読みは込み→読み込みは
すんません酩酊状態ですハイ。

高橋説の摂取については、承安の外交と六波羅幕府論を指摘した(後者は、歌舞伎の花道を颯爽と歩むがごとく
颯爽と登場した真打ち&ラスボス清盛のシーンに集約する形で象徴的に描かれた―京と福原との物理的・心理的・政治的距離の問題)。
もう一つ忘れてならないのが、何度も紹介した「王朝文化の体現者=統治の正当性保持者」という高橋テーゼ。
殿上闇討ち回→和歌もどき回を経て、このテーマを正面から掲げたのが、五十の宴回における摂関家エース兼実と忠度との歌合戦であった。

新説にチャレンジすることの意味は、歴史的事件についての通説を、エンタメ大河を使ってひっくり返すことではないだろう。
この点で、地味でマニアックであっても、平安末期とそこに生きた清盛及び同時代人たちに対する我々一般人の知識と認識を、
ささやかながら百尺竿頭一歩進めた大河清盛の貢献は非常に大きなものがある。

おやぬみなさい