今回は、黒栗が普通にプレゼンテーターやってて、白黒どっちかいらなかったというか、どっちもいらなかったというか
もしいなかったら、事件の紹介と解説だけの、フツーのNHKの番組
死ね死ね団じゃなくて死のう団はともかく、ヘヴンズゲートもやらなかったな

で、見ながらずっと思ってたけど、この教祖様は最終的に何を目指していたんだ?
自分はエライ人間なんだと思い込み続けて、自作自演してでもより多くの人から崇拝されたかっただけか
バイセクシャルで性欲はかなりあったらしいけれど、贅沢にはこだわらなかったようだし、相当な勤勉で努力もしていた
コテコテの共産主義者な宗教家で、ピークの頃には行政や政治家にも支持者がいたのに、政治的野心はなかったのかね
1000人近くの人が一緒に死んでくれたそのカリスマ性、何か他の分野で使っていれば……
でも、しょくぎょう:きょうそさま 以外できなかったって人は、世界史に珍しくないんだよなあ

その教祖様ご自身の死にざまをやらなかったのは、自分だけ劇薬でなく睡眠薬飲んで頭撃ったせい、ではなく、
テーマは信者が集団自殺を選んだ心理のほうで、ダークサイド的には教祖様は死のうと生きようとどうでも良かったのかな


ところで、この番組はほぼ、悪い加害者と可哀そうな被害者という二元論の図式でしか語っていなかった
しかし人間のダークサイドとして取り上げるのであれば、越えなければならない古典的な壁がそびえ立つ
「何も知らないことこそ最も幸福である」「人間最高の幸福とは幸せに死ぬことである」という二つの格言がある
たとえ他人から与えられた偽りであり時に理不尽であっても、偽りや理不尽だとは知らず疑わず受け入れ、信じ、
それこそがそれだけがベストだと思い込んだまま死んでいった彼らは、本当に平和で幸福だったのではないか
(青酸カリによる窒息死という凄絶な死に方を考えなければだが、ガンや事故も最期の様子は凄絶)
悪い加害者に騙された被害者なのだから不幸せに違いないというのは、「外」から見ての一方的な理屈に過ぎない
翻って、しっかりと自分で考え、悩み、ベストではないがベターな答えを自ら選びとり、命ある限り生きていくべきというお説教に従えば、
果たして、幸せだと感じながら生き、死んでいけるのだろうか、彼らよりも?