(家康に嫉妬で殺された若い側室) (再婚後に急死)
養儼院 (徳川葵三代で出てきたはず?)

養儼院(ようげんいん、慶長2年(1597年) - 寛永2年3月28日(1625年5月4日))は、
徳川家康の側室。駿河今川氏の家臣黒田直陣の娘。お六の方と称した。
お勝の方の部屋子を経て、徳川家康の側室となり、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣にも供奉した。
元和2年(1616年)に家康が死去すると出家して養儼院と号し、田安比丘尼屋敷に住んだ。
後に喜連川義親に嫁ぐ。
しかし寛永2年(1625年)3月28日、家康の法事で日光東照宮を参詣した際に急死した。享年29。

(日光での急死の理由は、再婚に嫉妬した死んだ家康の木造が、突然、お六の頭を直撃したためと言われている。
その事件後に、将軍の側室は、全員、再婚できなくなると言う規則が出来てしまった。