本多正信が一向一揆側についたことに、後世の人々が驚くのは、その後の活躍ぶりを知っているからだ。家康が江戸幕府を開いたときに、欠かせない側近として働いたのが、ほかでもない、本多正信だった。

家康と正信がいかに蜜月の関係にあるかは、家臣たちもよくわかっていた。そのため、家康が首を縦に振るか、横に振るかはそばにいる正信の表情でわかったという。正信が目をつぶっていればノー、目を開いていればイエスだったとか。

「佐渡殿、鷹殿、お六殿」

家康の「三大好物」として伝わっている言葉だ。「鷹殿」は、家康が愛好した鷹狩りのことで、「お六殿」は一番若い側室のことをいう。そして最初の「佐渡殿」こそが「本多佐渡守正信」、つまり本多正信である。

家康がまだ20歳のときに、一向一揆が勃発し、正信に裏切られたときには、そんなことは想像すらしなかっただろう。