真田昌幸の方が黒田官兵衛より上だろ
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家康が最も怖れていたのは昌幸
なぜ評価が低いのか? むしろ、昌幸の持ち上げられ方がハンパ無い訳ですが…
日本のふるさと信州の、天下なんか到底無理なスーパーハイパーミラクル田舎大名 じゃあ
幸隆>昌幸>カンベー>>幸村>信之ってカンジでいいッスカ? 江戸後期の軍記 申し訳ないが史実としてはファンタジー。 謀略家としては、
宇喜多直家>>>官兵衛>昌幸
奪った領地も直家が断然多い。 昌幸好きだよ。すごいよ。でもやはり地方の雄なんだよな。強者の間を
泳ぎ回った等身大の大名だから親しみこめて好きだ。でも、秀吉や家康
みたいな全国制覇した人たちから見ると、やはり器は小さいと思う。 関東民だから、こういうスレが立つのは嬉しいよ!
再来年の『真田丸』楽しみだな。官兵衛も観るけど 幸隆…信濃先方衆筆頭、シャーマン軍師
戦の吉凶を占い諜絡を用いて、難攻不落の砥石城を落とす等々
昌幸…信玄より直々に軍略を学び、正確な物見は「我が両目の如し」と賞される
武田滅亡後は、徳川軍を二度に渡り上田城にて破り、天下にその名を刻む
その籠城戦技術は「楠木正成」と並び賞される
信之…主に北条攻めに功あり、闘えば常勝という武勇を誇る
老いては戦国の世を知る男として「天下の御飾り」と賞される
幕末まで続く松代藩初代藩主にして名君として名高い
幸村…戦国のファンタジア、古今並び賞される者も居ない英雄
信長の野望でチート、戦国無双で主人公と今現在に至るまで活躍中 どーだろな
上田城での活躍がやたらクローズアップされるが徳川軍団としては時間が無い、ほっとけば良いのに無視できなかったとか条件が整いすぎ。
単なる徳川軍団の自爆だからな これ >>11
真田ってすぐ幸村になっちゃうけど、幸隆ドラマ化したほうが絶対
面白いよな。波乱万丈の人生だし、言っても創業者みたいなもんだし。
初代の人生は面白いよ。 西は相手が弱いからね
戦ってきた相手考慮すれば真田一族最強でしょ >>13
カッコいいな!ありがと。
>>15
NHKに陳情しようか?今ならまだ間に合うと思う。 風鈴は好きで見てたがけっこう智将に描かれてたよ。主人公の勘助も
晴信と同等くらいに持ち上げてた。最終回も真田の六連銭見て死ぬんだ。 >>13
昌幸の両眼は昌輝のことな、ニワカ真田ヲタって信綱昌輝信伊や矢沢は徹底無視だよな
信之の持ち上げ方が一番理解不能
親や矢沢やらに支えられてた北条戦で大将の如く常勝とか褒めるな、それ以降は関ヶ原も大坂もロクに戦ってもいない
戦経験が本能寺から小田原までの短い間では戦国の世を知るのではなくジジイだっただけ
幕末まで続いたのは初代の手柄じゃないし結局親に刃向けなかったし(親弟を殺す知恵があれば信者が主張する弟に裏切られた!も無かったね)よく引っ張り出される秀忠に嫌われてたとか大嘘
たかが10万石の松代を焦土から平均まで引き上げたとか平均から大都市にした訳でもない
これなら凡君でいいだろ別に悪くは言ってない 島津氏は別格 関ヶ原の合戦からの集団脱出 家康の伊賀越えより凄まじい
明治政府の薩長指導者 業績神に近い >>14
そして、関ヶ原に遅参して怒られる二代目将軍かww西田敏行の時なんて『血の小便が!!』とか言ってたような記憶。
>>21
勘助・幸隆・相木で、いろいろと相談していた気がするし、川中島でも真田がきたので安心したみたいな顔してなくなった勘助っておちだったよね。首と胴体は離れてたから映らなかったけど。 ろくな戦績もない石田隊に細川や田中など2倍以上の兵力で挑みかかって互角以上の戦いをした黒田みたいなザコが
大久保兄弟、鳥居、榊原、諏訪、依田、平岩ら戦歴豊富な戦巧者たちの大軍を2回も3回も撃退した真田に勝てるわけない。 真田は受け上手いけど攻めが下手ってイメージ
如水は獲ろうと思えば天下獲れた >>1とか
真田とかいつでも潰せる更に言えば潰す価値がない
しがない小領主でしかない局地戦でしか戦えない
贅六ワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
見下してる東の人間にすがることしかできない負け犬贅六プゲラッチョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
東様の方が贅六贔屓と贅六とかより上だろとか言って書いて書き込んでレスコメント投稿してスレ立てていい。だな。だろ。その通りだな。
てめぇら図に乗るんじゃねぇよ捏造偏向歪曲するんじゃねぇよ生きてる価値ねぇからさっさと死ねカス^^
ねぇねぇてめぇら何で生きてるの〜^^生きてて恥ずかしくないの〜^^死んでも誰も悲しまねぇからよ〜^^さっさと死ねよ〜^^さっさと死ねカス^^ 信長死後秀吉追撃できない毛利なんて弱すぎるだろ
相手が毛利だからイキがっていられたけど
徳川北条上杉に囲まれたら官兵衛小便チビって逃亡しているよ 毛利って大友や宇喜多に連戦連敗だったからな。
南条にすら撃退されてたし 黒田が榊原、大久保、依田、鳥居などの戦歴豊富な名将達を撃退できるわけないからな。
つか黒田自体大した戦歴ないし 石田三成は黒田長政より明らかに戦巧者。
関ヶ原の戦いの直接対決で黒田勢は細川や田中と協力して2倍以上の兵力で
石田隊を攻めたが、ほとんど切り崩せず
ほぼ互角の戦い。
三成はしかも戦歴があまりなく
黒田は戦歴豊富。
よって采配センスは明らかに石田が上。 「真田昌幸の方が黒田官兵衛より上だろ」っていうスレで
三成と比べてどうするん? 黒田が榊原や鳥居や大久保、依田あたりの大軍を3000で撃退できるとは思えんな
鳥居は寡兵で三成ら西軍の大軍に敢闘した名将だし
依田も末期の崩壊状態の武田軍の中で唯一家康相手に武力では寄せ付けなかった
武田軍団随一の名将 26読んだ。重文黒田屏風だね。大阪城の至宝。
