幕末は興味深いですな゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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『ペリー提督日本遠征記(下)』(角川ソフィア文庫/M.C.Perry/宮崎訳)

■「日本女性にはほかの全ての東洋の国民にはない、優れた特質がある。それは女性が伴侶として
 認められ、たんなる奴隷として扱われていないということである。女性の地位がキリスト教国ほど
 高くなのは確かだが、日本人の母、妻、娘は中国と違い、だんなる動産でも家内奴隷でもなく、
 トルコのハーレムに買われた女性のような気まぐれな快楽の対象でもない。一夫多妻制度がない、
 という事実は、日本人が東洋諸国の中で最も道徳的に洗練された国民であることを示す顕著な特徴
 である。」

■「(開港予定の)下田は1000戸ほどのまちで、人民はそれなりの生活をしており、乞食はめったにいない」

■「艦の蒸気機関が日本人に激しい興味を引き起こした。日本の画家が常時雇われて、機会あるごとに
 機械の諸部分を写生しその構造と運動の原理を知ろうとした。絵を見ると比率も完全に正確だった。
 誰が描いてもこれ以上できないほど正確で優れたものだった。日本の技量の見本として売ってもらおうと
 したができなかった」

■「日本では本の需要は大きかった。教育は帝国中普及していて、中国とは異なり日本の女性は男性と 
 知的進歩を共有しており、日本文学にも精通している」

■「日本人は猛烈に働くが時々の祭日でその埋め合わせをするし休日などはゲームや娯楽を楽しんでいる」

(以下解説)
■ペリーは1794年海軍大佐の三男として生まれた。14歳で海軍に入り初の蒸気軍艦フルトン号艦長となる。
 東海岸ノーフォーク港を1852年11月に出港し喜望峰、中国をえて1853年7月に江戸湾に現れる。

■300名の兵隊とともに久里浜に上陸しフィルモア大統領の親書を渡す。受け取らなければ大砲を
 撃ち込むと脅したため。日本の大砲より射程が長かった。当時の欧米はアジア諸国に難癖をつけて
 戦争し勝つと領土分割などを繰り返していた。

■その後幕府はオランダから軍艦を購入し1857年には到着し1860年には「咸臨丸」として
 勝海舟艦長の下太平洋を渡り米大統領と面会する