【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179©2ch.net
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part178
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492092790/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 唐果物美味しいよ 伊勢丹でたまに買う ちょっと高いけど
あれ作れそうなんだけどね
あんこに入ってる秘伝のスパイスが知りたい
ちょっとシナモンみたいな香りがするよね
ただ、清盛の時代にはまだ砂糖がないため今のものとは違う代物だろうね 干柿のペーストに胡桃や松の実なんかを混ぜたものとかだろうと思う 厨2っぽいのが何となく高平太に似ている西郷どん。
こういう主人公にするとすぐバカにされるのがオチだけど、この2人に関しては必須とも言える青年像だと思う。
両者の似ている点と異なる点をちょっと考えてみた。
(類似点)
・「圧政」に民が苦しむ姿に接して黙っていられない。
→清盛では白河殺生禁断令により犠牲となった盛国の父、西郷では人身売買されるふきというふうに、生活に根ざした具体的描写。
・後先考えずに猪突猛進。
→目の前の悲惨を救う(清盛は小海賊退治。西郷は借金肩代わり)。また、政治による解決といっても権利者への直訴
といった直接行動しか思いつかない。
(農政に関わる中で愛民思想と農本主義という後の西郷の土台となる主義主張を育んでいった。斉彬との接点はフィクションでも、
お目見えはともかく調所へ直訴したことは事実らしい。清盛は落胤と絡めた白河への直訴。こちらは創作エピ)。
・現実の壁に跳ね返され、至らぬ自分、稚拙な自分を責める。
→正義自体単純ではなく、正義を振りましてもそれだけでは正義は実現しないことを思い知る(良き政治の必要性に目覚める。
そこでは、メタ視線による「自己評価」だけではなく、忠盛の「浅知恵は浅知恵によって跳ね返される。それによって苦しむのは民なのだ」。
調所の「やらせてやれ。上手く行くはずない」〜案の定、当の百姓から検見法は嫌がられ、結局ふき一人も助けられず〜
発言に見られたように、「大人視線」による酷評が加えられた。
決して主人公を単純な「正義の味方」に美化し、「主人公上げ」するような浅はかなストーリーではない。
(相違点)
・清盛は2話、元服の直前で松ケンにチェンジしたが、年齢的にはまだ10歳〜15、6歳の間。青臭い青年というより、
問題意識に敏感なませた少年から出発した。
西郷は鈴木にチェンジした時点で既に18歳。今で言う成人年齢に達しており、その意味ではやや子供っぽすぎるエピだったかもしれない。
・信西との穴での出会いから社会の矛盾を教えられた清盛は、彼なりの幼い正義感を抱くようになった反面、「無頼の高平太」と呼ばれる
不良、悪ガキでもあった(2人の巨大な父に挟まれて自我危機に陥った清盛の父と大人社会に対する反抗→克服後は武士像をめぐる忠盛への反逆)。
西郷はたぶんグレたことが一度もない、家族思いの優しい力持ちのようだ(清盛のような特異な出自ではないので、素直な青年で良いのでは)。
ただ愛民思想といっても、下級武士にすら内面化していたはずの「上からの統治者目線」が基本であったはずで、
良い人オーラが今のところ少々全開すぎるように思われる。今後に期待。 >>899
それね
伊勢丹だと確か1つ500円くらいするんだよね
瓦煎餅みたいな生地の中にシナモンみたいな香りのする小豆餡が入ってる奴
これ清盛だけでなく確か真田丸でも撮影に使ってたよね
いまの和菓子の原型ができたのって江戸時代に入ってからで、
それまでは砂糖が貴重品で日本において菓子と呼べるものって干し柿とかドライフルーツが支流だったから こういうお菓子は貴重品だったんだよね
饅頭時代は室町時代にあったけど、禅僧の精進料理として入ってきたもので
もともと肉まんみたいな食べ物が精進料理として小倉あん(塩味)というものだったので菓子という感じはしないし ★西郷って清盛よりバカだったの?なる不思議な書き込みに接したのでお答えした(なお回答ゼロ)。
清盛をただのバカとしか思わなかったウルトラバカのお前よりは、どちらも100万倍利口。
役年齢上、現在の西郷に該当するのが、博多密貿易がバレて内大臣頼長の尋問を受けたあたり。
堂々、貿易と宋銭による「国富論」を開陳して抗弁したものの、摂関家のエース頼長には
まったく通じず凹んで帰ってきた。
兎丸「何で言い返させへんかったんや、お前らしゅうもない」
清盛「言い返さなかったのではない。言い返せなかったのだ。言えば言うだけ己の青臭さ、
浅はかさを思い知らされるような気がして。何かを変えたいと思うだけでは動かぬものもある
・・・あのような男と渡り合うためには、俺はまだまだ度量が足らぬ」
早くから社会の矛盾と政治の不在に目を向けた清盛は、初めっからお前とは違って利口だ(こんな「中学生」滅多にいない)。
正義漢ぶった無思慮な行動は幼かったが、忠盛から「浅知恵は浅知恵によって跳ね返される」と諭されれば、
ちゃんと反省する学習能力があった点でも、バカのお前とは比較にならない。
ツッパリ清盛を「左様か、好きにせよ」と突き放しつつも、博多見聞をセットするなどして
(教育プログラムを押しつけることなく)、教育パパ忠盛はそっと清盛の自発的成長を見守ってきた。
その期待に答えるかのように、持ち前の行動力で未知の広い世界(空間、階層)へと臆することなく飛び出していき、
多くのことを学んでいった清盛は、朝廷流のお勉強には熱心でなくとも学習意欲旺盛な青年であり、
本も読まなければ行動力もないバカなお前とはまるで違う。
こうして博多見聞により一段成長した清盛であったが、頼長から簡単に論破されて「まだまだの自分」
を思い知っている。ちょっと成長しただけで天狗にならずに自分を見つめる目をもつ清盛は、
ネットで偉そうに他人の営為を腐すのが仕事であるお前の100万倍利口なんだよ(現在の西郷の年齢あたり)。
その後、祇園社事件でただ一人、当時の意識水準を超える「ものの考え方」〜清盛の特徴であるある種の合理的思考
(→滋子巻毛騒動、経ヶ島人柱拒絶伝説)〜を世間に知らしめるなどしながら、徐々に後の「体制変革者」そして「交易国家論者」清盛が形作られていった。
忠盛との力量関係が(全面的とはいえないものの)逆転したことを見極めた上で、ようやく棟梁就任へと相成った傑作「さらば父上」回。
そうはいっても新棟梁清盛は妻時子共々、平氏を支える屋台骨としてはまだまだ未熟であり、その未熟ぶりとさらなる成長描写が念入りに用意されていた。
さらにさらに、清盛成長戦略は平治の乱での逆転勝利まで延々と続くのである。 一人の人間の成長プロセスは、順をおって丁寧に検証しなければならない。
それゆえ、18歳の西郷の青臭さと「中学生」清盛の青臭さを同一平面では論じることはできない。
そこで、現代でいう成人前後の清盛がどうであったかに着眼してレスしたのが、上のレス。
あれこれ紆余曲折を経た清盛だけれども、この時点ではかなり経験を積み、世間と世界に対する視野を広げて
自己の将来像を描けるだけの青年となっていたかがわかるだろう(頼長には完敗したが、リクツとディベート能力では敵わなくとも、
経験値からいえば、書物からだけの知識を振り回す頼長を既に上回っている)。
西郷とどちらがバカだったのか?なる下らない質問に対しては、どちらもバカではない、しかし清盛のが二十歳前後の時点では
進んでいたとお答えする。
ババアたち御用達の攻撃材料=「信長を真似した清盛うつけ描写」なんぞ1秒もなかったのである(いわゆる厨二的描写はあったが、
それは未熟であっても「バカ」「うつけ」を意味するものではない)。 そうそう
知性という意味では馬鹿ではないが、何もわざわざ義清から躰仁誕生がもつ意味を
レクチャーされてナルホドするシーンまでやらんでも、
と当時批判したことを思い出した。
それとは逆方向で、未完の大器であっても、ちょこっと盛って切れ者ぶりを発揮する
エピを、「主人公補正」ということで挿入した方がドラマ的には良かったかもー
と主張したりもした。
そういう疑問や要望はあっても、ドラマ造型上、清盛はただの馬鹿ではなかったことは動かない。 清盛は自ら経験したことを血肉化する方面で抜群の才能を発揮した反面、
直接見聞きしてない事柄についてはまるっきりウブだったからね。
お世継ぎがどんだけ朝廷内の権力闘争において決定的な意味をもつものなのか?
そういう方面はまだ別世界の出来事にすぎず興味関心の外にあったのだろう。
なので、出世願望も露わゆえそうした方面に関する動向に敏感な義清から
レクチャーされるというシチュは、今振り返ると、わざとらしい「清盛下げ」
とまでは言えない。 今見返してるのだが
若きら清盛や忠盛が陰陽師や神仏に対してあんな者はいない
単なる権力装着と思ってるのだが
老いた清盛入道の時代は神仏にひたすらすがっていたような描写が多いな
安徳帝懐妊のきがんとか、高倉帝の病の原案は風水の方角が悪いからとか言ってたり
こういうのも清盛のダーク化 没落、老害化に対する1つの表現なのかな? いやいや「ある種の合理主義者」と書いたのは、「近代的意味での合理主義者」ではない
ことを含意させるため。
後白河院と並んで清盛の迷信嫌い、悪しき因習嫌いはガチ。この意味では徹底的な合理主義者。
しかし、後白河は今様など芸道に精進した一方、仏道にも深く帰依した。
清盛も、徳子安産祈願に見られるように、まさに神頼みの側面が大いにあった。
何よりも厳島信仰は半端でない。平家の氏神様を国家宗教にしてしまおうと企てもした。
しかしこの厳島信仰は、旧来の宗教秩序を根本的に改編し国法秩序に適切に位置づけよう
とする政治家清盛の「世俗的政策」と無縁ではなく(常に政治が宗教に圧迫される現状を変える)、
このことが旧宗教勢力との激突を不可避のものとしてしまった面は否定できない(平家没落の一原因)。
このように、合理主義者清盛を整合的に把握するのはたいそう難しい。
いわば迷信深き古代中世人と合理的な近代人の両側面を兼ね備えていたのではないだろうか。
大雑把に見ると、人の生死に関わる部分では神仏頼み。世俗生活とぶつかる部分では合理的思考優先。
そんな印象を受ける。 いわば迷信深き古代中世人と合理的な近代人の両側面を兼ね備えていたのではないだろうか
そうかもねあの時代いくら革新的な合理主義者でも宗教的な事柄を全く否定する人物というのはあり得ないだろうし
ただそれを権力として利用しようとしていた旧勢力に対抗する意味で厳島の国家宗教化は必要だったんだろうね
旧宗教勢との対立は奈良時代からずっとだしね
平安京遷都だって奈良の仏教勢力の力を削ぐためだし 狩ぁり〜の名人熊ぁ吉がぁー
西郷どんと仲良さそうな転生信頼さんだけど、あっちのほうを想像しちゃいけませんよね…
前世ではゴッシーと手取り合っての睦まじきダンシング。。。 461 日曜8時の名無しさん[sage] 2018/01/23(火) 06:14:03.96 ID:koXsjOJw
清盛も歴史上の出来事をなぞるだけって点では西郷どんとよく似てる
特に複雑になってくる中盤以降は登場人物が歴史の流れを説明するようなセリフばかり喋って、
生身の人間がそこに生きてるような臨場感が全くない
もちろん部分的にいい箇所はあったが総論的にはそんな感じ
キャラクターが直情的だったから実況とかしながら見る人にはよかったのかもしれない
きたあああとか言いやすい大河
★ギャグにしてもアレなもんで、「直情的」でないご説明をしていただきたいのすが、
例によってダンマリ。
しかし、ただ歴史をなぞっただけで人間ドラマ不在とは何のことなのでしょうか?
他方、歴史描写が足りずキャラのココロだけで歴史が動いている、政治描写がない
とか逆方向からの難癖も根強い(歴史学から見れば足りなくても、大河ドラマで
これほど史的展開を丁寧に追っていく「政治ドラマ」はほとんどない)。
謎謎ですわ。 史実性と一貫した物語性がミックスし、前半・中盤から積み上げられてきた数々の布石と伏線を
次々と生かし回収しながら、あたかも「シェークスピア劇」(吉松隆)の様相を呈した清盛後半。
こうした劇的要素は、常に史実と物語上の論理に支えられたもので、その場の思いつきのような柔なものではない。
物語の推進力は常にのっぴきならぬ歴史展開であった点で緻密な歴史劇であり、主人公たちの
息詰まる葛藤描写や心理戦の描写に優れていた点においては抜き差しならぬ心理劇であった。
それらを強靭な論理性が貫いていたことで、ただエピを並べていく五月雨展開型の多くの大河とは
似ても似つかぬ、全50話がタテヨコ緊密にリンクされ、それぞれのパート、場面が相互に作用し合う
重層的かつ構造化された1個の群像劇が出来上がった。
ところが、この不思議な目をした女には、「臨場感がない」、(「論理的なアタシ()」には「直情的」、
深くモノを考えないでその場限りの感動ポルノを好む「実況民向け」となるのだそうだ。
世の中「センス ofワンダー」(大河清盛を絶賛したアメリカ文学、SF批評の慶大巽孝之)に満ちておりますわね。 しかしまあ、後半の清盛なんて盛国すら何考えてるかわからない、真意を語らないキャラだっただろうに。
そうした父に振り回されて苦悩を深めた重盛であるが、最後まで直情径行キャラとはまさに真逆の沈着冷静な「賢人」だった。
赤い羽根から真相を悟り、すっかり清盛から虚仮にされたことに衝撃を受けた重盛は、一門の面前でどう振る舞ったか?
怒りを爆発させたか?そうではない。さすが棟梁重盛様と喜び讃える彼らにただ微笑で答えたのみだ。
しかし、その重盛もついに糟糠の妻経子の前で慟哭した。
こういうのを「直情」と言うのだろうか?(平家の人々の思惑が複雑に交錯する殿下乗合事件回は、台詞以上に彼らの表情
〜ポーカーフェイス、アイコンタクト、猜疑、驚愕、不信、微笑〜が多くをあるいは何かを語った)。
そして、まさか決死の覚悟と確信の元に臨んだあの「忠ならんと」の慟哭が「直情」だと?
盛国が直情的?元々寡黙な上に、後半はグッと堪えて表情だけで演技する場面だらけではないか。
だからこそ「ヤメヨー」の大喝が恐ろしいほどのド迫力で鳴り響き、清盛その者に突き刺さったんだよ。
策士であり曲者の時忠が直情的だと??冗談はやめましょう。
竹馬コンプに苛まされ続けた宗盛(木下強奪エピとの驚異的な接合)。かつての平家物には見られない
能力不足の自分を見つめる視点をもった宗盛。
敬愛する重盛へのコンプと密かな野心との狭間で葛藤し屈折した彼だからこそ、ド直球を投げ込んだ一世一代の還都諫言が
頑迷な清盛を動かし得たのである。
まさかこの女は、宗盛が身を投げ出したこの歴史的名場面をもって「直情的」とほざくのだろうか?
後白河、頼朝等については略。
このように清盛の登場人物たちの感情の爆発や慟哭さらに嘆きなどは、常に息の長い線的描写の果てに訪れたものである
(他に、「誰でも良ーい清盛」と穴で出会い「清盛その人」を求めながら穴で終わった信西。「我が子よー」の忠実、
文字通り大咆哮し直ちに行動に出た治承クーデターでの清盛〜重盛を賭けた最初の双六からの因縁など)。
とんだ「感動ポルノ」だわね。 確かこの女は昔「平家の女」視点から何でやらないのよー、無能な制作側がーってやってた。
大変結構でござりまするが、大河清盛は大河義経におけるような「女子会トーク」には一切関心を持たなかった。
ひたすら歴史の動きとそこに生きた人々の核心部分へと迫ることだけに力が注がれた、そういう大河だ。
ある意味、「王道大河」ですらあるのだが、考えてみるとこのようなレベルで歴史を追っていき、
質の高い情報量満載の大河はほとんどない。
んなもんで「ただの史実再現ドラマ」とか目が・となる呆れた評価が出てくるのだろう。
清盛は頼朝によるナレの挿入も絶妙であったが、登場人物たちが然るべきシチュエーションでの
当然あって良い「説明台詞」を超えて、説明台詞だけで物語が進んでいったとは、これまた笑止千万の与太話だ。
絶頂平家とその没落過程ばかりが描かれてきた平家物において、本作は平治の乱後の清盛の上昇過程を
本格的に描いた初めての映像作品だろう。
この視聴率的には不利となる地味な政治パートを逃げずに取り組んだことだけでも賞賛に値するが、
どうしても必要となってくる説明部分すら常にストーリーライン上に適切に位置づけられ、
因果の流れを有機的に作り出していた。例えば、
〜狭くて通航不能→広げれば良い→万事先例の朝廷からの許可が下りない→重盛を送り込んで工作させる〜
という具合に。
ここでは、音戸の瀬戸開削と重盛公卿昇進という重要史実が、清盛と兎丸との巧妙な「説明台詞」によって
見事に連結されていた。これはほんの一例。 屈指の芸術回であった白河院の伝言回。
新映像を加えた上で回想を駆使しながら、生死の境界線上で悶える清盛は、過去と現在、
意識と記憶との間を往還し、そこで母舞子と「出会い」、父白河と再び対峙した。
清盛が死の淵から蘇生したのは、「そちはまだ見えぬ登りきった景色を」と無表情で息子
を挑発する(ある意味尻を叩いた)白河院に、「あなた様を超えて見せまする」と決然と表面したその時だ。
作劇上のハイテクを駆使し内容的にはいささか晦渋なこの回は、実に清盛の未来をも語っていたのである。
そして、登りきった末の景色はいかなるものか白河に代わり清盛に尋ねたシーンこそ、乙前によるかの
「いかがですかござりますかそこからの眺めは」のリフレインである(治承クーデターのメタファー)。
この回は、清盛の人生を前後二分する画期となった大病・出家という単純しかし重要史実から、
過去・現在・未来の全ベクトルで人間ドラマを深掘りした回であり、とてもじゃないが、昔は良かったーによくある
回想を垂れ流すだけの「中間的総括回」で済ますわけにはいかない。
これを見て「ただ史実を並べただけ」と感じることは自由だけど、そういう人は清盛とは一生縁がないと
諦めるしかない。 うわぁ帰って深キョン清盛くん近衛ちゃん惟方氏を愛でようと電車に乗ったら
録画し忘れたのに気づいたの巻 隣の華族は蒼く見るは、中々深いお話だね。
現代の華族模様を描いてる佳作。
長文も見れし どうせ一回でやめるとおもって連続予約しなかったのよ。
因果の流れに追加すると、二条親政により院政停止、窓際に追いやられて鬱屈し仏道に帰依する後白河の姿と、
清盛による蓮華王院献堂もそこに組み込まれていた。キーワード=【院政停止】【仏道帰依】【蓮華王院】。
重盛を公卿に送り込むといっても、清盛が決めるわけではない。人事権を握る後白河の歓心を買う必要がある。
そこで清盛は、癇癪を起しムシャクシャして仏に縋る後白河の心の隙をついた。
(既出のように、これは父忠盛が鳥羽に取り入った手法を踏襲したもの=得長寿院献堂→殿上人へ)
・頼朝ナレにより後白河の置かれている現状を解説。
・法華経の長者窮子を読み、自分をシカトする〈親不孝者〉の二条に腹を立てるゴッシー。
・反面、最愛滋子の子である憲仁溺愛の様子
・千体の千手観音像を作らせたが、堂がなくて困っている情報を聞きつけて清盛が訪問、請け負う。
(清盛は千体の千手観音像を奉安する御堂を献上した。蓮華王院と呼ばれるその御堂は、それは華麗なもので、
後白河院は狂気乱舞なさった)byナレ朝
・褒美として重盛公卿昇進(ギブ&テイク)
まとめると
博多を都の傍へ持ってくる→瀬戸内海は狭く船が通れない所がある→【音戸の瀬戸】を開削する→朝廷の許可がおりない
→一門を公卿にあげて影響力を発揮する→蓮華王院献堂(【アナタコナタ】は政治的には二条へ奉仕、経済的には
後白河に奉仕が基本スタンス)→【重盛公卿】へ
このように、地味だが見落とすことのできない重要な史実が、流れるような一本のストーリーとなって連結されていた。
新しもの好きの後白河に取り入ってきた清盛であるが(「清盛の大一番」回での宋の茶器)、ここでは「仏に縋る後白河」
の心の隙につけ入ったことが重要。
以上、「単に史実をなぞっただけ」の清盛でした! 後にも先にも全話録画Blu-rayに落とした大河は清盛だけだな
関連番組もほぼ収録したし あそこまでハマった大河は他にはないよ >>923
俺ここ最近では風林火山とコレと八重の桜だわ
当時はDVDレコしか持ってなかったのが悔やまれる
毎日その3作品を順番に見直してる ・「俺は誰なんだー」「誰でも良ーい」なんて、ちょっとやめてほしいと思うでしょ、ふつう。
それがへいじの乱であんな悲しいシーンへと転化するなんて。
・下らんラブコメとマッチョ婆たちが思いっきりバカにしたツンデレ由良の「と父は・・・」。
これが今際の際で「義朝様forever」を伝える感動のメッセージとなるとはね。
・強き人生、美しき人生、面白き人生〜三者三様の青臭い抱負を語り合った3人の男たち。
中身のない薄っぺらで陳腐な対比にこちらまでこっぱずかしくなった。
しかし、最後まで見届けた人間には、義朝の強き人生、西行の美しき人生、そして清盛の面白き人生、
どれをとってもずっしりと重く響き、若き日のあの馬鹿臭いシーンを思い出しては感慨に耽ってしまう。
・ヲタすら嫌う海賊王になるぞー。しかし、清盛が兎丸の名を刻んだ石の経文を作成するシーン
が来るたびに、思い出しては懐かしさで胸が一杯となってしまう(同調を求めません)。
以上は、「今年の大河は安っぽい」と言われかねなかった描写だが、これらに限らず
最後まで熱心に見続けてようやく真価がわかる。もっと本格的な理解を求めようとするならば、
「平清盛なくして武士の世はなかった」で締めたナレ朝から直ちに初回冒頭に回帰して再見、
さらに三度見以下続くの循環を繰り返す必要のあるーそんなヘビーな大河が清盛。
これが大河の正しい在り方とは思わないが、ともかくも本放送時と比べて格段に理解が進み、
再評価がなされ、プチリバイバル現象を見てとることができるのは喜ばしい限り。 へいじの乱→平治の乱
と父は→と父が
毎度スンマセン。
ツンデレ姫から武士の妻の鑑へと「転身」した田中麗奈さんは素晴らしかった。
ついこの間、明治天皇の妃を見事に演じていたが、ついでにもっと奇怪で
政治的にも光を当てなければならない大正天皇の怪物キサキ(原武史)を是非やっていただきたい。 アンナチュラルの転生崇徳が話題のようで、さっそく清盛オバサンたちが清盛見て―とやってます(頭が下がります)。
ただ、最後の怨霊だけにスポットを当てた鑑賞のされ方は、アラタ氏としても不本意だろう。
儚げでひたすら不憫な崇徳ではなく、権力意志も露わな崇徳(待つこと13年!)こそ本作の崇徳の真骨頂であり、
ブリリアントなアラタ氏は、そのことを鋭く見抜いた上で役作りに励んでいたことに留意されたい
(そうでなければ怨霊となるまでもなく、配流先の讃岐の地で静かな余生を送れば足りたのである)。 ローリング卒倒した崇徳を死んだ魚の目と評した人がいて、これ中の人に対する最高の褒め言葉じゃんと感心したもんだ。
青墓で覚醒した雅仁。堂々めぐりする王者議定。とうとう重仁即位のときが来たと胸を高鳴らせる崇徳。
そこから突如ギアがトップに入り怒涛の急展開でラストへ。ニンマリドヤ顔で玉座に座るゴッシーが爆誕した。
幻想的な青墓といい、このかっとんだ演出も清盛の「大河らしくない」部分。
自分はもちろん好きだけど、置いてきぼりを食らった人も多かったのでは。 途中サボって見てないが、最終回ということで精霊を見たら懐かしい白い粉がw
こうこなくっちゃw いいなあこの色彩を抑えた映像。技術面の詳しいことはさっぱりなんだが、やっぱ好みはこっちだ。
とりわけこの方面では、明るい、キレイ好きの方々を説得し、説得される関係となるのは無理。つまり議論してもムダ。
西郷どんの映像基調は基本清盛寄りだと思うのだが、気のせいか時に色調にくどさを感じる。何か加工しているのだろうか。
とりあえず、映像面における清盛の挑戦が大失敗と総括され、完全にリセットされた(私見では退行現象・・・)
とまではいえなさそうな印象がもてて、精霊最終回は有意義だった(ストーリーはもはやわからん)。 転生崇徳院と重盛のドラマ、なかなかいい
これまでも法医学がテーマのドラマはあったが、地味だった
ここまで派手に面白く作れるのかって感じ アンナチュラルの脚本は当代屈指にまで上り詰めようとしてる凄腕だからな。
それも良いが、主演夫婦二人の、となしばも良いぞ。
優しいタッチで現代を中々鋭く描いている。 それと法医学を派手に描いたのは、小栗旬と島津久光と上杉景勝
が出てたドラマで。あさがきたの人が演じてたのも良かった。 医療・刑事ものと漫画原作ものは、それだけで偏見により大方パスなので、
法医学ものも気が進まないのだけれども、2人が出るということでこちらは連続予約。
でもまだ見てませんスンマセン。
原作なしでちゃんと話を作れてオリジナリティがあってしかも面白い。
ドラマ映画好きでも何でもない無粋な男が言っても説得力ゼロながら、そういうの女脚本家の方が
断然上でないの?少なくとも現在は(西郷は原作ありだが、原作無しの大河が絶対正義のはずがない)。
大河においても事情は同じで、NHKがオンナに媚びたゆえの女脚本家の起用とは言えない。
歴史音痴ならバックアップ体制を充実させる方向で補い、まずは作劇能力を重視しているのだろう
(ハズレは当然出てくるが、それは男脚本家でも同じ)。
念のため言うと、藤本女史は、受諾時こそ平安についての専門的知識は危ういものであったとしても
(元々その時代のそのテーマに精通している脚本家はほぼいないだろう。
ところが、「大河批評の権威」たちによると、昔は良かったーの脚本家たちは、執筆前から専門家並みの知識を
皆持っていたのだそうだ)、禁欲的なまでの勉強ぶり(by本郷)とバツグンの頭脳と古典的教養によって、
隅から隅まで研鑽の成果と知識量では決まらない歴史への洞察力を、大河清盛において開陳したのであった。
野木女史という売れっ子についてはまだよく存じ上げぬが、才気煥発しかも長丁場に耐えうる
構成力・俯瞰力を証明した暁には、ぜひ大河をやってもらいたいね。 清盛に関しての藤本有紀のロングインタビューとかないのかな?
世間的にはアンチの人かなりいたけど、脚本家本人の反論をぜひ聞いてみたいのだが
言いたいことたくさんあったと思うんだよね
はっちゃけちゃうと収集つかなくなるからNHKがセーブさせてたとは思うけど.... ちょっとこの極端な善悪二元論はなー。斉興と斉彬。
客観的には幕府の命である以上、選択の余地はない隠居勧告。
嫌々強いられた感を強調するために、斉興の心情をクローズアップしたのが、今回のロシアンルーレットだろう。
意図はわかるのだが、ちと狙いすぎな創作。
突飛な創作エピといえば鳥羽エア矢。公卿会議で家成、信西といった親平氏のメンツ(の説明台詞)によって
的確に解説されたように、今や鳥羽の治世は平氏の経済的と武力なしには立ち行かない。
優柔不断なところがあった鳥羽は、祇園社事件の対応では果断な措置をとったという(罰金刑で済ます)。
この鳥羽の優柔不断面を踏襲しながらも、「より悩みなかなか決断を下せない」鳥羽へとアレンジするための
創作が鳥羽エア矢だ。自ら足を運んで「枕を射てみよ」と清盛に命じた鳥羽は、清盛が放ったエア矢を受け、
ようやく決断するに至った(何故か?について澎湃した解釈論争については略)。
ここでは、平氏大事から軽罪で済んだ清盛という身も蓋もない史実から、治天鳥羽の主体的決断面を掘り下げる
ドラマならではの作劇がなされたこと。そこで祇園社事件の核心は、清盛の涜神行為ー「あんなものはただの箱」
に止まらず、旧貴族体制のど真ん中で君臨する鳥羽そのものを「射た」行為により、鳥羽自身が述べたように
「そちこそ朕が乱したこの世に放たれた〈矢そのもの〉」にあった、とする脚本家のブリリアントな解釈が付加
されたことが何よりも重要である。
しかも、このエア矢は弁慶の記憶によって40年後、鎌倉まで飛んでいき、不信感に陥った頼朝の清盛に対する
リスペクトを新たにするという途方もない働きをしたのだった。
願わくば、弁慶久光殿、明治に入ってからこの父と兄との藩主交代劇を思い出して、重い意味を与えてやってくだされ丼。 >>937
言い訳無用とばかりに沈黙する姿が清々しい。
三谷も森下も喋りすぎ。
一度胎内から子供が世に出たら、あとは世間の評価に委ねるべき。
この点で、終わって間もなく、ファンが余韻を楽しんでいるところに
ペラペラ「敗者商売」を始めた松ケンには失望してしまい、厳しく批判した。 >>938
枕を射てどうすんだ?よく眠れるようになるのか?
とまず軽く突っ込んどく。
今日の「西郷どん」はまだ見てないんだけど
どうもちょっとがっかりしそうな感じ。
これまでのところ後藤象二郎や弁慶よりも
青木久光のらしさが出てないのも気がかり。
上司部下でありながら終生の敵とでも言えそうな憎らしい
存在感が今のところの人の良い久光からは見えてこないが
これはここからの見せ所でもあろうし楽しみに待つ。
「あんなものはただの箱」とする涜神行為は現在に置いてさえ
非常に危うい感じがする。この無神論はのちの平家納経の信心に
対しても若気の至りでは済まないちょっと異常な行為に思える。
うちの地元では最近子供会主催の左義長がなくなって
自治会が無宗教で焼却するようになった。
時代の流れかもしれないが将来、古いお札をこんなものはただの
ゴミだと生ゴミと一緒に出すのが当たり前の社会になるのかもと
思うとちょっとぞっとする。 うわぁやっちまったw
×枕→○お朕朕
まあ神輿がただの箱っていうのは、紙幣はただの紙と嘯くようなものだ。
さらにそれが進むとビットコインはただの記号あるいは観念となる。
そこに信用が付与されない限りただのモノ、あるいは記号・観念にすぎず無価値。
清盛は、世俗的な欲望のために政治利用しているだけの坊主たちが担ぐ神輿に
宗教性を認めなかった。中にホトケが住まわぬ限り「ただの箱」ということでしょ。
以上、屁理屈捻り出してみました。「信仰深き無神論者清盛」はマジで難問。 >>938
あの「ロシアン・ルーレット」は完全創作でなく、薩摩で実際にやってた「肝練り」という風習を翻案したらしい
【画像あり】「肝練り」とかいう狂った教育wwwwwwwwwwwww by Aちゃんねる - A Channel -
http://guppy.a-ch.net/test/read.cgi/culture/1464584343/ そうだとしても、藩主を肝試しで決められちゃたまったもんじゃない。使う場面がちょっと違うだろ。
しかも、2人の極端な善悪二元論的描写からは、勝敗はやる前からついており、どちらに転ぶかわからない
緊迫感に欠けた(2人の名優の力技は見事)。
ここで、重盛を賭けた清盛vs後白河による最初の双六を思い出したところでおやすみ。 >江とか花燃ゆとか官兵衛とか天地人とか清盛とか経て
>まだ大河は史実に忠実だとか寝言言ってる人がおるんかいな(??????`)
ふーん、じゃあ、ババアどもが大好きな真田丸とおんな城主は「史実に忠実」なんだ?
お前の大好きな花の乱とか黄金の日日とかジパングは「史実に忠実」なんだ?
源平物の新平家、草燃える、義経で、もっとも歴史情報が貧弱でデタラメやった大河が清盛なんだ?
基本設定すらデタラメだったり、義時が愛する女を追っかけて壇ノ浦に参戦したり、オリキャラがわちゃわちゃやったり
女史トークやって義経の真実なんてほとんどなかった大河ではなく?フーン。
ま、おんなネトウヨに今さら何言ってもムダだが、清盛ほど史実をきちんと押さえていった大河はほとんどない。
もっとも派手なエア矢にしても、史実を改竄したものではなく、祇園社事件という大事件の史実部分と社会に与えた衝撃を、
公卿会議等を通じて的確に伝えるとともに、人間ドラマ部分(鳥羽の決断)を想像力豊かに膨らませ、
併せて清盛=(後の)体制破壊者という根本テーゼを鮮烈に印象づけた創作である。
もう一つ、常に出される一騎討ちは、それこそ平治の乱のエッセンスを極めてオーソドックスかつ的確に描いた上で、
ドラマが内包する論理展開に正しく位置づけて導出された作劇なのだ(射程は殿上闇討ちから最終源平合戦まで及ぶ)。
要するに、歴史と人物の核心へ迫ることを目的としない単なるフィクションとは清盛は一貫して無縁であり、
そういった意味で「史実に忠実な大河」、「史実とフィクションが高次元で融合した大河」なのである。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。