この屏風がなかったら後の真田の軍記や英雄物語が無かった事を考えると、
必死で黒田を貶めているここの人たちが哀れに思えてくる。 黒田みたいなザコ=筑前黒田藩52万3千石、維新後は侯爵家。
ザコですか? 52万石といっても自力で切り取った領土なんて皆無だからな。
真田の場合は上野も信濃も自力で切り取った領土が全てだし 石田三成が半分程度の兵力で互角に戦いを進められた相手が黒田
石田三成が苦戦した鳥居や、武田軍団随一の名将依田や、堀を瞬殺した榊原ら名将たちの率いる大軍を2回も撃退したのが真田。
どうみても真田>>>>>>>>黒田だな スレタイが漠然とし過ぎるから、何をもってして上なのか?ちゃんとしないとね
そら九州の大大名黒田藩のが藩の格としては上でしょう
しかし日本の歴史に面白さを与えたのは間違いなく昌幸のが上
小さな田舎大名が、天下の家康に逆らい続けて戦国の世を生き抜いたんだからね
吹けば飛ぶような零細企業が、超大手企業を相手取り天下を掻き回す姿が痛快なのよ
織田家の秀吉という最高の上司を得て活躍した勘兵衛とは比べる物指しが違う >>42
黒田を貶めている訳ではないよ。むしろ感謝してる 実力や戦のうまさでは真田>>>黒田
棚ボタ度では黒田>>>真田 比べるなら、竹中半兵衛と黒田勘兵衛どっちが上か?の方がしっくりくるよね
この二人は、同じ線上(戦場)にいる
大軍を動かずのに慣れた勘兵衛と、籠城ゲリラ戦得意の昌幸では絡むとこ無いし
互いに逆の立場だったら分からんもんね 官兵衛は大軍を動かすのに慣れていない。
ついでにいうと大軍を動かせなかった武将などいない。
秀頼だろうが秀忠だろうが上杉憲政だろうが毛利輝元だろうが、動かすだけなら誰でもやってる。 指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてない
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
「軍の数」に起因するものではない(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。 信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる では、もし黒田勘兵衛が上田城を攻めたらどうだっただろうか 菅沼さんて人をよく知らないんだが
あれか、将棋板の「角将」陸上板の「かもり」みたいに
あさってな持論を長文で連投しては、板の住民を困らせる
名物名無しと考えていいのか? 尾張の300しかいない松ノ木城や河波城などの雑魚城を落せなかった黒田に
それよりも遥かに天嶮であり、3000が篭った真田の城が落せるわけないからな。
兵糧攻めにしようとしても
地勢的に厳しいから簡単にいかないしせいぜい徳川や上杉に土下座して援軍送ってもらって長期攻囲がやっと。 兵糧攻めを使えば黒田でも勝てる可能性あるが
兵糧攻めって別に黒田じゃなくても使えるからな。
バックボーンとなる物資や国力が問題であって、将の資質など全くといっていいほど問われない。 ゲッ!!官兵衛スレから逃げてきたらこっちにも長文コピペがいた 毛利の総大将が引き篭もりの輝元じゃなく
気性の荒い人物だったら官兵衛秀吉(^Д^)プギャー 籠城最強→真田
調略最強→黒田
城攻め最強→秀吉
野戦最強→島津
運最強→徳川
異論は認める >>56
YES
官兵衛本スレに定期的に現れるんだが、こっちにもいたのでビックリした。
>>59も驚いてるね。 >>6
雑魚地域で戦ってる時点でどうでもいいんだよ<宇喜多 お互いを、どう思ってたかは、定かじゃ無いよね
西国と東国、全く意識してないかも知れん
昌幸はチラッとでも秀吉の軍師の話を聞いていただろうか 官兵衛が真田を知るのは、早くても第一次上田合戦後だろう
だが、官兵衛にとっては、そんなに重用な出来事じゃないよね 真田昌幸が軍師として献策した
大規模な合戦や大返しや同盟などの作戦があったかどうか。
新田次郎と横光の『武田信玄』・『武田勝頼』内だと
比叡山高僧の救出・三方が原で献策・長島で指揮・甲越同盟に一役かってるけど
wikiだと三方が原の献策も入れられず、甲越同盟でも蚊帳の外とか。 大河ドラマ官兵衛が家康にビビりまくっていた時点で勝負ありだな 黒田官兵衛が軍師として献策して活躍した戦なんて全部軍記物が根拠じゃん。
真田は史実で徳川軍の榊原や鳥居、依田・大久保、平岩、柴田康忠、保科正直ら
戦歴豊富な武将たちを二回も木っ端微塵にしてる。
真田の方がずっと上。 戦略と戦術の違いの気がして、同じ土壌で語るのはどうなんだろ?と思う。
戦術は真田昌幸、戦略も含めた策謀は黒田官兵衛のが上と思う。 秀忠の軍勢を足留めして関ヶ原行きを遅らせたからな。でも西軍が負けたが。 官兵衛は安心安定の秀吉のおかげで恵まれていたからね
昌幸は歴史上最も過酷な信濃上野付近で独立して戦い生き延びて家康にも2回勝った 日の本の戦の天才は3人
源義経、楠木正成、真田昌幸 上杉とか宗茂とか関ヶ原の現場にいてほしかった大名に限って現場にいないという そう言えばどっちも1547年頃に生まれた同世代か
官兵衛の全国制覇を果たした豊臣家のスーパーエースとしての実績は揺るがないが
ロマンとしては能力的に東の昌幸と西の官兵衛って方がいいかな 大河ドラマで言えば、今のドス黒くなった秀吉と仲良く将棋を指せる昌幸が流石 官兵衛の知略も西では通用したけど
東の信州では厳しいだろうね
毛利なんて国土がデカいだけで元就以降は甘っちょろいイメージしかない 戦国時代の東日本は寒冷地で米もとれず。土地もだだっぴろいだけの原野。 秀忠を足止めって随分スケールの小さいことで万歳されてるのな、初陣のひよっこくらい討ち取れよw 足止めしてアレで西軍勝ったら
50万石くらいもらえたろうに 真田は自力で領地とっても北条に勝ててないやん。徳川に戦では勝ったけど降伏して高野山に。実力者でも、結局負けたら終わりなのよ戦国は。 如水の関が原の時の動きだけみても戦国時代にこれより情報能力、決断実行力、人身掌握弁舌能力
