もはや本スレで泣き叫べないのか阿呆ども?
じゃ後で付き合ってやるから逃げるなよ
手始めに以下に答えておけ

・中途半端というが、では宮廷も後の貴族化した平家も破れ門と行き倒れの病者の
ごとく汚くしろというのか
・豊明節会、五節の舞などの宮廷祭祀、厳島ロケなど美しい映像も数多あったが
目に入らなかったのか
・お前の知ってるという平安言葉は再現可能なのか?可能として大河のセリフとして
相応しいのか。そもそも清盛は全編共通語だったのか?例えば重盛の悲痛な名セリフ
「とく死なばや」をそのまま採り入れ、続けて「はよう死にとうござります」
というふうに工夫をしていたことを知らないのか。そもそも共通語って現代語のことか?
だったら清盛は少なくとも「現代ではない」時代であることを実感させるため
「時代劇言葉」を用いている。ただそれは再現不能の平安言葉ではないということだ
・当時を何から何まで再現できない以上すべて現代のままにせよと主張するのならば
その理想を体現した大河を上げろ。例えば草燃えるは露骨な現代語を多用する一方で
官職呼びを基本にしてたりする(清盛はこの点についても考え抜かれた折衷様式)
程度の差はあれ折衷様式その意味で「中途半端」でない大河はどこに存在するのだ?