【2018年 大河ドラマ】 西郷どんアンチスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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本スレとキャスト予想スレがアンチの巣窟となっております。
その原因を探ると、アンチスレがないからだということがわかりました。
ということで立てました。
本スレやキャスト予想スレにいる皆さん、迷惑なのでこっちに移動して
下さい。 想定外の不振に焦って工作員使うにしても
もうちょっと有能な奴雇えよと言ってやりたくなる 前のクソドラマの名前出てくる時点でよほどクズなんだろうなと 信者も工作員も困ってることだろう
ドラマの内容そのものでは薄っぺらすぎて
どう頑張っても擁護できる部分が無いからな
それ以外の部分でアピールするしかない 龍馬なら、どんなに脚本が糞でもある程度の視聴率は望めたと思う
その点、西郷は華がなくて可愛そうだわ、イモっぽいところがね
天地人も原作脚本ともにアレだけど主役がいいので高視聴率 >>730
なんだろう….すがや愛かな、糸、おとら、篤姫といちいち女性と絡むのが気になる
西郷隆盛を語るのに必要な人達ではあるけれども(特に篤姫)もっと描写するべきところがあるだろと
恋愛物語にしたいのかなあとちょいちょい思ってしまう
男性向けメロドラマみたいな感じ 何もしてなくても周りがチヤホヤしてくれて
女にはモテモテ、な構図が
爺さんたちには心地よいのかもしれん >>731
思ったとおりの反応、酋長馬鹿にされたら鹿児島民はすぐムキになるね 薩長政府の維新政府は体制側で、その子孫が今の自民党政府を動かしてるし
みんな生生しくて嫌いな人も多いんだろう。
西郷や大久保は薩摩の役人で組織の人間だし、竜馬みたいな反体制の自由な
一匹狼でもないから、かっこよくもない。
大野靖子脚本の幕末物「花神」は陸軍の父の大村益次郎(村田蔵六)が主人公だが、
長州の支藩の村医者出身で武士ではなく、冷遇され差別される階級。
独力で努力して大阪の緒方洪庵塾で、オランダ語と医学を学んだ学者。
四国の宇和島藩に仕え蒸気船を作り、幕府にも使え、ようやく長州藩に実力を認められ
軍事専門家として愛郷心で仕える。
医者で学者なので合理主義者で近代的で、批判精神旺盛で毒舌家で、旧態依然の
体制批判や長州の官僚にも皮肉を言う独立独歩の人間。
シーボルトのハーフの娘の女医とは医者仲間で師弟関係があり、プラトニックラブ。
西郷みたいな保守的な軍事オタクではなく、福沢諭吉みたいな西洋を理解してる合理主義者
で常に体制批判だからおもしろかった。
西郷は今の時代のニーズには合わない主人公。 >>740
ドラマでは蔵六とイネはプラトニックな関係なのか。
原作では一度だけ結ばれたような描写がある。 もう有馬さぁのこと誰も覚えてなさそう
これから有名人たくさん出てきても
みんな西郷どんageに使われて使い捨てられていくんだろうな 原作読んだのは昔だから忘れているかも。ドラマは総集編しか見てない。
西郷どんは、主婦・母親・姉・妹・芸者・娼婦しか出てこないから、今の視聴者には退屈だろう。
TBSの日曜劇場で「天皇の料理番」のリメイクがあったが、主人公の料理番の妻は
時代のニーズに合わせて、専業主婦ではなく、産婆さんの職業婦人に改変。
亭主関白の主人公も家族思いの男にかえ、パワハラ満載の職場もソフトに改変。
パリで出会う女性も自立した女優だし、昭和のドラマと平成のドラマは違う。
西郷どんは、愛加那が反体制の女戦士から子育て妻になって魅力半減。 >>738
爺さん達は、大河とかすげえ真面目に見てるから
入浴シーンも無いのに女がしゃしゃり出てくるような
大河など、到底許容できない そういう爺さんたちは序盤で脱落しただろ
今残ってるのは島耕作とか喜んで読んでるタイプの爺さん 時代劇とか大河なら基本何でも見る層が逃げてる上に
普段見ない層も大して食いついてないという どんなつまらん大河でも見るのが7%だから浮動層もまだ見ている 以前入院したときの内視鏡検査では担当の若い女医さん(美人)は
そっと優しく入れてくれてよかったんだけど、途中で代わった
ベテランのおじさんはぐいぐい押し込んできてつらかった。 幕末ものなら何でも見る層が花燃ゆ参考で9.3%や
現時点でそれに上乗せされてる3%のうち
半分くらいはキャストについてるファンではないか 島耕作はまだ何をしてもって今の地位にのし上がったかわかるし女性にもてるのもわかるが
この西郷どんは一体何をしてる人なのかさっぱりわからん
上司の使い走りと鰻捕まえたのと農作業手伝ったくらいしかなんやようわからん
がんばってても中途半端の尻切れトンボ
なんで崇められてるのかモテてるのかわからん
ジャンプ主人公でもまだ魅力的な部分描写されてるぞ テキトーにジャンプをパクる昨今の大河なんてこんなもんだろ 庭掃除しながら左内とつるんで
ちょこっと同人誌作ったり
ヒー様の手下になって
捕物帳ごっこしたりしてただけなのに
いつの間にやら伝説の大人物に 花燃ゆの時も確か欧米との戦闘シーン無くてびっくりしたから薩英戦争もやはりかって
感じ。戦争を肯定してると思われるの避けるためみたいな、そうせそういう類の理由。 禁門の変の描写もきっと八重を超えられない
薩摩軍を率いていた西郷隆盛主役の大河なのに
全然期待できなくて笑える 西郷どんは戦争を肯定云々より
島編で製作費の大半を注ぎ込んだから
金の掛かる戦争シーンが
出来ないんじゃないのか 金以上にやる気がないんじゃないの
ここ数年大河でまともな戦闘シーンを見た記憶が無きに等しい >>760
確かに。
大河で最後に見て印象に残ってるのは、
八重の会津戦争のとこだな。
それ以降の作品では、短いシーン
ばかりでなあ。 武士が刀を差してそっくり返る時代は終わるんだと宣言していたよ
読解力のいらない戦争シーンが君たちには必要なのは分かる気がするがな 大河は昔から戦争シーンはショボいよ
葵や八重は映像を他の番組でも使い回すために
特別に予算取って作っただけ
西郷どんは島編に予算突っ込んだし
後は西南戦争まではショボいシーンが続くかもね 島編視聴率良かったから報われたかも
美しく取れてたから 戦闘シーンに金をかけて良かったのは「キング・オブ・信長」だね。
一部ユーチューブでも見れるが、長篠の戦や姉川の戦いは映画並みのクオリティがある。
バブルの頃なのか?予算をかけている。
エキストラや馬もたくさん使い音楽で誤魔化していない。
無音で戦闘の激しさと迫力だけで見せている。戦闘が終わってから音楽が入る。
今は予算削減だし動物虐待になるからもうこんなシーンは撮影できないらしい。
パスして見てなかったけど「篤姫」は孫みたいに思う爺さんファンが多かったとか。
日本の歴史は女は脇役。本当に国を治めたのは持統天皇ぐらい。
海外だと、スペイン無敵艦隊を破ってイギリスを一等国にしたエリザベス女王とか
イベリア半島をイスラムからキリスト教徒に取り戻したスペインのイザベラ女王とか
プーチンが尊敬するロシアを近代化しトルコと戦い領土を広げた啓蒙君主の
エカテリーナ女帝とか、スケールの大きい女宰相がいて、政争に戦争に外交に陰謀に暗殺と
波乱万丈で面白いけど。 近年で良かったのは八重の戊辰戦争
逆に酷かったのは平治の乱 平清盛の保元の乱と平治の乱は、1対1を基調とする「平安の戦い」(周りは見守る)を適切に描いていた。
にもかかわらず、当時2ちゃんでは、盛りに盛った軍記物を持ち出したり、酷いのになると、戦国大河や近代戦を基準に