が、あった人間は他にいないとおもうけどなぁ
戦国時代からタイムスリップしてきました
少々現在の情報を教えました
で、黒田官兵衛は成功しそうやけどなw 官兵衛や半兵衛は戦略家
昌幸は戦術家だよね…
皆非凡であったとしか言えない 昌幸には昌幸の面白さがあり
官兵衛には官兵衛の面白さがある
それでいいんじゃないいですか 秀吉の天敵は官兵衛
家康の天敵は昌幸
しかし長政は家康に終始ヘラヘラ媚びただけで子孫は断然している
結果的に全てにおいて真田家圧勝 命令一つで山に入れられてそこで死んで終わりな武将が天敵とかふざけてるの
家康に媚びてでも関ヶ原大坂と戦って47万石手にした長政と嫁がたまたま忠勝の娘だった以上のことをせず10万石止まりで移されるからって発狂して後任に迷惑かけたクズ信之
真田のどこが勝ってるんだよ 真田を有名にした黒田屏風書かせたの誰だと思ってんの?
ちなみに赤備えを書いた、唯一の絵画1級資料。 馬鹿がいる。99のそれは渡辺大門の説話もとの創作。
子孫は、人吉藩、高鍋藩、岡山藩、庄内藩、小笠原藩はじめめちゃくちゃたくさん。 >86 :日曜8時の名無しさん:2014/09/29(月) 14:52:07.33 ID:1tkuvFE5
>官兵衛の知略も西では通用したけど
>東の信州では厳しいだろうね
謀略と暗殺の点では、信州の方がはるかにヌルイ。 >>100
お前は誰だと思ってんの
「屏風の作者は村重の子供」
とかいうバカじゃないことを祈るけど 黒田屏風は画風が違うだろ。
岩佐又兵衛のほうが絵は上手い。 呪いで断絶?
だったら戦国大名の子孫とか全部断絶してるだろ
冷静になれよ 官兵衛というか長政の子孫って、男は残念ながらいないみたいだが、
そのかわりお姫さまがたくさんおる。
系図見てたらおもしれえ。 真田信者は抽象的に持ち上げるのは大好きだけど具体的な目標を掲げるのは大嫌いだよな 真田昌幸って過大評価だと思う。家康とは直接戦ってないし、戦った場所も自分の所だから。
それに比べて官兵衛は敵の所で戦っているから。 まあ自分の居城前って一番有利な所だからなぁ
本国から遠征で来る軍のほうが大変なのは明白 どっちもすげぇよ、ゆきたかも、ゆきむらもすげぇ
でもな、現代を生きる俺達クズでも、その時代の英雄を遥かにしのぐ知識があるから
結局俺らの方がすげぇ
俺らの上に立って色々やってる人間が1番すげぇ
異論は認めない >>110
官兵衛は秀吉についてから少数で大数に挑む戦いをしていないのではないか?
基本、小田原的に豊富な戦力で相手を圧倒する勝ち方ばかり。
下手をすると河田長親より官兵衛は劣るかもわからんww >>114信長だって、桶狭間だけで、それ以降の戦は大軍で少数と対している。 少数で多数に勝つなんてのは軍略では詭道も詭道、博打みたいなもんで下策でしょ
いかにしてこちらの多で相手の少を撃つ態勢を作るのかってのが戦略であり、もっと言えば相手の気勢を削いで戦わずして勝つってのが最上の策ってのは孫子以外でも語られてる基本理念ではなかろうか ついでに多数側って言っても
敵地で勝ってるんだしな 幸隆、昌幸、信之、幸村と勇者が揃う真田家が異常だよ 野球民が野球をベースに定型化した猛虎弁、なんJ語等をマネしとる低脳サカ豚ンゴwwwwww
野球>>>>>>>>>>>>>>>球蹴り
やね(ニッコリ
なんでも実況J板 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E6%B3%81ch#.E3.81.AA.E3.82.93.E3.81.A7.E3.82.82.E5.AE.9F.E6.B3.81J.E6.9D.BF
なんJ語用語集・辞典・元ネタ
http://wikiwiki.jp/jivejupiter/
http://wikiwiki.jp/livejupiter/
http://earthblues.s26.xrea.com/wiki/
http://netyougo.com/nanj
http://moto-neta.com/tag/%E3%81%AA%E3%82%93j/
■猛虎弁
猛虎弁とは、なんJで使用されるエセ関西弁である。
野球板の「○○から猛虎魂を感じる」が発祥といわれる。
「どんでん」こと岡田彰布氏が発する「どん語」が元になっている語録も多い。
なんJでは関西出身かどうかに関係なく使われる。
■野球のお兄ちゃん 彡(゚)(゚)
「野球のお兄ちゃん」とは2009年の移民運動の最中なんJ原住民が放った断末魔の一つ。
正確な表記は「やきうのお兄ちゃん」であるが、現在に至るまで改変されながら随所で使われている。
黄色いまたはオレンジ色の肌と上に飛び出た目が特徴。
1行AAでは「彡(゚)(゚)」「彡(^)(^)」「彡(゚)(^)」「彡(-)(-)」「彡()()」「彡(。)(;)」で表現され、
原住民との対比から「野球民」もしくは「やきう民」と呼ばれる。
一見すると、広島東洋カープのマスコットキャラクターであるスラィリーの様にも見えるが、スラィリーの目は・(中黒)である。
元となった絵
http://wikiwiki.jp/jivejupiter/?plugin=ref&page=%CC%EE%B5%E5%A4%CE%A4%AA%B7%BB%A4%C1%A4%E3%A4%F3&src=a01.jpg
http://wikiwiki.jp/jivejupiter/?plugin=ref&page=%CC%EE%B5%E5%A4%CE%A4%AA%B7%BB%A4%C1%A4%E3%A4%F3&src=a02.jpg 大坂の陣で散った幸昌も華々しい初陣飾って、最後に見せ場も作ったよね 沼田城を守りぬいた矢沢の叔父御が好きだ。渋すぎるw >>114
>官兵衛は秀吉についてから少数で大数に挑む戦いをしていないのではないか?
