100分de名著 part 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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100分 de 名著
http://www.nhk.or.jp/meicho/
毎週月曜日/午後10時25分〜10時50分
<再>水曜日/午前5時30分〜5時55分、午後0時00分〜0時25分
(Eテレ)
前スレ
100分de名著
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1383790562/ >>1乙
回によって結構クオリティに差があると思うんだけど、今やってるアーレント回はかなり出来がいい。下手すりゃベスト 全部観たわけじゃないが、個人的には宮沢賢治回がワーストだった。
賢治を神格化しすぎでほとんど解説になってない。「何だかわからんがとにかく賢治はすごい」みたいな。
解説者も話を聞いてる感じ、信仰を持っているわけではないようで、信仰に生きた賢治とかなり隔たりがある。
法華経、キリスト教、マルクス主義のいずれにも、完全には依ってない立場で、複雑な問題をそのまま描き出したみたいな作品が多いので、難しいのは確かなんだけど、「私はこう読みます」みたいなのを1つ呈示してほしかった。 ああ、ただ朗読の女性の声の朗らかさと、アニメーションは非常に出来が良かった。 安倍がミサイルを予期し発射の日だけ首相公邸に宿泊できてたのには裏事情がある
「歴史がある」安倍-電通-在日-朝鮮-麻薬-統一協会-CIAの売国つながり
電通に勤めていた安倍昭恵は、電通の上司に安倍晋三を紹介された
電通は、安倍昭恵が好きな韓流ブームを作り、在日芸能人を使っている
安倍昭恵が大麻、大麻と言ってるのは、晋三の祖父の岸信介は満州開発高官だったが
関東軍とつながりアヘンで大儲けした電通の里見甫に支援されていた因縁からだろう
戦前満州の電通で、諜報やプロパガンダをしていた里見甫が
アヘン密売を行う里見機関を設立
里見甫が調停した済南事件では、麻薬売人や売春業の朝鮮人が、中国人に虐殺された
戦後、A級戦犯岸信介とともに電通も寝返り、電通がCIAの下請け組織になる
統一協会の最初の日本拠点は岸信介の自宅の隣で、
祖父の岸、安倍晋太郎、安倍晋三と三代に渡って統一協会につながる
統一協会は、北朝鮮に自動車メーカ「平和自動車」設立など、北朝鮮と裏でつながる
現在CIAの下で統一協会が世界で麻薬密売をしている
北朝鮮では覚醒剤製造を行い、在日暴力団が日本で覚醒剤の売人をしている
安倍昭恵夫人とともに大麻を栽培する青年、大麻取締法で逮捕
https://stat.ameba.jp/user_images/20170307/22/4649-ixxc/dc/3a/j/o0720158413884745202.jpg
満州でやったように、次は日本人を大麻漬けにして金儲けようとしているのか
http://blogs.yahoo.co.jp/ooophiooo/39822127.html
http://www.lyricscatch.com/15-KNCChsXigtE
CIA下の朝鮮人が宗教の仮面で統一教会に,右翼の仮面で日本会議(勝共)に,右翼の真の正体は在日→http://www.youbaokang.com/odai/2138145444491474101/2138145619993948303/ つうか次何かと思ったら、再放送かよ。
なぜガリバー旅行記とかファウストをやらない。
哲学系にしても仏教に偏り過ぎや 複数性に耐える
複数性は結構つらい か
自分を絶えず揺すり続けてることだものな アイヒマン裁判は東京裁判みたいな公開リンチじゃん
死刑制度の無いイスラエルで死刑
これだからユダ公は・・ アーレントの「誰でも悪になりうる」ってのを「悪人なお往生す(ry」とひっかけたチョイスじゃね? アーレントがアイヒマンの何が死刑に値したと言ってるのか
よく分かんなかった
「人間は無批判にその国の法や命令に従ってはいけない」
「従った場合は死刑に値する」ってことか?