「ショボい」と大騒ぎする連中が大量発生したのである(おたくらのことだ)。
もっとも、乱勃発までの経緯と戦後処理を重視した清盛では、本戦描写についても、ただドンパチ、チャンバラやることよりも、
「戦場における」人間ドラマに力が注がれていた。個別に特徴を見ると、
保元の乱では、軍記物の誇張を強弓無双ガンダム為朝一人に担わせるなど、エンタメ要素にも配慮していた。
勝敗について、最大武門である清盛平氏が後白河方について参戦したことにより、その時点でほぼ戦いの帰趨は決着した。
しかし本作は、そのような身も蓋もない客観的要因では満足せず、当代きっての切れ者学者ー信西と頼長ー両指揮官による「頭脳戦」
(孫子同一命題の真逆解釈)が勝敗の行方を大きく左右したと再解釈することで、保元の戦を勝ち抜かんとする両陣営の
意志と頭脳のドラマに置き換えた。
清盛vs忠正、義朝vs為義2組のタイマン対決も、刀と刀のぶつかり合い以上に情念と情念とが火花を散らす人間ドラマであった。
他方、平治の乱では、「大将が前線に出て一兵卒のように大暴れする」大河、時代劇お約束の見せ場を断固排して、
終始六波羅の後衛(大本営)で戦況を操り、一つ一つ双六の駒を進めて逆転勝利に繋げた指揮官清盛が描かれた。
こうした平治の乱のマクロな要因、乱勃発後の刻々と変わる戦況を的確に描出した果てに、賀茂川河川敷されど2人以外誰もいない、
あたかも仮想現実のような異空間で挙行された「早すぎる源平合戦第1ラウンド」こそが、かの清盛vs義朝の一騎討ちである。
また、軍師官兵衛は山崎合戦など省略に近い扱いもあったが、そもそも戦国大河ですべての合戦を同じように金かけて
やるのは不可能であり、前半の局地戦や中国大返しなど、見ごたえのあるシーンもたくさんあった。
八重の会津戦争が素晴らしかったのは言うまでもない(再現ドラマ性と臨場感)。
花燃ゆとおんな城主は合戦を見る大河ではないからあれで良い。西郷はすべて西南戦争にとっておくものと期待したい。
12年以降で合戦描写面から一番物足りなかったのは、おたくらを激怒させて済まぬが真田丸。
大金かけた割には臨場感に乏しかった真田丸攻城戦(エキストラの突撃。例によって実質大将信繁が颯爽と飛び出して雑兵とチャンバラ)。
夏の陣ともなれば、上田にいるはずの信之が、ななんと決戦前夜に大阪城の奥深くに潜入して弟と対面する超絶ファンタジーに、
徳川方はほぼモブという大会戦の迫力とは程遠いチャンバラ劇。極めつけが殺風景なススキノ?で行われた信繁vs家康の「一騎討ち」。
こちらは清盛@異次元空間のようなロジックに欠けた上、ちょっとばかりの護衛がいるため「二人だけの世界」とはなりきらず、
現実、仮想どちらともつかない中途半端なものに終わった(「真田信繁、お前は戦いしかなかった男じゃー」なる家康の謎発言付き)。
そして、スワっ家康ピンチというところで都合良く秀忠が現れ、他方、信繁にはどこまでも便利屋の風車の弥七、じゃなかった
佐助が登場する水戸黄門の世界さながらの夏の陣と相成った。 【一騎討ちのロジック】
(前略)しかし、その前史においては、忠盛と清盛が源氏とのwin-winの関係を志向したことが重要で、このことを理解することが
平治の乱での「一騎討ち」を適切に位置づけるためにも必要だ。もっとも理解されず嘲笑されたのが一騎討ちゆえ再論する。
源平ライバルは、武家の覇者という一つの椅子を巡り、いずれはNo.1決定戦を挙行して決着をつける運命にあった。
しかし、武士の総体が未だ堅固な貴族体制に劣位する段階では、下手に戦って共倒れしては、旧体制を利するだけだ。
そのことを、深謀遠慮の人忠盛はきちんと自覚していた。
「為義殿、斬り合いとならば共に終わりぞ。源氏と平氏、どちらが強いか、それはまた先にとっておくことはできぬか?
[その勝負は武士が朝廷に対して十分な力をつけてからでもよいのではないか]」
この4話殿上闇討ち回(【源平棟梁間最初のタイマン対決】)における忠盛発言は、その後の源平間の関係を強く規定した
〜視聴者がずっと頭に入れて何度も反芻しなければならない台詞の一つ。
やがて軍事力を発揮して保元の乱を制したものの、清盛には未だ国政を担う力量もなければ、貴族を圧倒できるだけの力はない。
父の言葉をしかと受け止めて戒めとした清盛は、信西の知力を頼りながら国造りに参加し力をつけることが、何よりも大事な
喫緊の課題であると考えた。
他方、父親殺しに手を染めたというのに報われず、恩賞他あれこれ不満を覚え焦る義朝は、
「今は貴族たちに対して互いに力を蓄える時だ、我慢せよ」と自重を求める清盛からの再三の忠告を撥ねつけて、
ついに信頼の甘言に乗せられる形で、クーデターという途方もない軽挙妄動に走ってしまった。
【源平棟梁間二度目のタイマン対決】となった平治の乱での一騎討ちは、武士の力の総体が未だ貴族を圧倒するに至っていない、
したがって、武士の長者決定戦(歴史上の平治の乱の決着とは区別される)は未だ時期尚早の段階において、
「親の教えを守った清盛」と「守れなかった義朝」との間で挙行された「〈早すぎる〉源平合戦第1ラウンド」と位置づけることができる
(3話の競べ馬以上に4話からの帰結が重要。リアリティを欠く異次元空間は、この仮想現実ちっくな一騎討ちの場に相応しかった)。
そして、平治の乱後20年の時を経て、朝廷の内部に食い込んだ清盛の奮戦によって、時代はようやく
「武士が十分な力をつけた歴史段階by忠盛」へと突入した。
この段階で挙行された「源平合戦本戦ラウンド」こそ〈歴史上の源平合戦〉に他ならない。
ところが、頼朝の挑戦を受けて立ち直接出馬しようとした矢先に、清盛は熱病で倒れてしまい、頼朝との【源平棟梁間三度目のタイマン対決】
の機会(最終決戦)を永遠に失ってしまった。
清盛の死後、唯一無比の大黒柱を失った平家一門は運命に抗することができず、壇ノ浦に沈んだ。
かつて助命時に「俺の国造りを指を咥えて眺めておれ!、真の武士とは如何なるものか見せてやる!」と暫定敗者頼朝を突き放した清盛は
(髭切突き刺し=返還→這い上がって来いとの真意を政子が見抜く)、すべての勝敗がついて最終敗者となった後、
イタコ西行に導かれて陰府から現れ、サバサバとした表情で武士の世の建設を頼朝に託した〜「真の武士とは如何なるものか見せてみよ!」。
【敗者から勝者への志の継承】
そして長大な清盛物語は、ついに頼朝のラストワード〜「平清盛無くし:て武士の世はなかった」によって大団円を迎えたのだった
【勝者から敗者へのオマージュ】→1話冒頭へ回帰
以上、源平三世代が繰り広げた関係性の全体を、源平vs旧貴族体制の対立軸にも留意しつつ俯瞰することで、
さらにその中間点に一騎討ちを位置づけることで、それは「荒唐無稽なファンタジー」※※※どころか、平清盛という一個の論理的構築物に
不可欠な構成要素であったことが明晰判明するのである。
※※※歴史上の平治の乱について、原因、勃発までの経緯、勃発後二転三転する戦況、六波羅の後衛で戦況を完全にコントロールする清盛、
一人勝ちとなった歴史的意義、などを的確に描いた上での一騎討ちであったことを忘れるべきではない。
なお、愚管抄には、六波羅に迫る義朝の軍勢に対し、単騎迎え討たんと出馬する黒づくめのカッケー清盛の描写がある。
一騎討ちはフィクションであっても、シチュエーションや衣裳考証含め、無からでっち上げたものではない。 スペシャル挟んだから前回までの展開忘れちゃったな
忘れても全然問題無いけど
なんか似たような展開の話ばかりだから印象に残らん
西郷どんいい人アピールして
薩摩藩士がギャーギャー叫んで
歴史事件ちらっとやる、これの繰り返しだけ ギャーギャー五月蝿いのは漫画の影響
低視聴率大河によく出てくる怒鳴ってばかりのバカ主人公 >>771
それってまさに清盛のキャラ連中だな
平安時代だってのに全く品位も何も感じなかった
龍馬伝から始まった気もするが 清盛初期は伊勢平氏なんて誰それ?程度の知名度だったのに品位とか笑わせるわ お前ら、西郷どんに興味無いのは仕方ないが
清盛の話で喧嘩するのやめろよ(´・ω・`)
ここ一応西郷どんのアンチスレだから >>771 >>772
・しかしまあ、後半の清盛なんて盛国すら何考えてるかわからない、真意を語らないキャラだっただろうに。
そうした父に振り回されて苦悩を深めた重盛であるが、最後まで直情径行キャラとはまさに真逆の沈着冷静な「賢人」キャラだった。
赤い羽根から真相を悟り、すっかり清盛から虚仮にされたことに衝撃を受けた重盛は、一門の面前でどう振る舞ったか?
