歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」★3
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戦国「最弱」として歴史ファンにも大人気!?の小田氏治。常陸国、現在の茨城県にいた武将だが、記録にあるだけでも20回近くも合戦に負けている。相手も北条氏康や上杉謙信、豊臣秀吉といった強敵ばかり。しかし、家臣にも領民にも慕われ続け、自分を敗った相手の誰よりも長生きした。なぜ「最弱」は「勝利」したのかー小田氏治、不死鳥の奇跡の秘密を解き明かす。
歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」★1
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1528887937/
歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」★2
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1528897106/ >>520
その安藤に実際勝ってるじゃん、まだ10代のころに
まあ若死にした分の贔屓は入ってるだろうけどな >>525
そこが小田ぽんの故地か
宍戸というのが宍戸氏発祥の地
ちなみに宍は肉の異体字なんでこの字がこんなに有名になったのは宍戸氏のおかげ 名君って訳でもなく、戦に強いわけでもない
戦に負けて城を奪われるたびに家臣・領民が奮起して取り戻してくれる >>530
佐竹に小田城からも土浦城からも追い出されて正解だったのかもね。
下手に残ってたら酒宴に招かれて忙殺されてたかも。 「日朝平壌宣言自体が論外の代物であることを誰も言わないのは何故?」
それはね、政治家・マスコミ・言論人、全員が朝鮮工作員だからなんじゃよ(´・ω・`)
日本には絶望しか無いんじゃよ(´・ω・`) 増田くん、
幼稚園児でも理解できるように分かり易く書いてあるワシのレスすら只の一つも只の一行も理解できない歯口の振りは楽しいかい?それとも本当に歯口なのかい? 信長の野望も最近全然やってないなぁ
戦闘がついていけない... >>539
革新までやったわ。面白かったけど太閤立志伝5のほうが好き >>542
数万てとこじゃね?
結城領以外の常陸1国の佐竹が50万石ならその数分の1
20万石もあると甲斐1国相当ぐらいになってしまう
戦国常陸は北の佐竹、南東の鹿島、さらに佐々木や土岐もいた 小田原城を攻めきれなかったと言うよりも、
衆人環視の前で成田長泰を馬から引き摺り下ろして頭はたいて
関東諸将にDQN扱いされて見限られたからだろ。 >>546
弱いってだけで領土はそこそこあったんだね >>559
敵を知らず己を知れざれば百戦殆うくなる・・・ですね(泣) www 軍略皆無で連戦連敗だったのにw 皮肉すぎるw 娘が側室となっていた結城秀康の客分となり、嫡男(次男)の守治とともに越前へ下向した。
人質として北条氏に仕えていた庶長子友治は小田原落城後、秀吉に仕え、先祖の「八田」姓に改称し、
朝鮮出兵などで活躍するが、豊臣秀次に連座して改易。その後はやはり結城秀康、次いで松平定勝に仕えた。
その子義治は豊臣秀頼に仕え、大坂の役にも参戦した後、福島正則に客将として招かれたが、正則所領の広島にて死去した。 >>546
そういえば番組中での関東の地図で銚子とか匝瑳エリアまた対岸の鹿島は特に色分けされてなかったな 誰が治めてたんだ?
小田領地としてはつくばから土浦か いまならすごいいいなw
小田城ってつくばの鉄道の路線にかかってたような(すでに廃線になってるけど) ※小田 義治
戦国時代から江戸時代の武将。小田氏の一族で小田氏治の庶子友治(八田左近、八田友治)の嫡子。左京亮。八田左京、八田義治とも。
父の死により家督を相続した。母方の縁者速水守久に招聘されて豊臣秀頼に仕える。
大坂の陣に際しては、小田家伝来の旧領回復の約束を取り付け、常陸および全国から小田氏旧臣を多数招聘して豊臣方として参戦した。
合戦によって負傷したが、戦後も生き残る。
戦後、安芸国広島藩の福島正則に招聘され、客分となったが翌年の元和2年(1616年)2月29日に病死した。 ※小田 友重
戦国時代から江戸時代の常陸国の武将。小田氏の一族で、小田氏治の庶長子小田友治(八田左近)の次男。
豊臣秀頼家臣であった義治の弟。太郎左衛門。喜太郎。後北条氏家臣の宇都宮為明の養子であったらしい。小田原落城後は不明。
関ヶ原の戦いに際しては徳永寿昌の陣を借り、その後は親戚の縁を頼りに松平定勝の客分となり、
どうにか小田氏の家を復興させようと努力する。
元和3年(1617年)に自身が名族・小田氏の嫡流であることを主張する「書状草案」を幕府に提出し、
身を立てようとしたが叶わず、寛永15年(1638年)美濃にて死去したらしい。享年53。 >>548
強弱も程度の問題だと思う
室町関東は初め上杉、後に北条が桁外れに強大で、佐竹でもはるか…って感じ 小田氏治って名君か暗愚かで言えば間違いなく暗愚なんだけど、戦の内容の面白さと何度負けても兵が集まる人望のギャップと絶対に死なない不死鳥っぷりが面白いんだよなぁ
孫の義治も大阪の陣で豊臣方について大阪城に入ったのに生き残るっていう壮絶なことしてるし。 >>565
鹿島は鹿島平氏または常陸大掾(だいじょう)氏というのが割拠していた(三十三館という)。
有名な剣豪・塚原卜伝もその辺の武士。だから鹿島神社に卜伝の石像がある。
九十九里のほうは武田・酒井などがいて安房方面から里見が伸びてくる。
上総武田氏はもともと甲斐守護武田氏が落ちのびてきたというから、信玄の遠い親戚ってことになる。
小田・宍戸に話を戻すと、彼らはもともと下野国から進出してきて、宇都宮氏の同族「八田」氏。
常陸で最も裕福な南西部の所領を鎌倉幕府に許され、鎌倉時代は守護だった(室町に佐竹が守護になる)。 小田氏治くん信長の野望では能力値どんなもんなんだろw >>572
大志だと大名部隊(氏治)が潰走しても士気が下がらない(戦に影響しない)という強力な能力持ってるよ >>572
烈風伝だと
政治47 戦闘39 采配42 智謀27 特技:建設
(1531〜1601)常陸小田城主。北条家と結んで佐竹家の南進阻止を試みるが連戦連敗、居城を奪われて降伏する。以後も失地を回復できず、結城秀康に仕えた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています