九州王朝説によると
中臣鎌足と息子とされる藤原不比等は同一人物
乙巳の変も実際は695年不比等の時代の事件で
50年前の父の代の事件にねつ造した
さらに討たれた蘇我入鹿の正体は天武天皇の息子高市皇子で
高市皇子は実際は天武の息子ではなく九州王朝の天皇だった