春日局
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戦国時代において主殺しや裏切りといった汚名を受けた明智氏、小早川氏を視点にした
大河ドラマです。NHKオンデマンドでも配信中(1話200円) 鷹司孝子は家光に相手にされず別居のような正室だが、そのことを
割り切って暮らしているためか、江戸城での侍女たちとの暮らしを楽しんでいるように見えた 大きく四つに分けてみた
第一部
明智視点の本能寺〜山崎の戦い
稲葉一鉄視点の本能寺の変〜小牧・長久手の戦い
おふく、三条西家や稲葉家で修業
第二部
おふく、小早川秀秋の家老・稲葉正成に嫁ぐ
小早川視点の朝鮮出兵
小早川視点の関ヶ原
小早川家内の騒動〜〜無嗣断絶
おふく、徳川家の乳母に抜擢
第三部
乳母の試練
お江与との対立
豊臣秀頼視点の大坂の陣※
三代将軍は家光に決定
おふくとお江与との対立が、なぜか消えた
家光の初恋の相手、遊女・紫が自害
第四部
家光、早く子供を作れよ
(この一言につきるw)
※何度も見た結果、大坂の陣は徳川視点でもなく豊臣視点でもなく豊臣秀頼視点と解釈してみた 珍しく怒鳴りまくる秀忠。
秀忠「忠長!そなた駿河五十万石の領主では不足とでも言うのか!」
忠長「そのようなことを申し上げているのでは御座いませぬ」
秀忠「大坂城を寄越せとは何事ぞ!おのれのぶんをわきまえぬも甚だしいわ!」
忠長「私とて父上の子。将軍の弟に御座います。兄上と私とは車の両輪となって徳川を守るが徳川の男子として生まれた者の務めと心得まする」
秀忠「それが心得違いというものよ!忠長…、家光とそなたはたとえ兄弟に生まれようと家光は将軍、そなたは一大名。主従じゃ。そのこと今になってもわからぬのか」
忠長「私は、ただ未だ大坂城修築のならぬを憂えて、父上や兄上のお役に立てれば、と。
その一念に御座います」
秀忠「もうええっ!そなたがおのれのぶんをわきまえぬ限り、大坂城を任せることは出来ん!わしは、そなたが可愛いい。それゆえ徳川にとって大事な亡き大御所様のゆかりの地・駿府城を与えた。じゃが、そなたには駿河五十万石とて過分じゃ!」 既視感
大坂城が欲しいと言って家康に怒られた松平忠輝(大河ドラマ「徳川家康」) しかし名作は何度見ても面白いなー。
【10回以上視聴した戦国ドラマ】
大河「おんな太閤記」、「関ヶ原(TBS)」、大河「徳川家康」、
「真田太平記」、大河「国盗り物語・総集編」、大河「武田信玄」、大河「春日局」etc…
近年の作品では「国盗り物語(テレ東)」、大河「功名が辻」
他方、1回しか見ていないのは…「江〜姫たちの戦国」 サブタイトル:「春日局」賜わる
初めて見たときはサブタイトルを見て「とてもめでたい話なんだろう」と思いながら見ていたので、ずっこけたw 徳田章アナウンサー(アバンタイトル)
「(略)会津の初代藩主が保科正之です。正之は二代将軍秀忠と側室お静の間に生まれました。秀忠は正室・お江与の方を憚り、正之を信州高遠城主・保科家の養子にします。
秀忠の死後、会津藩主に取り立てた兄・家光の恩に報いる為、正之は
家臣全員に教育を義務付け、子供のうちから将軍家への忠誠心を身につけさせました。
正之が作った家訓、その内容は将軍家に対する忠誠心に貫かれ、これが会津魂の源になりました。忠長とは対象的に兄・家光を敬い、慕った正之は家光亡き後も四代将軍家綱の後見として重きをなし、会津と将軍家は明治維新まで深い絆で結ばれることになるのです。」 土井利勝「しかし謀反の確かな証拠とてないものを」
秀忠@病床「それを見つけるがそちの仕事であろう」
土井利勝と秀忠@病床(いいひと中村雅俊)が忠長改易の泥をかぶることになってしまった。 ホームドラマだったが歴史をきちんとやっている 他の女脚本家とは全然違う 島原の乱を大河でちゃんとやったのはこれくらいじゃないか スウィーツ感がない 島原の乱:知恵伊豆の活躍
スイーツ感は確かにないです 松平信綱
幼少の頃より才知に富んでおり、官職の伊豆守から「知恵伊豆」(知恵出づとかけた)と称された。 島原の乱
幕府側
戦死者:1151人
負傷者:6743人 @ねねの屋敷
北政所(ねね)「まだご存じないのか。秀秋は亡くなりました。宇喜多の浪人に襲われ不慮の死を遂げたと」 ふく、乳母辞める辞める詐欺1回目
ふく、乳母辞める辞める詐欺2回目 歴史的には江は長男を跡取りにする慣習に逆らった非常識な鬼母とされているようです。
それは竹千代が三代将軍家光となり功績を残したし、春日局も大奥の制度を整えたので自分達の都合の良い記録を残したからだろうと思いますが。
また、江の評価が悪いのは江戸時代では一番の悪女扱いだった淀君の妹だったからかもしれません。 通説には、事実誤認があります。
「お江与は次男が誕生すると乳母をつけずに、自分で育てた」というのは、嘘です。
当時の高貴の女性が乳母をつけずに自分の乳で育てるなんてことは有り得ません。忠長(国千代)にはちゃんと乳母がいました。朝倉局、土井利勝の妹です。 「織田信長の姪であるお江与は、明智光秀の重臣の娘である春日局を憎んでいた」という話には、コジツケの感があります。
だって、お江与たち三姉妹は、織田信長の姪である以前に、浅井長政の娘なんですよ。その浅井を滅ばしたのは当の信長です。信長こそ父の仇、でしょう?
さらに、実行部隊として浅井一族の男子を皆殺しにしたのは羽柴秀吉です。長政の息子・万福丸(三姉妹の兄弟)は秀吉の手で磔にされて殺されているんですよ。
さらに、母の再婚相手(三姉妹もついていった)の柴田勝家を攻め滅ぼし、実の母親もろとも自害させたのも秀吉です。三姉妹の祖父、父、兄弟、義父、そして母まで殺したのが、秀吉です。
それなのに、長女の茶々は秀吉の側室になり、その産んだ息子(秀頼)に、お江与は娘(千姫)を嫁がせているんですよ。
目の前で血を分けた親兄弟を皆殺しにした本人はあっさり許せても、父親の仇である伯父さんを殺した(仇を討ってくれた?)男の親戚の娘を、執念深く憎み続けている、
なんてことがありますか? 常識で考えれば分かることです。ようするに戦国乱世、誰が誰を戦争で殺したかなんて、いつまでもこだわっていたらキリがないのです。 江は一昨年の大河でヒール役を脱したんじゃないのか。あの作品にそんな影響なかったってか? 家光と不仲だったことで知られる弟の忠長だが、家光にも忠長にも、土井利勝の身内が乳母についていた。忠長の乳母・朝倉局は、土井利勝の妹だ
土井利勝の弟昌勝の妻・初台局⇒秀忠の乳母
土井利勝の姪で初台局の娘の梅園局⇒家光の乳母
土井利勝の妹の朝倉局⇒忠長の乳母 春日も三男正利を忠長の小姓にしていたように、土井利勝も二股かけたのか お楽の演技がしつこくて、どんどんウザい存在になっていく。
ま、脚本のせいなのだが。 お楽(宝樹院)の縁故で出世した人たち
・お楽の弟・増山正利は姉宝樹院(お楽)の縁で召し出され、一万石を与えられた
・同じくお楽の弟・那須資弥は二万石(後に改易)
・お楽の妹は今川氏真の孫の妻となった お糸(のちの矢島局):夏樹陽子(竹千代(家綱)の乳母)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E5%B1%80
矢島局が登場する作品[編集]
テレビドラマ[編集]
• 『大奥〜誕生[有功・家光篇]』(TBS、2012年、演:阪田瑞穂)
漫画[編集]
• 『大奥』 よしながふみ(白泉社)
『春日局』が抜けている 最終回(第50回)
江戸城に集まった諸大名の前に竹千代を抱いて出たのはおふくであった。
宿願の世継ぎを胸に抱きしめたおふくにとって、それは一世一代の晴れの舞台であった。 享年65歳。
ついに薬を口にせず、家光が飲ませようとした薬湯も
ひそかに懐へ流し込んだと伝えられている。
それがおふくの家光への最後の献身であった。
完 本能寺の変、異説
信長が土佐の戦国大名で斎藤利三の妹婿である長宗我部元親攻撃のために織田信孝と丹羽長秀を四国に出撃させようとしていたことから、
斎藤利三が変の主導的な役割を担ったとの説も存在している。この説は現代、八切止夫と井沢元彦が支持している。 春日局の功績
徳川家光を三代将軍の地位に就かせた功績。二代将軍秀忠夫婦は嫡男家光より、弟の国松(後・忠長)を溺愛し、
吃音で見栄えも決して良くなかった家光よりも、将軍の跡目は忠長の思いが強く、又その動きがあった。
このとき意を決して、本当は御法度なのだったのに関わらず、家光の乳母だった春日局は駿河の駿府(静岡県)大御所家康に時下談判を決行し、
家康の鶴の一声、次期将軍は家光!の決断を下させ跡目争いは決着がついた。
あわや家光を差し置いて弟・忠長の三代将軍誕生寸前まで行きかけていたのを大逆転させた春日局の大胆な行動は、
家光には春日局は大恩人であり、その後春日局の幕府内での権限は絶大なものになっていったのです。 >>340
そういうのは、春日局が抜けてる、とは言わん 小早川家は一度断絶をしたが、明治維新後毛利家から分家する形で再興された お江与のウザい台詞が連発する展開中の秀忠とお静の江戸城内での密会の恋愛は一服の清涼剤。
しかし、二人がいつ頃男女の関係になったのか?は全く描かれていないのであった。 台徳院殿と土井大炊が廊下を歩いていた時に逃げた子猫を追いかけてきたお静が庭に迷い込んだのがそもそもで有った まるで真田幸村、後藤又兵衛ら浪人衆が居たために豊臣が滅びたような描写があります。
徳川から「大坂退去」と「浪人放逐」のどちらかを要求された
淀の方は浪人たちに金銀を与えて浪人たちに去って貰おうとしたのですが、
真田や後藤が「名誉ある死に場所」を求めて徹底抗戦を主張し去るのを拒んだために
戦う羽目に陥り、その結果滅亡したような描写されてます。 >>222
堀田正吉の妻のまんは、稲葉正成の妻の春日局の義娘にあたり、子の正盛は早くより将軍徳川家光に近侍し寵愛を受け、幕府の要職に抜擢、大名となり子孫は繁栄した。
稲葉正勝の子孫は山城淀藩主として、堀田正盛の子孫は下総佐倉藩主として明治維新まで続いた。 >>116
>子供おふく「兄上に負けずに精進?(ちょっと忘れた)しております。」
「兄上に負けずにごぜを頂きます」 井伊と本多から小早川秀秋の家臣の稲葉と平岡が
小早川の本領安堵の書状を貰ったとする9/14付け書状の出典が
関原軍記大成2巻 巻の二十であり著者は宮川忍斎(1655−1716) 視聴者の多くは
忠長には乳母がいなかった、と思ってしまっただろうな >>355
某中華サイトで視聴して台詞を確認した
「ご膳」を「ごぜ」と言ってしまったんだな(多分) 第23回のアバンタイトルより
おふく(春日局)の息子・稲葉千熊(稲葉正勝)
小姓(8歳):500石
↓
小姓組番頭
↓
書院番頭(25歳):2000石
↓
丹後守(27歳):5000石
↓
老職、小田原城主(36歳)8万5千石 海北友松の墓所は京都府左京区浄土寺真如町の真正極楽寺(真如堂)。友松夫妻の墓の横に斎藤利三の墓がある。 海北友松
交流のあった斎藤利三(明智光秀の重臣)を謀反人でありながら手厚く葬り(磔にされていた利三の遺体を友松が槍を振って侵入して奪い取ったともいわれる)、後に息子の友雪は、利三の娘である春日局から褒賞を受けている。 ・杉原紀伊守重政 秀詮(1601年、秀秋から改名)の命を受けた村山越中に上意討される
・松野主馬(重元) 関ヶ原の戦い後、秀秋のもとを去って田中吉政に仕官
・稲葉正成 杉原の上意討ちをみて岡山を退出。牢人のち家康に召し出され徳川の家臣となる
(妻はお福、後の春日局)
・村山越中 杉原殺害後に逃亡。のちに池田氏に仕えるも、口論にて相手を刺し殺す。その後、前田家に仕官
・平岡頼勝 小早川氏断絶後、牢人。家康に忠義を賞されて美濃国九郡のうち1万石を給される
・堀田正吉 小早川氏断絶後、家康に召されて500石を与えられ書院番士となる
・河田八助 小早川氏断絶後、池田氏に仕える
・上田土佐 鉄砲頭。最後まで秀詮に忠義を貫こうとするも、その後の消息は不明
・蟹江彦右衛門 杉原殺害後、家中は大騒動となり、岡山を退出
・滝川出雲 杉原殺害後、秀詮は彼の逃走を防ごうとするも、女駕籠に乗って逃走
・長崎元家 小早川氏断絶後、家康に仕え600石余を給される
小早川氏断絶後、岡山には池田氏が入部するも、宇喜多・小早川の遺臣之召し抱えには消極的であり、小早川秀詮の遺臣は一部のみが下級家臣として召し抱えられたのみで、殆どは四散してしまったといいます。 春日のごり押しで譜代大名の地位を得た稲葉、堀田両家は血塗られていた >>370
稲葉正勝の子孫は山城淀藩主として、堀田正盛の子孫は下総佐倉藩主として明治維新まで続いた。 佐倉藩は堀田正盛の長男の正信が継いだが、万治3年(1660年)に幕政批判と無断帰国をしたため改易された。
正信は預かり先で自刃したが、後に嫡孫の正休が近江宮川藩主となった。
次男の安政は外様大名の信濃飯田藩主脇坂安元の養子となり、播磨龍野藩に転封された。
三男の正俊と四男の正英は幕閣に入り、正俊は大老に、正英は若年寄に任じられた。
後に正俊の子孫は佐倉藩に戻り、安政の子孫も譜代大名に昇格、正信の子孫と共に明治維新を迎えた。 堀田正盛は殉死(どっちかというと商腹)し、堀田正信はハサミで喉をついて死亡、稲葉正休は正俊を殺害するわ、
正休の父は男色のことでいさかいを起こして殺されるわで、正に堀田、稲葉両氏は血塗られた一族なのである。 酒井忠勝が進言したごとく春日局を原城攻めの総大将にしていたらどうなっていたかちょっと気になる。 喜多嶋舞はキーキーうるさく、坂上香織は滑舌が最悪、宮沢りえはかろうじてまあまあだった 坂上香織が本役の長山藍子になっても同じ髪型でそれが気になった。
独眼竜のときの坂上香織の滑舌は気にならなかったな。 前年の大河武田信玄で徳川家康(中村橋之助)が着用していた陣羽織を、なぜか石田三成(伊武雅刀)が着用している 豊臣秀吉(藤岡琢也)の死去がナレーションだけで片付けられていたのが意外だった 橋田脚本の癖として、一人称に「我ら」という単語を使用する 馬に乗っているシーンは、役者の顔をアップで映し、実際に馬には乗らず、ただ上半身を上下させているのが、印象的であった 前年の大河ドラマに続いて、小淵沢乗馬クラブのみなさん が協力しています 宝生舞だけじゃない、aRmaは春日局の子役だった尾羽千加子(引退)や亡くなった高橋良明を探しているようだ お福の幼女時代を演じていたむず痒い喋りをする当時子役だった安間千紘という人、まだ女優やっているが、ずいぶん様変わりしました ・
やったー
DVD化バンザーイ
吉宗はどうなってんですか? >>396
『八代将軍吉宗』は尾張の殿様のせいでDVD化は無理でしょ? 吉宗なんかどーでもえーから
はよ春日局レンタル開始して ・
「山河燃ゆ」なんてどうでもいいから「北条時宗」を早く早く 買えば?昔と比べれば、1BOX19400円×2って安いでしょ?
昔は、1BOX3万とか4万したけど 時代劇板でみつけてきた。
前に自分が徳川家康スレで書いたっものがあちらこちらで使われているw
別にいいけどね。
大河ドラマ年間平均視聴率ベスト10
1位 独眼竜政宗 39.7% 昭和62年
2位 武田信玄 39.2% 昭和63年
3位 春日局 32.4% 平成元年(昭和64年)
4位 赤穂浪士 31.9% 昭和39年
5位 おんな太閤記 31.8% 昭和56年
6位 徳川家康 31.2% 昭和58年
6位 太閤記 31.2% 昭和40年
8位 秀吉 30.5% 平成8年
9位 いのち 29.3% 昭和61年
10位 八代将軍吉宗 26.4% 平成7年
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11位 草燃える 26.3% 昭和54年
12位 太平記 26.0% 平成3年
やはり戦国が強い?1980年代の作品に上位が多い 大原麗子のおふく初登場のときのお安のセリフ
「おふく!おふく!おふく!・・・おふくぅ」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています