勝頼がこの先生きのこるには [無断転載禁止]©2ch.net
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安芸武田の関係者は寺僧から身を起こし六万石の大大名に登り詰めた >>51
降伏の時期なんかによるんでは?
ただ、同じ降伏するなら徳川より織田の方が良いと思われ。
徳川は織田と武田が完全に決裂するよう工作し成功したと謙信への書状で
自白している程だから影で何するかわからんよ
>>54
具体的にどう「惨殺」されたの?
係累ほぼ全員というが逸見、加賀美、秋山らは同族は皆助命されているんだが。 徳川を完全に息の根を止めておけば、三河まで武田の強き一手打ち込むことになるのじゃ。
将軍、足利義昭様とて、いつまでも信長の勝手な振舞い許さぬであろう 読売新聞に載ってたとかいう説は全くの後知恵です。ありえません。
古来より敵が籠もる城をほったらかして敵領に進撃するのは愚策の骨頂であり
世界戦史上そんなことをやるやつはいません。やったやつもいるけど
全員、城から出てきた敵兵に背後から追撃されて壊滅します。
信玄がそんな兵法の下策をやるとは考えられず、織田方は
「家康が要害浜松城で時間を稼いでいる間に何とかする」という策に出ました。
そんなことはお見通しの信玄は家康をおびき出すために奇想天外な大奇策に出ました。
浜松城の目の前を素通りしたのです。これがどんなに予想外だったかは
大河ドラマ「武田信玄」などでもあまりの大胆不敵さに驚嘆するように描かれることからもわかります。
もし家康が冷静だったらさしもの武田軍も背後をつかれる危険な策でした。
しかし信玄には「家康は必ず引っかかる」という確信があればこそ実行したのです。
そして予想通り家康はまんまと城からおびき出されたのです。
(余談ですが、後年の長久手や関ヶ原はこの時のリベンジとも言われてます)
「信長と家康が信玄を挟撃する予定だった」なんて結果を知ってる人が思いついた後知恵です。
「ミッドウェーでこうすれば勝ててた」と同じレベルのトンデモ説でしょう。 >>142
その通り。
信玄にとって一番やっかいなのは籠城されて、時がかかり過ぎること。
誘い出しの策はうまくいって大勝したが、そのまま三河→尾張へと西上することは
信玄の軍略からして、まず考えられないだろう。
背後で補給線を脅かされるし、帰路も危うくなる。
(それとも美濃で身動きできない信長の軍と、乾坤一擲の勝負を考えていたのだろうか…。)
敵の本拠地へ長路、一気に攻め込むっていうのは、足利尊氏や北畠顕家の時代の話。
実力拮抗する戦国の世では、長尾景虎の小田原攻めぐらいじゃないだろうか。 一言坂の方が確実に殺れたのにな家康を。忠勝誉めてる場合
じゃないずら〜〜。浜松城の空城の計は創作なんですかな? 現代からすれば城の前通り過ぎるくらいなんだと思うけど
当時としてはたいへんな屈辱だったらしい。
古く司馬仲達は孔明から櫛を送られてブチキレるなど、
昔の武人は現代人の感覚ではずいぶんくだらないことで怒ったようだ。
真田丸でも挑発に見事に乗っちゃってるし。 史実では天目山って、史実じゃなかったらどこなんだ? 上杉に信濃全土を、北条に駿河遠江を割譲し甲斐に引きこもる 信玄が死んで後を継いだ時点で、織田・徳川に謝りに行って、
今までの事は全部信玄のせいで、僕ちゃんは無関係だったし、
これからはかわいい子犬ちゃんみたいに扱ってね。
って言えば万事うまくいったはず。
甲州征伐がもちろん、長篠合戦も起きていない。
まだ上杉と北条氏がいるし、東北にも伊達や最上とかいるから、信長から見れ
ば利用価値が大きいはず。
ただ、本能寺の変の後の混乱で道を誤れば滅亡もあり得る。逆に勝頼が天下を
取れるかもしれない。 御舘の乱の段階でいきなりすべて捨てて北条に降伏するのも
悪くないのでは?どの道財政破綻寸前だったのだし。そこなら
勝頼は坊主になって大人しい典厩信豊に陣代になって貰えば
数十万石の家名としては続く。織田に降参してもいい。 >>122
21世紀でもぬこと一緒に秋田を治めてる勝ち組
細川と同レベル 21世紀でも東大出て教授になって
ロケット飛ばしてる上杉も勝ち組だな >>156
甲州征伐がなかったら本能寺の変も起きないから結局どっかで滅ぼされるだけ >>122
常陸みたいなところに外様の大藩おかせてくれるわけない
良くて加増の上どこかに飛ばされる でも結局幕末動乱の切っ掛けは菅原文太の水戸藩からだったのは
皮肉だわな。まああの人は雄藩連合と院政の野心が一緒に
なったんだが 甲州流軍学教室なら江戸時代に全国で行われた。
武田家は滅んでも遺臣達が徳川家臣に召し抱えられたおかげで
現代でも信玄大人気。謙信より主人公になることが多くファンも多数。
これはこれで勝ち組と言えるかも。 上杉も紀州藩お抱えの軍学者のペンネーム宇佐美某が
広めたんだわな。次第に川中島の一騎討ちなんかあるわきゃない
の流れの根底ですが(笑) 織田の侵攻をいち早く察知し一門衆穴山に家督を譲り織田に内通しとく 勝頼が来週のヒストリアに出るぞ!
平さんは出るのかな? 氏真くらいバカ殿なら大名としては無理でも血脈つなげたのにね 武田家なら宇和島10万石くらいでしのいで明治維新の原動力になったかも >>175
三国志って誰が勝ったのかよくわからん
曹家も晋もすぐ滅亡してあまり勝ち組のイメージがしない >>177
あの時代はまだ江南の開発が進展してないから洛陽や長安を押さえた勢力が優位に立つ。
魏が当然優位にあったはずだがお家騒動で自滅して仲達の一族に全部もってかれた。
まぁ最終的に統一した晋も一族争いが絶えず短期間で自滅したけど。 国が長く持ったなら呉ではないか?英雄を多く討ったという
意味でも。関羽劉備張飛。まあ勝つという意味なら曹操かな? ・
三国時代は曹丕死後はほぼ司馬氏の天下
外患誘致で内部を抑え、曹氏は傀儡、呉も蜀も生かされていただけ 北条の家臣になるくらいなら織田の家臣になればよかったのに ヒストリア見たけど勝頼様なんともかわいそうなお方だな
妻と子を愛する殿って大河が大好きな逸材なんだからいつか主演で見たいものだ >>189
甲州征伐は武田滅亡だけじゃなく
勝頼の娘の松姫と信忠の悲恋とか本能寺の変まで色々引っ張れるネタがあってドラマ向きのネタ
勝頼役の平岳大と信忠役の人は評判良いし草刈、大泉、堺の主人公三人抜きでスピンオフとかやってほしい 嫡男義信を死なせ、自らは50歳で死んだ信玄。
もう少し長生きして信長をやっつけていたら・・・
自らも嫡男信康を死なせた家康は武田家の末路を目の当たりにし、
頼りない子や孫のフォローのために何が何でも長生きする気になったのかも。 ちなみに家康と秀忠が関ヶ原や大坂で常に別行動だったのは
信長と信忠が二人一度に討ち取られたことへの反省から。
幸村が本当に家康を討ち取っていたとしても大勢は変わらなかった。 >>191
信忠と松姫の話に興味があったから調べてみたけどいい話だねえ。
スピンオフもいいかもね。
しかし勝頼、信忠、小山田と演技いい人がわりと早く抜けるね真田丸・・。 >>195
リアルでごめんね
「いい話」はあくまでも「話」であって
その通り「後世の創作」 秀吉だったら仁科盛信の命を助けたかもな。本人が受けるかはわからないが 信忠からの降伏の書状内容が無礼なものであったとしても
「信玄五男の武勇を見せむ」と戦った仁科盛信が助命何ぞ受けないよ
盛信は勝頼とも親しくともに神社に連盟で奉納をしてるような仲 >>197
信盛は降伏を受け入れていたら助かったと思われ
穴山と信廉は長篠の前科持ちもあるから助命されても遅かれ早かれ粛清コースだろう
日野本陣に伝わる記録準拠なら織田は松姫を迎えようとしていることからも
この二人は松姫が信忠の正室におさまれば利用価値はグッと下がるしな。
>>199
結果は攻めることになったが信忠は降伏助命しようと1ヶ月近く頑張っているから
別に秀吉じゃなくても助けたろ、受け入れさえしてくれればね。
信濃の連中は逸見、加々美、三枝といった同族も皆助命されている。 勝頼スピンオフは良いんだかなあ〜やっぱそれなら巻き戻して
長篠をやって欲しい。映画で良いから。 >>202
長篠からではなく、野田城から始めて、奥平離反と人質処刑から長篠攻め、設楽原決戦、田峯逃亡からかな 第一話「総括設楽ヶ原」
第二話「信玄の遺言」
第三話「豪腕35歳」
第四話「天下分け目」
第五話「合戦設楽ヶ原」 お父さん怖いよう
誰か来るよう
大勢でお父さんを殺しに来るよう >>201
>織田は松姫を迎えようとしていることから
それはどんな文献なんですか?
日野本陣とはどの地域の日野?
でも「迎えようとしていた」体制があったなら
松姫はなぜ険しい甲武相の山道をたどり
八王子城下の庵室に実をひそめていたのだろうか
勝者の織田家の迎えをどこかで堂々とまてば良いのに
なぜソレをしなかったんだろうね 自己解決した
単なるごくごく普通に流通し周知されてる「松姫伝説」の紹介じゃねーか
松姫と信忠の悲恋物語は「物語として素晴らしいwwww」けどw
「「おんな風林火山も大映らしい傑作だったね」でも
何も根拠もないんだよね−、って認識がやっと一般的になってきたご時世に
今さらあの超有名な「おハナシ」を聞いて信じ込むお人がいるとは 松姫は家康の妾か養女を秀忠の側室に送り込んで武田家復興は
夢見なかったのかな?会津宰相とかもちあげられてるが
保科正之だってそんな感じなんだし(笑) >>212
何か勘違いしているのでは
まず武田瓦解前に秋山氏の娘を養女にして家康側室にあげたのは穴山梅雪
その側室・お都摩(下山殿)が産んだ子が信吉で武田を名乗るが若死にした
現世を捨てて禅林の庵主として仏弟子になった松姫が
係累の女を奥向きにおくってまで武田の復興を計画するわけが無いだろうに
>>213
>保科正之を養育したのは
「正室三条氏腹の信玄の次女・見性院。
穴山梅雪未亡人」だろ
梅雪亡きあと家康から捨扶持をもらって江戸に屋敷を拝領していた
そして二代将軍秀忠の子を宿して城から下った浄光院の産の面倒をみた 大坂夏の陣でのラストシーンに平さんの幻影が現れ
信繁を導く、なんてのはどうです? >>207->>208
横から失礼するが、それで?
201氏はその文書準拠ならと理を入れてから書いているのだから
ただの言いがかりにしか読めないが。
それと日野本陣文書にある記録では北條氏照の命の下で北條配下の者達と
国境の上野原で待っていた他とかなり具体的な事が書かれている。
迎えようとしていたのも甲州征伐の第一次仕置終了後の話だからあなたが
とんちんかんな解釈をしているだけだな。 >>218
横から失礼しますが
その日野本陣文書の言文とか訳文でも良いのですが
何かで読めますか?
八王子の地理も上野原の場所もわかります
かなり具体的な事って指示伝聞の経過も書かれているんでしょうか
スミマセン、自分も調べますがご存知のことがあったらご教示下さい そーいやさ信勝だけでも吾妻に落とすとか考えなかったん
だろうかね?家臣の半分もつければ行けたろう。忠臣の
小宮山備前なら裏切るまいし 「最終話 決戦」
「無理だ・・・勝てるわけがない・・・」
大坂平野を埋め尽くす徳川方の大軍。どうみても突き崩すのは不可能だ。
配下の牢人たちも皆顔を青ざめ、ふるえがとまらない者もいる。これまでか・・・
「どうした源次郎!憶したか?」ふりむくとそこには、父・昌幸の姿が!
「父上!なぜここに?」 答えず視線をそらす昌幸。その視線の先には・・・
「御屋形様!」 そこにいたのは武田勝頼公だった。あれから何年たったのだろう?
あの最後の夜、やさしかった御屋形様。あの夜のままの姿で微笑みを浮かべている。
「行くぞ!」「はい!」 駆け出す三騎。つられて配下の牢人たちも勢いよく駆け出した。
その勢いに押され崩れたつ敵勢。不可能に思われた活路がついに開けたのだ。
信繁の目が家康本陣をとらえた時、既に二人の姿はなかった。だが信繁にもはや迷いはなかった。
「狙うは家康の首ひとつ。者ども続け−!!」「おおーっ!!」
「見ていてくだされ。すぐにそちらへ参ります。だが家康の首、必ずや冥土の手土産に致しましょうぞ。」
信繁の視界は白一色だった。その目には家康本陣の金扇だけが映っていた。 信勝は強く抗戦を主張してたわけなんだが
新府の時点で「城を枕に討ち死にして武門の意地を」だったんだよ
自分の母が織田家家中出身ということ負い目にも感じていて
かえって織田と戦おうという覚悟をもっていたというのに・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています