おい偽長文、こんな時間から某所で酔っ払ってしまったので読んでやったよw
サラリーマン和歌ってのが現代和歌のジャンルにあるのかもしれんが
平安の世においては清盛君のアレは崇徳さんが呆れたようにもはや和歌ではない
和歌ではないことが決定的に重要な意味をもった創作なんよ
和歌下手ゆえどう頑張っても和歌では最低評価を受けるしかない清盛が
この窮地にあって貴族社会から平氏の新棟梁として認知されるにはどうしたら良いのか?
懸命に頭を捻って思いついた危機脱出策こそ歌会=思惑入り乱れるもう一つの政治の場
という本質を直截に抉りだし和歌もどきによって自らをアピールせんとするあの奇策だった
清盛は歌会というまだるっこい婉曲表現の場を自らの所信を単刀直入散文的に
表明する場へと変えてしまった。ピンチをチャンスに変える逆転の清盛の誕生である
人を食った奴と呆れながらもこの清盛に大物の片鱗を認めた面子は保元の乱の勝者となり
そこに気づかずバカにした面子は敗者となったことも見逃せない
こうして馬鹿馬鹿しい創作とされた和歌もどき回は清盛という非常識な人間ゆえに
歴史を切り拓いた革命的な人間像に鋭く肉薄した回だったのだ
お分かりですか?平安文化に対する藤本の無教養を暴露したくだらない創作だと力説されている
自称大河研究のど暇な権威さんたち?