アイヒマンの場合を考えると
無批判にドイツの法とナチスの命令に従ったが
従わなかった場合、ドイツの法とナチスの命令によって死刑になった
可能性もあるし
従った結果は、死刑を廃止したイスラエルで特別措置として死刑にされた
アーレントはアイヒマンにどーすれと言ってるんだろうな 異様に出世に熱心だったってあたりで既に、積極的に関わっているものなあ
従わなかったら殺された。だから仕方なくやったのだなどと、アイヒマン自身が主張などしてないだろうに 「可能性」の話をしたんだよ
現実にその選択は行われなかったから、どういう結果になったか分からない
どちらにしろ、もしアイヒマンが法や命令に従わなかったなら
なんらかの罰が科せられた可能性が高い、それが死刑であっても
不思議じゃないって話 >>14
政治は遊びじゃないって言ってただろ
高度に政治的な判断に熱心に関わったからにはそれなりの責任がある
ただしアイヒマンが死刑に値するかどうかは別だけど >>17
アイヒマンのどこが政治を「遊び」としてやったというんだ?
ただの有能な官僚として自分の職務に忠実に従っただけじゃないのか?
アイヒマンがユダヤ虐殺に関して「政治的判断」をやった記録もない
ちなみに君のいう「遊び」を定義してくれ アイヒマンって裁判の答弁も官僚的でつまんないんだよな
ゲーリングみたいに気の利いた事も言いやしないし
悪は陳腐ってのは実際にアイヒマンを見た素直な感想だろう アイヒマンが死刑になってイスラエルの罪が問われないのは
イスラエルが戦勝国側だってだけ 裁判ってのは法に従って裁くもんだが
イスラエルは何ていう法律でアイヒマンを死刑にしたんだ?
アイヒマンは自国の法に従ってたよな
イスラエルの法?アイヒマンが働いてた頃にはイスラエルの法ななかったよな
事後法で裁いてもOK?
国際法?
具体的に何て法?
慣習法?
「国際的にダメ」と言われてるものは自国の法に基づくものでもダメ?
国連決議で死刑の停止を求められてるが、日本は死刑制度があり
日本は国連決議を拒否してる
日本の法に従って死刑執行する刑吏は、日本を出ると殺人犯として裁かれる?
裁判はあくまで「法」に基づいてやるもんだろ?
「無批判に法に従ったから裁判で死刑は当然」ってのはおかしくね?
アーレントさん >>16
>なんらかの罰が科せられた可能性が高い、それが死刑であっても
>不思議じゃないって話
「それ、あなたの感想ですよね?」 その辺の裁判でも、法に従ってってのは建前で、実際には当事者双方の主張をを聞いて、証拠調べをしていくと、妥当な結論が浮かび上がる。
それを後から法的に構成していく(その過程で結論の妥当性を検証する)のが現実の裁判。
このことは昔から言われているし、今でも裁判官と話をすると、似たような話が聞ける。
これがむき出しになるのが戦後処理の裁判なんだろう。
だからアーレントの議論に罪刑法定主義をぶつけんのは、理屈としては合ってるけど、「まあそうは言っても死刑にせざるを得ないよね」みたいな感じで、一蹴されて終わりじゃないかな。 >>22
「あのナチスが言うことを聞かない人を死刑にするなんてありえない!」
「それ、あなたの感想ですよね?」 ミルグラム実験
我の強いイメージのあるアメリカ人ですら6割なら、
上下関係が厳しく同調圧力が正義な日本だったら9割超えるんだろうなぁ、 役割を果たす事にある種の快感を覚えるというのはあるだろうな
しかしシュペーアとかバリバリの政権幹部なのに逃げ切ったというのに
アイヒマンは単なる官僚でも肩書きが悪すぎたな
あのポジションで出世する事に危機感を感じなかったのかな 権威に弱い人は有名な本だから絶対正しいと思って読むんだろうな >>23
双方の主張と証拠で妥当な結論が浮かび上がる?
じゃあ、一体、何をもってその結論を 「妥当」 だと判断してるんだ?
>それを 後から 法的に構成していく
んじゃなく、 「最初から」 法を前提に主張や証拠を調べていくんだよ
レトリックで誤魔化そうとしてもダメだ >>29
そこにある話は
「ある法を犯したとされるに、罪を問うかどうか
問うとすればどの程度の刑を科すか?」って話で
アイヒマンの栽培のように
「その犯罪を規定する法が存在してない行為に対して
いかに罪を着せ罰するか?」
という話ではない
それをやり始めたらもう、法にもとづいた裁判でも法治国家でもないね いや、それは別にその通りだね、としか言いようがない。 俺も君が言いたいことは分かるんだが
アーレントが「アイヒマンは死刑で当然(裁判に不合理はない)」って結論に
いたったのは、そういう一般的な裁判における刑法理論や
法の運用法の範疇から出たものじゃないと思うんだよ
彼女は政治哲学者だから哲学的に
「無思想、無批判に法に従ったのが悪い」
これはカントからの影響なんかな・・・
「政治に服従するということは支持すること一緒。
だから悪い政治に服従した奴も悪い」
「複数性を認めないそういう政治を支持した者と誰も一緒に
生きてはいけない。だから死刑は当然」
とか、色々とアイヒマンの罪の構成について指摘してるけど
どれも「それを哲学者でも政治指導者でもない一市民に要求するのか?」
ってレベル
少なくとも、俺に「そういう考えのもとに生きなければならない」って言われても
絶対に無理
今回のアーレントの話は無理や歪みが大きい
彼女はアイヒマンの裁判を消化しきれてない印象を受ける 名著のテキストはお勧めです。
番組内の話をそのまま書き写しとかではなく、番組ではできなかった話なども詳しく載っています。
アーレントは、イスラエル青年を支持する運動していたんだよね。
ユダヤ人が、多くの迫害を受けたのは事実だけど、そのイスラエル人も、パレスチナで、
パレスチナ人を殺害してきたし・・・ パレスチナ人から見れば、イスラエル人は侵略者だから、難しいね。 法律は、あくまで社会の秩序を守るための道具である、と考えるなら
法律の文章を守ることで、むしろ社会の秩序にとって有害だと予想される
場合、あえてそれを踏み越えた方が当初目的に叶うんじゃなかろうか?
アイヒマンを死刑にしなかった場合、イスラエルの民衆感情が収まらず
政情不安に至ると予想されるなら……
まあ、もう終わってしまった話の後付けかもな アイヒマンは南米で家族と暮らしてたらしいが、
その家族ってその後はどうなるんですかね?
番組違うけどBSプレミアムのフランケンシュタインの誘惑で取り上げられた、
優生学に基づいて障害者とかを収容所送りにしていたフェアシュアーの家族とかって、
その後どうなったのだろう? 潜伏中にきっちり奥さんの誕生日に花を買う習慣でアイヒマンだとバレるんだよな
逃亡しながらも規則正しい生活を送るところがドイツ人らしくもある イスラエルはイスラエルの秩序の為の法を
ドイツはドイツの秩序の為の法を守る
ユダヤ人隔離はドイツの秩序を守る為に当時のドイツ人に受け入れられた
アイヒマンの死刑もイスラエル人に受け入れられた
「全体主義」なんて主義の枠の中に入れることが間違い
人の本質だよ 確かに今回はそもそも「全体主義」って何?ってところには全然触れてなかったな。
どっちかっていうと、ナチズムに国民が吸い寄せられていった過程の話だった。 >>38
>ドイツはドイツの秩序の為の法を守る
その「ドイツの秩序」ってのは何を指すのか
ドイツの国とされる域内において、様々な人種の織りなす職種によって
維持されてきた秩序なんじゃないのか
しれっと一つの国、その国の構成員が自明のものだという書き方をしているが
実はそこには、一筋縄ではいかない複合的な性質が横たわっている 答え難い問いを使って、自身の主張に誘導しようとするマインドコントロールの手法を見てるみたいだが、
見解相違時に、互いの意見を尊重できるかは、番組で言ってた複数性の難しさそのものだな。 ドイツの秩序が何か?なんてそもそもムダな質問
重要なのは当時のドイツがそう判断したって事実だけ 複数性ね・・・
アーレントは言ってたのは
「アイヒマンが複数性を認めないことが、唯一の死刑の理由」だっけ?
アイヒマン、ナチスは本当に「複数性」を認めなかったんだろうか?
「複数」の対義語は「単独」?
アイヒマンやナチスは単独を目指してたんだろうか?
世界にはアーリア人とユダヤ人以外にも多くの人種・民族がいる
ナチスはアーリア人以外の人種・民族の根絶を目指してた?
そんな現実はない
じゃあ、「ドイツ国内において他民族の根絶を目指した?」
ドイツにいた日本人が迫害された事実はないし
国内の純化だけなら絶滅じゃなく国外追放すれば済む話
多くの人種・民族の中のひとつの民族に対する迫害をもって
「複数性を認めない」と断罪するのは飛躍もはなはだしくないか?
しかもそれをもって「唯一の死刑の理由」だとか
国内の他民族の迫害を「複数性を認めない」と断罪するなら
今のイスラエルがパレスチナにやってることと同じじゃないか?
それをもってイスラエル国民はその政治を支持したかどで「死刑が当然」
とアーレントは言うのだろうか?
アーレントの論理は学者としておかしくね?
ナチスやアイヒマンの断罪の正当化のために無理やり論理を組んだと
思われてもおかしくないように見えるぜ パスカルなんかでお茶濁してないでキルケゴールやれよ
日本人を絶望させて頃屍体NHKならさぁ キルケゴールやってくれたら嬉しいけど、キリスト教徒の少ない日本でやる意義がどれだけあるのかとも思う >>45
日本は戦争に負けて実質的にキリスト教徒の国だよ
皇室もキリスト教の学校でお勉強してるし
神社やお寺の奥では十字架が掲げられてるかもよ 日本人はどうせキリスト教徒になったのだから徹底的にキリスト者となろうとするべき 歎異抄は面白いよ
薄いからあっさり終わるし
唯円のお前ら間違ってるぞっていう批判がスタンスだから意外と読みやすいし
もちろん真宗の解説読みながらでないとさっぱりだけど
よくこんな親鸞聖人の教えに一向宗の方々はついてきたなあとも思うけど 釈徹宗さんの解説は面白いし、著書も分かりやすくて良いんだけど、お話を聞けば聞くほど「仏教って時代に合わせて人が考えたものじゃん」って感じになってしまう。
聖書もコーランもその感じはあるんだけど、仏教はそれが露骨すぎて、自分の人生を賭けるにはちょっと信ぴょう性が低くない??って気分になる。 仏教の教えってのは、「誰に」「どんな状況のときに」教えるかで
内容が違うっていうしな
理解力が高い人に平和な時に教えることと
理解力が低い人に危機のときに教える内容は違って当然なんだろうな 著作それ自体では微妙な感想を持っちゃうけど、
それが日本の文化・文学に与えた影響を考えると
無視はできないように思う 昔は今ほど分かりやすい解説(それこそ釈徹宗、玄侑宗久、佐々木閑等々)もないから受け入れやすかった。
今は100分de名著みたいな番組で仏教の歴史が分かりやすく説明される以上、「なんだ人が考えたものじゃん」ってなってしまって、信仰をする障害になることは確か。
障害って意味では、聖書に対する進化論とかビッグバン理論に相当するかも。
聖書の場合は解釈技術を駆使して科学との矛盾をクリアしてきたけど、仏教はこの点どう説明するんだろうね。 仏教は何でもありだろ。人が仏に成れるん(成仏)だから。本地垂迹だってある。
本地垂迹Wikiを見たら、ちょうどこの頃に流行してるんだな。
この本地垂迹説により、権現造りや本地垂迹の図画なども生まれ、
鎌倉中末期には文学でも本地物(ほんじもの)と呼ばれる作品が創作された。 キリスト教ほど科学の分野に踏み込んでないから
仏教のほうが大丈夫なんじゃない? >>56
「何でもあり」ってのは、時代に合わせて柔軟であり続けることができる一方で、説得力をかえって損なっている、という話では。
例えばオウムなんかも仏教の一派で、話を聞くとそれなりの説得力があって面白い。
ただここまで仏教に含めるのは誰しも違和感があるだろうし、かといって排除する理屈もなかなか難しい(「何でもあり」だから)。
キリスト教も異端は数多くあるけれど、聖書の制限がかかってるために、独自の教義を説くにはどうしてもテキストを追加せざるを得なくなる。
(エホバの証人なら新世界訳、モルモン教ならモルモン書、統一教会なら原理講論)
この辺が一定のセーブになっていて、「何でもあり」でない代わりに、説得力を増していると思う。
>>57
俺の表現の仕方が悪かったんだけど、そういう話ではなかった。すまん オウムの「殺して救う」ってのは仏教のどこを探してもないんじゃね?
あれは漫画やアニメの見すぎから出たんじゃないかな
悪い奴に取りつかれた仲間が「俺を殺してくれ!」
「殺してやるのがあいつのため」みたいな >>52
以前読んだ本に、大乗は同人誌みたいなものって書いてた
仏陀の原典(オリジナル)に、後からこうした方が良いんじゃね?と書き足したり創作したり新しい解釈をしたり、マニアがそうやって思い思いに二次創作してきたと
でもそれがネットや本屋のない時代に多くの人に共感されたから今でも残ってるわけで、二次創作だからと言って思想的価値がないわけではない
そもそも仏教とは何が本当のなのかと信憑性を追求するのではなく、オリジナルも同人誌も全て含んだ思想の変化や発展の運動の総体だ
みたいなことが書いてた 無理して大乗仏教を擁護する必要もないと思うけどね。正統性や権威の点で劣るのは間違いないし。
大川隆法だって仏陀の生まれ変わりと主張しているが、これが嘘だということを検証する手立ては無いわけで。
ここまで極端でなくても、大乗仏教が胡散臭いというのはまぁまぁ頷ける話。
ひょっとしたら、これからは上座部仏教(小乗)の方が受け入れやすいのかもね。 >>39
そうだね、今回は、社会学、倫理学の授業受けてるかのようだった。
ナチスを倒したのは、ロシア軍。
「毒には毒をもって制す」ということか。
ナチズムとスターリニズム、双方の全体主義が同族嫌悪で、つぶし合ったんですね。 毒をもって…うーん、スターリンはドイツの側からケンカふっかけてこなかったら、
あえてやり合おうとはしなかったんじゃないかね?
同族嫌悪ってのはソ連相手に戦端を開いたヒットラーに聞かないとわからんねw 緩衝国家としてポーランドを残しておいた方がお互いの為だったよな
ソ連は新国境に防衛ラインを引越し中に攻め込まれてボロボロになってしまった
日本も満州国を作ってソ連と接する国境を長くしたけどね >>52
だからこそ今の時代や自分の境遇に合った柔軟な解釈がとれることが良さなんじゃないの
これが絶対的な正解ですよっていう啓示的な宗教の方が良いの? てか哲学系に偏り過ぎだわ。
文学以外なら経済系がまだ一個もないのもバランス悪い
文学ならファウストガリバー居酒屋ドンキホーテ異邦人
それ以外ならマックスウェーバー ミル マルクス フロイト ロールズ ケインズ ラカン トクヴィル アダムスミス辺りが良い さりげなくラカンを入れてるな。
医学系名著もとりあげてほしい。
セリエとか日本人向けだと思う。 マルクスは一応前身の番組で的場昭弘さんを呼んでやったから、やらないんじゃないかな。
ただちょっと量が多すぎるし、扱ってる問題も多岐にわたるので、あんまりこの番組向けではないかもね。
その点ケインズはまとめやすいかも 資本論やってたんだね、本棚に無かったから気付かなかったわ。
それにしても経済系少ないな。
一度触れた人はやらないっていうのはダイジェスト版もそうなのかな、フロイトとか鈴木大拙もやらんのかな?
釈さんイメージも強いせいか仏教も浄土系に偏ってる感じだから鈴木大拙は一度しっかりやってほしい。あとインド系哲学やらないと仏教も客観的に捉えられない気がするわ。
そういうバックボーンなしでガンディーの回とか見ても凄い精神力の人だなくらいにしか感じないんじゃないかと思うわ。
個人的にはカントももう一回くらいやってほしい。
哲学系は相対主義的なのに偏ってるからもっと理念的なものをやっても良いかな、キルケゴール挙げてる人もそういう意味でバランスの悪さを感じたるんだと思うわ。 この番組、視聴者にキリスト教(宗教)理解がないことがかなり制約になってる。
キルケゴールなんて絶対無理だし、ヘーゲルもきつい。ニーチェやドストエフスキーは何とかやったけど、誤解を招いたように思う。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』もテーマが全然分からない。
カントで『永遠平和のために』をやったり、内村鑑三で『代表的日本人』をやったりしてお茶を濁してんのもこのせいだと思う。 カントで永遠平和のためにやったのはルソーでエミールやったように、1回で1冊じゃなくてその人物の思想を全般的に扱い且つ専門的な内容に深入りし過ぎないようにしたいってことだと思う。
一応旧約聖書やってたけど、それじゃ足りないってことか?
宗教っていうより近代的価値観の知識が足りないんだろ。アーレントの時もここの書き込みは勿論伊集院ですら最後まで要領を得ないコメントしてた気がする。
なんか飛ばし過ぎなんだよな、もっとベーシックなメジャーなテーマを扱うべき。 旧約聖書は一応やったけど物語のあらすじ追っただけだからなぁ。
聖書のあの天地をひっくり返すようなインパクトはあれじゃ分からんのでは。 アーレントの回は間違いなく最低だった、解説が出鱈目すぎる
番組は、アーレントの本を昨今のポピュリズム批判に利用しようという意図のようだったが
アーレントの言う全体主義とポピュリズムは全く関係ない
アーレントの言う大衆とポピュリズムの大衆や民衆とは全く違う
「イエスでいいのかサイレントマジョリティ」みたいなマヌケな歌の話ではないのである
一般に大衆は、理性ではなく感情で動く、ロゴスではなくミュトスで動くと言われるが
アーレントの全体主義の大衆は違う
アーレントは全体主義を分析する上で、ナチスドイツとスターリンソ連を平行して分析しているが
番組では、ナチスのみを取り上げ、まるでノイマンの「ビヒモス」の解説をしているのかと思うほど
アーレントの全体主義とはかけ離れたものになっていた
アーレントの「全体主義の起源」で重要なのは、
第2巻第5章 国民国家の没落と人権の終焉
第3巻第4章 イデオロギーとテロル
エピローグ
の3つの章である
「国民国家の没落と人権の終焉」は、人権と憲法の関係について考える点で重要である
日本では、「人権は生まれながら与えられたもので誰も奪うことは出来ない、
憲法は、そのような人権を国家が侵害しないように国家権力を縛るためのものである」と主張されるが
アーレントは、近代保守思想の元祖・バークの考えに賛同して、そのようなリベラルな考えを批判する
人権は、国家以前に存在するのではなく、ナショナルなもので、国家が国民に対して憲法で保証して初めて力を持つようになる
したがって、無国籍者は、人権を尊重される権利すら否定されてしまうのである 「イデオロギーとテロル」と「エピローグ」は、最も重要な章である
アーレントの全体主義は、ナチスよりソ連や東ドイツの社会の方が理解しやすい
ポイントは、孤立(isolation Einsamkeit)と孤独(lonliness Verlassenheit)である
一人で居るときに感じるのが孤立(isolation Einsamkeit)で、集団の中で感じるのが孤独(lonliness Verlassenheit)である
孤立(isolation Einsamkeit)は人間にとって必要である、ものを考えるには独りにならなければならないからだ
かつては、ものを作るのも独りでする作業だったが、資本主義により労働は集団化された
全体主義は、孤立(isolation Einsamkeit)を否定し、人間を孤独(lonliness Verlassenheit)に追いやる
社会の複数性だけでなく、個人の内部の複数性も破壊する
後者がより重大で、個人の中に自分自身やそれと対話する別の人格がないと思考という行為ができなくなるからである
そうなると、1+1=2、2+2=4といった理論が頭の中で自動的に展開してゆき、論理の強制が人々を支配する
ナチスの人種理論も共産主義の階級理論もダーウィンの進化論を基にする同類のイデオロギーであるとアーレントは言う
大衆は、感情ではなく、そのような原理(イデオロギー)から次々に演繹される論理の強制で行動するようになるのである
そのように、孤立(isolation Einsamkeit)して考える自由を奪われ、孤独(lonliness Verlassenheit)においやられた無思考の人間の集合が、アーレントのいう大衆である
かれらは、一人ひとりがアトム化され、親が子を、子が親を監視し密告する社会が形成される
そのような社会を支えたのが、秘密警察と強制収容所の制度である
社会の複数性が大事だなどという番組の結論は、当たり前の話で、ポピュリズムに対する通俗的な批判にすぎず、アーレントの批判する全体主義はそんな甘っちょろいものではない 今は仏教の回だから、仏教的にいうと出鱈目(すぎる)というより方便だな。
ちゃんと理解させようと精確さを期せば、たった4回の番組の分量では足りないし。 アーレントは人権は自明という思想を否定してる→人権はリベラルな思想だ→アーレントは保守だ
まずこれが論理の飛躍しまくりな。
そんなこと書いてないとか言うなよ。そう読み取れるような情報しか提示してないんだから。
あと全く文脈に関係ない歌がakbやらギリシア哲学の用語やらノイマンだかのワードを出せば説得力が増すのかと勘違いしてるところにほんと頭の悪さを感じる。
全体主義と個の主体性の対比にしたってポピュリズムと関係ないわけじゃないし、ポピュリズムは現代に当てはめた時の分かりやすい一例として挙げてるだけで、そんな過大に評価するのは受取手の問題。
同様に複数性が大事っていうのが番組の結論っていうのもお前の頭の中で勝手にトリミングした解釈に過ぎない。というか普通にちゃんと順を追って見れば番組の主旨が複数性が大事って言ってるなんて短絡的なこと思いもしない。
だいたい100分でバランス良く全体網羅するのなんて無理だし、その回は確かに一定のバイアスがかかった番組構成だったのは認めるが、
情報は主体的に取捨選択するものであって、全面的に寄りかかるものでも、少しでもあらを見つけたら全否定して満足するようなものでもない。いずれも知的怠慢だよ。
だいたい文句があるならここに書くんじゃなくて番組に投書しろ。
なんでここに書くの?承認欲求?キモッ どのみち100分で要約・紹介しようってスタートからして、「無理は承知、
興味や疑問点が湧いたら本物を読んでね」というのが作り手と視聴者の
了解事項だと思ってるんだが 視聴者のうちの9割は番組だけを見て著書の全てを知った気になり、
残りの1割のうちの9割はNHKのテキストを買って読み、
解説者の説明だけでご本尊の全て知った気になり、
残った1%の人間だけが本文を読まなければ分からないことに気が付いて本を買ってはみるが
予備知識が大量に求められることが分かって撤退する このスレは読んだことあるヤツが知ったかぶりするスレなんだね くだらんテレビ番組より本の方が100倍面白いからね
解説してる人もおそらくそう思ってる 歎異抄の話しようよ
善人つまり自力で自分を救える(と思い上がっている)人が救われるのだから、悪人つまり他力(阿弥陀仏様)に頼らざるを得ない人間は当然救われるっていう、
信仰つまり宗教とはこういうものだっていう重要な回だったんだから
もっとも、合理的に説明できないのだから信じた人にしか理解できない、だから紹介して解説する意味はあるのかという話にもなるが 今の放送見てないけど、前見た時の記憶で言うと概ね良かったけど、「仏」の概念がよく分かんなかったって印象。
元々のサンスクリット語だっけ?あれでは汎神論とか自然みたいな感じで使われるけど、浄土真宗では明らかにキリスト教みたいな救済してくれる人格的な神扱いだったよね?
その違いをもっと詳説して欲しかったわ。 キリスト教は、古代から批判者に対する反論再反論を繰り返して発展してきた(ここ100年はマルクス主義との対決で)けど、仏教はどうなんかね。
俺が知らないだけで研究者による新しい経典解釈とか現れてんのかな。 >>85
キリスト教は一応聖書とかイエスの言行の記録とか正解らしきものがあるから、その正解の解釈次第で、こっちが正しくてそっちは間違いってなりがちだけど、仏教は正解がないのが正解みたいな教義だから他宗派に寛容でボコボコ宗派が出来た感じじゃないか? 仏教ってのは目的地はひとつで、そこへ至る道が各宗派って気がする
問題は目的地到達したかどうかを確認できる術がないので
どの宗派の道が目的地へ本当に続いてるのか分からないとこw >>84
>あれでは汎神論とか自然みたいな感じで使われるけど、
>浄土真宗では明らかにキリスト教みたいな救済してくれる人格的な神扱い
応身仏なんてあるのは大乗仏教だけかね。ほんと何でもありだわ。 パスカルと親鸞似てる気がする。
どっちも典型的なリアリスト。 高校の世界史でキリスト教の歴史をあまり教えないからね
意図的に避けている感もある
本当なら世界史とは別に宗教史を高校で学ぶべきだけど
金利について学校で教えないのと同じように、宗教について
学ばせることもなさそう キリスト教やらないと、フランス革命の意義も分からんし、第1次世界大戦でインテリが衝撃を受けた意味も分からんし、マルクスも分からない。
なんでベネズエラで今さら社会主義なんてやろうとしたのかが分からない。
ドストエフスキーのあの難解な小説が、世界的に重要な作品として認知されてる意味が分からない。
なので(信仰するかどうかは別として)勉強しといた方が良いわけだけど、学校でやるのは無理だろうな〜。 勉強の為の勉強という意味なら役に立つだろうけど
明日の役にはたたないだろうな。キリスト教的価値観に縛られないほうがいい 縛られない方がいいなどと個人の意識で選択出来る話ではもはやないと思うけどねえ
日本は明治以降キリスト教に犯されて、敗戦とともに実質的にキリスト教国になりました
学校でキリスト教について勉強させないようにしてるのは、国家の実態を悟られないような
意図が働いてる為かと
得体の知れないキリスト教系新興宗教が野放しになっているのも、
そのような機能を果たすためだと思う ラッセルて誰かと思ったが、ラッセル・アインシュタイン宣言のラッセルか。 ラッセルは大学受験の英語教材で昔よく使われてたから、年配のエリートが結構読んでいる印象。
ただどういうことを言ってたの?って言われると誰も答えられないという。 哲学者を取り上げても人生論とか政治哲学の部分じゃなあ
ラッセルのパラドックスとか記述理論って面白いのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています