100分de名著 part 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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100分 de 名著
http://www.nhk.or.jp/meicho/
毎週月曜日/午後10時25分〜10時50分
<再>水曜日/午前5時30分〜5時55分、午後0時00分〜0時25分
(Eテレ)
前スレ
100分de名著
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1383790562/ 人生論ノートは先生のキャラが良い シリーズ展開とか再放送は結構指南役で選んでいるような希ガス 10月の「赤毛のアン」も以前放送されていたような気がするから再放送かな? 1632年〜1677年 オランダ って言ったら今上野で話題のフェルメールとドン被りなんだな。
解説の人の著書「スピノザの方法」(みすず書房)の表紙がフェルメールの「小路」なのもその辺のつながりなのだろう。 読んだことはないが、科学革命期らしい著作物なのかな。
原論的だったり、無限の考察なんかはいかにも微分が生まれる前って感じ。 改めてロジックと知性を武器にしなくちゃいけない
そんなメッセージがこもっているかも
難しいもんは難しいと言う先生
ユニークな感じで
今月の名著はなかなか楽しめそうだ 「正義は相対的であり同じ事柄でも立場によって変わる」
なんて現代では常識過ぎる。 当時においては画期的どころの騒ぎじゃなかったわけだよ 正義は神が決めて下さる
それが常識だった時代に、正義が相対的なものだと言えば、なら神も相対的なのかとなるだろうな 時代がそうだったとはいえ
発禁喰らいまくりで面白いくらいだ
知識や情報が限られていた時代か…… 確かにそういう時代にそういう考えに行きついたのは特異なことなんだろうが、
現代人が学ばなきゃならんような事かね? 汎神論という概念は知っておくべきだと思うよ
日本人は多神教的なものをイメージしがちだけど、それとは違うわけだから なかなか面白い
文章はたしかに数学的緻密さで書かれていて
一見とっつきにくいけど
内容は驚くほど実用的
感情のメカニズムや構成を理解すれば
その悪影響を少し減らせる
何かをちょっとずつ良くしていこうって思考
かなり大事なことっぽい 2回見てて、まだOSが違うというほどの衝撃を受けないな。 まだ第1回しか視聴してないけど、相変わらず、番組関係者は、著書の内容が難解であることと悪訳のせいで解り難くなっていることとをきちんと区別できていないようだ。
「我々の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害するものを善あるいは悪と呼んでいる。」
ラテン語ではこういう言い方をするのかも知れないけど、普通、日本語では
「我々の活動能力を増大し促進するものを善と呼び、減少し阻害するものを悪と呼んでいる。」
てな風になるだろう。
上記のような【あるいは】の使い方は普通しない。
【あるいは】を【又は】【若しくは】に置き換えてみれば、不自然さがもっとはっきりするだろう。
他にも「実有(ジツユウ)」だの「思惟(シイ)の様態」だの「何じゃ、そりゃ」だ。
半世紀以上も前の訳文を崇め奉るのはいい加減止めればいいのに。
“やる気をそごうとしてる”のは、スピノザではなく、翻訳者とこの翻訳をよしとする者たちだ。 なぜ「増大し促進するものが善」「減少し阻害するものが悪」と決めつけるッ!? いったん宗教や神を置いといて、そういう風に定義してみようって話だと思うが でも、エゴを助長するわな。
資本主義を生み出す原動力にもなるかもしれないけど、
当時の重商主義者や○○ファーストのトランプ、ヒトラーが喜ぶんじゃないかな。
スピノザは合成の誤謬もある事を書いてくれてないのかね。 物理的世界観って感じ
同時代のデカルトやパスカルと通底するものがある 先月の三木清の人生論ノートでは「価値多元主義の危うさ」「土台とする価値観を置いた価値体系」を語っていたが、
スピノザ回への予習のつもりだったのかな? >>575
そういう指摘をしたなら、解決法は全面改訳しかないと思うけど
それをNHKか解説者に求めるの?
