大坂城の腹黒台所頭●大角与左衛門●オヤジ飯 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
最後にやらかす●●大角与左衛門●●腹黒台所頭
大坂城の台所頭
料理名人だが、腹黒い・・・・・・・・・ 流石にここまで疑うに幸村は若いか
家康だったら分からんが 食道のおじちゃん「おのこしはゆるしまへんでぇ」
佐助「私も昔忍術学園で学んだ。懐かしい限りでござりまする」 >>10
ビートたけし(市)
浅野忠信(浪人、服部源之助)
夏川結衣(服部の妻、おしの)
大楠道代(百姓女、おうめ)
大家由祐子(芸者姉妹の姉、おきぬ)
橘大五郎(芸者姉妹の妹、おせい・本当は弟、清太郎)
ガダルカナル・タカ(おうめの甥、新吉)
岸部一徳(銀蔵一家親分、宗家の銀蔵)
石倉三郎(扇屋)
国枝量平(鳴門屋主人)
朝倉伸二(鳴門屋番頭・平八)
柄本明(的屋の主人)
樋浦勉(的屋の老人)
六平直政(冒頭で市に絡むやくざ)
つまみ枝豆(的屋の客) >>9 (本名がつとむ)(芸名べん)
ひうら べん、1943年1月25日 - )は、日本の俳優、声優。劇団青年座所属。東京府(現:東京都)出身。
本名は同じ字であるが、「ひうら つとむ」と読む。娘に声優の樋浦茜子がいる。 樋浦勉
新選組血風録(1998年) - 井上源三郎役 レギュラー
真田太平記(1985年、NHK)出演 樋浦 勉. 長束正家の役(五奉行)
大河ドラマ(NHK)
竜馬がゆく(1968年) - 山地忠七
草燃える(1979年) - 加藤景廉
徳川家康(1983年) - 服部半蔵
山河燃ゆ(1984年) - 池島努
春日局(1989年) - 増田長盛
徳川慶喜(1998年) - 牧野忠恭
真田丸(2016年) - 大角与左衛門
声優としても活動しており、正義派から悪役までこなす。
特に洋画の吹替では、ジョン・マルコビッチ、ブルース・ウィリス、ロバート・デ・ニーロ、リチャード・ドレイファスなど持ち役が多いことでも知られている。
特にリチャード・ドレイファスに関しては樋浦自身が「次にどう動くか分る」と語った >>2
キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!! >>13
おお、このお方も真田太平記からの使者でしたか。 >>11
思い出したw同じビートたけしの映画「辰三と7人の子分達」で座頭市もどきみたいな子分の1人を演じてた人かw 大角がスパイだが幸村は偽情報流す為、最終盤まで泳がせておくって展開かな? 昨晩では大角がスパイに見せてるね
さて三谷脚本のお手並み拝見。 ★漫画 ワンピースにも、似たようなスパイがいた。
サイファーポール(Cipher Pol, 略称:CP)は、漫画『ONE PIECE』に登場する架空の諜報機関。
中心街の酒場の店主として諜報活動を行っていた。ロビンと最初に接触し、アイスバーグを襲撃した ★ワンピース登場人物
ブルーノ
ウォーターセブンでは、ガレーラカンパニーに直接潜入した3人とは違い、中心街の酒場の店主として諜報活動を行っていた。ロビンと最初に接触し、アイスバーグを襲撃した。ガレーラの屋敷を襲撃した際は、タイルストンを圧倒した。
http://www.nepece.com/chara/blueno.html >>18 >>20
意外と裏切り役やスパイ役や、忍者役が多い。
天正伊賀の乱 (映画)
『天正伊賀の乱』(てんしょういがのらん)は、2005年10月に公開された日本映画。主演は合田雅吏、監督・脚本は千葉誠治による。第一次天正伊賀の乱を題材としている。
●(レンタル屋にあるが、評価は分かれている映画だけど)
伊賀を滅ぼすために織田信長の次男・北畠信雄に密書を送ろうとする裏切り者下山甲斐と、密書を奪うために送られた伊賀の下人たちとの死闘を描く。
出演者
卿導:合田雅吏
粗鋼:涼平
伺見:竹内ゆう紀
軒猿:一條俊
間士:島津健太郎
下山甲斐:樋浦勉
http://www.cinematoday.jp/movie/T0007144 >>15
すいません 真田太平記では、甲賀忍者の忍びの役です。訂正しておきます。
孝助(山中忍び)/ 樋浦 勉です。
http://tvmovie.web.fc2.com/sanada/episode18.html 甲賀の地が信長を経て豊臣秀吉の支配下に入ると、甲賀忍者たちは家康の監視活動を主な任務に命じられる。
