大正11年5月のこと、女優の松島栄美子は寿屋宣伝部長、片岡敏郎から会社近くの旅館の一室に招かれていた。
松島は信治郎がワインの宣伝用に結成した歌劇団「赤玉楽劇座」のマドンナ。千秋楽興業を大阪で終えた後だった。

食事を終えた片岡は「ほんの数分間、着物の襟をくつろげて、肩から胸のあたりを出してもらえませんか」
「指一本触れません。とにかくちょっと見せてほしい」といって部屋を出て行った。

松島は覚悟を決めて和服をゆるめ、肩をあらわにした。片岡ら3人の男がふすまの隙間から見、「合格」と心ときめかせた。
その翌日から6日間出入りの写真館に入り、店を閉め、極秘の撮影に取り掛かった。
乳房から上だけのヌードでも当時としては画期的であった。
翌年5月にポスターが世に出ると、大評判になり、「赤玉ポートワイン」の知名度も急上昇した。

このポスターを企画した片岡は、もともと森永製菓の宣伝部長。
会社員の平均給料が40から50円だった時代に、信治郎は森永の2倍、300円の給料を気前よく支払ったという。
当時は宣伝部の第一次黄金時代。
戦後は二代目社長の佐治が、後に作家として大成する開高健や山口瞳を迎え、第二次黄金時代を築いた。
いまでもサントリーの意表を突く広告がよく話題になるのは、信治郎の宣伝精神が引き継がれているからだ。

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