無い物ねだりじゃね? >>581
別に引用する部分だけまともな日本語にすればいいだけだろ。 >>572
初回で伊集院のヤオロズ云々を先生がすぐ
否定した件笑った 正直俺自身?だったが、
多神教と言葉にしてもらうと納得だわw
までも日本の神話、神概念は改めて整理
すべきだろうね 多神教というと、対立概念
の一神教がでてくるし、古代史ではそれが
リアルな社会問題だったからね 日本のそれ
とは全く別次元 >>583
むしろもうちょっと強めに否定して欲しかったな、旧約聖書とかやってんだし
世俗的なテーマならともかく今回みたいな一般化しづらい複雑繊細なテーマの場合は、伊集院がちょっとズレた例えするとイライラするわ
先生の話メインで聞きたい まあ伊集院にそこまでの知性は求められないって割り切ったんだろうね
伊集院は絶対的な神って概念自体が理解できていないもん まあね あの一言でセンセも伊集院さんの底が見えたんじゃあない? 今後は言い方代えて
くるでしょ そうでないと観てる方が辛いわ
>伊集院は絶対的な神って概念自体が理解できていないもん
まあもしかして伊集院も、千に一つの可能性として、伊集院自身の思想信条として、
絶対神の存在に異を唱えているのかもね までもあの言い方ではその可能性はない
理解できてないんだろう あらゆる事象が神のあらわれであると聞くと、吐く息1つにも神が宿るという神道的なイメージを持つ気持ちも分からんでもない
でも汎神論って一神教の人達からすると無神論的なんだよな
ここのところが日本人には理解しにくい 既出かもだが、汎神論はむしろ現代では受け入れやすいんだろうなあ 本編でも、
アインシュタインのスピノザの神の台詞が引用されてるし
現代人っつうか、日本人か 米国なんて、聖書聖典至上主義っぽくて引いてしまう >>582
この番組は、自分たちの「紹介・要約」を経て、オリジナルの著書を読んでもらう
事を目標にしていると思うんだけど
一部分だけ自分らで「適正と思う訳文に置き換えました」は、視聴者(うまくすれば
未来の読者)に対して誠実な態度と言えるだろうか?
実際に、現在流通している本を読んでみたら、「え? 紹介されていた文章なんか
どこにもないけど?」となってしまう >>589
悪文を読解するのは精神的拷問を受けるようなものだ。
そういうことを視聴者に強いるのは不誠実を通り越して文化的暴力行為と言ってもいいくらいだ。
> 「適正と思う訳文に置き換えました」
その旨を番組内で告知すれば十分だ。
言うまでもないだろうけど、この番組は、岩波文庫の宣伝番組ではないし、況してや、悪訳を擁護するための番組でもない(筈だ)。 いやまあ普通に訳者のオリジナリティを守っているだけだと思うけどね
この間のアンなんか、別に村岡さん訳でなくたっていい訳で それを敢えて村岡版に
しているのは其処に意味があるからっしょ これの場合はどうか知らんが、訳者がその筋の権威で存命中だとどんな悪文でも手出しできない、って言うなぁ、 視聴率次第じゃないかな。
仮に訳語をわかりやすくして2桁取れるなら、挑戦するんじゃないか。 あのさあ
この番組って、生放送じゃなくて、収録なんだよ?
無駄話や的外れな質問や話題があったら、カットされて、放送されないんだよ?
放送されているのは、ちゃんと意味のあるやり取りなんだよ?
わかってる? 手出しってw
人口に膾炙した訳文ならそれを使うでしょ
もっと良い訳があってそれに替わるのは
学術の世界ではスピードは無いとは思うけど
までも言語口語自体の変化と共に変えて
行かないとダメだろうね 訳が良いとか
悪いとか言うのは自由だけど、だったらブログ
でも開設してオリジナル訳発表すれば結論は
出るんじゃあないか? 批判するならその後
じゃあないかねえ
だよな? ネット弁慶さん達よぉ? 忠実な訳だが難解なのと、
多少内容が薄くなっても分かりやすい
超訳があれば、大衆にウケるのは後者だろうな。
漫画で読破シリーズが結構売れてるのは
ナンチャッテで十分な層が多いからだろうし。 カツアゲのたとえ話で一人称が「ぼく」になってだんだん声が大きくなっていくのにワラタw 完全に過去エピとして今の自分と切り離しているんだろうね 突然、先週カツアゲされたとか
話だしたら皆びっくりして食いつくだろうw wniの鈴木里奈の脇くっさ
(6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
https://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 「自分を貫いている必然性とか 僕が置かれている条件というのは どういうものだろうとか そういうことを認識して行為する」ってのを実践できたら楽しそうだ 自分の意思で選択したと思っている事が本当にそうなのかを考えてみるのは面白いかもね 思い出した国分先生哲子の部屋に出てたんだ清水富美加とマキタスポーツと >>596
最近はめっきり小説なり一般書を読まなくなった自分
でも読むことの喜びや意味は分かっている積りだから
ナンチャッテはなんちゃってだと分かっている 漫画は
漫画なんだよな そこ分かって無いって不幸だよ エチカの輪郭はつかめたかな
普段は意識することが難しい現代の偏向
とても危機的な偏り
そこに光を当てようとする構成だったと思う でも今の日本で、「論証される」ものではなく
「悟られる」ものって言うと、連想しちゃうのは
オウム的なカルトの「真理」じゃないかな 確かに彼らは言葉を濫用して汚したかもしれない
けれどその根本を否定することまでには至らないさ
理を尽くさず対話を拒み虚飾と逃避の弁論に堕した者たちのほうがあのカルトよりよほど悪質で邪悪だ
もっともあれもカルトそのものだが スレの流れから思うに、本編では時代はスピノザよりデカルトを択んだと言うが、
デカルトの時代はもっと真理は実践的な、例えば数学や生化学の正解に至る
方法論だったように思うんだよね 真理=実践 これは現代では決して理解
されない姿勢、生き方だと思う 現代では真理は容易に神秘主義や独善的な
韜晦に堕落し、そこでいくら積み重ねをしても有用な何かは決して生れない 決してと言い切るのは傲慢じゃないかな
今の時代にだって真摯な研究者・哲学者はいるだろうし 実際会ってみると傲慢で真摯な先生方ほど始末に悪いモノは無いよ 共通項として
言われた事は出来るがそれ以上の事はしない 頭が固い そして偉そう おまけに
反省しない でもこれ権威があるにせよ無いにせよ誰でも陥る落とし穴ってのは同意 著書は発禁になるわ本人は破門されるはでどんな衝撃的な最期を迎えるのかと思ったらその辺はスルーだったな。 最終回は、(17世紀は、)アハ体験、手続き的知識、合成の誤謬というワードがない時代だから仕方がないかとの感想かな。
ちょっと過大に期待して、見てしまったみたいだ。
今は、神には遠く及ばないコンピュータ(AI)の判断でさえ、人間が理解できなくなりつつある時代だから、
況や、神の行為、真理で、
また、変化、変容で真理を体得と言っても、IQや運動能力がどこまでも向上するわけじゃないから、
(コンピュータ並の処理能力を持つわけでもなく、未来のロボットのような運動能力を持つわけでもないから、)
自ずから体得する事には限界があるわな。 現代人の「知識」は際限なく増える
しかし「体得できる知恵」は一定の限界がある
そのギャップが大きくなって行くとどうなるんだろうな IAやARが発展した現代だと「われ思う」からといって「われあり」とも限らなくなってくるよね。 体験を伴う知
身体性を基礎にした知性
それが生き残りと先駆のカギになるはずではある スピノザの感情についての分析って
ブッダの苦悩を冷静に見つめるスタイルと
似ている気がする 結構年末は名著をリピしている 年末年始のお気楽お目出度バラエティー攻撃を回避 石ノ森章太郎、
本放送も再放送もテロップ入ったのでまたやってくれるのはうれしいわ
つぎはテロップ無しで録画できるといいな >>619
さんきゅう再放送録画したけどまだ観てなかったのでまた予約した >>612
ホモ・デウスはその体得の限界を超えていくんだろうな。 現代で言えば、中世の神概念はAIやその集合体なのかねえ
思うに人類は別に今以上になる必要はじゃあないか
ちょっと違うアイデアを出す人が現れれば良いだけ もちろんその人をHDと呼ぶのは自由だがw
楽観的なのかねえ AIは只ヒトの能力を拡大しただけ 上を行っている訳では全然ない 凡俗の俺には人間を超えた知能ってのがどういうものかよくわからない。
計算力ならエニグマ破った時点でもう及ばないわけだが、
そういうわけでもないみたいだし、 人間楽ができるとなると結構機械に頼ってしまう所があるからねえ
自らを鍛えるなんて、年取ったらますますしなくなる 昨今の議論を
聞いているとAi化時代に必要とされるのは、創造性豊かな、人間力
溢れる人だけって事になるw エチカの論点からすれば
能動的なシンギュラリティにこそ価値があると
認識しておいて良いのだと思う スピノザもアレントもいいけど哲学やるならまずはカントからだろ
なんでnhkは100分de名著純粋理性批判をやらないんだか >>630
カントなら『永遠平和のために』をやった。結構、面白かった。 糞翻訳で悪名高い鴻巣友季子かよ
嵐が丘は難儀したわ チョイスや流れは良いかもね
アウトサイダーできつい性格なオハラ
なかなか興味深い >636
スカーレットオハラとビビアンリーとマーガレットミッチェルが時々ごっちゃになる
名著の小原人形?の挿絵のモデルはビビアンかと思っていた 龍真咲は宝塚の元トップスターですね。
いや、「スカーレットの役したことある」って、彼女は男役でしたけど...? しかし生没年見ると50そこそこで亡くなってるんだな
なんか先日他界したさくらももこを思い出した >>638
この番組の実況で「スカーレットは男役がやることが多い」って言われてたよ スカーレットみたいな気の強い、自立を目指す女の役は、男役がやることが多い(もちろん娘役もやることもあるけど)
一路真輝とか真琴つばさ、古くは順みつき安奈淳汀夏子
スカーレット役もやった龍真咲だから朗読のオファーきたんだと思うよ
風と共に去りぬはやっぱスカーレットが主役だから
レットしかしてなかったらスカーレットの気持ちがわからない
スカーレットやってる男役なら、レットの台詞も男の読み方でできる 風と共に去りぬと宝塚歌劇の親和性か 龍さんの朗読と激の台本は多分違うんだろうが、
そのまま翻訳を台本にしても良いと思うわ >>641
娘役では、遥くららがしてましたね。相手の男役は、榛名由梨。
榛名さん、今は当時の面影なく、普通のおばさんだね。 >>642
ところがどっこい、それを改悪するのが宝塚 宝塚の人の男を演じる時の声がどうも苦手だな
今回も男性役は男性に朗読させれば良かったのに こうやってふれてみると
演技というものの分野がいくつもあるってことに
気付かされるね 絵面的にはどうしても女優が朗読して男性キャラのパートを読むことになる アンの上白石しかり
絵が無ければ逆でも良いんだろうが どうなんだろうね? 男か女か? どちらが異性を演じるのが上手いか? 役を分けて朗読劇にしちゃうのもあり
予算はかかるけど
いつものアニメパートも然りではあろうし ヴェルヌ作品ってまだやってないんだ
見たいな
いや今自分がハマって読んでるからという単純な理由からなんだけどw 個人的にはポーをやって欲しいね 米近代文学でポーは外せないはず 人生もドラマティックだし
黄金虫とか中長編あたり もうやっているかな?まあググれば済む話なんだけど 女性としては、スカーレットみたいな「天下の男は私の膝元」みたいに思ってる女が本命にフラれるのは、すんごい痛快です。
朝倉南の失恋も見たかったな... 作者も女性だが、そういう「需要」があると見越していたのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています