【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
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大河清盛以外では、86年NHK武蔵坊弁慶の平家パートが一番かな、
清盛、知盛などイメージピッタリだった。
https://www.youtube.com/watch?v=RKdYoUYnBow 【大河の清盛VOL24】小松家のヒミツ【番外編】togetter
「箸休め回」どころか、信西による政治改革を的確に紹介しつつ(急進的な改革が平治の乱の序章となったことも怠りなく描写)、
戦間期清盛についての最重要史実である太宰大弐就任を、相撲節会復興という一大イベントに絡めてドラマ化した「清盛の大一番」※。
保元の乱後の重要ポイントを、「相撲」をキーワードにリンクさせて見事にまとめあげた手腕が光る、隠れた傑作回である。
それが、このパブロフの犬並みの卑しいババアどもにかかると、このような嘲笑・罵倒・冷笑の嵐となるのだからやりきれない。
そろそろ遊び人仲間のレンちゃーんも迷惑だろうに、またぞろウヨ婆さんがアピールしているので、その醜悪さに反吐が出るであろう
読者には申し訳ないが、マジメに取り上げよう。
(なおこのシコメたちは、どんなに時系列、空間把握がデタラメだろうと、ミタニンすげーや昔は良かった―については、
作り手を罵倒中傷するどころか、何一つ疑問をもたない特殊なオツムと下劣な感性の持ち主たちである)
※
・翌保元2年(1157)10月、内裏修復完成→信西、財力による平氏の貢献を後白河にアピール→平氏一門揃って官位上昇
・保元新制の主要政策であった税制改革→清盛を太宰府へ派遣→地元のドン原田種直を半ば恫喝により傘下に(太々しくなった清盛※※)
→さらに西国支配&日宋交易支配のために超重要な大官=太宰大弐を欲する
→古儀復興策=天皇権威復活の柱であった【相撲節会】と絡め、観戦する後白河との【大一番】に勝利し見事ゲット
(「組まずに勝ちよった」by信西〜さっそく入手した唐物を用いて後白河の「好奇心」を刺激。古儀より今の流行が好きな後白河を籠絡)
もう一つ、重盛と経子の婚礼=政略結婚→ゴネるマジメ重盛を問答無用で【上手投げ】〜後白河最側近成親と姻戚となる。
※※
「あの戦より、わが夫の肝の座りよう、これまでの比ではございません」by時子。これを聞いた蝙蝠男成親は思案顔「こいつ使えそうだ」→妹を重盛に。 ★唖然茫然してしまうようなババアたちの空騒ぎに付き合うのは消耗だけど、手始めにコレ。
平 資盛 @sukemori_t 2012-06-18 00:34:51
あれ????保元元年の、保元の乱の頃お腹大きかったですよね?時子様。相撲の節会は保元三年なんですがwwwwwwwww←イマキガツイタヒト
平 資盛 @sukemori_t 2012-06-18 00:35:29
結局あのお腹の中にいたのはどなただったのかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwこれは大河史上最大のスルーかもwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
??魔王の小姓???? @mori1582oran 2012-06-18 00:35:54
@sukemori_t ハッ、ソウイエバ…
歌猫いろは@すけべツイ増量期間 @kanekoiroha 2012-06-18 00:35:58
@sukemori_t 二度も話ふっといて、結局誰が産まれたのやらw
ちょび @chobi_shepa 2012-06-18 00:36:01
@sukemori_t 三年身籠る…。弁慶?
すずのもみじ @momiji_suzuno 2012-06-18 01:07:15
あっ。そーだった。すっかり忘れてました。 QT @sukemori_t: あれ????保元元年の、保元の乱の頃お腹大きかったですよね?時子様。相撲の節会は保元三年なんですがwwwwwwwww←イマキガツイタヒト
また @wakakusujp 2012-06-18 00:51:39
Σ(゚Д゚) RT @sukemori_t: あれ????保元元年の、保元の乱の頃お腹大きかったですよね?時子様。 相撲の節会は保元三年なんですがwwwwwwwww←イマキガツイタヒト
★本当に消耗×100万ですが。。。
「殿も必ず勝ってご無事でお帰りください。そして、この子の顔をみてやってくださりませ」
時子がそっとお腹に手をあてると、清盛が驚きに目を見張った。
「ややが・・・」「今朝、気づきましてござります」
「かようなときに身籠るとは、きっと〈戦上手の子〉がうまれよう」
「まあ!おなごだったらどうなさります」
←「前夜の決断」。すなわち、保元の乱直前(1156年夏)に時子は身籠った。となれば、子が生まれるのは1157年だろう。
そして、2人の会話からは、文句なしにその子は「戦上手」となる重衡ということになる(疑う余地はない)。※※※
※※※子供たちの生年を西暦で示すと、宗盛1147年、知盛1152年、徳子1155年、重衡1157年。
いっぽう、
「同じ頃宮中では、清盛が膳の支度をした相撲節会が始まっていた」byナレ朝
→内裏完成から太宰府への清盛派遣を挟んだ相撲節会は、保元3年(1158年)の出来事であったことがわかる。
そこで、1157年に生まれた重衡は、1158年の相撲節会時では1歳になるかならないかという嬰児ないし赤子ということになろう。
当然のことならがら、物語上はいまだ何らの意味をなさない、どうでも良い、省略可能な存在にすぎない。
であるのに、何故、将来の重衡が(その後極めて重衡らしいキャラ造型が付されて登場し、最後大仏焼討ちで「魅せた」)。
赤子の姿で現れないと、「まだ生まれていないのかよpgr」「3年身籠っているの?pgr」「名無しを産んだのpgr」「重衡もどき?pgr」
「大河史上最大のスルーpgr」「キャラの使い捨てpgr」となるのだ?
ほんとにほんとに、卑しい品性以前に、こいつらのオツムは本当にお花畑なんかよ?
この間に無事、重衡は生まれた。しかし、赤子を出す必要なんぞこれっぽちもないからまだ出てこない。ただそれだけの話だ。 大蔵合戦における赤子義仲省略もまったく同じ。これも何度も述べた。何しろ、ヨイショする大河については、突如現れたり、
それっきりで登場したとしても、いたっておおらかなのに、攻撃すると決めた大河については、「人物整理の一般論」すら通用しない。
ここでもこのパブロフ犬たちは、為義vs義朝の骨肉の争いという文脈で、大蔵合戦を映像化した画期的な意義を理解すること
なんぞ夢のまた夢。やったことの意義を正当に評価するのではなく、ただひたすら赤ん坊の義仲が出てこなかった
一点を喚き散らしていたのである(当時の2ちゃんもそう。なぜか?こいつらが押しかけて大暴れしているからだw)。
まして、長期的・構造的な源氏の分裂と統合の中に大蔵合戦を位置づける視野を、こいつらに求めてみても始まらない
(義朝東国修行→東国武士性→帰還、自らは貴族性をも獲得。東国武士性は(粗野な)義平へ、頼朝は上品な京貴族の属性=分裂
→伊豆へ流された頼朝は、東国武士性を獲得していく=再統合)。
しかも、せめて義仲省略の意図を探り、清盛死後の源平合戦においても省略するだろうと予想するならばまだしも、
そんな想像力をもつものもいない。いたと思ったら、この婆さんは「当たった、当たった」「ほれ言ったことか、
無能な制作側がー、当てたアタシってえらーい」とドヤ顔してるんだから、もう何とコトバをかけてあげたら良いのでしょうか。。。
さすが「新平家は一の谷で討ち死にする忠度をきっちりやりました。どこぞのネタ大河とは違うのですキリッ」
「アタシのキレイな平安どーしてくれるのよぉー」で頑張ってきた、2ちゃん清盛特別攻撃隊センターFwだけありますわね。。。
ああ消耗、お休みなさいw 追加
それっきりで登場→退場
なお、人物の登場のさせ方、退場のさせ方双方について抜かりなかった大河清盛にあって、
為朝と義平は、フォローなしで(前者はそのまま、後者は「斬首」された旨のナレ)退場させた。
これもおざなりではなく、よく考えた上でのフォローなし退場であった。
すぐさま平治の乱へ向けてストーリーを進めた本作で、いわば数少ないエンタメ要員であった為朝の事後譚
への言及は、尺以前に本筋からの脱線でしかない。
また、同じく軍記物の名場面であろうと、義平斬首の場面を、現に映像化された戦間期描写の中で尺をとって
やったら、著しく前後とのバランスを欠き浮いてしまっただろう。戦間期の物語上、義平はすでに要らぬ人だった。
(何よりも重要なのは、清盛vs義朝→頼朝の関係性)。 でわ 所変わって読み直したら間違い。義平について訂正
戦間期の物語上→平治の乱後、清盛の一人勝ちとなった政治過程において、
義平はすでにストーリー上も過去の人=要らぬ人となった(ナレ死が妥当
ー何よりも重要で集中すべきは、清盛vs義朝→頼朝の関係性)。 6年前のツイをいまだに取り上げるとは…
この回あたり記憶乏しく妊娠問題はまったく覚えてない
もちろん赤ん坊出す必要は皆無だが二回も妊娠ネタにしたのなら
ナレででもその子が重衡と紹介するのが当然と思う
頼朝がいつの時点の設定で語ってるのか知らんがその後の因縁思うとね アララ婆さんだか、今や自称「同人誌系作家」となられた遊び人が降臨?6年も前って、今日も勝ち誇ってたんだけど?
暇で暇で暇なお金持ちたちがただツイで遊んでる分には、個人の楽しみを邪魔立てしたりはしない。
ところがどっこい、
自称歴史系ブロガーだのツイッタラーだのこそが、2ちゃんの歪んだ「世論」をミスリードする張本なわけね。
ババアババアばかり強調して済まぬが、オトコのリテラシーに執念の人にアール何とかさんと言った愉快な仲間たちも同じ。
問題の重衡だが、もし赤ん坊を出したのならば、「この子が後の重衡である」みたいなナレが必要だろう。
しかし、清盛は正当にも赤子重衡を出していない(清盛の大一番回で、時子が乳を与える姿などまったく無意味)。
なので、「保元の乱直前に身篭った」という描写があったのだから、その帰結すなわち生まれたことをハッキリさせるべく、
赤ん坊を出すべきであるし、せめてナレで言及すべきだとする批判のみが、辛うじてあり得る批判だ。
しかし、上述したように、既に「〈新たな子〉が生まれている」ことは、自然の摂理上もドラマの設定上も疑問の余地がない。
しかも、それが「重衡」という固有名詞であることは、その時点で特に意味をもったわけではない
(わかる人には「戦上手」から重衡であることがわかるが、わからなくても問題ない)。
したがって、そのことを視聴者にわざわざ「告知」する必要があったと主張したいのならば、「コレではまだ生まれていない」
との誤解を与える、あるいは「赤子重衡はその時点で(初の子重盛を授かり喜ぶ清盛のように)、ドラマ上意味をもちうる」
ことを説得的に述べるべきだ。
悪いが、「3年も身籠ってまだ産んでない」と訝しむ善男善女や、「赤子重衡を見たい」と当時切実に感じた善男善女は、
善男善女でないこのババアらを除いてまずはいなかっただろう。
赤子重衡省略という「アタシが見つけた世紀の大発見」から、「ヒトの妊娠期間すら誤魔化して平然な間抜けな作り手」
と勝ち誇るババアどもの滑稽な姿は、もはや醜悪というしかない。 >源氏は希義たんどころか坊門姫まで抹消されて、鎌倉幕府どうなるの?って>感じですけどもwww
www3つ。なんか可笑しい?毎日お小遣いたらふく貰って遊び呆けていると、顔に締まりが無くなっていくのか?
2人がいなくとも別に鎌倉幕府はビクともしないから。
頼朝大河であれば出した方が良いとは言えるが、これは大河清盛だ。平氏サイドについては、
新平家のようなデタラメを一切やらず、清盛物語に欠かせない重要人物をほぼ網羅して、しかも念入りにキャラづけした。
それで、知らない人の方が圧倒的だろう源氏のその2人は、「清盛物語」で如何なる意味をもつ人物なのか?
子供、兄弟、妻すべてを、脈略もなしに、しかもオギャーと声を上げた時から出さない限り駄作となるのならば、
お前の大好きなパッパはどうだった?アレいない、コレ出さない無能なミタニンがーって騒いだのか?
また、徳川方武将をバッサリ整理したことに文句はないのか?三成の一の子分に信繁をでっち上げるために、
島左近をモブにするような改変は問題ないのか?これで「西軍どうなるの?」とやらないのか?
兄弟
信綱、昌輝、昌幸、信尹(加津野昌春)、金井高勝、清鏡?
妻
正室:山手殿(寒松院殿)
子
信之、信繁(幸村)、信勝、昌親、村松殿(小山田茂誠室)、娘(真田幸政室)、娘(鎌原重春室)、娘(保科正光室)、
趙州院(宇多頼次室のち滝川一積室)、清光院(妻木頼熊室)、於楽 ツンデレ高ピー姫から、義朝を一途に慕って京へ上ってきたいじらしい押掛け女房由良。
常盤の存在に苦しみながらも武士の妻の鑑へと成長していった賢妻。
すべてを頼朝の成長と源氏の繁栄のために捧げた強き母そして妻。
愛する夫を「源氏の名に恥じぬよう雄々しく戦ってきてくださいませ」と送り出した気丈な妻。
時にはビンタを辞さず頼朝を厳しく躾け、為義処刑(親殺し)という残酷な場面に立ち会わせた教育ママ。
そして、今際の際でコミカルな恥じらいの言葉「と父が・・・」を口ずさむ由良。まさしくそれは
「義朝様フォレバー」なるダイイングメッセージであった。
為義斬首を見届けた頼朝は、父の期待に応えようと進んで元服を申し出た。
そこから父母の期待に応えて貴族社会に参入しつつ、源氏の誇りを身につけていった。
(画期的な上西門院殿上始めデビュー〜本邦初映像化だろう。ここで初めて会って粗相を働いた
清盛の「デカい」印象が、後々まで意味をもった→無気力、無抵抗、あんな人ではないとの失望)
義朝ー由良ー頼朝(+常盤)の三者関係もまた、平家大河とは思えない厚みで描かれたことがわかるだろう。
これをまったく評価することなしに、清盛物語からはどうでも良い希義がいない、坊門姫がいない、
ばっかじゃないーーとおっ始める、この連中の思考回路が正直ナゾだ。一事が万事この調子。 長文ドン、おいらのスレでようお気張りやしたな、おやっとうさんでごわす、
コピペどうかゆるいてたもんせ
平清盛の保元の乱と平治の乱は、1対1を基調とする「平安の戦い」(周りは見守る)を適切に描いていた。
にもかかわらず、当時2ちゃんでは、盛りに盛った軍記物を持ち出したり、酷いのになると、戦国大河や近代戦を基準に
「ショボい」と大騒ぎする連中が大量発生したのである(おたくらのことだ)。
もっとも、乱勃発までの経緯と戦後処理を重視した清盛では、本戦描写についても、ただドンパチ、チャンバラやることよりも、
「戦場における」人間ドラマに力が注がれていた。個別に特徴を見ると、
保元の乱では、軍記物の誇張を強弓無双ガンダム為朝一人に担わせるなど、エンタメ要素にも配慮していた。
勝敗について、最大武門である清盛平氏が後白河方について参戦したことにより、その時点でほぼ戦いの帰趨は決着した。
しかし本作は、そのような身も蓋もない客観的要因では満足せず、当代きっての切れ者学者ー信西と頼長ー両指揮官による「頭脳戦」
(孫子同一命題の真逆解釈)が勝敗の行方を大きく左右したと再解釈することで、保元の戦を勝ち抜かんとする両陣営の
意志と頭脳のドラマに置き換えた。
清盛vs忠正、義朝vs為義2組のタイマン対決も、刀と刀のぶつかり合い以上に情念と情念とが火花を散らす人間ドラマであった。 767日曜8時の名無しさん2018/07/14(土) 22:15:24.59ID:6lBeQxyI>>788
平清盛の保元の乱と平治の乱は、1対1を基調とする「平安の戦い」(周りは見守る)を適切に描いていた。
にもかかわらず、当時2ちゃんでは、盛りに盛った軍記物を持ち出したり、酷いのになると、戦国大河や近代戦を基準に
「ショボい」と大騒ぎする連中が大量発生したのである(おたくらのことだ)。
もっとも、乱勃発までの経緯と戦後処理を重視した清盛では、本戦描写についても、ただドンパチ、チャンバラやることよりも、
「戦場における」人間ドラマに力が注がれていた。個別に特徴を見ると、
保元の乱では、軍記物の誇張を強弓無双ガンダム為朝一人に担わせるなど、エンタメ要素にも配慮していた。
勝敗について、最大武門である清盛平氏が後白河方について参戦したことにより、その時点でほぼ戦いの帰趨は決着した。
しかし本作は、そのような身も蓋もない客観的要因では満足せず、当代きっての切れ者学者ー信西と頼長ー両指揮官による「頭脳戦」
(孫子同一命題の真逆解釈)が勝敗の行方を大きく左右したと再解釈することで、保元の戦を勝ち抜かんとする両陣営の
意志と頭脳のドラマに置き換えた。
清盛vs忠正、義朝vs為義2組のタイマン対決も、刀と刀のぶつかり合い以上に情念と情念とが火花を散らす人間ドラマであった。
他方、平治の乱では、「大将が前線に出て一兵卒のように大暴れする」大河、時代劇お約束の見せ場を断固排して、
終始六波羅の後衛(大本営)で戦況を操り、一つ一つ双六の駒を進めて逆転勝利に繋げた指揮官清盛が描かれた。
こうした平治の乱のマクロな要因、乱勃発後の刻々と変わる戦況を的確に描出した果てに、賀茂川河川敷されど2人以外誰もいない、
あたかも仮想現実のような異空間で挙行された「早すぎる源平合戦第1ラウンド」こそが、かの清盛vs義朝の一騎討ちである。
また、軍師官兵衛は山崎合戦など省略に近い扱いもあったが、そもそも戦国大河ですべての合戦を同じように金かけて
やるのは不可能であり、前半の局地戦や中国大返しなど、見ごたえのあるシーンもたくさんあった。
八重の会津戦争が素晴らしかったのは言うまでもない(再現ドラマ性と臨場感)。
花燃ゆとおんな城主は合戦を見る大河ではないからあれで良い。西郷はすべて西南戦争にとっておくものと期待したい。
12年以降で合戦描写面から一番物足りなかったのは、おたくらを激怒させて済まぬが真田丸。
大金かけた割には臨場感に乏しかった真田丸攻城戦(エキストラの突撃。例によって実質大将信繁が颯爽と飛び出して雑兵とチャンバラ)。
夏の陣ともなれば、上田にいるはずの信之が、ななんと決戦前夜に大阪城の奥深くに潜入して弟と対面する超絶ファンタジーに、
徳川方はほぼモブという大会戦の迫力とは程遠いチャンバラ劇。極めつけが殺風景なススキノ?で行われた信繁vs家康の「一騎討ち」。
こちらは清盛@異次元空間のようなロジックに欠けた上、ちょっとばかりの護衛がいるため「二人だけの世界」とはなりきらず、
現実、仮想どちらともつかない中途半端なものに終わった(「真田信繁、お前は戦いしかなかった男じゃー」なる家康の謎発言付き)。
そして、スワっ家康ピンチというところで都合良く秀忠が現れ、他方、信繁にはどこまでも便利屋の風車の弥七、じゃなかった
佐助が登場する水戸黄門の世界さながらの夏の陣と相成った。 【一騎討ちのロジック】
(前略)しかし、その前史においては、忠盛と清盛が源氏とのwin-winの関係を志向したことが重要で、このことを理解することが
平治の乱での「一騎討ち」を適切に位置づけるためにも必要だ。もっとも理解されず嘲笑されたのが一騎討ちゆえ再論する。
源平ライバルは、武家の覇者という一つの椅子を巡り、いずれはNo.1決定戦を挙行して決着をつける運命にあった。
しかし、武士の総体が未だ堅固な貴族体制に劣位する段階では、下手に戦って共倒れしては、旧体制を利するだけだ。
そのことを、深謀遠慮の人忠盛はきちんと自覚していた。
「為義殿、斬り合いとならば共に終わりぞ。源氏と平氏、どちらが強いか、それはまた先にとっておくことはできぬか?
[その勝負は武士が朝廷に対して十分な力をつけてからでもよいのではないか]」
この4話殿上闇討ち回(【源平棟梁間最初のタイマン対決】)における忠盛発言は、その後の源平間の関係を強く規定した
〜視聴者がずっと頭に入れて何度も反芻しなければならない台詞の一つ。
やがて軍事力を発揮して保元の乱を制したものの、清盛には未だ国政を担う力量もなければ、貴族を圧倒できるだけの力はない。
父の言葉をしかと受け止めて戒めとした清盛は、信西の知力を頼りながら国造りに参加し力をつけることが、何よりも大事な
喫緊の課題であると考えた。
他方、父親殺しに手を染めたというのに報われず、恩賞他あれこれ不満を覚え焦る義朝は、
「今は貴族たちに対して互いに力を蓄える時だ、我慢せよ」と自重を求める清盛からの再三の忠告を撥ねつけて、
ついに信頼の甘言に乗せられる形で、クーデターという途方もない軽挙妄動に走ってしまった。 【源平棟梁間二度目のタイマン対決】となった平治の乱での一騎討ちは、武士の力の総体が未だ貴族を圧倒するに至っていない、
したがって、武士の長者決定戦(歴史上の平治の乱の決着とは区別される)は未だ時期尚早の段階において、
「親の教えを守った清盛」と「守れなかった義朝」との間で挙行された「〈早すぎる〉源平合戦第1ラウンド」と位置づけることができる
(3話の競べ馬以上に4話からの帰結が重要。リアリティを欠く異次元空間は、この仮想現実ちっくな一騎討ちの場に相応しかった)。
そして、平治の乱後20年の時を経て、朝廷の内部に食い込んだ清盛の奮戦によって、時代はようやく
「武士が十分な力をつけた歴史段階by忠盛」へと突入した。
この段階で挙行された「源平合戦本戦ラウンド」こそ〈歴史上の源平合戦〉に他ならない。
ところが、頼朝の挑戦を受けて立ち直接出馬しようとした矢先に、清盛は熱病で倒れてしまい、頼朝との【源平棟梁間三度目のタイマン対決】
の機会(最終決戦)を永遠に失ってしまった。
清盛の死後、唯一無比の大黒柱を失った平家一門は運命に抗することができず、壇ノ浦に沈んだ。
かつて助命時に「俺の国造りを指を咥えて眺めておれ!、真の武士とは如何なるものか見せてやる!」と暫定敗者頼朝を突き放した清盛は
(髭切突き刺し=返還→這い上がって来いとの真意を政子が見抜く)、すべての勝敗がついて最終敗者となった後、
イタコ西行に導かれて陰府から現れ、サバサバとした表情で武士の世の建設を頼朝に託した〜「真の武士とは如何なるものか見せてみよ!」。
【敗者から勝者への志の継承】
そして長大な清盛物語は、ついに頼朝のラストワード〜「平清盛無くし:て武士の世はなかった」によって大団円を迎えたのだった
【勝者から敗者へのオマージュ】→1話冒頭へ回帰 以上、源平三世代が繰り広げた関係性の全体を、源平vs旧貴族体制の対立軸にも留意しつつ俯瞰することで、
さらにその中間点に一騎討ちを位置づけることで、それは「荒唐無稽なファンタジー」※※※どころか、平清盛という一個の論理的構築物に
不可欠な構成要素であったことが明晰判明するのである。
※※※歴史上の平治の乱について、原因、勃発までの経緯、勃発後二転三転する戦況、六波羅の後衛で戦況を完全にコントロールする清盛、
一人勝ちとなった歴史的意義、などを的確に描いた上での一騎討ちであったことを忘れるべきではない。
なお、愚管抄には、六波羅に迫る義朝の軍勢に対し、単騎迎え討たんと出馬する黒づくめのカッケー清盛の描写がある。
一騎討ちはフィクションであっても、シチュエーションや衣裳考証含め、無からでっち上げたものではない。 コラコラ!無断コピペじゃなく自作書いてよ、お父さんに清盛おばさんたち。
義朝正妻由良をクローズアップしたこと自体、本邦初の試みだろう。
知名度において義朝2号常盤と比較にならない正妻由良。しかし彼女は、鎌倉幕府を創始し日本の歴史を大きく動かした頼朝の、
幼少期における人間形成を担った、元祖ステージママのような存在だったかもしれない興味深い女性である
(史実はほとんど不明。だからこそドラマで掘り下げる価値あり)。
人間形成だけでなく、京の貴族社会へ仲間入りするにあたっても、上西門院と繋がる由良の存在は極めて大きかったはずだ。
しかし、これまでの源平大河は、彼女に対する関心を放擲して、絶世の美女である常盤をひたすらフォーカスしてきた。
この延長戦上にあるのが、義朝を滅ぼした清盛が常盤を妾とする著名エピ。
新平家で清盛&常盤の恋バナは、(総集編を見るかぎり)中盤もっとも力を入れたトピックですらあった。
大河義経でも、2人の間に生まれた能子なる娘が、源平合戦終盤、「女たちの平家」らしい役割を与えられた。
他方、大河清盛は、歴史の本筋からは外れた後世の創作でしかない「脱線恋バナ」をテーマ化することには些かの関心も寄せず、
寡婦となった常盤の妾化は、「身寄りをなくした敵方婦女子の生存に責任を持つ、勝者方棟梁の義務的行為」に特化させられた。
こうした妾常盤の扱いに対しては、「妾となった常盤を愛する清盛は源平大河の標準設定」との先入観を持つ者が多く、
「とってつけたようなお座なりの常盤手籠めストーリー」と腐す連中が続出した。
しかし、「そうなる必然性がない」という意味で「とってつけた」ストーリーは、「脱線恋バナ仕様」に話を盛った新平家他のほうだろう。
大河伝統芸である主人公の恋物語を尊重せよ、との批判はあり得ても、本質だけに集中した大河清盛における清盛&常盤が
「とってつけた」と難癖つけられる謂れはない。外から「付けた」のではなく、ムダを「取った」のだから。
以上、お馴染みの常盤物語に加えて、頼朝の母由良をフォーカスしたことで、「源氏物語〜源氏一族の物語」は格段に厚みを増し、
反対に、清盛&常盤を恋バナ物語としなかったことで(ガミガミ嫉妬する時子ではなく、理解しようと努める棟梁の妻時子)、
「平家物語〜平氏一門の物語」は(物語性も強烈であった一方で)即物的な性格を強めた。
この2つの対照的な取捨選択は、いずれも大河清盛がまずもって愚直な歴史劇であったことを示している。 CSの全く関係ない番宣で平清盛のBGMが使われててワロタ (∀゚)アハハハハ八八ノヽノヽノヽノ\/\
ヒー様、やっぱゴッシーですの >>619 >>633
A子の最高傑作は昼ドラの砂時計
主題歌を歌ったのは井伊直虎公。 島根が舞台となったドラマは
これと毛利元就くらいなのかな?? 今年のせごどん見てて思ったことは
清盛は音楽の使い方がすごく上手いということ 西郷どんはOPはかなり良いが劇伴がイマイチだな。
その点、吉松&タルカスは音楽面からも作品を強烈にバックアップした。
平安にフィットするか不安だったタルカスは、ここぞという時に威力を発揮し、
吉松が提供した音楽は、様々なパターンごとに最適なチョイスを可能とするだけの質と
多彩なヴァリエーションをもっていた。
そして、これらの名曲群を各シーンで縦横に使い切った作り手のセンスが光った。
しかし、中にはちょっとうるさい、ここは違うのではという感想を個々人が抱いても変ではないし、
少女が歌う「遊びをせんとや」の頻発な挿入はややクドイと自分も思った
(ただ、キーコンセプトゆえ執拗低音のように鳴り響き続けたこと自体は正解。
一方、主要人物たち〜舞子、乙前、忠盛、後白河、清盛〜が歌う「遊びをせんとや」がもった意味と作用を、
それぞれの文脈から読み解くことは、大河清盛理解に欠かせないハードワーク)。
いずれにせよ、清盛で「大活躍」した音楽の位置づけは、単に劇伴(主である台詞に添えられた従たる役割)
に止まるものではなく、脚本、演出、演技、映像らが渾然一体となって作品を生み出す上で、
欠かすことのできない主たる要素であり続けた(歌姫のアリアを引き立てる伴奏ではなく、
歌手と対等に渡り合う雄弁なオーケストラのようなもの)。 成海璃子ちゃんが、カーネーションの人による注目のオリジナルドラマに出るね。
問題児でもある吉田寮の話らしいが、大騒ぎとなった立て看問題に関するゴリラ総長の態度は、
先生が有しているであろうコモンセンスからは、まるで理解できない。
ともあれ、周りは新人だらけの中で、璃子ちゃんは座長みたいな役かもしれない。
超ムズ滋子に挑んだ経験が生きますように。 あれ、このドラマ貫地谷は出て無いのか。いかにもどこかで出てそうだったがw >Q.大河ドラマで前半に予算を使いすぎるとどうなる?
>A.知らんのか。鳥羽伏見から始まる戊辰戦争が全部同じセットwith倒木でスタジオ撮影になる。
‪>♯この悔しさから後の真田丸では大坂の陣まで予算が節約された‬
予算配分とは、メリハリをつけて稀少財である資金を投入すること。
そのメリハリをつける際に基本となるのは、当該シーンが作品の中でもつ重要性だろう。
歴史上の有名シーン、あるいはドラマ上力を入れるシーンには当然金をかけるし、それが大合戦ともなれば、
他を節約してまでも大金をかけたりもする。
しかし、それだけではなく、作品への関心を惹きつけ「客を呼ぶ」ために、初期の見せ場を派手に飾るのも、
一つの立派な投資判断だろう。
殆どの大河が、初期のイベントに大金をつぎ込むのは、決して全体を俯瞰する能力がないからではない。
清盛の海賊船も同じで、海賊回はいわば青春スペクタル回。金を注ぎ込み派手に花火を打ち上げても良いシーンだ。
しかし、さんざん議論されたように、大金かけた海賊船に費用対効果があったかと言われれば相当微妙で
(その後も使い回すことを見越しての大船建造であり〜葵の関ヶ原映像と同じ〜資産として有効活用されている)、
後半にしわ寄せがきたことは否定できない。
それは主として、大輪田泊や福原京の臨場感が欠けたことに現れた。
しかし清盛の場合、致命的に何かが犠牲となったということはできないだろう
(保元・平治の乱がショボいとするのは、単に平安の戦いに対する無知。清盛不在の富士川の戦いは大規模ロケに値せず。
まして清盛死後の源平合戦をそれ自体独立に取り上げるつもりは初めからない〜金がないからダイジェストとか笑止千万)。
むしろ、厳島ロケや金をかけたであろう福原のセットやハイクオリティな五節の舞など、まだ余力を見せており、
金欠で後半どうにもならなかったというのはフェイクである。
さっそく飛びついた婆さんは>海賊船のトラウマなんだと!まあ随分安っぽいトラウマ御ザーマスわねw
しかし、後半「チープの極みだった清盛の失敗」を生かして、真田丸の大坂の陣は大迫力だったーってホンキなんすか?
