とりあえず鎌倉時代に“領国”という概念はないだろう。
領国の概念は、守護が大名化して管国の一円支配が進展する室町以降。

ただ「北条残党の反乱は、足利に与えた北条の旧領で多く発生している」というドラマに
おける後醍醐帝のセリフは、佐藤進一氏が中公の『南北朝の動乱』なんかで指摘している
ことをそのまま持ってきたような感じだな。