1913年(大正2年)1月、大阪市南区笠屋町(現・大阪市中央区東心斎橋)に「吉本興行部」を設立。
      大正11年  エロ安来節導入で大繁盛  吉本せいの実弟の林正之助が、大正11年(1922年)ごろに安来節を寄席に導入して一大ブームを起こした実話がベースとなっています。
      大正12年 <−−−今ここ

1924年 泰三死去。妻の吉本せいが継ぐ。
1932年(昭和7年)3月1日に吉本興行部を改組する形で「吉本興業合名会社」を発足。
1934年 吉本せいが山口組二代目山口登組長と接触。
1942年 吉本せい依頼の興行トラブルを請け負った為に山口組二代目山口登組長死去。
1948年1月7日、吉本興業合名会社から「吉本興業株式会社」に改組。会長に就任。吉本せいの弟、林正之助社長就任。
1950年3月14日、吉本せい肺結核で死去。享年60。
1968年 林正之助社長、山口組三代目田岡組長と共にレコード会社乗っ取り容疑で逮捕。兵庫県警内部資料『広域暴力団山口組壊滅史』には「山口組準構成員 吉本興業前社長 林正之助」と記載。