アルフォンソ・ソリアーノ 

広島時代 編集
プロ野球選手としての経歴は日本プロ野球の広島東洋カープから始まる。
同球団が所有するドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」で才能を認められ来日。広島時代の背番号は74。

1996年はカープで二軍のウエスタンリーグで三塁と遊撃を守り、57試合に出場し、打率.214(131打数28安打)、本塁打0、13打点。

1997年に一軍登録され、9試合出場。17打数で2安打。身体が細いにもかかわらず、この頃からすでに振り回すバッティングフォームであった。
また足が遅いことで有名だったためあだ名はロバと呼ばれていた[1]。
広島で遊撃手として守った時が、人生で一番精神的に疲れたという。当時を振り返り、「19歳(鯖読みをしており実際は21歳)だったんだ。自分の手は震えが止まらずにいたよ。誰も自分に向かってゴロを打って欲しくなかった。ポロリと落とすってわかっていたからね」と語った[2]。
黒田博樹は1997年の一年間、カープの寮「三省寮」で、同じ釜の飯を食べた仲[3][4]。