【時専で】 徳川家康 【再放送】
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噂のピンクの足袋 確認 W
大竹しのぶ 顔がゆがんでるっていうか 反ってる
それでもかわいらしく見えるのは 演技力というより 若さだな
若いって素晴らしいw
なんかアニメ少年徳川家康がみたくなった >>52
懐かしいな。少年徳川家康
♪東に時の声あがり 西に轡の音高し
♪今戦国と人のいう おわれて生きて十四年
♪ああ世も末の乱世に
♪はばたけ竹千代 時来る
だっけ?主題歌
これも山岡荘八原作なんだよね >>53
時の声→鬨の声
おわれて生きて十四年→こらえて生きて十余年
世も末の→世の末の
◆時専のスレでこれの原作について質問してたの私です
原作は山岡の別作品ではなく、まさにこの「徳川家康」そのものだそうです
義元の描かれ方がこのアニメの方が悪人ぽいのですが
アレンジの仕方の違いということでしょうね >>54
修正ありがとう
>時専のスレでこれの原作について質問してたの私です
すみません。それは、どのことでしょうか? >>56
ごめんなさい。それは自分ではないです。
そのスレはいったこともないですよ^^
このスレの本スレ?の
【滝田栄】「徳川家康」(四天王)【山岡荘八】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1385471459/
で、「井伊直政の大坂の陣登場」と「あやしい感動」などについて
原作を確認したことはあります。 官兵衛で戦国熱急上昇。
ちょうど最近始まったみたいだけどこれも名作なのかな?
観ようかなあ >>58
もう半分以上終わってると思う
ただ、深夜?にやってるリピートは最近始まったみたい
山岡荘八の原作が書かれた終戦後の世相というか、平和への作者の想いが結集しているので
家康が聖人君子すぎるという批判もあるが、それはそれとして
重厚で大河ドラマの王道、最高傑作だと自分は思う >>58
こっちを先に見ると、軍師官兵衛は、レベルが低すぎて見ていられなくなる。
だいたい、オープニングからレベルの違いを思い知る。 姉川の合戦で、徳川軍のお蔭で勝てたというのは、
この時期、家康が信長の家来同然だったことを美化したい徳川の歴史家の捏造だす。 スレチ、書くのなら戦国版などに
小説をドラマ化したのに捏造とか関係ないと思う 最終回録画失敗してた
最後の最後に何やってんだ俺は… >>63
深夜1時のリピート放送の最終回を録画するしかないね?
ちなみに最終回は90分 この頃の大河はいいね
しっかりした原作があって演者も達者 これ、原作読んだ後、初めて見たけど
原作に結構忠実でとてもいいね
同じ年にやっていた「おしん」とものすごくキャストがかぶるのが気になる 原作を何十年ぶりかの読み返し
やっと長久手まできた。まだ半分も行っていない
ドラマのほうは信康の切腹を前半のクライマックスに持ってきてたが
原作では全体の4分の1が信康の切腹なんだよね
だからドラマではそれ以降ペースが早くなってる
ところで>>57の本スレ?のほうがずっと書き込めないんだが? >>67
岡崎から長久手は、本当は近いけどね。
隣(豊田市)の隣の市どうし。 >>68
原作に載っている「小牧・長久手の戦い参考図」を見てるが
長久手の北に白山林、北西に小幡城、南西に岩崎城、西に猪子石
更にその西に現名古屋市街、そのずっと北に小牧山。そのまた北に犬山城
・・・岡崎は、というと、長久手より東が載っていない・・・w >>69
羽柴軍は、長久手で殲滅されちゃったけど、そのままだったら、挙母(現豊田市)から南下して岡崎に向かう予定だったのではないかな?
