江戸 英雄(えど ひでお、1903年(明治36年)7月17日 - 1997年(平成9年)11月13日)は、日本の実業家。三井不動産社長を務めた。終生、三井グループに影響力を持ち続け、グループ内で地位の低かった三井不動産を「三井御三家」の一角に押し上げた[1][注 1]。
また東京ディズニーランドのオープンに尽力したほか、妻と娘が関わった桐朋学園の発展にも一役買った。
茨城県筑波郡作岡村(現在のつくば市)の農家に生まれる[2]。兄1人、姉3人の末っ子だったが、2人の姉は子供の頃早世した[3]。

村の小学校を卒業後、茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)に入学。自宅から中学まで10キロあったが毎日自転車で通い、隣村の一級下の赤城宗徳(衆議院議員)は同じ自転車通学の仲間だった[4]。
政府の旧制高等学校増設方針によって水戸高等学校が設置されることになり[5]、腕試しのつもりで、1920年(大正9年)7月、全国高校同時に同じ問題で一斉に行われた入学試験を受験する[6]。しかし、江戸が志望した文科甲類(第一外国語英語)は10倍を超える競争率だった[7]。
とても合格できる見込みはないと思い、受験直後に上京して、神田の姉の家の泊まり、翌年を期して研数学館と正則英語学校の夏期講習に通い出した[7]。7月下旬となり、そろそろ合格の発表があるころと思い、恐る恐る官報を見ると、全国高校合格者水高の部に自分の名を見つけた[7]。この年、下妻中学校からの合格者は7人だった[7]。

水高は全寮制で、6畳の日本間に2人ずつ入れられ、原則としてアイウエオ順に組み合わされたため[8]、小川栄一(藤田観光社長)と同室となった。これがその後、60年にわたる小川との交友の契機となった[8]。
最初、江戸らの部屋の近所には、文科甲類組の青木秀夫(新潟県知事)、岩田誠(最高裁判事)、鈴木直人(内務官僚・政治家)、柴沼直(文部官僚・東京教育大学学長・桐朋学園理事長)らがおり、みな社会に出てからも、永年懇意に付き合った[9]。寄宿生活では友人たちが文化的教養豊かで博識の者が多いのにコンプレックスを感じ、引きずられるように読書に取り組んだ[10]。
なかでも河上肇の『貧乏物語』を読んで感激し、その後『社会問題研究』その他の著書を耽読[10]。だんだん『資本論』などにも取り組んでいった[11]。3年の時、1年後に迫ってきた東大の入試に備えるため、柴沼とともに常磐公園(偕楽園)近くの神崎寺前の素人下宿に移った[12]。
1923年(大正12年)4月、東京帝国大学法学部英法科に入学する。