八重と義時くらいの年齢差だろうけど春猪が龍馬の子を産んだら引く >>239
有望な20歳くらいの若手の義時と
経産婦で行き場がなくなった八重おばさん
甥を自分への恋心を利用して筆下ろしして虜にした筆下ろし醜女にしか見えんがね
まあ姫の前が出てきて義時は若い身体の虜になってその対比でかませ犬になる訳だが おばさんの私は身を引いて尼になりますから若い比奈殿と宜しくやってください
こんな感じになるのかどうか >>239
流石に江守徹の年代はアレだけど堤真一くらいの年代が本田望結くらいの側室を侍らす画は悪くはない
叔父姪とか叔母甥なんかよりは断然健全だと思うがね 巻狩りが23話だと八重と比奈が被りそうな
女の修羅場はもういい加減にして欲しいけど三谷がここでもしつこく描いてくる可能性もあるな 八重と比奈が修羅場になっても若くて肉食の比奈が勝つ画しか思い浮かばない
八重が比奈に毒盛ったりするのはないだろうし
逆に比奈が八重に毒盛るのは有り得るが 書き込むスレを間違えた
松坂慶子は結局出なかったな
ゲスト的にでも二位尼で出るのかと思ってはいたが
三度目の壇ノ浦入水はなかったか
今後の源平大河も10年先になるだろうしその頃の松坂は80歳くらいになるのでもう壇ノ浦ダイブは無理だろう 比奈も肉食で義時をカマキリのように貪るのはいいけど
流石に毒盛ったりとかは引くわな
それだと泰時が真っ先にターゲットになりそうだし
自分の産んでない子を殺そうとするのは本能だからな 政範もりくの小細工のせいで殺されるのは規定路線だろうしな
比奈なら泰時に盛るのも有り得るけど >>251
政範が生きてたら平賀擁立なんか企てなかったのかな >>239
義時と八重が同世代の幼馴染?
ドラマが始まった時八重の産んだ子供は2、3歳にはなっていたよね
義時は12、3歳のはずだが(史実)?
八重の方が4、5歳は年上でないとおかしい
頼朝と義時は16歳差があるから同世代だと
頼朝がロリコンになってしまう
「平清盛」だと頼朝と八重が出会ったのは清盛が太政大臣になって直ぐ辞めた頃だから頼朝はまだ20、21歳の頃、多分八重は15.6歳だったんじゃないかな
その方が自然だし今回は次期がおかしいなと思う
それだと八重は政子より年上で義時とは10歳位は
離れているけど >>252
嫡男だから自分の手があまり掛かってないからだろうな
政宗も義姫が自分の乳で育ててたら毒を盛られなかったろうに
りくが義時に毒を盛るのはかなり可能性としては高いな
義時が政範に刺客を送って流れだろう >>254
違う
おちゃこは義姫に指示されただけ
義姫も義光に唆された感じではあったが >>53
鎌倉辺りは武家貴族の支配体制の渡河期だから、上下関係が曖昧。
意外と似たような会社組織は存在する。
結構参考になるよ。 >>256
政子より少し上くらいかなと
仮に15歳で千鶴産んでても18歳の時に義時は12歳
幼馴染ではあるが同年代よりは少し上だろうね >>58
太田家河野家の悪口はそのあたりにして頂こうかw 八重が12歳で産んでて義時の3歳歳上って可能性もあるか >>258そもそも母子のプロレスで竺丸はその後も生きてた説がある 頼経は10歳以上上で経産婦の竹御所と仲良かったな
学者のジジィの中には竹御所が経産婦と認めたくなくてあれは養女だ!
言ってるのがいて笑えるがw >>235
そういう伝承がどこかに残っているのなら別は引かない。でも伝承も残ってないただの妄想なら引く。 >>265
八重が泰時産んだもほぼ妄想
あらかじめ言っておくが最誓寺の縁起は義時の事ではなく江間次郎の事だと言うのは結論出てるので伝承としては無意味だからな 草燃えるで泰時を頼朝の子かも妄想してたのには引いたな >>251
それはお前の妄想。
史実でも政範は病死。
第一義時に政範を殺す動機がない。 でもこのスレでは泰時が頼朝の子かも妄想してる奴ちらほらいたから
それに比べたら八重が泰時母かもは最誓寺がある以上
まだマシてとこ >>270
最誓寺の縁起は義時の事ではない
江間次郎の事 >>256
千鶴は1173年生まれで頼朝と八重が関係もったのはその前年ぐらいだろ
義時が数え11歳の時に千鶴が生まれている
八重はやや年上だろうが義時が花摘んで遊びに行く幼馴染だよ
頼朝と政子も10歳差あるが30歳と20歳で駆け落ちしてロリコンとは言わんだろ
義時が大姫に手を出すのと一緒にして幼女搾取を正当化するのはやめろ >>255
東條だったら中国が発狂するわw
明治メインで昭和前期がおまけならいいが
がっつり昭和前期は大河じゃやれないだろう >>271
史実と言うか言い伝えだね
まあ実際はただ殺したではなく藤内に非があったようなでっち上げはあったと思う
それこそ誰かが書いてたように義高を犯したとか >>257
政子も頼家を自ら育ててたらああいう悲劇は避けられたか 大河で白けるのは出生をいじること
花の乱で富子の出生いじってむっちゃ白けた
清盛のはまだ当時も噂あったからいい
泰時みたいにカケラも噂ないどころか義時の息子だから
ただ人ではないんですね言われてた人の父親を頼朝にするなんてあり得ない >>273
義時と八重があまり歳変わらないなら
今度は頼朝が幼女搾取で八重に手を出した事になるぞ >>278
草燃えるの泰時は頼朝の可能性もあると言うだけで頼朝の息子とは断定されてない
父親が頼朝か義時か分からないって設定 >>264
経産婦って出産で赤子もろとも死亡のはず >>280
そう
だから余計にうざかった
昼メロ敵に盛り上げるためだけにそういう設定にしたから
だから義時は自分の子だと何故か言い張りその後はなかった設定になって
でも間に受けるアフォがこのスレにもチラチラいてさ >>153
今も松本と長野が犬猿だし、まとまりにくい土地なのでは?毎年滑り行くからよく分かるわ。 >>279
頼朝は1173年に26歳
八重が15歳ぐらいならロリコンでもなくね
当時は15歳成人で幼女という年齢でもないだろ >>286
大姫が重時産んだとしてもそんなに違和感ない年齢だけどね
まあ重時産んだ時は大姫は既に死んでいるとされるけど >>288
大姫まだ8歳だぞw
義時と大姫は15歳離れてる >>259
上下関係も曖昧だが、もっと曖昧だったのは
平安末期の土地の問題
このドラマでは全く触れていないけど大袈裟に
言えば京の朝廷は先進国で坂東はその植民地の様なものだった
古くは防人(後年、坂東に限られるなった)
そもそも武士の誕生は土地争いを鎮める為に自分達で自衛しなければならなかったからだけど
国を治める朝廷は全く何もしてくれないし反乱が起きると現地の役人に任せっきりで鎮圧したら
ご褒美でより良い土地の守にしてもらうことしか
考えていないのが役人
その上平安末期に同じ武家の平氏が力を持って
政権も担当するようになり大番が3年に
これは往復の交通費から宿泊費、滞在の間の食費やら住宅の確保など全部自分持ち
それに警備の仕事をしてもノーギャラ
ひとついい事は都とのパイプを持てるくらい
その苦境を打開する為に頼朝を旗頭にした訳だし
宗時がなくなる前「北条が頂点に立つ」なんて
野心的な事言って亡くなったから初めから北条は
源家の人間を抹殺していくつもりだったと悪い
イメージを持たれてしまった気がする
頼家はそうだけど実朝はむしろ北条にとって
痛手だったと思うけどね >>289
仮に重時産む創作するなら大姫は20歳
史実だと大姫はもう死んでいるが 利家なんて22歳で従姉妹の11歳の少女を孕ませて出産までさせたからな
まつが出産したのは11歳11ヶ月
34歳の義時が19歳の大姫を孕ませるとか屁でないだろ
ただそういう創作をしたら私はドン引きだね 朝時は比奈が義時をカマキリのように貪った末に産まれるのは間違いないだろうから
大姫が義時を産む創作するなら重時だろうな
もしそれだと大姫も八重同様にオリキャラ化するような気がする
叔母と姪に産ませるとかこんなダークな主役がいていいのかと思ってしまうわな
まあ八重に産ませたのは大姫に産ませるのと同じ事だからな
視聴者はドン引きしてるだろ既に >>291
大姫は3歳年上の義高にプラトニックラブをささげて
2歳年下の若い後鳥羽天皇のお妃という名誉すら棒に振るのだから
15歳年上の叔父さんなど気持ち悪いだろう >>294
叔母上ぐへへへ創作したんだから
大姫ぐへへへ創作もしかねない >>276
ないね
そもそも鎌倉期に吉見が三河に所領があったという記録が三河にない。 >>294
というか義時からしたら普通は叔母とか気持ち悪いだろ
年齢差は10も離れてないだろうけど
今回の義時が叔母とか姪とかに興奮する性癖として描かれてる可能性はあるが >>272
義時のことだよ。
下の名前も不明の下っ端が寺を建てれるわけがないだろ。常識で考えろ! >>295
だから義時と八重は幼馴染で
義時と大姫みたいに15歳も離れていない >>298
地元でも義時の事ではないと言うのは定説
あれは江間次郎の事
江間の領主なのだからおかしくはない
そもそも元々あった寺に千鶴丸供養の為に寄贈したのだと思うが
そりゃ最誓寺からしたら次郎が寄付した寺よりも義時が建てた寺の方が格式として天と地の差があるのだから
義時と言い張るのも無理はなかろう >>299
重時産ませる創作するなら19歳で孕む
34歳の義時と19歳の大姫なら年齢の違和感はない
27歳くらいの八重が20歳の若者に自分への初恋を利用し筆下ろしして子を産むのも気持ち悪い
まあ大姫が重時産んでも気持ち悪いし引くけど >>300
実際も疑われる下っ端が寺を建てれるわけがない。
常識で考えろ! >>303
もう地元でも聞き込みしてるから何を言っても無駄
あれは義時ではなく江間次郎
寺が言い張って後付けで二代執権と尤もらしく書いてるだけ >>301
実在も疑われる下っ端がどうやって主人の土地に寺を建てるんだ? >>305
寺を建てたのか最初からあった寺に千鶴供養の寄付をしたかは不明
そもそも主人に無断で寄贈するわけではないだろ
祐親からも千鶴は殺したとは言え一応孫な訳だし娘の八重の為なら黙認はしてくれよう >>302
男が女より15歳年上なのは気持ち悪くないけど
女が男より7歳年上なのは気持ち悪いって
ロリコン江守爺だけだから >>304
ほー、地元の人間がドラマの架空人物の江間次郎が建てたと言ったんだね(笑) >>286
多分八重は政子と同じ歳ぐらいじゃないかな
仮に同じ歳だとすると
1157年産まれとして
頼朝と付き合う 1172年 15歳
千鶴丸を産む 1173年 16歳
祐親京都から戻る 1175年 18歳
頼朝旗揚げ 1180年 23歳
祐親処刑身柄は義時へ 1182年 25歳
泰時を産む 1183年 26歳
不自然はないな当時15過ぎたら適齢期政子は母不在で弟妹の親代わりだから婚期が遅れた
頼朝が相手なら家族と離れずに済む
頼朝も北条の後ろ盾が出来る
坂東武者たちも頼朝が坂東側の人間だと喜ぶ >>308
江間次郎をオリキャラだと思ってるのか
それなら何を話しても無駄だな
江間次郎は実在されたとされる人物
>>307
叔母甥や叔父芽郁は両方とも気持ち悪い
しかし女が7歳年上か女が15歳歳下かなら本能的に考えても
後者の方が大河ファンからは圧倒的に受け入れられるのは間違いない
あくまで俳優年齢での例えになるが
功名が辻に出ていた上川隆也と浅野ゆうこよりも
上川隆也と長澤まさみの方が断然画としては美しい >>310
それな
平家を恐れて殺した孫のための寺なんて祐親が許さないと思うわ
逆に義時が建てたなら頼朝は感謝するぐらい >>310
それはあくまで客観的に考えた意見なので妄想妄言とは違うかな
ただ地元では義時ではなく次郎と言われてるのは確実
私はタイムマシンを持ってるわけでないので史実までは流石に分からんがね
ただ最誓寺の縁起は義時ではなく江間次郎の事の可能性の方が断然高い
寺としては言い張って認めないだろうがね >>276
範円は三河で坊さんしていたと、何回も説明してんだろ
高卒チンパンジー
■正法寺(三河県豊川市赤坂町西裏69)
創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(三河県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する 以前よく出回ってた叔父が姪を犯すようなロリビデオとか反吐が出たけどな
やはり叔父姪とか叔母甥とかは気持ち悪い物は気持ち悪い
創作してまで叔母が産む姪が産むとかはやってはならない >>311
江間四郎は伝承として存在するが、江間次郎は伝承を元にドラマ用に作った架空の人間だよ >>316
八重の入水伝説でもその嫁いだ相手が江間次郎
江間の所領持ちであったが八重は伊東屋敷で暮らしていて屋敷を抜け出し亀石越えて北条を訪ねた末に自害
次郎を架空と言ったら八重も亀も架空とせねばならんな 定期的な寺の江間論争って自演なの?
