ああ、もしかして「院政」の弊害というか懸念「ここはわしの世じゃ」化のことね(現役天皇であったゴッシーは、鳥羽に対して
「法皇よここは私の世じゃ」と冷酷に言い放ち鳥羽を葬り去った〜いったん統治意欲を成人となった天皇が示すと「院政」は危うくなる。
そして、ドラマでもっとも強烈かつ重要だったのが、言うまでもなく、闇討ち清盛が発した「ここはわしの世じゃーーー」(白河の再帰)である)。

賢明なお方なので、平城太政天皇の変を教訓に、賢慮に満ちた振る舞いをされた嵯峨太政天皇のように
「存在感を発揮しつつも国政上(今でいえば「象徴」)の邪魔はしない」上皇様となられるだろうから、大丈夫だと思うぞ。
ただし、個人の意思や振る舞いだけではどうにもならない事態も生じうる(権力による政治利用など)。
民主主義の世にそんなことがありうるのか疑問であっても、制度的措置をきちんと整える必要がある。
偉い人たちが加わって政府が今やってることは、「二所朝廷」が生じないような制度設計だろうね。