その結果、伊賀忍者が甲賀忍者追討の任に当てがわれた。このことは江戸時代になって、「伊賀忍軍対甲賀忍軍」という形で講談や読本の題材となった。が、
実際にはこれは徳川と豊臣との代理戦争に他ならなかったのである。 架空説と実在説
(架空説)真田幸村に仕え、真田十勇士の第一として登場。真田幸村に猿飛佐助幸吉(さるとび さすけ ゆきよし)と名付けられる。
★(実在説1)(三雲佐助賢春は六角氏の重臣である三雲成持の甥にあたる)。
(★実在説2)『審訓清正実記』には「木下藤吉郎(豊臣秀吉)が金ヶ崎の戦いの退き口で殿(しんがり)を務め、
浅井朝倉軍の追撃から逃げて京に至る朽木越えの際に、猿飛仁助が率いる3000名の盗賊に襲われようとしていた」とある。
既に藤吉郎の軍は戦う気力さえなかった。この時に蜂須賀小六の配下の日比六大夫(日比野六大夫)は猿飛と旧知の仲だった故に猿飛に盗賊をやめて木下藤吉郎(豊臣秀吉)配下に入り
一緒に天下を取るように誘った。[3]猿飛仁助はこの説得に納得して木下藤吉郎(豊臣秀吉)の家来となった。それ以来、猿飛一族は太閤秀吉の天下取りの陰の力となり天下を取った。
猿飛佐助とはこの猿飛仁助の子孫であると考えられる。または猿飛佐助とは『清正実記』の猿飛仁助をモデルとして制作された架空の人物である可能性が高い。[要出典]
★(実在説3)
それ以外にも、伊賀下忍・下柘植ノ木猿の本名が上月佐助である事から、「上月佐助こそが猿飛佐助である」との実在説もある。
これについては、大坂夏の陣後、徳川家康の命を受けたと思われる服部半蔵宗家が、本拠地の三重県柘植野を徹底的に殲滅・残党狩りをしており、
「大坂夏の陣で当時の忍術(≒現在の諜報・特殊部隊)を駆使したことへの報復・恐怖の傍証」とも取れる。 大角が寝返って
大阪城に放火するシーンはあるのかな? 史実放火確定なら今週したり顔だった幸村は真の内通者を最後まで見抜けなかったってことだよね
それとも知った上で泳がせ〜の放火は別の意図からってことにするのか? -=ニ ー──── ____
_ ────=ニ. . . . . . . . . . . . . . . |
⌒ヽ. . . . . . . . . . . . . . . . . . . /.ノ
./∧. . . . . . . . . . _________ /. ./
. ./∧. . . . \ . .〉 この展開はもしや・・・
: : :/{. . / __jI斗-------==ミ. . . \ . . 〈 /
. : : : /{. . . / ───‐ ____ \. . . :. . .〈 白い髭のジジイと思っていたら
: : :/〈. . . ./ . . . / ──── \ \ . ./ . :.
. /\:∧/ . . . /ミ ノ⌒ヽ..,,,_ ノ V _,,,..ノ⌒辷 ム_j__. . 〉
/. . '/. ._/: :ミ 父彡' 徳川のスパイなんて大坂城に10人以上いましたよ!!
南条元忠
伊東長次
織田うらく
織田のぶかつ
台所頭の爺
御宿勘兵衛 (今でも愛知県で、ゲスな子孫が繁栄している。) 徳川の重臣である板倉(京都所司代)の家臣まで大坂城にもぐりんこんでいる。
某サイトより抜粋
豊臣の重臣だった伊東長次は、敗戦後に大名になっている、それが岡田藩なのだ。
何故彼らは、秀頼の親衛隊ともいえる七手組の組頭の要職にありながら、豊臣家の滅亡後も赦されて命を永らえたのだろうか。
ましてや最下級ではありながら、万石以上の大名クラスとして取り立てられたのだろうか。疑いは尽きない。
『老士談録』によると、京都所司代の板倉勝重は臣下の朝比奈義次を長次の配下として大阪城に潜り込ませて 城中評議の内容を尽く報告させたとある。
そしてこのことは伊東長次も承知のことであり、彼は朝比奈義次を連絡役として徳川方の諜報活動に加担していたのであろうと思われるのだ。 情報夜話 (情報千一夜物語)
スパイの話が紹介されているサイト
・ 我が国最初の諜報機関は馬飼部 (情報収集)
・ 本当のスパイは姿を現さない (情報収集)
・ 海津城の炊煙・・・そして軒猿 (情報収集)
・ 真田女忍者 : 歩き巫女
http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/index_e.html こっそりお菓子を盗み食いに来たきりが決定的瞬間を目撃してしまうのかな 今回は、南蛮料理も出来る台所頭だったな。
いろいろ勉強している台所頭の爺だな 史実に従って豊臣家を裏切って大坂城放火するのか?
