●他スレで今さらながら>以下の批判を読んだので、間違ってもこれに影響されてご新規さんが遠ざかることのないよう
再掲します(一部修正)。

大河清盛は、平氏、源氏、朝廷(王家、摂関家)の3パートが相互に作用し合い関連づけられ(中でも力関係の推移に焦点)、
そのフォーマットの中で多彩なキャラが織りなす多元実況的歴史劇そして人間ドラマであった。
でありながら、最初から最後まで主人公清盛が中心軸を失って漂流するところが一度もなかった真の群像劇であった。
ガキ時代ですらそうだ。多くの女大河の主人公や真田信繁のように「狂言回し」であったことすら一度もない。
未熟で視聴者をイライラさせても、人間ドラマの魅力や歴史の起動因が他パートにあった(保元の乱は朝廷サイド)初期においてもそうだ。
棟梁となった以降は徐々に存在感を増して行き、平治の乱で独り勝ちとなり政界の第一人者となって以降は、
ドラマの中心軸と歴史の主役は完全に一致した(でありながら多元的な群像劇をやめない)。

>主役に見えなかった?
どこが?初期も「清盛オンステージ」を必ず設けて、むさ苦しい程主役主役してたが。

>いかにも身分が低い者たちのような描写。
どこが?これまでの議論の蓄積を知らないのか?落ち目の源氏為義とは対照的に、忠盛は京の治安維持や強訴防衛
(蓄えた荘園を取引材料とするシーンもあった〜軍事力と経済力をリンク)などで軍事力を発揮して鳥羽院に貢献、重用されていった。
さらに、得長寿院寄進を始めとする経済的奉仕により鳥羽に巧みに取り入り、遂には殿上人へと昇進した様が描かれた
(さらに位階を上げていったものの公卿には至らず、この父の無念が清盛の原動力の一つとなる)。
院宣偽造による密貿易にまで手を出して経済力を高めて行ったワルの忠盛も、美化隠蔽することなく扱われた。
つまり、忠盛は最大武門の長にして大金持ちの新興貴族であり、その金持ちぶりは数多くの家人(ケツモブ)を抱えていた様やここぞという時に
大盤振る舞いした宴からも明らかである。
にもかかわらず、深謀遠慮(貴族からの反発を想定―殿上闇討ち回)に長けた忠盛は、六波羅での日常は華美贅沢を控え、質素に振る舞ったのだという(頼長)。
すなわち、「外観的には武士らしい質素な生活と身なり。他方で急上昇する大金持ちの躍進新興貴族平氏」の両面を、大河清盛は
極めて的確に捉えていた(発生論である「軍事貴族」論には深入りしなかったものの)。貴族趣味に走るのは清盛の世代、しかも平治の乱後だ(この点も描かれた通り)。。
あと言っとくけど、清盛は白河の落胤であり、忠盛の「甘ったれたおぼっちゃま」だったからな。突っ張ってグレても。
そういう出自と生育環境から広い世界に飛び出していくことで、後の清盛の素地が出来ていった。
服装という「可視化された身分コード」を「体制反逆者」を表す記号に用いた演出に対しては批判があって当然だが、
それを「制作サイドの無知」の証とするとは笑止千万だ。「身分コードを分かってないと使えない」演出なのだから。
しかし、元を正せば清和天皇に遡る凋落中の為義、バーバリアンも多数輩出した源氏まで皇族のように描け、さもないと歴史無知となるんかいなヤレヤレ。