つ阿閉城の戦い 昌幸と官兵衛比べるより幸隆と官兵衛比べるのが正解だよね。
大勢力のボスの下で手柄を立てていくという意味で。
ただ立場が変わって黒田が真田、真田が黒田の立場であってもお互いにそれなりの事は
やれた感じはする。 史実の官兵衛は大河で描かれてる忠実で有能な部下というだけではなく
あわよくば天下をとろうと狙うぐらい野心があった人なんでしょ? 秀吉の立場だったら狙ってたろう。光秀の立場で本能寺の変を起こすかどうかは不明。 >>131
播磨灘物語
竹中半兵衛に対し、天下がほしいか、と問いかければ、かれは即座に欲しくないと答えるにちがいない。
官兵衛はこの点、違っているであろう。かれはしばらく考えて、なによりも自然にまかせる、
自分に稀有な運があり、それが自然にめぐってくるとすれば天下人になってもかまわない、
と答えるにちがいなかった。両者の相違は、その程度といっていい。
さらに官兵衛のために言葉を費やせば、天下構想にいたるまでの大小の芸を自分は
生涯をかけてしてみたいだけであり、それが自分の目的である。そのあげくのはてに天下が
自分の足もとにころがりこんでくれば拾ってもよく、無論ころがりこんで来なくてももともとであり、
自分の人生はそれなりに充足している、元来、天下の主になれるというのは天の意志としか
言いようのない無数の条件の積みかさなりがなければならないが、その天の意志までは
自分は足掻いてもとめようとしない、というところであるであろう。 By 司馬遼太郎 >>133
足利義昭に官兵衛が献金するなんて大嘘を書いている播磨灘物語をソースにされても... 昌幸、幸隆は文句なし
幸村もまあ理由はわかる
なんで信之?さすがにここに名前が出る人じゃないわ 昌幸も幸村も松代藩が幕府に遠慮して資料を隠して
そのままになってる分がかなりあるはずだから。それが
出てきた日にゃ一騒動だろうね(笑)大名と大大名の軍師と
いう違いもあるけど。名うての三河兵を多く葬ってる
(初戦で1300人・神流川では幾らだろ秀忠旗本まで巻き添えに
なってるから)昌幸の方が巧妙だったんだろうか >>1
真田昌幸の何が上というのかね?
合戦の戦略という点ではともかく時局を見誤り
石田三成や淀なんぞに味方した時点で頭がきれる武将とは思えないが。
能力が高かったのはむしろ嫡男の信幸。 >>昌幸も幸村も松代藩が幕府に遠慮して資料を隠して
そのままになってる分がかなりあるはずだから。それが
出てきた日にゃ一騒動だろうね(笑)
あったらとっくに出てきてるだろ。アホすぎ。 家康様が私の手を取り共演してほしいと言ってくださいまし >>4
真田って諸葛孔明と同じでイメージだけすごくなったただの田舎大名。黒田官兵衛の足元にも及びません。 ほんと、ただ講談で有名になっただけの真田一族。ネット時代は厳しいね。真実が暴かれる。
真田は嘘ばかり。 まあ、幸隆は信玄が二度も挑んでおとせなかせなかった砥石城を内部から崩して村上を倒したきっかけを作ったしなぁ。
幸隆が長生きしてたらどうなってたやら どうもこうも幸隆が生きていた頃の武田はオールスター状態で幸隆も軍師に迎えられるほどではなかった。
真田家は上杉と徳川に挟まれて家の存続に全力尽くすしかなかったから不遇ではあるけど、事実として
戦国史からは外れた大名でしかないよ。 >>150
しかし、実質武田家の家臣団を吸収した徳川と信玄の戦のやり方を直に学んだ昌幸とうーん、ロマンやね 徳川と言ったって昌幸とぶつかったのは息子で戦闘経験もない秀忠だろ。また戦奉行で秀忠についた榊原康政が
城攻めなんて時間がかかりすぎるからやめろと止めたのに強行したとも言われている。 >>151
武田の家臣を召し抱えたと言っても反抗を防ぐ意味もあってほぼ分散させてしまったし、
重要な戦では徳川家臣団が常にメイン。新規採用者は大久保長安のように行政や治水などの分野に
配属されているから戦とはあまり関わらない部分なんだよ。 >>153
んじゃあ、井伊さんの赤備え隊はどうなんだね?元は山県の赤備え隊でしょ?