そう思ったのなら仕方ないが、人生の最後で花を咲かせた一発屋、真田信繁の大河で予算配分を考えれば、
どんな下手な作り手でも、予算の大半は最後の大坂に陣に取っとくに決まってるだろうに。
「悔しさ」でも、過去の「清盛等の失敗作」に学んだ叡慮でも何でもない、誰もがそうする常識的判断をしただけだ。 >その後、新島襄の幽霊が八重を慰めるとかの展開が無くて良かった。(ちら..とそう取れそうな描写はあった)
>大河にありがちな死者が生者と言葉を交わす演出が苦手だから、好きな大河でそれがあると若干げんなりする。
>盛大にやらかしたのが平清盛最終回…。名シーンなのは分かるけど…。
気持ちはわかる。
しかし、大河標準装備のユーレイ(独眼竜にも信玄にも翔ぶが如くにも出てくる)にあって、平清盛最終の清盛「幽体離脱」と
西行「イタコ」は、それ無くして清盛物語は終結しない必須の舞台装置であって、初めからユーレイで驚かそうみたいな
低次元の設定では決してなかった。
詳しくはもう述べない。
・助命シーンの落とし前をつけるためには、2人の間の「志の継承」がなされねばならず、そのためには宗教者西行が
イタコとなるしかなかった(東大寺再建勧進のため鎌倉へ下向し頼朝と面会したのは史実)。
・清盛幽体離脱は、その時西行は100%京にいなかったという史実からむしろ出発していることに注目すべきだ。
志半ばで死を迎える清盛の方から伊勢に「赴く」以外に、清盛が成仏する術はなかったのである。
さらに、一門との別れは清盛物語を終える上で欠かせないドラマであったところ、熱病でうなされあっという間に死んだ清盛
との間では叶わぬ情景だった(新平家では、まだピンピンした「生きた」清盛が一門と別れを交わす)。
ここでも、イタコ西行の助けが(ドラマの装置として)是非とも必要であった。
要するに、史実を尊重したがゆえの清盛と西行の超常現象なのであり、これ見よがしのユーレイとは
立脚点を正反対のところに置いた最終回であった。
なお、八重さんは満足した一生を成し遂げた女性であって、最終回で旦那から慰められる必要はどこにもなかった。
まだやりきれてない人生を死によって遮断された清盛と、晩年を大幅に省略して終了した八重を、
死者からの慰撫という観点から同じ土俵に載せるのはよろしくない。 死に際、単に慰めてもらいたかった清盛が見た夢。
西行は、実際にはさほどの交流がなかったのもあり、落ち目の清盛には恬淡としている。 さほどの程度によるが、「たった一人の友人」というのはウソ。かと言って「交流なし」とは言えない。
大河清盛は、時空間や家族構成といった基幹部分を弄ることについては、極めて禁欲的な態度を示したが
(西行が清盛臨終の場に駆けつけるのではなく、清盛が伊勢へワープ。cf上田に居るはずの正之が
決戦前夜に大坂城に潜入したり、馬廻り万能理論を前倒して、信繁を秀吉の「一の側近」に設えた真田丸。
また、新平家の「やってはいけない」家族構成弄りについては既出。政次の「家族殺し」も感心しない)。
清盛を巡る人的関係においては、いくつの例で(上記操作をやらずに)実際以上に濃厚な関係を設定した
(源氏との世代ごとの力関係を、主観面に投影させた義朝とのライバル関係〜もっとも、普段から馴れ合ってたのではない)。
西行との関係も同じで、清盛との間であったかもしれない交流を想像し、これをさらに進めて「友人」「助言者」
へモデファイしたものだろう。
同年生まれで北面の同僚。たしかに身分の差はあったものの、2人は職種上、横の関係で繋がる仲にあった。
狭い職域で出会っただろうこの若い2人が親交を結び、「共に未来を語った」可能性は否定できない(小林一彦「王朝の歌人たち」)。
その後、義清は崇徳の和歌サークルで才能を認められて、待賢門院や堀河とも浅からぬ関係をもった
(このあたりも史実を踏まえた脚色。その後ドラマでは疎遠となったが、流罪後、死後に至るまで崇徳を気遣った崇徳ラインの人。
ドラマでも、怨霊となり荒れ狂う崇徳を鎮撫し浄化し再び人間化して成仏させた力の一つは、西行の祈りである)。
また、和歌の名人でもあった忠盛とその子清盛との交流も途絶えなかったようだ(以下、五味「西行と清盛」)。
例えば、清盛最初の大仕事となった高野山造塔事業においては、折しも高野山に籠り山林修行へシフトした西行との間に
接点があったのは確実である(造塔関係者を集めて忠盛が主催した宴に西行が呼ばれたとのこと)。
出家したとはいえ、西行は現実社会の動向に対する関心を遮断して完全遁世者となったのではなく、
むしろ有力者との人脈を広げて独自の立場からコミットを強めていった(鳥羽臨終の際に現れて保元の乱を間近で目撃したのも史実)。
世間に敏感なアンテナを張ってここぞという時に表舞台に現れる西行の姿は、聖俗を往還する彼の立ち位置を反映したものだろう。
仏道と歌道を広めるために、宗教者としての務めを果たすために、あるいは荘園争論など世俗の揉め事を解決するために、
西行は自己の名声と出家者という自由な立場を最大限活用して貴顕、権力者にアクセスし、好を通じて目的を達しようと動き回る、
その意味で遣り手の「生臭坊主」でもあった(後白河とも。平家では時忠とも密な仲だったという)。
そしてその貴顕の中心に、北面以来の知己である政界最大のドン清盛がいたであろうことは、ほぼ確実だろう。
(ドラマで描かれたように、徳子入内で得意満面の清盛が盛大に催した福原での千僧供養(万灯会)では、
持経者として西行が同道している)。
こうした両者の関係を背景に、よりパーソナルで親密な関係をもった清盛と西行(精神的コンサルタント、数少ない諫言者でもあった)
へモデファイした設定は、主人公始め主役級の人物たち(敵、親友、ライバル、親子、夫婦、恋人、主従)の1対1の関係性を基本に
ストーリーを組み立てるのが人間ドラマである以上、十分首肯することができる(群像劇はこれらの総体が機能的に絡み合って構造化したもの。
単に複数のパートがあるだけでは足らない)。何しろ清盛は、各パートの人間模様が多彩なだけでなく恐ろしく濃かった。 682の正之→信之
生没年を誤魔化したり、そこにいるのは物理的に不可能な人間がなぜかいるとか(伊勢に飛んだのは生霊清盛で、
歴史上の清盛はあくまでも京で床についている。逆に歴史上の西行は京へワープしてこない)、
出しても意味がないので省略するのではなく、いると主人公にとって邪魔なので妻子、姉妹を「抹殺」する、
みたいな改竄はやるべきではないけれど、
そうする理由が説明できて、それでドラマが面白くなるのなら絶対許されないとまでは言えない。
その意味で、新平家の改竄は、逆に平家のホームドラマをつまらくしてしまった点で大いに疑問。
【参照】
家盛を消し去り、経盛が次男で、しかも清盛共々祇園女御腹で、次世代の重盛はななんと時子腹。
これでよくもまあ「平家のホームドラマ」ができましたね。
これでは、棟梁の座をめぐる正妻の子家盛と清盛との確執と争い、さらに、上昇した平家一門〜源氏と異なり
仲が良かったとされる「一蓮托生」の平家にあって、見逃すことのできない対立軸をなした
時子(時忠)&宗盛vs重盛(明子腹)が繰り広げた水面下での葛藤など描きようがありません。
これらは、平安末期の主要アクターである平家の内部問題が、歴史に作用した重要な一コマであって、
単に平家のホームドラマにとどまるものではありません
(家盛が早逝しなければ清盛は歴史の舞台に登場しなかった、あるいは保元の乱で真っ二つに割れたかもしれず、
また、重盛孤立化は政界の勢力地図に与える影響大)。 大河清盛は「板挟みとなり心身をすり減らした重盛」をテーマ化したが、晩年の重盛は
一門から事実上離脱して後白河ー成親ラインに位置した、と考える学者もいる。
清盛ではあくまで水面下の心理戦止まりだったが、いずれにせよ腹違いの兄弟がもつ意味は大きい。
最愛の妻と言われる明子にメロメロになった清盛くんと、「もうそなたで良い」で片づけられた時子さん。
こんな青春時代の恋バナでさえ、後々生ずる一門の亀裂を踏まえた対比であったことがわかるだろう。 晩年は松平健にやって欲しかったな。大河常連だし。
直虎の武田信玄みたく。 えっ?海賊回での清盛vs兎丸のチャンバラ、それによる自我危機吐き出し合戦とか
(海賊回は相対的に好きではない。しかし、その後を準備する上で非常に重要な、「少年ジャンプがー」
たちには及びもつかぬ、内容がギッシリ詰まった、その意味で逸することができない回)、
清盛vs義朝のライバル設定なんかは、たしかに漫画的要素がある(何故いけないの?)。
しかし、信西絡みが漫画チックとは如何に?
「誰でもよーい」と穴で出会ったコミカル信西から、穴から清盛を求める悲痛な叫びで終わった
シリアス信西への変貌のことか?
ちなみに頼長との関係性はかくも凄かった↓
焼けた頼長邸から見つかった日記を読み涙する信西のシーンは感動的。
宿敵を葬り去った信西は、ここで改めてかつての同志頼長の志を受け継ぐ決意をなし、以後、粉骨砕身の覚悟で精勤し、
すべてを国事に捧げた
(徹夜で算木を動かす信西の姿は愚管抄から。しかし、性急で強引な改革が怨みを買い、あっという間に没落してしまう=平治の乱)。
最後に頼長の名誉を<回復>させた上で退場させた点は、確かによくある手法かもしれない。
しかし、山本耕史が読み上げる形で紹介された台記の内容ー私心を廃し公に邁進せよ。名誉に囚われるな、
等の訓戒を息子たちに与えるーは、登場以来描かれてきた頼長の姿そのものであって、
突然降って湧いたような美談ではまったくない(苛烈な人格が時に行き過ぎた粛正や鬼畜な振る舞いとなって現れたが、
藤原摂関家再興への願いもまた、私益ではなく国家社会の立て直しを求めるためであったことを思えば、
頼長は何よりも公に奉仕する国士であった)。
信西と頼長との関係性の推移にしても、綿密な捕捉がなされてきた(論語<ハーモニー>→祇園社事件をめぐり対平氏
への対応で<亀裂>〜現実主義vs復古主義→摂関家排除を目論む信西に頭の固い頼長は翻弄されていき、ついに「謀叛人」
に仕立てられ<決裂>→保元の乱軍議での孫子<真逆>解釈対決→死せる頼長と関係修復=<再結合>、そして志の継承)。 に仕立てられ<決裂>→保元の乱軍議での孫子<真逆>解釈対決→死せる頼長と関係修復=<再結合>、そして志の継承)。
ということで、井伊直弼が最後イイ人になるかわかりませんが、この緩すぎる稀薄すぎる途中プロセスからして
既に期待薄と言わざるをえません。ー 久々見たけど長文揃い…まぁ名作だよね!
特に保元の乱までの神っぷりったら〜 >叔父を斬首してでも支持した信西は自害、で清盛逆上「全てが終わりじゃ」、
>一方義朝は「源氏か平氏、いずれが強いか」話がちと強引。
>脚本若干迷走。
いやいや、強引だったのは脚本ではなく、忠盛が提言し為義も受け入れた「源氏と平氏、
いずれが強いか双方が十分な力をつけるまでとっておこう」との約束を守れず、
機が熟していないのにクーデターに加担してしまった義朝ですよ。
この場面が、迷走どころか4話からの太い線で結ばれたものであったことは、早まった義朝がこのセリフをリフレイン
したことからも一目瞭然です(さらにこの線は源平合戦まで伸び続ける。平治の乱はいわば中間点)。
義朝が突出したせいでもはや止められない。既に歴史は平治の乱へ向けて不可逆的に動き始めた。
時期尚早でやりたくないが、もはや受けて立つしか選択肢はない。
これが物語内在的な展開としての平治の乱、そして一騎討ちのロジックです。 >>695
アンカー無しで引用するなんて、いくら何でもひどい。 たまにふたばちゃんねるのノリで書き込むやつがいるな >うーん。モロミツは西光になったけど、信西を慕いつつも裏切っている設定なのか、単純に信西忠臣なのか。
>平清盛なら単純はないと思う
このおばさん初見?凄いセンスある人ゆえ取り上げた。
最後までちゃんと見て初めてわかる。それどころか、2回目、3回目でようやっとスコンと腑に落ちた・・・
みたいな話が目白押しの清盛。
こういう真価を捉えるためには何度も繰り返し見ることを強いる類いの大河が、日曜8時に求められている
とは俺も思わないわさ。
上の話で言うと、「信西原理主義者西光」と、信西に教えを受けつつも、教条主義とは離れて「新たな事態に柔軟に応用」
した清盛との差異。つまるところ、単純と非単純との差が構想力の差となって現れ、鹿ヶ谷の決定的対決へと
2人の「信西の使徒」を導いたのである。 今週の「西郷どん」慶喜、吉之助の決別シーンは平清盛へのオマージュ。 >考証ガン無視はイカンですよね。その辺『平清盛』も考証担当と上手くいっていなかったようで、
>熱意の割にチグハグな作劇もそこに起因するのではないかと
なあなあ、北の将軍さんさ。2ちゃん与党の領袖さんさ。「昔は良かったー、昨今はくず、
ただし風林火山と八重前半と真田丸はー」で「世論」をリードしてきたつもりのオッさんさ。
シエだのボンクラ官兵衛だの、見事な侮蔑用語を発明して、創作者たちを中傷するのが生き甲斐の暇人さ。
「ようで」とか伝聞ですらない妄想でケチつけるのはもういいから、
「チグハグな作劇」とそれが「考証を無視した暴走」に起因することを、もちょっと実証的に
忠犬ハチ公じゃなかった、金魚の糞たちに説明してあげなよ。 >Bの例として三谷氏の名前をわざわざ挙げているのは、『真田丸』の製作姿勢を羨ましく思っておられた
>からかなと感じます。と同時に、『真田丸』考証者たちが、信繁でいくと聞いてNHKの本気度を感じた、
>三成が治部少丸に逃げ込むのをドラマとして描いてもらったと語っていたのは、まさにそれまでの
>時代考証者たちの怨念を背負っていたのかも(考証者の立ち位置も信繁そのもの笑)と感じました。
しかし、L某の金魚の糞たち笑わせくれます。笑いで引き攣ってきそうです。
講談の幸村ではなく史実の信繁でいきますキリッまでは良かった、期待した。しかし、実際はどうだったか?
描かれた信繁が歴史上の信繁に寄り添うものでなければ、このような他大河を上から目線で見下す
真田自慢などできないはずだ。
しかし、実際は違った。大いに違った。他ならぬ考証が発見した一次資料をガン無視して、あどけない幼名弁丸ではなく、
初めっから元服済みの青年堺信繁が本能寺に安土に大活躍。
結果、前半のほとんどは、歴史上の信繁の歩みとは何ら重なることのない実質オリキャラに終始した。
第一次上田では、一人説に飛びついて参加したことにし、大坂では、馬廻り万能理論を前倒した秀吉の腰巾着。
小田原では、父と兄と共に別働隊で実践経験を積んだ武人信繁よりもずっと重要と考えたのか、それとも
味噌汁氏政で受けを狙ったのか、開城交渉役に大抜擢される超ファンタジー(事前の下交渉なので「何とか官兵衛」の
業績を奪ったことにはならないとのこと)。
その他諸々、「史実の信繁でいく」とは真っ逆様の姿勢で貫かれていた。こういうのを「やるやる詐欺」と呼ぶ。
せめて、そんなPたちのたわ言に惑わされて「他とはレベルが違う、考証スゲー」ではなく、「考証をあれこれ言われるのは
要するにつまらないから。真田丸は面白いから誰もが納得。流石は三谷さん」と開き直ったヲタたちを見習ってもらいたい。
>真田丸は逆に考証に引きずられた感があります。特にスケジュール。
★たしかに真田は、根幹の部分で考証自身が「デタラメ」に積極的に加担した(細かいところで物凄く仕事したことは否定しない)。
スケジュールの話なんて些細なことだ。さらにさらにたしかに、ブレーキどころかアクセル役を務めたという
意味では、三谷と「上手くいっていた」。 しかもこの御仁、やっぱりというか本籍地はネトウヨ方面であった。
王家がーーーーー
皆さん合点がいくでしょ、おやぬみ もうそなたでよかー
ここはあっさり時子コースにしてもらいたかった糸どんとの再婚話 少しは恋バナも混ぜていかないと
F3=オバサマ方の視聴率が食いつかないので…
ってまだ見てないけど 見終わったら割と悪くなかったかなーという
ただ8月にやる話かコレ?感はある 松ケンからマツケンへチェンジしてたら視聴率は確実に高くなっただろうが、
大河清盛という一つの物語が持つべき統一感は完全に破壊されてしまっただろう。
で、いつチェンジするの?と聞いても永久に答えないんだろ?
年齢操作をやらなかった代表例が武者丸6歳を玉木が演じたアレ。
清盛の晴れ舞台となった石清水八幡臨時祭の時、義朝はまだ幼名時代であったが、
既に元服したように改竄するのではなく、また子役を使うのでなく、大人の玉木が子どもを演じる無理の方を選択した。
・本役松ケンに変更済みの清盛(元服済)に合わせた〜「同世代のライバル」設定
・わずか2分程度の出番で遠目から清盛を眺めるアングル
・ここだけ子役はいっそう不自然
・元服済みの義朝とすることは史実を歪める(特に実年齢が問題となる場面ではないないので、アバウトでも
許されるところだが、幼名時代であることは蔑ろにしない)。
このような事情から、無理を承知で玉木が武者丸をちょこっとの時間、演じたのだろう。
よく考えられた選択だったと思う。
大河で数多見られる実年齢と役年齢との乖離について、清盛の玉木を真っ先に挙げて嘲笑するなど
もっての外であるし(主役の年齢をサバ読んで、それをおっさんが延々と演じ続けるのとは訳が違う)、
清盛おばさんたちも揶揄うだけでなく、なぜこのような無理を断行したのか推察してほしい。 >>709
50の宴で替わるんだよ。
丁度いいだろ。 松ケンは前半より後半のほうがはまり役だったから交代は逆効果だな
視聴率?そんなの関係なーい >>710
良い訳ないだろ。
だいたい清盛は、これまでの源平大河と違って、平治の乱後の過程をすっ飛ばすようなことをせず、
その間の清盛を連続性を保ちながら(断片的、飛び飛びではなく)線として描いている
(一気に太政大臣、次は出家とはならない)。
位人臣を極めた太政大臣が松ケンで、その次の回がマツケンとか悪い冗談でしかない。
しかも、屈指の芸術回であり、過去との往還を繰り返す次の次の白河院の伝言回で、
死の淵を彷徨う清盛がマツケンというのでは、すべてが台無しとなる。
これまでの前半生を振り返るこの回が、前半生を演じた役者と別人が演じたらどうなるか、
マツケンに置き換えてちっとは想像してみなよ。 >>712
清盛を演じた経験のある松平健、まさに適役だよ。
貫禄、風格とも適している。声に落ち着き太さ(マツケンは若いから無理?)があり、しかも風雅さも感じさせる。
https://stat.ameba.jp/user_images/20160520/11/matsuriouji/9f/ae/j/o0480034113650695906.jpg
歴代大河での好演も光っているしね。 松ケンの演技は大河向きじゃなかったけど
あの年代で平清盛演じられそうな、知名度ある演技派は思いつかないし
あれで良かったと思う
Lやド根性蛙なんかの漫画キャラクターや、繊細な今風の若者を演じさせると
すごく上手いけど大河にはどうも向かないっぽい
でも後半の演技は結構好きだった 清盛を差し替えると後白河も差し替えないとバランス悪いし
平家ファミリーも同様だから考えるだけ無駄
それに今回の大河清盛は白河御落胤説を取っていて血筋上は公家の子だから
武士らしい個性を持った俳優より公家らしいほうが良い
松平健で白河の御落胤だと想像するのは無理 長文が憎いじゃなくって好きって、明日地震が起きたらどーするw
だからさ、マツケン清盛の素晴らしさをどれほど力説しようと、
松ケン清盛とのチェンジは可能か、それはどのタイミングかについてきちんと説明し、
みんなを納得させない限り、まるっきり無意味だから。
それに、後白河のみならず、時子はどーするんだ。
要するに、マツケンが良いからだけでは決まらないんだよ。 >>719
時子は深田恭子で構わない。替える必要は毫もない。
後白河は渡部篤郎か坂上忍にでも。これも大河、時代劇常連。 松ケン素晴らしいとか、無理やり思い込もうとせず、是々非々で。 明子さんベタ惚れの清盛君から、「ロクでもない」求婚をされて後添えとなった時子さん。
棟梁の妻としてはそれはそれは粗相ばかりで、清盛殿から「明子だったらこんなことあり得ん」
と目一杯傷つけられた時子さん。
でありながら、夢見る源氏物語ヲタの少女が抱いた幻想からは程遠い旦那に、しっかり愛情いっぱい寄り添い、
試練にぶち当たって凹む無粋な清盛をしっかりサポートして励ました時子さん。
ふだんは棟梁の妻の分際を弁え、清盛の背後に隠れて決して出しゃばらず、清盛不在の緊急時にはここぞとばかりに
テキパキと一門に指示を与える未来のゴッドマザー時子さん。清盛と共にどんどん成長していった。
でもでも、ポーカーフェイスの下に隠しきれない明子さんへの嫉妬から、殿下乗合事件では、
清盛と時忠との阿吽の呼吸による重盛孤立化に加担してしまった時子さん。
四面楚歌に陥った清盛に「もう良いではありませんか」と懐かしの源氏物語を引き合いに優しく慰める時子さん。
最後はもちろん、かの壇ノ浦ダイビングで決然と果てた時子さん。
大河平清盛は、時子の小一代記という観点からも出色だった。このように時子を分厚くフォローした時代ドラマは
おそらく一つもない。そして、このように息の長い造型が施された時子に、深キョンは猛烈にフィットしていた。
深キョンを年増の大女優(ex松坂時子)にチェンジする余地はそれこそない。
こうなると、長年寄り添った深キョンの旦那が、突如松ケンからマツケンとなるグロテスクもご勘弁願いたい。 >>725
連ドラで主役を中途交代なんて信者以前の問題だろ
「炎立つ」のようにオムニバス形式ならともかく
主人公一代記で子役ではない本役を当人のみ交代させるなんて愚の骨頂
しかも理由が視聴率対策だなんて浅はかすぎる あと上にも書いたが、常盤妾化に対する深キョン時子の態度も、本作の時子キャラを端的に示すものだった。
ガミガミ嫉妬する松坂時子と違って、深キョン時子は、棟梁の責任をきちんと理解できる妻だった。 凡人の妊活夫婦が似合ってるよ松山深キョン
ただ深キョンには相変わらず嫌われてた様だな >>727
> 連ドラで主役を中途交代なんて信者以前の問題だろ
でもやってるよね。2011年下半期のカーネーション(尾野真千子→夏木マリ)だって、
歴代最高視聴率をとったあの「おしん」(小林綾子→田中裕子→乙羽信子)だって。
だいたい、青年期と壮年期と老年期でそれぞれガラリと変貌する清盛は天下の難役だ。
周期的に交代論が出てしまうけど、松ケンはその難役に全身全霊をかけて挑戦した。
カメレオン俳優松ケンは未熟だったように写ったかもしれないけど、よく頑張ったし、
それ以外では得られなかった独特の良さもにじみ出てるよ。 大河の主役は頑張ればいいってもんじゃないのでは
プロなんだからちゃんと魅せろよって言う >>733
だから松ケンは中盤から後半のほうが評価高いじゃん
序盤で切った人には解らないかもしれないけど 天下の名作カーネーションも、そのチェンジに賛同する人はほとんどいない。
女学校時代からして凄かった尾野真千子が、晩年をやれなかったとは思えない。
実際、お婆さん役もその後立派にやったはず(長谷川町子物語)。
一個の人格である主人公を一人の役者が演じきることが、作品の統一性を維持のための基本ルールだろう。
このことは、短命主人公のみならず、「変わらぬ人格の内なる変遷」を追うためには、長命主人公
についても当てはまる(ただし、絶対的な原則ではないーたとえば、23ぐらいで人生のピークを迎える
伊達政宗は青年期の比重が大きいので、一人青年を中継ぎに挟んでもそんなに違和感はなかった)。
そして、間違いなく言えることは、松ケンは老人清盛を見事に演じ切ったということ。
しかし、何度も言うが、過去作の中で飛び抜けて松ケンがダメとかどこから出てくるんだ?
いちいち名前は挙げないけど、役者のポテンシャルから言えばどう見ても上位の部類だろう。
実際、その後、映えあるブルーリボン賞を取った。しかしそれは、清盛後に突然変異的に上手になったのではなく、
隅から隅まで万全ではなくても(役柄上あり得ない)、清盛の段階で既にその力量は発揮されていたことを物語る。
「若すぎましたー」の一言で片づけた連中は、松ケンが研鑽を重ねて臨んだ老人清盛の演技そのものを見ていない。
こうして弱冠27歳にして、「頑張った」だけではなく、「結果」を出した松ケンに対して、1年間叩き続け、
終わった後もメジャーマスコミレベルでは酷評だらけ(作品評価も)という事態は、今振り返ってもおぞましい。
(ソーカがーは省略のこと) >>735
おそらく、ふかーい事情があったのだろうけど、「そのときの」尾野真千子には演じられなかった。
仕方がないさ。朝ドラは新人女優の登竜門だ。いろんな意味で立場が弱い。 松ケンがダメという訳ではない。
後からもっと違う、徹底的なピカレスク清盛を演じて欲しいね。
若い頃の清々しさがすっかり消え、やることに手が込んできた炎立つの源義家みたく。
また、頼朝や得宗の悪い役でもよい。
今の大河に決定的に欠けているワル。もっと穢れた役を。 てか松ケンは後半のほうが演技良かったんだから役者チェンジしたら意味ないじゃん
前半の演技はそこまで好きじゃなかった >>738
ケンちゃんは精神年齢が中学生でストップしているからムリ 後半な清盛はピカレスクとかで一括される単純な人物ではない。
よーくババアたちが喚いていることの一つだが。武田信玄やキンジパの爪の垢呑んで出直せ!ってw
何故に清盛とはまったく異なるキャラをもつ2人を持ち出して単純比較するのか、例によって不明。
この点については、かつて長ーいの書いたがry。清盛の一生をトータルでどう捉えたかの問題だ。
そもそも、晩年の逸脱はあったにせよ(出家後のマキャベリスト化と治承クーデター後の「白河化」という
異なるロジックをもつ2ステージを用意した)、後白河との協調路線にしても外戚戦略にしても、
権力奪取に至る清盛が採った手法はバランス感覚に富んだ外交的手腕によるもので、
非道な暴力や悪辣な謀略を用いない極めて正攻法の道を歩んだのが清盛の特徴である。
言うところのピカレスクのイメージとは遠い(後半のワルぶりも「小悪党の冒険」なんぞとは無縁)。
それにしても、主人公善人化、主人公上げ(他下げ)大河の代表例として清盛を挙げて、
「清盛をただの善い人にちっちゃく纏めてー」ってさ、例によって目が・となりますでゴワスw >>738
なんで清盛をそんな悪人にしたがるの?
頼朝や義経を見逃してしまうくらい甘い人なのよ そだねー
杉田某みたいのがスタンダードになった感のあるアベ政党に
大きな魂を売って小さな果実を得るコウモリコバンザメ政党だと
藤原成親じゃなかった阿呆太郎じゃなかった山本太郎が金言吐いてたわ
だからといって松ケンの評価がソウカがーによって台無しとなることはない
たった今ワンクリック電子版にて話題の立憲民主枝野の大演説をゲット
教養知性論理力品性感性雄弁誠実等々すべてを著しく欠くアベの「反面教師」だわね
なお清盛は文武双方特記事項なし。コレ結構大事なポイントだよ
自らを知り自らを制御できる粘り強い努力の人ってことね 後半だってもっとうまくできた人いるんじゃないのって話かな >>748
だから主人公だけ交代させてどうするの?
松平健が深田恭子を侍らせてる絵柄とか確実にキモいし
松田翔太とのバランスも悪い、経盛知盛頼盛と兄弟と言われても疑問
この辺全取っ替えするならもはや別のドラマだよ、実現性皆無 >>746
保元物語、平治物語、平家物語がこのドラマの「原作」といえるような存在だけど
総じて言えば大規模合戦が起こっていない平和な時代の政治ドラマが大半だったね
でも華麗な戦闘場面で知られる平家物語と言えども12巻のうち前半6巻は清盛が主人公で
鹿ヶ谷の陰謀を含む地味な政略パートが占めているのはもっと知られてもいいかと思う >>1 大河を素人に作らせるな。汚盛無くして、大河低視聴率時代は来なかった。 >>741
山岡荘八の家康みたいないい人なんだね。
清盛って。 >>751
「汚盛」ってなんて読むの?
他人を批評したいなら自分のセンスを磨いてからね 名前が上がってるマツケンが主役だと老けすぎ
松ケンと同世代でもっといい演技ができたのはいたかもしれないが
俳優にそこまで詳しくないので思いつかない >>752
「戦は嫌でございます」に代表される昭和の価値観全開だった山岡家康と、
禿を放って恐怖政治を敷き、ブラック企業主よろしく庶民の命を軽んじ、
はたまた女性の尊厳を汚した(祇王・祇女・仏御前)この大河の清盛とは、残念ながら何の接点もない。
この清盛のダークな面を、歴史上の清盛が晩年に見せた老人特有の精神の硬直(考証高橋)というよりも、
より物語内在的な論理によりデフォルメしたのが本作だ(大病出家→限られた時間を自覚→マキャベリスト化。
治承クーデターで絶対権力を握る→重盛が死んだこともありもはや掣肘者がいない→超自我によって
抑えられていた白河の血が噴出=白河化〜「ここはわしの世じゃー」)。
しかし、そのような清盛は清盛の本来の姿ではない。その証拠に、頼朝挙兵によって目を覚ました清盛は、
徐々に静かなファイトを燃やす本来の武士清盛の姿へと回帰していった。
もう一度言おう。清盛は激情の主の一方で人懐っこい人柄。下々にも優しく頼朝を助命してしまった優しい人。
開放的で好奇心旺盛、新しもの好きで、迷信が大嫌い。出世の手法も悪どい暴力や謀略を用いるのを好まない、
バランス感覚豊かでスケールの大きな「常識人」だった(高橋)ーこういうのを「主人公美化」とは言わない。
ともかく、本作における清盛は、何らの資料根拠(学説含む)もなしに適当にでっち上げたものではないし、
ましてや「あてがき」とは縁遠い、地に足がついた造型がなされていた。
他方、清盛は初めからあるいは後半生はピカレスクな悪党だったーなる主張は、自分が素朴に抱いたイメージを
勝手に清盛に押しつけているだけで、何らの根拠も示されていないのである。 為朝は歴史上の為朝から出発するのではなく、軍記物で脚色された強弓無双の為朝を
いっそう派手にアレンジしたもので、清盛では珍しく史実から離れたキャラ造型手法を採った人物だ。
保元の乱時まだ10代であった為朝に、当時40代半ばの橋本さとし氏が起用されたのも、
そもそも本作の為朝は「伝説上の為朝」であったから。青年役者ではとてもあのド迫力は
出せなかっただろう。橋本為朝は、青年を中年が無理して演じるよくあるケースとは異なる。
また、いきなり保元の乱で無双するのではなく、鳥羽荘園を掠め取る鎮西八郎から出発したのは、
いかにも清盛らしいダンドリと言えるが、この場面は源氏の内部事情を知る上でも効果的だった。
為朝が鳥羽の荘園を荒らした責任を取らされて、ただでさえ落ち目の父為義は右衛門尉を解官される憂き目に。
いよいよ為義は摂関家に従属するしかなくなった(どんなに屈辱的でも「地を這ってまでも生きてみせる」宣言)。
一方、嫡男義朝は、鳥羽の信を得て院の近臣となり頭角を現しつつあった(スマートに世の流れに乗っかりましょうよ)。
このように、源氏親子の骨肉の争いの背景には、源氏の生き残り、再上昇の方策をめぐる両者の「路線対立」
が控えていたことがわかるだろう。2人の争いを、単に感情的な軋轢ー親子喧嘩の次元で捉えるだけでは不十分である。
キャラ的には大いに盛った数少ないエンタメ要員に使われた為義だが、知られた僅かな史実を拾い上げて、
この時期の源氏の核心描写に生かした手腕は見事。
なお、アナウンス無しの退場も為朝にはベスト。その後の為朝英雄流転譚を見たい向きは、
椿説弓張月のドラマ化を要望されたい。 エンタメ要員に使われた為義→為朝
平氏大河だというのに、この時期(為義&義朝期)の源氏について、かくも充実した描写がなされた時代劇はおそらく絶無。
さらに、落ちぶれた「京のシティボーイ」から再開した流人頼朝の位置づけも、史実そのものとは言えないながら
卓越していた。
この制作陣で杏主演「北条政子」が見たい、との切なる声が終了後澎湃したのも至極当然だろう。 >>762
幇間もここまでくれば立派というかほめ殺しというか。
杏の北条政子なんて、いま初めて聞いたわ。知らんかった。 政子を頼朝流人時代から始めるとして、大河清盛と同じ設定と役者というのは考えにくく、
杏主演政子は願望の域を出ない。いわばお遊び。
しかし、この京のシティーボーイ頼朝vs伊豆のカントリーガール政子を対比する視点を抜きに、
一から政子像を組み立てるのは至難の技だろう。オノマチで「草燃ゆる」を更新してもらいたいのだが・・・
これに限らず、今後源平大河をやる場合には、大河清盛が成し遂げた数々の達成が大きな壁となって
立ち塞がることになる(一つサブな例を挙げれば、従来の設定を刷新した弁慶。何故に義経に殉じる弁慶が誕生したのか、
これ以上、説得的な設定を思いつくことができない〜為義時代からの縁。今後、またぞろ従来まんまの弁慶をやっても
白けてしまう)。
結論:「世紀の駄作平清盛」を抹殺すべく、新平家をリメイクせよとか、ミタニンスゲーさんでさんで作り直しとか、
あれこれ幻想をもたないほうがヨロシ。いろいろ比較されて、惨めな思いをすることになるだけだ。 >>763
6年前にリアルタイムで見てた?
そうでないなら初めて知ったとかワケわからんケチを付けるのはやめような 知らんな。
杏主演で北条政子が見たいとか。
おんな太閤記みたくなるのかね。 北条政子主役大河作るなら原作は桜田晋也氏の尼将軍北条政子希望。
タイトルから女傑かホワイト政子視点かと思ったら、超ブラック悪女
で筆誅を加えている作品だった、たまにはこういう大河もよいのでは。 その本は知らないが、そうは言っても、生まれた時から政子が悪女のはずがなかろう。
大河清盛は、少女期政子の一つのモデルを提供したということね。
(頼朝との対比に加えて、京の「文学少女」時子との対比も重要ーvs野駆けし猪を背負う野生児政子)
後に頼家をぶっ殺すなど、源氏将軍家簒奪に走るワルの時政も同じ。出発点は、エンケン時政のような
田舎豪族にして人の良い「野菜おじさん」だったかもしれないわけで。
さらに言えば、清盛についても同様。どこから「清盛は初めてからブラックだった」とか、
本作のような清盛は「奇を衒ったデタラメ」なんて戯言が出てくるのやら、もうため息・・・ 生まれた時から政子が悪女のはずがなかろう。
って誰もそんなこと言ってないんだが、むしろ赤子の頃からブラックな
人間がいたらお目にかかりたいくらいだし、ただ政子主役大河の
話題になっていたので希望の作品挙げただけで清盛大河についてどうこう言ってる
わけでもありやせん、文庫本4冊で簡単に手に入る本で小説形態だが、
資料もふんだんに引用していて史実中の方も楽しめるいい本だと思いますので
一度読まれるのもよいかと。 いやいや貴殿への批判では断じてあらず、スンマセン。
徐々に悪女化していく政子殿、魅力的ですよ。 >>769>>771
このスレでも大河ドラマ北条政子制作計画の支持者がだんだんふえてきて、ちょっとうれしい。
NHKはじっくりと構想を練って、すべての日本国民にたいしてこの「物語」を問えばよかろう。
時間はたっぷりあるさ。
たしかに北条政子さんには、現代語でいいかえれば「鬼嫁」の側面がある。ブラックでもあり、
清濁併せ呑むというか、多様な評価の仕方がありうるドラゴンレディーの辣腕政治家。
もし仮に北条政子さんと結婚したら、私は10年後に生きている自信がない。こわい人です。
尼将軍政子を描いた小説は、ほかにも伊東潤の「修羅の都」がある。もうすこし続編を書き継ぐ
予定らしいが、とにかく北条政子の波瀾万丈の生涯はおもしろい。現代にこんな女性はいない。
https://itojun.corkagency.com/works/shuranomiyako/ いや、北条政子よりは木曾義仲主人公の作品を期待したいな。 自作について、ボロクソ叩かれたオンエア時もそれ以降も、一切言い訳しない藤本女史の姿勢は清々しい。
今の朝ドラは知らんけど、トランプじゃあるまいし、ツイッターでペラペラ「次は神回」だの発信する脚本家は何なんだろ?
しかも、このような姿勢を清盛を罵倒した連中が、いつものように(中味込みで)仲良く横並びで絶賛している不思議。
意図や背景をペラペラ喋る森下や、批判されればムキになって弁明するどころか、ちゃっかり後付けで作劇してドヤーする
(何とか官兵衛)三谷の姿勢を批判した俺としては、朝ドラ界の騒動は、中味以前に理解の域を超えている。
しかし、あちらの世界におけるヲタvsアンチの仁義なき戦いって大河どころの話じゃないのね、桑原桑原w 言い訳する必要がないからな。
作品に力があれば、きっとそのうち真価が伝わる。
実際、それが大河清盛のイマココだw 視聴率で10ポイントほど差がつけられたのが余程悔しいんだね >>782 武蔵、シエ、花燃ゆにもファンがそれぞれいるんだから、ディスるのは
やめようよ >>784
運営「一言レス」のお前かよ>>778。ちょっと不用意ではないの?w
>>783
まったくその通りだ。
おたくが清盛をその3作と並び立つ作品と考えてるのかどうかは存じ上げぬが。 >>785御戯れを、平成大河随一いや、歴代大河随一の神大河とはどの作品の事か
、お手前すなわち長文殿(人違いだったらスマン)はすでにご存じのはず ドキュメンタリーや教養番組、果ては他局のバラエティでさんざん援護射撃されての低視聴率。
分かりにくい独り善がり脚本。
言い訳の仕様がない。 >>787
どこまでも福々しげで憎々しげなお方じゃ >>788
独り善がりではなく独創的。
分かりにくいではなく、(見る側が積極的にアクセスすれば)論理的で明晰そのもの。
なお、マスコミからの線香花火のような援護射撃はあったにせよ、それを圧倒する
ネガキャンに見舞われたのが大河清盛。まーた何を真逆のことを喚いているのやら。 再掲
>大河清盛は脚本と映像のクオリティーが高すぎて一般視聴者を逃した(大根仁)
なお、最初から最後までオツムをショートさせながら、オツム悪そーな難癖をつけるためだけに
完走したお前らは「一般視聴者」には入らない、念のため。
もちろん、視聴率を弄んで1年中ネガキャン張ったマスコミ(2ちゃん含む)によって、「負のスパイラル」に
陥ってしまったことが、馴染みのない院政期という時代、ややこしく理屈っぽい内容、
全50話のストーリーがタテヨコ緊密に連結されており、見る側が頭と目を使って相互の連関を
考えつつ見ないと真価が分かりずらい(長期にわたり常に緊張を強いるのはエンタメ時代劇にそぐわない)
といった内容以前に、大きなダメージを与えた。
★ボンヤリと見てるだけでは分からないからと言って、その作品が「分かりにくい」「独り善がり」とはならない。
そんなこと言い始めたら、小説にしても映画にしても、ヘビーなものの多くは(何も前衛作品、実験作品でなくても)、
「分かりにくい」「独り善がり」となってしまう。
もちろん、清盛は前衛を気取ったのではなく、範疇としてはあくまでもエンタメ時代劇。
しかし、平安末期の時代相とそこに生きた人々の生き様に迫ろうとする表現意欲が半端なく、そのための表現手法である
脚本、演出、映像、美術、音楽も軒並み凝ったものになったことで、敷居がずいぶん高くなってしまった。
日曜8時に家族揃って楽しむのが大河の理想的な姿だとしたら、大河清盛は異端児だったというしかない。 >>788
視聴率しか取り柄がないドラマはつらいね そうそう本当に敷居が高いです。
ハイクオリティなのは確かですが、平家物語の大方のあらすじ、登場人物の関係を知ってても
わかりやすいとは言いがたい、一言であらわせば独善脚本です。
多数の人が見る前提の、NHKの看板国民的番組でする内容ではないでしょう。
NHKとしては視聴率低くても、カルト的ファンがついていろいろ売れた方がいいのかもしれませんが。 どこが独善なんだ?と聞いても、まただんまりのババアですか?是非具体的に難詰してもらいたいね。
もう一度強調しておきたいのは、清盛は史実展開に基盤を置く、歴史情報が満載された生真面目な大河であったが、
その真骨頂は、そのような歴史展開を通じて(ただエピを時系列で並べるのではなく)、一個の物語が成立していた。
そしてこの物語性は、脚本家の作家性を如実に反映した壮大な一つのフィクションだったということだ。
一見、著名エピまんまの頼朝助命で示されたロジックや、挙兵による清盛再生、さらに4話で忠盛が提唱し、
超ロングスパンで展開された「武士の総体vs貴族、この展望が開けた後に決着をつけるべき平氏vs源氏」のドグマ、
などが典型的。さらに最高に強烈だったのが、白河の血の再帰ー「ここはわしの世じゃー」。
「分かりにくい」「独善的」というのは、たぶんこの物語性=作家性に対する反感なのだろう。
逆に言えば、これほどドラマチックな作家性を放つ大河はほとんどない
(三谷や森下はこのタイプなので、同じくアンチの反感と共にフリークたちを生み出す)。
昔は良かったーたちは、往々にして大河に「物語」を持ち込むことに異常な反感を示す人々であり、下手をすると
「史実だけを淡々」とやっていれば満足してしまう人種だ(ところが、その大河の荒唐無稽な虚構部分に対しては、
見て見ぬ振りどころか何の疑問も持たないオメデタイ人々。もっとも昔は良かったーの多くは、不思議なことに
三谷礼賛で「団結」したー清盛は史実に無頓着で歴史に敬意を払わないいい加減な大河だったが、真田は
「史実に真摯に向き合い、ギリギリのところで折り合いをつけた」奇跡の大河なんだそうだ)。
つまるところ、大河清盛問題は、「客観的であるべき大河」に、「脚本家が主観的に思い描いた一個のストーリー」
を認めるべきか否かの問題でもあり、この点においても清盛は問題提供型・論争惹起型大河であった
(本当に客観的な大河は、ドラマである以上存在しないし、あったらそれはドラマでない)。 数字が証明している。
結果に向き合うのを執拗に避けて何とする。
例えば、金田淳子みたいな一部のオタに受けたところで仕方ない。 そりゃ、平家と源氏と王家と摂関家の「家ドラマ」だわな。
ただし、それらは歴史描写と常に直結しており、各セクション間の相互関係と相互作用の総体が
平安末期のダイナミックな体制変動を生み出していた点で、稀に見る分厚い歴史ドラマであった。
一見、平氏(平家)内部の揉め事にすぎないような話でも、歴史的視点からその重要性が判断され
選択された出来事だったのだ。
その意味で、新平家の改竄は、逆に平家のホームドラマをつまらくしてしまった点で大いに疑問。
【参照】
家盛を消し去り、経盛が次男で、しかも清盛共々祇園女御腹で、次世代の重盛はななんと時子腹。
これでよくもまあ「平家のホームドラマ」ができましたね。
これでは、棟梁の座をめぐる正妻の子家盛と清盛との確執と争い、さらに、上昇した平家一門〜源氏と異なり
仲が良かったとされる「一蓮托生」の平家にあって、見逃すことのできない対立軸をなした
時子(時忠)&宗盛vs重盛(明子腹)が繰り広げた水面下での葛藤など描きようがありません。
これらは、平安末期の主要アクターである平家の内部問題が、歴史に作用した重要な一コマであって、
単に平家のホームドラマにとどまるものではありません
(家盛が早逝しなければ清盛は歴史の舞台に登場しなかった、あるいは保元の乱で真っ二つに割れたかもしれず、
また、重盛孤立化は政界の勢力地図に与える影響大)。
また、歴史パートへの洞察ともなれば、例えば祇園社事件にしても、忠盛、信西の位置づけにしても、
もう話にならなくて戸惑ってしまうほどです。 【社会に衝撃を与えた清盛の涜神行為がもった意義】
・清盛棟梁の座ピンチ(+家盛の台頭←頼長との男色をリンク=政治的コネクション形成手段としての男色)
・合理的精神=迷信嫌い(「あんなものはただの箱じゃ」)〜経ヶ島人柱否定伝説、「匡すべきは巻毛ではなく、
巻毛を醜いとする古よりの偏見だ」、宋人謁見に対する開かれた態度→交易国家構想、などに通底する清盛の根本精神。
・諮問会議紛糾→平氏処遇への態度(体制への包摂如何)から朝廷は次第に二つの勢力へと分かれていく(byナレ朝)。
〜とりわけ信西の現実主義vs頼長の復古主義→保元の乱の対立図式
・治天鳥羽が有した「罪刑専断性」=院政の恣意性〜諮問会議を踏まえつつも最後は治天の胸先三寸。
→結局、軽い罰金刑で清盛は事なきを得たが、「平氏の武力と財力が必要だがら」といった身も蓋もない理由で片づけず、
この部分を心理劇風に掘り下げたのが、かのエア矢のシーン(平氏が欠かせないことは諮問会議で親平家公卿家成が代弁)。
・清盛=旧体制への挑戦者、そして未来の破壊者(ドラマ的解釈を付加。これが最重要ゆえの「エア矢」創作だろう)。
鳥羽「そちこそが神輿を射抜いた矢そのもの。白河院が・・朕が乱した世に報いられた一本の鋭き矢じゃ」。
すなわち、神輿を射抜いた清盛は、自ら矢となって旧貴族体制のど真ん中にいる治天鳥羽を射抜いたのだった。
→実に三十数年後、弁慶の記憶に運ばれて飛んでいった鳥羽エア矢は、不信を強めていた頼朝in鎌倉に突き刺さった。
→朝廷という強固な岩盤を穿つドリル(内部に食い込んで貴族体制を弱体化。ついに「武力による」朝廷簒奪=治承クーデター)。
これこそが清盛が果たした歴史的意義であり、ここで清盛のレゾンデートルを再確認した伊豆のフリーライダー頼朝は、
清盛へのリスペクトを新たにして自ら京へ向けてエア矢=果たし状を放った。
→遂に源平合戦本戦ラウンド、源平棟梁間が雌雄を決する最終タイマン対決の時が来た・・・が、その矢先に清盛は熱病に斃れてしまった。
さんざせせら笑われた清盛の「エア矢」を見た後に、何ひと〜つこの大事件の意味を捉えておらず、驚くほど明後日の方角を向いた
新平家の祇園社事件を見て比べるのは、正直辛いものがあります。
(山法師とチャンバラ→民衆が石飛礫でピンチの清盛を救う→忠盛父さんが到着→あんな気弱なホームパパでしたが
兵をだして道を塞いでくれたのでした→お父さんありがとう!)
★ホームドラマとは、このように歴史事象が「家族の話」に矮小化されてしまうような作劇手法を言うのだろう。
ほとんどの大河がこの意味でホームドラマなのだが(例えば最重厚とされる武田信玄ですら、中身の多くは
重苦しい家族の葛藤。独眼竜に至っては作り手自身が「戦国ホームドラマです」と述べており、矮小化とは言わぬが、
歴史をトータルに捉える姿勢は希薄だった)。
しかし、平清盛は大いに違った。「利家とまつ」のような「夫婦もの」とは根本的なコンセプトが異なり、
平安末期の時代相、激動する体制変動の様相、そこにいきた人々の生々しい息遣いに、トータルで肉薄した「歴史劇」であった。 渡鬼的に何代にも時代を重ねるホームドラマだったんだな。
清盛って。 松ケンは結構なマイホームパパらしいが、清盛殿は育児にも教育にもあんま熱心じゃなかったなー
(ただし、文系経盛を家庭教師に、自らは下手で苦労した和歌や舞を仕込んだのは、「王朝文化」の体現者
=政治のリーダーというテーゼからは重要。これも清盛らしい将来を見据えた戦術眼だろう。
なお、お勉強の先生は盛国、武の指南役は忠清)。これらに関しては、大枠の方針はあっても、
基本は全部、妻や部下にお任せだったね。家事なんてもっての外(当たり前だろ!時子の役割だ)。
そして、やれ清三郎ムネくんの躾がなってない、品揃えが足りず宴会を台無しにしたと、時子さんに
「明子ならこんなヘマせんぞバーカ」と「言ってはいけない」暴言を吐いて辛く当たり、周りの空気を
凍りつかせもした(さすがに言った途端にヤバイと反省→ここで「和歌もどき作戦」を閃いたw)。
こうして見ると、清盛はパパとしてもダンナとしても優秀な男とは言い難いわね。よく言われる
「清盛を超える息子が一人も出なかった」ことが、主体面から見た場合の平家滅亡の一要因だとしたら、
それは清盛の自業自得なのかも知れない(教育面からは、どう見ても忠盛パパの方が優秀)。
ということで、全然現代人向け主人公でなくてスンマセン(>人<;) 自分は体制からの「はみ出し者」だったのに(忠盛はツッパリ清盛を、「さようか好きにせよ」と突き放しつつ、広い世界へ飛び出していく息子を伸ばした)、
息子たちを体制に順応したナイスガイばかりに育ててしまったのは、皮肉な巡りあわせという他ない。
(彼らは、平家が頂点を極め栄華を誇っても決して「奢れる平家」風の公達ではなく、為政者となった自らに対する強い責任感をもち合わせていた
〜外部に対して唯一そのような態度を見せた宗盛も(木下強奪)、驕りというよりコンプと野心との間で揺れる内面の苦しみを発散したもの)
もっとも、これは、王朝文化を担える教養を身につけ、朝廷簒奪によって武士の世への道筋をつける―この清盛の戦略からは致し方ないところ。
とりわけ、ドラマでは、文武両道の賢人重盛について、その人格的な素晴らしさとともに、清濁併せ呑む破天荒型の清盛とは対照的な
四角四面の優等生ぶり〜それは同時に、政治的矮小さ(小物めがby成親)と限界を意味した〜が強調された。
ドラマで見られた「破天荒な清盛と小さく纏まった息子たちとのギャップ」は、平家政権の過渡期性(一門を体制内化することによって体制を中から武家政権化する)を
端的に表現する興味深いパラドックスだろう。ここでも平家の「ホームドラマ」は、平家政権の性格そして没落という「大きな歴史」へと連なる広がりをもっていた。 東大寺炎上させてドヤ顔の重衡も体制順応ナイスガイと言えるでしょうかね >>812
清盛平家によって確立された新朝廷秩序(平氏系新王朝)に反逆する不埒な逆徒、それが南都の坊主たちの反乱だ。
重衡くん的には、南都の坊主どもの反乱は、
「偉大な清盛父さんによって再編された厳島中心の宗教秩序(平家的にはこちらが正統)に対する許しがたい挑戦」だったのだよ。
「われらが焼いたは仏にあらず。仏を楯に狼藉を働く不埒者どもにござります。これをおさえられるはわれら平家のみ」
つまり、「父上やりましたー!」とKY報告した重衡の主観では、自らがやったことは護法でり体制擁護であり、体制破壊ではない。
既に、彼らは簒奪した体制のど真ん中にいる存在であったことに気づくべきだ。これも形を変えた体制順応の現れだろう。 どちらかというと、「故意犯」説の方が今では有力だと思われ。
いずれにせよ、「父上最強ー!」と信じて疑わないドラマの重衡の話。
辻本重衡のノリも、十分「未必の故意」が認められそうだ(容易に予見できる事態について、
最悪の結果(大仏ほか焼亡)を回避すべく努めた形跡がなく、イケイケどんどん)。 清盛の息子たちを優等生に育てるのはある意味仕方ない
江戸幕府でも乱世の世ではなく幕府としての基盤を作った後の将軍と初代の家康では全く違う役割だし
ただ、誤算は
平家政権がそこまで盤石な体制にまだ移行していなかったということじゃね?
後白河鳳凰との姻戚関係に作用される権力構造や源氏勢力の残党の力など不安要素が多すぎた
ゆくゆくは優等生も必要だけど、それはもっと盤石な平家政権を使った後に必要な人材だったんだろうな 崇徳院が出てる今期のドラマが苦戦しているらしい。どうも内容が重過ぎるからだという。
しかし平清盛の第1話〜第3話も相当重い内容だったよなあ
・やりたい放題の白河院
・サイコたまこと何もできない堀河
・放置される鳥羽院
・平太こと清盛が暴走するたびに庇いピリピリする平氏一門
・報われない滝次と鱸丸
ざっと思い出せるだけでもこんなに重い要素がてんこ盛り
それでも当時17%台だったのは大河ブランドか時間帯がよかったのか 時政役のエンケンは清盛のことはあまりよく覚えてないらしい
後半結構出ていたような気もするんだが エンケン「真田丸のことはよく覚えてます」
これにはワロタ
黒歴史だから思い出したくなかったんだな >清盛はそんなにおぼえてないエンケンさん。
>でしょーねー
さっそく飛びついたウヨ婆さん安心しろ。あの調子じゃ6年もたてば、ウルウルブルブル震えながら
「真田信繁日ノ本一の兵なりー」とやったことも忘れるよw
しっかし、今度はエンケンに縋って「清盛のキャラはうっすい」だとさ。
思えば、田舎の野菜おじさんから始まった時政も良い味出してた。
キャラの多彩さは特筆もので、4番手レベルに至るまで濃いキャラが目白押しだった。
たとえば、藤本隆宏が演じた作兵衛は、何故信繁に殉じたのか説明不足のままラストでいきなり活躍したが、
清盛の忠清はそんなぞんざいな扱いはされなかった。
初めは脳筋系の侍大将、しかし、次第に貴族化する平家から取り残される悲哀を味わう。
公達たちから自らが時代遅れとなった現実を思い知らされ、白髪がすっかり増えた老兵忠清であったが、
平氏の武を支え続けた彼にしかできない名場面が終盤用意されていた。
それが、決死の覚悟で臨んだ諫言ー「もはや平家は武門にあらず、殿は武士にあらず」だ。
忠清一世一代の見せ場であり、藤本氏にとっても役者冥利に尽きるシーンとなっただろう。
時政は景勝ほど作劇上は重要人物ではないのだから(それにしては威厳のない景勝キャラは疑問)、
時間の流れを度外視しても、演じた人の印象を単純比較して「それは清盛が駄作だから。
時政のキャラづけがなってないから」とか「例によって」阿呆すぎる。 ここ最近、長文様が【徹底】大河はいつから壊れたのか?【議論】 スレで
清盛無理解者の迷妄を晴らし、大河清盛の真価を知らせるべく奮闘中
だが相当手間がかかりましょうな、かように青臭くやたら長いだけの文章では
210ラディヲ体操第二ヨーイ2018/09/01(土) 16:23:56.08ID:jlcijntf
>清盛はそんなにおぼえてないエンケンさん。
>でしょーねー
さっそく飛びついたウヨ婆さん安心しろ。あの調子じゃ6年もたてば、ウルウルブルブル震えながら
「真田信繁日ノ本一の兵なりー」とやったことも忘れるよw
しっかし、今度はエンケンに縋って「清盛のキャラはうっすい」だとさ。
思えば、田舎の野菜おじさんから始まった時政も良い味出してた。
キャラの多彩さは特筆もので、4番手レベルに至るまで濃いキャラが目白押しだった。
たとえば、藤本隆宏が演じた作兵衛は、何故信繁に殉じたのか説明不足のままラストでいきなり活躍したが、
清盛の忠清はそんなぞんざいな扱いはされなかった。
初めは脳筋系の侍大将、しかし、次第に貴族化する平家から取り残される悲哀を味わう。
公達たちから自らが時代遅れとなった現実を思い知らされ、白髪がすっかり増えた老兵忠清であったが、
平氏の武を支え続けた彼にしかできない名場面が終盤用意されていた。
それが、決死の覚悟で臨んだ諫言ー「もはや平家は武門にあらず、殿は武士にあらず」だ。
忠清一世一代の見せ場であり、藤本氏にとっても役者冥利に尽きるシーンとなっただろう。
時政は景勝ほど作劇上は重要人物ではないのだから(それにしては威厳のない景勝キャラは疑問)、
時間の流れを度外視しても、演じた人の印象を単純比較して「それは清盛が駄作だから。
時政のキャラづけがなってないから」とか「例によって」阿呆すぎる。 マルチスンマセンね。
こちらはあまり見ないようにしている。
皆さま方で盛り上がっていただきたいところ、見るとつい口を挟んでしまい、そうすると
これがまた場違いの長文。やっぱ俺は他所での攻撃に反撃する方が似合ってるw
で、これまた土曜2時なんてまずはテレビ見ないところ、エンケンの過去映像登場という
宣伝文句に釣られて見てしまったところで「問題発言」。
これは絶対連中が飛びつくぞーと直感いや確信して当スレを覗いてしまったのであります。
案の定・・・
つまり長文で何を言いたいかといえば、「清盛は濃いキャラが勢揃い」との短文です。。。 だけど真面目な話、平清盛ではそれほど重要な役ではなかったとはいえ、
やった本人がわずか6年で忘れてしまうような「影の薄い」人物だったかね、時政は。
とっても印象的な人の良いおっさんで、そのまま大河北条政子に突入していたら、政子共々、
どんな風にワルになっていくのか是非見てみたいと思わせる「前期時政」だったと思う。
次から次へ役をやり過ぎたためか「忘れてしまった」本人はさて置き、さっそく「でしょーねー」とか冷笑した、
5ちゃん清盛攻撃隊司令塔である「アタシのキレイな平安どーしてくれたのよぉ〜」の婆さんぐらいじゃないの?
時政が「印象に残ってない」とかボケが入った奴は。 忠清役の藤本隆宏は清盛のことはあまりよく覚えてないらしい
後半結構出ていたような気もするんだが 清盛ってすごく良くできたドラマだし丁寧に制作されていて、脚本も素晴らしいのに未だに悪くいう人が結構いるのは
皇室批判的な箇所が多々あるからかな?
自分は政治的には右でも左でもないから、全く気にならないけど、
たとえ暴君というような天皇であったとしても批判は許しまじ的な人って多いのかな?
今回は当然平氏側の視点の物語なんだから、後白河とか悪党になるのは当然だとおもうんだけど.....
玉ちゃんと白河院の関係とかも踏み込んだからこそ面白くなったわけだし、
そういうのダメとか言っちゃうと北朝鮮と変わらないよね? >>830
「天皇=聖人君主」と無意識に刷り込まれている人は多いみたいだね
実際の歴史を見ると例えば後白河の態度は暗君と批判されても仕方のないものだったけど
そういった「センシティブ」な部分は中等教育まではスルーされがちだからね
大学で日本史を勉強するくらいの批評精神がないとなかなか難しいかと 「天皇=聖人君主」と無意識に刷り込まれている人は多いみたいだね
それわかるわ 右でも左でもないと言ったけど、左右を比べるとどちらかというと右の人の方が的を得ている意見が多いと思うけど、憲法問題とか特亜あの対応とか
でと皇室に関してはほんと極論の人が多くて混乱するんだよね
今生天皇陛下や昭和天皇は素晴らしい人格者だったかもしれないけど、古代の天皇家は内部のいざこざや骨肉の争いもあったろうし、それによって政治が乱れたわけなのに
そういう歴史的事実まで捻じ曲げるのはどうかと思う
ほんと北と変わらなくなっちまうよ >>832
戦国時代のドラマが無難に回るのは天皇や朝廷が出てこないという部分がかなり大きいと思う
幕末もその辺の関係性は緩くぼかしてしまえばなんとか作品として成り立つのでまだマシで
戦国以前では天皇家と政治が密接に関係しているからどうしても製作しにくい
「平家物語」や「太平記」は戦前までは誰もが知る大衆娯楽だったのに見る影もない
天皇家の批判は許さないという無邪気な感情を上から強制されている訳ではなく
自らの意志で発信しているという点で北の国よりひどいかもね >>834
平家物語にしても、義経にしてもゴッシーは必ず敵役で悪役だからね 今の世だと扱いにくいのかもな
ちなみに太平記とか大好きな大河だったな
後醍醐帝が良い人すぎたけどw
是非義満を続編として描いて欲しいんだよね 室町太平記 ここで北条政子か頼朝続編に描けってのと同じ理由で
陣内とかまだやれるうちにさ....ナレーションは真田尊氏でw
すれ違いスマソ 為義役の小日向文世は清盛のことはあまりよく覚えてないらしい
前半結構出ていたような気もするんだが そういやエンケン時政の伊豆の家にちょくちょく集まって酒飲んだり雑談してる
近所のおっさんみたいな人たち、南関東一円のけっこうな大豪族だったんだな いやはやこの糸さんは、健気な澪ちゃんそのものですね。
窪田くん、杏ちゃん、そして黒木さんで、再び藤本大河頼むぜー。 素晴らしい黒木糸さん回ではあったが、維新回天へ向けて怒涛の最終段階へと突入したステージで、
こんなノンビリしたお話で1話を費やして良いのだろうか?
もし、「西郷でエンタメやって下さい」(by西郷どんP)なる方針が、「清盛の失敗」を踏まえたものだとしたら、
もう一度、「見放された清盛のスタンス」に回帰してもらいたいものだ。
どのみち視聴率が期待できないのなら、クオリティを徹底追求する路線の方が、クリエイターたちにとっても本望だろう。 まさか「風と雲と虹と」の最終回で
”続きは「平清盛」と「新・平家物語」で”と言われるとは思わなんだ。 若き義朝が、東国に下って勢威を広げに出発するのって何話目ですかね?
野原みたいな所を歩いていたような。 >>842
第5話 義朝、東国目指して出発
第6話 義朝、尾張で由良御前と出会う
第8話 義朝、相模のススキ野原を行く 今月の100分で名著は、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」。
適切な手引きがないとお手上げクラスのこのような小説が、累計5500万部の世界的ベストセラーとは。
まさにこの人しかいないという先生の解説を参考に、今度こそ自分も「読んだ気」になりたいもんだ。
と期待して第一回を見たら、なんと朗読を担当している人は誰であろう、最近ご無沙汰の鳥羽院。
語り口も、浮き沈み激しい人生を生き抜いた治天の君を彷彿とさせる振幅の大きなもので、
三上氏演じた鳥羽院ワールドが一気にあれこれ蘇ってきたのでありました。 清盛と後白河院は自分たちの進退を双六に喩えたが、義朝は木登りに喩えていたんだね
なお頼朝は後白河と双六遊びを試した模様 【キューバ米大使、浅田真央】 オウムも使用マイクロ波、戦艦大和に搭載予定だったマグネトロンが原型
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1536114063/l50
卑怯すぎる韓国フィギュア界、東京オリンピックも危ない! タフマンで赤子を育てようとする白河院から逃れた舞子。
子育てはミキプルーンでという方針の忠盛と意気投合するも早世。
その後忠盛はミキプルーンだけでなくDCカードで現金化や個人貿易をも行い、ガッポガッポ儲ける。
忠盛の後を継いだ清盛は天竺や南蛮から仕入れた材料をもとにダイドーブレンド珈琲や
西国の冷凍うどんを売り込んでさらに財を蓄えるが珈琲やうどんなどで栄養が偏った
ことが祟り64で逝く。その後、平家はうどんだしや保険を売り込むライバル会社の台頭によって凋落する。 とりあえず僧侶が誰一人として袈裟をつけていなかった姿に違和感 まあそれが怪しからんと思ったのは結構だけど(坊主みんながつけてたかどうかは知らない)、
「無知な制作側がー」はやめろよな。
こういうのは、「ドラマ上は省略して構わない」との判断から生ずるもので、
時代劇が当時の風俗そのものの再現を目指すものではない(平安時代ともなれば多くは不可能)
ことからも当然ありうる省略だ。ドラマの内容とは何の関係もない上、教義上はともかく
袈裟が無くとも僧侶を僧侶らしく見せる上で何の不足もない。作り手は「わかってやってる」。
例えば、肖像画では月代の真田信繁は最後まで総髪だったが、違和感もたなかったのか?
これだってドラマ的改変としてはありだろう。この種のことをツッコミ入れて違和感持つなら、
すべての大河は違和感だらけで見ちゃいられなくなる。それではつまらんでしょ。
もっと「大事なこと」でツッコミ入れてもらいたいね。 嫌いな大河に対してだけ、重箱の隅をつついて非難する態度は、こっぱずかしいので辞めた方が良い。
(太平御覧贈呈に、頓珍漢な上に常に偉ぶったウヨ婆さんが「全巻揃ってなーい」とやったのには参った。
高橋教授の考証通り、数巻だけを丁寧に包んでプレゼントしたという史実を、こんなところにまで
繊細忠実に金をかけて再現した作り手にまずは拍手するのが、真っ当な視聴者の態度だろう)。
やればやるほど確実におたくらが好きな大河に跳ね返ってくるブーメランなわけ。
しかし、大河板に出入りするようになって愕然としたことは何か?と問われれば、
文句なしに、「昔は良かったー」たちの独善とダブスタだ。
何しろ、初めから「無知で無能な作り手と歴史を知らない脚本家」が揺るがぬ大前提となっているものだから、
当時のツイだのブログだの見ても、初めからせせら笑うこと以外関心がないかのごとき「批判」
に満ち溢れている。
この愚かな連中が、突きつけられた清盛のクオリティを決して認めようしないのも、こいつらの「誇り」を
ズタズタにするが故の態度だろうと、せめて同情申し上げる(とはいえ、ほとんどが何も理解できない、しようとしない
ホンモノのバカであるのが悲しいー日曜8時の善男善女はこの意味で「バカ」ではない)。 最終回の清盛の生霊だけ注目されるけど、忠盛の最期にも生霊?が出てたんだな
あと宗子と会話する家盛も生霊っぽい気がする 枕死からナレ死まで、その人に相応しい死に様が追求された清盛で、個人的にもっとも感銘を受けたのが忠盛パパとの別れ。
これほど少しもジメジメしたところのない、晴れやかな父子の別れを見ることは滅多にない。
悲壮な愁嘆場だけが別れや死の名場面となるのではないことを教えられた。
開放感溢れる海辺。ここはおそらく、かつて鱸丸が操る小舟上でフラフラと尻餅をついて忠盛から説教された懐かしの場所だろう。
初回で提示された「体と心の軸を鍛える清盛」というテーマは、清盛の成長と晩年の堕落を表す尺度であり続けた。
体と心の軸を鍛えて宋剣を自在に操るようになることは、清盛にとって次期棟梁に相応しい力量を身につけて
忠盛を凌駕することを意味した。
高野山造塔をやりぬき、人生の最後で迷える父に「武士とはいかにあるべきか」を力強く宣明した清盛に、
忠盛は「強うなったな清盛」(←初回ラスト「死にたくなければ強くなれ」)と呼びかけ、躊躇なく平氏の行く末を清盛に託した。
この「強うなったな」は、安芸赴任中の清盛の前に現れ、息子と剣合わせした忠盛ー今あの世へ飛び立ったのだろう忠盛
から発せられた言葉であり、剣を通じて体と心の軸を鍛え、人間的にも成長して武士の棟梁に相応しい男となった清盛に対する
忠盛の満足、信頼、期待の表明だろう(清盛が「父上のように強くなりたい」と願ったのもこの浜辺)。
このように、清盛における生霊や幽霊は、然るべきシチュエーションにおいて意味を担い、それが用いられる必然性をもつ
ものばかりであり、「話を回すのに楽チン」だからといった安直な理由によるものでは決してない。
崇徳生怨霊、最終回の清盛幽体離脱、亡霊については何度も述べた(これらと比べると、大河頻出のユーレイはただ懐かしいから
出てきましたレベルがほとんど)。
なお、「軸」関連では、
後々、忠清を斬ろうとした清盛は、剣の重さにあえなく尻餅をつく醜態を晒す。
他方、揺れにビクともしなかった鱸丸は、忠清の胸ドンにも揺るがず、盛国となって嵐の大船を「鱸丸に立ち戻って」操り
平家納経のピンチを救うなど、生涯「ブレない忠臣」ぶりを披露し続けた。
さらに死を賭した諫言により覚悟を決めた忠清を「逆胸ドン」して、忠清のこちらも「ブレない侍大将」ぶりを確証した。 何が?
ほとんど被ってないけど。
裏面から言うと、平家物語は大河清盛の重要な源泉であったが、唯一のそれではない。
大河清盛は「新新平家物語」ではなく、あくまでも平清盛の一代記なのである。 >>860
普段からアンカー付けないからこうなる。 義朝、東国でとにかく肉をかじっていたイメージ。
あとは押し込み、追い剥ぎ。
えらい修行だこと。 どうせなら清盛の霊が九州で河童になる所までやってほしかったな
二位尼に会うために福岡の大河で大洪水起こすらしい 源平エピソード1を描くと言ってたのに
いきなり頼朝が平家を滅ぼしたアバンから始まって
本編も清盛死後の壇の浦から義経死亡まで描いてしまって
結局ただの源平ものになったんだよな
そこを描いては意味ねえだろと ただの源平もの??!!
何言ってっかサッパリわからんぞ。
しっかりしてくれよw 最終回のテーマは大体次の5つ
・清盛の死
・一門との別れ
・平家滅亡
・志の継承
→武士の世造りは頼朝へ※
→交易国家は小兎丸へ(民間部門。国家間貿易は義満まで待つ旨ナレ)
・海の底での一門との再会
ギリギリに切り詰めた最終回にあって、義経の最後と弁解の立往生は唐突だ蛇足だと言われたが、そうではない。
鬼若時代からドラマにアクセントを与え続けてきた弁慶(従来の源平物と似て非なる!)を、そのままフェードアウトさせては
羊頭狗肉ということもあるが、義経の最後は「頼朝の覇権確立」という観点から見た場合に必須の出来事であった。
すなわち、※の構成要素に位置づけられる場面であり、描かれた内容は、「義経主従の最後」というよりも「源氏棟梁の
権力を盤石にした頼朝」である。
頼朝を頼って鎌倉へ下向した平家内離反分子頼盛が、最後の最後で力強く認め宣言した「平家は皆一蓮托生!」※※
の揮毫を凝視した頼朝は、苦渋の表情を浮かべつつも義経誅殺を決意した。
※※
これによって清盛が打ち出したキャッチフレーズは遂に「現実化」した。このアイロニー・・・西島の表情はまさに自嘲気味。
最終回の狂言廻し役西行と並んで、頼盛をキーマンとする発想に驚嘆するしかない。
他方、一族殺し合いの歴史をもつ源氏の棟梁頼朝は、平家の「一蓮托生」を噛み締めつつ弟殺しを避けて通れない運命と受け止めた。
このパラドックス・・・
そして、頼朝は、敗者となったあの世の清盛から未完に終わった武士の世建設を託された(「真の武士とは如何なるものか見せてみよ」)。
ここに至り、義経抹殺は源氏内権力の確立からさらに進んで、清盛からバトンを受けた武家政権確立のためにも避けては
通れない課題となったのである(「これが私の選んだ道・・武士の栄華[為義→義朝は〈源氏の栄華〉]へと続く道じゃ)。
換言すれば、武士の世を夢見た清盛の志は頼朝を通じて義経の死をもって完結する、その意味で義経の死は「大河清盛」
のフィナーレに相応しい、いや必要な出来事だったのである。 義経=貴族や王家の権威に従属した武士だからな(後白河のコマとかしていた)
抹殺は頼朝としては当然なわけで、弟を切ってまで推し進めたい武士の世ということだな
物語の前半で仲の良い平家一族に対して一族で常にもめていた源氏に対して良い感情を持っていない頼朝だからな
その頼朝があえて弟を切った意味は描いておく必要があるな 清盛壮年期までを松ケン。
清盛晩年を伊東四朗に替えて暗黒面を強化。
頼朝に対し、ガッツやらファイトを燃やす段の最晩年になって松ケンに戻していたら面白かったかもしれんな。 ご希望は尊重しますが、クリアすべき難題については、これまで100万3回ぐらい議論されておりますゆえ、
どうかそれらを踏まえて語ってくださいませ。 さんざ悪口言われた加藤兎丸を絶賛したという樹木希林さんが亡くなってしまった。
あれこれドラマを見る人間ではないので、ごく限られた範囲でしか知らないが、「跳ぶが如く」の幾島は絶品だった。
歴史に残る名女優から評価された兎丸の造型と加藤氏の演技を、樹木希林氏への哀悼と共に末永く顕彰したいと思う。 >>875
清盛長文さん、翔ぶが如くを生で視聴していたの? んなわけないすよ。
2012年以前、リアルで見た大河は、恥ずかしながら風林火山だけ。しかも仲代氏が退場するまで。
そんなどシロートなんす。
清盛以降、慌ててあちこちの媒体であれこれ見始めた、しかし未だにせいぜい「中級者」にすぎません。 ところで、押しも押されもせぬ2ちゃん清盛攻撃隊長であることがバレてしまったウヨ婆さん。
モゴモゴモゴモゴイチャモンつけるしか無くなってしまったのはご愁傷ですが、最新作↓
【ミタニンスゲー何とかさん】
大河は本当に歴史が好きな作家じゃないと書けないと思う。
過去には、脚本家が本当にこの人物が好きなのか疑問に思うような大河もあった。
なんとなく空虚な感じがするというか。それは観ていてわかる。「創作を語る」
【平資盛】
奇をてらったセリフや演出で盛り上がっても肝心の中身が、っていうのはありましたね。とりあえずやってみた感。
いやいや、これほど「肝心の中身」の他の部分に目もくれなかった大河は他にありませんですハイ。
(正直、清盛が厳しく排除した大河デフォルトの脱線恋バナなんかはあって当然だと思う。とにかく真面目すぎた)
· たとえば、「アタシのキレイな平安どーしてくれるのよぉ〜」の婆さんが執拗に攻撃した滋子巻毛
【美貌】だけでなく、物怖じしない【強い性格】の持ち主であり(女官からのパワハラにビクともせず)、
危うい均衡のもとに成り立っていた二頭政治の【バランサー】として政治的にも重要な役割を担った
(後白河に寄り添い気まぐれを抑える。不満を抱く西光、成親と酒を酌み交わし宥める【気配り上手】
←徳利と遊ぶ少女滋子を早い段階で登場させる入念な段取りにより、著名な【酒豪】ぶりも描かれた。
内大臣昇進や徳子入内では清盛の意を受けて後白河に働きかける【平氏の利害関係者】として振る舞った)。
さらに、憲仁(高倉)立太子に向けて兄時忠を焚きつけるなど(平氏の財力を使え・・)【フィクサー】的な動きも見せた(表の政治を動かす)。
そして、滋子の死は即、これらの均衡の破壊を意味し、時代は一気に鹿ヶ谷の破局へと雪崩れ込んでゆく。
このように平清盛は、滋子の人物造形及び政治的役割双方に対して、歴史上の滋子に即した極めて的確な描写がなされていた。
アッカンベーから国母まで、「気を衒った」「愚劣」どころか、滋子のど真ん中に切り込んだんだよ。
要するに「巻毛がー」を言いたいのだろうが、
・ストレートの長髪が当時の「美女の規範」であったこと。しかし、そのような生物的な条件は全員が備わっているものではなく、
貴族の娘たちの間では「鬘」が流行した(小林「王朝の歌人たち」。「美女」が皆、地でストレートだったわけではなかったのだ
(無知ではなく、当時の支配的な規範への理解が作劇の前提)。
・平氏一門も入内に備えて巻毛を直そうと必死となった〜女官からのイジメに言い返した滋子本人も弱気。
・皆が問題視する中、当の後白河は何も意に介さないどころか、これを積極的に滋子の個性と認めた(タブー嫌いと珍しもの好きの性格描写)。
・何よりも、「正すべきは巻毛ではなく、巻毛を醜いとする古来からの悪しき因習だ」と言い放ち、社会の側の偏見へと目を向けさせた
清盛の真骨頂を引き出した(逆転の発想)。
・かくして「好奇心と迷信嫌いの点で好一対」(高橋)の両者は、後に2人の間を取り持つ滋子の巻毛を媒介として
対立しつつも協調する提携関係に入った(平治の乱後の政治の枠組みがここで成立)。
巻毛は、このように豊かな内容を引き出す設定だったのだ。「気を衒った」だの「愚劣」だの決めつけたことで
お前のお里が知れたため、竹林院攻撃に精を出すお前の信憑性はガタガタとなった。ご愁傷様(←何故か真田アンチスレにて問題化)。 >>877
あー、だから記憶が比較的新鮮なんだ。
補正から免れている訳が分かった。 世界のナベケン主演で世界のカズオ・イシグロ原作 「浮世の画家」が来年3月に
脚本藤本 演出渡辺の清盛コンビ
統括は八重の内藤
そうなると、楽しみな「みをつくし後編」はさらにその先か、もしかしてたち消え? そんなつれないこと言うなよ、素敵な人情時代劇だったろ。
こういうドラマに眦決して参戦するのは本意ではなかったが、
何しろ、ババアどもが押しかけて、「ただの江戸グルメドラマ」だの「武士メシに数段劣る」だの、
予想通りの展開となったため、心ならずも擁護を買ってでて、そしていつも通り嫌われた。
あの終わり方は余韻豊かな素敵なものだったが、明らかに続編を想定した暫定的なものだ。
やはり、その後をフォローし、多くのファンに感動を与えた終結までドラマ化することは、作り手の義務だろう。
ところで、次の大作は大河ではなく朝ドラでお願いしたいね。
激烈な批判を浴びている(らしい)現朝ドラを、何故か知らぬが例によって横並びで絶賛している連中が
(朝ドラらしくないとの批判に対して「新しいチャレンジだ」と擁護するのは分かるのだが、
「作劇の緻密さより思いつきで次から次へ目先を変える」、「地に足がついたキャラ造型の確かさが足りぬ」といった批判、
さらにツイで積極的に「神回アピール」するなど、カッ飛んだ(予断をもたせて平気の平左)脚本家の姿勢に対する批判に対しては、
何も答えていないように見受けられる)、
「構成がなってない」「雑な使い捨てキャラ」と、まさに現朝ドラに対して向けられた内容で一斉バッシングを始めるのは
これまた目に見える。しかしながら、何しろ「ちりとてちん」の愛好者層の厚みは清盛とは一桁違う。
今もってマイノリティに甘んじている大河清盛ファンが頑張らずとも、きっと分厚いちりヲタが然るべき適切な対応をしてくれるだろう。 質問
セル版って特典映像とか何かあるの?
本編は全て自宅でbs版をブルーレイで録画済みで
なおかつ主な特集番組も全て録画してるおれが買う価値あるかな? NHK
2018/09/28
02:10〜03:10
「平清盛 ゆかりの地を行く」 >>884
何しろ長文ときたら、その種の(DVD購入)貢献はゼロゆえ何もわからない。
ただ、メイキング画像なるものは、大河清盛とは独立した意義をもちうるではないか?
「特典映像」は、大河の裏舞台、裏事情の証しとなるものだろう。
しかし、このことを超えて、裏舞台を根拠に本放送で示された「最終バージョン〜それは
厳しい取捨選択の結論である」を糞味噌貶す根拠に用いる向きに対しては、拙者激しく反発し応答した。
たとえ、頼長&信西の若かりし頃の交流が映像化されておりながら、これをカットしたがゆえに
天才藤本女史が「病気になった」としても、この2人の関係性の推移を途轍もなく緻密にフォローした
本放送の意義は些かも揺るがない。まずは映像で描かれたことに集中すべきなのだ。 >頼長&信西の若かりし頃の交流が映像化されておりながら、これをカットしたがゆえに
>天才藤本女史が「病気になった」
長文のクソ野郎
なにデマ飛ばしてるんだ氏ねよ 藤本さんがメンタルやられたとしたら
それは押し掛けバカ主役と専門バカ考証のせいで
創価学会と日本会議という日本の2大カルトに袋叩きにされたからでしょうね デマ?
良かったデマなのか。結構その「デマ」2ちゃんで読んだぞ! しかし、直近でもなお↓のような中傷を憚らない連中なんだよ、コイツらは・・・
>NHKの看板ドラマに傷を付けたままだと仕事がないから生活保護をしてもってる 何の落ち度もないのに2大カルトに激しく傷をつけられたのが藤本さんですね 実はまだ西郷どん見ていない。ツイによると、
転生忠盛鉄舟殿が「もはや武士ではござらん」的発言をしたとのことで因縁を感ずる。
実況スレ眺めたら、やっぱりというか広瀬そして作兵衛の人と話題になっていたが、
自分は、脳筋系からグッと深みを増した時代遅れの侍大将まで演じ分けた忠清こそ、
藤本隆宏氏のベストだと信じている。 このドラマ歴代大河で最強だったな俺の中では。
ブルーレイがプレミア価格になっててむかつくけど。 ・このドラマの忠正
忠盛を支えるしっかりした弟
忠盛の信も厚い
おかしいことはおかしいとはっきり言うご意見番的ポジション
常に忠盛たちと行動を共にするNo.2的存在
清盛は嫌いだが清盛の息子たちには慕われる優しさもあり
・史実の忠正
忠盛の館には滅多に寄り付かない
忠盛・清盛親子にケンカを売りに行っては言い負かされてすごすごと逃げ帰る
薄化粧をして摂関家べったりなところも忠盛・清盛に敬遠される
荘園はごくわずかな田畠だけという没落ぶり 忠正についてはドラマ的改変がなされたことを何度も紹介してきた。ただし、ふだんは六波羅の外にいて
摂関家に近い人間であったことがチラリとわかる描写がなされていた(頼長から家盛に声がかかった、、、
ことを喜び勇んで知らせにきた・・・)。
また長くなるのでryするが、最終段階で頼盛と入れ替わり崇徳方に走るというシナリオにより、
忠正は平氏の外に出た。一方で、平氏外様の忠正をドラマ内に取り入れて清盛のカウンターパートとしつつ、
他方で、頼盛と宗子の歴史上の立ち位置に着眼し、史実との整合性をつけた力技に一本取られた。
この平氏内離反分子のポジションは頼盛が受け継ぎ、最終回まで清盛物語における見逃せない対立軸であり続けた。 維盛とか小兎とかの中の人なかなかイケメン俳優に成長して
活躍してるのみると嬉しいよ >>897
史実の忠正って史料がほとんど残ってなくて正体不明なんじゃなかった?
ドラマ的には脚色しやすくて「美味しい素材」だったと思う 忠正、なんで最期に白い水干を着ていたんだろう。
普段は直垂だったはず。 いやいや、沖縄までアベに屈服したら俺はどこで生きていきゃいいんだと本気になりかけた長文としては、
デニーさんが速攻で当選した知らせを受けて、目下幸せいっぱいなんすよ。
それこそ、イデオロギーではなくアイデンティティなんす、沖縄プロブレムは。
オザワは嫌いだが、山本太郎、森ゆうこに続いてデニーさんという魅力的な「側近」を今回発見した。
サヨクが尊敬する保守はいっぱいいるが、水田だの小川だのの成れの果てが跋扈する惨状と、これを庇護するアベに
心底うんざりゲンナリするばかりだったところに、オザワ氏系列の方々の筋の通った生き方は新鮮ですらあった。
そうなると、典型的なポピュリストである小池やら橋下とは異なる、オザワ氏の大局的な視野と力量も見直さなければならない。
何を言いたいかというと、清盛はオザワちっくなところがもしかしたらある。 >>904
長文さんは宋に渡ればいいんじゃないかな? ソーカは政権の犬だからなw
松山犬一もハケンと電力のCMやってて分かり易いww 集団的自衛権国会で絶叫アベマンセー演説をしたピエロがこの男。
この時初めてこのいかがわしい男を知った。
なのでこの度の醜悪なデマ彦ぶりには驚かなんだ。 チャンネル桜や2ちゃんによる狂信的かつ愚劣な「王家バッシング」を何一つ吟味することなく、
ななんと他ならぬ国会という神聖な場で「反日NHKがー」をおっぱじめ、
憲政史上に残る言論弾圧に走ったネトウヨ御用達議員ですか?
世界中から笑われること間違いなし、愛国郷愁ポエムのような自民改憲案に対するこの女が発した
立憲主義に対する驚くべき無知の表明としか言いようがない「解説」を読んだ時に抱いた感想は↓
「講義を受けたという泉下の芦部信喜先生が泣いておられます」 「王」は百歩譲っても、「家」の概念なんて無いのになw
まあ戦後の反日サヨク史観だわな
反日サヨク御用達の巨星の本だからな〜
真面目に法律勉強してると気が付かないうちに自然と染まっていくわな 生活保護だらけのくせに生活保護ぶったぎり内閣を支持しちゃうガッカイインさんステキ おいおいお父さんさー、>>915
「家」なる概念つーのはようやくこの頃に成立するんだよ。
摂関[家]私兵たる源氏と対比された(公的軍事部門を掌握する以前の)、王[家]の私兵たる性格を濃厚に有した平氏。
その屈辱的な従属性から飛躍していった忠盛平氏の貴族社会におけるポジションについては、何度も言及したはず。
これこそが初期の「王家の犬」というメタファーなのね。そしてそこからの脱却が、清盛平家の課題であり歩んだ軌跡というわけ
(もはや平家は王家の犬ではござりませぬー49話)。
それはそうとしかしまあ、芦部大先生は「反日左翼の巨星」なんだと。。。トホホ
あと「生活保護撲滅キャンペーン」の先頭に立ってる片山某を、果たしてこの方々が支持するのかどうかは確かに興味深い。
>>916 「家」とは、ファミリーを意味するがw
天皇にファミリーを重ね合わせ、イメージ化させ、地位を陥れる、まさに芦部信喜の申し子らw すまんがお前並みのアホが国政中枢を乗っ取る時代に、イチイチ相手する気力が失せた。。。
正論でもバカバカ言う適菜収には抵抗あるが、最近は小川ナンチャラを追い込む彼の姿勢に
すっかりファンになってしもうたw 二階堂さあにオイのクロウナギをばチェストちしたかがお! エンケンにしても役者はそれでヨシだと思うぞ。
関係性の推移を緻密に捕捉していった信西vs頼長だって、撮影順序がバラバラだったこともあり、
果たして名優2人が、その時何を、如何なる意味を担って演じているのか、全体構造に位置づけて
完璧に理解していたのか?と問われれば、そうではなかったかもしれない。
だがしかし、為義、頼長、信西、時政の4人はすべて、見る者にとってはかけがえのない名演であり、
忘れがたい印象を与えたのである。
出まくる売れっ子の名優というのは、こういう芸当ができてしまう人たちのことを呼ぶのだろう。 テレ東のドラマ「琥珀の夢」に家貞、貞能、たま子、家盛、悪左府が出てた。 信西「清盛、お前叔父とその子らを斬らなかったら官位剥奪して領地も財宝も召し上げるぞコラ」
清盛「ふぁっ!?卑劣やん・・・」
↓
信西「俺が知力でお前の野心を支えてやっから、お前ら平氏の武力と財力で俺の政治を支えろよぉ」
信西さんも後白河も平氏がいないと何もできないくせに官位も領地も財宝も奪えるんですかねえ・・・ はあ?
清盛も信西とゴシラがいないと何も出来なかったんだけど? この2人とのwin-winの提携をきちんと描いたことも、清盛の功績の一つ。
京大系は信西との密接な関係を疑問視するが、それは歴史学の論争で決着つければ良いことで、
この部分については五味=本郷ラインに依拠した大河清盛に、「俺の学説と違う」と
難癖つけた大先生にはまいりました。
一方では王家がーたち、他方では「あのーこれ学問じゃなくてドラマなんですけど、そんな調子で
難詰するくせに新平家を絶賛するのは何故なんですか?」と呆れ果てるばかりの専門家が
醜態を晒したことも、清盛の負の遺産。 >>927
ちょっと質問なんですけど「新平家」ではどうなっていたのでしょうか? 総集編以外は知らない。なのでその部分は「空白」。ただし、上手とは言えない総集編だけからもトンデモぶりはわかる。
大先生の1人は全部見たとのことだが、教科書検閲官氏に至っては、年齢的に総集編以外知らないはずなのに、
事もあろうに吉川弘文館が出したくだらない教科書本で、「史実と違う」と大河で唯一清盛だけを取り上げて腐す一方で、
わざわざ(デタラメだらけの)新平家を絶賛する、まるで小川某のような「論考」を寄せている。 見た限り、新平家での小沢信西は「悪代官」以上の存在ではない。
これと比べて、当時の政治と政局ををリードした「大宰相」信西を掘り下げた大河清盛は、
この点からも画期的で、本郷先生がイッチバン評価しているところ。
そういう歴史的評価以上に、うだつが上がらず鬱憤を抱えた通憲から、次第にマキャベリスト化していき、
ついに手に入れた権力を粉骨砕身公のために捧げた挙句、あっけなく滅んだ本作の人間信西の造型は素晴らしい。 >清盛と直虎は似ている
>なぜか主人公が出てくると途端にドラマがしらけるけどサイドストーリーはなかなか優秀
ほおー、別に何をやったわけではない直虎嬢と類似してるのが清盛なのかよ?
人生最後の一発屋だけで、あとはありもしない秀吉「最側近」やってた真田信繁さんとか、
主人公を申し訳なさそうに出すものの、「命中!」ぐらいしか話がなかった八重さんとか、
もっと相応しい「白ける主人公」がいっぱいいるではないか?
源平物では、ただただ舌がもつれたナイスガイだった滝澤義経さんもそう。
悪意のない方なのにスンマセン。紹介させていただきました。 ま、殺陣があんまりうまくなかった松ケンに比べ、滝沢義経の上手いこと。
ダンスで鍛えているだけあった。 殺陣が上手いも下手も、清盛はチャンバラ映画じゃないもん。
仲代清盛は祇園社事件でも、平治の乱でも一兵卒の如く大太刀回りしてたが、
そういう時代劇のお約束ごとに清盛は関心を寄せなかった。
義経はいわば戦闘員だから、清盛よりはその手のものが要求される。 >>933
え?
チャンバラの世を作るってんじゃなかったっけ?
清盛って。 >>934
チャンバラするのが棟梁の仕事ではないのよ、ボクちゃん >>934
「武士の世をつくる」のこころは、「戦闘だけにあけくれる社会や無秩序をつくること」ではなく
天皇や貴族ではない「武士が統治する世の中」をつくるという意味だと思います。
そんな世の中を建設するには、ただ刀だけを振り回しているだけでは、不可能です。 >>934
やめとけ、ここの住人に冗談は一切通じないよ >>937
たしかに清盛スレの住人は多くが真面目だ。その点だけで比較すれば大河スレ随一じゃないかな。
だいたいこのスレは、放送当時には世間から評価されなかった大河清盛の「名誉回復運動」のために立てられたスレだ。
すくなくとも1を立てた人は、そう考えていると思うよ。 >>933
この方針を貫くのであれば義朝との一騎打ちはほんと余計だった チャンバラしない代わりにやったのが一騎打ちだから。
これが全体の中でどういう意味をもったかについては、上の方に書いてあるはず。
繰り返すが、昭和の時代劇風チャンバラとは対極にあるシーンが、この平安の一騎打ちだ。 義朝との「チャンバラ」は突然河原でやったと思うが、どこの設定だったんだろう。 普通に考えて鴨川の河川敷なんだろうなぁ
ひとつ前のシーンがそうだし 当初から予定されていたのか、予算上の措置からやむを得ない選択だったのかは知らない。
しかし、普通に考えれば賀茂川河川敷に決まってるところに、「2人以外誰もいない異次元空間」
を演出してヴァーチャルリアリティ感を醸し出したところに、この一騎討ちの場面設定上の意義がある。
そしてそれは、たとえ結果論であっても、「一騎討ちのロジック」=「時期尚早の[やるべきでなかった]
源平合戦第2ラウンド」に相応しいトポスだったと断言できる。 合戦面からは第2というか第1。
2としたのは、4話での忠盛vs為義タイマン対決を受けたシーンだから。 >>945
ふむ。
いわゆる特撮ワープを使ったんだな。 王家の問題で叩かれたのは気の毒
頭のおかしい時代考証のせいで不当なとばっちりくらった わかったような同情する前に、卑劣な王家バッシングした連中を厳しく批判するべきでないの?
今や、アベ界隈ではちっとも珍しくなくなってしまった論法にすぎぬが、
頭おかしいのは、チャンネル桜だの、極右リテラシー某たちが仕切る5ちゃんだろうに。
その言い方は、最近流行している「一番悪いのは、隙を見せて強姦されたあなたです」に等しい。 >>949
当時なかった概念や言葉を登場人物に喋らせたから時代考証が悪い
第一当時の文献でもほぼ出てこない言葉 当時の書物でもほとんどが帝、主上、朝廷、朝家、皇家とかなのに
大河ドラマで唐突に王家ってだすのが不気味 ああーまたやるの?
やるんだったらとことん受け立つから、アホウヨの方で論点を整理しろよ。
事の本質は、ドラマ上の用語選択の可否ではなく、一つもそのような意図がなかった
にもかかわらず、王家をもって「中国皇帝に冊封された臣下」と決めつけ、
「反日」と喚いて卑劣なバッシングをおっぱじめたお前らの無知と卑劣にある。
・王者議定というれっきととした実定法上の用語における「王者」は、中国皇帝様の臣下なのか?
・家父長的支配を律令国家の建前を超越する形で政治システムに持ち込んだ、院政期特有の
政治システムを捉えるより適切な用語はあるのか? >>953
当時にあったかどうかは知らんが
30年くらい前の山川の日本史副教材には王家と書かれてあったぞ >>957
文語と口語は語彙が違うから古文書を調べたところで意味がないよ 「家」 =ファミリー
をイメージさせることで、天皇の権威を陥れる事を目的化した朝鮮史観大河
共産主義者が跋扈している こういうナレ朝方式は悪くはないけれど、明治に入っていきなりというのは、西郷どんに
1年間共通して指摘できる弱点だと指摘せざるを得ない。
「断片性」の一ヴァリエーションだろう。
対する清盛は、徹底して「繋がりの哲学」を実践した大河である。 「チェスト!気張れ!」と言っていたのは誰なのか問題は結構深刻
それに比べたら天国の頼朝はフフっと笑って済ませられる アバンで人物相関や背景を説明しつつ乗り切った点では、政宗以来のオーソドックスさを踏襲した大河。
ま、政宗や信玄のアバンは草創期なのでとんでもがあったけれど。 >>963
なぜかデーモン閣下が登場したこともあったな 普通の一般人が王家としてイメージするの普通に国家の皇室のことであって朝貢とか中国の配下とかイメージしないし、天皇家という考え方も一般人は普通にイメージするよね こうしたアルバムとかあるだろ
それを反日に繋げるのは悪意があるとしか思えない ↑皇室アルバムとかあるよね のまちがい
写真集や皇室ご一家のテレビ特番などでも普通に家族として扱ってるし
それにチャチャをいちいち入れるとか醜すぎ >>965
王家なんて言わん
当時の文書にだってほとんどでてこない BSTBSでやってる歴史番組で清盛のBGMが使われてる >>967
当時の文書は文語
口語でなんと言ってたかなんて誰も知らない 普通に王家で何も問題ないよな
フランス王家とかイギリス王家とかいうだろ?
それと同じと考えれば良いやん?
なんでそんなくだらないことにこだわるのか意味不明
王という漢字は中華皇帝の属国という意味だけではないだろ?
それに天皇家の争いを表すために王家という考え方はわかりやすいし良いよ
あの時代の
天皇家のの内輪揉めに巻き込まれたのが武士なんだし
あの時代をうまく描いている素晴らしい大河だな 「征韓論」は何故、起きたのか
原因を突き詰めれば、分かるよな? 当時の文書にでてこない単語を選んだ時点でなんらかの主張が見えて気持ち悪い >>974
当時の文書に出てこない言葉なんていくらでもあるけど ハイハイ、何のこと?
「天皇侮辱罪」どころか愛着いっぱいだったことは何度も書きましたよ。
しかし、天皇制は置いといて(本当は切り離せないので、最左派からはお前怪しからんと言われる)、
「イマの日本」に対する今上陛下と皇后様の見識の高さと「お怒りと嘆き」には、心底共感する。 「当時の文書」に基づいて台本を書いたらとんでもないことになる
全ての会話に字幕出しても理解できるか疑問 日本の気候と地形であんなに土煙だらけなのも馬鹿みたいだった 画面は美しかったよなあ 少なくともクリエイターたちには支持されてた
爺婆には不評だったらしいがw
今でも皇室ご一家とか普通に会話の中でも出てくるのに王家がーとか天皇に家はないとか
ほんとアホらしい論議だねw
だいたい皇室を貶めるとか言って過去の天皇家の人を悪く表現するのは許すまじとかほんと気持ち悪いわ
天皇も所詮人だ
良い人も悪い人も醜いこともいろいろあって当然だし今と違って権力の中枢にあったわけだから骨肉の争いとかいくらでもあった
それを表現すると文句垂れる奴は北朝鮮と変わらんわ >そういう層や頭弱、更には特亜に媚びることしか考えてないなら、もうNHKに用は無い
>「海賊王に俺はなる!」呆れ
>若年層を掘り起こしたいんだけど、ずっと駄々滑りなんだよね
>覗き屋シエでさえ良作に思えてくる
>日本とは思えないような乾燥した空気感と
特亜とか平気で使うババアどもが、海賊王がー、オモチャの宋剣がーって喚き続ける正体なわけね。
何ともわかりやすいでしょ。王家がー、反日がー、オモチャの宋剣がーも同じ連中ってこと。
もうこちらではダンマリこいてるけどさ。
情けない「頭弱」ババアども、へタレてないで正々堂々とこちらでやれ!
※
「今から2年前、中世研究の先生方にさまざまなお話をうかがいました。たとえば、平安京は当時、都としての耐用年数を過ぎ、内裏は焼け落ち、
都の西半分は水没、【日照りが続くと砂埃が舞って大変だった】とか、
【清盛は自家用の宋船を持ち】、福原と厳島神社の間を乗り回していました。当時の貴族は中国語も話せた超エリート集団だったなど、
お話はどれも新鮮なものばかりで、遠い平安時代を身近に感じるようになりました。」
ドラマストーリーで、磯Pはこう述べている。つまり、白い粉による砂埃描写は、作り手が自分勝手に創作したものでもなんでもなく、
専門家の助言に基づいたものだ。もしそんなにデタラメだと主張したいのならば、平氏研究の権威である高橋教授始め、
「中世研究の先生方」に論争を挑んでこい。
なお、砂埃が舞ったからといって、気候区分上の「乾燥地帯」に京が属することになるはずがない。
元湿地帯であろうと地下水が豊かであろうと、日照等により人馬で踏み固められた往来から砂埃が舞い上がることぐらい
容易に想像できることだ(本郷も当然視)。
砂埃など舞わないとか見てきたような法螺に、砂埃から京を乾燥地帯に描いたなどという二重のデマゴギー。
いつまでヨタってないで、「無知で無能な制作側がー」に対してではなく、専門家の大先生に喧嘩売ってこい。
伏流水だかが豊富であろうとなかろうと、人口稠密な人工都市京は砂埃が舞う世界なのだ。
【参照】
まーた始まった。
京は湿地帯だからアスファルトの舗装があろうとなかろうと埃なんて舞わないーキリッ
万世一系のお上が住まわれる神聖な都が隣の国のように汚いわけないーキリッ
右京の湿地帯はとうの昔に宅地化されたが早くから衰退した、朱雀大路はペンペン草が生えていた、
羅城門はとっくの昔に破門となっており貧民の根城と化していた、インフラ未整備のため糞尿垂れ流し状態、
飢饉となれば疫病が猖獗し生き地獄、街は貧者・病者・孤児で溢れかえった・・・
しかし、このような有り様は制作陣のでっち上げにすぎず、本当の京は王朝絵巻から飛び出してきたかのような
綺麗で衛生的な都市だった・・・
そんなに出鱈目なファンタジーと否定するのならば、「真実の京の姿」とやらを紹介してみろよ。 絶賛整地中のトラック行き交う被災地でも見に行けばいいのに
水量豊富な河川があって7年前は立派な市街地だった土地なのに、ただ地面を覆う舗装や建物や草木が無いだけで土埃が舞ってるぞ
勿論乾燥地帯ではない この大河が始まる前も東日本大震災の被災地整地中で砂埃だらけだったのにな
勿論乾燥地帯ではない 賀茂河の水、双六の賽、山法師
もしかして見てないとか 津波があって重機を入れて工事を続けてるから土煙が立つ
当時の地形気候で土煙があったらおかしい
地形が違うってことは戦闘や統治の方法が変わってしまう よし分かった
大内宿に行って来い
江戸時代に開かれた未舗装の街道がどんなものか見て実際に歩いて来い 砂ぼこりが立つのは湿気とは関係ないしなあ
一昔前は風の多い日は普通に砂煙が立ってたよ
学校のグランドとか経験ないか?
舗装されてる道路ばかりではなかったからそういう日は結構あった
まして平安時代ならなおさらだよね 学校のグラウンドはそれ専用の砂を運んできて維持してるからそうなる 日本を荒廃した大地に変えたいというシナチョンの願望を映像化したと正直に言えよ 砂埃じゃなくて、あれはマクー空間なんです。
いきなり河原で一騎打ちみたいなやつです。
大将の一騎打ちは太平記でもありました。
ジャンプして石切場に移動みたいなもんです。気にする必要はありません。 >>998
だからお前はキンキラキンの隣の国のファンタジーでアタシのキレイな平安に浸ってろ このスレッドは1000を超えました。
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