すごくどうでもいいネタなんだけど 江間も勿論オリジナル設定はあるだろうけど
それを言ったら八重とか亀は更にオリジナル設定が強い
そもそも八重はもう死んでいるし亀も良橋の娘設定ではなく漁師の妻になってる >>318
最誓寺が言い張ってるからこういう論争になる
ただ寺としては義時の事ではないと認めてしまったらデメリットしかないから言い張るしかない気持ちもわかる
今まではひっそりとした寺だったのだろうがこれだけ八重が全国区になってしまうとめくられて炎上も心配 >>318
1人のキチガイがIDコロコロ変えて騒いでるだけ 寺の関係者だかが1人混じってるんだろうね
どうしても義時が建てた事にしたい奴がずっと常駐してる 曽我物語だか何かでは江間小四郎だったはず
江馬になってるのもあるし結構紛らわしい
最誓寺の縁起では江間小次郎
二代執権とか書いてあるのは完全な捏造のか勘違いなのか知らないが縁起の江間小次郎はこの大河の芹澤興人が演じていた江間次郎の事 でも今回の江間次郎はかなりインパクトはあった
ひたすら報われないキャラで最後にやっと八重が手を取り一緒に逃げるのですと人生の絶頂直後に善児に殺される
顔のインパクトに侮るな発言とか江間次郎は全国区になったな >>315
反吐履くほどキモいのに借りるのか
最近知ったのだが、文豪、島崎藤村は兄の娘と愛人関係になって子供を作ってる
実在の人物で知ると確かに反吐が出るほど気持ち悪い >>315
反吐が出たとか気持ち悪いとかいうけど
絶対興味津々で調べまくってるだろ
わざわざ調べないとそういうのわからないぞ絶対 >>326
以前は裏でガチのロリ動画とか出回ってたろ
今は所持しただけで犯罪だが
姪を寝てる間に云々とか反吐が出るだろ本能的にも >>325
だから叔母に産ませるのは気持ち悪い
創作してまでやる事ではないだろ それは叔母だから気持ち悪いんじゃなくてロリだからじゃねーの? 大姫と安徳は同い年と言われるが
仮に安徳が女設定で生き延びて義時の肉体関係になったとしても嫌悪は全くないが
大姫なら気持ち悪い以外の何物でもないからな 叔母の八重が義時の子を産んで女からクレームが来ないのは年増女を義時が引き取ったのに自己投影してるからだろうけど
大姫が義時の子を産んだらクレーム殺到は確実だろ >>334
八重がこれだけ掘り下げられてしまったからな
入水伝説も捻じ曲げられて生き続けてるし議論としては格好のネタなのでは つーか現代とは姻戚関係も性的モラルも違うんだから
現代人のモノサシで語っても意味ないだろ
異母兄弟・異父兄弟がワラワラいるし
年下の叔父叔母とか年上の甥姪とかも溢れてて
そんな中で叔母甥婚キモいとか思わねーよ誰も >>314
それは承久の乱の後だから息子の為頼が武蔵の吉見氏の養子に入り独り立ちしたので寺で父親の菩提
を弔っていただけで三河に吉見氏の地盤があったという証明にはならないのでは? 終わったもの議論してもどうにもならんのにな
漫画ならコミック時に改変もあるけど
こんな解釈こんな演出にしたんか、としか >>328
八重自体が伝承の人物で実在が疑われているのだから別にかまわない。 発達は思い込んだらそれまで
自分の意見は死ぬまで変えない
論理的に説明しても全く理解できない
何度となくトラブルを繰り広げても
同じことを繰り返すのみ
それわかってて相手してんの? >>338
突如設定変更はあったな
初音が幸村の妹から姉に 「八重と義時は叔母と甥で」
「何それキモくね」
「いや昔は普通にあったから」
「何それキモくね」 >>336
史実なら気持ち悪かろうが問題ないけど創作してまでやる事ではない >>342
江守爺は義時と八重が叔母甥婚ということよりむしろ
八重が義時より年上の経産婦であることが許せないらしい
女は処女に限る!あと若さは女にとって唯一の価値で年上女は絶対ありえん!
尚、男は高齢ヨボヨボであればあるほど女にモテまくるだってさ >>344
その江森爺さんとは別人だけど
大姫が重時産む創作も受け入れ難いけどな 高齢でモテるとは思わんが堤真一とか又八よりも円四郎の方が美男に感じる
役柄もあるだろうけど でも江守徹とかは若い時の方が美男ではあったな
元禄太平記の頃とか見惚れてしまうくらいの美男子だった
しかし葵の三成の老成した感じも好みではあるが
あかねや絃三以降ルックスも演技も少しおかしくなったのは否めない
ただ斉昭なんかは呂律が回ってないのが逆に老害感を補強してあの脚本と厄介者斉昭に説得力を増していた そういえば江守徹は源平大河には縁がないな
新平家とか出てるけど役名不明だしそれ以降は全く源平には出ていない >>339
創作してまでそんな筆下ろし物AVみたいな設定にする方がどうかしてると思うが 今月は義経月間
21話でも義経の最期を描いてくれるだろう >>323
最誓寺に縁起は江間小四郎だよ。
適当なこと書くな どうでもいい話はもうやめて
義経の話しようぜ。せっかく義経月間なのだから。 >>317
曽我物語も最誓寺の縁起も江間小四郎だから入水伝説の江間次郎は書き間違い。 >>354
どんな最期を遂げるのかが楽しみだな
滝沢義経なら神妙な顔をして手を合わせて潔く自害しそうだが
この菅田義経はかなり悪あがきしそうだ
別人を替え玉に仕立てて生き残りを謀るぐらいはやりそうだ。 >>353
最誓寺の縁起は江間小次郎
ただあれは義時ではなくこの大河で芹澤興人が演じてた江間次郎の事なので二代執権とかは完全な似非ではある
それが意図的なのか間違いなのかは知らないが
地元でも義時ではなく江間次郎の寄贈と思われている 以前は蝦夷地を抜けてジンギスカンやりかねんと思ってたけど
先週が全盛期っぽい演出だったし、やはりタヒぬんだろうな... >>356
滝沢義経は「新しき国・・・」と呟きながら
刀を首に当てて自害→大爆発して天馬になり空を駆ける >>358
チンギスの嫁ボルテがメルキトにさらわれて
長男ジョチもう生まれてるのに義経=チンギス説やるわけない 義経は衣川で死なず、蝦夷地に脱出したって伝承までは取り入れるかもしれない
>>360
腐り果てていて、真贋判定は出来なかったそうだし 藤平太たちに送った大量の芋をどうやって手に入れたかが気になる。
そして、あれは料理しない状態で村人に渡した方が保存が効いて良かったのでは?とも思う。 >>363
岩手県宮古市の義経北行伝説までやってくれるかな。 >>364
口にした義時が微妙な顔をしてたな
あんまり美味しくなかったのかな >>366
小四郎もいまや偉くなって美味しいもの食べてるからなあ。 >>363
首桶抱えて泣く頼朝がかなり間抜けになってしまう
21話では後日談として義経の最期を描くので死まではやるよ >>367
義経はいい物食っても純粋にああいう芋を美味いと思える無邪気さがあるんだろうな
ある意味子供みたいな感覚の高級とかに拘らない味覚
義時は舌が肥えてる感じ >>369
無邪気、そうだろうね。だから義経は約束通り芋をふるまった。
義時だったら多分芋じゃなくもっと上品な菓子とか魚料理とかをふるまったと思う。 でも、義時だって八重への献上物は農作物とか海産物とか素の奴だったから
そういう気のきいたものは振る舞わないのでは? >>370
今で言ったら高級な物を贈るか手作りの物を贈るかの違いのような
昔北の湖が怪童と呼ばれ幾つかの相撲部屋からスカウトを受けて色々高価な物を贈られたらしいが
三保ヶ関部屋は女将が手編みの靴下を贈ってくれて三保ヶ関部屋に入門を決めたとか
人格者の北の湖らしいエピソードと思った
義経も高価な物を贈られたりするよりも純粋に褒めてもらって政子の手編みの物の方が嬉しいんだろうな 時政は高級野菜を義時は貴重な食べ物とか珍味(虫含む)をお土産に持ってくるのが好きなイメージ >>371
そこは逆
義経は静御前なら高価なものを贈っただろう >>366
食って首を縦に振りうまいうまいのジェスチャーしてるぞ。
民という設定の漕ぎ手を平気で殺す義経に怒ってたが、なんだ民にも優しくもするんだ、という顔。 >>373
八重への土産攻勢
あれ毒キノコ混じってただろうな >>376
でも、平安基準では里は美人ではないだろうか
八重とか奇形の類いだろ >>373
今なら
時政 メロン、マンゴー
義時 蜂の子、ザザムシ >>380
義時は松茸を贈りそう
少し毒キノコも混じってるだろうけど 八重は顔が長めで背が高いから
末摘花っぽい
平安時代なら醜女 >>379
ブサかわでもないからな
静が普通にマシに見えるくらい麻痺させる効果があった
初登場した時の里は兎も角静と義経を嫉妬狂いしてた時の里の顔はヤバい 新垣が醜女って凄い時代だな
世の中の女はあの時代に産まれてればと思ってる奴多そう
実際あの時代に産まれたら慰み者になるのが関の山なんだろうが 平安時代は母系社会で通い婚だから
実家がそこそこなら楽な生活
女子相続もあって、比企の尼みたいな金持ちで
婿たちをこき使う婆もいた 江間小次郎は勘違いだな
建てたか寄付したのかは知らんがその江間小四郎は北条義時とは無関係で
江馬次郎の事を指すのが地元でもそう言われている
江馬次郎とはこの大河で言う江間次郎であり実在人物 二代執権とか勝手に書いてるから知らない人は勘違いしてしまうよね
それがその縁起の悪質な所なんだけど
江馬次郎の事なのにあたかも義時の事と思わせる為か言い張ってるのか二代執権江間小四郎と縁起に書くのは悪質 今回一番美女に見えたのは鈴木京香だった
キムタクの料理ドラマのようにサバサバ系の役を演じると却って意地の悪さが滲み出る感じになるのに
悪女系だと微妙に情のある魅力が出る面白い女優さん >>361
奥さん誘拐中にジョチを妊娠したって本当? 流石絶世の美女の細川ガラシアを演じてるだけあってこの歳でも美人だな
最近のガラシア女優はミムラとか橋本愛美とか微妙なのが続いているが
芦田愛菜のは子役みたいなもんだし
長谷川京子は見た目だけは見事だった 最誓寺の関係者でもいるのか?
神護寺三像の伝頼朝像が足利直義ってのを認めないみたいな? >>397
1週間くらい前に一人でID真っ赤にして50レスくらいしてた奴いたから関係者を疑うわ >>391
伝わる名前もバラバラな実在したかも怪しい下っ端が寺なんて建てれるわけがないじゃん。 >>400
それは知らんが義時が建てた寺ではないのは間違いない
八重の旦那となった次郎が千鶴丸供養の為に寄付したのを寺を建てたと言ってるのか知らんが
あの縁起の江間小四郎ってのは江間次郎の事で間違いない
地元でも誰もがそう思っている >>394
宮沢りえも良いと思う
あの2人の対決は見てみたい 寺が勝手に北条義時と言い張っても地元では誰も信じてないなら仕方ないのでは
寺としては義時が建てたか否かで格式は天と地だから言い張る気持ちは分かる >>404
宮沢りえは大河では初めての悪女路線だね
今まではいい人のような女しか演じてこなかった これ以上議論しても最誓寺の評判が悪くなるだけだからな 晩年淀は結構良かったんだよな
もっとマシな作品で演じさせたかった
6回目の大河だしかなりの常連
鈴木京香も同じく6回目 >>404
うん
次点はりえ
この二人がこのドラマの綺麗所っていうのがw
年齢いっているのに 麒麟でも檀れいとかは綺麗ではあった
ただ鈴木や宮沢は綺麗ではあるが男が欲情するかは別問題ではある
欲情するのはやはり川口とか堀田と南なのだろう >>403
そういうのはちゃんと当時の史料に名前が確認されるようになってから主張しろよ。
当時の史料にも後に書かれた歴史書にも名前がない人間が寺を建てました。地元の人間もそう言ってますと主張しても鼻で笑われるだけだぞ。 信憑性の高さから言えば
江間小四郎が北条義時で
江間次郎は実在しなかったか
義時を指すんだろうなw
次に義時と次郎は別人説 >>412
建てたか寄付したのかは知らんが最誓寺を建てたのは北条義時ではないのは確か
地元でもそんな言い伝えは全くないし最誓寺が言い張ってるだけ
言い張る気持ちはわかるけどこれだけ八重が有名になったのだから流石にと思ってしまうが >>413
その理論だと頼朝に会わせない為に嫁がせたのに相手が頼朝の近くにいる敵方の北条義時の訳がない 曽我物語とか源平衰盛記でも江間小四郎やら江間小次郎やら誤字りまくってるし
みんなアヤフヤだったんだろうか >>417
多分そう
芹澤興人の演じた江間次郎も江馬次郎とか書いてるのもあるし >>415
地元に最誓寺を建てたのが北条義時と残っている以上新たな史料が出てこない限り覆らないから諦めろよw >>419
縁起なんて寺の胸三寸だろ
地元の人間も馬鹿じゃないから誰も信じてない訳だし
最誓寺の縁起のような勝手に書いてるような縁起なんて日本中に幾らでもあるぞ
今回は八重がヒロインに抜擢されたから玉玉最誓寺が目立ったが 最誓寺縁起
とか
三河vs武蔵
とか
なんで定期的に出てくるの? >>421
横だがその縁起の根拠はあるのか?
義時が建てた寺と言う根拠は? 宮沢りえは江のとき随分老けたと思ったけど今は逆に若返って無いか? >>425
あの時は37歳にしてはかなり老け顔に思えたけど
今は48歳にしては若く見える 目を凝らして見ると新納慎也のカツラの線がピーっと見えることについて気になる奴いないの? >>417
曽我兄弟の弟を義時が世話して五郎と通称が付けられたのは義時が小四郎だった証拠の一つになるだろうな カツラの線がピーっと見えるとそれだけで時代劇が一気に安っぽいものに見えてしまう
コントを思い浮かべてみれば明らかなこと >>429
最悪だよな
剃り上げて、日常はかつらにすべき
役者根性が足りぬ ところで今月と来月初めにクレジット2番手と3番手が相次いで退場するけど政子がそのまま繰り上げるのか誰かに割り込まれるのかでドラマ後半の政子の重要さが明らかになるだろうな >>433
ちわーっす、
朝も言ったけど、別に気にならないよー >>435
割り込まれるとしたら堀田真由だろうけど流石に小池栄子2番手だと思う
北条義時の大河で北条政子が4番手ってのがそもそも異例の事態だろ
堀田は役柄次第では連名もあるような役者だよ
今回は姫の前だから小栗→小池→堀田こんな感じだろうけど >>435
泰時が成長したら坂口健太郎が2番手に来そう
ヒロインポジションw >>416
はぁ?
その理屈は史実ですかー?
根拠示せよ 滝沢義経の時の上戸彩とか3番手固定で2番手になれなかったな
石原さとみどころか南原でさえも2番手あったが上戸だけは回想以外終生3番手
前年の山本耕史も3番手だったが一度だけ2番手があった
その前の米倉は3番手基本で堤が出ない時は2番手 義時は江間四郎だよ
吾妻鏡でそれが多い
北条の時は時政と区別するために北条小四郎となる
地元では江間小四郎となったり
次男坊なのでさらに小次郎と呼ばれることも多い
まあ地元だと父親と区別するために小をつけるが
吾妻鏡は江間殿と言ったら義時とわかるんで江間四郎記載なんかもね >>439
そもそも2番手って準主役>ヒロインって感じになる
女大河でも準主役>相手役
瑛太とかりえとか西島とか >>442
ただ最誓寺の縁起の江間小四郎は義時とは別人らしいけどね
最誓寺のはこの大河で芹澤興人が演じてた江間次郎の事を指す >>423
根拠も何も縁起にそう書いてある以上覆す当時の史料が発見されない限り最誓寺に縁起が公式だよ >>444
没落豪族の娘とその家人が寺立てたのかw
しかも、江間次郎は曽我物語で平安末期1180に死んでんのに
鎌倉時代創建の寺をなーwww >>444
そう主張するなら江間次郎が当時実在していたという史料がないと話にならない。 横田栄司や栗原英雄より新納慎也や迫田孝也の方が有名なのに前者はピンで後者は連名なんだよな ところで鎌倉殿の13人大河ドラマ館と鎌倉国宝館、鎌倉歴史文化交流館に行った奴いる?
もしいたら感想を教えてくれ >>448
その通り
最誓寺の縁起は全く裏付けがない似非伝承
>>447
建てたと言うか寺は元々あって千鶴丸供養の為に寄付したとかでは
ただ義時が建てた寺ではないのか確定してるが
それを二代執権とまで付け加えてあたかも北条義時であるかのように情報操作してるのが悪質ではあるが
寺としては箔付けとしては義時か次郎かでは天と地の差だから言い張る気持ちは分からんでもない >>445
いやそれだと書いたもん勝ちになるぞ
縁起が公式資料の筈はない
根拠が全くないただ書いてるだけを公式とか認めたら日本各地で似非伝承が湧き上がる 前回の紀行(赤間神宮?)の再放送はいつありますか? 伝頼朝像なんてのもあるし伝承なんて言うのはその程度のもの
言い張るのは自由だし、それは目くじらを立てるほどの事でもないけど >>452
嘘や想像で他人の意見を否定してる
お前の方がよほど悪質www 鎌倉殿の13人大河ドラマ館と鎌倉国宝館、鎌倉歴史文化交流館に行った奴いないの?
いたら感想を教えてくれ >>456
いやその縁起は地元でも義時の事ではないと言うのが定説
それを義時と言い張るならばその根拠の資料が無い以上は無効だろ
そもそも縁起なんて寺の胸三寸なんだから
そもそも日本中にその手の似非伝承は幾らでもあるけど今回その最誓寺は八重がヒロインなので目立っただけ >>458
自分を棚に上げて
他人を批判するクズーwww なんかただの荒らしみたいだからもうこの議論はここで終わり
最誓寺の江間小四郎は義時の事ではないのだけは確定してる
次郎なのかそれは根拠もないが義時ではないのは確実
もしこれ以上の議論がしたいなら最誓寺スレでも立ててくれれば相手しよう
ここでこのまま議論すればスレが荒れるのでこの話はお仕舞い >>452
だからその主張は江間次郎が実在の人物であるという当時の史料を提示してからの話だ。もし、江間次郎が最誓寺を建てたと主張したいならそれが書いてある史料を提示しろ。
史料がない以上江間次郎が最誓寺を建てたという主張はお前個人の妄想に過ぎない。 >>461
やっとお前の妄想話が止まってホッとしたよ >>462
>>461
日本中に色々伝承あるけど目立ってないだけの嘘八百も多いんだろうな 取り敢えず八重の退場に関しては月末には分かるか
何だかんだで話題性ある人物だったし三谷としては狙い通りなのかも知れん >>461
お前は議論できていない
終わらせてやるから
二度とこの話題を出すなよ
徹底的に潰すぞwww >>466
そこが難しいから史観は人それぞれなんだろうね
100人居れば100の史観があると思ってる 重時が大姫の子て考えたこともなかったがなるほど良くできてるなw
史料読んでる奴が妄想してるんだろう
義高ラブが吾妻鏡に記載されてるから心情的に受け入れるのは厳しいが >>469
大姫が亡くなったとされる後にシゲ時は産まれてるけどね
ただ八重が泰時産んだのもほぼ完全創作みたいなもんだし
大姫が重時産む創作を三谷が入れてきても今更違和感はない
それでも視聴者はドン引きだが >>363
何故か鎌倉まで運ぶのに通常の2倍かかったらしいね。 義経の遺骸なんざ出っ歯でわかりそうなもんだけどな
出っ歯嘘だったんかな 赤マフ時輔は実際に幕府が捕縛令諸国に出してるから生存説もあり
というか単純にクビが上がらなかったんだろうとわかるが
義経には鎌倉が焦ってるカケラもないから律儀に奥州が殺したんだろう 義高だって鎌倉とかなり離れた場所で殺されてるから運ぶのに何日か掛かってるはず 島津の頼朝隠し子説も結城の頼朝隠し子説も伝承と言えば伝承だからね
常人がいちいち相手にするのは身が持たないよw 蒲殿も本当に討たれたかどうかよくわからないんだろ? >>477
乳母だから御落胤とか御落胤だらけだねw 安徳女児説がやっと消えたと思ったら
今度は大姫出産説かよ >>479
八重が泰時産んでる時点で既にあり得ないからな
大姫が産む創作があっても驚かん 島津忠久って優遇されすぎだよな。この高待遇が頼朝の落胤説になってるのでは? 八重が泰時産むってのは大姫が重時産むのと同じようなもんだからな
それを普通に紀行使ってあたかも史実の如く大河で放映してる
まあロリコンなら大姫重時母は許せて中年女なら八重泰時母は許せるのかも知れないが
大半の視聴者は両方ドン引きだろ >>480
八重が泰時を産むのは伝承を元にしたドラマの設定。
大姫出産はお前のゲスな妄想。
なんだ?まだこの議論がしたかったのか?江守ww
いつでも相手になってやるぞwww その伝承は全く根拠ないから八重が泰時産むのこそ三谷の妄想 >>484
狂人相手にしてスレが荒れるのは見ていられないのでこの議論はもうしない
私の負けでいいから君の勝ちと存分に誇りたまえ
どのみち八重大姫が義時の子を産んだ可能性はほぼゼロで根拠は全くなし
これが結論なのでこの話は終わり >>487
二度とこの話題をするんじゃねえぞ!
またして来たら.とことん相手にして潰すからな 重時が大姫の子ってそんな設定にするのか
それなら足利尊氏は女系で頼朝の血を引いてるではないか >>490
そんなついでにとんちんかんな事言ってるのは、どこぞの爺だけだよ。 この時どうすれば義経は生き残れたか?
もしくは頼朝に勝てたか? 頼朝にとっては清盛も秀衡も丁度良いタイミングで居なくなってくれるな >>493
九州に逃げる事ができていればワンチャンあったかも? >>493
行家と共に挙兵しちゃったのがまずかったんじゃなかろうか? >>493
義経は鎌倉に来るべきではなかった
秀衡にもっと積極的になってもらいまず坂東を平定するべきだった 義高の影武者になっていた海野くんはその後に頼朝や政子に気に入られて
有力御家人になっている、処刑されたのかと思っていたが違うんだ >>499
鎌倉武士のレジェンドだからな
ある意味、義高よりも格上 平家に勝てたのは全て義経のおかげなのに
頼朝が嫉妬で殺害
暗い将軍ですね 後鳥羽が妻夫木聡か藤原竜也なら西田大泉退場後のトメを任せられたけど松也では無理か >>503
時政追放までは宮沢りえがトリだと思う
それ以後は山本耕史か小池栄子がトリだろ >>502
戦功立てた将軍が天下平定後に粛清されるのは古今東西よくあるよね >>454
もうない
NHKプラスのやつは最後に紀行も付いてる
明日の本放送までなら見らえる 河越城より江戸城を大きくして河越を、小江戸すか?、とやってしまった太田道灌を上杉定正が消したのも、こいついつか俺をやるな、という警戒感からの上剋下 今日のあさイチ見たけど重忠の中の人は虫が苦手なのか?よし義時の出番だ 半分紀行のために見てる要素あるのに馬鹿NHKふざけんなよ >>450
前者はタイトルロールだな(鎌倉殿の13人メンバー)
文学座と劇団四季で舞台俳優としてのキャリアも大きい
新納さんは島津の分家の末裔なんだな 義経の連勝で焦るんだから「上刻下」のようなまるで「兄より優れた弟なんていない」と主張するような人種の発想のものでなく
嫉妬と危機感が混ざったものだろう
勿論義経の態度も迂闊だけどね なんにせよ頼朝は奥州藤原氏を潰す気満々だからいずれにせよ頼朝義経兄弟はうまく行かない
でも範頼さんも粛清されちゃったね
それとこのドラマに関して清盛、次いで秀衡と
呪詛が成功するという設定なん? 足固め回で、大江と一緒にそしらぬ顔で小四郎を動かして
淡々と上総介を葬っていった頼朝の言動を見るにつけ
根幹は嫉妬にしても、それにもう少し肉付けというか掘り下げがあるんじゃないか
とは思ってる 頼朝は大江や景時に、義経は行家に色々吹き込まれた上でのすれ違いによる争いみたいな感じになりそう 宮沢りえさんはもう少し台詞のイントネーションが京風だったらいいのにな 今回の頼朝には厚みというか脂っこさが足りない
やることは陰湿なのに見た目が軽い >>519
仮面ライダーキバだと
全成が魔界の王で、王の妻が人間の男に籠絡されて
王の妻と人間の男との間に生まれたのが時房だった(つまり血の繋がりはないw)
因みに人間の男役の武田航平は歴史探偵で知盛やってたw このドラマ義時の感覚とか感性は現代人っぽくあって、卑劣な行動に対して呵責感じている
描写とかわかりやすいはずなんだけど、和田義盛とかがテンプレ感ある鎌倉の野蛮な武者な
せいでそいつらの後に義時が悩む姿がでてくるとなんでこんなことで悩んでんだこいつと一瞬思ってしまう。 義時は坂東の連中でも変わり種(木簡スキー)だからセーフ >>525
それが良いんじゃないの?そんな事しないだろうって人が裏なり表なりで陰湿な事する。そのギャップがあります。
>>522
>>524
ネタバレしないで下さい。 今年の大泉が嫌われるのは、演技者としてはとても名誉なことだと思う >>528
ジャンヌははしごで城壁登って石に当たって負傷する
強烈な脳筋だからw
親父精神異常百年戦争最凶悪女が母親な勝利王シャルル7世と
百年戦争終結させたリッシュモン大元帥コンビの方が重要 なんで平宗盛は何回も出てくるのに平知盛はいないことになってるの?おかしくない? >>493
生き残るには
逃げ回るしかなかったかと。
生き残ることはできたかもしれない。
頼朝からすれば、自分の死後、万寿と覇権を争う存在は
早めに消したかったてのもあるかもしれないね。
まぁ、どっちみち、結果的には北条家に奪われてしまったのだから、
万寿の後見として義経を残しておいた方が、源義朝系統の存続になったかもしんないよね。
歴史にイフはないけれども。 >>529
先週腹くくったんじゃねーのかと思いながら義時を見てしまう >>531
もひとつバレ鎌倉殿からもう一人出演してる
誰かは見てのお楽しみ 義経みたいなのは戦終わると邪魔になるんだよ
狩り尽くした猟犬はなんとやらで OPの最後の方で衣冠姿の人物に鎧武者が刀を抜こうとしてるでしょ
あれは誰と誰なの?
後鳥羽上皇と義時かな >>540
後白河法皇と頼朝
清盛と義朝
とかいろんな見方できるよね >>539
闘犬場が閉鎖されれば狂犬は使い道がなくなるからな
飼い犬として可愛がるつもりも景時が断固狂犬は殺処分するべきと頼朝を説き伏せた >>531
確かにその意外性もあるけど
頼朝としての気品みたいな部分は足りないかなと思う
石坂浩二とか中井貴一は気品が申し分なかった 強い力を持つ者は初めは称えられ次に恐れられ末は憎しみの的となる あの時代は憎しみ合い妬み合いが醍醐味みたいなもんだしな >>544
頼朝に果たして気品があったのかどうかなんて誰にも分らないんだし 残された資料などから考察するに頼朝は気品があるとは思う
創作人物でさえそのイメージと違う演じ方すると叩かれるからな
お通の米倉とか お通とか又八は創作人物だが下手な実在人物よりも断然多く映像化されてるからな
大河準大河で2度既に出ているし
お通がお甲みたいなキャラだったり又八が今回の義村みたいな切れ物キャラに描かれたら批判殺到は避けられない
まあ米倉はお通よりもお甲の方が断然合いそうだが うつぼ喜三太も大河に2度出ているな
原作オリキャラは下手したら実在人物以上の知名度になる事がある
まだ大河では出てきてないが三成絡みの初芽なんかもそうか
三成主役の大河をやるならば司馬原作を採用してもしなくても初芽は登場させて欲しい
2025年に初芽を演じるとなると南沙良とかは良さそう
少し前の映画だかでは有村架純が演じていたね >>539
日本じゃ狭すぎた
モンゴルのスブタイみたいに世界中戦う相手いれば別だけど 産んでる筈の高梨内記の娘が産まずに
死んでる筈の伊東祐親の娘が産む
敢えて定説とは違った方向に描くのが三谷らしい >>548
そういう意味では菅原文太の頼朝は斬新だった。 >>552
一応、伝承を元にしているからオリキャラではない 確かに菅原文太はイメージと違うな
長塚京三とかかなり合ってた
個人的にはやはり石坂中井のイメージが強い
次の白い巨塔では中井貴一の吾妻教授が見たいな
年齢的にも丁度いい感じになってそうだし >>556
だから実質
高梨内記の娘きりも実在だが真田丸では実質オリキャラのような感じだった >>558
真田太平記には名前すら出てこなかったな >>559
主役が信之だからねあれは
今回の八重も草燃えるでは伊東祐親の娘と会話に出ただけ
10年前の清盛大河では福田沙紀が演じて阿君丸殺されて悲鳴上げてたけど 本来の八重ってのはかなり悲劇的で議論のし甲斐がある人物だからね
最期の入水とかも映えるし
しかしまさか大河のヒロインになるとは誰も思わなかっただろうな 言い伝え通りの八重とか大姫とか
そういう若くして悲劇的に死んでいく人物は人気があるな >>539
でも他人の北条家を信じるくらいなら自分なら義時より義経選ぶわ、義時は頼朝の子供殺しでも怪しい動き多々ある 大川橋蔵 三田佳子の富士に立つ若武者見た。ラストがチャンバラだったw >>564
現時点の義時の地位なんてお気に入りの家人程度だろ。危険性を比較する事事態おかしい つい阿君丸と千鶴丸がダブってしまうのは分かるけど
光る君へスレでずっと「義高由里子」と書いてる人は清水冠者に祟られてるとしか思えんw 5月29日
三浦市新井浜海岸
道寸祭りで三浦の笠懸がみれるよ
流鏑馬よりより実践的らしいからリアルな馳弓戦を想像する糧になるかも 義時の行動なんて のちになってわかるのであって
同時代にいて把握できるものなのか 草燃えるの時も思ったけど、三浦や畠山より安達の方が長く栄達するなんて信じられないやん... その安達も結局は霜月騒動されてしまって
北条に滅ぼされた多くの家の残党は足利に吸収されてるという >>572
義村が安達景盛より先に死ななかったら三浦は潰されなかったかもな
三浦と和解しようとした時頼を丸め込んで三浦泰村を挑発し続けた景盛の粘り勝ち
畠山は牧の方さえいなければ存続してたのだろうか 大トメである後白河と主役の義時を対面させない訳にもいかなかったんだろうな。 >>574
政範が生きていればおそらく政範の後ろ盾として江間義時、三浦義村、北条政子と対立した。
政範も牧の方もいない状態なら義村と共に義時を支えていたのでは? 息子が生きていても難しかったかも
一番の理由は武蔵の利権でしょ
義時政子の時政の対立が早目に起これば何とかなったかも >>570
同時代に生きて見てる義時の人間性を見抜けず
他人の義時信用して身内の義経など兄弟殺す頼朝、むしろ同時代に生きて近くにいる義時を頼朝は把握できたはずだが 安達には東勝寺まで付き合った時顕もいるし、南北朝時代までは形跡がある模様 >>566
頼朝は北条家優遇してる
だから頼朝亡き後に北条家が鎌倉幕府支配する
頼朝の息子達滅亡させてな >>577
どのみち平賀と畠山が衝突するのなら
時政・政範・平賀と義時・政子・畠山で対立する 来週のサブタイ「帰ってきた義経」か、、、
鎌倉に首桶で帰ってくるってことかな >>570
むしろ同時代で近くに生きてたから頼朝は義時を把握できたはず、でも頼朝は義時を信じて北条家優遇して力を与えてる
秀吉が家康を見てきて信じて徳川に力与えてるのと同じ
でも頼朝も秀吉も本当の敵を見抜けなかった
頼朝の本当の敵は義時で秀吉の本当の敵は家康
義経と秀次は身内で敵ではなかった
見抜けなかった事が源家と豊臣家の滅亡に繋がる 義時は実朝大事にしてたから頼朝の予言は半分当たってたよ
問題は次男の方の後見になってることだよ
比企と結婚はさせてたけど全成を弟につけたら意味ないよね 現代でいえば 社長の考えてることがわかるっていうことか
すげえな わかるんだな 頼朝から見た義時は、
秀吉に置き換えるなら家康じゃなくて秀忠 >>574
義村が生きてたら時頼と話つけてたわ
泰村じゃ無理 >>574
畠山は源姓で続いたが北条にとってはそうある必要ないから
牧の方がいなければ平姓畠山が続いたろうね >>290
なるほどねえ。ありがとう。
>>314
所領持ってないじゃん。高卒猿はおまえだ間抜けw 頼朝だけでなく当時の人は誰も源家滅亡を義時のせいにしてないよ
結果論で考える数百年後のやつが濡れ衣着せてるだけで
義時の人柄を頼朝や御家人が信用するの仕方ないんじゃね
家康は秀頼の滅ぼし方が酷いからアレと一緒にしたら失礼 しかし高校生の方がみっちり勉強してんだよね
今 新聞に載ってる入試とけって言われても 全然できないし
大学なんてゴールデンウィークあけたら 全然行かないし 勉強しないし
バイトしてるか 馬行ってるか パチンコしてるか >>592
泰村は弟に引きずられすぎとは言えるがやっぱ本人にも
野心はあったんだろうね
義村は北条とぶつかることしなかったが泰村は妨害してたからな
重時の鎌倉帰還を受け入れてれば安達も好きに動けなかったと思うよ >>597
>>598
学部によるだろ
おれなんか勉強に追われたわ
あほだからかもしれんけど >>599
義村は弟切り捨てた
痴れ者と言って
泰村にはそんなことできないから滅ぶわ 時頼は賢いから重時を鎌倉に呼び戻して安定させようとした
それを妨害したのが三浦だから結果滅びても自業自得と言える >>602
義村弟の人はいつくらいに決まるんだろうか >>603
いちいち判断が稚拙なんだよ
あの時代家のトップが稚拙だと生き残るのは無理 >>547
九条兼実の日記「玉葉」に書かれているんじゃない? 玉葉は当時書かれたものだから吾妻鏡より
信憑性が高いよ 一貫してるのは、北条家が源氏棟梁の威光を利用してのし上がりつつ、その過程でライバルを消して実権を掌握していくっていうところだな
結果的にそうなったというより、最初からそのつもりだったとしか考えられない
恐ろしい一族だよ 糞雑魚会津人のせいでシンウルトラマンの評判が悪いな >>599
義村は政治力で幕府ナンバー2までのし上がったが最終的な立ち位置をちゃんと見極めて義時と泰時を支えた
そんな才覚の無い泰村が欲を出して時頼と対立すれば潰されるに決まってる 三浦は基本脳筋の腕自慢だから義村が突然変異といえる
純粋に脳筋の小山一族はずっと北条と組んでやってたけど
太平記見てて鎌倉軍言うのに小山宇都宮て連呼されるの見ては
幕府創設時から活躍してるよねえとしみじみしたよ
草燃えるではこやまとマツケンが呼んでたけどNHKも進化したなとかw
泰時と経時が宇都宮と仲良くて
義時と時頼が小山と仲良いんだよね >>568
武士出てこない作品だからな
将門、純友ならまた違っただろうけど あさイチで中川が壇ノ浦で矢を打つシーンの話をしていたが、本編ではカットされたのかな? >>589
時政もだけど義時もだろ
鎌倉殿の主役は義時だから良い人のままだろうけど >>596
家康は江戸時代からずっと崇拝の対象でしょ
むしろ義時のが民衆から崇拝されてない
本心がわからないけども江戸時代は家康の悪口とか迂闊に言えないから 義村は伊東の血が濃く出たんだろうな
三浦の連中と話すより北条の連中と話が合ったろうな
孤独だったと思う
そういう立ち位置をこのドラマは上手く描いてるとは思う >>616
政子義時が居なきゃ家康もないんだけどなw >>617
テムジンを暗殺して、なりすますんですな >>610
才覚がないというより覚悟がなかったんじゃないか?
なまじ中途半端に才覚があったから北条と本格的にぶつかる段階になって北条を倒した後を考えたしまった。考えて関東を上手くまとめる展望が思いつかなかったから日和った。それを周りに見透かされて此処ぞとばかりに攻勢に出られてしまったんだと思う。 北条泰時の妻は三浦義村の娘なんだが、たぶん、義村が八重に世話を押し付けたあの女の子の赤ん坊がそうだよね。
「金剛のいい遊び相手になるだろう」なんて言ってたしな >>616
義時は恐怖の対象、泰時は名君で役割分担しているんだろう
北畠親房でさえ泰時は批判できなかった >>616
民衆はどうか知らんが、新井白石は「三人の上皇、二人の皇子を流刑に処した日本一の小物である。公暁を操って実朝を暗殺させたのも義時に違いない」と、義時を大悪人扱いしているな >>596
時代が比較的近いところでは、日蓮が義時を称して「文武を極めた人で、日本の国主(国王)になった」と高く評価している >>624
新井白石は徳川家万歳と書くのが目的だから批評は気にしなくていい
だいたいちゃんと史料批判しながら歴史を論じてるわけでもないからオレらと変わらんw 逃げ上手の若君でも言ってたな
秩序を破壊した奴は嫌われ、その後背から回復と改良をすれば栄誉を総取り出来ると >>616
勝海舟の伝記にも書いてあったが、勝は北条義時を尊敬していて、「不忠の名を甘んじて受け、自身を犠牲にして国家に尽くした人物。江戸幕府終焉の際、義時に笑われぬよう何度も気を引き締めた」と言っている 和田の乱が心配だな、義盛がバカにしか見えない
草燃えるの松平健VS伊吹五郎だと激戦になりそうだが 政争フェイズになるとモブ同然の中原や二階堂も目立つようになるのかな >>587
頼朝は寿命が短すぎた。
旗揚げから20年では組織の器を作るので精一杯だったのだろう。寿命が家康と同じくらい有ればもっと強固な組織を息子の頼家に渡せたはずだ。 >>591
ドラマでは、義時は義経とは真逆のタイプに描かれており、頼朝としては、実弟よりよほど信頼できる義弟だったんだろう。
ただ、そんな義時が、頼朝の死後に源氏を滅ぼし幕府を乗っ取ってしまうのだから、義経よりよほど恐ろしいつか、頼朝としてはせっかく命がけで作った幕府を無能息子たちに潰されるより、有能な後継者に引き継いでもらってよかったろう 足利幕府の建武式目でも義時泰時の政治を理想とすると書いてある >>573
北条の家人(平頼綱)がここまで力を持つであろうということは、
幕府草創の頃は、想像もつかなかっただろうから、仕方がない。 >>612
源頼光とその家人である頼光四天王は出てこないのか? >>632
頼朝は不自然な死に方したな
頼朝の死の時期の吾妻鑑は消えてるとか >>636
誰か知らんが女脚本家「戦は描きません!」
平安時代のバイオレンス&セックスを描くんだとよw >>585
そんな者ここには不必要だから、消えて欲しいものです。 >>636
泰時に仕えた尾藤景綱というのがいて、これが北条家の初代家令として活躍し、それが同僚の平盛綱に引き継がれ、内管領となった。平頼綱はその孫で、時宗に仕えたが、貞時に滅ばされた。長崎円喜はその縁者らしいがよく分からない。内管領が寄合衆を牛耳り、得宗をもしのぐ権力を持ったのは長崎の時で、最初からあんなんじゃなかったようだが、あのまま幕府が続いたら、北条対長崎の鎌倉最初決戦があったかも(ないか)と夢想する >>616
義時こそ鎌倉南北朝と崇拝の対象だったじゃん
日蓮は大王と誉めて公家は武内宿禰の生まれ変わりといい
足利は泰時と並んで武家政治の理想と言った
武内宿禰伝説は鎌倉後期の史料にもあるから公家武士問わず広まってる
多分民間にも 今回の往生際の悪くない清々しい宗盛だけどそれって弟の重衡のほうなんだけど 壇ノ浦2周目、義澄は老齢で兜がキツいんだとして
畠山・比企・梶原が兜をしている中、九郎は八艘飛びする気満々で折烏帽子なんだよなw
地味に例年と差別化しておる >>644
家康も江戸時代は崇拝しか許されん存在
家康の狸親父イメージは近年
また信長秀吉も江戸時代は悪役イメージされ
る、近年信長秀吉は人気 超坂東武者
超坂東武者ゴット
超坂東武者ブルー
坂東武者身勝手の極意
と進化するのですね >>647
平家側は全部宗盛一人にぶっ込んだんじゃね?
知盛っぽいセリフも宗盛に言わせてたし重盛的要素も持たせてたし 同時代から室町くらいまでは負けた朝廷が悪いという考えだからね
北畠親房がそう書いてるし
儒教に染まった江戸時代以降とは随分違う なんで戦闘シーンのBGMが西洋風の音楽だったの?