怒りを爆発させたか?そうではない。喜ぶ彼らにただ微笑で答えたのみだ。しかし、その重盛もついに糟糠の妻経子の前で慟哭した。
こういうのを「直情」と言うのだろうか?(平家の人々の思惑が複雑に交錯する殿下乗合事件回は、台詞以上に彼らの表情
〜ポーカーフェイス、アイコンタクト、微笑による猜疑、驚愕、不信〜が多くをあるいは何かを語った)。
・そして、まさか決死の覚悟と確信を抱いて臨んだあの「忠ならんと」の慟哭が「直情」だと?
・盛国が直情的?元々寡黙な上に、後半はグッと堪えて表情だけで演技する場面だらけではないか。
だからこそ「ヤメヨー」の大喝が恐ろしいほどのド迫力で鳴り響き、清盛その人に突き刺さったんだよ。
・策士であり曲者の時忠が直情的だと??冗談はやめましょう。
・竹馬コンプに苛まされ続けた宗盛(木下強奪エピとの驚異的な接合)。かつての平家物には見られない能力不足の自分を見つめる視点をもった宗盛。
敬愛する重盛へのコンプと密かな野心との狭間で葛藤し屈折した彼だからこそ、ド直球を投げ込んだ一世一代の還都諫言が
頑迷な清盛を動かし得たのである。
まさかこの女は、宗盛が身を投げ出したこの歴史的名場面をもって「直情的」とほざくのだろうか?
・後白河、頼朝については略(ギャーギャー五月蝿いキャラとは、100万光年の距離があったこと言うまでもない)。
・このように清盛の登場人物たちの感情の爆発や慟哭さらに嘆きなどは、常に息の長い線的描写の果てに訪れたものである
(他に、「誰でも良ーい清盛」と穴で出会い「清盛その人」を求めながら穴で終わった信西。「我が子よー」の忠実、
文字通り大咆哮し直ちに行動に出た治承クーデターでの清盛〜重盛を賭けた最初の双六からの因縁など)。
・ それがこのスカスカババアには、「臨場感がない」、論理的なアタシ()には「直情的」、「小ネタのシークエンス」、
深くモノを考えないでその場限りの感動ポルノを好むような「実況民向け」、「漫画大河」となるのだそうだ。
ほんま世の中「センス ofワンダー」(大河清盛を絶賛したアメリカ文学、SF批評の慶大巽孝之)に満ちておりますわねw
なお、考証高橋先生が捉える清盛像を再度確認すると、合理的(迷信嫌い)、激情の主(感情過多)、下々にも優しい、
先見性、常識に縛られない、新し物好き、果断な決断力・行動力、外向的、包容力など。
若い頃の激情キャラや治承クーデターで見せた怒髪天を衝く怒りなどは、まさに清盛の「本性」なのである。
ところがこの阿呆どもは、このような人物たちのキャラ特性なんぞ何も弁えず、昨今の大河はーの一バリエーションとして、
「すぐ叫ぶ」「ギャーギャー五月蝿い」を挙げ、それこそギャーギャー喚き続けている。
(この間は「年がら年中土下座ばかり」と叩き始めたは良いが、「龍馬も西郷も最初の頃だけだけど?」「八重もやってたね」
「昔の秀吉もそうだよ」と反論されてアタフタ。「だけど八重の土下座は意味があったー」だとさw)
しかし、昔も今も(政宗なんて最後の方まで「五月蝿かった」)主人公は(キャラの違いによって程度は異なるが)
叫びもすれば落ち込んで黙りもしてきたのである。 は?俺は西郷どんを人並みに批判しているが、お前らのように誹謗はしない、喧嘩もしていない。
「昔は良かったー。昨今の大河はー、ただし風林火山と八重前半と真田丸はー」
のいつものババアどもが、またぞろ判で押したようなダブスタ独善「土下座がー」「叫ぶ主人公がー」
をおっ始めたもんだから、世間の皆さまに警戒警報(鵜呑みにしないでね)を発っしたまで。
西郷を批判するにしても、「直情径行」「猪突猛進」キャラ設定抜きに、土下座や叫びに
難癖つけたところで説得力はない。まして、それを「八重と真田丸除く駄作大河の属性」
のように一般化して「昨今の大河はー」をおっぱじめるアホバカぶりときたら、世間の皆さまに
紹介して楽しんで呆れて憐れんでもらうしかないでしょw >>775
ゴムゴムのガトリングと河井継之助のガトリング
強いのはどっちだ? まるで昔は良かったーには、「泣き叫ぶ」「ツバ飛ばす」「五月蝿い」
キャラなんぞいなかったかのような言い草。
・太平記の直義、護良
・武田信玄の義信
・翔ぶが如くの有村
・真田太平記(準大河)の角兵衛
女では
・翔ぶが如くの糸ー途中まで五月蝿いことにかけては西郷どんの黒木なんか到底敵わない
などが思い浮かぶ。
しかし、彼らは「昨今と違って品が良い」ので対象外なんだろうか? >>774
>>782
下級武士や身分の高くない者は構わないが
家老や大名、老中が口から唾飛ばして喚くのは不自然
ましてや天皇や上皇、法皇がギャーギャー喚くのはどこの大陸のドラかと思ったわ >>783
中華皇帝と朝鮮国王は感情を表に出すみっともない民族の「王」だけど、
万世一系、我が皇室の神聖な「神」は感情を表に露わにすることは一切ありませんキリッ
見てきたのか?こんなことにまでお隣が好きで好きで気になって仕方ないヘイトスピーカーさ。
平安の人々は現代よりよほど感情過多で、しかもそれを包み隠すのがマナーであるような社会のコードはなかった。
神聖な御所内でも痴情絡みの喧嘩や暴力沙汰がしょっちゅうあったという(御堂関白記)。
さらに愚管抄によれば、鳥羽臨時の際に面談をすげなく断られて激怒した崇徳は、(ドラマとは異なり)
腹いせに従者に命じて石飛礫攻撃を仕掛けて鳥羽配下の者を負傷させたという。
つまり、当時の人々は上から下まで激しやすい性質の持ち主が多く、しかもそれをストレートに表出していた
ことが窺われる(崇徳の激しい性格については、強烈な執政意志の形で描かれたー「謀りおったなーナリコー」
「待つこと13年!」)。
天皇、上皇が常にツンと済ましていた保証はどこにもないのである。もっとも、ドラマで彼らが感情を表出したのは、
プライベート含む「人間天皇」「人間上皇」の局面であって、公式な行事の場で叫んでいたのではもちろんない
(上記崇徳は例外ーしかしあそこで激怒しない天皇などいるのか?幕末の孝明天皇も側近の前では感情を
顕にして幕府に長州に激怒したという。後醍醐の激しい性格も有名)。
いつ何処でも如何なる場合でも、我が皇国の主人は感情を表して「喚く」ことはない・・・
何を根拠にそんな「非人間的」なあり様が導かれるのだ?もしかして「天皇は神聖な玉体で神」だから? >>784
お前でいいや、なんか答えろ
毎度それが勝利宣言じゃ自分が情けなくなってくるだろ それ以前に、「ギャーギャー喚いた」しかもそれが「あり得ない」シーンって誰のどこのことだ? >>767
>花燃ゆとおんな城主は合戦を見る大河ではないからあれで良い。
別に丹念に作りこんだ戦闘シーンを見せて欲しいわけじゃないが、戦争ってけっこう
大変なことだし、しかも長州にとって煮え湯を飲まされるような体験だったからそれが
まったく無いってのは流石に不自然だったよ。長州の楽勝だったのならまだしも。 タイムスクープハンターのスレで武士や町民が汚すぎる
これはNHKの反日工作だって騒いでたネトウヨ思い出した 鳥羽臨時→鳥羽臨終
特亜がーの婆さんが信じこんでいるように、天皇・上皇は「感情をもたないロボット」であるなら、
鳥羽朕は平安のファムファタールたまちゃんから九尾の狐ナリコに乗り換えることもなく、
近衞帝も生まれてなかったかもしれず、後継者争いも起こらず、保元の乱も起こらなかった・・・w
「あはははお前は物の怪だー」と叫んだ鳥羽朕@事後のベッド=超プライベート空間にて >>788
省略の程度問題のことで、歴史の流れを押さえるために必要な大事件まで完全省略して良いとは言っていない。
凄く重要な戦なり事件で全省略しちゃったのってあったかな。
花はあんまり覚えてないw >>786
お前何様のつもりだ。言葉使いに気をつけろカス。 清盛長文は西郷どん嫌いなん
直虎は褒めてたの見たが 嫌いじゃないよ。島編は褒めた。
しかし、多くの人が批判している点を自分も共有している(多数意見の場合はだいたいお任せ)。
最近はあえて一言擁護なり批判なり書きたい気が起きない、お父さん助けてw 今週は凄かったな
あまりに酷すぎてツッコミが追いつかないw
とりあえず女が全員キャバ嬢紛いなのはどうにかしろ
どいつもこいつもグーパンしたくなるような雌豚ばっか わかってるつもりでも、まさか禁門の変までがセリフの説明だけってのは予想して
なかった。しかもまるで他人事のようにw そのせいでかなり脱力してるところに
大久保一蔵の畳回しがトドメ。 あと映画の「半次郎」とかぶって良いから北村有起哉が大久保役やればいいのにと思う。 禁門の変は次回やるぞ
つうか西郷隆盛の初陣なんだから西郷居ないと始まらんやろ 俺たちがこれからの西郷age要員です!みたいに冒頭でまとめて新キャラ出てきたのは笑った 新キャラ一同「西郷吉之助なくして無血開城はなかった」 西郷が可愛そうでございますの所で爆笑したw
役付にしたのにこの扱い、可愛そうなのは久光の方では?
-‐'""'ヽ
‖ 革 ヽ
‖ 命 >
‖ _,:ー'´
‖/~
‖
/'‖__/ ヽ
/ ‖ _ ヽ
/ ´ ‖ー/ ` l
|. ‖∨ !
ヽ/ ̄)( ̄ ̄`":::ノ
/ / ‖ `'ー、.::ノ
ヽ:.ノ ‖ '::::|
Y ‖ :::| 史実通りに作ろうとすれば物騒なもの(特に幕末もの)になる
それを避けようとするとファンタジーとかスイートとか言われてしまう
完全なジレンマ
大河ドラマはそろそろ方向性を変える時期が来ていると思うわ だったら幕末なんてやめちまえと思うわ
戦国幕末ばっかりでいい加減飽き飽きしてるし 中世のほうがもっと物騒だろ…去年なんて身内や仲間がバタバタ殺されていったのに
まぁ来年は物騒じゃない近代大河だから応援してやれば 物騒な幕末ってどういう意味だ?
史実再現度のことなら、八重よりも徳川慶喜のほうがなお厚い。
荒々しいエネルギーのことだったら、花神があるし、龍馬伝もこちら方面では魅力を放った。
人が死ぬというのなら、花もゆも多くの志士たちが死んだ。
八重は真面目に取り組んでいたが、会津美化がないわけではないし、殿も西郷も慶喜も孝明天皇も、
そして主人公八重についても、おしなべて彼らに特有な灰汁を綺麗に脱臭する方向での上品な作りが、
物騒な幕末の混沌としたエネルギーを削いでしまったことは否定できない。
西郷どんは、いずれの意味においても、残念ながら物足りない。 西郷大河である翔ぶが如くは、この点すべてにおいて高水準だった。
ただ、ちょうど禁門の変あたりに来たので見返してみると、何ともあっけないもので、
唐突に起こった池田屋事件から突如いきなり長州が押しかけてきて、
いきなり西郷が歴史の現場に立つという流れ。
西郷帰還後の歴史描写が盤石だったとは到底いえない(特に戊辰戦争)。
複雑な幕末はみっちりやるのは、かくも大変ってことだね。 >>810
原作が西南戦争だけだし、メインがその西南戦争だったからなあ。
幕末は端折り気味だが、その分維新後が凄まじかった。
あくまでも西郷と当時悪役扱いだった大久保の絆イベントとしての幕末編だと思っている 「翔ぶが如く」はドラマ観てから原作を買いに行って見たら一巻でいきなり明治に
なってるから、「おばさーーん、この本おかしいよー」ってもう少しで言いそうに
なった。言わなくて良かったw 複雑なことを複雑なまま描写してたらきりが無いから
ある程度簡略化して説明しなくてはならないのは仕方ない
しかしその「簡略化して説明する」ためには
一定の技術が必要だということがよくわかる
この制作陣にはそれが無い そもそもこのドラマは「説明」というものをする気自体がないでしょ
とりあえず西郷ageときゃそれでいいというスタンス
製作陣的には幕末の政治情勢なんぞ知ったこっちゃねーんだよきっと この西郷では西南戦争後に亡命
して、そのまま奄美大島に移住して終わりそう。
沖縄マンセーで締めくくる悪寒
がする >>815
>>816
家財道具を載せた荷車を動かしている町民の姿が映っていたけど、
前回薩英戦争をナレーションだけで済ませていたのを取り繕うために、
慌てて撮ったって感じだったよな。
ネットニュースでの視聴者の反応が無かったら、
糸が歩いてくるシーンだけで済ませていたんじゃないか? 市街地の砲撃シーンが西郷の夢オチなんだもんな
まさに予告詐欺 最近夢オチ多いんだよな
なんたって「幕末の寅さん」だから 幕末の寅さん、なるほど
恋愛小説や恋愛ドラマ中毒の友人がえらいはまってしまってるからやっぱりこの大河は恋愛ドラマ路線なんだろうなあ
鈴木亮平て演技上手いよね!と絶賛してた >>809
会津美化ってなんだよ
会津から見た幕末なんだから会津視点で当たり前だろ >>823
ここで不人気の八重土下座回に繋がってくるんだけど
それまでの会津視点、会津は悪ぐねぇという思考から
攻める側の薩摩藩士の娘への視点への転回を経て
八重は真の日本人となり得た。
一方、佐川官兵衛はあくまで薩摩許すまじとの思いで
西南戦争に参加するし、山川浩にしても熊本城に入場するも
元賊軍としての蔑視から逃れられず、弟健次郎に自らの思いを
託し退場してゆく。
山川一族を主人公に据えるべきだったという意見をたまに聴くけど
後半生の教育者、篤志看護婦としての姿こそ八重が大河主人公に
ふさわしい在り方だと思える。 7月19日発売の週刊新潮では、サングラスを外した“変装”姿で中園氏の自宅へ通うタモリの写真とともに、詳しく報じている。
お相手はNHK大河「西郷どん」を担当する脚本家・中園ミホ氏(59)である。
東京・品川のある日の昼下がり。タモリの姿は、さる高級マンションにあった。
エントランスを出たタモリは、建物の周辺を行き来し、ときにあたりを見回している。
尋常ではない警戒の様子だが、それもそのはず、このマンションは中園氏の自宅なのだ しかし醜聞の多い大河だなほんと
こんなもんまで真田丸の真似かよ タモさんに奇妙なエピソードを取材してたのかも知れないし 鹿児島プロパガンダもあったけど受けなかっただけじゃん
本当に田舎者は屈折しててしょうもない土人だ鹿児島人も会津人もな
27日曜8時の名無しさん2018/07/18(水) 18:48:12.62ID:CyYETKxj
鹿児島プロパガンダ→たいして受けず自業自得だろで終了
この屈辱と恨みが会津叩きに向かってんだな
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