桶狭間以来の古参家臣なのに。 大坂城に火をつけたのは濡れ衣で、城のダクトの中を這いずりながら真犯人のテロリストと戦うよ 悪いイメージを背負ってる人物が良い人に描かれる傾向もあり、この人も? イワシの南蛮漬けをふるまっていたから
腹黒で太っ腹 太閤に大角与左衛門と云者が取立てられた事
太閤の代に台所で魚や鳥などを洗っていた下男を取立て料理人を申付け、
その後料理人の頭となり秀頼の代になると台所頭となって、あちら此方に顔を出して飛び
回った大角与左衛門と云う者があり、此与左衛門が謀反して五月七日に自分の手下に
言いつけ大台所に火を付させました。
この謀反の働きを御奉公だと申し立て旗本に召出されたい、と願っている内に病死した事を権現様が聞かれ、
大角奴の事は去年の和睦の時、秀頼の母からの使として茶臼山へも来た者である、
元々下男だった者だが太閤の恩を得た奴である、
恩知らずの不届者で憎い奴、との上意でした。 >>46
実はバテレンの二重スパイ
大阪城のあとは家康に天ぷら献上w
実際は天ぷら後数ヵ月生きてるけど >>54 真田ですけどぉ で有楽にばれちゃったしね 台所のオヤジが大阪城を放火するなんて
誰も思わないだろうな。 だから伏線なしでやると「またねつ造して」と思われかねない 差し入れが多くて、サービス満点なので
五人衆の密談の場所になってるんだよなw >>58
あれ放火じゃなくてフランベしたら火が燃え移っただけだから腹黒は悪くない 家康に俺が放火したから旗本に取り立てて欲しいと懇願してる最中に
病死してるんだよねww
服部半蔵やりやがったww
目しか抱えて江戸城に放火されたら大変だからね。 >>53
とんだ腹黒爺っすねww
病死ざまぁwwwww >>62
実は江戸城は何回も放火されている。
江戸時代に、放火の罪が火あぶりの刑の厳罰になったのは、この爺の影響かな?
戦国時代とか、鎌倉、室町時代って、放火の罪って、どれくらいの刑罰だったのか気になるな >>62
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/goseibaishikimoku/#keihoutsuika1
鎌倉時代だと,ご成敗式目で、第33条:「強盗と放火犯の罰について」
断罪による、斬首または、島流しか、入牢にするとあるので、情状酌量の減刑も可能だったけど
江戸時代には、火つけは、火あぶりのみの厳罰となったので、江戸幕府は、火つけを極度に恐れている。 >>324
2話に回転斬りとかあったっけ?
よく覚えてるな 昭和前期は放火で死刑もあった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
松山城放火事件(まつやまじょうほうかじけん)は、1933年(昭和8年)7月9日に愛媛県松山市の松山城が放火され焼失した事件。
この放火犯人は他にも多くの建物を放火しており、別名を「西日本13府県連続放火事件」ともいう。
犯人は1932年から1936年までの4年間に45箇所(有罪となったのは37箇所)に放火し、被害額120万円を与えた。
放火したのは寺院や学校などの大きな建物で、松山城のほか和歌山県の天理教和歌山教務支庁、那覇の沖縄県立第二高等女学校が焼失した。
また熊本県では列車妨害事件を引き起こしていた。
犯人の男性は福井県で生まれたが、家庭環境に恵まれず、そのため少年の時代から常習的に窃盗を繰り返しており、連続放火犯として逮捕されたときには前科7犯で刑務所と一般社会を往復していた人生であった。
一連の放火で犠牲者は出ていなかったが、1937年11月12日に松山地裁は刑法の放火罪では最高の死刑を宣告し、2審の広島控訴院(現在の広島高裁)も控訴を棄却し、1939年9月15日に広島刑務所で死刑が執行された。
熊本県警察は放火現場に血と膿が付着した紙くずから犯人の特定に成功。おりしも愛媛県に朝香宮訪問に伴う厳戒体制にあった1936年5月に宇和島市に偽名で宿泊中の古川某(当時34歳)を逮捕した。古川は当時梅毒に罹患しており、そのため手足から血膿がふいていた。
逮捕後西日本各地で学校や寺院などに対する45件の放火と列車妨害にくわえ8件の窃盗を自供し、動機として「火を見ると興奮する」や「焼けば大工や左官の仕事がふえる」など屈折した心理が垣間見えていた。 そうだよな〜大角ちゃんって台所の放火犯だわな。どーすんだろうね
あの芸人惨殺されるとしか思えないが 大角は家康の耳に入る前に死んでよかったな
もしも耳に入ったら不忠者として磔もあり得た 南蛮の酢とかすげーな
大坂城の厨にはワインビネガーだのバルサミコだのまで揃ってんのか 冬の陣が終わってからさっさと徳川方に行くのは、もう1人のスパイ有楽斎だよ
大角は夏の陣が終わるまで居て最後に火をつける こちとら忙しんだ! 勝手にやってくれる分にはかまわないが!