三河武士って強かったんだね つか、あくまでも俺の考えだと昌幸の方が官兵衛よりも上な気がするけどね。
官兵衛って関ヶ原が長引くと思って、スカスカの九州を切り取りまくってたけど、一日で関ヶ原が終って水の泡と消えた 長政が頑張ってくれたらから黒田家は残ったけど、もし長政が活躍してなかったら、家康が潰してたかもね 逆だ。長政の頑張りが無ければ1日では終わってなかった。 昌幸ががんばっていたのは確かだが自分の領地を守るのが精いっぱい。それが事実。
官兵衛はわかっている戦いだけでほぼ完勝している。それも秀吉に従って連戦してのもの。
自分の領地と違いアウェーでの戦いでの勝率が高い時点で昌幸では比較にならないよ。 >>157
つっても、昌幸なんて上杉、北条 徳川とガチなやつらと戦ってたし、関ヶ原の時の徳川は精鋭部隊なんでしょ?
秀忠が戦闘経験皆無でも、足止めされて、徳川はメンツを潰されたのは事実でしょ? >>157
ごめん、いい忘れた昌幸が領土拡大なんてどう考えても無理だろ?
官兵衛は毛利が弱体化して織田の援軍が来てそっから秀吉の配下になり播磨の豪族などを倒せたからスタートから違うしね >>158
真田昌幸は最大のチャンスだった武田勝頼死直後に自領を広げようとしなかった。
もちろん武田に対して忠実だったと言う倫理観は立派だけど、戦国大名としては
世に出るチャンスをまずそこで捨てている。次に織田信長が倒れて徳川家康が
一時的に硬直状態だった時も打って出るチャンスを見逃している。戦国時代に
名前を残している武将はそのチャンスを逃がさなかった人たち。真田は世に出れば
優れていたかもしれないが、事実としてチャンスをことごとく逃した。評価が低いのは当然。 アホみたいなスレだな。
講談で持ち上げられた昌幸と講談で駄々下げされた官兵衛。
言うまでもなく黒田官兵衛。真田はまず1次資料を出せって話。 なんにもしていない真田をいくら持ち上げてくれと言われても無理。 このスレ読んだら真田信者が痛いという事だけ解った。 >>159
>官兵衛は毛利が弱体化して織田の援軍が来てそっから秀吉の配下になり播磨の豪族などを倒せたからスタートから違うしね
別所や龍野赤松の方が先に織田の配下となったのだが。
まぁ、宇喜多直家さんも小寺より先に信長の配下になったけどw 26 Jun自民党群馬県連 @jimin_gunma
人生意気に感ず「楫取を売り込む。柔道の危機。県議の自殺」: ◇楫取素彦の件で上京し忙しく動いた。某民法テレビ局のプロデューサーA氏に「楫取」の動向を説明した。吉田松陰との絆、楫取が生糸産業の発展と廃娼運動に果した役割など... http://t.co/fnUFeLzJtr 講談の真田家内輪戦記が原作なら昌幸が上。
史実なら官兵衛が上。交渉術は戦国武将ナンバー1
官兵衛はむしろ講談で謀略家とか下げられてる。 謀略だったら
宇喜多直家>尼子経久・毛利元就>官兵衛>昌幸の順だろう。
戦国の中国地方は異常。 宇喜多直家の目の上のタンコブだった浦上宗景も描いてほしかったね「官兵衛」は! やっぱ昌幸なんか寝返る先間違えたら即滅亡だったしな
(勝頼にたのみに頼まれた重臣で、周囲からしたら賞金首みたいな
もんだし)才知なら昌幸だろ。領土は10万石程度だったけど。
プライドと運なら官兵衛かな 徒手空拳の身の上から一代で50万石の大名にのし上がった宇喜多直家の方が、官兵衛&昌幸より上。 真田は基礎兵力が少ないから、そもそも単独で攻撃部隊つくるのは無理
ただし、防御線は得意
こういうキャラでしょ。
官兵衛は評価高いといってもそれは自分の兵団を率いての話ではない
要は、職種が違うということ、中隊長と師団本部の参謀長とは役割もすることも違う で、家康は真田中隊長に何回も苦汁を飲まされたから・・・ 本来真田といえば攻め弾正の名で知られる幸隆の事だったのに
昌幸・信繁親子のせいで攻防戦の天才みたいな扱いなんだよなあ 39 : 陽気な名無しさん
今年の大河ドマラに、真田昌幸が若い頃、武田信玄に寵愛されていた小姓時代も登場するのかナッ?
若かりし頃の草刈正雄だったら、演技力がゼロだから、
ちょうど地のママ、自然体で演ずれば、上手く描けただろうゼッ!!!!!
男色シーンの無い戦国時代なんざ嘘偽り、虚妄の作り物でしかネエから、
ここは必ず回想場面としてでも挿入すべきエピソードなのサッ!!!!!!!!
分かったナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
〆 草刈正雄の演技は丹波を意識してるのかな
すごく似てる瞬間があって( ゚д゚)ハッ!としたわ >>1
家康が信繁を恐れていたなんて証拠はどこにもないw
自害しかけたなんて証拠もどこにもないwww 黒田如水の最期〜福岡藩という大大名家を作った
真田信繁〜首チョンパw 太閤立志伝でどちらもすぐ裏切って仲間になってくれるから好き 自分の首が晒されることがあっては幕府の権威は失墜する
自分はもうここいらで死んでもいい、幕府が、太平の世が、長く続きさえすれば…
実に家康らしい考えだと俺は思う。 >>209
豊臣の家臣だったのに上手く乗り換えた結果だろ
本来秀頼と一緒に戦うべき立場だったよね 徳川に味方した黒田が持ち上げられてるだけで、当時勢いのある信長、秀吉の腰巾着で領地を与えられた官兵衛は大勢力の狭間で自らの領地を守りぬいた昌幸の足元にも及ばんよ もし官兵衛が信州にいたら時代に出てこれなかったろうね 歴史にifはないというぞ
そんな無意味な考察やめましょう >>224
そうだな、まあダントツに昌幸の方が上なんだけど 大勢力相手に喧嘩売る昌幸と媚びる官兵衛では器違う
まあ昌幸も秀吉の傘下には入ったけどな 頭のいい鳥は寄り添う木を選ぶ
まぁ信長が秀吉に中国方面軍任せなかったら官兵衛の名前も遺らなかったわけで 天寿を全うした黒田如水
首獲られた真田信繁
戦死した奴はアホ >>230
いいんだよ信繁は。むしろ死に場所探してたんだから。 地元の期待度は比較にもならないレベルだろうな。少なくとも福岡都市圏は無風だった。せめて長政とダブル主人公ならね〜 >>226
天正3年まで、官兵衛は織田&毛利と敵対していたのだが。 >>233
長政をすごいディスってた気がするな あれは萎えた 小藩の家老が勢いが良いとはいえ出来星大名の織田との同盟を薦め
殿様に裏切られてもその家族や家臣は同盟を守り続けたんだ まあ逆立ちしても官兵衛では昌幸に勝てんな、秀吉の腰巾着だし >>236
>小藩の家老が勢いが良いとはいえ出来星大名の織田との同盟を薦め
織田と敵対していたのが、屈服しただけ。 >>236
丸で、武田重臣達のあれこれを見てたら官兵衛もリアルはひょっとしたら??って疑念が渦巻いている。
まさかそんな事無いよな?? この二人はほぼ同い年なのか
「軍師官兵衛」の関ヶ原直前の時
三成が集めた西軍諸将の連判状(?)の真ん中に
「真田昌幸」って字がひときわ目立つように見えたなw 右往左往して最後は配流地で死亡
土牢に監禁しても裏切らず信長死亡時にはうろたえる秀吉に天下取りを薦める冷静さ >>246
三好と組んで織田・長宗我部の同盟を破棄させ、長宗我部派の光秀を追い詰め
本能寺の変を起こさせるとは...
官兵衛、お主も悪よのぉ。 海音寺潮五郎の武将列伝で面白いことが書いてある
「黒田長政や藤堂高虎ですら事前に気づいた三成挙兵に対して、大事なことを前もって知らせない、
とか怒ったけど、逆になんで気付かないんだ」
「真田昌幸は戦争には強かったが、広い意味での智将ではない」
海音寺潮五郎も嫌いって書いてるけど、かなり性格に問題のある嫌なヤツとして紹介されてるんだよね
おれは、真田昌幸の名を、数年前にこの武将列伝で初めて知ったせいで、それ以来真田昌幸がどうも好きになれない
いまになって真田太平記の原作を読んでるけど、善人でも英雄でもなく、人間くさくてうぬぼれも強い、自分勝手な感じが
まさにイメージどおりでした
ドラマはどうだったんだろう
今回の真田丸で、あんまり「智将」って持ち上げたりするとちょっと違和感を覚えるかもしれない 昌幸って官兵衛ほど記録が残っていないから、
大谷吉継や竹中半兵衛と同じく創作部分でずいぶんと持ち上げられてる感がある。
真田太平記もそうだったけど、
軍記物語を史実だと思ってた人から見たら官兵衛より上に見えるよなあ。 昌幸が領地を北条に渡す屈辱に耐えて家康に従い続けてたらどれくらいの領地を手に入れてたのか 養女が嫁いでいるんだから倍増は固い
上田+松代くらいか でも、やりたい放題の昌幸の方が計算ずくめの官兵衛より好きだな。官兵衛の九州関ヶ原もやりたいようにやった訳ではなさそうだし。 ドラマでの描かれ方は対照的だな
かたや、流石は官兵衛、かたや浅間山噴火
面白さでは圧倒的に昌幸 >>259
やりたい放題度なら、赤井直正さんの方が真田昌幸より上だから。
尼子経久とか宇喜多直家とか松永弾正とかが跋扈している西国では、真田昌幸は
かなりまともな部類。 昌幸の方が上だと思うけど、さらに上に幸隆がいる。
そして、そのまたさらに上に信玄がいる。 はるかにかんべの方が歴史的に重要人物
そいや幸隆って架空の人物説もあるよな
真田家が家の歴史を作るときに似たような人物を探し出した説とかね 家康から自領を守った昌幸
秀吉に本城を差し出した官兵衛
戦術家と戦略家の優劣を語っても
仕方がない気はするな 官兵衛も昌幸も名将だろうけど、昌幸の場合は限られた手駒の中から、最終目的に沿って最善の一手を打って、勝てないまでも負けない弱者の戦い方が得意なイメージ
家康にしてみたら、目的は達成できるけどこういうのを相手にすると味方にもある程度の損害も覚悟しないといけない分イヤだったんじゃないかな 恐れてたレベル越えて息子幸村には殺されかけたし(笑)
愛刀の村正なんかは江戸時代を通じて銘を入れるのすら
憚られた位 結果から考えて官兵衛の方が上だったと思うけど、
考えてみれば、官兵衛は、徳川軍と戦ったことがないよね
家康が直接指揮してなかったとはいえ
地域的な事情とかもあるし、秀吉の死後のそれぞれの立場や石高がどんなんだったか分からないけど
黒田家が関ヶ原後に、52万石になったとは、どっちかというと息子の長政のおかげな気がするし >>245
そして実は家康もこの二人とあまり年の差が無いという事実w >>280
まぁ 九州で火事場泥棒してたけどね
関ヶ原長引いててても勝てかは怪しいしね 歴史上の重要度
徳川家康・豊臣秀吉>>>小早川隆景>>黒田長政>>>>黒田官兵衛>上杉景勝>
>>武田信玄>上杉謙信>>滝川一益>>>真田昌幸>>真田信繁
程度だろう。
重要度と能力は関係ないと思う。 >>285
長政と官兵衛の間がちょっと広い気がするが評価する どう考えても武田信玄、上杉謙信が低すぎる
戦国初期を軽んじて考えすぎ 信玄と謙信も評価されてるだろ
三傑との間にまだ入ってくる重要人物が存在してるってだけで 黒田官兵衛が重要とか笑わせんなw
秀吉からも途中から疎まれて飛ばされたのにwww 北条を降伏へと導いたのは官兵衛という事になってたな >>291
その書き込みが笑われてる事に
気付けるようになればいいな でも戦国時代の当時は越後兵と甲州兵は強いっていうわれてたのは事実 子供の頃、歴史の教科書には、信長・秀吉・家康以外に、
武田信玄と上杉謙信と川中島の戦いは載ってた
今はどうか知らんけど
少なくとも、当時は黒田官兵衛も真田昌幸も、全く知らなかったな
真田幸村は知ってたけど、テレビかなんかからの知識だった >>297
まあ 昔は竹中半兵衛>黒田官兵衛だったしね 黒田官兵衛の業績で一番歴史に影響を与えたのは、天正9年の淡路・四国調略だと思う。
これで、織田が親長宗我部路線から親三好に切り替わり、長宗我部派の明智光秀を追い詰める
ことになった。
その次が、永禄12年の青山の戦い。織田軍が播磨から撤退し、親織田派の宇喜多直家と赤松政秀
が降伏したことで、織田勢力の西進が数年遅れた。 >>298
いやでも、竹中半兵衛も知らなかったけどね
二人とも名前を知ったのって、大河の「秀吉」だったし 歴史かじりはじめた奴が誰しも通る道
武田や上杉って知名度の割に地方だけじゃんって
イメージとのギャップで逆に過小評価をはじめる
その辺一通り過ぎて時代の状況で相対的に見られるようになって
初めてスタートライン 武田や上杉の過小評価じゃないだろう
それ以上に戦国末期の歴史において黒田親子の働きは重要性が大きかったってだけ
幕末で例えれば薩長の中枢にいた桂小五郎や西郷隆盛たちが三傑ポジションなら
それを支援した土佐の外郭の坂本龍馬や岩崎弥太郎たちが黒田親子
強かったが旧政権側の立見鑑三朗や土方歳三たちが武田信玄や上杉謙信 地域限定なら甲州三法等の「信玄」の業績は大きいが(実際には大久保長安の業績が
信玄の業績にすり替えられている事例が多いそうだが)...
枡一つにしても、全国に京枡を使用させ、度量衡を統一させたのが秀吉(&官兵衛)、
甲州限定で甲州枡を使用させたのが信玄。 >負けた相手に重要性を見いだせない
関ケ原の戦いに西軍が勝っていたら、真田昌幸の歴史上の重要度は急上昇だろう。
才能があるのかどうかの話ではなく、歴史上への影響力が大きいかどうかの話なので
負けた側が低い傾向になるのはやむを得ない。
まぁ、明智光秀は敗者でも影響力が大きいし、信長も敗者なんだけど。 負けた側にも重要性はある
ただ相対的に低いのは仕方の無い事
武田勝頼や豊臣秀頼の敗北は非常に重要な事だが
勝っていれば今の日本の首都が東京では無かったり乱世が続いていたりと
大きく異なった歴史を生産し続けていただろうしそういう意味で重要性が高まっていた 関ケ原で籠城して大軍を足止めした人でも、勝敗の貢献度でいうと
京極高次(西軍のエース級を足止め)>細川幽斎(西軍の烏合の衆を足止め)
>真田昌幸(東軍の別動隊を足止め)
の順になっちゃうんだろうな。 >>309
西軍が勝っていれば勲功第一等なんだろうけど三成のせいでw
あと徳川軍として見た場合は秀忠の方が本隊なのでは >>312
まぁそうだ武田信繁は江戸時代でも真の武士って評価されてるくらいだし
兄を助けた弟でもあり一国の太守の器でもあると評価されてるからね 仁科盛信も兄のために武田の意地のために玉砕したのに評価が低いね そもそも映像化作品で仁科盛信が出てきたのっておんな風林火山くらいしか思いつかない
評価以前に扱われること自体が稀
まあ名前だけは高遠落城の報告の際に出てくるんだけどね >>229
他の奴を中国方面軍の司令官に選任したら
官兵衛はそいつの寄騎になってただけの話。 >>317
もしもの話だけど中国に光秀が派遣されてたらどんな立場になってたのかね? >>319
あぁ、そうか秀吉だから長政は助かったわけだったね
つか厳密には半兵衛だけど 武田信繁といや「武田の副将」と称された名将で
その名にあやかったのが幸村
今回の大河でようやく本来の名前の信繁で出たわけだなぁ・・・長かった(小並) 負けた武将は江戸時代に講談で拡大解釈。
近世大名として勝ち残った家はだいたい過小評価。
加藤清正も竹中半兵衛も殆ど実像がわかっていないにもかかわらず。 >>316
>そもそも映像化作品で仁科盛信が出てきたのっておんな風林火山くらいしか思いつかない
へうげもの。
ちなみに真田信繁も九州征伐で登場している。 >>319
そもそも村重が裏切らなかったかもしれないけどね。 >>313
武田贔屓の徳川治世下のことを偉そうに言われても 官兵衛の業績は、どう見ても昌幸以上だろ。
小寺が信長に付く前でも、播磨に侵攻してきた2万の織田軍の猛攻を耐えきったり、
宇喜多直家&小早川隆景と組んで信長に播磨・備前・美作三国の支配を認められた
浦上宗景を追い落としたり、結構やっている。
軍師官兵衛で触れていないだけw 真田の館が忍者屋敷で笑った
黒田も家臣にかなり忍者っぽいエピソードが多いんだが
そういうセットは無かったな >>339
なんでその話 ドラマ内でやらんかったんだろう? >>349
信長から浦上庶流の浦上宗景が備前、美作、播磨の守護とする朱印状を貰う
それに赤松や小寺と言った播磨の殿様たちが不満を抱いて
預かってた浦上嫡流の子である浦上久松丸を
宗景家臣だが備前の半独立勢力でもあり、やはり不満を抱いていた宇喜多直家に渡してしまう
久松丸を擁立した直家の反乱により宗景は追い落とされた
この久松丸の母親は官兵衛の姉妹か養姉妹という可能性があるので
官兵衛が関わった可能性もあるって話し
主体的に動いたのは殿様たちの可能性が高いだろうね その話で思い出したが
官兵衛の初恋相手が黒田家との身分違い悩んでたのに
黒田より更に格上であろう浦上家に嫁ぐ設定にしたのは当時テレビの前で笑ったな >>351
もっと恐ろしいことに、本物の浦上久松丸は幼い頃に既に死んでいたという記録が
あるんだな(書写山に過去帳有り)。
おそらく母親と一緒に浦上宗景に殺害されたのであろう。
官兵衛の周囲で養育されていた「浦上久松丸」は誰なのか?
どこの誰ともわからない子供を引き渡して、宇喜多直家はそれを旗印に... 小寺家の養女としてじゃないの。
黒田職高は小寺の姓貰ってたし。 そうだよな。関ヶ原でわざわざ西軍につく程の恩も受けてない
結局引き抜いた石川数正より石高低いしな。外様だから、
蔵入地もなかったろうし。織田には沼田城没収されたしな 大河ドラマでは、昌幸の方が官兵衛よりも先に本能寺の変を知っていて笑ったw
せっかくの情報の有効活用ができていないので
官兵衛>>>>超えられない壁>>>>昌幸
じゃないかwww >>375
確かに、草刈昌幸が仮に秀吉のそばにいたとしても、「御運がひらけた」なんてことを言えるとは思えないな >>376
「俺の運が開けた」って、ひとりほくそ笑んでそうw 官兵衛なら、一益に大返しさせて明智をとってた?
流石に、付き合い浅すぎて無理か >>378
ドラマの中の信幸ならそうさせてたかもしれない >>378
付き合いがどうこう以前に滝川じゃ実力的に無理
北条に手玉に取られて誘い出されて上野からあっさり叩き出されてるようじゃ無駄無駄 官兵衛は大返しの最中に船団を手配して、仙石を淡路に派遣しているからな。
昌幸には、そんな能力は無い。 トップ企業の大幹部の側近と下請け企業のオヤジじゃ
出来ることに差がありすぎ どっちか偉いの?
ホンハイは下請け企業でありながら大企業だぞw 官兵衛ももともとは中小企業の下請けからうまく転職したんだけどな
働きながら転職活動出来た官兵衛と、失業してから転職活動始める昌幸の違いか
直属の上司が羽柴か滝川かの違いはあるが 滝川だって、本能寺の前までは秀吉に負けない有能だったんだろ?
一体何で本能寺からそんなに急落したんだ?
側に官兵衛がいなかったから? 急落というか温和な人だったらしいので野心がなかっただけじゃないかな 光秀の手際が良すぎたのと
それをひっくり返した秀吉が桁違い過ぎただけ
とは言え滝川の変後の動きはあまりにまずい
信玄時代から攻めにくい上野に厩橋城と二万を越える兵力があったなら
普通に守りきる事は出来たはず
それをわざわざ焦って誘いにかかって自ら北条領に攻めこんで
神流川でフルボッコは擁護の余地がない >>385
情報の遅さだろうな
秀吉が中国大返しやってる頃、温泉探してたんだろ 官兵衛観てもなんで知恵者扱いされてるのかわからなかったが、昌幸が表裏ヒキョウ者と呼ばれたのはよくわかる >>394
本能寺の変の原因(信長を親長宗我部から親三好に転向させた)を作ったのが秀吉と官兵衛。
こいつらの方が圧倒的にヒキョウ者。 秀吉にも疎まれて、晩年は家康にも野望ついでに利用され、
(西軍王国の九州で切り取りまくり(笑)、関ヶ原が長期戦に
なれば大いに意味のある行為) >>1
結局負けたからだろ。
官兵衛は負けはしていない。 >> 411
負けたってか飲まれた感じだろ。
ちな、真田昌幸が最強策士だと思ってる。
本能寺後、信忠は生き残って、丹羽軍と合流、
柴田軍も北陸捨てて一旦上京、
秀吉が黒幕バレして、長生きした半兵衛&官兵衛が離反。
滝川が真田と協力して、北条を退け西へ・・・。
みんなで秀吉フルボッコにして、
ついでに堀秀政と蒲生氏郷も長生きして、
ラスボスなしの天下泰平。
論功行賞で知行分けして・・・。
その後、東南アジア経由の西洋進出。
ちょっと早い大東亜共栄圏つくる妄想で楽しんでる。 どっちも主人公補正ばりばり
軍師官兵衛に真田は出てこないし
真田丸に官兵衛は出てこないし 信長の野望 戦国群雄伝では
黒田官兵衛>>>>>>>>>>>>>真田昌幸 ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
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死とは思えない部分があって・・・。自殺とかじゃないよねって疑いもするんだが 秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大さんは犯人ではありません。
この事件を詳しく検証した下の動画を見ていただければ加藤さんが
冤罪であることは明らかです。 皆さんの目で一度確かめて見て下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=OD87ETBXMKY
※どうやら秋葉原通り魔事件の真相を世間に知られたくない輩が上の動画の信頼性を損なわせることを目的として
youtube評価の「よくない」の方に毎日一票か二票ずつ投票するという粉飾工作をしているようです。
すでに事件から何年も経過しているのになぜ今になってそんな工作をするのかは不明です。 タイガドラマモオモシロイケドオススメノジョウホウ
グーグル検索⇒『立木のボボトイテテレ』
0UW1E 官兵衛→主君を天下人に
昌幸→主家(武田家)を滅亡させる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています