>>71>>75
タモリが歩いてたあたりは戦後長い間水はけの良くない低湿地として有名なところだった。

広島湾のあのあたりは遠浅なので特にややこしい技術を必要としなくても干拓できる。
明治時代になっても大きな船が接岸できないほど遠浅の海が拡がっていたので
「江戸堤」のかなり沖合まで干拓して新開地と宇品港を作った。
宇品港が日清戦争時の平坦基地になったので広島は軍都として繁栄し
結果として原爆投下を呼び寄せることになったんだが…。

広島の歴史は「禍福はあざなえる縄のごとし」を体現している。