勝手にやらしてもらう!! 暴露口の砦がヤバイっす
有楽斎 ほぅ〜 暴露口
オヤジも画面にさりげなく映り込んでるんだよなww >>73
南蛮ではまだ酢は作られてなかったような。
ワインが勝手に酢になっちゃったってだけで
日本みたいに意図的に醸造まではできていない 料理の名前を忘れた弟子が急に大きな声で質問するんだよなw
団右衛門の顔に唾が掛かるwww >>760
放火の働きを御奉公だと申し立て旗本に召出されたいと願い出たらしいです
家康がその事実を知った時には、既に死亡していたとか。
家康の言葉は
恩知らずの不届者で憎い奴、との上意でした。 未来にレスするとは夢がある
しかし旗本とは図々しいな
出自の卑しい者は品性まで根っから卑しく腐ってる
秀吉のお蔭で台所頭にまでなれたのに 下男以下の草履取りから取り立ててもらったのに信長死後
織田家を簒奪した秀吉よりマシだけどな あれだな大角にしてみれば、
難攻不落の大阪城を内側から崩壊させた自分の功績なら
旗本くらいは妥当だと思ったのだろう。
もう堀も埋まり、主要な諸将も討ち取られているというのにそういうことがあまり理解できていない
やはり下男は下男ということか 意外と病死じゃないかも? 家康の手のモノにバッサリとか? いや彼は敗北が決定的となった大坂城に火を放つことで徳川に取り入り、
また台所務めになったら家康に毒を盛って豊臣の仇を討とうとしたのだろう。
昌幸得意の「味方のふりをして敵に取り入って裏切る」兵法だ。 不忠者は暗殺のような生温い手段ではなく見せしめに磔刑あたりにするだろ 大角与左衛門のせいで、江戸時代には、江戸城の台所頭になるには、幕府の旗本でも百石が必要となった。
そして、将軍は旅の道中でも、旅籠の料理人の飯は食べずに、江戸城からつれてきた武士の料理番の飯をたべるようになった。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kanri01/rounk/shyumi/kokudaka30~400.html
料理が上手だから立身出世できる時代は、腹黒爺のせいで終わった。 http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:USusWQP27twJ:www5f.biglobe.ne.jp/~kanri01/rounk/shyumi/kokudaka30~400.html+&cd=8&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-b
江戸時代の役職
台所頭 >>92
面白いサイトですが真田丸に中間・小物を連れた武士、一人も出演しないんですよね >>93
若党(わかとう)は、別の大河にでていたかもですね
『貞丈雑記』に「若党と云はわかき侍どもと云事也」とあるように本来は文字通り若き郎党を指したもの[1]であるが、
江戸時代には武家に仕える軽輩を指すようになった。
その身分は徒士侍と足軽の中間とも足軽以下とも言われた。「若党侍」とも呼ばれるが士分ではなく大小を差し羽織袴を着用して主人の身辺に付き添って雑務や警護を務めた[2]。一季か半季の出替り奉公が多く年俸は3両1人扶持程度であったため俗に「サンピン侍」と呼ばれた。 小山田信茂もそうだったけど
調略は仕掛けるけど自分で寝返ったやつには厳しいよね 『勤番グルメ ブシメシ!』NHK BSで実写化
http://www.excite.co.jp/News/comic/20161124/Otakuma_194294.html
おたくま経済新聞
幕末を生きた紀州藩藩士の日記を元に描かれた幕末グルメ漫画『勤番グルメ ブシメシ!』(土山しげる著)が
NHK BSプレミアムにて『幕末グルメブシメシ!』として実写ドラマ化されることが決定しました。
平成29年1月10日から2月28日まで毎週火曜23時15分より約30分全8回放映。 面白そうな番組を全部BS有料化したから
地上波誰も見なくなったんだよ >>97
あのあたりは
戦国っぽさとコメディ感が
見事に同居しててよかったなあ。 >>97
寝返り不忠当たり前の戦国時代だけど、
こちらからの調略で寝返り→オッケー
向こうから一方的に寝返り→アウト
って傾向はあるね 大野兄弟が母と一緒に、大角与左衛門に料理を楽しんだり、ほのぼのシーンもあったな。
タコは明石のものがよいと、何度か昔から言ってるな 史実では放火してんだよね
家族はいないとか伏線はってたね。 >>104
落書き事件で殺されたやつが息子だったとか
そういうのくるかな 幸村の家来が弟子についてるくらいだから
何かエピを盛り込んできそうですね〜 大角さん、いいタイミングで差し入れを出すんだよなw
放火のタイミングも上手そう 幸村に一服盛って幸村が腹痛を起こし
真田軍は道明寺合戦に遅刻するということになるのかな? 放火に至った経緯も含め、意外といい人に描かれるんじゃない? >>101
それいうと放送初期、昌幸が調略されてもいないのに
何かというと裏切りばかり言ってたのどうなるの?
春日さんなんのために殺したの? >>111
三谷脚本だから、あるかもね
幸村が連れて来た若いのが、うっかり火の始末を誤ったのを、消そうとしたとか。 家康への密書、「お」は大角で「う」は有楽斎てことでいいんかな? >>114
今のところそれ以外にあんなわざとらしい演出する意味はないと思う
もしそのままならあざと過ぎてものすごい興ざめだけど…… 予告で幸村が・・「作戦が漏れている!」と呟いていたよね しょっちゅう、たこ料理を出しているのは・・・・
「お前らは、俺に情報を盗み聞きされているタコだっていう皮肉だろうか?」 大阪城で一番の料理人ならそれなりに偉い気がするんだけどどうなんだろう >>119
マジですかw
幸村もうっかり者ですなw >>125
聚楽第の落書き事件の時に秀吉に殺された人々の中にいたりするかも
だったら豊臣を恨んでてもおかしくない 大阪城って患者はいりまくってがばがばですね
それにきずかず会議する誤認集あほ >>128
若造って…あれ与八だろ
幸村や作兵衛と同年代のおっさんじゃん このドラマでまさかあんなに忍者らしい忍者を見るとは思わなかった。 よくわからん、なんでこのオヤジは裏切ったの?最後の最後なんだからそのまま居ればよかったじゃい?
そんなに命が惜しかったのか? 最初からずっと内通してたでしょ
「太閤様にお仕えして云年」「家族はいない」のあたりに何か豊臣を裏切る事情があるんじゃないの >>133
佐助や出浦が霞むぐらいの忍者ぽさてワロタ >>121
やっぱり所詮料理人だから、身分は低いんじゃないの >>131
秀吉と同年代の大角にとっては若造と言えなくもない >>141
火鉢でどうやって刺すんだよw
火箸だろ 火箸であっさり真田浪人を刺し殺す辺りかなり人を殺りなれてる
とみたが(笑)もしかしたら伊賀の浪人だったのかな? >>138
それで幕府に仕官を狙っていたけど古参なのに最後の最後で寝返ったことなどが仇となって叶わなかったんだよな
そのまま寂しく死んでいったと この子は九度山からついてきた子って 無理やりつれてきたんだろうし
それに 番組の最初から出演してるので 相当な年だと思うが >>148
台所係で今回大角に殺された与八は真田郷出身の作兵衛の昔馴染みだよ
だから作兵衛、信繁と同年代
見た目最後まで若かったけど
九度山から嬉々としてついてきた久兵衛?は若者
真田紐で手入れした銃残して戦死 このサイトに秀頼死亡時の32名の殉死者が紹介されていた
http://senjp.com/oosakajyou/ カシラ?その人は?って
思いっきり忍者姿の人が片膝ついてるんだよなw ああいう忍者らしい忍者は居ないんだよな。サスケみたいなのなら居たが。 あの忍者ぽいのは大角の料理の弟子
あのシーンは大角をスパイだとミスリードさせているだけ
火箸挿入はセックスのメタファー >>137
そもそも佐助や出浦が既存の忍者のイメージしてないからな 差し入れをする時にさりげなく作戦図を覗き込むシーンがあるんだよなw ここに来ればいつでも酒が飲める
じいさんの機嫌がいい時には握り飯まで出る! >>163
ホンコレ、そもそも最重要会議やるなら密室でやれよwww
なんで食堂みたいなとこでおおっぴらにやってんだよwww しかし与八を頃すとは驚いた。
で大角のオヤジさんは悪役をよくやってた人なのでしょうか? みんな 実は史実では、大角与左衛門が、スパイだと最初に発見したのは後藤だったんだよ。
でも、誰も信じなかったのです。 後藤は、常に、大角与左衛門は裏切るといっていたらしい。
そしたら、逆に、徳川から、後藤は裏切ると噂を流された >>169
樋浦勉さん 俳優さんで洋画の吹き替えもしてるダイハードのマクレーンとか代表作 >>170
で、食堂のおばちゃんが産業スパイだったとw バレた直後の「あぁ、気にすんな。こいつは・・・」的な仕草とその後の容赦ない口封じの落差凄かった 火箸といえば、春だったのに、大角さんが使うとは思わんかった ギャグとマジの差が激しいな。
それだけに、被害者となった九兵衛の死もショックが大きかった。 >>178
(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガクガクガクガク 樋浦勉さん出演大河ドラマ(NHK)
竜馬がゆく(1968年) - 山地忠七
草燃える(1979年) - 加藤景廉
徳川家康(1983年) - 服部半蔵
山河燃ゆ(1984年) - 池島努
春日局(1989年) - 増田長盛
徳川慶喜(1998年) - 牧野忠恭
真田丸(2016年) - 大角与左衛門
新大型時代劇(NHK)
真田太平記(1985年、NHK)- 孝助
武蔵坊弁慶 (1986年、NHK)- 信濃坊海円 >>181
>>183
料理頭に殺されたのは与八じゃないのか? 妖怪演技だったな。 死んだふりで雪村をだました。
大角与左衛門は急所を外して、自分で切腹したふりをして、雪村を油断させた。
秀頼に、雪村がスパイだと嘘報告するし、大坂城に放火するし
無双妖怪だな 最近見つかった資料で、秀頼が裏切り者を石垣から突き落として処刑したって話があったから
この爺がその処刑される役になるのかと思ったら、特になんもなかった(´・ω・`) >>195
中に昌幸が入っているのかと思うレベルだったなw 中の人は大ベテランの俳優さんだからな。
近藤正信より芸歴長い。
初代ウルトラマンのガマクジラの回で、寺田農と二人でトラックを運転してガマクジラに襲われる。 >>194
最後まで勝負を諦めないのはむしろ彼だったな
あいにくと幸村には彼ほどの物がなかった あの後城から無事脱出して幕府に仕官を望むも叶わずやがて病死したんだってな >>197
大角のために疑惑持たれて、信繁が大助を城に戻す=人質として淀殿秀頼に預ける。
それで、楠正成桜井の別れみたいな状態になるんだが、大助は生き残らなかったね。
ほんと策者としてウワテだよ。 >>199
真田雪村が、大角与左衛門に倍返しされてしまったね。
豊臣家に恨みを持ったのが1590年代だとすると関が原の前だね。
雪村は、武士だから切腹として敵を遇して、大角与左衛門に止めを刺さなかった。
しかし、大角与左衛門には、武士としての礼節は無く、恨みだけだった。 樋浦勉が出てるのに何の見せ場も今迄なかったのが不思議だったんだけど、最後にでしたかって感じだが、ストーリーとしてはどうかとは思うよ。 大角与左衛門は、秀吉編から出すとよかったね
あんたは、戻ってくると思っていたよ!
と言わせるのだから まさかの最終回台所じじい無双
これ要らなかっただろ・・・ 織田有楽が知らない淀秀頼も会ったこともなさそうな下男頭を幸村より信用するか どうせなら秀吉の伊賀征伐の残党とかでよかったよな
ああいう、腹黒じじいにリアルでもあっさり騙されてるんだが >>207
秀頼はアレだが、大蔵卿局にしてみれば牢人も台所頭もゴキブリみたいな
もんなので、信じたいゴキブリを信じるのは当然。 >>86
旗本に取り立ててもらおうと
進言してたんだよな! 史実では秀吉馬印の瓢箪は「敵の手に委ねるくらいなら」と
侍女の手によって壊された。
ジジイも「敵の手に委ねるくらいなら」と自分で放火、
その後旗本となって家康に近づき仇をとろうとしたのを
察知した伊賀忍者に暗殺された、というのは俺の妄想だ なんでとどめを刺さなかったのか。最終回そこだけは解せなかった 止めをさすというより、人の好い幸村なら介錯して進ぜようと頸落としてやるというのもアリなんだが、それをしなかったのは幸運だったな 台所爺、庶民(名もなき民衆)の代表として出したかもしれないけど、
大阪城の台所で働いているとなると、料理人としては上の部類なんだな。 >>216
これ太閤の料理人として
誰かが小説にしてベストセラーにして
映画化ってのもありじゃないか?
なかなかドラマチックじゃん。 信繁の後処理を甘くさせる演出だから、ドラマ自体も甘くなる >>213
お前のような裏切者には介錯なんてしてやらん
のたうちまわって勝手に死ね
みたいな感じで解釈したな よくわからんが秀吉に娘をてごめにされた恨みがあるから家康に通じてたのか? >>217
信長のシェフは完璧過ぎるからな
あんなのがいたら武田浅井徳川が万石級で召抱えたいレベル >>224
農姫が手放すはずないだろう。
手離すぐらいなら殺している。 >>199
大角「望みを捨てぬ者に道は開けるのだ」 >>226
うへへへっへえへへへh
萌えろ〜〜 燃えろ〜〜 秀吉、信長のところで台所奉行やって、薪を節約したという話があるから、そのころ爺さんは秀吉の部下だったんじゃないのか。 >>230
硫黄島のアメリカの戦死は6500だから山崎合戦と比較すべき
羽柴軍3600明智軍3000 >>231
それは無理だよ
明智は悪名が残った
真田と栗林は負けても英雄として名前が残った。 >>231
明智の問題点は本能寺だったと思う。
本能寺は真珠湾と同じように、マイナス要素が大きかったと思うよ。 何故明智は本能寺後迅速に動かなかったのか?
