番組では気前よくプレゼントを惜しまない清盛が強調されていたが、大河では蓮華王院造営ではなく、王家のコレクションとなる青磁
を献上し、後白河の気を惹く清盛の作戦にスポットを当てていた。
ただし、後白河は二条に奉仕する清盛にへそを曲げてしまい、「公卿としてやったはわしぞ。参議にしてやったもわしぞ。侮りおって!
かような器の一つや二つでわしの機嫌をとったつまりか!なにゆえわしを見ぬ、なにゆえ帝ばかり見るのじゃ」とおカンムリ。
器を次々と叩き割ってしまった。したがって、「後白河を味方につけた」とした番組のアンサー通りではない。
この時点では明確に二条親政派に属していたことからして(親子の情を知らない二条に同情し忠誠を誓い、時子を乳母とした。
さらにドラマで滋子の入内先として狙ったのも当初二条→しかし、意に反して後白河とフォーリンラブ、できちゃった婚→後白河路線へ)、
アナタコナタの重心は二条の側におきつつ、後白河にも保険をかけていたあたりが実情だろう。もっとも、蓮華王院プレゼントに
後白河はたいそう喜んだに違いないのであって、両者は協調に向けた良好な関係に入っていったといえよう。
番組が間違いというのではないが、二条寄りの清盛にぶんむくれる後白河の描写もまた、この時期の政界の構図を見事に
示すものとなった。

ところで、ツイで「平治の乱までは神であったが、それ以降は平家物語をなぞるだけのものとなった」というのがあった。
これまたよく聞かされた話すぎて今さらなんだけど、「保元の乱に始まる平氏の勃興期を正面からは扱わない。
ギボンが『ローマ帝国衰亡史』を帝国繁栄の頂点から始めたように、平家物語も平清盛の絶頂期から筆を起こす」(池澤夏樹)
平家物語は、平治の乱以降「いかにして清盛が政界を駆け上っていき頂点を極めていったか」に対して、関心をほぼ向けていない。
二条帝時代の上の話からしてまったく平家物語と重なるとことがない。どこをどう見たら、「後は平家物語をなぞっただけ」
となるのだろうか?平氏の勃興過程を頂点に至るまでこれほどフォローした大河はなかったし、今後も期待できないだろう。
もちろん、後半になればなるほど平家物語を最大の資料として用いて、ドラマは組み立てられていった。
平家物語自体、歴史叙述を徐々に充実させていき、両者の関心が一致し始めた以上、当然のことだろう。しかしながら、現象面では
平家物語に材料を多くとっても、ドラマは決して単なるエピの祖述に止まらず、いままで積み重ねてきた清盛物語を終結へと導くために、
至るところで独自の解釈が試みられていたことは、一見通説っぽい鹿ケ谷事件や治承クーデター、頼朝挙兵といった
大事件を見れば直ちに判明する。ちなみにプロフィールを見たら、自称時代考証家。また自称大日本帝国憲法研究者として
お笑いを振りまいている倉山某の信者だそうな。