武井風太の実在モデルって誰?
わろてんか、実在の人物をモチーフにしてるそうですが、武井風太に関しては、実在モデルの特定が難しいだなんて言われてますが、その中でも有力視されてるのが、吉本興業株式会社の初代社長、林正之助(はやし・しょうのすけ)氏。
ヒロインモデル、吉本せい(旧姓、林)の10歳年下の実の弟です。林正之助さんは中学受験に失敗し、姉の白井きく(林きく)夫婦が経営する紀伊國屋に奉公に出て、モスリンを販売します。
※モスリンとは…木綿や羊毛などの梳毛糸を平織りにした薄地の織物の総称
奉公から帰ると次は、半強制的に吉本せい(林せい)夫婦に呼ばれ吉本興行部で働くことになり、役職は「総監督」となるも、実際は雑用ばかり。。。下足番からはじまり、自転車で小屋を回っては従業員を叱り、
集金に出向いたり、ヤクザとの交渉をさせられたり (;”∀”)そんな雑用一点張りの仕事をする一方で、多彩な才能も発揮します。舞台下からライトアップ出演を考案や他社事業を乗っ取ったり。。。
吉本せい・林正之助
林正之助の活躍で吉本興業は勢力を拡大し、ライバルを合併させ、大阪の地に吉本王国を築いていったのです。吉本せいの夫が死去すると、吉本興業の運営は妻せいに任されます。
しかしその運営をせいは正之助に任せ、芸人たちを叱咤するのは正之助。それをフォローしてお金を渡すのはせい。正之助は嫌な役に徹するのでした。

時代の変化からか、落語に変わる演芸として漫才の発掘にも精力し、エンタツ・アチャコやミスワカナをスカウトしたり、入場料10銭の漫才を普及させたり。また阪急グループの創業者、林一三さんに招かれ、
東京宝塚劇場(東宝)の取締役に就任したため、東宝と松竹の対立に巻き込まれてしまいます。松竹からの攻勢。莫大な資金で芸人を引き抜かれるも、被害を最小限にとどめるも、大阪大空襲で寄席すべてを失います