100分de名著 part 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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100分 de 名著
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毎週月曜日/午後10時25分〜10時50分
<再>水曜日/午前5時30分〜5時55分、午後0時00分〜0時25分
(Eテレ)
前スレ
100分de名著
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1383790562/ 今見返したら放送はこうだった
「神は天にあり、世はすべてよし」とアンはそっとささやいた。 >>518
訳者によって色々なんだろうけど、一番有名なのは上田敏の
「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し」
だろうね。 ちょっと整理ね
新潮文庫の村岡花子訳 赤毛のアンの最後のセリフ「神は天に在り、世はすべてよし」には
(訳注 イギリスの詩人ブラウニング(1812−1889)の言葉)と解説が添えられている
で、その元作品の訳で一番有名なのは上田敏の…という話 夢を叶えようと思えば無理すれば叶えられなかったわけじゃないんだから、
破れた、ってのとは微妙に違うな。 赤毛のアン読み終えたぜー
不覚にも全部で8回くらい泣いてしまった笑
個人的に女性作家と女性主人公の話は苦手なんだけど
これはほんと最後まで気持ちよく読めた最高や いえいえ最初の1冊目のやつだけなんで
でもアンの心身両面の成長がほんと誇らしかったし
終盤マシューがぽっくり逝っちゃって、残されたマリラと
グリーンゲイブルスに初めてやって来た日のことを話す場面とか激ヤバすぎた
マシューは無論だけど、マリラとも心がばっちり通じ合うんだよね >>523
わしも読みたいのぉ 若い頃は同じ理由で
毛嫌いして避けてたわ 興味の無いテーマが続いてる。
今年度に入ってからずっと帯録画してたのをひたすら
消すばかりだったのに気がついて、予約そのものを消したw 島津有理子の目からウロコが落ちた、神谷美恵子の生きがいを再見 >>531
先達の生き甲斐に触れて発奮する それも
また人生ですな までも島津さんみたく今の
キャリアと違った路を歩む人を見ると何か
モニョルんだよな 今でもできる事はあるんじゃあ
無いのと? ジョブチェンジする必要あるのと?(爺) 上白石萌音の朗読が尋常ではない上手さでヤバすぎた。
あの感情表現力は何なんですか?
しかもキャラによって声も変えてるし。 まあね 仮に声だけならちょっと難しいかもだが、マシューなんかもちゃんとやっているよね
若いけどもう極めてる感がある 三木清“人生論ノート”
またやるのか。再放送かな? 島津、早くもNHK復帰!
つうか、地味な回の再放送だな 伊集院の肥満も病気レベル何だろうな 名著でアレほど自己分析できていても、
やはり克服できない いっそ開き直ればと思うんだが、それは身勝手な他人事なんだろな
一般論としては肥満していて良い事はない 太っていることに対する精神的なコンプレックスは解消できても、
肉体的な不健康はどうにもならんからね。
むしろコンプレックス解消したほうが悪化するかもしれん。 長い間太ってて健康は問題ないならその人の体的には太ってる状態が正常なのかもね 人間は老化するからな。
40代は問題なくても、50代は問題だったりする。 伊集院はラジオでよく遠征してダイエットに失敗する話をしているけれども
ただ
身長や体重の高低には
遺伝的な要素が大きく影響するし
肥満てのも単純な話ではないよな
生物としてのヒトの研究というのも難儀な代物なんだと思う 観た感じでは肥満という程でも無いが、知りうる限りでは内臓壊していてできればやせたい感じ
なんだろね デブキャラデブタレで体壊しているのをネタにしている人もいるが、そうなる素質
十分なんだろう>伊集院 知りうるって何だろう?