挙母は広域に考えて松平郷(徳川家=安祥松平家の本家の本家)も含み、そのちょっと南に岩津(安祥松平家の本家)があって、岩津は既に岡崎市だから、まさに徳川家(松平家)の本拠地まですぐそこだったのに。 >>70
原作だと池田勝入が岩崎城を落し、その近くの山で首実検をしていて進撃しないうちに
後陣の秀次隊が白山林で徳川軍に襲われてしまった
首実検なんてしないで岡崎に突入していれば・・・
池田勝入が足首を骨折したというのもあるけど(史実かどうか知らんが) >>71
秀次が野営した篠木柏井三郷は、そもそも織田弾正忠家の御台地(信雄の祖父の祖父の時代からの領地)だったから、
信雄に密告が行って、家康に連絡が行き、白山林で秀次軍はやられた。
秀次も池田も尾張出身だったから、それくらい気がついてもよさそうなんだけど。
犬山や楽田と小牧の地理関係からすれば、篠木や岩崎なんか通らずに今で考えると愛環鉄道ルートで岡崎を目指せば良かったのに。 池田輝政は親の敵の徳川の娘と結婚する
乱世はすごいな >>73
督姫って「とくひめ」だと思ったら原作には「すけひめ」って仮名がふってある
どっち? 滝田栄って滑舌悪いな
今見るとつまんね 『徳川家康』
先祖は放浪乞食坊主だろ
長生きしたおかげで天下人w と司馬も言っとる 本能寺の変が起きたときの所領は22年前の今川領と同等
全国的にも東北の乱立する大名よりちょっと上って言うレベルの大名だった 家康のラック
田舎人質世継ぎが一級の教育を受けれた
義元が討ち取られた
三河衆が松平家を変わらず当主として迎え入れてくれた
氏真が三河を纏めきるまで攻めてこなかった
信玄がギリギリのタイミングで死んでくれた
本能寺の変が起こった
しかも、自国の隣に突然空白地帯が生まれた
女好き秀吉に年相応の実子がいなかった >>76
家康大嫌いな司馬
その司馬を敬愛し司馬作品を心のバイブルとする武田
その武田がこれでもか、と言わんばかりに原作イメージぴったりに演じる山岡版秀吉 >>79
武田 鉄矢
2006年(平成18年)、大河ドラマ『功名が辻』で主人公・山内一豊の古参の家来・五藤吉兵衛役のオファーがあったが、
『竜馬がゆく』の敵役(土佐藩上士)の先祖を演じることに抵抗があり、当初は拒否したという。
後にNHK側から「土佐に入る前に死んでしまう役ですから」と説得され、出演することとなった。 >>80
そういえばその話もあったっけ…
武田に限らず団塊世代って司馬大好きな人が多いから
この世代の役者使って山岡作品制作するのは大変そう ・若くして織田家の人質に出され、その織田と松平が対立する
・今川の尾張攻めで先鋒を無理矢理勤めさせられる
・桶狭間合戦で主君義元が殺される
・貧国で一向一揆が根強い三河の数郡の小領主として独立する
・三河一向一揆で、家臣が二分するような危機に追い込まれる
・自国より遥かに強大な国力の今川や武田の侵攻を次々に受ける。
・自国より遥かに強大な武田の侵攻を受けながら、信長の畿内平定戦に次々刈りだされる(金ヶ崎の侵攻戦、上洛戦、滋賀の陣、姉川の戦い、長島侵攻戦、岩村攻囲戦など)
・自国より遥かに強大な武田の侵攻を受けながら、信長からはろくな援軍が来ない
・自国より遥かに強大な武田に苦戦している間、信長が内訌や内紛、有力者の病死に付け込んで火事場ドロして版図を拡張したため
従属に近いような関係を強いられる。
・自国より遥かに強大な武田に苦戦している間、信長が内訌や内紛、有力者の病死に付け込んで火事場ドロして版図を拡張したため
従属に近いような関係を強いられ、信康を命令で殺される
・ろくな援軍もなく、長年武田相手に敢闘し、単独で抑えてきたにもかかわらず、武田攻めでは駿河しかもらえない。