めちゃくちゃ違和感あったんだが 義時は幕府滅亡後の南北長期でも尊崇されてるからな
北畠親房ですら義時は長く権を取って傷はなかった言ってる
まあ泰時も時頼も名君扱いだからつまり北条は代々名君ということになり
高時一人が悪者にされた 流石にハーンそのものにはならないだろう
ブハラあたりまで漂泊して、独自勢力を作ってしまうならそれもいい そういや梶原、しれっと義経が武士団を馬と一緒に崖下りさせたと言ってたね
あくまで別々に下ろしたようだが、余罪をつけやがった...w >>655
北畠親房は北条泰時のことは武家の生まれながら徳政を行ったと言ってるが
義時は全く褒めていない
親房は著書の「神皇正統記」で義時のことを次のように書いている
「義時いかなる果報にか、計らざる家業を始めて兵馬の権をとれりし、
様希なる事にや。されども才徳は聞えず、又大名の下に誇る心やありけん」
(義時はどういう幸運のめぐりあわせか、思いがけず家業を継いで
武家政権の頂点に立った例は非常に稀なことである。
しかし才能や徳があったとは聞かず、大名の名の下で驕り高ぶる心があった) >>636
酒呑童子退治はエピソードとしてやるかもな 承久の乱の戦後処理が上手い
責任あると見た奴は皇族だろうが公家だろうが処分
でもない人には手を出さずに皇室も保護
自分は針の立つほどの土地も取らず官職も一切求めずに
私利私欲と切り離す姿勢見せて戦後の紛争に対処し立法して世は安定
皇室があんなことになってかえって世の中が安定すると言うのが皮肉
いかに保元平治以降の貴族社会の乱れが秩序を破壊してたか >>665
普通の国だとあそこで義時が天皇になる
ところが官位全く上がらないで左京兆のままなんだから
この義時の判断で日本史の方向が決まった >>662
北畠親房は後醍醐派だから義時を直接褒めづらいからそう言うが
でも承久の乱では義時を称賛してるんだよ
ディレンマてとこだねw
武士は素直に義時やづときが理想て言えるが 宗盛が代筆提案した時の義経、歯が出てないんだよなw
あそこは素っ頓狂さを全面に出してて良かった >>669
義時が出撃策と防御策で迷ったのもそれがあるよね
なんせ最高責任者だから京に攻め入って上皇どうしよう
というのは当然頭にある
勝つためには出撃した方がいいからそっちに決めた時にはもう
戦後処理の腹は決まってた >>656
真田丸でも幸村落ちのびさせなかったからなさそう >>674
義時はよく考えてから動くからグズグズしてるようにみえるが動き出した時は決断済みだから事後処置もサクサクやる >>671
泰時は褒めているのだから後醍醐天皇方云々なんて関係ないよw
北畠親房は頼朝が幕府を開いたのは後白河法皇がお許しになったことで
朝廷の許可を得ているのだから頼朝が背徳の臣であったわけではない
その頼朝の開いた幕府を後鳥羽上皇が潰そうとするのは過りであると
承久の乱の後鳥羽上皇の行動を批判しているがだからといって義時を称賛していない >>677
義時は長く権を取りて傷ないのに討とうとした後鳥羽が悪い言ってるやん
その通りで義時は権力握ってたけど何も悪いことしてないんだよ
義時自身も自分は天に誓って過ちは犯してないから皇室相手でも
負けない言ったって話が物語にもあるからまあその通りなんだろう
>>676
碁が好きだし先先を考えて動くタイプだな
梶原追放も比企討伐もむっちゃスムーズでびっくりするw
公暁を鎌倉に呼ぶのは反対だったろうな >>678
義経の祖父の為義も六条判官と呼ばれた人だったな
最後は保元の乱で負け組になって
息子の義朝に首切られたが >>654
あのビバルディぱくりは多用しすぎ、センスないと思う。 >>681
初回の新世界は良かったけど何度も使い回してると流石にと思ってしまう
オリジナルの音楽で合戦とかもやって欲しいね >>679
比企討伐の事後手続きの段取りは義時だろうな
乱の前に使者を立てるとか 終盤にはディーリアスやマクダウェルあたりも混ざるのだろうか... < 劇伴 頼朝の鎌倉入りって今では鎌倉幕府創設への画期と見えるけど、当時の人達からしたら
平忠常の乱とかみたいに、たまにある地方に統制の取りづらい政権が一個できたって感覚だったのかもな。 地方政権が生まれて直ぐ消えるようだと、100年前のロシアみたいになる
日本はまだ平和な方 >>587
家康は豊臣政権の大大名でナンバー2と言っていいポジションだったのに対して
北条は政子の実家ってだけでそこまで大勢力じゃないからな
単純に頼朝は北条が御家人の上に立つなんて想像できなかっただけだと思うぞ
豊臣政権で言ったら北政所と親類だった浅野長政幸長くらいのポジションが頼朝にとっての北条家の位置付けで
まあ秀吉が生きてた時の浅野親子の役割も北条と似たようなもんだから、
それが秀吉死後に浅野が豊臣家を牛耳ったみたいなありえないことになったのが鎌倉幕府 >>679
しつこいな
親房の義時評は>>662のとおり
頼朝が後白河法皇の許しを得て幕府を開いた
それが義時に変わったから潰すのはどうかってだけで
親房は義時は最高だと賞賛しまくってるなんて事実はない >>687
そりゃ浅野は当初それほど秀吉に期待してないから
秀吉が出世してから寄生に近いような依存をしたけど、ねねと秀吉が一緒になったころははっきり言って疫病神扱いだから
北条は最初から利用する気満々で御神輿を大事にしたから >>662
北条政権を認める一方
足利北朝大嫌いの北畠親房であった >>687
北条家は最初は大勢力でなくても頼朝は利用できると計算して行動する、そうすると頼朝は北条家を信用してくる、しかも平家は滅ぶわ政子は男の子産むわ、少なくとも北条時政は野心メラメラして義時に色々話してたかも 義経の八艘飛び笑った
ジャンプした後加速してないかw >>693
義経の怨霊が現れ
頼朝の突然の体調不良と怨霊みた馬が興奮して落馬で
死すとあるからな >>337
高卒チンパンジーか?
そもそも範頼の息子を庇護したのは比企尼では無く安達盛長
範頼失脚後、三河で匿われ三河で出家したんだろ
だから恐らく、範円は吉見に行った事がない
範円の息子たる為頼が、小山朝政の娘を嫁にし、その娘の兄弟(秀郷流吉見氏)の所領を為頼が継承し源姓吉見氏が誕生した
この時に吉見に移住したんだよ
比企尼だとか範頼の吉見御所だとか、そんなもんは一切無視しろ 義経が怨霊になってる例が太平記にある。
メンバーは、後醍醐天皇、護良親王以下、
新田義貞、平忠政、源義経、平教経、楠木正成の7人 >>698
どうせなら上総介でお願いします
「武衛、武衛、迎えに来たぜ」 >>337
だから、俺が言っている事が正しいだろうが
三河→吉見→三河→能登(能登吉見氏の成立)→石見(石見吉見氏の成立)→三河
吉見系図だと石見に移住した、本国三河の吉見頼行の息子が、また三河に戻ってきた
下瀬頼右
頼行の次男で、三河国下瀬庄を領し下瀬と称した
1350年足利直冬の使者として九州の相良孫次郎を味方に誘った吉見四郎頼甫に当たる人物と思われる。
安達盛長が範円を三河で庇護したのなら、盛長が三河の所領の一部を範円に与えていても不思議じゃないだろう
その安堵は、全てが記録に残っているわけではない 鎌倉殿の13人のオープニングのときバックでずっと「アー」って言ってるのはあれ何?
chorus?
最後の方では「ハッ!」とかいう声も入っているよね?
割りかし耳障り >>702
残念ながら上総介怨霊は出てこないが
サブキャラとして安徳天皇の怨霊も出て来たそうな >>656
チンギスハンになっても子孫がまたまた鎌倉武士に負けるんだから切ないな >>697
離陸してから加速 屁でもしたんじゃない? >>688
しつこいのはお前
北畠親房が義時の執政に傷なししかも長く治めててそれ言ってるんだから
何か具体的に文句書いてるか?w
アレ見てると実朝時代も義時の力があってのことと見てるって感じだな
まあ幕府の史料もそういう書き方してるが >>693
ドリフターズの義経はおもしろいけど
雷光ハンニバルがつくとどうなるかw >>685
平家を倒すまでは他のローカル勢力と同じ感じだが
やっぱ平家倒したことで特別なポジションを得た
建武式目で文治に右幕下武館を構え承久に義時朝臣天下を併呑す
言ってるのもわかる
なのでその平家討伐に大功ある義経を殺したんで余計騒ぎに
衝突するにしてももう少し時間かけて義経が何かしでかして
てならわかるがいきなり用済みと言わんばかりに追い払ったからな >>623
北畠親房は義時を「神皇正統記」の中で人望厚い
名政治家と誉めているよ 義時はさ、朝廷の言い掛かりを聞かなかっただけで何もしとらんからな
儒教的な考えに立たん限り承久の乱に関しては批判される謂れはない
そして勝った結果武家優位の時代を確立したのが現実だからそら評価されますわ 壇ノ浦の回の紀行はもう放送しないかな
まぁやらないか・・・ 予告してるだろ
そもそも紀行くらいどっかの動画サイトで見れるだろ >>698
俺が見たまんが日本の歴史の本では義経の霊が
現れてさらに木曽義仲や平知盛といった武将の
霊が現れて二位の尼に抱かれた安徳天皇に囲まれて
落馬して最期狂死にだったな >>712
無理難題を言う院や寺社をコントロールしつつ日本を治めた頼朝には及ばないな 壇ノ浦海戦での源義経の水手梶取射殺命令は1979年の「草燃える」でも、描かれています。。長流に押されて押され気味の源氏軍の挽回策として源頼朝が採用して、勝利に繋がったとしています。
いわゆる大河本として出版された、
学習院大学教授安田元久氏、『源義経』1978年12月新人物往来社
が、史料根拠なく上記の説を主張しており、いわばお墨付きを付けたようなものです。で、『鎌倉殿の13人』の坂井氏と同様な役割を果たしたことになります。この時期の安田氏は東では東大の石井進氏と並ぶ鎌倉時代の権威で、坂井氏は比べようがありませんでした。
なお、司馬遼太郎氏が1966年(昭和41年)2月号から『オール讀物』で連載した「九郎判官義経」で同説を採用しており、単行本化の『義経』文藝春秋ことで、同説は一般にも広く知られるようになります。 ガキの頃頼朝の絵と教わったのが実は足利直義とか、先生って生徒舐めてんの? >>720
武田信玄も違うらしい
教師はマニュアルを生徒に理解させるのが仕事
そのマニュアルには絵が云々書いてないからそのまま教えるだけ
頼朝の絵が直義でも頼朝が何をした人物か一般教養レベルで伝われば問題無し 功名のクソ漏らした家康の絵が西田に似てたのは笑った >>722
金太郎頭の足利尊氏も実は家臣の高師直らしい 大河太平記はベースが端正な真田広之なので、どちらとも取れる絶妙な感じになったな >>721
あの武田信玄の印象が強くて、
大河で中井貴一がやったときは
子供心に信玄なのに顔が長いと思ってたw >>714
それは、ちょっと言いがかりじゃないかな?少なくともNHKは、ちゃんと紀行は別枠で放送することを告知していて、放送日も放送時間もお知らせしてたはずです。そのチェックをしてなくて、視聴者いなくなるとか、面白いことを言いますね。一回こっきりならまだしも、何回も紀行は放送してましたよ。 >>727
名無し刑事だな
まあ動画サイトで幾らでも紀行くらい見れるだろう。 >>703
全然間違っている。
まず範円を範頼の死後に匿ったのは祖母の比企尼で安達盛長は全く関与してない。だいたい範円を安達に保護されたら比企能員と対立している安達景盛が範円を担ぎ出す危険性があるだろう。そんな事を比企が認める訳がない。血縁を盾に範円は比企が保護したんだよ。その後、比企尼が亡くなり比企一族も族滅したので野木宮合戦以来ずっと範頼と共に戦場で戦った小山朝政が範円を引き取り朝政の弟が武蔵秀郷流吉見氏の養子に入っていたので範円の息子の為頼と自分の娘を結婚させて吉見氏を継承させたのだろう。そしてそれを見届けた範円は父親の範頼の菩提を弔う為三河に移住した。それだけだよ、吉見氏は三河に所領は持っていない。持っていたらそれこそ義時に警戒されて阿野全成の息子の様に殺されていた。
下瀬頼右に至ってはもっとツッコミどころ満載。
まず足利直冬が三河にいる訳がない。
彼は初陣の後すぐに長門探題に任命されて西国に飛ばされている。それから終生西国を拠点に尊氏親子と戦っていたのに三河にいるなんて有り得ない。直冬派の武将は三河にいただろうが、直冬本人が三河にいた可能性はゼロだ。
次に下瀬頼右が足利直冬の使者として活動していたという点が怪しい。
下瀬頼右に父親の吉見頼行は元寇時代の武将で、足利尊氏の祖父世代の人間だ。
頼行のお墓に1309年死去と書いてあり。息子の下瀬頼右は頼行の石見下向から活躍しているので石見下向の時が元服ぐらいの歳だとしても頼行死去の時点で既に30代、足利直冬の使者は1350年だから八十を超えている。どう考えても使者は無理であり使者をした吉見四郎と下瀬頼右は別人と考えるべきだ。
吉見系図は結構年代が滅茶苦茶書いてある事が多いので他の史料と照らし合わせないとダメだぞ! >>719
学説1978年で
司馬小説1966年なんだけど
1966年前に論文的なものはあったということでいいんでしょうか >>729
菓子には毒入っていない
菓子喰った後に飲んで水が毒入り >>731
祖母じゃない
丹後局と丹後内侍は別人
お前は、幕府の支配層が東海地方出身者で占められて事実を認めんから、願望の妄想ばかりしてんだよ
そもそも範頼は関東ではなく、三河と遠江と縁が深い
物を知らない部外者の田舎者に教えてやろう
熱田神宮には由良御前は熱田大宮司季範の娘ではない話が残っている
実は蒲郡にいた季範の弟の娘で、その弟の同母兄弟が浜松にいて、そいつ息子夫婦が範頼を養育した
この意味分かるか?
範頼流を庇護出来る一族は、外祖父の盛長以外にも三河にいるんだよ
しかも桁違いの力を持つ一族が
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季頼(三河五郎季頼、八剱神社(三河県蒲郡市)神官)→由良御前→源頼朝
範頼幼少期、遠州で養育したのは由良御前の従兄弟
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季成(蒲神明宮(静岡県浜松市)神官)→当麻五郎貞稔(源範頼乳母父) >>709
ハンニバルが義経を王にして国を作ろうって言ってたよねw
何でハンニバルが義経に共感するのかわからんけど >>733
そんなトリックだったか...
綺麗なだけでは室町殿もやっていけないなぁ(泣) >>731
そもそもお前は物を知らない田舎者だから、全体像が掴めていない
直冬の所領だったと言われる三河国設楽郡宇利荘は新城市だが、一覧見れば設楽郡しか、一門に与える空きがないんだわな
◇元弘の変(1331~1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>731
あと範円な
当時、範円息子の嫁の兄弟が三河で坊さんしていたんだが
その時期は1206年頃~と推定され、同じく三河で坊さんしていて範円と、小山一族としてだけではない特別な関係を構築した
そして1210年頃に生まれた為頼は、1225~1230年頃に慶円の妹と結婚した
流れとして不自然じゃないな
ココで重要なのは、物を知らない田舎者のお前は、この事実を知らず、恥を晒すばかりの底浅いレスしている事だな
・小山政光(後妻は源頼朝乳母、寒河尼)→小山朝政→性空上人(改称:慶円、本證寺(三河県安城市)開基)
・小山政光(後妻は源頼朝乳母、寒河尼)→小山朝政→娘(初源姓代吉見氏、吉見為頼の室)
■本證寺(三河県安城市野寺町野寺26)
・創建年:建永元年(1206年)頃
・開基:性空上人(改称:慶円)
性空上人(改称:慶円)は小山朝政の次男(結城朝光の甥)
・小山政光(後妻は源頼朝の乳母である寒河尼)→小山朝政→性空上人(改称:慶円) 平宗盛は平家物語や吾妻鏡でボロクソに描かれているけど、ドラマでは大抵イケメンが演じてるな 再放送チラ見したんだが、腰越状の後で里芋食ってるのって、時期的にありえないんじゃないかな。里芋は日持ちしないから芋煮にして秋に食べてしまうんだが、腰越状って6月ごろだったよね。まあ三谷脚本だからなあ >>740
後鳥羽は尾上松也が配役されてるから安徳とは事情が違う >>743
サトイモって、藁に包んで縁の下に入れておけば、結構日持ちしないかな? >>743
真田丸でも夏前くらいの時期に(15話)豊臣家で里芋を食べるシーンがある
里芋は子芋がたくさんに出来るので「子孫繁栄」の象徴だけど
植え付けをする夏前の時期にそれを食べてしまえば子芋は増えない
豊臣一族の子孫繁栄が絶たれることを暗示している…という考察があった
義経の死亡フラグのひとつかも
考えすぎの可能性も高いけどw 平安時代はやや寒かったそうだから現代の常識とは完全には一致しないかもな 里芋、4月に食ってたよw
穴蔵に貯蔵しておけば大丈夫
さつまいもよりいける
つか、ちゃんと越冬できないと種芋にならないからね
問題は6月はすでに芋の休眠期間が過ぎて発芽しちゃうんだよ
だから実際は食べられないw 義経は里芋が好きだから里も好きっていうなんらかの洒落なのかと
平安時代の建物だと防寒対策やばそう 平泉の建築の模型とか、あんな開けっぴろげな構造で寒くないのかなとは思った 平安時代には竪穴式住居がまだあった。掘立て作りの高床の板張りの家より縄文時代の竪穴式住居の方が暖かいよ。残念なのは平安時代の竪穴式住居は縄文時代ほど深く掘り下げていないのであまり暖かくはない(はず) 昔の日本は今ほど山を切り崩さず凹凸が激しかったんじゃないかと思うが
あまり横穴式住居が成立したイメージないな、アメリカなんかはローラ・インガルスの時代も使ってた 古墳時代から中世にかけては竪穴式坑というのがあって
竪穴を一回深く掘り、そこから横穴を掘って貯蔵する地下貯蔵施設がある。 >>757
あそこは好かんな
どこか陰気臭いわ
鎌倉全体がそうだけど むかし大泉が映画やってた縁切り寺って
鎌倉のだっけか >>741
瀧山寺の運慶作聖観音菩薩立像の
体内の髭と歯は本当に源頼朝のものですか? >>757
うち平家系の血筋と言われている旧家なのにもかかわらず
鶴岡八幡宮や鎌倉好きw
鎌倉の大仏様はもっと好き >>762
晶子先生が美男におわすと評された鎌倉はん >>757
弟がそこで式挙げたわ
6月なのに凄く寒い日で辛かった >>761
知らん
解体修理して銘札があれば確定だろ
最近、頭部以外の下部をレントゲン撮影したら、筒みたいのがあるのが発見された
俺はこちらの方が興味ある
政子ちゃんと実朝の遺物が埋め込まれていると睨んでいる
十一面観音菩薩
https://www.google.com/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM5K6JXCM5KOBJB011.html 鎌倉って
霊感強いと住めないのかね
怨念が溜まってそう そんな事言うたら
日本全国、どこの地方都市行っても
「語り継ぐ空襲の記憶」だらけですぜ 政子と実朝の遺物を手に入れる機会があったのは足利義氏しかないない
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
この時、政子と実朝公の遺骨をもう一箇所納めた場所がある
そこは、頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた聖観音像がある滝山寺
滝山寺(三河県岡崎市)
http://takisanji.net/jihou_hou_seikanx.html
そして足利義氏が死ぬと、滝山寺で僧をしていた息子の足利義継により、義氏の遺物が埋め込まれた大日如来像が滝山寺に納められた
そして時代をくだり、細川頼之に繋がる
足利将軍の遺髪、仏像の頭部で保存か
http://www.yomiuri.c...00500.htm?from=yolsp
>南北朝時代の資料「園城寺文書」では、3代、義満の後見役として知られる武将・細川頼之が1368年、同寺に送った書状があり、そこでは「源頼朝や足利尊氏の先例にならって、義詮の遺髪を納めた地蔵菩薩像を園城寺に奉納した」
>源頼朝や足利尊氏の先例
源頼朝の母方菩提寺の滝山寺に、そのような仏像があったのは確かだろう これからかき氷が出て来たら嬉しいけどスイーツだと何でも嬉しい
鶴瓶さんの家族に乾杯に出てた補陀洛寺の木像の文覚さんの顔と表情が可愛かったw そうくると思った
だから敢えて「怨念」って書いた
無念ではなく怨念 じゃがいもとサツマイモは江戸時代前後に日本に入ってきたものだけど、里芋はずっと前からあるんだな
タロイモの仲間か 信次郎を鎌倉まで連れてったのは何故?
京都まで戻って斬首するんでしょ? >>772
そっか。
あれだけ長い事活動してても未だに弟さん(しかも、名前間違えてるし)と区別がつかない人がいるのか。 >>772
京都警備の官職を持ってる義経が鎌倉に行ける理由をつくってあげる
ってのが理由だよね
敵方の総大将だったんだから、源氏の総大将の頼朝の前に引き出されるのはスジが通ってると思う
斬首を京都でするのは、処刑の権限はあくまでも朝廷にあるって事を世間に知らしめるため
だよね 今BSで再放送している鎌倉サミットからどの程度改変するかな?
考証の人に従うと、やはり義時は承久の乱で空気になるねw >>741
お前は三河ばかり見ていて政治を分かっていない。
範頼の排除が行われた時期、比企一族の次代の総領を巡って比企尼の養子の比企能員と比企尼の実孫の安達景盛は緊張関係にあった。源範頼の排除はそういう中で行われた政治闘争だった。比企能員は朝廷に独自のパイプを持ち鎌倉の御家人からの人望もある範頼が景盛に担がれたら頼家を守れる自信がないと頼朝に訴え、頼朝はそれを聞いて範頼の排除を決めた。その状況で範頼の息子を三河に置くことを比企能員や頼朝が認める訳がない。おそらく飼い殺しが前提で比企に預けられたと見るべきだ。その後、比企一族が族滅して小山朝政が範円を預かったのもお前が言うような怪しい縁じゃなくて小山朝政と範頼は野木宮合戦から始まり宇治川の戦い、一ノ谷の戦い、九州征伐と共に戦場を駆け抜けた戦友だから戦友の息子を預かっただけだ。
後、足利直冬の三河の領地はおそらく直義方として戦った武将の誰かが間違って伝わっていると推測する。あの尊氏が足利の重要拠点の三河の領地を直冬に与えるとは思えない。 和泉元彌が後鳥羽とか実現しなかったけど
昨日の大岡越前の役は結構良かったしそろそろ大河でも配役されてもいい頃だと思うんだがな
しかしテレビで見るのは久しぶりだった 和泉元彌の足利義昭(江~娘たちの戦国)は割とハマってたと思う 大岡越前は吉宗が変わってたのが残念
今までの人が凄い良かったのに
>>778
出番が少なかったのが残念だったな殆どゲストみたいなもんだし
今回の大岡越前も1話だけのゲスト
大河主演俳優だし再来年の道長に配役される可能性も少しはあるね
貴族の雰囲気は出せそうだし >>765
なんだ伝承って事か
三河は怪しい伝承が多いね >>737
ハンニバルのカルタゴと義経の奥州藤原滅び方が被るから
ハンニバル行政官としても優秀で既得権に手付けて貴族の反発食らって
追放されたのは義経とは違うけど >>732
安田氏の著著は全く参考文献を提示ておらず、壇ノ浦海戦の記述でも、戦前に黒板勝美東大教授の提唱した先行研究である海流説を述べながら、これを明示しておらず、いかなる先行研究があったのか、独自提案かは不明です。 >>768
頼朝の歯と髭は科学的調査はされてないのかな?
歯がどういう状態なのかわかれば死因とかハッキリしそうなのにね
生前に抜けたものであれば健康状態は良くないよね
晩年の頼朝は二度の入内失敗をみると政治判断力が衰えていそう 範頼が生きてたらなあ
時頼を補佐した重時のように若い頼家を補佐する源氏の重鎮になったろね 範頼の子範円は「吉見中納言公 順大寺阿闍梨」、この弟源昭は「慈光寺順大寺等別当 二位僧都」、と『尊卑分脉』に傍注があります。ここで、慈光寺は武蔵国吉見郡の古刹で、『吾妻鏡』にも同国の寺として所見します。本寺は範頼が幼少時に稚児をしていたとの伝承があります。 >>784
言葉尻をどうとでも言って回る義姉がいる限り、いずれ抹殺される運命。 美谷って佐藤浩市と山本耕史が大好きだよな
しかも鎌倉殿の13人の佐藤浩市と山本耕史の役回りがそのまんま新撰組と同じなのな
わかる? いずれはわかんないけどもうちっと様子見ていいんでないかな
義経のことといい頼朝はちょっとせっかちすぎると思う
最初から殺す気満々というか 安田元久氏(1918〜1996年)は陛下の学習院大学文学部史学科・同大学院時代の
指導教授。知人に学習院大学史学科出身者がいるので卒業生名簿で調べてもらったら、
中世軍事考証を担当している西股総生氏は陛下の安田ゼミの2年後輩に当たるそうだ。 山本耕史に至ってはメフィラス星人だけど平六が頭をよぎるとか言われてらw 女性の中には、夫が浮気して離婚したり、夫を心底嫌いになって離婚すると
夫との間に出来た子供を嫌ったり、憎悪したり、酷いケースになると、虐待加える事もあるって言われてるよね
特に子供が別れた元夫の顔と似ている場合なんかだと
北条政子は容赦なく我が子にも手を掛けて生家である北条家に権力を持たせているが
あれって本当は、世間で言われているような政争で(=権力が欲しくて)そうなったといった理由なんかでなく
単にあちこちに女を作りまくった頼朝に対する深い怒りと憎悪と言った私怨から
頼朝を憎み、頼朝との間にできた子まで憎み、それであんな結果になった、というのが
案外真相だった利するのかなあ、なんてふと思ったんだけど
政子は頼朝の妾の家に火を放ったり、相当嫉妬深い性格してたみたいだし
そう考えると、女性は怖いなあ、と、つくづく思ってしまった >>780
伝承じゃなく滝山寺縁起に記載されてんだが
滝山寺縁起は、家時没年も正確な比較的信憑性が高い縁起と言われているが
三河の怪しい伝承とか、具体的な事例出せ >>783
江戸期に塗料で彩色されて、解体すると元に戻すのに莫大な金がかかるらしいが
塗料で補修せなあかんほど腐食がすすんでいたらしい
あと詳細不明な仏像を調査するならいいが、由緒が明確な仏像を解体調査は寺側が嫌がるもんだ 山本といえば ひとつ屋根の下か 仮面ライダーゼロワンか
植木等か ストロベリーナイトでしょ >>776
お前はオウムか
しかもお前は、前から俺を感心させるソースも一切ない 佐藤浩市
新撰組 芹沢鴨…新撰組が強くなるために犠牲になる(殺される)
鎌倉殿の13人 上総介広常…鎌倉幕府が強くなるために犠牲になる(殺される)
山本耕史
新撰組 土方歳三…準主役 主人公の協力者であり主人公より長生きする
鎌倉殿の13人 三浦義村…準主役 主人公の協力者であり主人公より長生きする
ほらねまったく同じ役回り! 佐藤浩市といい中井貴一といい
源氏→源氏→平氏 というのは1つの既定路線なんだろうか? 婚家の無能な男を実家の有能な男と比べてしまうって心情はあると思うw ちがうのは 土方は近藤に心酔しているが
三浦義村は 敵か味方かわからない
ちがうのは 芹沢は 全くの敵対関係にあるが
上総介は 兄のような乳のような師匠のような あるいは酒を飲む同僚 >>792
瀧山寺縁起はおろか瀧山寺古文書は市の文化財指定にすらなっていない
尾張頼朝は三河生まれ
下野足利氏は三河が本貫
尾張熱田大宮司家・藤原南家は三河
全国多数ある供養塔なのに足利尊氏の墓は三河
家康は源氏
妄想捏造伝承
まだまだあるよ >>799
中井貴一は徳川宗春もやってる
筋道立ててことごとく吉宗に盾突く奴 >>805
宗春は華やかで良かった
吉宗商品化されないかな 頼家と泰時もね
頼家もいい奴とは思うんだよ
でも泰時と比べられたら辛いよね
政子はついついそういう目で見てしまったかもな
だからあの二人すげー仲悪い >>803
尾張頼朝(笑)
どうみても三河
ハイ論破
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む 完全版が商品化配信されてないのは
群像、琉球、吉宗、時宗、武蔵か
この5作もそろそろ日の目を見ていいと思う とにかく美谷の中で佐藤浩市と山本耕史の2人だけは完全に役のイメージが出来上がってるんだってことだけはよくわかった >>795
お前こそ範円が三河に所領があったという確かなソースを示せ。
範円が比企に保護されたという情報はいくらでも出てくるが範円が三河にいたという情報は一切出てこないぞ。 >>809
お前はオウムか
しかもお前は、10年前から俺を感心させるソースも一切ない >>803
足利氏の本貫が三河とは言った事ない
三河にいた初代足利氏の源義兼は、足利荘を獲得し下野に進出したが、2代目にして元いた三河に拠点を移した、とは言った
足利義兼は源氏雌伏期、祖父の本領である三河国碧海荘の代官をし、祖父の代わりに熱田大宮司代理をしていた
三河国碧海荘は以仁王の生母の御領と考えられ、義兼はその三河国碧海荘で以仁王の令旨を見せられたわけだな
碧海荘が高倉三位局御領だとし、高倉三位局の母を藤原顕頼(三河守)の娘と仮定して、まとめた系図がコレだ
顕頼の母は足利義兼の曽祖父たる季範の従兄弟
つまり、碧海荘立券寄進者の足利義兼祖父たる範忠は、碧海荘を自分のふたいとこに寄進した
また、高倉三位局の従兄弟は、熱田神宮がある那古野荘を開発した坊さん
三河の藤姓熱田大宮司家
・家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
藤原実範
・藤原成季
・藤原季綱(三河守)→①
・藤原季重
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・藤原行綱
・興義
・実慶
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄(八条院領目録にあり)領主)
①藤原季綱
・藤原友実→②
★藤原実兼→藤原通憲(信西)
・藤原悦子(鳥羽天皇乳母)→葉室顕頼(三河守)→③
・他多数
②藤原友実
・藤原能兼→藤原範季(後白河院近臣、順徳天皇の外祖父、源範頼養父)
・女子→源頼政(上西門院に出仕、伊豆守、源三位)
・他多数
③葉室顕頼(三河守)
・藤原俊成(養子、三河守)→定家→為家→冷泉為相(初代冷泉家)
・女子(藤原季成室)→高倉三位局→以仁王
・女子→小野法印別当(那古野荘開発者) >>803
全国多数ある供養塔なのに足利尊氏の墓は三河
そんな事は言ってない
足利尊氏の供養塔は、三河以外は後世作られた物で、リアルタイムかつ銘が入った物は三河の供養塔だけ、とは言った
ただ、足利尊氏遺言由緒の寺は三河だけだよな
天恩寺(三河県岡崎市)
https://okazaki-kanko.jp/point/554
家康が岡崎の大樹寺に位牌を安置しろと言った事と似たような由緒だわな >>803
そもそも、俺は家康は余り興味ないんだわ
偽源氏扱いにしておけ >>810
国取物語とか花神とか新平家とか
失われた完全版の発掘を >>812
ホレホレ、お前の大好きなWikiだ
Wiki様に反抗的な態度は取るなよ
チンパンジー
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/正法寺_(豊川市) >>778
元彌の義昭大好きw
時宗の時よりずっと良かった >>820
元彌は時宗以外では空中元彌チョップって印象しかなかったけど
役者業頑張ってるやな >>814
だから義兼が以仁王の挙兵を知ったのは都だよ。当時都で八条門の蔵人をしていたんだから。熱田大宮司代理をしていたのはその前だよ。義兼は幼少期新田義重の保護を受け育ち、成人してからは足利荘で下司職をやりながら母方の祖父の伝手で熱田大宮司代理について色街で遊んでいたんだよ。そして、そこの遊女を孕ませてしまったので祖父の季範が怒って伝手で八条門の蔵人に放り込んだんだよ。おそらく兄の義清と相談して義清が挙兵に参加して義兼は都から脱出して足利荘を守るという選択になったのだろう。そして、足利荘に帰る途中で頼朝の挙兵を聞き頼朝に合流することを決めた。俺はそう推測する。 >>813
お前みたいな馬鹿な尾張猿でも分かるように、簡潔にまとめられた嘘偽りないまとめなんだが
お前は昔から、内容については反論出来んだろうが >>818
花神は当時貴重なマスターテープに重ね撮りして使い回しちゃったんだろ?
当時の富裕層が家庭用ビデオで全話録画していてそれを提供してくれる奇跡を待つしかないね >>819
承久の乱の10年後に正法寺に範円がいたからってなんで範円が三河に所領を持ってた証明になるんだよ(笑)
それは隠居して親父の菩提を弔ってるだけじゃねえか! モトヤとかID変えて書いてたのはエモリ爺だから釣られるかよ
和泉流で親子3代の人間国宝になる野村萬斎が大河主演するならまだしも
あんな20歳で自称宗家を名乗って、能楽界を追放されるような奴に騙されて飛びついたNHKが情けない 花神は募集かけたが全く集まらなかった
アキラメロ
全話集まった草燃えるは奇跡よかったなお前ら 再放送見たけど誤射されて後ろの味方に殺されそうで金玉がヒヤヒヤした >>825
お前マジで高卒、IQ80だろ
まともな読解力持ってないぞ
範円は鎌倉初期に正法寺の僧になり
1232年に親鸞(範円従兄弟)がやってきて、真宗に改宗したと書いてあるだろう >>824
テープからデジタル画像に移してればいいけど
ビデオテープのままなら、劣化して使い物にならないかと・・ ID:B+RHcn8a
すっげー読みづらいんだけど >>825
あのな、高卒チンパンジー
お前の先生たるWiki、源範円にはこうある
『尊卑分脈』『吉見系図』などによると、範頼の妻の祖母で、頼朝の乳母でもある比企尼の嘆願により、子の範円・源昭は助命され、その子孫が吉見氏として続いたとされる。
吉見系図は尊卑分脈を参考に、尊卑分脈成立後にまとめられたものだと考えられ
尊卑分脈筆者が丹後内侍を丹後局と同一人物としてしまったのが、全ての誤りと分かる
では仮にそれを間違いではないとしよう
すると、吉見系図に記載されている、三河に住していた頼行が一族がいる能登に移住し、8年後に石見に移住して石見吉見氏が成立した話も間違いない事になるよな
三河に所領を持っていたソース出せ
↓
吉見系図読め、論破
これで終わりじゃねーか ID:hNehj3XR
こいつ何かコテつけてくんねえかな >>829
鎌倉初期と書いてあるだけでいつから正法的にいるか判明してない。
そもそも範円は武蔵の慈光寺で出家して別当になっているから正法寺にいただけでは所領があった証明にはならない。 >>765
訂正
最近調査で判明したのは、頼朝の遺物が納められている三尊像の聖観音像ではなく、残りニ像の内の帝釈天立像 >>830
10年ぶりのテレビ出演ですか?
需要のない前科者でも、大河主演させてしまった呪縛から逃れられないNHKだけは
10年に1度は使うしかないというジレンマな >>838
もう完全にIQ80認定だな
優秀な奴ほど言葉選びに注意すると思うんだが
鎌倉時代初期、鎌倉時代前期でニュアンスが違う
当然1230年代が初期なわけない、幕府の中心プレーヤーも代替わりしているのを見てもな
鎌倉時代初期との由緒が伝わるなら、1200年前後が鎌倉時代初期だろうが
だから、範円子息に関して尊卑分脈が明確に勘違いしているんだから、なんちゃら寺の別当とかも眉唾だろ
コレも誰かと勘違いしている >>833
吉見系図は後付けが多いから他の史料と照らし合わせないとあてにあらないぞ。
頼行の設楽領有もその一つだな。
地元に証明する史料がないし第一頼行の時代は既に足利氏による三河の領地化は完全に済んでおり設楽郡は足利氏の被官の設楽氏が既にいる。足利氏は隣の額田郡を三河の本拠地にしており、隣の設楽郡を他人に渡すはずがない。
このように吉見系図には矛盾点が多く見られるので簡単に鵜呑みにせず他の史料と照らし合わせることを薦める。 吉見のなんちゃら寺で範頼が稚児として暮らした(笑)
もう完全に由緒が嘘臭い >>843
では、範円が比企尼の孫である主張も諦めるんだな
コレは都合がいいから正しい、コレは都合が悪いから間違いは、IQ80がやる事だ >>845
ブーメランになっているぞ
自分こそこれは三河が関係するから正しい、これは三河が無関係だから間違いってやってるぞ 範頼は、幼少期に吉見の寺で暮らしていたダッペ
範頼は幽閉先の伊豆から逃げ、吉見に隠れ住んだダッペ、それが吉見御所ダッペ
幼稚と稚拙と言うか
古代ほどファンタジーじゃないか中世前期も資料が少なく、背景を精査し推測するのも大事だと思うんだが
藤原実範(三河守)→季綱(三河守)→友美→能兼→範季(養父)→源範頼→範円
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季頼(三河五郎季頼、八剱神社(三河県蒲郡市)神官)→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季成(蒲神明宮(静岡県浜松市)神官)→当麻五郎貞稔(源範頼乳母父)→当麻太郎
範頼は由良御前がケツ持ちして、由良御前の従兄弟が養育したと伝えるが、範頼子息助命して庇護したのは、やはり頼朝が愛情を注ぐ三河の藤姓熱田大宮司家と祖父の安達盛長しか考えられんな
頼朝が三河の藤姓熱田大宮司家に甘い逸話は多々あるが、その一つが頼朝の寝床に忍び込んで捕縛された範頼家臣の当麻太郎
重罪を犯したにも関わらず、当麻太郎は流刑で済んだ
何故か?当麻太郎は、三河の熱田大宮司家出自だったからだ
範円が比企尼の孫であるという、吉見系図以外には一切記録がない間違った話が、多くの嘘を生み出している みんなシンウルトラマン観に行けよw
これからこの大河が更に面白く観れるぞw >>842
範円の場合、慈光寺で出家して別当になった後、深大寺でも別当をしたりして結構フラフラしてるから正法寺にいたからといって三河に領地があった証明にはならない。 >>679
実朝暗殺で政子が義時を特に責めてないのは
義時の反対押し切って政子が公暁呼び戻したからか たしか実朝暗殺で子供全員失った政子がもう死んでしまいたい思ったが
義時が姉上死んだら私も死にます言って泣きながら側を離れなかったんで
死ねなかった言ってたな 頼家、実朝と男子二人いて、頼家に至っては男子4人も作っていたのに頼朝政子腹で男系だと
断絶だもんなぁ。 >>852
頼家の側室で後に三浦胤義の正室になった一品房昌寛の娘は
旦那2人(頼家、胤義)と子供5人(禅暁、胤義の子4人)を時政と義時に殺されてるんだよな
政子の心境が知りたい >>848
義村がいちいち「私の好きな言葉です」とか言うのか。 >>764
それは素晴らしい!
弟さんおめでとうございました
知り合いは2月に東照宮で挙式をしたけど
歴史的建造物が傷む恐れ有りということで
極寒の中、一切の空調無しだったそう
新郎新婦も親族も身体中に貼るカイロ貼って
震えながら凌いだらしいw >>840
そろそろ大河にも出てもおかしくないな
演技は安定感あったけど和泉流宗家チャンネルでの話し方そのままなのは少し笑ったが
20話「帰ってきた義経」
これも両方の意味があって平泉と鎌倉(首桶) >>840
前科者云々で言ったら獅童はどうなる
獅童も元彌もそれなりに需要はある
今のこの二人の格で言ったら獅童の方が上なのは間違いないだろうが >>854
孫は一幡以外出家させられてるし全員が非業の死を遂げてる 一幡の死は描いてくれるだろうか
一幡を殺して義時が悲しむ展開とかなら流石に見限る しかし大岡越前もどうせ出るならレギュラー出演させてやっても良かったのに
1話限りのゲストではどうも勿体ない使い方に感じてならない
吉宗役が変わったのも違和感ある
今までの吉宗役の人は凄い良かったからなあ >>847
安達盛長が範円を保護し自分の領地を与えたという史料はないし当時の政治状況で範頼の息子を三河に置くことを頼朝や比企能員が認めるとは思えない。
やはり多くの史料が指し示す通り範円は範頼の死後、
血縁の比企尼によって武蔵の比企に保護されたと見るべきだ。
安達盛長の妻の丹後内侍が比企と無関係というのはそれこそどこの史料にも記載されていない根拠のないデマではないだろうか? >>855
胤義の一族を皆殺しにしたのは義村だろう
承久の乱では義村・武田の息子・名越朝時も頑張っている 20話は帰ってきた義経か
平泉に帰った義経、そして鎌倉に帰ってきた義経の首 頼朝とは義仲討伐に出てから以来の対面か
その対面が首桶ってのも悲しいな
滝沢義経の時は一ノ谷の後に対面してたけど >>810
羽賀研二受刑者が出演しているドラマは無理だろうな >>868
もう1年くらい前に出所してるよ
琉球、吉宗、時宗は羽賀研二が足枷になってるけど
一応罪は償った形ではあるからそろそろ商品化されてもいいと思う
峠の群像も理由は分からないけど残ってる作品なのに完全版は出ていない
花神以前(とととを除く)はもう残ってないから物理的に無理だろうけど
発掘と言ってもビデオテープのままなら見るに堪えない状態だと思うし全話揃うのはもう絶望だろうな 結局は腰越状はどう書くのが正解だったのだろう
汚くても自分の字で書いていれば 羽賀研二はスト2のケンの声がメチャ上手かったんだけどなあ 上総といい義仲といい粛清される人は文を残すのかな? 範頼と比企尼
「吉見系図」の比企尼長女丹後内侍が藤九郎盛長、二女が河越重頼、三女が伊東祐清次いで平賀義信の妻となったとの記載は、
立証されており、研究でこれを否定する者はいません。そして、丹後内侍の娘が範頼、侍女の娘が義経、三女の娘が惟義の母と
なったことも立証されています。
すなわち、「吉見系図」の範頼に付してある長文の傍注記載には信用性があることが立証されています。次いで、『尊卑分脉』
も合わせ、範円が藤九郎盛長娘の生まれであることも、信頼性のあることです。この娘は丹後内侍所生とするのが妥当であり、
範円は、比企尼ー丹後内侍ー娘ー範円と、曽孫となります。
範円は『尊卑分脉』では「順大寺阿闍梨」とありますが、「吉見系図」では「深大寺に住む」とあり、弟の源昭が『尊卑分脉』で、
「慈光寺順大寺等別当」とあるのが「吉見系図」では「慈光寺、深大寺等別当」とあり、両人の「順大寺」は「深大寺」とするのが
妥当でしょう。すなわち、範円は武蔵国の深大寺に居したことになります。
範頼が伊豆に幽閉され死去したのは建久4年(1194)です。『吾妻鏡』を見ると、比企尼の所見は文治3年(1187)で終っています。
このことは尼が文治年間に死去したことを示唆します。尼の男子藤内朝宗(姫の前父)は建久年間まで、どちらかといえば文官的行動を
行って、頼家期では姿を見せません。おそらく頼朝晩年に死去したのではないでしょうか。以上から、範頼の遺児を保護できたのは盛長
以外にはないでしょう。盛長の居館の伝承地は埼玉県北本市の放光寺です。足立郡北部に位置し、西に吉見郡です。 >>870
腰越状って「俺悪くない!頼朝は騙されている。確かめろ!俺これまで大変苦労したんだよ!ようやくチャンスを得て大活躍したのに全て無かったことにされてるなんてありえねー!みんな源氏のためにやったんだよ!大江さん、ちゃんと仲介してくれたら神の御加護が得られるよん」こんなんだよw
普通に頼朝が何を怒っているのか理解して反省してたら許されたんじゃね?w 娘に彼氏ができた父親なら
頼朝が義高殺させたのに共感出来そう >>870
代筆は構わないが
罪人の宗盛に書かせてる時点でどんな内容でも駄目だわ。 頼朝の復権を忘れて「義経、官位もらって偉い!」みたいな文面だったのかと思ってる >>874
兄上に逢えなくて平家滅ぼして頑張ったのに兄上が怒って褒めてもらえなくて悲しいよクゥーンクゥーン
ただ兄上に会って可愛がられ褒められるのだけが九郎の願いなのにクゥーンクゥーン
滝沢義経の時はこんな感じの腰越状
頼朝は「何故九郎そなたはそんなに情を欲す・・読まねばよかった・・・」
と涙していた 範頼が御家人たちにカバ呼ばわりされてバカにされていたな >>876
言い伝えだと弁慶が代筆と言われるね
義経なら代筆させるのは当然だけど敢えて汚い字で自分で書くのは有村かと
宗盛代筆は論外だけど流石に そもそもなんで頼朝は鎌倉入りを拒否したんだ。
鎌倉にいれて幽閉でもしといたほうが良かったのに。
京都でもし義経に兵が集まったらどうするつもりだったのだろうか? >>877
基本、頼朝の判断を待たず何でも独断で話を進め、事後報告すら怠った事w怒りが積み重なってた。
「てめぇ、誰に仕えてるんだ?俺に仕えてるんだろ?ならすべき態度があるよな!」頼朝さん序列にはうるさいんですw 範頼は真面目で有能だった。将軍の控えとしてもっと大事にしておけばよかった。 >>882
京だと後白河もいるしな
腰越で討ち取るのが正解なのかな >>883
それって義経本人ではなく部下の仕事だろ。 >>877
無断任官や数々の独断行動について一言も謝罪してない。つまり義経はそれらの行動を悪いと思ってないと受け取れる。 無断任官は義経だけではないから、そのルールが浸透してなかったと思うけどね。 >>884
義経だけでなく範頼も殺す頼朝
擁護できないな 義経はどう見ても危険人物なのは分かるけど
この大河の範頼は人畜無害
それとも義経を殺してから範頼が頼朝に不信感抱くような脚本になるのかな
範頼も義経可愛がってたし義経も何だかんだで範頼を慕ってはいていい関係だと思った 質問なんですが何故泰時時房比奈八田実朝後鳥羽だけ出演者発表の仕方が他と比べると特別扱いなんですか? >>890
始めに義経が無断任官をして、義経が許されるなら俺もと無断任官が続いたから義経の印象が余計悪くなった。
因みに無断任官組の内、義経以外は実家のフォローで頼朝の怒りが解けているが、義経だけが誰もフォローした形跡がない。そこからも義経が坂東武者から孤立していたことが伺える。 >>890
口実だよ
頼朝は義経が邪魔だから排除しただけ
無断任官なんて大した問題じゃない
鎌倉に呼び戻してお叱りすれば済む話
義経暗殺部隊を送り込んだりちょっと嫉妬がすぎるよな >>873
なるほど、そういう考えもあるんですね。
自分は比企尼は頼朝の死の直前まで生きていたと仮定していたから比企から小山朝政のルートだと思っていましたが、それだと安達盛長から小山朝政のルートが可能ですね。勉強になりました。 義時は絶対に義経を頼朝に会わせるな派だったのに
なんかいい人役なのが不満だな 頼朝が義経を伊予守に推薦しているらしいからなぁ
腰越状の段階で怒ってたのはなんか嘘くさい話 >>898
来週は黒い義時が見られるから大丈夫
泰衡と義経を両方煽ってくれる 義経がなんでこうなってるのか分からない思うのは当然だし
腰越状の記述もそらそうなるよなてとこ
みんな分からなかったんでねーの
それで梶原が讒言したんだろてな感じになった 後白河院に留められなくても義経に未来はないだろう
頼朝でなくても脅威でしかない
もっと早く反頼朝で軍を挙げればワンチャンあった? 後鳥羽は特に目玉配役だからな
尾上松也は予想してた人間多かったね
妻夫木、尾上、藤原、松田このあたりが有力視されていた >>895
普通は嫁の実家の河越がかばうはず
さらには比企も
範頼も比企尼の孫娘だからな一応
頼朝が北条の婿に手出ししないのはやっぱ怖かったから?
全成殺した頼家は翌年に報復されてるし >>892
敢えていえば、人望もあり、
いろいろな事をそつなくこなすので、
頼朝が嫉妬しているだけだとしか
思えない。 >>892
敢えていえば、人望もあり、
いろいろな事をそつなくこなすので、
頼朝が嫉妬しているだけだとしか
思えない。 ソニー損保のCMのひとが和田義盛こと横田栄司さんだとはいままで気づかなんだ 全然ムードが違う
役所広司さんのことじゃないよ >>906
今回の範頼は少なくとも殺されるような人物には見えない
石原良純とかはまあ仕方ない感じの雰囲気は出てたが(殺される前に物語は終わる) >>905
河越は庇う暇もなかったかもよ
義経が京を離れた頃に誅殺されてるよ 今回の範頼って小一郎みたいな理想系の親族に見えるのに
頼朝から見ても義経から見ても >>906
先週カバとバカにされてたが人望あるのか? >>899
自分も伊予守就任を考えると頼朝は特に怒ってなかった気がするよ。
なんで鎌倉入りを拒否されたのかよくわからないけど。 >>910
武蔵国留守所惣検校職を畠山重忠に奪われたんだっけ? >>902
西国武将にとって坂東はインセンティブにならなかったから、仮に早く挙兵しても兵が集まらなかった
そもそも平家討伐で消耗していたし >>914
奪われるってw人聞き悪いな
相手が処罰されたから横に流れてきただけだろうに
畠山の乱の後また河越に戻ったんじゃなかったっけ >>915
平家滅亡後守護地頭が鎌倉から派遣されてくるんだもん
西国武将にとっては以前と変わらないどころか武力を持つ者が来るわけだから大変だったろう >>909
でも史実で頼朝に処罰されてるからドラマでも処罰される >>920
そりゃ範頼が殺されなかったらこの大河見限るわ >>913
鎌倉へは入れたんじゃないかとか腰越状は後世の創作じゃないかと言われているね
義経は行家を頼朝に差し出しつつ、京でもう少し時間をかけて倒幕体制を作るべきだったと思う
>>918
守護地頭の設置は義経捕縛のためだから、こうなってしまってからでは遅い >>922
あれだけ歳が離れているのだから頼朝が死ぬまで京で大人しくしてればよかったと思う。 >>918
その西国武将もそれより以前に現地化した源平藤他の末裔(自称含む)が多いけどな >>924
頼朝が何歳まで生きるかなんてわからんだろ
70くらいまで生きるかも知れないしそれまで義経の性格でじっとしてるなんて無理だろ
そもそもその前に殺されると思う >>924
大人しくしてても向こうから暗殺しにくるじゃん 義経としては殺される前に殺しに行くか
ひたすら兄上クゥーンクゥーンで許してもらえるかどちらかだろう >>928
>ひたすら兄上クゥーンクゥーンで許してもらえるかどちらかだろう
範頼もあれだから、1時的に許されてもいずれ殺される。 御内人って御家人と全く別だと思ったら兼任してる奴もいるんだな
御内人の中には工藤氏なんかもいる 義経は神器さえ取り戻せたら堂々と鎌倉凱旋できたでしょう
頼朝の怒りは神器を取り戻せなかったところ >>931
有名な御内人はだいたい兼任
第二次三浦氏も御内人だし楠木正成も御内人 >>929
家康は子供のころから人質生活で明日死んでもおかしくない命で
天下は狙ってなかったと思うよ
信長、秀吉の死で思いがけなく天下が転がり込んだ >>934
家康が天下狙いはじめたとしたら秀次粛清後だろうな
あれなら秀吉死んだら豊臣家は空っぽだから狙わない方がおかしい
実際中村一氏、堀尾吉晴、山内一豊、田中吉政、池田輝政という秀次の家老や近しい人物で東海道を押さえていた面々は全員家康に付いている
当然随分前から接触してたはずで 今日の実況は
「メフィラス キタ―――(゚∀゚)―――― !!」
の嵐 >>938
頼朝が愛息・頼家ただ一人に家督を独占させたいために弟たちが邪魔だったのと同様
秀吉も愛息・秀頼ただ一人に家督を独占させるため甥は不要だったんだよ
まだ幼い愛息の後ろ盾が必要なので頼朝は愛息の実母の実家北条を
秀吉は愛息の実母の妹の嫁ぎ先徳川を、後見人に指名して補佐するよう命じた
その補佐役が主君の息子をぶっ殺して政権を取った >>932
何をどうやってもイチャモンつけて殺す口実作っただろ
少なくとも今作の頼朝はそういうキャラ 頼朝とくらべると家康はいい人だったんだなと 天下をとっても誰も粛清してないし 頼朝と義経は奥州藤原氏を巡るスタンスが正反対だから悲劇は避けられない
このドラマでの範頼義経の関係はいいね
前者が尻ぬぐいすることが多いがw
でもお互い気を許し合える関係って感じ
このドラマの範頼が殺される要因としては
真面目で律儀なんだけどちょっと迂闊な所があって微妙に失言してしまうとか
真面目でいい人でそこそこ有能だから、一旦平氏滅亡してもう義経のような才能が必要されるわけでもないから
そうなると担ぐにはこういう人でもいいなあみたいに思われる所もある
って感じで頼朝にとって危険人物になるのかな >>941
頼朝が頼家の補佐役にしたのは比企氏だろう。
ただ、頼家は頼朝の鞭だけを真似したから古参グループが反発して頼家ごと比企を排除した。 まあ遅かれ早かれ義経は頼朝に挑発されただろうが、それでも武田信義のように命だけは助かった可能性もあるわな 豊臣方武将を改易させてもたいていは滅亡させずに家を継続させてるからな
だからこそ謀反を起こさせず、上手く鞭と雨を使ってた >>945
上総介と同じで本人には落ち度はないけど
単に御家人の支持があるから2番手勢力として危険視されて排除じゃね。 >>944
寿命の差もあるのでは?
頼朝が家康と同じくらい長寿なら鎌倉源氏は三代で滅びてなかったと思う。 >>943
義経を巡る悲劇に向け
上総介や武田源氏関連でそういうパターンを積み重ねているね
どっちともかなり理不尽の口実を作って誅殺している
そしてどっちとも頼朝的には危険人物と見えても仕方ない描写もある
そして義経もそのパターンにはまるって感じなんだろう
この3人のうち上総輔も義経も頼朝に対して極めて善意なのにもかかわらず反逆者扱いて滅ぼされるけど
「最も頼りになる者は最も危険」
そして二人とも穏便な性格じゃない 排除するつもりの義経を伊予守に推薦しない。これが最後の助け舟。鎌倉に入ることを許さなかったのは他の無断任官した御家人に対する処分と同じ。と言うことは後々許すはずだった。しかし、世の中うまくは回らないw 上総介誅殺の件は後の義経討伐の伏線(似たロジックやあり方で粛清される)という感じで描かれていたと思う >>948
何をもって豊臣方の武将というかが難しいけどな。
黒田長政とか加藤嘉明や浅野幸長とかバリバリの豊臣方武将だけど。完全に家康派。 戦国時代は基本一代限りの忠誠のイメージ
黒田でも官兵衛は秀吉→家康で、長政は完全家康 そもそも義経は鎌倉にいく理由がなかったのだから
京都でそのまま検非違使やってればよかった。
宗盛の護送とか他人で良い。 >>950
家康が自家製漢方に凝ったり
やたら健康に気を使うのが趣味みたいな生活になったのも
頼朝の短命を教訓にしてるのかね 甲斐源氏や佐竹は何だか曖昧決着のまま、なし崩し的に従属していった印象だけど、そういう道もあったんだろうな 同時代でも親が亡くなって子の代で落ちぶれた例いくつも見てるからな家康は 滝沢の時って義高の助命単眼しようとしてたし
一ノ谷の後にも頼朝に会ってる
大姫には「九郎叔父上も父上と同じ」と罵られていた
あの時の義高は本当の子供が演じていて藤内に殺されるのではなく逃げたのを鎌倉に連行され処刑された
勿論処刑の描写はなかったが >>962
今川織田豊臣の流れだな
もし徳川がその流れだったら次は誰だったのか気になる
伊達ってのはないだろうけど 経時が家督継いだのも頼家と同じぐらいの年
病弱なのも一緒
その後弟が継いだのも
違いは頼家や実朝を支える源氏のおじさんふぁ皆無だったことだよね
若い経時や時頼が三浦に脅かされても一門がついてたから無事だった >>952
当人に叛意があるかないかの問題じゃないんだよな
「足固めの~」で描かれたように
御家人たちの大半は、何か不満があれば
義高や万寿を担いで頼朝を追い落とそうとする連中で
それを回避したかったら、自分以外の神輿候補を潰していくしかない >>966
どれも微妙だな
上杉景勝は力あっても30万石に削がれたし
石高なら前田だろうが利長ではどうも
その三家なら伊達の方が可能性あるかと >>967
いやあれは三谷の創作だろ
どう考えても有り得ない面子が謀反に加わってたりするし 宗時の悲願は義時に継がれていく
兄との約束を果たす事に
坂東武者の世を作りその頂点に北条が立つ
あの時点でそこまでのビジョンを持つ今回の宗時は凄いな 頼朝の家が断絶したのは源氏の内ゲバのせい言われるのも当然だよ
弟殺しまくり叔父を殺しまくりしてればさ >>968伊達は中央との交渉力がないからいくら勢力伸ばしても結局減封 このドラマの創作に惑わされていると、ただでさえ吾妻鏡の曲筆で隠されているのに、一連の事件の本質がますます霞むんだよな
駄作と言っていいと思う 平家は身内には優しいしな
平家とか源氏とかはどうでもいいってのは中井の頼朝が同じ発言してたね >>973
あの御家人謀反騒動は悪い創作だと思ったけど
暗殺に関しては見事に描いたからな
あの佐藤浩市の亡骸演技にはかなりの感動があった
勿論死の直後ではあんなに生気は抜けない
交通事故で死の直後の血塗れ遺体は見た事あるけどもっと生気あったからな
あの時の広常は半日くらい放置された状態の亡骸では 19話からの相関図に平家が消えてるのが寂しい
宗盛親子はまだ生きてるのに消すの早すぎる >>971
義賢と悪源太は領地争いで殺し合ったし
清盛も平治の乱で叔父は斬ってるし
叔父だの甥だのいってて
協力するなら身内の縁は口実になるが
協力的じゃない時点で敵になる世界だな なぜか 老人たちの反乱で 鴻門の会を思い浮かべてしまうんだよね
壇ノ浦では 矢を集める諸葛孔明
大江弘元は 諸葛孔明に重ねる 水魚の交わりと言われて 「ほれ 水が歩いてるぜ」って言われてるシーン >>953
大義であった
褒美に美濃尾張をくれてやろう >>975
そういう説もある。鎌倉後期は得宗領が膨大になりすぎて御内人になる御家人も少なくなかった 里見た後だと静が普通に可愛く見える
目が麻痺してしまうんだな 去年の門脇麦も誰か咬ませ犬で醜女を一人駒の周辺に起用していれば
駒も結構マシに見れたかもな
でも麒麟は帰蝶が出てきてしまうから結局リセットされて駒はやはり駄目だってなってしまう 三浦透子も愛嬌はあるからもう少し可愛く見せられそうだけど今回は嫉妬狂いの醜女を敢えて演じてるからな
まさか石橋静河がマシに見えるとは思わなかった
麻痺って怖いんだな
刑務所に入るとブスでも何でも良くなるとか聞くけど本当にそうなのかも知らんね 咬ませ犬里抜きでも石橋静河は門脇麦よりはマシだと思う
その門脇も三浦透子よりはマシ
門脇は川口春奈と並ぶ本当の公開処刑食らっててある意味可愛そうだった
しかし野良女と姫のルックス差を考えるとあれくらいがリアルではある
野良女なのにウツボが静より可愛いとか本来ならおかしい訳だし >>978
清盛が叔父を斬ったのは
平治じゃなくて保元の乱だった >>989
ウツボ出てきた義経だと
麒麟の伊呂波太夫がタッキー正妻だったな このスレッドは1000を超えました。
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