生前に面識のあった板垣退助は、上野公園に建立された銅像に不満を持ち、洋画家の光永眠雷に指示して新たな肖像画を描かせ、
二点が作られたが一点は大山厳、田中光顕、明治天皇の天覧を経て、西郷イトへ。
もう一点は西郷家から大山を経て宮内省に渡ったが、二点とも現在は行方不明である。
しかし1910年に日韓併合記念として写真版で印刷発行されており、現在岡山県立記録資料館が所蔵している。
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