このままでは自分が討たれることを自覚していただろ
中国大返しが5日くらい遅れても明智は無為に過ごしていたんじゃない? >>234
本能寺後、各地に味方になるよう使いを出したけど
誰も味方してくれなくて総スカンになったんじゃなかったっけ >>234
前々から綿密に計画してたわけじゃなくて
「本能寺に軍勢も連れずにいる」と聞いて
急きょ思いついてやったことだから >>236
明智って秀才キャラだったはずなのになんで見切り発車しちゃったんだろうね >>234
明智光秀は味方をしてくれる勢力があると思っていたら、静観ばかりで想定外で負けた。
秀吉がもう少し遅く来ていても駄目だったと思う。 >>238
娘婿の細川忠興さえ味方してくれなかったもんね
盟友だった細川藤孝は頭を丸める始末
その娘と言うのがガラシャ夫人なのだが 陶晴賢は、明智よりも、多少は賢く超略してから裏切ったので、裏切りから1年は権力を逃げれたね。 訂正
陶晴賢は、明智よりも、多少は賢く超略してから裏切ったので、裏切りから1年は権力を握れたね 大内家臣時代
天文9年(1540年)、出雲国の尼子晴久が吉田郡山城を攻めたとき、毛利元就の援軍として大内義隆から総大将の権限を与えられ、天文10年(1541年)1月に尼子軍を撃退するという功績を挙げた(第1次吉田郡山城の戦い)。
天文11年(1542年)には逆に尼子領に侵攻するが、この出雲遠征における月山富田城攻め(第一次月山富田城の戦い)には失敗し、大内晴持をはじめとする多数の死傷者を出して大敗した。以後、義隆は軍事面に興味を示さなくなり文化に傾倒、文治派の相良武任の台頭を招く。
この事態に武断派の隆房は影響力を失ってゆき、さらに武任を重用する義隆とも不仲になってゆく。
天文14年(1545年)、義隆に実子・大内義尊が生まれたことを契機に、隆房は相良武任を強制的に隠居に追い込み、大内家の主導権を奪還する。
天文17年(1548年)に義隆が従二位に叙位されると、従五位上に昇叙された。また義隆の命令で、備後国へ出陣し、毛利元就らとともに神辺城を攻撃している(神辺合戦)。しかし同年、義隆によって相良武任が評定衆として復帰すると、
文治派の巻き返しを受けて再び大内家中枢から排除される。このため天文19年(1550年)、内藤興盛らと手を結んで相良武任を暗殺しようとするが、事前に察知されて義隆の詰問を受けることとなり、事実上、大内家での立場を失った。
謀反
詳細は「大寧寺の変」を参照
天文20年(1551年)1月、相良武任は自らも隆房との対立による責任を義隆に追及されることを恐れて、「相良武任申状」を義隆に差し出し、
この書状で「陶隆房と内藤興盛が謀反を企てている。さらに対立の責任は杉重矩にある」と讒訴する。これを契機として文治派を擁護する義隆と武断派の隆房の対立は決定的なものとなり、
8月10日(9月10日)には身の危険を感じた相良武任が周防から出奔するに至り、両者の仲は破局に至った。
8月28日(9月28日)、隆房は挙兵して山口を攻撃し、9月1日(9月30日)には長門大寧寺において義隆を自害に追い込んだ。
さらに義隆の嫡男・義尊も殺害した(義尊については殺さずに新しい当主に擁立するつもりだったともいう説もある)。
そして野上房忠に命じて筑前国を攻め、相良武任や杉興連らも殺害したのである。
さらに謀反が終わった後には杉重矩も殺害した。義尊の弟で義隆の次男である問田亀鶴丸は、母方の祖父が内藤興盛であることもあり助命している。
毛利元就との戦いと最期
陶晴賢の墓 洞雲寺 廿日市市
天文21年(1552年)、義隆の養子であった大友晴英(当時の豊後大友氏当主・大友義鎮(宗麟)の異母弟、生母は大内義興の娘で義隆の甥にあたる)を大内氏新当主として擁立することで大内氏の実権を掌握した。
この時隆房は、晴英を君主として迎えることを内外に示すため、前述の通り陶家が代々大内氏当主より一字拝領するという慣わしから、晴英から新たに一字(「晴」の字)を受ける形で、晴賢(はるかた)と名(諱)を改めている
(なお、大内晴英は翌天文22年(1553年)に大内義長と改名し、のちに晴賢の嫡男・長房がその一字を受けた)。
その後、晴賢は大内氏内部の統制という目的もあって徹底した軍備強化を行なった。北九州の宗像地方を影響下に置くため、宗像氏貞を送り込み、山田事件を指示したともされている。しかし、この晴賢の政策に反発する傘下の領主らも少なくなかった。
天文23年(1554年)、それが義隆の姉を正室とする石見国の吉見正頼と安芸国の毛利元就の反攻という形で現われた。
晴賢は直ちに吉見正頼の討伐に赴くが(三本松城の戦い)、主力軍が石見に集結している隙を突かれて元就によって安芸における大内方の城の大半が陥落してしまった(防芸引分)。
このため、晴賢は窮余の一策として宮川房長を大将とした軍勢を安芸に送り込むが、折敷畑の戦いで大敗してしまい、安芸は毛利家の支配下となった。
