真田丸▲北条氏政・氏直親子を語る!▲ [無断転載禁止]©2ch.net
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汁かけご飯について独自の論を展開する氏政
鎧兜姿がそれなりに様になってるが
肩を張るだけで中身が伴わない氏直 幻庵がもう一回丸坊主にした政宏で親子取っ捕まえて
説教とかないかな? 昌幸「あーあの親子?基本猪脳だからやり易かったわー」 本気で上州一国がほしいのなら武田攻めの時にでも全軍で
沼田と岩櫃に攻めかかれば楽勝だったろう。(当然、勝頼は岩殿一択となる)
ところがあまりの進撃の遅さに信長から嘲笑されるほどろくな戦果なし。
天正壬午の乱でも上杉・徳川の数倍の大軍でありながら、ただ甲信を右往左往しただけ。
高嶋政伸さんじゃなかったらほんとにバカ殿にしか見えないだろう。
でも食べたい分だけにしても汁少なすぎない? 来るべき織田との戦いに備えてたんだろ 侮れないよな北条はw >>7
有能そうにしてはこの二人の能力ゲームで低すぎだと思ってたけど
その程度だったのかw 氏政が早雲並の能力なら北條は天下を狙えただろうか。 北条は織田が高転ぶことを見通して戦力温存してたんだよね いやぁさっすが 天下を狙うには北条の位置は悪すぎる。関東中から兵を
集めても40000程では上洛する前に磨り減って潰れてしまう >>7
総大将信忠の許しなくできるわけねーだろ。
第一、織田と連携しようにもなぜか連絡がうまくつながらずで北條はその件を
織田へ抗議、織田も納得している様子だから何かしらの行き違いがあったんだろう。
この何かしらのについては徳川の工作という噂もあり。 >>9
最後にどうメッキが剥がれるか演技に注目ですな。
氏直は最後までああかもしれんが >>7
神流川で迅速に上州から滝川を追い出したのは見事だよ
兵力が上と言ってもその合戦からの連戦中なわけで
状況的にヘタに甲州まで欲張ってたら痛い目を見る可能性は高い 仕掛けておれば甲州一国とれていたものを
と書かれているほどの判断ミス。
それにしてもこのところ書き込み途中の誤作動がやたら多い。
通信会社もどうしてこう使いにくくするのだろうか? >>17
無理、既に東海を抑えてるこの時の徳川の大きさ考えたらそう簡単に勝てる訳ない
少しでも苦戦してる時に上杉に挟まれたら全軍壊走の危険性も大きい状況
氏政に攻め落とされた三浦浄心の感想文で好き勝手書いてようが無理なもんは無理
このあと徳川軍は豊臣軍を小牧長久手で打ち破る程の精鋭揃いなわけで まあ、氏政も氏直も決してバカではないと思うが、特別賢くもないよねwww 関東から天下を取れないということはない
頼朝や家康は実際取った、恵まれた石高で引きこもって自滅したのはそれまでの器ということ まあ名古屋のカッペなんぞ瞬殺できるわな大都会東京はw >>18
いや、そうでもない。徳川の勢力はこの時点でまだ三河・遠江を掌握しているぐらいで、
駿河一国加増は甲州征伐後のことだから日が浅い。
甲斐に触手を伸ばして河尻を追い落としたのは戦略として大正解だったけれどね。
家康としては北条が甲斐・信濃から手を引いてくれて大助かり。
武田の領国を丸ごと併呑できて、精強でならした武田旧臣も掌中に。
軍勢の強さは徳川>北条だろうけど、経済力では北条>徳川。
長期戦に持ち込まれたら、西国で急成長していた羽柴勢に思うようにやられたんじゃないだろうか。
氏政はあくまで東国の経営と勢力の伸長を望んだわけだが、秀吉の抬頭によってすっかりくじかれる形となってしまった。
1982年の判断ミスさえなかったら…と、北条側の記述が書いてあるのも無理はないかなぁ…。 >>19
氏政は普通に名将レベルの実績
秀吉という日本史上でも最高クラスの英雄には敵わなかっただけだろ >>22
いや、どう考えても北条の戦線が伸びきり過ぎてて無理がある
まだ上野だって抑えきれてない状況で甲斐なんて深入りし過ぎ
それこそ長期戦なんてどうやっても無理、経済力なんて単純な話じゃない
退ける時に退かないと取り返しがつかない事になるよ
で、徳川のその勢力は十分驚異でしょ
徳川は長年この地で武田と戦い続けてた地の利もある
貴方の意見は徳川側から考えすぎだよ
そりゃ北条がリスクも利益も考えず甲斐を取りに来たほうが
徳川にとっては困るだろうけど
北条からすれば上野や佐竹らほったらかしてまで
リスクの高い甲斐に長期的に攻めこみ続ける利点がない >>24
長年武田と戦い続けた地っていうのは、主に三河と遠江なんだが…。
甲斐と信濃が主戦場になったのって、織田・徳川の甲州征伐(甲州崩れ)ってことが分からないの?
北条の戦線が伸びきっていたのは、真田丸にあった通り。
ただ北条にとっては甲斐より上野方面の方がはるかに重要な拠点だったってことだ。
上杉謙信との抗争以来だからな。宿願の地だったわけだ。
欲張って甲斐・信濃に手を伸ばしたが、いささか甲斐に軍勢を向けるのが徳川に一歩も二歩も遅れた。
岩殿(大月)方面に早くから侵攻していれば良かったんだが…。
(攻めるにはちょっと地理的に厳しいところ。北条氏綱は山中湖方面から甲斐へ侵攻しようとした経緯はあったけれども。)
ちなみに北条と佐竹は、長年争ってきた間柄ではあるが、そっちと泥沼で戦していたわけではない。
むしろ家康の方がどちらかというと分が悪かったと見るべきだろう。
北条との和睦は渡りに船。このあたりにも家康の運を感じてしまう。
1983年から1984年の秀吉の膨張ぶりはハンパないぞ…。 >>25
自分のレスでも結論でてるじゃん
北条がリスクを犯してまで甲斐に無理する理由がない
本来であれば上野の滝川もこんなにあっさり倒せる相手じゃなかったのが
滝川のミスなのか北条氏邦の策なのかはともかく想定外に滝川が釣れて
あっさり上野を落とせた事で少し余力を駆って軍を向けたが
もともと無理をする気がなかったんだろう >>26
違う。“北条五代記”とやらが残念がっているように、氏政の判断ミスが徳川を利したと思っている。
あの時点では北条の領国は大きく、佐竹他の大名と交戦状態ってわけでもなかった。
むしろ氏康時代よりだいぶ形勢は有利になっていて、里見との関係も良好化していた。
逆に北条が強気に東から駿東郡方面、岩殿方面からも軍を差し向けて徳川と対戦していれば、窮地に立ったのは徳川方だ。
西の織田勢がまったく頼りにならないどころか、やがては明智・柴田を討ち破った秀吉の大軍に挟まれた可能性が大きい。
二正面作戦の危機は、北条よりも徳川の方にあったと見ている。
(秀吉の織田方恩顧の諸大名の“取り込みぶり”は、ほとんど神がかり的なものがある。足利尊氏以上の…。) >>27
とりあえずそれは無理だって
戦略で言えば無謀の一言に尽きる
滝川並にあっさり徳川を倒せればともかく、戦線が伸びきった甲斐で長期戦は無理
北条が無理をしなかった事が徳川にとって得だったのはその通りだが
だから北条は無理すべきだったとはならない
なんで徳川への嫌がらせで甲斐抑えるために全軍壊走のリスクまでかける必要があるのか
手堅く抑えられる方を優先するのは戦略的に当たり前
まして北条にとってそっちの方がもともと重要だった訳で
後で徳川や豊臣が天下を取った結果から語るのは無責任 織田のような雑魚軍じゃあるまいし
徳川のような精強な軍を相手に楽に勝てるわけがない 上杉しかり
後で徳川や豊臣が天下を取った結果から語るのは無責任
ほんこれ 結果厨って信長が本能寺で無様に死んだことすら忘れて信長マンセーするダブスタ野郎だし
徳川幕府が250年後に滅びたからって勝利宣言するアホに通じる その雑魚軍が天下をほぼ制圧し天下外域もほぼ大手状態である程度まとめておいて
くれたおかげが大きいのもまた事実だけどねえ 雑魚が勝ちにおごって戦線を広げすぎ手薄な本陣を突かれる
北条は織田の轍は踏まなかったね 北条が関東以外を勢力下に置くのは無理じゃないのか?
そもそも氏政、氏直時代はほぼ独力で関東を制圧しようという試みだから信州域に長期に大軍を駐留して戦うのは無理でしょ。確実に周辺諸国、特に東関東や上越方面の軍が西下、及び南下するのは必至。
ついでに言わしてもらえば上野の沼田城を大軍以って計4回も攻略したのに対して全て小勢の矢沢勢に撃退された北条氏直は軍略才能の欠片もないと思う >>30
違うよ、思いっきり関東出身。そういうあなたは東海ご出身?
地政学っていうのがあるけれど、当時の徳川は“まだ盤石の体制を整えたわけではないのに…”という思いがあってこそ、
その五代記の表現はあるんじゃないのか。
駿河はまだ手に入れて半年。精強な徳川勢といっても、北条は背にする大敵が背後にいるわけでもなく、動員兵力からいっても
駿東郡方面から圧力をかける戦略はあっただろう。(実際、今川相手に氏康は戦を仕掛けている。)
結果から語るのは無責任といっても、西からは羽柴秀吉の大勢力がひかえるようになるわけでな。
歴史にIFを求めるなってことなら、北条五代記のあの文言はナンセンスということになってしまう。
何をしても秀吉の勢力に打ち破られていたさ…と言えるかも。
俺的には北条・徳川の同盟(氏政の妥協)は、徳川を利することとなり、北条滅亡の序章になったという話だ。
徳川は小牧長久手で秀吉相手に戦況を有利にすすめながらも、後に講和・恭順。15年も苦労した甲斐あって天下人へという英断。
北条の方は、徳川と同盟結んでも秀吉勢力をどうすることもできなかった。西日本を制覇した相手の実力を完全に読み誤り、時期を失して滅亡。 >>35
何度でも言うけど貴方の掲げてる方法は無謀
まず前提として北条軍が上野を速攻で撃破出来るものとして考えすぎだし
その途中の信州上州が不安定なまま甲斐に来ている事も考慮できてないし
連戦中で戦線が伸びきってるなかで長期戦想定するのも無謀だし
そこまで無理した結果が家康と同盟結ばないためだけという
歴史の結果を知ってるから言えるだけのあまりにも傲慢な理屈
家康に天下取らせないためにどうしたら?の結論ありきから話がはじまってるから
前提も過程も結果も無謀すぎる理屈を平気で並べられるとしか思えない
結果から語るのはあまりにも無責任
江戸に入ってから書かれてる北条五代記はまさにその無責任の塊 てか、今がチャンスだったのに。はとか言うのは、
後年に秀吉や家康がこうなるって、わかってるから言えるだけっしょ。 このスレ熱いw
北条が形勢不利になったのは
ドラマの表現を借りれば、少しずつ食べる悪弊があったんじゃないかな
手堅すぎるというか、リスクを避けすぎているというか、政治力に頼りすぎというか
ドラマの時点だと、上杉、真田、徳川のどことも決戦を避けちゃっている
結局、どの不安要素も根治していないわけでさ
秀吉の小田原攻めの結末を見ても
最後の最後まで、河越夜戦のようなリスキーな選択ができなかったのが氏政の限界だったんじゃないかな >>36
何だか随分と徳川びいきですな。
それに、1982年当時の徳川戦力(石高等を含めて)を過剰に評価しすぎ。
北条と戦を始めた頃は、まだ東海の一勢力。
昨日からのコメント見ていると、「無理」「無謀」ばかりを連発しているねw
仕事でもそうなんでしょう??
結果から語っているのは、実はご自身ってことが分かっていらっしゃらないようで。
北条側から見ると、徳川に譲歩して和睦・同盟してしまったというのは、もしかしたら生き残りの選択肢を捨ててしまったかも、
ということでしょう。
まだまだやり方はあったのに、もったいない選択をしたんじゃないかなぁって思うわけよ。
駿河を突く戦略もあったのにね。 >>38
いずれにせよ、秀吉と良い形で和睦に持っていけなかった事実があるので、
徳川とどういう関係になっても呑み込まれて滅亡していたと思う。
毛利や上杉がなぜこうもたやすく傘下になったのか、
長宗我部や島津があっけなく征伐されたのか、対応を迫られても何もできなかったわけだからね。
リスキーな選択をしてもなぁ…、北条勢は上杉(長尾)・武田・徳川から随分なめられていたみたいだからね。
司馬遼太郎の小説では、散々な評価のされようですよ。
武田の石投げ部隊(小山田隊?)に、ひるみっぱなしの雑魚っぷりなんだそうな。
あれに耐えられたのは越後の上杉勢ぐらいと書かれている。 北条が本気で甲斐をとるつもりなら何度でも攻め込めばいいけどそうはしなかったのは
一度で決着がつくなんてあるかいな 数年間何度も攻め込んではたまた相手の本拠地にまで
こんにちわ^^してやっと手に入るもんだ 徳川とは別に争うつもりはなかったんだろ >>40
司馬遼太郎ソースは眉につばしてみたほうがよいと思うよ
アンチスレにも書いたんだけどさ
石投げ部隊の話を広めたのがそもそも司馬遼太郎なんじゃね?
司馬さんは、ストーリーを本当らしい史実として断言して書く
作家として当然だけど、その辺は三谷と変わらないし
古い分、司馬さんのほうが当てにならない
司馬遼太郎で一番問題なのは、好みでない人物は非常に貶めて書く特徴もある
これもアンチスレに書いた
司馬著作のあとがきに「誰それは嫌い」などと書いてあることがあり、
そういう作家だと思って読まないと騙されるよ >>43
おぉ、アドバイスをありがとう。
著作のあとがきに“誰それは嫌い”ってあったんですね。知らなかった。
ただ幕末〜明治期でも代表される司馬史観が、受け入れられる人とそうでない人がいるように、
戦国ものも偏りがあるんでしょうね。
言われれば三傑の描かれっぷりは非常に詳細ながら、武田・上杉・北条なんてほとんど触れられていない。
まるで興味でもないかのごとくw(関ヶ原系は除く)
何せ、関ヶ原→新史太閤記→城塞→覇王の家、と読んできて、独特のクセみたいなのはあるなぁと思っていました。
国盗り物語はまだ未読ですが…。 >>37
そう、それだけのこと
北条五代記みたいな江戸の創作小説だとそういうのは多い
>>39
貴方が徳川アンチなだけだって
と言いたいが読んでる著書見て納得
司馬遼太郎著作は俺も大好きだけど
作者本人が関西出身で家康を悪役にしすぎたと明言するぐらいだよ
ただあくまで創作だから客観的な状況から
不可能な戦略は無謀としか言えないだけ >>44
俺も全部読んでいるわけじゃない上に
おかげさま(?)で現在手元に司馬遼太郎の本が一冊もない状態なので
具体的に指摘できないのが申し訳ない
確か佐々木高行について明確に嫌いと書いてあった記憶がある
あとがきと本文にも書いてあったような覚えがある
ちなみに近藤勇もちょっとバカっぽく書かれていたと思う
土方歳三が好きみたい
あと、基本的に勝ったほうを賢く書く
敗者に焦点を当てる場合も、基本的には愚かな選択をしたという底流で書いてある 北条が失敗を犯した一つの要因は外交政策じゃないのか。
本来なら周辺諸国と同盟の上、仮想敵国を作って攻略、石高が上がればそれにものを言わせて恭順政策なのに結果失敗。同族の結束力で個別の敵を攻略の繰り返し。
主だった同盟関係をみても
三国同盟→武田は信濃ほぼ制覇、今川は義元は討ち取られたが西上侵攻(上洛)北条は関東制覇もたえず千葉や北関東で反乱続出
相越同盟→互いに猜疑心ばかりで結果として景虎を謙信養子に出した際の1度だけ
家康、氏政同盟→関東制覇という目先の小事に気を取られ台頭の秀吉との関係に後手を踏み結果北条滅亡
少なくとも氏政、氏直に過大な評価というのは有り得ん。石高の大きさ有りきで判断するのは乱暴過ぎだ 後北条→善くも悪しくも前時代的な武将
既に亡くなった上杉謙信や武田信玄、今川義元と同格の領主であった
時代の流れに取り残され気付いたら滅亡する羽目に陥ってしまった >>48
群雄割拠の戦国時代黎明期から混乱期に活躍した大名だから前時代的は理解も出来るが止む無しとも。
信長は徹底してスピード重視なのでその部分で理解は出来るかな >>47
三国同盟は全く問題ないだろ
信長にはいち早く近付いたのに秀吉を侮った外交が何よりの失敗
それ以上でもそれ以下でも無いよ
ただそこまでの関東で勢力を拡げた実力自体は本物 >>45
厳しい言い方をしてしまってごめんなさいね。
お察しの通り、上方びいき(豊臣びいき)なので、徳川のことはどうも好きになれないw
だけど最終的な勝者にして、長年の隠忍自重、松平郷の小豪族からの天下人なので、素直に凄みは認めている感じかな。
中国の石勒っていう人物の言葉じゃないけれど、『寡婦と子供をあざむいて玉座を奪うような奴(魏の曹操のことね)のマネはいやだ』ってところに共感するものがある。
多分、子供時代に観たTBSの関ヶ原で、西軍(加藤剛)を応援していたのが、今に至るまで影響しているのかも…w
歴史好きな方とのやり取りって、やはり面白いね。
時代背景とか、いろんな見方を持っているからかな。
今日放映の真田丸は、相当面白かった!
沼田城攻防戦で、矢沢頼綱がああいう風に描かれていて、1988年以来の武田・上杉好きにはたまらない展開だった。 秀吉もかなりえげつないことをしているんだからお互い様だろうに。
徳川がというなら豊臣も、豊臣がというなら徳川もなだけだよ。 戦国も数十年続けばおのずと大勢力が出てきて収束されるのは時代の流れだわな
大が小を吸収合併していくのは現代も一緒 北条はたまたま最後に残された秘境だっただけ
場所が違えばだれでも北条のようになった >>51
3代までは認めるよ。それ以降は話にならんがw 実況&本スレより(書き込みがすげー面白かったので、ここにも載せとこうw)
さすが武田武士、意地見せましてござりまする〜w
> 矢沢頼綱さん、使者を3回殺す。しかも全部自分の知り合い
> 1回めの使者、倉賀野淡路守(矢沢さんの友達)の縁者
> 使者 「約定通り沼田くれ
> 叔父上「知るかボケ(シシャコロシー)
> 2回目 内藤昌月(矢沢さんの元上司)の縁者
> 使者 「最初の使者なにか無礼があったかもしれないのは謝る
> 既に国衆もあなた以外は北条方についてます。なんならウチに仕官してもええですよ真田安房守殿も云々」
> 叔父上「ごちゃごちゃ五月蝿いんじゃ」(シシャグサー)
> 3回め 滋野一族(真田家の本家筋)の縁者
> 使者 「沼田明け渡す気ないのかな?返答しなさい、使者は生かして帰すもの。使者殺したら撫で切りにするからな」
> 叔父上「やれるならやってみろや」(シシャグサー)
> 氏政ぶちギレた 三国同盟のお陰で武蔵から管領勢力をほぼ一掃できたわけだ。
因みに親父信虎は、扇谷と縁戚になってさんざ氏綱と戦った訳で
やるとしたら信玄より先に義元なき後の今川を滅ぼすしか無かった
ただ、関東制圧がお家の命題だった気が >>56
北条早雲、氏綱、氏康は優秀、氏政、氏直は暗愚 北条一門の悪役っぷりに小田原市民は怒ってますよ!
ほとんど精神異常者じゃねーか! 小田原育ちだが、小学校で習った北条氏政、氏直とは全然違う。あれじゃキチガイ親子。 氏政は北条を滅ぼした愚か者と記する書物が多いが
それらは結果論であり、実際は西国の権力者には従わない
東国武士の誇りを貫いた領主というのが最近の評価だね。
また氏直は秀吉の北条攻めの交渉では自分の命と引き替えに
家臣全員の命を救うよう懇願したほど家臣思いの人物。 まあ、400年前の人の人物像なんてわからんわな。ただ、真田○は演出過剰過ぎだろうなw >>71
東国武士の誇り?
入植者の癖になにいってんだ?W 今回の北条の立ち位置はキモキャラ担当なんすかねw
毎回、腹抱えて笑いながら見てるよ。
>>63
小田原市民が怒るのも無理ないね。同情しますw
金平糖もぐもぐ食ってるのって、演出?史実で甘党だったの? でも小田原城の土産物屋で金平糖売ってたら買ってしまいそう >>75
演出、甘党だったという話は逸話でもないし北条家家訓からしてあーいう贅沢品類を
食ってばかりというのは違和感がある。
それと北条といえば栗なんで栗を使った演出とかあればいいのにな。 >>73
入植者だからこそそういう物に憧れ大切にするのは分かるような気がする 高島氏政結構いいけどな
高島兄に北条氏照やってほしいぐらい
兄弟逆になるけどイメージはあってる
ところで氏政を悪く書いてる書なんて北条五代記ぐらいしか知らん
後は五代記参考に書いてるもんだけでしょ
氏政は特に政治面での実績は結構多いし >>80
いかに視聴者に最後の小田原評定のイメージが強いってことですわな
氏政くらいまではちゃんとしてるのに >>83
ブラタモリで惣構えの城下町を作ったから。 >>84
それで氏政はちゃんとしてるんだ?w
じゃあ結構ちゃんとしてる大名多いね >>86
日本全国の惣構えは小田原のを参考にして作られたらしいが 東武士は大方強敵どもなり
上方の弓矢すえになりたる国ども
上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て
上方武士は、歩の頸を一つ取りは、侍の頸を十も取りたるやうに、針ほどの事を棒程に過言を申と、山本勘助が話を聞き候如くあるべきなり。
信州(武士)弓矢功者の事は、侍の事は申に及ばず、百姓まで勝負のすべをよく存じたる
信州弓箭つよき事、大形ならざるに付、忰者・中間まで武勇をたしなみ、にげおつる者さのみ無之して
関東の儀、昔より弓箭国と申は、まず武蔵は武の蔵とやらん承及候。(中略)よき武士あまた候て、(中略)弓矢巧者、手柄武士達際限なく御座候事、老若共に沢山なる儀は、積もられぬ程にて候
関東の敵馬上の戦ひよくして、馬を入乗きり、足軽上手なれば
三河は武篇の国なる故、五千あらば上方の二万にかけあひ申べく候。(中略)三方ヶ原御合戦に、討死の三河武者下々迄、勝負を仕らざるは一人もなく候。
三河国、日本六十余州にて、人のかぞゆる侍の、武篇かせぐ国なれば
たけき武篇の家、和朝に上杉謙信・徳川家康なり。
(『甲陽軍鑑』)
今度上様(織田信長)東国御出馬付、当国(大和国)衆自昨日上洛
(中略)
甲斐、越後之弓矢天下一之軍士之由風聞、一大事之陣立也
(大和国興福寺『蓮成院記録』) 敗者をかっこよく描く大河なのに、北条親子だけなぜこんなキャラなのか
室賀さんですらちょっといい奴になってきたのに
これじゃ小田原攻めで北条滅亡したらザマァとしか思えないよw >>92
後北条氏自体は東国武士じゃないと何度言ったらわかるんだ!?w
ついでに言えば甲陽軍鑑の改訂版は創作多いよ。理由は…関東詳しければ理解するよねw
わざわざ長文書き込んでごくろーさまw
>>93
その城は成田氏の居城。国人衆で元々後北条氏とは敵同士の間柄だよ 歴史は知識をかじりかけの奴ほどリスペクトがなくて極端
どれだけ恥ずかしい事書いてるか、後で気付ければまだ良い方 さすがに顔芸とキレ芸だけで話題になるような演出ばかりだとモヤモヤする
武田や上杉と比べると真田との関係が濃くないからドラマ的に単純な悪役にしやすいんだろうけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています