>>379
>>404
鎌倉時代から…というか平安時代もだが、武士の偉い人はわりに「首都」にいることが多かった。
鎌倉・室町の守護さんは鎌倉か京都にいたことが多いと思われるが、
九州〜中国地方の守護はわりに現地にも行っていたらしい(蒙古襲来への警護などのため)。
だから、江戸時代の参勤もその延長と見るべきかも。
「人質」とかではなく、藩主は江戸で将軍様と市中を警護するのが本職で、領地こそ顔見せする程度のもんだったのかも。