板垣と西郷さんは海外視察に行かなかった
そのため大久保や伊藤たちと違って異国と日本の力の差をあまり実感できなかった
さらに
板垣と西郷さんは他国への植民地政策を積極的に進言した。
「大義名分などなくとも片っ端からぶんどりに行けばいい」「強い国はみんなそれやってる」
しかしさすがに無理があった。正否はともかく時期尚早すぎるし
また、西南戦争で下士たちを庇った西郷さんが先に逝ってしまったことも板垣のモチベーションを下げてしまった原因と考えられる