>>354 は間違った
名阪国道に関係する人の孫

1962年(昭和37年)3月の計画当初から、名阪国道は「無料の一般道路」として整備される予定であった。このため、同年5月1日に、当時の一級国道25号の四日市市 - 大和郡山市間の指定が政令公布された。


河野一郎。1962年 - 1964年の建設大臣時代は、東京オリンピックに向けた道路などの整備に辣腕をふるった。
しかし、その政令が施行された1963年(昭和38年)4月の工事着手後から間もない同年5月、建設大臣であった河野一郎が三重県を訪れた際に、沿線住民に対して亀山 - 天理間に無料の自動車専用道路を1000
日間で建設することを公約として発表した[1]。同年9月に出された「第2次道路整備5か年計画」の基本構想により、名阪国道が国土開発幹線自動車道の「近畿自動車道名古屋大阪線の一部」として組み込まれた
ことにより、自動車専用道路としての機能を果たすために、高速自動車国道の規格をとるよう構造の修正が行われた[1]。