64年には詩人として、ナポリで初めて公式に舞台に立った。
ポンペイウス劇場では独唱会も開いた。1度目は運悪く地震で観客は皆逃げてしまった。
2度目は出入り口に人員を配置して逃げられないようにした。
しかし、あまりの退屈さに逃げる者が続出。出入り口が使えない為、塀をよじ登ったり死んだ振りをして棺桶で外に運び出された者も居たと言う。
更には例外無く外に出ることを禁じたため、産気づき出産した女性も数人いたと伝えられる
(親友の一人であったウェスパシアヌスはネロの演奏中に退屈のあまり眠ってしまい、これが原因で絶交してしまう)。