平清盛の保元の乱と平治の乱は、1対1を基調とする「平安の戦い」(周りは見守る)を適切に描いていた。
にもかかわらず、当時2ちゃんでは、盛りに盛った軍記物を持ち出したり、酷いのになると、戦国大河や近代戦を基準に
「ショボい」と大騒ぎする連中が大量発生したのである(おたくらのことだ)。
もっとも、乱勃発までの経緯と戦後処理を重視した清盛では、本戦描写についても、ただドンパチ、チャンバラやることよりも、
「戦場における」人間ドラマに力が注がれていた。個別に特徴を見ると、

保元の乱では、軍記物の誇張を強弓無双ガンダム為朝一人に担わせるなど、エンタメ要素にも配慮していた。
勝敗について、最大武門である清盛平氏が後白河方について参戦したことにより、その時点でほぼ戦いの帰趨は決着した。
しかし本作は、そのような身も蓋もない客観的要因では満足せず、当代きっての切れ者学者ー信西と頼長ー両指揮官による「頭脳戦」
(孫子同一命題の真逆解釈)が勝敗の行方を大きく左右したと再解釈することで、保元の戦を勝ち抜かんとする両陣営の
意志と頭脳のドラマに置き換えた。
清盛vs忠正、義朝vs為義2組のタイマン対決も、刀と刀のぶつかり合い以上に情念と情念とが火花を散らす人間ドラマであった。

他方、平治の乱では、「大将が前線に出て一兵卒のように大暴れする」大河、時代劇お約束の見せ場を断固排して、
終始六波羅の後衛(大本営)で戦況を操り、一つ一つ双六の駒を進めて逆転勝利に繋げた指揮官清盛が描かれた。
こうした平治の乱のマクロな要因、乱勃発後の刻々と変わる戦況を的確に描出した果てに、賀茂川河川敷されど2人以外誰もいない、
あたかも仮想現実のような異空間で挙行された「早すぎる源平合戦第1ラウンド」こそが、かの清盛vs義朝の一騎討ちである。

また、軍師官兵衛は山崎合戦など省略に近い扱いもあったが、そもそも戦国大河ですべての合戦を同じように金かけて
やるのは不可能であり、前半の局地戦や中国大返しなど、見ごたえのあるシーンもたくさんあった。
八重の会津戦争が素晴らしかったのは言うまでもない(再現ドラマ性と臨場感)。
花燃ゆとおんな城主は合戦を見る大河ではないからあれで良い。西郷はすべて西南戦争にとっておくものと期待したい。

12年以降で合戦描写面から一番物足りなかったのは、おたくらを激怒させて済まぬが真田丸。
大金かけた割には臨場感に乏しかった真田丸攻城戦(エキストラの突撃。例によって実質大将信繁が颯爽と飛び出して雑兵とチャンバラ)。
夏の陣ともなれば、上田にいるはずの信之が、ななんと決戦前夜に大阪城の奥深くに潜入して弟と対面する超絶ファンタジーに、
徳川方はほぼモブという大会戦の迫力とは程遠いチャンバラ劇。極めつけが殺風景なススキノ?で行われた信繁vs家康の「一騎討ち」。
こちらは清盛@異次元空間のようなロジックに欠けた上、ちょっとばかりの護衛がいるため「二人だけの世界」とはなりきらず、
現実、仮想どちらともつかない中途半端なものに終わった(「真田信繁、お前は戦いしかなかった男じゃー」なる家康の謎発言付き)。
そして、スワっ家康ピンチというところで都合良く秀忠が現れ、他方、信繁にはどこまでも便利屋の風車の弥七、じゃなかった
佐助が登場する水戸黄門の世界さながらの夏の陣と相成った。