・堺で穴山と遊行中、信長が本能寺で殺され、同行してた穴山が殺され、家康も襲われて危うく死にかける
・命からがら戻ってきたものの、元の国力がしょぼ過ぎ、同盟者家康には大義名分に欠けるため、ろくな兵が集まらず、光秀討伐に行けない。
・信長が死んだ後の信濃・甲斐に上杉景勝と北条氏直が進出してくる
・北条との同盟後も、天正11年・12年と上杉景勝が揚北や越中戦線を放り出してまで川中島侵攻を続けてくる
・秀吉が馬鹿みたいな大軍を率いて、しつこく侵攻してくる。
・圧倒的に秀吉軍を蹴散らしまくってたにも関わらず、織田信雄がマンマと和議に応じ、家康も応じざるをえなくなる
・天正11年に領内で大洪水が起きて、その対応に追われ、徳政令を連発するハメになる
・天正12年に木曽義昌、天正13年に小笠原貞慶・真田昌幸・石川数正・水野忠重が離反し、領内の軍事機密が露見する
・秀吉死後、自分を敵視した奉行衆らが、自分を暗殺する計画を企てる
・秀吉死後、自分を敵視した前田が、天下の差配を牛耳ろうと威張り散らす。
・秀吉死後、自分を敵視した上杉が、自分の命に背いて、領内に立てこもり、戦線布告する。
・秀吉死後、自分を敵視した輝元や三成らが、規格外の大軍を率いて馬鹿みたいに戦をけしかけてくる。
・藤堂隊や黒田隊、細川隊などが弱過ぎて、寡兵でろくな戦闘経験もない雑魚三成相手に苦戦し、あやうく負けかける。
・関ヶ原後も、秀頼や真田信繁らが巨大な富と、戦国一の堅城大坂城に大軍で立てこもり、自分に歯向かう。
・ヨボヨボのジジイになっても、息子が無能すぎて頼りにならないため、仕方なく自分が采配を振るって前線まで一々出かける。 なるほど、家康はナイフ殿と呼ばれてたこともあるんだな。
さぞかしよく切れるんだろなww 秀吉は最初からかなり高い身分だっただけでしょ。
安国寺は天正12年1/11にも秀吉の評判を書き残していて
乞食の経験?というとフロイスの記述にも秀吉が若いころ、一度、信長の元を出奔してることを書いているから
出奔後に乞食になってたのだろう。
天正11年4/12付秀吉→輝元宛では前々せがれの時でさえ、信長家中においては、秀吉が真似ごと仕るべき者、これなく候つる
などと書いていて昔、子供の時ですら信長家中で自分ほどのことができた人間はいなかったと書いていて
秀吉がせがれ時代からすでに信長に仕えていたことがわかる
秀吉は一次史料初見ですで信長の領地安堵状に添え状を出してる身分で登場
(のちの堀秀政などと同様な立場。信長公記では一軍を率いる将として初登場)
どこにも百姓や底辺からの抜擢を示す証拠なない)
津田や木下は織田家の親類衆でしょ。 秀吉は親類だから公記での初登場でも すでに佐久間信盛や丹羽長秀に並ぶ一軍の指揮官だし。
六条本圀寺に三好勢が攻めてきた時に光秀も初登場したが その時に将軍義昭の警護役として登場してる。
どこにも秀吉や光秀が 氏素性のわからん人間や流浪の人物などと言うことは書いてない。 完全に江戸期の講談の影響。
秀吉は『太閤記』の捏造話は信憑性ゼロであり美濃攻略戦の11年間の間に信長に仕え始めていたと思われ
濃尾国境を流れる木曽川の水運業者の川並衆の土豪と秀吉は個人的な強い繋がりがあったのを買われ
木下姓も妻方から貰ったのではなく、元々秀吉の名字。
秀吉は最低でも1565年時点で織田家でもかなりのレベルの地位の領主だった事は間違いない
領土安堵状出してるのは丹羽佐久間柴田など大身とされる連中だけだし
そもそも他家の場合大名しか出してない例も多々あるほど。
秀吉の丹羽と島田との連署で兼松正吉・佐々平太に領土安堵状が出されたのは1568年6/10。
また秀吉はこれ以前永禄8年11/3に坪内利定一族に尾張下野村などの所領安堵状を出してる
木下秀吉判物写
三百貫文 下野
七拾貫文 十町名
二拾貫文 宮田
…(以下略)
あと丹羽と名を連ねている事に見られるように
領土安堵状は一定階級以上の人間しか基本出さない(丹羽は永禄7年12/27に尾張笠覆寺の修理田を安堵状出してるし
永禄8年7/15に佐々柴田と連署で尾張寂光院の寺領を安堵状出してる)
清洲建設・墨俣一夜城は太閤記の糞講談 取り立てらたのではなく最初から丹羽と並ぶような大身だっただけ
太閤記は年次レベルで間違いあるような糞講談なのは常識
墨俣一夜城とか農民出身とか長久手の戦いが池田の献策とかデタラメばかりデッチ上げて秀吉マンセーしてる糞史料
1565年時点で既に領土安堵状だし1568年でも大身丹羽と並ぶような立場で領土安堵状出してるし
信長公記でも初登場が一軍の指揮官だしそもそも木下は織田の親類衆だし
秀吉譜代は前野蜂須賀川並衆堀尾加藤福島と尾張出身者やその近辺の美濃のものが多いから
秀吉が尾張時代から基盤持ってたのが自然とわかる >>田舎人質世継ぎが一級の教育を受けれた
ソースなし。
>>義元が討ち取られた
主君が死んだのだから普通に不運。
>>三河衆が松平家を変わらず当主として迎え入れてくれた
三河衆の中で当時家康に早々に従属したのは西三河の一部の領主のみで三河中郡・東部・山間部などほぼ今川方。
家康が今川氏真
>>氏真が三河を纏めきるまで攻めてこなかった
氏真と家康は三河の梅坪や牛久保、宇利、富永口、笥山、島田などで戦いまくってるんだが。
東三河で家康の禁制や制札がでだすのは永禄7年になってから。
>>本能寺の変が起こった
当時家康は堺にわずかな共をつれていただけで、危うく殺されかける窮地だったんだから
不運でしかない。出陣の準備が全くなかったから、10日たっても十分な兵力が集まらず
秀吉に先をマンマと越されて棚の上のボタ餅をドロボウされたのが家康。
>>自国の隣に突然空白地帯が生まれた
家康以外に上杉と北条が大軍で遠征してきてる時点で空白地帯などとは言わん。
そもそも木曽も松尾小笠原も諏訪も香坂も塩田も、在地領主達はそのままいたわけだから全然空白じゃないし。
>>女好き秀吉に年相応の実子がいなかった
実子は秀頼しかいなくても、秀家、秀秋など養子が一杯いたし
他にも福島加藤など、身内も一杯いたから全く言い訳にならない。
そもそも秀次を殺して後継者を幼君にしたのは他ならない秀吉だし。 >>87
最後の一行は紛れもないラック
ただ>>78は最後の項目以外、貴殿の指摘通りに論破出来そう 最初の3話だけ録画し忘れた。
徳川家康って、どの位の間隔で再放送やってる? 滝田さんが旅人のBSフジ「日本遺産物語」
6/18(水) 日光
世界遺産巡りのようだから東照宮にも >>92
滝田さんには、そんな暇があったのなら、かんべえに出て欲しかったな。 この作品は良かったけど、秀康や忠吉が全く存在すらしてないのが不思議だった。 >>94
秀康も忠吉も出てたよ。
秀康は関ヶ原のとき会津攻めの留守を命じられてたし、
忠吉は関ヶ原のあと家康に薬を塗ってもらってた。
井伊直政「鷹の子は鷹にございました」(忠吉のこと) >>95
ありがとう。知りませんでした。
今度DVDで確認してみます。 >>94
秀康さんは、16回無常の風にも声だけでていたね。 >>97
ごめん。それは憶えてない。DVD確認してみます。 >>96
フェニックス一輝の声の人だから一発で分かる 今日の謎解き・江戸のススメは築山殿
池上季実子がゲストで出るね >>102
池上瀬名「お万の方を木に縛り付けたのは私ですか?」
って言ってるけど、木に縛り付けるどころか、殺そうとしたじゃないか。
と突っ込みたくなる。 >>102
今日の謎解き・江戸のススメは、徳川四天王
ゲストは浅野幸長さん。 祝‼️
時専で放送開始! ありがとおおおおお
1〜5話、見逃してたんだ!嬉しいよー!! 今日から時専で放送開始。
楽しみ。
NHKも、つまらない官兵衛なんか途中で打ち切って、徳川家康を再放送すれば良いのに。 語りもよかったなぁ、NHKアナがしてたけど飾ったとこがなく事実をたんたんと語るような 原作の文章をそのままナレに使ってから良かったのかも 桶狭間直前の家康が、母於大を訪れたのは
織田側の策略のような気がする。
その直後に今川義元が討たれたから。 今川には、徳川も領民も苦しめられたからな・・・
最終的に、人質の妻や子を殺されても袂を分かった
からねえ。家康の正室も長男も憎かったろうな・・・
家臣は・・・何で、おまえら助かった・・・って。 >>114
ドラマではそうでも、清康公亡き後、大叔父や叔父に家督を奪われそうになった広忠公を助けたのは、今川家。
古い家臣程、感謝していたと思う。
ただ、酒井本家など信定派だった家臣は不満だったかも。 そう言えば、竹下景子が演じていた人(西郷局でない方)は、今川家の本家筋で、広忠公を今川家に紹介した吉良義広公の娘という設定だったかな?
ドラマでは、広忠公と今川家の関係や、吉良公の娘の出自などを詳しくやって無かったけど、小説の方は、キッチリ書いているのかな? BSの伊達政宗が終わったら、これを放送して欲しい。 家康の母於大の方は、
最晩年には上洛して、後陽成天皇や北の政所に拝謁したり、
重要な役割を担ってきたのに、ドラマでは全然出てこなかったんだね。
まあ、当時26歳の大竹しのぶが
75歳の老け役をやりたがらなかったのかも。 ストーリーブックに載ってる竹下景子が美人すぎてw
30年以上経つけど今でも美人だなあ >>121
名作だからまた近いうちに放送しますよ。
その前に、今年の駄作大河を途中打ち切りして、せめてBS枠だけでも「徳川家康」の再放送として欲しい。 この山岡荘八の「徳川家康」は嫌いだ。
奇麗事が多すぎるのと、堺商人の話が多くて幹がボヤける。
宮城谷の「新三河物語」をベースに再度「徳川家康」を大河でやってほしい。 新三河物語なら大久保彦左衛門だろう。それも面白そうだ。 >>123
確かに、石坂浩二の役は要らんね。
宮城谷さんなら、「新三河物語」も良いけど、「風は山河より」でいっそ、清康公の時代からやって貰いたい。
1年では短いかも知れないので、今年の大河を途中で打ち切って、1年半ではどうでしょうか?
真田信繁の大河を1年遅らせ再来年にすると、ちょうど流れも良いと思うが。 次の再放送はいつになる?
つまらん今年の大河を流すくらいなら、「徳川家康」を再放送したらどうか? 【話題】愛知で朝鮮通信使再現 関係者「隣り合う国が朝鮮通信使という使節団を通じ様々な物語や足跡を残した世界的にまれな遺産」
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1426766820/
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. | ヽ. ヽ `'l;;;;;;;;;r'" .t'"', ',
| ヽ ヽ l;;;;;/ 人. ゙,.゙,
| ヽ ヽ. リハ,_,,、-‐''"´/\',.',
l ヽ. ヽ l'! ゝ、-、 \ \゙ また時専で放送してくれないかな?
NHKの日曜8時でも良いけど。 >>123
宮城谷の「新三河物語」をベースにしたら、主役は、松平一族ではなく、大久保一族になってしまうけど。 >>123は何故、SO8がこういう家康像にしたのかググる位も出来ないのかな? >>133
小説の書かれた時代背景を考えればわかりそうなものだけどな>>123 >>133
戦前の薩摩長州右翼が自分達の悪辣非道の武士にあるまじき行為を誤魔化すための
権現様貶めでしょ。
そのネジ曲がった歴史観を変えたこのドラマの功績は素晴らしい。
今や徳川家康公は、世界で一番人気のある歴史人として定着しているからね。 薩摩長州が作り上げた徳川家康公のタヌキオヤジ説はあまりにも無理がありすぎだ。
むしろ実像は真逆で下克上や裏切りが常だった戦国時代では
当時から言われてたように徳川家康公は律儀者というのは正しい評価だろ。
真田親子のような現実(豊臣秀頼の父親は大野治長)が見えないバカではなかったというだけ。 >>137
家康が「律義者」だと言ってるのは司馬遼太郎だろ
当時の人はそんなことを言っていない
今川義元→織田信長(今川義元を殺した仇敵)→豊臣秀吉→豊臣秀頼→秀頼を殺す
と家康も主君をころころ変えている 他の板に自分が書いたのをコピペしてみた。
山岡荘八が原作を書いた時代は、戦後・敗戦まもなくの頃。
当時の山岡の心境は、戦中は従軍作家だった山岡が、小説『徳川家康』の1巻あとがきや
『随想徳川家康』に書いたことからも読み取れる。
特攻隊の若者たちを多く見送った山岡の気持ち
「このような形(小説を執筆)でしか諸君の霊を慰めることができなく、
こんな私を許してもらいたい」
小説『徳川家康』は永遠の平和を希求する山岡荘八の想いが詰まっている。
当然、原作そのままに映像化した昭和58年当時のNHKスタッフにも
その想いが受け継がれていたものと思われる。 >>139
「当時の人はそんなことを言っていない」ということは断定できない。
数学を学ぶと良いよ。 >>139
おいおい、それは違うだろ。
徳川家康が当時から律儀者と評されていたのは史実だよ。
信長に妻子を殺されながらも裏切らなかったし
それどころか秀吉に100万石を潰された息子の信雄の面倒をみて
織田家を再興させた。 >>139
ある意味、司馬遼を持ち上げすぎ
司馬遷ならともか、司馬遼が世間の常識を作る程、力あるとは思えないが 若い世代の中には「反戦だから」という理由で見もしないで毛嫌いしている人がいるけれどもったいない
地上波で放送して、見たことがない人達にも見てもらえないかな?
今年は大阪の陣400年、来年は没後400年
総集編でもいいからなんとか放送してほしい >>145
なぜ、今年か来年、家康主人公の大河をやらないか不思議
来年真田丸だが、やるなら今年なんじゃ?大坂の陣400年で >>147
今年の大河が良作ならともかく、あんな低視聴率の駄作なら、余計に家康やっとけば、と思うよね。 >>141 >>142
何の史料に載ってるんだい?
ああ、この板の連中は一次史料が大嫌いで
「俺の脳内史料では家康公は律義者だから、違うと言う奴は許さない」
だったな。
家康が信長に妻子を殺されたと言うのは江戸時代のものだろ。
同時代史料にこれを描いたものはなく、最も古い史料では
家康が謀反者の嫡男を殺すことを信長に了承させたというもの。
江戸時代の東照大権現様の時代でも築山殿を殺したのは家康なのだが。 すみません。ここはドラマのスレですので、史実のお話は程々にお願いします。
史実の話がダメっていう意味じゃないですよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています