貴殿オア貴女は間違いなく真面目に書き込んだと思ったゆえ、マジレスいたしやすた。
和歌もどきは、後々まで問題となる「成り上がり平家ゆえの涙ぐましい王朝文化戦略」の嚆矢となった回。
清盛は「形を変えた政である歌合」を逆転の発想で乗り切り、居並ぶ朝廷の面々に対し、堂々たる存在感を見せつけた。
しかし、そちら方面における自らの才能の欠如を自覚した清盛は、平氏が朝廷秩序で上昇するために必須の作法と教養を
息子たち孫たちに身につけさせようと、「文系」経盛を指南役としてみっちり仕込んできた。
その集大成が後白河五十の宴における維盛資盛による青海波披露である。
作劇上さらに重要だったのは、摂関家兄弟が清盛五十の宴に乱入し、和歌と舞の真剣勝負を求めてきた回。
この回は、考証高橋先生の強調ポイント〜王朝文化の支配者=政治社会の支配者という重大テーゼを
テーマ化した回であった。そこで平家方エースに指名され一歩も引かない力戦で答えたのが、かの武人歌人忠度
というわけである(容貌との不釣り合い!)。
上のレスは、このように長く広い射程をもった和歌もどき回が、傑作殿上闇討ち回で西行義清が清盛を諭した
「宴の本質」にまで遡ることができることを指摘したものだ。