清盛ファンからですら不評だった和歌もどき。
たしかに、アレを下らないと見捨てず付き合うためには、清盛和歌下手という史実と
歌会(宴)は形を変えたもう一つの政治の場であることに対する理解が前提となった。
しかし、この前提をすっ飛ばしていきなり和歌もどきをもってきたかといえば、そうではない。
明子へのラブレターを義清に代筆してもらい、おまけに洒落た明子の返歌に「さっぱりわからんぞ、アハハ」
と愉快な清盛クンがあったではないか。
そして義清が、「ここで行われているのはただの宴ではない政だ」と清盛に諭すシーンも挿入済みで(殿上闇討ち回)、
こうしたダンドリを踏んだ上での和歌もどきであった。

さらに、和歌もどきはそこで終わらなかった。
重盛から鹿ケ谷の顛末について報告を受けて落胆した後白河は、「疼き始めておる、現における物の怪の血がアハハハハハハ」
といつものように哄笑しつつ、清盛へ向けた次の「双六の一手」に考えを巡らし、(西光と成親を失ったが)
「わしにはまだ手駒がおる」とうそぶいた。
そして、矢継ぎ早に挑発を重ね反撃に出た後白河は、基房に清盛作懐かしの「和歌もどき」を披露して、
「あやつを突くには子を突くに限る」と宣言、ここにおいて「残っている手駒」とは重盛であることが
明らかになった(決定的な挑発材料となりえ、現に歴史上もドラマ上も治承クーデターを引き起こす)。
記憶力抜群で破格の心理洞察力を有するゴッシーは、当時無関心を装いながらも、「家族と一門の絆」にこそ
清盛の強みのみならず最大の弱点が宿っていることを鋭く見抜いていたのである。
こうして酷薄なサディスト・ゴッシーによるあの悪魔的所業=「重盛嬲り殺し」の悲痛なシーンがやってくる。
このように、和歌もどきもまた長大な射程をもつ伏線であったことが了解できるだろう。