ずいぶんユニークだね
赤毛のアンの回やっと見終えた
朗読はともかく読もうかな
ふつうに 眞子さまなんかもちょいぽちゃ状態を中学生の頃からずっとキープしてるのは体質なんだろう なーんで今さらこれを再放送なんだろう? って思ったがなんとなく分かった。 人生論ノートは先生のキャラが良い シリーズ展開とか再放送は結構指南役で選んでいるような希ガス 10月の「赤毛のアン」も以前放送されていたような気がするから再放送かな? 1632年〜1677年 オランダ って言ったら今上野で話題のフェルメールとドン被りなんだな。
解説の人の著書「スピノザの方法」(みすず書房)の表紙がフェルメールの「小路」なのもその辺のつながりなのだろう。 読んだことはないが、科学革命期らしい著作物なのかな。
原論的だったり、無限の考察なんかはいかにも微分が生まれる前って感じ。 改めてロジックと知性を武器にしなくちゃいけない
そんなメッセージがこもっているかも
難しいもんは難しいと言う先生
ユニークな感じで
今月の名著はなかなか楽しめそうだ 「正義は相対的であり同じ事柄でも立場によって変わる」
なんて現代では常識過ぎる。 当時においては画期的どころの騒ぎじゃなかったわけだよ 正義は神が決めて下さる
それが常識だった時代に、正義が相対的なものだと言えば、なら神も相対的なのかとなるだろうな 時代がそうだったとはいえ
発禁喰らいまくりで面白いくらいだ
知識や情報が限られていた時代か…… 確かにそういう時代にそういう考えに行きついたのは特異なことなんだろうが、
現代人が学ばなきゃならんような事かね? 汎神論という概念は知っておくべきだと思うよ
日本人は多神教的なものをイメージしがちだけど、それとは違うわけだから なかなか面白い
文章はたしかに数学的緻密さで書かれていて
一見とっつきにくいけど
内容は驚くほど実用的
感情のメカニズムや構成を理解すれば
その悪影響を少し減らせる
何かをちょっとずつ良くしていこうって思考
かなり大事なことっぽい 2回見てて、まだOSが違うというほどの衝撃を受けないな。 まだ第1回しか視聴してないけど、相変わらず、番組関係者は、著書の内容が難解であることと悪訳のせいで解り難くなっていることとをきちんと区別できていないようだ。
「我々の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害するものを善あるいは悪と呼んでいる。」
ラテン語ではこういう言い方をするのかも知れないけど、普通、日本語では
「我々の活動能力を増大し促進するものを善と呼び、減少し阻害するものを悪と呼んでいる。」
てな風になるだろう。
上記のような【あるいは】の使い方は普通しない。
【あるいは】を【又は】【若しくは】に置き換えてみれば、不自然さがもっとはっきりするだろう。
他にも「実有(ジツユウ)」だの「思惟(シイ)の様態」だの「何じゃ、そりゃ」だ。
半世紀以上も前の訳文を崇め奉るのはいい加減止めればいいのに。
“やる気をそごうとしてる”のは、スピノザではなく、翻訳者とこの翻訳をよしとする者たちだ。 なぜ「増大し促進するものが善」「減少し阻害するものが悪」と決めつけるッ!? いったん宗教や神を置いといて、そういう風に定義してみようって話だと思うが でも、エゴを助長するわな。
資本主義を生み出す原動力にもなるかもしれないけど、
当時の重商主義者や○○ファーストのトランプ、ヒトラーが喜ぶんじゃないかな。
スピノザは合成の誤謬もある事を書いてくれてないのかね。 物理的世界観って感じ
同時代のデカルトやパスカルと通底するものがある 先月の三木清の人生論ノートでは「価値多元主義の危うさ」「土台とする価値観を置いた価値体系」を語っていたが、
スピノザ回への予習のつもりだったのかな? >>575
そういう指摘をしたなら、解決法は全面改訳しかないと思うけど
それをNHKか解説者に求めるの?
無い物ねだりじゃね? >>581
別に引用する部分だけまともな日本語にすればいいだけだろ。 >>572
初回で伊集院のヤオロズ云々を先生がすぐ
否定した件笑った 正直俺自身?だったが、
多神教と言葉にしてもらうと納得だわw
までも日本の神話、神概念は改めて整理
すべきだろうね 多神教というと、対立概念
の一神教がでてくるし、古代史ではそれが
リアルな社会問題だったからね 日本のそれ
とは全く別次元 >>583
むしろもうちょっと強めに否定して欲しかったな、旧約聖書とかやってんだし
世俗的なテーマならともかく今回みたいな一般化しづらい複雑繊細なテーマの場合は、伊集院がちょっとズレた例えするとイライラするわ
先生の話メインで聞きたい まあ伊集院にそこまでの知性は求められないって割り切ったんだろうね
伊集院は絶対的な神って概念自体が理解できていないもん まあね あの一言でセンセも伊集院さんの底が見えたんじゃあない? 今後は言い方代えて
くるでしょ そうでないと観てる方が辛いわ
>伊集院は絶対的な神って概念自体が理解できていないもん
まあもしかして伊集院も、千に一つの可能性として、伊集院自身の思想信条として、
絶対神の存在に異を唱えているのかもね までもあの言い方ではその可能性はない
理解できてないんだろう あらゆる事象が神のあらわれであると聞くと、吐く息1つにも神が宿るという神道的なイメージを持つ気持ちも分からんでもない
でも汎神論って一神教の人達からすると無神論的なんだよな
ここのところが日本人には理解しにくい 既出かもだが、汎神論はむしろ現代では受け入れやすいんだろうなあ 本編でも、
アインシュタインのスピノザの神の台詞が引用されてるし
現代人っつうか、日本人か 米国なんて、聖書聖典至上主義っぽくて引いてしまう >>582
この番組は、自分たちの「紹介・要約」を経て、オリジナルの著書を読んでもらう
事を目標にしていると思うんだけど
一部分だけ自分らで「適正と思う訳文に置き換えました」は、視聴者(うまくすれば
未来の読者)に対して誠実な態度と言えるだろうか?
実際に、現在流通している本を読んでみたら、「え? 紹介されていた文章なんか
どこにもないけど?」となってしまう >>589
悪文を読解するのは精神的拷問を受けるようなものだ。
そういうことを視聴者に強いるのは不誠実を通り越して文化的暴力行為と言ってもいいくらいだ。
> 「適正と思う訳文に置き換えました」
その旨を番組内で告知すれば十分だ。
言うまでもないだろうけど、この番組は、岩波文庫の宣伝番組ではないし、況してや、悪訳を擁護するための番組でもない(筈だ)。 いやまあ普通に訳者のオリジナリティを守っているだけだと思うけどね
この間のアンなんか、別に村岡さん訳でなくたっていい訳で それを敢えて村岡版に
しているのは其処に意味があるからっしょ これの場合はどうか知らんが、訳者がその筋の権威で存命中だとどんな悪文でも手出しできない、って言うなぁ、 視聴率次第じゃないかな。
仮に訳語をわかりやすくして2桁取れるなら、挑戦するんじゃないか。 あのさあ
この番組って、生放送じゃなくて、収録なんだよ?
無駄話や的外れな質問や話題があったら、カットされて、放送されないんだよ?
放送されているのは、ちゃんと意味のあるやり取りなんだよ?
わかってる? 手出しってw
人口に膾炙した訳文ならそれを使うでしょ
もっと良い訳があってそれに替わるのは
学術の世界ではスピードは無いとは思うけど
までも言語口語自体の変化と共に変えて
行かないとダメだろうね 訳が良いとか
悪いとか言うのは自由だけど、だったらブログ
でも開設してオリジナル訳発表すれば結論は
出るんじゃあないか? 批判するならその後
じゃあないかねえ
だよな? ネット弁慶さん達よぉ? 忠実な訳だが難解なのと、
多少内容が薄くなっても分かりやすい
超訳があれば、大衆にウケるのは後者だろうな。
漫画で読破シリーズが結構売れてるのは
ナンチャッテで十分な層が多いからだろうし。 カツアゲのたとえ話で一人称が「ぼく」になってだんだん声が大きくなっていくのにワラタw 完全に過去エピとして今の自分と切り離しているんだろうね 突然、先週カツアゲされたとか
話だしたら皆びっくりして食いつくだろうw wniの鈴木里奈の脇くっさ
(6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
https://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 「自分を貫いている必然性とか 僕が置かれている条件というのは どういうものだろうとか そういうことを認識して行為する」ってのを実践できたら楽しそうだ 自分の意思で選択したと思っている事が本当にそうなのかを考えてみるのは面白いかもね 思い出した国分先生哲子の部屋に出てたんだ清水富美加とマキタスポーツと >>596
最近はめっきり小説なり一般書を読まなくなった自分
でも読むことの喜びや意味は分かっている積りだから
ナンチャッテはなんちゃってだと分かっている 漫画は
漫画なんだよな そこ分かって無いって不幸だよ エチカの輪郭はつかめたかな
普段は意識することが難しい現代の偏向
とても危機的な偏り
そこに光を当てようとする構成だったと思う でも今の日本で、「論証される」ものではなく
「悟られる」ものって言うと、連想しちゃうのは
オウム的なカルトの「真理」じゃないかな 確かに彼らは言葉を濫用して汚したかもしれない
けれどその根本を否定することまでには至らないさ
理を尽くさず対話を拒み虚飾と逃避の弁論に堕した者たちのほうがあのカルトよりよほど悪質で邪悪だ
もっともあれもカルトそのものだが スレの流れから思うに、本編では時代はスピノザよりデカルトを択んだと言うが、
デカルトの時代はもっと真理は実践的な、例えば数学や生化学の正解に至る
方法論だったように思うんだよね 真理=実践 これは現代では決して理解
されない姿勢、生き方だと思う 現代では真理は容易に神秘主義や独善的な
韜晦に堕落し、そこでいくら積み重ねをしても有用な何かは決して生れない 決してと言い切るのは傲慢じゃないかな
今の時代にだって真摯な研究者・哲学者はいるだろうし 実際会ってみると傲慢で真摯な先生方ほど始末に悪いモノは無いよ 共通項として
言われた事は出来るがそれ以上の事はしない 頭が固い そして偉そう おまけに
反省しない でもこれ権威があるにせよ無いにせよ誰でも陥る落とし穴ってのは同意 著書は発禁になるわ本人は破門されるはでどんな衝撃的な最期を迎えるのかと思ったらその辺はスルーだったな。 最終回は、(17世紀は、)アハ体験、手続き的知識、合成の誤謬というワードがない時代だから仕方がないかとの感想かな。
ちょっと過大に期待して、見てしまったみたいだ。
今は、神には遠く及ばないコンピュータ(AI)の判断でさえ、人間が理解できなくなりつつある時代だから、
況や、神の行為、真理で、
また、変化、変容で真理を体得と言っても、IQや運動能力がどこまでも向上するわけじゃないから、
(コンピュータ並の処理能力を持つわけでもなく、未来のロボットのような運動能力を持つわけでもないから、)
自ずから体得する事には限界があるわな。 現代人の「知識」は際限なく増える
しかし「体得できる知恵」は一定の限界がある
そのギャップが大きくなって行くとどうなるんだろうな IAやARが発展した現代だと「われ思う」からといって「われあり」とも限らなくなってくるよね。 体験を伴う知
身体性を基礎にした知性
それが生き残りと先駆のカギになるはずではある スピノザの感情についての分析って
ブッダの苦悩を冷静に見つめるスタイルと
似ている気がする 結構年末は名著をリピしている 年末年始のお気楽お目出度バラエティー攻撃を回避 石ノ森章太郎、
本放送も再放送もテロップ入ったのでまたやってくれるのはうれしいわ
つぎはテロップ無しで録画できるといいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています