>>420>>428
“ネット”で事件の事を書いたり被害を訴えるというのは、言ってみれば「実行力」なんだよ。
裏で権力者や有益者と接触して、軽くあしらわれても、口を閉ざされても、その相手にはなんの不利益もないわけだから。
強制力なんてないんだから、知らぬ存ぜぬで済むわけだ。
何なら、しつこく迫って警察を呼ばれるのはこっちなんだから。
まあ、いくら知らぬ存ぜぬでも、結局は“金と女”次第だがな。
私にはその切り札がない。
真相について喋る代わりに、相手が欲するアイテムを私は持っていないわけだ。

一方“ネット”とはいえ、こういった表の場所で発表するというのは、不特定多数に内容を把握される。
信じるか信じないかはまた別の話としてだ。
するとそこには行政行為でいう「処分性」が生まれる。
公権力ではないが、私が書くことで相手方の権利義務に直接影響を与えるわけだから。
それは言ってみれば、「執行力」なわけだ。
みんなが見ているところで表沙汰にされて困るのは、彼女と関係者なんだから。
だからその私の執行力に対して、工作員が邪魔をする。
しかし彼女を晒し者にしたくないという、私の“弱点”を分かっている関係者には、左うちわだがな。

何度も言ってるが、私はここ(巨大掲示板)には、犯人のクズ(>>311)がいるから書いてるんだ。
結果を求めるならば、こんな掲示板でやるにしても、もっと拡散するだろう。
何ならこんな邪魔が入る掲示板でやらずに、ツイッターでもインスタでもブログでも、もっと人が多く見るところでやればいいんだから。
もっと大々的になるならば、マスコミでも大勢呼んで、NHKの前でプラカードでも立てて、大声で叫んで抗議でもすればいいんだから。
何なら裁判すればいいんだから。

しかしそれをしないのは、私の家族が危険に晒される危惧や、相手の家族や親族への配慮もあるが、結局は私の、“彼女への甘さ”なんだよ。
さっきも言ったように、「西山事件」のように彼女を好奇の目に晒したくないわけだ。
散々やられてるのに、優しさを履き違えてる私はとことん情けないんだが。

だから私は未だに、その事で自問自答と葛藤を繰り返しながら、“出口の見えない毎日”で苦しんでるんだ。