弘治元年9月21日(1555年10月6日)、晴賢は自ら2万から3万の大軍を率いて、安芸厳島に侵攻し、毛利方の宮尾城を攻略しようとした。
しかし毛利軍の奇襲攻撃によって本陣を襲撃されて敗北し、毛利氏に味方する村上水軍によって大内水軍が敗れて、退路も断たれてしまい、逃走途中で自害した(厳島の戦い)。享年35。 冷泉 隆豊(れいぜい たかとよ)は、戦国時代の武将。大内氏の家臣。
天文20年(1551年)、陶隆房がついに決起。隆房は周到な根回しを行っており、文治派以外では、義隆に味方する者はほとんどなかった。
義隆は山口を脱出し、石見国の吉見正頼を頼ろうとしたが、嵐で船が出せず、長門国の大寧寺へと入る。
陶軍が大寧寺を包囲すると義隆は自害し、隆豊は介錯を務めた後、自身も陶軍の中に突撃して討死にした(大寧寺の変)。
その最期は壮絶なものだったと伝えられ、攻め寄せる敵兵が恐れを成すまで戦い、火をかけた経蔵に入って辞世を詠んだ後に十文字に割腹、内蔵を天井に投げつけて果てたと伝わる[5][6]。
また、隆豊が籠もった経蔵に続く坂道は冷泉坂と呼ばれている[7]。
辞世の句 「みもや立つ 雲も煙もなか空に さそいし風の 末ものこさず」
武勇に秀でていただけでなく、和歌にも堪能であった智勇兼備の士と言われており、その忠臣ぶりは、高く評価された。 >>240
史実はともかく
劇中は徳川忍者を通じて何度も交信しているのに
調略してないからアウトはかわいそうじゃないか
小山田みたいな飛び込み裏切りでもないし >>245
劇中では腹切ってるじゃないか
腹切っても数日間はあれくらい動けるけど
消毒液もない時代、必ず化膿して死ぬよ
腹切ったふりして傷が皮膚で留まってるならともかく。
でも放火シーンで血を吐いてなかった? あいつは料理人だぞ。タコなりカツオなり腹に巻いて偽装する技があるんだろうよ。 与左衛門の野郎ww
最後に大仕事をやってのけやがったww
秀頼が燃える大阪城を蔵の中から見てるんだよなw ∩ .∩
.い_cノ / ̄>O
.c/・ ・っ (ニニニ)△△
.("●" ) .(・ω・`)[‖] ここも悪い子ばかりだな
O┳Oノ)=[ ̄てノ ̄ ̄] ルドルフ!次行こう!
◎┻し◎ ◎――◎=3
/ラジャー\ >>246
史実での死因は病死だからこの傷が原因といえなくもない 切腹したはずの与左衛門が「幸村にやられました」というのは
何度でもみたくなる名場面だったのに包帯巻いてたせいか
カットされたのは実に惜しい リプレーできないのかよ >>252
トドメも刺さず死体の後始末もしない幸村はアホとしか言えない あのじじいは、信長の料理人だったケンの成れの果てである・・・・。 >>248
炎上ものはさこう炎の中から抜け出すとか
スケールをでかくしてほしい
燃え盛る炎の中千姫と秀頼がっていうやつとかさ >>254
あのあともう台所使わないと悟っていたのかw
命までははあったかもにしては甘すぎる >>221
娘は秀吉に手篭めにされたことを悲観して
妻は秀吉に手篭めにされなかったことを悲観して むしろ与左衛門自身が手篭めにされなかったことを悲観して >>263
信長は衆道ありだし女性には紳士
手当たり次第が天下とった秀吉で誇張あったにしてもすこぶる武将たちに評判悪い人だった
晩年の秀吉はどこまであれかわからんがねねに対して大事にはしてたんだろうがねねすら抑えられなかった 大角与左衛門は、総集編にでていた?
カットされていたような気がしたんだけど? >>267
見なかったけど、じぁあ最終回のあれはなんだったのかと言いたいわ。 落書き事件で処刑された門番の中に息子がいたとか
娘が秀次の側室だったとかのがよかったような
ちょっと唐突過ぎた >>267
ノ´⌒ヽ,, /::::ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)
γ⌒´ ヽ、 |::::::::::/ ヽヽ
/ ) |::::::::::ヽ ........ ..... |:|
i /""⌒⌒\ ) |::::::::/ ノ ) ( ヽ. |
i / ノ ヽ ヽ ) i⌒ヽ;;| -=二二(○) 二二(○).|
l ( 二二(○)二二( ○) i/ (. ⌒ ヽ. ⌒ |
l ⌒(__人_)⌒ | ヽ . /(_,、_,)ヽ |
l lヽエエエェフ | | . /lヽエエエェフ i
\ │ヽヽ │ / ∧ヽ │ヽヽ │ .|
√ ヽ │ / /\\ヽ ヽ │ /
\ `ー―/ヽ /::::::::::\ \ヽ.`ー― / \ それより 佐野史郎がでてシュンサーイっていうやつはどれくらいいるのだろうか? タイガドラマモオモシロイケドオススメノジョウホウ
グーグル検索⇒『立木のボボトイテテレ』
69EWX ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています